No.10 = ペコ×まりねこ

まりねこ;
こんにちは、ペコさん。

まりねこの零細サイトにお越しいただき、ありがとうございます(^^)
まずは自己紹介でもお願いしましょうか。

ペコ;
ハイ。私も本HPに集いし理系男の一人なんですが、理系得意だったかと言えば、
高校時代の理系科目はほぼ全滅。にも関わらずナーニをとち狂ったか
「理系行きます」発言して、担任に「一生忘れんぞ」との有り難いおコトバを頂戴し、
某4流工業大学をほうほうの体で卒業した後、ナゼかロケット造りに9年従事して
辞め、今現在はバイトしながら音楽なんぞをやっているロクデナシが私です。


へえ、ロケット造り!すごいですね。
で、一転して音楽の道ですか。変わってますね(^^)


おっしゃる通りです(笑) 恐らくまりねこさんのお知り合いで、36歳で
元エンジニアで今6畳一間の風呂なしアパートに住んでる人はいないと思います。
て言うかそもそも滅多にいねえってそんなヤツ。
でもそういうアナタもHP拝見した限りでは相当、こう・・


いえ、私は、ただの一小市民にすぎません(^^)
このごろは専業主婦をパラサイトとも呼ぶようですし、
そういう意味じゃ、ろくでもないんだけど、こういう性格からか
大きな顔だけはしているという・・・まぁ開き直りですね(^^)


このやり取りはお互いの存亡を脅かすので本論行きましょ本論(笑)
テーマは、例えば「教育」なんてどうでしょかね?


はい、やりましょう。面白そうですね。
ええと、テーマに教育を、といっても、少々漠然としていますから、
まず、現状の教育に対する疑問なり、意見なりを出していただけませんか?
それをとっかかりに、思いつくままを語っていきましょう。
では、ドウゾ(^^)


では、参ります。
私は幸運にも大学まで行かせてもらいましたんで、その各段階で何をするかと
言うのは一通り体験してきた訳ですけど、そうやって各段階で学生やりながら
いっつも不思議に思ってたんですよ。
「何でこんなコトしなきゃイカンのよ?」って。
まりねこさん学生時代に誰かから教えてもらったことあります? あのボーダイな
教科の数々を一体何のためにやってるのか、ってこと。


正直、なかったですね(^^)
「何で勉強しなきゃイカンのよ?」と思ったことは。
小学生の頃は、そんなこと意識して考えたこともないし、中学生ぐらいからは、
「何で」という問いに、自分のなかでもう答えが出ていたので。
「とにかく大学行って四年間、自由に遊ぼう!」という・・・(^_^;)
(なんか、そのころの私には、大学生って服装も自由だし、キャンパスも広いし、
苦手科目に悩まされなくてもいいし、すごく羨ましい存在に見えたんです)
そのためにはまず高校に入って卒業して、大学を受験する必要があった、
入試に受かるためには、やはりそこそこ勉強しておく必要があった、ということです。


いやそれってスゴイですねえ。
私なんぞは親が「行け」と言うので、仕方なーく高校行って大学行ってましたから。
そんなローティーンの頃から、来るべき大学生活のために目標立ててたとは
またなんつう早熟な・・・


いや、親の影響だと思いますよ。とくに父親の。
うちの父は四男坊なんですよね。男きょうだいのなかでは、末っ子。
父は根っからの理系人間、しかも運動オンチの勉強好きだったんですね。
特に物理なんか好きで、そこそこ成績も良かった(本人談)ので、
大学へ行かせてもらいたかったらしいんですけど、
なにしろ長男が大学へ行かなかったものですから、昔のことでしょう、
長男も行ってないのに四男坊のおまえなんかが行かなくてよろしい、
ということで、勉学への望みが断たれたわけです。


なーるほど。それだけに我が子への教育への熱意は高いと。でもそれって、
世代的に共通の感覚かも知れませんよ。ウチは両親とも盲人なので、口を開けば
「本読めー!」と言ってましたね。自分が読もうにも読めなかったから
「ワタシの分まで・・・」てな思いが強かったんでしょう。しかし若くてバカだった
幼い頃の私はと言えば、当然のごとく「うっとーしーなー」とか思っちゃってました。
バカだなあ、もう。


バカですねぇ・・・って同調してどうする(^_^;)
いや、私たちの親は、戦後の貧しさを肌で知っている世代でしょう、
生きるのに必死な時代、庶民は勉強するより仕事しろ、という感じでしたから、
「学ぶことに対する飢餓感」というのはあったんじゃないですか。
だから、自分の子供にはそういう飢餓感を味わわせたくなかった。


そう、これこれ。
戦後もそうなんですが、どうやらこの教育への熱き思いというやつ、どうやら
明治以来の日本に連綿と続く共通の思いみたいですよ。
考えてみれば江戸時代以前は、教育というもの自体が、特権階級のためのもの、
つまり支配階級である武士か金持ち商人だけが、子供をいわゆる私塾に
通わせることができたんですよね。庶民の教育はいわゆる寺子屋あたりが
関の山。庶民は教育に関しちゃずーっとおあずけ食らってたから、飢餓感は
とんでもなく高かった。そこへ明治で形の上では原則解禁になり、第2次大戦後は
完全解禁となった。
「高等教育受けられればイイ生活ができるぞ、勉強しろ!」てのはだから
我々の親の世代が子供の頃から親に言われて、でまたその親はまた
親から言われてて・・・とそうやって学歴重視社会ができあがったってのが
日本人の教育熱心の正体みたいです、どうやら。


お詳しいんですねぇ。
なるほど、歴史的経緯を振り返るとそういうことだったのですね。
ところが、今の親(私たちの世代ですね)は、もうお腹いっぱいつめこまれてる。
ということで、子供に何を望むかっていうと、ステイタスかな、と。
「いい学校行ってます」というステイタス。つまり学校のブランド化。


ホントホント。とりあえずケリー買っとけ!みたいな(笑)
ほとんどの親は自分が子供の頃、食いたくもないメシを無理やり口あけて
詰め込まれるような勉強してきたもんだから、何のために勉強するのかとか、
何をどう勉強したらどう役に立つかってことを考えたこともない。だもんだから
自分の子供をどうしたらいいかも当然解らない。
で、仕方ないから評判に頼る。あそこは有名だとか、あそこは一流企業に
何人就職させてるとか、偏差値いくつだとか。


私は子供がないので、実感としてわかりませんが、聞くところ、
お受験ママとか、もうすごいみたいですもんね。
子供をどうしたらいいかわからないっていうのは、私たちの世代が、
社会的な価値観が変遷していくなかで親になったとき、子供の幸せのために
何を為すべきか真摯に考えるということを怠ってきた、あるいは、個々の
親自体が人生に対する指針を見失っている、ということなんでしょうね。


子供をどうしたらいいかワカラン!てのは今も昔も同じなんですよ、きっと。
こういう風にしたら必ずこうなる、なんてのは誰にもわかんないですから。
でも今までは少なくとも現実の社会が、「イイ学校入るとホラこんなに正解!」
ていう姿を見せてくれてた。でもおっしゃる通り、時代が大きく変わっちゃった。
おっきい会社はツブれません会社入ったらクビにはなりません、という今まで
の社会で崩れるはずない大前提がガラッといっちゃった。そういう状況だから
一層ヒステリックになってるってのはあるんじゃないでしょうか。
世の中不景気で大きい会社入ってもアブナイ、ならばイイ学校入れてスッゲー
大きい会社に入れよう!てな、言わば親心、実はお受験ママ、と言う。


そう、他人の物差し、既存の物差しでしか自分や子供を計れない。
「有名大学に入りなさい」というのも、子供のためというより、
半分は、自分のためでもある。
「あの人の息子さんは有名大学出てるのよ」ということが自分を評価する
物差しなんですよね。


まあでも親ってのはそういうものでしょう。子供がイイ大学入れば嬉しいし
嬉しければ自慢したくなる。「いいわァ」て言われりゃそれまでの苦労も
吹っ飛ぶし。親が子供を「立派に」育てて、その子供によって親が評価されるって
こと自体はOKでしょう。その「立派」が有名大卒だってんなら、それは
まあ御本人の自由だし。だから親が「イイ学校入れ!」という道を一時子供に
押し付けてみるのは別に構わないと思うんですよ。それが既存の物差しだろうと
自分のためだろうと。
ただ問題なのは、その道でしくじった場合の救済措置が、現在一切ないって
ことなんですよね。いくら「イイ大学入るぞ!」て意気込んでも、入れない人も
いる訳です実際の話。言われるがままずーっと頑張って、結局失敗した上に
何でダメだったかはサッパリわからないまま、ダメでしたという事実だけオマエ
ちゃんと受け止めろよ、と言われてもそりゃ困るじゃないですか子供としても。


だから、けっきょくはそこまで考えているか、ということですね。
受験を押しつける親心はわかるのですが、たとえ、
動機が愛情からであっても、その結果に対する責任は免れませんよね。


そうそう、本来免れちゃいけないんですけど、免れちゃってるのが問題で
あると。免れてると言うか、「こんなに真剣に親身になって色々子供のために
やったんだから、これでダメなら私に責任はないよね」みたいな、困った誤認が
あります。コラコラ完全燃焼してどうすんだ!


これがいいぞ、と押しつけたはいいが、失敗したときのフォローを
考えていないというのは、楽天的かつ無責任すぎますよね。


親が無責任というのは確かに問題の根元なんですが、ではそれを解決するには
どうしたらいいかというと、それには今から次世代、次々世代に
自立的な教育をして、しかる後に彼らが親となる時を待つしかない訳です。
でもそうすると、今現実に泣いてる子供は何の救いもないってことに
なっちゃうんですよ。だから将来の根本解決と今打つべき手は、両方とも
打たなきゃいけないでしょう。燃料電池の車を開発する一方で、ガソリン車の
燃費や排ガスを良くする研究もしなけりゃいけないのと同じで。


子供だって、大学受験時ともなれば、親からだけでなく、学校から、塾から、
友人や図書館から、情報がいろいろ手に入るわけです。情報をきちんと自分で
取捨選択して、自分の生き方ぐらい、だいたいは自分で決められる、決めよう
いう気概をもっている、そういうふうな状態に育っているのが、
最も望ましい
んでしょうね。


ホントにねえ。だからそのもっとも望ましい状況に向かって、社会全体が
最大限の努力をして欲しいんですけどねえ。
親の物差しを押しつけられた子供は、有名とか一流企業とか偏差値とか
言われても、自分の生活で感じられるリアリティ全然ないですから、ブランドとして
ありがたがることさえもできないんですよね。さらに最近の親の世代ではもう
「勉強してイイ学校入ってカタい会社就職して一生安泰」なんてヨタ話は、
自分でも信じちゃいないですから、そんな親に「勉強せい!」と言われても、
子供にしてみれば「ケッ」てなもんでしょう。学校行かない子供が増えるのも
当然だわなあと思います。


このごろの小学校の荒れ方は、だから半端じゃないですよね。
まだバブルのときは、あれでもマシだったんですよ。
でも、不景気で大人がギスギスしてくると、子供まで余裕がなくなりますね。
「将来、何になりたい?」と訊かれて、「お金持ち」と答えるような小学生が
実際にいるなんて、なんだかなぁ、と思います。


ヤな話ですねぇ全く。でも「イイ学校入ってイイ会社入れ」て言われて育った
今の子供には、その先にある本当の目標、つまり「金が儲かる」てことが
見えちまうんでしょうね。我々が思ってる以上に賢いんですよ、子供って。
でもそれは、いわゆる不景気のせいでは、多分ないと思います。
70年代のアメリカでは既に、今の日本と同じような学級崩壊やら何やらが
頻繁に起こってました。その頃のアメリカは景気が落っこちていく真っ最中で、
教育の荒廃と不景気との関連がやっぱり取りざたされたりしたんですよ。
でも90年代に入ってアメリカが好景気に入った時代に、こうした状況が
改善したかというと、別にそんなことない訳です。相変わらず学校の中で自動小銃
ぶっ放す奴はいるし、麻薬売ってる奴もいる。状況は何も変わってない。
だからあの時バブルが崩壊しなくても、世の中がずーっと好景気で浮かれて
たとしても、日本の学校は今のように荒れていったと思います。
これは思うに、社会や教育制度が成熟した国ならどこでも何らかの形で起こり
得る「制度疲労」のようなものなんじゃないでしょうか。


うーん、では、どういうふうにその制度を変えていけばよいと思われますか?


今の制度は別段大きく変える必要ないと思います。
要は別の制度を幾つも作って、それが今までの制度と等価であるという状態に
すればいいんですよ。つまり現在の「勉強ができない=低級人間」とか、
「学校に行きたくない=ダメ人間」という暗黙の(そして無根拠な)序列みたいな
ものをなくす。そうすりゃ皆ラクになると思うんですよ。
子供は今も昔も「何故今勉強しなきゃいけないのか?」と思ってます。
思ってたけど「勉強→進学→出世→いい暮らし」以外に、勉強することの利を
誰も説明したことないんです歴史上。大多数が貧しい暮らしをしてた時代なら
「いい暮らし」はモチベーションになったでしょうけど、今や日本は
お金持ち国ですから、「今よりいい暮らし」とか言われても、「別にいいです
今のままで」ってなりますよ大半は。「プレステ楽しいもん」とか(笑)


ははは。そうなれば社会の在り方もずいぶん変わりますねぇ。
ところで、うちの父の話に戻りますが、家庭の事情で勉強が続けられなかったのを、
ずっと残念がっていたんですよね。で、私と弟がまだ小学生のうちから、
「何があっても、おまえたちの学費だけはなんとかしてやるからな、だから
心配せず、どこへでも好きな大学へ行け」と口癖のように言ってました。
でも、「親の心、子知らず」なのですね。
私は、「わー、四年間、働かずに好きなことできるの?ラッキー!」
ぐらいにしか思ってなかった・・・(^_^;)
父よ、ごめん。


ごめん、ですか。
この手のセリフ、私もトシ取るほど口にする機会が多くなってます(涙)


はじめに白状しましたが、不肖の娘は、ただ大学生活をエンジョイしたかっただけ
だから、この(かなり不謹慎な)目的に必要でない科目は、やっぱりペコさんの
言われるように「何でこんなコト勉強しなきゃイカンのよ?」と思ったりもしましたね。
それは高校時代の数学とか物理。あと、保健体育とか。
私は入試科目が少ない私立文系を受けると決めていたので、
「こんなの(数学や物理)私には関係ないのになぁ、クソッ」と思ってました(^_^;)
で、大学に入ったら、あとは遊び。勉強は卒業できる程度にやっとけばいいと。
出欠とらない授業はさぼって、テスト時期は友人からノート借りまくって・・・
大学側からすれば、ほんと、トンデモな学生でしたねー。
たぶん、そんな態度ではすまされない(卒業できない)理系学生とは違うと思います。
あ・・・私に対する印象が、この話で悪くならなければいいんですけど(^_^;)


ぜんっっっぜん悪くなりません♪
そんな態度ではすまされない理系学生だった所の私は、講義はサボるわ
試験時期にノートわ借りまくるはで、トドメに卒業できる程度にやってたはずの勉強でタコミスして1年余計に学生やってました。ああ親不孝・・・
私も高校時代にはもう理系に進むと決めてたので、漢文とか古文とかやる理由は
サッパリ解んなくて、「何でこんなモンを・・・」と思いつつ、でもまあそれは何と
なく納得してたんですよ。「まそういう科目だってあるわなぁ世の中」とか。
しかしそれを理系必須となる理系科目で感じちまうと、ちと複雑でしたね。
例えば数学やってると、「ハイ行列です」「ハイ偏微分です」と、そりゃもう色んな
モンが次々出てくるわけです。その度こっちはヒーコラ言いながらそいつを覚えてく
わけですが、毎度思ってましたね、「一体このラプラス変換って何よ!」って。
私は文系教育の高等な世界をまるで知らんのですけど、最高学府をお納めに
なられたまりねこさん、そこら辺りは文系でも同じように思ったりすることがあるん
ですかね? つまり必須科目でありながら、やってる内容が何の役に立つのか皆目
ワッカンナイてな事態が。


私は文系っていってもそんな高等なもんじゃなくて、英米語学科なんですが、
そのころ、その大学の入試科目が英語と現国と古文(漢文含む)、
プラス小論文でした。
現国は、まあ何をやるにも必要だとしても、なんで古文まで?
とそれは疑問でしたね。
あと、入学してからは、これまた古典英語っていうのがあって、
十八世紀とかの英語について習ったりするんですよ。
こんなもん、日本人が勉強する価値あんのか?と不思議に思ってました。
現代英語だって、すらすらと口から出てこないのにね(^^)


やっぱりやるんですねえ古典系。意味ないなあと思いつつやらされる勉強ほど、
ヤになるモンはありません。こうして人は学校嫌いになってくわけですね。
でも私、突然気が付いたんですよ。
こうしてムダだらけに思える教育プログラムって、実はもんのすごく良く出来てるん
だってことに。私は一貫して理系学んで理系の仕事に就いたわけですが、
仕事してみて、遅まきながらやっとこさ解ったんですよ。
あのワケの解らん大学の講義の数々が、エンジニアの仕事にどんだけ重要か。
あの意味不明だった高校の数学とか物理が、大学での勉強にどんだけ必要か。
良く解らないまんまやってた中学の方程式だの平方根だのが、高校の科目で
どんだけ役立つか。
そして仕事のために最低限覚えてないとマズイことを、小中高大の16年間に
割り振ろうとすると、ああいうカリキュラムにならざるを得ないんだってことに。


なるほど・・・
そういうことをあらかじめ知ってたら、もっと真面目に勉強しておいたのに!
・・・って思いませんでしたか?


そりゃぁもうめちゃめちゃ思いますってば。
あと逆に、「あらかじめ知ってたら、もっと手ぇ抜いてたのに!」とも思いますね。
もう漢文とか古文なんてぜーったいやってないですきっと(笑)
しかし、おそらく文系で古典関係をやるのは、その世界で何か新しいことをやろうと
思うと、どうしても歴史を学ばざるを得ないからじゃないでしょうかね?
どこから来たかを知らんで、どこへ行くかを知ることはできんだろ、みたいな。


まぁ、そうかもしれません。とくにその道の研究となるとね。


いやいや研究に限らず。
私は研究家ではないですけど、明治以降の日本歌謡史を少し勉強しただけで、
俄然今の音楽聴くのが面白くなりましたもん。今まで革新的だと思ってたことが、
実は過去試みられていたことの焼き直しだったりとか、古臭いの一言で
片づけてたものが、何と当時最先端の革新だったとか、いっぱいありますから。
そっか、河内音頭ってラップだよな、とか(笑)。
文学だってそういうとこありますよね、きっと。


まぁ、言われてみれば文学もそうですね。
新しいとかいう点では、人間の考えることなんて、じつは、徒然草とか
そんな時代から、そう変わってないんじゃないかと。
もし、ヒトの精神性がだんだんに進化していくものなら、
いまごろはもっと違った世の中になってますよね。


ホ〜ント、人間は進歩しませんよねえ、残念ながら。
王政の封建主義がイヤで共産主義革命起こした東欧が、ソビエト崩壊後
さっさと王政に逆戻り、ってぇのを見てほんっっっとに心の底から落ち込んだ
と、かの宮崎駿センセイもおっしゃられておりましたっけ。


ところで、高校三年のときは進学コースによって、クラス編成されませんでした?
理系って男の子ばかりだったと思うんですけど、どんな感じでした?
うちの高校では、一番端っこのクラスがそれで、休み時間になると、
そのクラスの前の廊下だけがウジャーって男ばっかり。
私、不気味だなぁと思って遠くから見てたんですよね(^_^;)


されましたされましたクラス編成。
でも私の高校は男子校だったもんで、理系だからと不気味さを感じる事は特に
なかったですね。何せ学校全体が不気味でしたから(笑)。


えっ、男子校だったんですか?
それじゃあ、どっちを向いても男ばっかですよね(^_^;)
男子校出身なら誰でもわかるけど、そうでない人には案外わからない
「男子校ならではの常識」みたいなのってあるんですか?
いや、たんに好奇心でお聞きしたいんですけど(^^)


うーん思い付かない・・・
あれ? てことは「女子校ならでは」てのは何かあるんでしょうかね、エヘヘ。


私は共学だったので、よく知りませんが、同性ばかりだと、
何かにつけ本音が出るような気がするんですよ。
異性を気にして、カッコつける必要がなくなりますもんね。


あ、それは女性だとそうかも知んないです。
ただオソロシイことに男ってのは、カッコつけを止められないという、救い難い
アホーな生き物なので、例え同性同士であろうとも本音はまず出ないです。
ことに異性関連は。女の子って付き合ってる彼氏の話を友達と結構しますよね。
男の子なんてもう全っ然しやしませんからね、そっち系は。
で、ウチは超進学校だったので、みんなスゴーク勉強するんですよ!
進学校の授業ってのは、基礎はパッパと済ませて、あとは延々と受験用の
応用問題をこなす毎日です。だからそこで「何でこんなのやるの?」ていってる人は
速攻で脱落します。だから進学校で勉強できる人は、「頭が超良くて特に努力
しなくても何でも解ってしまうスゲー人」以外は、「教えられたものに疑念を持たず
一所懸命とっかかれる人」でしたね。


それか、私のように、「とにかく大学入ろう」っていう人でしょうね。
もちろん私とは偏差値の高さにおいて違うのでしょうけど。


すんません忘れてました。「勉強する意欲のある人」を(笑)
ただ、偏差値の高低はあんまし関係ないでしょう。その偏差値のレベルに応じた
「できる人」とか「そのレベルの努力なら疑念なくできる人」てのがいるだけで。
教えられたものにイチイチ疑念を差し挟むがゆえに速攻で脱落しちまった私は、
そういう勉強デキる人見て思ってました。
「すっげーなーコイツら。でも何かコレおかしかないか?」って。
だって、それが将来何に使うためのものなのかとか、何の下準備として
必要かとかは一切知らないまま、一心不乱に勉強してるんですよ。
そしてそれが良くできた人ほど優秀な人とされていく。
ある物事に疑問を持つような人なんかは、こと理系教育についちゃ
ハナからアウトなわけです。
その一方で、そんな風にセレクションした集団に、独創的とか個性的とかいう
発想を求める。そりゃオカシイだろ、と。


それが現実なら、おかしいですね、確かに。
ほんとうに理系に必要な、というより学問に必要な資質というのは、
「疑問をもてること」なんだと思いますよ。
言い換えれば、自分の頭を使って考えようとすることですね。何も疑問に思わな
ければ、何も考える必要はないわけだから。疑問を解決する過程においてこそ、
創造性も発揮されるんですよね。それから、高校時代に受験勉強の目的をきっちり
押さえておけなかったら、入学してからやるべきことを見失って燃え尽きてしまい
ますよね。大学は基本的に、勉強したい人が自主的に勉強する場だから。


いやまったくもって。
で執念深い私はまた考えてみたんです。なんでまた日本の教育ってぇのは
そんなおかしな仕組みになってるんだろうと。
結局、これも明治からなんですよね。
江戸時代は教育を特権化して、それが封建社会を維持する要因でもあったん
ですが、黒船君がやってきて事情は一変、急いで国をイッチョマエにしなきゃ
ならなくなった。船だ鉄砲だ大砲だと。でも工場がない工作機械がない材料が
ない。しょうがないから外国から買う。でも設備整えても肝心の工員がいない。
そればっかりは外国から買うわけにイカンので、自前で育てるために学校作った。
教える内容なんか自前で考えてるヒマないから、外国人連れてきて教えて
もらってホイ解決。さあ皆さん今あるものを一生懸命勉強して憶えて下さーい。
自分で考えるヒマあったら、他人の知恵かっさらってこーい!
これが基本なんですよね。
つまり圧倒的に立ち後れたものを、一刻も早く量的にも質的にも対等にする
ことが、日本の教育整備の目的だった。だから日本人の今ある姿、独創性が
ないとか傑出した人材が現われないって姿は、ある種必然なわけです。
国の存亡の危機に際して、一定レベルの人材を迅速かつ大量に揃えようと、
明治の人が知恵を絞って整備した世界最新(当時)の教育システムが、
その通りに機能した結果ですから。でも今や教育普及率世界最高を誇る国が、
大事に守ってくシステムではないと思うんですけどねえ。


なるほどー。
それに加えて、出る杭になりたくないっていうか、横並び志向っていうか、
そういう国民性みたいなのもあると思いませんか?
子供の間では、成績が悪すぎてもいじめのターゲットになるし、
反対に良すぎても、また叩かれるんですよね。


いじめはね、多分全く違う理由で起きてますよ。横並びとか国民性とかは、
私思うに全然関係ないんです。実は私、小さい頃ヤな目に遭ったことあるんで、
「いじめに遭う理由」についちゃ真剣に考えてましたね。当時も今も。


いじめは、小中学校ではかなり深刻な問題になってますよね。
まぁ、昔からいじめはあったんですけど、私の知る限り、私の学生時代には、
多額のお金を脅し取るとか、身体をひどく傷つけるとか、
あまりにも非人間的で悪質な嫌がらせなどはなかったように思います。
地域や学校にもよるのでしょうけど・・・


いじめってのは元々が非人間的なもんで、そして子供ってのは未熟ゆえに
非人間的な存在ですから、いじめってのは未来永劫決してなくならない
ものだと思いますし、また際限なくエスカレートしてくものだとも思います。
こういうこと言っちゃ冷血漢と罵られてるんですが、「正常進化」でしょう。
時代や社会が歪んでしまったとか、人の心が荒んでしまったとか、まあ
それもあるんでしょうが、それが原因の全てだ!って言い切っちゃうと、
さっきの話じゃないですけど、「じゃ今あるいじめはどーにもならんの?」
とか「今起ころうとしてるいじめは止めらんないわけ?」て結論出しちゃう
ことになりかねない。それじゃ今ヒドい目に遭ってる子供にしてみれば
救いがないって話になっちゃうじゃないですか。そんなの可哀相ですよ。
それはさておき、まりねこさんのおっしゃる通り、教育問題の課題は自主性
でしょう。もう中学あたりで、今勉強してることと社会に出た時の自分の姿の
間連を自力で付けられるようにしとかないと、ますます皆学校行かなくなっ
ちゃうと思います。ホントに。


うーん。
社会に出たときの自分の姿を思い描くって、なかなか難しいですよ。
理系技術職とか、教師とか、医者とか、スチュワーデスとかね、
そういう専門職はわかりやすいですが、大多数のいわゆるサラリーマンって、
何やってるんでしょうね?
うちの父は、私が小学生のころ脱サラして経営者になりました。
だから、サラリーマン社会って、どうもリアルにわからない。
サラリーマンの子供って、父親が毎朝何をしに会社に行ってるのか、
考えたりするんでしょうか?
子供にとって、サラリーマンっていう職はちょっとわかりにくくないでしょうか?
すごく多数派なんですけどね。


そうそうわかりにくいんですよサラリーマンって。て言うか「会社」てぇものが
どういう風に機能してるかってのは、会社に入って皆始めて知るわけです。
私もモノすんごく困りました初めて会社入った時は。会社の仕組み覚えるのに
だから何年も掛かった挙げ句、そん時も思ったもんですよ、「何でコレもっと早く
教えてくれなかったんだぁ!」て。


あー、私もそれで就職活動うまくいかなかったです。
なにしろ、会社というか、組織というものの仕組みや掟がまるでわかってない。
アルバイトもあまりしたことなかったですし。
今思えば、私が面接官でも、私のような人間は、やっぱり落としたでしょう(~_~;)
こいつ、働くってことがなんもわかっとらんって。


前に出た「自分で決める気概がある」ってのと真っ向反対の話になっちゃいますが、
恐るべきことに今の大学生、みんな解ってない(笑)
某有名大学の4年生、一流企業就職内定済み!みたいなのが、サラッと
「別に就職したくてしてるわけじゃなくて、まあ取りあえず」とか「ヤになった
らやめちゃってもいいかな」とか言います。つまり、働くことへの自覚がない。
こういう人が今もの凄い勢いで日本の会社組織の中に増えてるんです。
そういう人がいること自体は別に問題ないんですが、でもホントならそういう
人って会社に入る必要ないんですよね。ならば会社に入るための進学だって
必要ないはずです。それって社会にとっても本人にとっても不幸じゃないですか。


会社組織って、なんだかんだいって、さほど合理性を追求するところではないん
ですよ。利益は追求するんだけど、そのやり方がね。
なんか、人間としての常識以前に、社会人としての常識みたいなのがあって、
それを体得できそうにないとなると、やっばりハネられるんですよ。
もう、「風邪ひいたら早めに暖かくして休まないと結局は長引く」なんて、
人間としての常識は、社会人としての常識の前には通用しないですもんね。


「会社の事情」ってやつですよね。ありますねえワケわかんないのが。
そういや昔いた会社で「連鎖入院」てのがあったんですよ。
まず平日鬼残業土日も出勤というめちゃめちゃ忙しい人が過労で倒れる。
すると仕事は待ってくれないので、その人が抱えてた仕事は周囲の人に
回される。でも他の人だって別にヒマじゃないですから、そうすると仕事
回された人もオーバーワークになる。で、ほどなくして倒れる。するとその
仕事は他の人に回って、その人がツラくなり・・・という悪循環で、ある部署に
入院続出って事態が起きたことあったんですよ。まあ仕事受けるヤツも
受けるヤツで回すヤツも回すヤツなんですが、これが会社の中にいると
「やるしかないんだよォ」ってのが正義になっちゃうんですよね何故か。
その後その入院劇は、バタバタと人が倒れてからようやっと「ツラくなったら
倒れる前に申告して下さいねー」というアナウンスが出されて終結しましたが、
なーにを当たり前のことを今更、と思いましたよ当時。
会社員には向き不向きが絶対あります。人間的に絶対会社員がムリって人も
現実にはいますし、会社員の適性があっても、その適性が会社の中のどういう
仕事で活きるかは、その個人が持ってる資質によります。
だから「会社」というものを教える科目が、せめて中学校辺りにはあるべきだと
思うんですよ。だって全子供のうち、かなりの数は会社員になるんですから、
そういう子にとっては実益になる。向いてない子にとっては「やめとこっと」て
考える材料になる。イイことずくめですもん、絶対。


そうそう、そういうのをさりげなく教えておいてくれたら、いいですね。
お勉強と社会労働のズレっていうのが軽減されるかも?


全くもって。だって社会に出た殆どの人は言うじゃないですか。「何のために
あんな勉強したのかサッパリ解んねえ」って。ムダはいかんですよやっぱり。
ムダじゃんって思った瞬間、人は気力をなくしますからね。巷じゃ「現代人は
とかく無気力で」とか言いますが、朝穴掘って夕方埋める囚人労働みたいなの
やらしといて「明るく元気になあれ」て言ったってムリですよそんなの。


ムリでしょうねぇ。
しっかし、子供のない私たちみたいな人間がこんなこと考えてても、
実際に子育て真っ最中の人の思いとは、また少しズレてるのかもしれないです。
子供たちが「明るく元気に」育って欲しい、というのは、多かれ少なかれ
誰もが思うことだとしてもね。
ペコさん、今日は面白いお話どうもありがとうございました(^^)


いえ、何か一方的にしゃべり倒したような形で、恐れ入ります(笑)


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