No. 7= Mn×まりねこ


★星空を眺める

まりねこ;
まずはじめにお聞きしたいんですけど、
天文関係に関心を持ち始めたのは、何かきっかけがあるんですか?
自然が豊かなところに育って、子供の頃から星空少年だったんでしょうか?
私の思うに、人って、なかなか普段は夜空を見上げることってないと思うんですね。



Mn;これはちょうどいい答えになるのが私のページにあります。
Stargazers' Club内の「星を見る私」がそうですが ----- あ、これ本番ですか?


はい、もう本番入ってます(^^)


ええと私自身は山口県の瀬戸内沿岸の工業地帯→広島市の郊外育ちですのでいつでも十分に
星が見えるという環境では育っていませんが、比較的理解のある親に恵まれたとか
親の田舎に行くと十分星が見えたという意味では比較的恵まれた環境にあった方だろうと思います。



そうでしょ?やはり環境が大きいと思うんですよ。
私、去年騒がれたしし座流星群を見に行ったとき、大阪府下ですが、比較的建物の少ない
ところで見たんです。あんなに星がきれいに見えた記憶ってないんですね。
私が知っているのはオリオン座だけだったけど、普段、自分が住んでいるマンションから
見上げるオリオン座とはまったく別物で、びっくりしました。
あれ、夜空って、こんなに星がいっぱいあったのか、と思いました。
大阪の、ちょっと建物のないところでそんなふうだから、もっともっと空気のきれいな田舎のほうだと、
またぜんぜん違うだろうと。そういうところの子供のほうが、星に興味を持ちやすいと思うんです。



いきなりですが、これはちょっと違うかなと思っているんです。私の親の田舎なんかは星が
良く見えるのですけど、特別関心の高い人が多いかというとそうでもないんですね。
良く見えるところで育った人にとっては良く見えるのが当たり前で、あまり星の見えない都市部に
来た時に「そう言えば月も見てないな」って感じになるという印象がありますね。だから、余程関心の
ある人でもないと「(この田舎では)昔と同じように星が見えてるよ」って言いますよ。
天の川が見えなくなったとか、主立った星座の星が見えにくくなったとか、明らかな違いが出ないと
気づきにくいようです。



なるほど。
恵まれた環境も、それがあたりまえのように受け取っていると、
かえってそれが持っている価値がわからないものですね。
とすると、私のように、普段は星なんかあまり見えないところにいて、たまに満天の星空を見る
機会があったりすると、感動してハマリやすい、ということになるかもしれませんね(^^)



確か大阪の市街地で育った子供の話だったと思うんですが、林間学校か何かで能勢あたりに
行った時に星空を見て「怖い」と言った子が結構いたと聞いた事があります。
「怖い」と言っても畏怖だったり恐怖だったりするから単純に決め付ける事はできませんけど、
「きれい」と思った子とはその後がやはり違うのだろうなと思いますね。



怖いっていうのは、でもよくわかる気がしますよ。
私も流星観測で星空を見上げていたとき、流星が何個も尾を引いて流れるのを初めて見て、
畏怖の念にうたれるというか、そういうなにかしら怖いような、この世の光景ではないような、
ちょっとそんな気もちになりましたもの。
流星に対する予備知識が多少はあっても、やはりホンモノを見ると驚くんです。
能勢あたりで林間学校となると、夜はほんとうにシーンと真っ暗で、そんな自然の闇すらも
あまり経験したことがない子供にとって、その闇をバックにした、満天の、落ちてこんばかりに見える
大きな星々は、きっと恐ろしいような感じに見えたんでしょうね。
星にまつわる神話なども、美しいという気もちと、こういう畏れの感情から
出来てきたように思うんですが。



あるまんがに出てくる台詞なんですが、「星とか機械とか、人間のくだらなさを超えたものは好きだな。
特に女の子は大好きだ。」ってのがあるんです。
私なんかも突き詰めるとこの台詞に行き着くような気がします。それは置いておくとしても、
多くの人はやはり宇宙に接すると何らかの超越的なものを感じるのでしょうね。
宇宙飛行士の大半が宇宙に行ってきたら人生に大きな影響を受けたと言っているそうですし
(立花隆「宇宙からの帰還(中公文庫)」あたりにいろいろ出てます)、
少なくともスケールの大きさくらいは大抵の人が感じるのではないかと。



神懸かりになっちゃった人もいますよね。スケールこそ違いますが、私でも、はじめて飛行機に
のったとき感動しましたもん。なだらかな海のうえにゴマ粒みたいなフェリーが浮かんでいたり、
アラスカの大氷原やアルプスの山々を真上から見る・・・
そういうのって、普段、なかなか意識できない「地球を感じる」体験ですね。
ましてや宇宙にでると、まるい地球が黒を背景にぽっかりと浮いているところを見るわけですから。
それは何か感じざるをえないでしょうね。



アメリカやロシアでは今まで上院議員あたりが宇宙に行った例はありますが(昨年秋のジョン・グレン
みたいに元宇宙飛行士というのは除くとしても)、本当は大統領を一度宇宙に送り込んでおくべきじゃ
ないかと思いますね。出来れば就任演説を宇宙からするとか。紛争地域の指導者をまとめて
送り込むのが一番いいとは思うんですが、そうそう彼らが承諾するとも思えませんから…。
翻って、日本の場合は今飛行経験の有無を問わなければ8人の宇宙飛行士がいる訳ですけど、
この中の誰かが10年か20年先に首相になってくれないかなという想いはあります。
今すぐなってくれれば言う事ないですけど、現実的じゃありませんから。



星に関心を持つと、宇宙の成り立ちにも関心を持つものなんじゃないですか?
なぜあんなに光っているんだろう、とか、どうやってできたんだろう、とか。
ロケットを飛ばしてそれを調べたくなるのは人情ですもの。
私は、あまり詳しくはないんだけれど、一般向けの宇宙論の本なども出てますよね。
いくつか読んでみましたが、非常に面白いというか、ロマンがある。
もともと科学系の本って、そんなに読まなかった私ですが、それ以来、科学系でも、こんなに面白い
分野があるではないか、と開眼したんですよ。



話がややこしくなるんですけど、宇宙論で有名なホーキング博士は何かのインタビューだったと
思いますが、自分は宇宙がどうやって成り立っているかには興味はあるが星にはあまり興味がないと
おっしゃっていたと記憶しています。プロの研究者には、天文学者だけど星なんかほとんど
見た事はないという人も結構いらっしゃるようですし。大学院を修了して公共天文台などに
就職したての人に「あの星は何ですか?」って聞いたら結構とんちんかんな事を答える人も
意外といるみたいです。どうも星と宇宙と宇宙論とをひとくくりにして語れるのかどうかという疑問が
出てきちゃうんですね。アマチュアに話を持っていくと、天体写真を撮る事にしか興味がないんじゃ
ないかと思える人とか、望遠鏡などの機材が目的みたいな人とか、プラネタリウム行脚する人とか、
まあいろいろいますね。



なるほど。いろんなタイプのかたがいらっしゃるわけですね。
そのなかで、ご自分の好みというか、今とくに興味あることって何なんですか?


難しいですねぇ。アマチュアの気楽さで、面白そうな事にはとりあえず首を突っ込んでみるような
事ばかりやってますから…。学術的に意義の有りそうなところではアマチュア無線を使った
流星観測くらいですけど、天体のビデオ撮影もたまにやります。
あとはまあ、肉眼や望遠鏡で星を見るのも好きですし、ドライブとかツーリングとか旅行を兼ねて
あちこちの天文台とかプラネタリウムを見たりもします。
星絡みの神話、主にギリシャ神話ですけどそういうのも読みますし、そうやっていると昔の人が
どんな風に星を見ていたとか、宇宙の事を考えていたかにも興味が出てきます。
あとは、教育問題ですかね。まだ独身だから子供どころじゃないんですけど。



あの、私、天文台って、いっぺん見学してみたいと思ってるんですが、
一般人が行って、なかを見せてもらえるものなんですか? 望遠鏡を見せてくれたりも?


プロが観測している天文台は基本的にいつでも見られるという訳には行きませんね。
岡山にある国立天文台の望遠鏡(日本国内最大)は同じ敷地に岡山県の天文博物館が
あるだけあって、ドームの中の望遠鏡をガラス窓越しに拝めますが、中には入れません。
夜は敷地自体が関係者以外立ち入り禁止ですし。
年に1回くらいはあちこちのプロ向け施設で一般公開をやるみたいですから、そういう時には直接
拝める事もあるようです。私は以前木曽にある東大の観測所を見に行った事がありますが、
ここのはそもそも人が覗くように出来てない(写真専用)ので望遠鏡を覗くというのは無理でした。
私が行くのは主に一般公開を目的にした施設で、関西にもかなりあります。
だいたい21〜22時くらいまで望遠鏡で星を見せるというのが一般的なところでしょうか。
施設によっては昼でも太陽を見せてますね(個人で買うのは難しい高価なフィルターを入れていたり
する)。深夜は職員が研究に使っていたりする施設もあるので、プロ用と言えなくもない施設もあります
料金は500円くらいまでが普通で、無料のところもあります。公共交通機関で行くにはちょっと面倒な
所が多いですけどね(距離もだが時間帯が遅くなるので)。プラネタリウムを併設しているところだと
曇っても無駄足にならないとか、宿泊施設を持っていて宿泊客には一般より遅くまで見せてくれるとか、
施設によっていろいろ特徴がありますから、ある程度調べてから行く方がいいですね。



そういう施設を紹介してくれるサイトがあれば、教えてもらいたいんですが。


天文関係のソフトをいろいろ作っている(株)アストロアーツのリンク集から各施設のページに飛んで
個別に調べるのが今のところ良いのではないかと思います。
いずれは私のページで行ってみた施設のレポートと言う形にしたいんですけどね…。
あと、星とか宇宙に興味を持つきっかけというのは結構いろいろあると思うんです。
実際の星空を見るのもそうですし、本とかTVとか他の人の話とか、天文イベント
(流星群とか日食など)、最近だと探査機や天文台の望遠鏡で取った写真なんかを見たのが
きっかけというのもあるでしょう。プラネタリウムもあるかも知れない。
この辺はまだ直接的、間接的という違いはあっても天体そのものから入っている訳ですけど、
今40歳前後の人だとアポロの月面着陸を見たのが宇宙に興味を持ったきっかけという人は
結構いらっしゃるし、50歳前後だとガガーリンからという人も多いでしょう。
宇宙飛行士の毛利衛さんは著書でTVに映っているガガーリンと肩を組んだところを写真に撮って
もらったというエピソードを紹介していますし。占星術から実際の星を見たくなったという人とか、
神話の類から興味を持ったという人も結構いらっしゃると思います。


★占星術は愚かな妹?

そういえば私、じつは占星術にもけっこう興味あるんですよ。
トンデモと思われるかもしれませんが、あれも詳しくなると、かなり複雑で、精巧にできたしろものだと
わかります。たとえば、当たるとか当たらない、という論議を抜きにしても、それを超えた、
ある種の芸術性みたいなところで、やはりそれなりに価値のあるものという気がしますね。


私も、占いという側面には日常会話の話題という以上の興味を無くしちゃいましたけど、
成立してきた経緯には興味がありますね。今みたいに個人の運命を占うというのは比較的新しい
分野で、元々は王様とか国家の存亡を読み取ろうとしていた訳です。惑星の不規則な動きがきっと
地上で起こっている事と関係あるに違いない、あるいは天とか神の意志の現れだろうという事で
よくよく観測しなければ、というのが発祥とされています。長い事観測しているとデータがたまってきて、
そうしたらどうも惑星の動きも一定の規則があるし、昔だったらそれこそ世界の終わりにも
なりかねないとされた日食だっていつ起こるか分かるようになってきた、という点では出だしのところは
占星術も天文学も一緒なんですよ。彗星みたいに予言が困難なやつがあるというのは
現代の天文学でも変わってないですけど、データがたまった時点でそれをどう解釈するかで二つの
流れができたと言うところではないかと思います。昔の天体観測の記録を見るとありもしない彗星が
「こいつが疫病の原因である」とばかりにでっち上げられているなんてこともあるそうです。
今だって、”未発見”の新惑星何とかはこれこれの意味で、それが凶角を作っているから
なんとかかんとか…
って占いがあるのを見てぶっ飛んだ事があります。それを言っちゃあおしまいよ、って。



「占星術は愚かな娘」というやつですね。
科学としての天文学を研究していても、なかなかお金がはいって来ない、ところが、星占いをやると
儲かる。儲かったお金で、本来の天文学の研究ができる・・・・
愚かだが孝行な娘という意味なんでしょうか。
大昔の天文学者には、そういうジレンマがあったようですね。


ほんの200年とか、そのくらい前までは科学者と哲学者と占星術師あるいは錬金術師とは
同一人物だったりした訳ですからね。ケプラーとかニュートンなんかはその典型だし、もっと昔だと
ピタゴラスの一派なんかほとんど数学(幾何学)教みたいな事やってた訳ですから。
双子の、真面目というか堅物の姉と思慮に欠けるけどとっつきやすい妹って感じでしょうか。
高校とか大学の文化祭に行くと科学系のクラブではパソコン(星)占いは客引きの常套手段。
何せ私にも経験ありますから。2〜3日の日程の時に当たると評判になると、期間中は
外から来た人優先にして、同じ学校の人には後日来てもらうなんて事になった事もありましたよ。
印刷を待っててもらう間に「よろしかったら展示も見ていって下さーい」って。



占いを目玉にする科学系クラブっていうのも、面白いですね(^^)
じつは、占いソフト、私も持ってるんですよ。
ああいうの、理系学生なんか自分たちで作ってたりしますよね。
オウムもつくってたって話ですけど、簡単にできるものなんですかね。
まあ、占星術なんか、こうなればああなるって、わりと論理的にできてるとこありますけども。


占星術だと太陽や月、惑星の位置を求める訳ですから多少面倒ですけど、大元のところは
物理法則で決まっている訳ですから一般に公表されているプログラムを流用すれば、あとは
ご宣託を用意すればいい訳です。私のいたクラブではタロットとかノストラダムスもやっていたと
いうのが売りの誕生日(日付や曜日)占いをやりましたが、誕生日が分かれば曜日を求めるのは
計算だけで終わっちゃいますし、タロットなんかそれこそ乱数でどのカードを出すか決めているだけ、
つまりパソコンの中でさいころ振っているようなものですから初歩的なプログラム技術だけで
十分出来ます。肝心なのはご宣託の文章をいかにうまく作るかでして、むしろ人の心を捉える
作文技術の問題でしたね。



個人のホームページでも、タロット占いなどやるとアクセスが増えるという話ですが、
あれってほんと技術的には簡単そうですね。
御託宣の文句ですが、一般にはできるだけ曖昧さを残して、あらゆる個別のケースに
対応できるようなのがいいんでしょうね。
何も言いきらないで、謎めいたかたちにしておくと、受け手のほうが、
勝手に自分に沿う意味を考えだしてしまいますもの(^^)


あと、否定的な表現を避け、肯定的な表現を多用するというのもポイントみたいです。
「けちで怠け者」と書かれているより、「落ち着きがあって無駄使いをしない」と書かれている方が
「当ってる」と思いますよね、普通。



まあそうでしょうね(^^)


★UFO、宇宙人、SF映画

私なんか、宇宙には興味あるんだけれど、そういうトンデモな方向からというのがほんとは
面白かったりするんですよ(~_~;)
UFOとか、宇宙人とか。火星の顔だとか。
なんか、宇宙って、こんなに広いんだから、何があってもおかしくないだろうって、
そういう空想(大ボラ?)を思いっきり広げられる余地があるんですよね。それもひとつの魅力かなと。
月の裏側にエイリアンの基地があって、そこからUFOが飛んでくるんだ、なんて、
ちょっと聞いただけですごくわくわくするじゃないですか(^o^) そういうの、どう思われます?


トンデモ話も知らずに聞いていると「そんなもんか」って思っちゃうんですけど、ちょっと興味を持って
調べてみると途端に面白くなくなるんですね。特にここ数年は目立ったところでも観測された事実の
方が人類の考えている事を大きく超えているものだから。「夢がない」って言われる事もあるんですが
「まだそんな事言ってるの?」って逆に聞き返しちゃいますね。いわゆるUFO話だと、
「そんな進んでる連中がレーダーに引っ掛かったり人を捕まえて何か埋め込んで調べるような
ダサいまねするもんか」と思っちゃう方ですし、火星の人面岩だと、どうせ人工物と思わせたいんなら
それこそやたら正確な立方体をやたら規則正しく並べて置くとか、サイズを倍々にして置くとか、
セーガン博士の「コンタクト」じゃないですけど素数個ずつ組にするとか、問答無用で
分かるようにするんじゃないかと思います。


言えてますね(^^)
何十光年もかけてわざわざ地球に来てまで、そんなヘボな真似するかって。
そういうのは宇宙人のしわざというより、地球人のしわざだと言われたほうが附に落ちる。
グラハム・ハンコックなどは、そのあたりうまくて、
「宇宙人に教えをうけた古代地球人のしわざ」ということになってますから。
でも、そんな暇な宇宙人がいるのかなって思うんだけど(^^)


あまりにも暇なので辺境の遅れた知的生命体を探して技を見せびらかしに行ってるのかもしれない。
真面目に自分たちの持つ技を広める気なら、とりあえず理解出来るだけの能力がある事を
見極めてから教えに来るでしょう。教えたはいいけど1万年も経たないうちにすっかり忘れるような
教え方じゃ、先生としての評価は高くできないですね。



おっしゃる通りですよねぇ(^^)
私、そういう宇宙人との出会いって、もしあるとしたら、やっぱりもっと双方にとって、
わけのわからないものになるんじゃないかって。
たとえば、意志の疎通さえ、できるかどうかわかんないような。
だって、よくSFなどで登場する人間型のエイリアンみたいなのじゃなくて、もう、こちらの想像から
まったくかけ離れてる可能性のほうが高いんじゃないかなって思うんですよ。
進化の過程だって違うだろうし。


気持ちの疎通だったら難しいと思いますが、互いのコミュニケーション手段がかけ離れていなくて、
コミュニケーション目的でやって来るなり通信してくるのであれば、必然的に分かってもらえるような
方法を取るでしょう。その辺はSETI(Search for ExtraTerrestrial Intelligence)関係のまともな本を
いくつか見ればいろいろ研究、検討されているのが分かります。
文春新書の「ファースト・コンタクト(金子隆一著)」あたりを読んだ時には
「ここまで考えているのか」とうなる事しきりでした。


私はね、宇宙人がどこかにいても不思議はないだろうと思ってますが、
逆に、「宇宙には、私たち人類以外の知的生命体は存在しない」、
そういう仮定が真実だとすると、ほんとうにそれこそが怖い感じしますね。
「どうして、こんなに広大な宇宙に我々だけが?」・・・そう思いませんか?
なんか、そのほうが悪夢のようでしょ。まるでトゥルーマン・ショウみたいじゃないですか。
その恐怖にくらべたら、まだ、宇宙を舞台にしたたんなるチャンバラ活劇にすぎないSF映画や、
それと同じ発想で成り立ってるトンデモって、まるで子供だましですよ。


基本的には人間は宇宙に存在するのは自分たちだけとは思ってないんじゃないかと思いますね。
他にも神様の部類かも知れないし、同じような人類かも知れないけど、知らない種族がいるんだろうと。
宗教的、科学的、あるいはトンデモ的アプローチとでどんなのがいるかと言う事は違っているにしても、
何かしらいるのは間違いないと考えている。いる事を証明するのは非常に難しいですけど、
いない事を証明するのに比べればはるかに楽ですからね。科学の経験則には「可能性のある事は
起こる」ってのがありますけど、少なくとも科学的に考えたらいないと考える方が難しいですよね。


そうかもしれませんね。
ところで、最近のハリウッド的SF映画って、特撮は確かにすごいんだけど、あまりにも知的貧困が
目立つというか、なげやりにすら思えるいい加減なストーリーだと思いません?
いちおうSFのくせに、科学的な辻褄合わせもしていないように見える。
私としては、非常に不満ですね。


多分、観客の程度を低く見積もり過ぎてるんでしょうね。バーンと派手に見せて、ドーンと音を鳴らして、
ガーンとショックを与えてやれば全米No.1ヒット。後はその全米No.1ヒットと宣伝すれば日本でも
その他の国でも受けるだろうと。
観客の方も自分でどうだったか考えるより宣伝文句を真に受けるだけの方が楽だし。
このところ映画の世界では小惑星や彗星が地球にぶつかってますが、設定にはかなり無理が
ありますね。異星人侵略ものはもう論外。まともなSFとしての侵略ものは有名なH.G.ウェルズの
「宇宙戦争」くらいと聞きますし。
で、私は考えたんです。今時のハリウッド製SF映画は、実は極めて豪華な作りの
特撮(CG等含む)技術プロモーションフィルムなのではないかと。技術のプロモーションだから
話はとりあえずどうでも良くて、映像技術を見せ付ける事だけが重要視されている。
それを劇場で公開しているのは、マイクロソフトがβ版(試作品ですね)を有料でばらまいているのと
同じで、話のいいのがあったらぜひうちの技術で映像化しましょうよと宣伝しているに過ぎない。
こう考えるとつじつまが合うんじゃないかと思います。


あはは(^o^)それ面白いですねぇ。
そんなふうに思ってみると、なるほどうなずける。
でも、そんなの、1800円もだして、劇場まで見に行く気にならないですね。
ビデオでじゅうぶん、みたいな感じがします。
やっぱり何百億円というお金が動いているんだから、もう少し大人向けの
こましなものをつくって欲しい。


確か「タイタニック」は200億円でしたか。エアバッグで火星に着陸した
「マーズ・パスファインダー」ミッションにかかった費用はこれより安いそうですから…
つまらない大作作るんだったら惑星探査機なり天文衛星なり打ち上げた方が
得るものが大きいですよ。金銭的には儲からないでしょうけど。


★理想の象徴としての宇宙開発

ええと、こういう疑問には、どう思われますか?
たとえば、地球上には、まだまだ飢えや戦争で苦しむ人々や、すぐに保護しなければ絶滅寸前という
動植物の種があるわけでしょ。はたまたダイオキシンなど、深刻な環境破壊もある。
こういう問題は、解決しようと思えば、それなりに巨額なお金がかかるわけですよね。
地上でやるべきことがまだいっぱいあるのに、わざわざ、火星や木星まで探査機を飛ばすこと、
そこに何百億円というお金を投じることは、はたして有効なお金の使い道なのだろうかって。


来ましたね。非常に難しい問題だと思いますが、個人的な見解という事をはっきりさせた上で
言うならば、意義のある使い方だと思います。理由はいくつかあります。
まず、非常に実利的な理由ですが、今見つかっている範囲では100〜200年くらいのスパンで
地球に衝突するような小惑星や彗星はないのですが、この辺の軌道は変わり易いのでふと気づいたら
衝突コースに乗っていたなんて可能性がないとは言えない。
映画「アルマゲドン」みたいに地球に近づいてから(特別に改造されたという設定とは言え、
スペースシャトルで行けるような所ですから近いでしょう)壊したとしても、大量の破片が地球に降って
くればそれはそれでかなりの災害を引き起こす事になります。とすれば、ぶつかりそうなものは
早く見つけて、太陽から離れているうちにちょっと軌道を変えてやるというのが現実的な解決策に
なるでしょう。惑星探査機を狙い通りの軌道に送り込む技術はこういう目的に絶対必要になります。
これが一つ目。


ふむふむ。


二つ目は地球の事を理解するのには他の惑星との比較が欠かせない事。
温暖化現象などはそもそもこの辺の研究があってこそという面があるし、センサー技術や
分析技術などは地球の観測にも応用が利くであろうから、やっておくにこした事はない。
三つ目は少し観念的だけれど、いろいろな研究をやっておく事は何らかの形で他の分野での
問題解決につながる可能性がある事。10年20年かけて正面から取り組まなければ解決しない
問題がある一方で、畑違いなところから意外なヒントが出てきて解決した問題というのも少なくない。
スピンオフを期待して研究するのは筋違いだけど、一つの問題をいろいろな視点から考える意味でも
多様な研究をやっておく必要があると思う。人材育成もその一環かな。例えば、惑星探査の成果を
見た人が天文学者にはならなくても科学に対する理解を持てば、他の問題解決につながる可能性が
あると思う。


そうですね。科学において、理論と技術というのは、どちらかが進歩すれば、
必ずもう一方に影響を与えるものだし、物理、化学、生物・・・などと分けても、
大幅にクロスオーバーしていたり、影響を与え合っていますね。
バイアグラとかリアップが、もともと目的にしていた薬効以外の副作用から生まれたみたいに、
なにかを研究していても、本来の目的からずれたところで、
「ひょうたんから駒」式に新たな発見があったり。


科学技術庁の諮問機関だったと思いますが、
宇宙開発委員会 理解増進に関する懇談会(既に廃止)」というところが出した報告書に
興味深い事が書いてありました。
今の理科教育の枠組みを見直して、脳と宇宙とに再構成してはどうかという意見です。
科学雑誌でもこの2テーマを特集すると売り上げが伸びるとかで、内向きか外向きかという違いは
あるけれども多くの人が「人はどこから来て、どこへ行くのか」という事に関心を持っていると言う事が
出来ると思います。確かにこの2テーマはあらゆる分野の集大成的な面がありますから、
いろいろな分野の影響をよく受けるように思います。つい最近まで天文・宇宙の世界は
実験という科学での重要な要素にハンディがあったから、余計にそう感じるのかもしれません。
で、さっきの続きになりますが、四つ目として、非常に観念的だけど、ヒトが人間として生きる為には
フロンティアとか夢といったものが必要だと思います。
天文や宇宙の分野は科学技術の集大成としての性質があるからこういう目的にはかなっている。



ほんと、こんなに海外が身近になった現代でも、まだ宇宙って「未知なる世界」という夢を
与えてくれますもんね。だからSF映画も当たる(^^)


五つ目は人類は自分たちの事を正しく理解する必要があると思うから。
人類は自分たちがどこから来てどこへ行くのか、今どんな立場に置かれているのか知らなければ
ならないけれど、その為には必然的に宇宙(当然地球を含む)の事をもっと良く知らなければ
ならないと思う。
最後は、現実的な理由ですが、宇宙の研究や開発にはそんなに巨額のお金を投じているとは
思えないんですよ。例えば日本の場合、宇宙開発や天文学の為に使われている国家予算は
多めに見て年間3000億円くらいだったと思う。ものすごい金額に見えるんだけど、実は
パチンコ産業の売り上げは年間30兆円ほどになるそうな。
日本人が1年間パチンコを止めてそのお金を集めたら、全参加国の総額で4兆円と言われる国際
宇宙ステーションがいくつも出来るとか、ひょっとしたら日本で月面着陸くらい目指せるかもしれない。
本気で他の諸問題を解決する必要に迫られれば、今天文・宇宙分野に使っているお金を回さなくても
困る事はない筈。実際問題として、アポロ計画が17号までで中止になったのはその資金を福祉に
回すべきだという主張が通った為だけれども、中止後に福祉予算が充実したかというと、そんな事は
なかった。つまり、アポロはスケープゴートになっただけ。
解決に巨額の費用が必要な問題の為に他の分野に使っているお金を回すという発想は、
必ずしも筋が通らないと思う。もちろん、無駄遣いをしないというのは当然の前提であるべきですが。


ふうむ・・・私ね、以前考えてみたことがあって、人の世には、一生懸命に働いてもなくならない
悲惨な貧困がある一方で、学問や芸術、宗教、はたまた、その時代ではまだ大衆に
理解されないような科学研究などもやはり絶えずに支持されてきた。これはなんでだろうって。


…支持されていますかね、本当に。正直言って不安になるんですよ。単に我々一般人が
”自分で考えるのが嫌だから”誰かに押し付けているだけじゃないのかって。
最近の科学や宗教に対する不信って、要するに「お前らに任せとけば安心だと思ってたのに、
なんだ何も解決してくれないじゃないか」って事なんじゃないかと。
私の不安が当っているなら、これらの人たちとは一種のスケープゴート。
もちろんこれは極端な話ですけど。



う〜ん・・・押しつけというか「甘え」だといえないこともないけれど、でも、そういったものに必ずしも
好意的・肯定的とはいえない場合だって、やはり、それなりに価値とか意義といったものを
認めているから、過剰な期待をしたり、的外れな非難をしたりするんではないでしょうか。
人の能力はそれぞれだから、より才能に恵まれた人に、自分のできない部分を託す、
というのは自然な成り行きかと思います。


私もそう思います。だからこそ、とまでは言いませんが先端を行く人たちが何をしているのか、
監視では言い方が悪いですけど、見ていく事が必要なんじゃないかと思います。
天文だと実生活に大きな影響はないでしょうけど、宇宙開発だとそれなりに実生活にも関わって
きますから、例えば研究者個人の趣味でビジョンのない研究をしてないかとか、研究の優先順位は
そのままでいいのかとか、一般人の視点から見たらどうなのか伝えていく必要があるんじゃないかと。
研究者側でも「一般の人にはそう見られているのか」という意識を持っているのといないのとでは、
やはり何らかの違いがあるのではないでしょうか。そういう先端を行く人と、特に強い関心を
持っている訳ではない一般の人とをつなぐ役割を、教育関係とかマスコミ関係とか
ごく身近なところだと私みたいなファンがやっていくべきなんだと思います。



それはほんとに大事なことでしょうね。お互いがばらばらになってしまわないように、関心を持ち合う
ことが必要だと思うんですよ。この対談コーナーも、私としては、ごくささやかなレベルながらも、
そういう気もちでやってるんですね(^^) いろんな人・物事に、関心を持ってみようよ、と・・・
で、まあ学者や芸術家、宗教家、ある種の研究者など、いわゆる普通の意味でいって
「額に汗して働かない人たち」、彼らの存在にどういう意義があるのか、ということなんですが、
あるとき、私、不思議な夢をみたんですよね。
なんかね、辺ぴな場所の大きな学校か病院みたいなところにいるんですが、私を含め、
そこにいる何十人かの人々は、この世の終わりを生き残った人々、ということになっている。
私たちは遠く離れた真っ赤な空から大きな石が落ちて来るのを目撃して、もうあらゆる街は
壊滅しているだろうと思っている。(ディープインパクトみたい・・・(~_~;))
それは衝撃的で悲しいことだけれども、自分たちで協力しあってなんとか果敢に生き抜いていこうと
しているわけです。
で、白衣を着た医者みたいな指導的立場の人が、カルテをもって、そこにいたひとりひとりに、
「あなたは何ができますか」って聞いていくんです。もちろん、全員が、そこで生きていくために、
自分ができることをやって、集団に貢献するわけです。
みんな、「私には洗濯ができます」とか「大工仕事ができます」とか、そういう実際的に役立つことを
それぞれに言っていく。医者はそれをカルテに記入していく。私は自分の順番を待ちながら、どうしよう、
私に何ができるのかなと、少し焦りつつ考えている。すると、私のすぐ前にいた若い男の人が
言ったんですよ、「わたしにはギターが弾けます」と。
私は、それがこの場にふさわしくないとんちんかんな返事に思えてちょっと腹を立てるんです。
「何いってるの、こんな非常時にギターが弾けますったって、そんなの役に立たないじゃないの」と。
ところが、白衣の男の人は平然として、「いいでしょう。では、あなたは、ギターを奏でて、
みんなの疲れを癒したり、心を楽しませたりしてください」って言うんです。
私はそこでその言葉に、ぱーっと霧が晴れた気持ちになったんですね。
そうか、それでもいいのかって。
目が醒めて、「人はパンのみに生きるにあらず」って、こういうことかと思いましたね。
雑然とした日々の暮らしに追われていても、人は、何か実生活には役立たない、
お金にも換算できない価値を求めるものなんだなと。食えればいい、それだけじゃなくて、むしろ、
食うに事欠くからこそ、希望や夢、理想や未来というものが必要なんじゃないかなって。
宇宙開発っていうのは、プロスポーツや芸術などと同様に、そういった人類の夢の象徴としての
価値をもつ、理想の具現化のシンボルとして作用する、といったこともあると思うんですよ。


例えば、スプートニクからアポロくらいまでの時代は核ミサイルというものが現実になった事と
米ソの国威高揚がほとんどで、競争の象徴だった訳ですよね。
1975年にアポロとソユーズがドッキングをするというパフォーマンスもあったけれど、
基本的には競争の時代。それが1980年代くらいからは、ハレー彗星探査機を各国が打ち上げた
けれども互いに役割を分担して協調の色が出てきた。今作っている国際宇宙ステーションなんかは
各国が協調しないと始まらないというところまで来ている。少しずつですけど、理想のシンボルに
近づいているのかなという気はします。



実際はそんなにきれいごとだけでないのは、これまたスポーツや芸術の世界と
同じでしょうけれども、やはりそういう自負があって欲しいと思いますね。



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