No.1 = 小谷岳生×まりねこ

★科学とロマン

まりねこ;
物理の研究といっても、幅広いですよね。
何を研究するんですか。一般の人に言ってもわからないのでしょうか。
学生のころ、私は物理や数学って、苦手でしたねー。
きっと、担当の先生が、わかるように教えてくれなかったのが原因です(^^)
ほんとうは、すごくロマンのあることなのに、無味乾燥な数式ばかり
押し付けられては、たまったものではないですよ(^^)


小谷
ぼくは計算機(まあちょっと高級なパソコンみたいな奴)で
「電子状態計算」というのをやってる.
物質っていうのは,100種ほどの原子をブロックとして
組み立てられてる.
各原子の構成要素は,原子核と電子です.
重さの大部分は核によるものです.
で,見方を変えると「物質」とは,電子をなかだちとして
原子核が結びついたものであるといえます.
これら電子や原子核の従う基本法則はわかってるので,
これをきちんと解くことができれば,物質を自由に
デザインすることも可能になるはずなんです.
たとえば「原子A,原子B...がこういう風につながってたら
エイズの薬になるはずだ」,みたいな事も(ほとんど実験せず)
計算のみで予測するのも可能に成るはずなんです.
ぼくの追っ掛けてる夢はそういうもんです.
そういう計算方法の開発です.
もっぱら固体の計算(半導体とか磁性体)なんですけど...
極々部分的には,できつつありますが,ほんとそういうような薬品なんかを自由に
デザインできるようになるには,相当な時間,かかるとは思います.(100年とか1000年とかのオーダー).


うーん・・・すごく遠大な計画ですね(^^)
ヒトの遺伝子の解析も進んでいるといいますが、完成すれば、遺伝子治療やなんかも思うままとか。
まあ、私たちが生きてる間に、そういう近未来SF的社会になるかどうかは、
わかりませんけど



「あらゆる物質がたかだか100種ぐらいの原子からなってる」って不思議でしょう?
そんなことどうやってわかるようになったと思う?
水H2O 18gのなかにおよそ10の24乗個の水素原子が入ってる.
こんな感じの事実にリアリティ感じられますか?


ほんとに不思議ですね。
私は二年ほどまえ、宇宙論って面白いなぁと思い、少し本を読んでみましたが、
悲しいかな、物理や化学の知識が乏しいせいで、想像を絶する記述にしばしば
でくわすんですね。
衝撃的だったのは、原子って、実はスカスカなんですね!!
グレープフルーツの種が原子核とすれば、その皮のあたりを
塩粒みたいな電子が回っている、だなんて。
そうしたら、その間は真空なんですか?
それまで私は、物質って、原子がぎっちりと並んでる印象があったけれど、
ミクロのレベルでみると、実は、スカスカなんですよね!?
いやぁ〜〜、これは目からウロコでした(^^)



えっと,「すかすか」というのは,正しいような正しくないような,というところです.
そもそも「ハイゼンベルグの不確定性原理」と言うのがあります.これに従うと,
『「電子(大きさゼロと考えていい)の位置」は原子の大きさぐらいの広がりをもってる』,
っていうのがもうすこしいい説明だと思う.電子っていうのは,基本的には「波動」
であってそれゆえ,広がりをもたざるを得ないんです.波動を非常にせまい領域に
局在させることはできず,必然的に広がりを持ってしまう---それが「不確定性原理」
です.
あらゆる素粒子は波動からなっているわけで,物質というのも波動そのものです.
「電磁波」と「物質波」は非常に似た方程式で記述されます.


究極的には、物質は波なんですか。波か、粒か、という議論があったような。
でも、粒のようなものが、もやもやと不確定的に電子雲をつくっているとしたら、
それでも、粒なんだから、一瞬一瞬を切り分けると、隙間があるような気がするんですよ。常識的な想像でいくと。



量子力学は「もやもやと不確定的に電子雲」というのと「一瞬一瞬で見ると,
どこかにあるはずだ」というふたつの解釈を矛盾なく許すしかけになっています.
まず「波動の方程式」を立ててから,それに対して「量子化」という数学的な操作を施して
「量子化された波動方程式」すなわち量子力学の方程式が得られるんです.
これによって宇宙すべてが記述されると考えているわけです.
「科学」っていうのは非常に保守的なものです.こういう事実を少しづつ何百年も
かけて解明してきた.あらゆることが厳密に基礎方程式にしたがって
運動する事がわかってきた.残酷なぐらいクールです.
「不思議な事象」をみつけたとき,徹底的に調査してみないといけない.
いままで,知られている限りでは例外はないのだから.もし,「例外」が
あったのなら,その基礎方程式を変更しないといけない.
でも,まあ素粒子レベルの法則でないとそんなことはまず起こらない.
そういういみで,「科学的な態度」っていうのは,とにかく「既知の法則,既知の事象」
と矛盾が無いように合理的説明を見つけ出そうとする事です.
非常に保守的な作業です.その忍耐づよい作業の上に,はじめて,あっと驚く科学的な発見もあるんです.


私ね、以前は、科学者なんてダサくてロマンのかけらもなくて・・・と思ってました(^^)
だけど、本当に心のなかにそういう遠大な理想なり夢なりを持っていなければ、
とうてい研究なんてできないですね。だって、成功するまでは黙々と、地道な実験を
繰り返して、周囲からは何やってんのかわからないと思われ、自信をなくしかけ、
それでも、どこかに正しい解があることを信じて、根気のいる作業を続ける・・・
単なる名誉欲や、お金欲しさなら、もっと近道があるはずですものね。
やたら自我の肥大した作家などより、ひょっとしたら科学者たちのほうが、
真のロマンをもっているかもしれません(^^)



★理系人間の、言葉によるコミュニケーション能力

ところで、まりねこさんは,ちゃんとした文章かかれてますね.
ぼくの言ってるのは,まあ理科系人間から見て,
すっきりしたlogicalな文章を書かれているなあという印象です.
ぼくは,仕事柄,学生の文章とか見る事も多いんですが,情けないほどひどいです.
「理科系の作文技術」というのをきちんと学校で教えてこないかんと思ってるんです.


どうもありがとうございます。ロジカルかどうかは自信ないんですけど、
まぁ、書く事は子供の頃から好きでした。
思うんですが、理系の人は、感情を表す言葉が苦手ですよね。
どうも、微妙な含みとか、繊細な言い回しとかを思いつけないみたいです。
ただ、事実を筋道立てて記述するぶんには、そういうことは
むしろ弊害にしかならないし、目的が違うんでしょうね。
文学なら、どう持って回った表現をするか、というところが腕の見せ所だったりするんですけど(^^)



「理科系の人は」みたいなひとくくりにはできんと思うけれども,
まあ語彙が限られてるのは,確かですね.
いや,でも,文章書くという点の基本は同じだと思う.もちろん文学とかいうことになると,
そんなことは当然の常識とした上で,いかにひとをおもしろがらせるか(でいいのかな?)
ってことなんだろうけど.「持って回った表現」にも意味があるわけですよね.ただ単に
「自己満足的な冗長ないいまわし」とは全く違うわけで...ものを見せるのに,少しずつ
幕を上げていって見せるとか,ちょっと焦らせた上でドカッと幕を切り落として見せるとか,
そういうような意図をもった表現法のことでしょう?(ちょっと乱暴か?)
まあそういうのは,理科系の文章では確かに嫌われかねません.コンピュータマニュアルがそういう風に書かれていたらきっと腹立つと思う.
大体が,学校での国語教育が,「文学」に偏ってるのが問題
なんじゃないのかなあ? そもそもきちんと筋道立てた文章を書く技術をまず教えないと..
それなしでは,そもそも文学もなりたたない.
ぼくは,いい小説は,やっぱりきちんとロジカルであるはずだ.と思ってるんです.
なんかMr.スポックみたいですけども.それでないと説得力でません.
もちろん,違う点もあるっていうか,そもそも勝負するべきポイントは違いますけど.
小説だと,いかにrealityを読者に感じさせるか?
時間とか空間のひろがりとか匂いとか音とかをいかに感じさせるか?,そして
いかに読者を登場人物と同化させてしまうかとか...ですよね.
時間経過の表現ってのが一番基本なんだと思ってるんだけど.
理科系的な書き方だとハラハラドキドキもなんもない
でもいい論文読んだりすると,ウーンってうなっちゃうんですけどね.
「すごく精密で調べれば調べるほどよくできた機械」を見せられたような感動というべきか...理科系の論文だって自己表現なんですよ.おそらくすごくへたくそな。


そうですね。文章が論理的に破綻していると、他人が読んでもわからない。
文章を書くことって、相手に何かを伝えることですから、TPOによって、
表現は違ってきていいんですが、基本中の基本は相手にわかることですよね。
たとえ文学でも、まったくひとりよがりだと、意味はないし。
文章修行っていうのがありますが、私はあれって効果あるのかなって
思ってしまいます。なぜって、伝えたい何かがあって、どうしても
伝えたい意思があれば、ひとりでに「伝わるように努力する」と思うんですよ。
その人の、ナチュラルな頭の良さとかが、文章をみればある程度
わかりますよね。要は、ひとりで「お勉強」して、それを未消化のまま
貯め込んでいるような人、または段階では、どんなに「書き方」を学んでも
駄目だと思うんですよ。何かについてきちんとしたものが書けるとしたら、
それが自分の血肉になっているときだけだと思うんですね。
そこまできて初めて、自分の言葉で自分の頭にあることを伝えられる
んじゃないでしょうか。



『そもそもそれ以前に「人間の中身」の問題でしょ?』
ってことなんだと思うんだけど,それは確かにそのとおりだと思う.
つめこみでは確かに意味がない.どうせ詰め込んだ知識なんかすぐ忘れる.
後に残るのは嫌悪感だけ.これ最悪.
それとは別の話として,やっぱり「文章の書き方の訓練」みたいなのは
日本の国語教育で決定的に欠落してると思うんですよ.ほんと 学生,文章書けないんですよ.
ぼく自身にしても,論文書いたり発表したり「人に伝えること」が多くなってきたときに
やっとできるようになってきた部分が大きいんですけど.
能力不足で書けないわけではない.ほんと知らないんです.
コンピューターのマニュアルを書くような技術(いまは大分ましになって
きただろうけど,ほんと昔は日本のマニュアルは読めたものじゃなかった),
いかに明瞭に人に自分の意図を伝達するかの技術のトレーニング.
ぜんぜん教えてもらってない.とうぜん ぼくも教えてもらった記憶はない.
「理科系の作文技術」によると欧米では「レトリック」という授業があるんだそうです.
直訳的には「修辞学」ということで「ことばをいかに飾るか?」っていう
ことに対応しますが,そうじゃなくて,上述のような技術のトレーニングを意味するらしい.
で,理科系卒業生に対する「社会に出て役立った大学の授業」
みたいなアンケートでは,上位にランクされてるらしい.


これは、必要でしょうね、絶対に。
私ね、いつも思うんですけど、大槻教授のやり方では、駄目なんです。
あの人、人はいいのかもしれないけど、ああいう物言いでは、似非科学を
信奉する人の心に響かないんですよ。
理系の人は、というと、また語弊があるけれど、私はすごくもったいないと
思います。科学クンは、性格も真面目だし、マメだし、いろいろ尽くしてくれる、
でも、最後の最後でハートをつかみそこなってしまう、というのは、
人間、言ってくれないとわかんないじゃないのってとこがあるからですよね。
宗教クンは、口先で言うだけ。なのに、いつの時代も人気絶大。
言葉で人心をつかむ術を心得てるからですよ。
たまに、ちゃんと、言葉にしてわかりやすく本音を言ってくれる科学者がいると、
やっぱり、感動しちゃう。ああ、科学クンって、何にもいわないから、
私のことなんかどうでもいいんだと思ってたわ、でも、いろいろ考えてくれてたのねって(^^)
これからの科学者に求められているのは、きっとそういうことなんだろうと思います。
ついでにいうと、大槻教授も実際に会えば、チャーミングな人だろうと思いますよ。
ただ、ああいう揚げ足取りみたいな諭し方は、トンデモ信者たちには、何ら
効き目がないだろうと思うだけです。


★先端科学と人間、その未来

じつは私、ちょっとまえにカール・セーガンの「科学と悪霊を語る」という本を
読んだんです。HPの書評にも載せてますけど。
で、すごく感銘を受けました。
というのも、ここ数年、こういうネットだの、クローンだのって、テクノロジーの
発展は目覚しいけれど、どうももろ手を挙げて礼賛できない雰囲気が
ありますよね。いや、一般にはあると思うんです。


1970年の日本万国博のテーマは「人類の進歩と調和」って言ってたんですよ.
で,会場へ行ったら,小学生のよいこ(?)の描いた「未来都市の風景」ってなもんの
展示がしてあったわけです.今だったら ちょっと気持ち悪い感じですよね.
その後「アポロ計画」が一段落し,1972だったかにオイルショックがあったころからは,
急速にそういう空気が無くなってきたように思う.公害だとか食品の汚染だとかが
時代の空気になってきた.いまの時代の,未来に対する悲観的な雰囲気も,
かなりの部分は,不景気とかの影響なんだと思う.


なんでもそうですが、物事って、明るい面と暗い面がある、そのことに
みんな気づいてきたと思うんですね。地域的な開発、小規模な発展なら、
暗い面が現れても、まだその他の地域、その他の人々から
やり直すことができました。でも、今は、すべてが密接に絡んで来て、
なんですか、複雑系ですか、もうどこをどうしたら取り返しがつくのか
わからなくなってきた。経済にしても、軍事的、政治的な側面にしてもです。
テクノロジーの発展というのも、それにともなう負の面が必ずあって、
ばら色の可能性が大きいものほど、それがもつ潜在的な負債も大きい。
もともと人間というのは不完全な存在ですから、あまりにも大きすぎる
期待と負債の可能性をまえに、「どうしたらいいか、ほんとうにはわからない」
という状態だと思うんです。一般人の私はそんなふうに感じています。



ぼくは「科学と人類の将来」みたいな問題に対しては本質的部分では楽観的です.
育った時代も影響してると思う.万国博やアポロ計画や,鉄腕アトムやら,
その他 数多くのばら色の未来都市を描いたSFやら,に影響を受けて,
大きくなった世代です.アトムでも妹がウランでコバルトがいとこ(?)ですからねえ.
原子力なんてのも ばら色の未来の一部だった.
まあ,これら自体は今から思うにほんとあまりに楽観的すぎる科学や
未来への期待だったけれども.


やっぱりね、科学こそが、知恵の木の実であったんじゃないか。
自分で考えること、推理すること、実験し、結論すること、自らの展望を、
自らが切り開いていくこと、それこそが知恵の木の実、
エデンで禁じられ、それを食べたがために神に疎まれ、楽園を追放される
もととなった木の実ではないかと思うんですよ。
ギリシア神話でいえば、『火』ですね。プロメテウスが天から盗んで
人間に与えたもの。それは、神と人間との別を明確にするために、
わざと人間から取り上げられていたものです。プロメテウスの振る舞いに
怒ったゼウスは、のちに彼を酷刑に処すんです。
『火』というのは、オカルトでいうと『精神性』の象徴。
人間と動物を分け隔てるものでもある。
西欧的な意味の自我といってもいいかもしれません。
それが、人が人らしくあることであり、また、争い、不幸になる元凶でもある、
というわけなんですね。
一方、神や宗教とはそれを認めないものであり、ひとつの価値観で、
全体を統一するものだということです。
人は、幸福になるために生きている、というのが私の考えですから、
何が真実か、何が理想かというよりも、何が幸福か、ということが重要な
ときがしばしばある、と思っています。
この『火』を使いこなして、幸福になるよりも、使いこなせないで
自滅する人のほうが多ければ、封印しておいたほうが正解だった、
ということになるかもしれない、と思うんですね。
要は、今のテクノロジー、先端科学というのは、生物として平均的な人間の耐えうる
スピード、判断力のレベルを超えかかっているんじゃないか、ということなんです。
核兵器やクローニングが、そのいい例です。
インターネットも、これはこれで、ものすごく精神的な豊かさを感じられる
ツールであるともいえるし、じわじわと心を蝕んでしまう、神経ガスのような作用をする
ツールである、ともいえます。
もののけ姫などが流行るのも、なんかトコトンおかしくなってしまいそうな、
自分たちへの哀れみからじゃないかって思うんですよね。


ほんと『科学っていうのは正にも負にもなる「おそろしい火」』っていうのは確かです.
多分来世紀,生命をかなりいじれるようになる.新井素子だったかの小説で,
「事故で体が使えなくなったときにクローンで体を複製した後, 脳みそだけを付け替え,
クローンの方の脳みそは捨てる.」みたいなのを読んだ事あるけど,
そんなのだってかなりのrealityがある.
「優秀な人間を遺伝子から生産する」ようになるかもしれない.
ほんと ごくそばまできてる.ひつじや牛でできるなら,人間でも,本気でやるなら,
10年もあれば可能になるのではないか?
こういうのってほんとのとこ,難しい問題ですね.


私は怖いですね。うーん・・・そこまでやっていいのかなって。
なんかね、「神をも畏れぬ所業」というような感じで。
サカキバラくんが、人間の壊れやすさを試すだの、魂はあるのか、って
犯行メモに書いていたでしょ、あれ読んで、暗澹たる気分になりました。
人間に魂なんかあるのか、って、あのとき日本中のみんなが、
喉元にナイフつきつけられたんですよ。私はそう思って、なんとも
いえないものを感じましたけど。
誰もいわなかった、誰も怖くて考えられなかったこと・・・・
魂なんかどこにあるんだって。
ああ、ここまできたな、と思いました。ショックでしたね。



でもぼくは,それでも,「火は使いこなせる」と思う.
なんというか,やっぱり基本は,
『人は、幸福になるために生きている』っていうとこにあるんですよ.
「生きろ!」ってことです.
[ この「もののけ姫」のコピーはいいですね.
映画自体は,ぼくには「ナウシカ」のほうがずっとよかったけど.
「未来少年コナン」はもっと好き.]
ぼくの言葉だと「人生は死ぬまでの暇つぶしである」ってことなんです.
これはちょっとすねた風で説明いるんだけど,
まあだいたいは「生きろ!」ってことなんです.
これさえ,おさえとけば,大丈夫だと思ってるんですよ.
で,それぐらいの知恵は人間には,あるんじゃないか?
日本の政治家はちょっと心配だけどねえ.
ほんと日本の国は心配です.


まあ、そういう、途方に暮れたような気もちで、カール・セーガンの
「科学と悪霊を語る」を読んでみると、ほんとに涙がでました。
こういう内容で、先端のテクノロジーに直接かかわっている科学者が
書いたものというのは、私は浅学にして初めて読みました。
目からウロコが落ちましたね。いや、遠くに光が見えたというか。
同時に、「もう戻れないんだ」とも思いました。
何があったとしても、もう戻れないんだなって。
たとえ他の方法があったとしても、私たちのうち、必ず一部はそれを目指して
歩くんだろうなって・・・
すべての『火』を天上に返し、知恵の木の実を吐き出してしまうわけにはいかない、
ということです。私たちは、この先を歩いていくしかない。はるか向こうには
明りがちらちら見えるけれど、それも幻かもしれない。
それでもそれでも、私たちはこの先を歩いて行くしかないんですね。
それが、楽園を追われた、いや、恐らくは自らの意思でそこに背を向けた、
人間というものの美しさであり、強さであり、はかなさだと私は感じます。
例えば、いま、こうしてものを書いている私と、アフリカで狩りをしている
半裸の人々。たぶん、もうぜったいにわかりあえないところまできているんだと
思うんです。いつか人類がフロンティアを求めて宇宙に飛び出していくときがくる、
それがもう見えている。そのとき、あの人たちはどうなっているんでしょう。
私たちはあの人たちを残していくんでしょうか。
ライフスタイルだけでなく、そのうち意識的にも、同じ人類とはいえないような差が
できてくるかもしれない。インターネットなどはその「踏み絵」になるんじゃないか。
テクノロジーに、ついていける者と、ついていけない者と。



たとえちゃんと「火」を制御しようとして,
(ほんとの意味で)優秀な政治家やら科学者が,がんばったとしても
どうしようもなく制御できなくなってしまう,
ってこともないとは言いきれないかもしれない.
でも,ぼくは「自分が作ったものなら自分で制御できる」と信じてる.
あえて技術を「封印する」ぐらいの知恵だってあると思う.
実際,原子力発電なんかは,必要以上に作らず
将来的には「封印」しようとする方向に進んではいるんだと思う.
複雑化したシステムを制御する方法だって必要とあらば開発できると思う.
すくなくとも今までは,差し引きで言えば,科学の進歩は人類の
幸福にプラスに寄与してきたでしょう.
寿命だって延びた.飢餓だってなくなった.なんだかんだいって,
楽に生活できるようになってるのは,否定できんとおもう.
もちろん負の面だってある.何万人も交通事故で死ぬ.
それでもなおプラスでしょ.
ほんとのとこはわからんけどね.身内一人交通事故で死ねば,
その家族にとっては明らかに「科学はマイナス」ってことになるし.
インターネットだって,ほんとの意味で,将来は誰にでも使いこなせるものになると思う.
子供でも,寝たきりの老人にでも.
自動車だって今世紀初頭なら,極々限られた非常に特殊なものだった.
今やだれでも使いこなしてる.
もっともっとにんげんにやさしい道具になる.
「踏み絵」じゃなくて,誰でもが使える,人と人とを結び付ける道具になる.
と思います.で,いろいろな階層の人が交差できるようになる.と思います.
多様性を維持しつつ集団としてのまとまりを持って,皆が知恵を出しあい
寄りそい合って生きていくのに,格好の道具であり場所となるんではないか,と思ってる.
なんか楽観的すぎるかなあ.
まあ,そう信じたいという事でもあるんですけど.
でも,こういうのは,みんなが信じるならほんとになる事でしょう?


まあ、みんながみんな、理想をわかちあえる人だとは限らないわけで。
わかちあいたくない人だっているんでしょうし、なかには。
それに、第三世界でいまも焼畑農業なんて裸足でやってるような
人たちには、ダイオキシンも、オゾンホールも、いっさい知らされることなく
物事は進んでいきそうだし。
機械が複雑で便利になればそれだけ、「どうしてそれが動いているのか」と
いうことは、一部の人にしか理解できなくなるでしょ?
現に、私だってパソコンもってるけど、結局誰かが作ったソフトを使ってるだけ、
いったん壊れたら、もう自分ではお手上げ。
政治家だって、ダイオキシン問題とかになると、ほんとうに何が必要な
政策なのか、学者に聞かなきゃわからない。知は力だって、思いますね。
パソコンが生活の必需品になると、それを理解していないのは、
やはり、「誰かに依存している」ということになってしまう。
これから理数系教育は、ますます重要になってくるんだと思いますね。



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