漫画「DEATH NOTE (デスノート)」作:大場つぐみ 画:小畑健



少年ジャンプ誌上で掲載されていた人気漫画。私はコミックス(全12巻)で読みました。
本来、ジャンプというのは子供向け雑誌だと思うのですが、この作品に関しては
子供だけでなく大人も夢中になり、挙句、実写版映画化もされ、アニメ化もされました。
ここでは、私が実際に読んだコミックスの感想を綴ってみたいと思います。

まず、私は漫画雑誌の愛読者ではないので、この作品が流行っているということは、
主にネットで知りました。たまたま他人のReviewを読んでいて、関心をもったので、
全巻通しで読んでみたわけです。
で。そうですね〜、非常に面白かったです。
一気にページをめくらせるだけのエンターテインメント性はばっちりです。
ここに感想を書こうとして、三回ほどゆっくり読み直しましたが、
その間、完全に「デスノ脳」になってましたよ。
寝ても醒めてもデスノートのキャラやストーリーについて考えてました。
ところが、本質的に「心を揺さぶられた何か」があるかというと、それはない。
心に食い入ってくるものはないが、確かに面白い。いったいこの面白さは何?
そこがはっきりしないので、感想がどうにもまとまらない、そんな感じでした。
この漫画のキャッチコピー、「天才vs天才の心理戦」「緻密な頭脳戦の面白さ」
という文句ですが、どうも、そこんとこにひっかかりを感じてしまってたんですよね。
このコピーに沿って作品解釈をしているReviewが多いものですから、自分もついつい、
そういうふうに読まなければいけないのだろうか?なんてね。
でも、私が面白いと思ったのは、そういう類のものだろうか?
心理戦?頭脳戦?どうも違うような気がする、何がひっかかってるんだろうなぁ、
私と同じような感想を持った人がいないかと、ネットを探索していて、
見つけましたよ〜、これこれ→この文章
もう、すっと心のモヤモヤが晴れたというか、ストンと胸に落ちましたね。
うんうん、こんなの、ミステリーでもなければ、心理戦でもないだろ、という。

『デスノート』の面白さというのは、単純にゲームとしての面白さである。

もう、この一言に尽きます。
心理戦というほどには人間心理など深くえぐっていないし、
頭脳戦というには、作品の世界設定がいい加減すぎです。
たとえば密室殺人が犯人と探偵(あるいは警察)との智恵比べであり、
本格ミステリたりえるのは、三次元の世界の掟がちゃんとあって、その同じ土俵で
登場人物が戦っているからです。
犯人が魔法で壁をすり抜けたりできるのなら、それはもう頭脳戦たりえません。
デスノートや死神など、三次元世界に存在しないものが当たり前のように出てきて、
デスノートの使用法なども次々追加されていくこの作品は、
最初から詰めの甘いファンタジーなのであって、その面白さは、やはりゲーム的、
ドラえもんが次にポケットから何を出してくるか当ててみよう、というようなものです。
三次元の拘束をとっぱらったなんでもありの世界では、頭脳戦など成り立ちません。
「この漫画、なんだかややこしすぎる・・・ついていけない私は馬鹿なのか?」
と、感じた読者も少なからずいるようですが、

この非論理的な構成、ストーリー展開に疑問を抱かずついていけるのは、
何も考えない無邪気な子供だけ


だと思いますから、大人が自分の理解力に不安を覚えるのは、ほぼ杞憂でしょう。
そういう意味で、心理戦・頭脳戦があったとすれば、それは読者と作者の間でだといえます。
・どうすれば読者が飽きないか?
・毎回、盛り上げシーンをつくるには、キャラをどう動かすべきか?
この点で、手段を選ばず、製作サイドは大いに心理戦・頭脳戦をやっていたように思います。
物語の破綻を誤魔化すため、セリフに「・・・」を多用して、やたら思わせぶりなものにしたり、
キャラの背景を全く説明しなかったり、伏線を張りまくっては回収せず放置したり、
読んでてわからなくなるのが当然なのに、読者の関心さえつかんでいられれば文句ないだろう、と
そのへんの割り切り方がすごいです。
辻褄あわせは読者のほうが勝手に想像で補ってよ、という態度は、二次創作の好きな人には
もってこいだと思いますが・・・

あと、これは人によって強弱があるでしょうが、

『デスノート』の魅力というのは、単純なキャラ萌えが根底にある。

私は、デスノートについて、それこそいろんな感想を読み漁りましたが、
ストーリー全体を客観的に包括しているものよりも、ある特定のキャラに強く肩入れしたうえで、
この作品をいろんなふうに解釈している文章に多く出くわしました。
なるほど、たくさんの魅力的なキャラクターが出てきますから、そのキャラに萌えて読む、
すると作品が面白い、ということもあるわけです。
というか、漫画だし、なんでもありのエンターテインメントですから、それは必須でしょう。

要するに、難しく考えず、楽しんでナンボの作品、私はそういう意味では、
このデスノートという漫画、お勧めできると思います。
まあ、しかし、一歩進んで、社会問題とからめながら考察したり、
善悪とは何か、などと哲学問答にはまり込んだり、
そういう読者が出てくるのも、よく出来たエンターテインメントたる所以です。
私も、二十歳ぐらいでこの作品を読んでいたら、たとえば、

「デスノート」は神レベル!

とか惚れこんでいたかもしれません。
が、第一巻で主人公の夜神月(やがみ・らいと)に、
「世の中腐ってる」「僕は新世界の神となる!」とか言わせている時点で、
今の私には、もうそういう目線での評価はできなくなりました。
死神リュークとか、ライトというネーミングとか、「神となる!」発言とか
世界の警察を自在に動かせる名探偵Lだとか・・・
はっきり言って大人の読者には「あらゆるリアリティ」は放棄してくださいね〜、という感じです。
なんでもありだから、堅いこと言わず徹底的に楽しんでくださいね〜、みたいな。
やはり、これは少年ジャンプの連載漫画なわけです。
同じ少年漫画でも、「デビルマン」に対しては、「リアル」でなくとも、もっと別な部分で
高く評価してますが、あれはもう、当時の永井豪が神すぎるので別格ですよね。
デスノートは原作担当と絵担当に分かれてるのも、作品に魂魄が入らない理由のひとつ
かもしれないなと思います。どうしても、「表現したいことは二人とも同じ」ではないですから。
これを表現したい!という内的動機よりも、テクニカルな部分で勝負、という感じになります。
結局、大ヒットして売れたので、この勝負は製作サイドの勝ちなわけですね。

こういうスタンスで、肩の力を抜いて、ストーリーを追っていくと、

名前と顔がわかれば人を殺せるデスノートをイケメンで成績優秀な主人公が拾って、
「新世界の神となる!」
と決意するところから始まります。
このあたりに、突っ込んだ葛藤が欲しいんですけどね、相手が犯罪者といえども
「裁き」と称して人を殺していくわけですから。でも、そういう心理描写は、最小必要限。
要は、この夜神月、最初からだいぶ壊れた主人公として描かれてます。
まー何しろ、「神となる!」ですから・・・これは笑うところなのか、シリアスな場面なのか・・・
で、犯罪者が原因不明の心臓麻痺で死んでいくのに気づいた謎の名探偵Lの登場です。
この頃には、デスノートで悪人裁きを行う月は正体不明の「キラ」と呼ばれる存在になってます。
話はキラVS探偵L、という方向に。これが「天才VS天才」とかいう謳い文句なんですかね。

話はそれますが、このLが、ちょっと面白い変人キャラです。
(といっても、ミステリでは「変人天才探偵」はホームズ以来の王道)
猫背でだらしなく、いつも同じ服、異常な甘党で、目の下にはクマ、
およそ女性ファンなどつきそうにないと思われたらしいのですが・・・
「キモ可愛い」とL萌えする女性読者が急増、あげく、腐女子というのですか、
「やおい」「ボーイズラブ」好きの女性が、月とLでカップリング、私も検索でひっかかった
その手のサイトを今回はたくさん見ました。
本当にデスノートを読むまでは、彼女らの妄想話を読んで、L×月?月×L?
・・・デスノって、そういう雰囲気の漫画なのか?
と思ってましたが、実際読んでみたら、私にはさっぱりそんなふうには・・・
Lの「初めての友達」発言は、それこそ心理的駆け引きにすぎないと思いましたし、
実際、最後までLは月をキラだと疑ってるし、何よりも、あのLが死ぬときの月の顔、
アレ見て、まだ「やおい妄想」できる彼女らの想像力はすさまじい・・・
私は、L贔屓だったので、月逝ってよし、と思っただけですね。
ホモ話もさほど抵抗なく読める方だと思っていた私ですが、とうてい「腐女子」にはなれないと、
はっきり自己確認したというか、なんというか・・・

そう、話を戻しますが、第7巻で探偵Lは月の策略によってアッサリ殺されます。
といっても、デスノートとか死神とか、そういう「魔法の道具」をうまく利用したうえでの
月の勝利ですからね。頭脳戦とかじゃないでしょ、これ。
ここまでが、第一部。ここからラストまでが第二部ですが、こんどは、
Lの後継者、ニアとメロという少年二人VS月(キラ)という構図になってきます。
ここからは、ほとんど荒唐無稽なアクションシーンなども多いのですが、
小畑絵が巧いので、私はさほど違和感なかったですね。
ただ、やたらワールドワイドなストーリーになってくるので、やはりどうしても、

この人たちは何語で喋っているのか?

というのは、常に気になってましたね、頭の片隅で。気にしちゃいけないと思いつつ。
そんな折、何かのReviewで、「ジャンプ語で話している」というのを見て、なるほどなーと
爆笑してしまいました。

他の人のReviewを見ていると、第一部に比べて評判のよくない第二部ですが、
私は楽しめましたよ。個性豊かなLと比べて、イマイチ魅力がないと言われている
ニアとメロ、私も最初、こんな子供じゃ萌えられもしない、と思ってましたが、さにあらず。
メロは登場時「うわ、また強烈な壊れキャラ」という感じでしたが、そのうち
だんだんカッコよく成長するし(あんな短い期間で)、一方Lの正統後継者となったニアは、
対照的にどんどん幼児化が進むネオテニーで、人間味がないだの冷淡だのと言われてますが、
あの毒舌ぶりに加え、ちょっとした描写で、「コントロールされ抑えられた激しさ」みたいなのが、
よく表現されてたように思います。さりげにいいセリフを言わせてますしね。
しかし、ワイミーズトリオはなんでみんな三白眼ですか。目の中に星ぐらい入れてあげても
いいと思いますが・・・とくにビジュアル系のメロ。女性読者がもっと増えたんじゃないかと。
あと、日本の捜査本部の相沢と伊出、それに模木は、初めの頃より顔が変わって、
大人らしく脇を固めるいい役になってます。第一部では、Lの存在が突出していて、
ほんとの脇役でしたが、第二部ではずいぶん好感のもてる露出ぶりです。

とにかく、正義正義と暑苦しい夜神パパは死ぬし、ビジュアル系担当のメロも死に、
多大な犠牲を払いますが、最後には「ジェバンニが一晩で偽ノートづくりをやってくれ」、
Lの後継者ニアが月をキラだと暴いて勝利します。この結末はもう、いくらなんでも、ですが、
その奇天烈なごり押しストーリーの衝撃をはるかに上回るのが、月の死を延々と描く
小畑絵の怖さ。いや、しつこいですよ。
魅上も月も、普通にしてれば美形キャラなのに、もう崩しまくってます。
容赦なく、これでもかと醜さ満開のラストです。美形だけど壊れてる月だったのが、
最後には内面の醜さが外見にもあふれでまくりの惨めな死。
(あの静かで美しいLの死にぎわと比べてみてくださいよ)
なんかそもそも月の表情の描き方、最初からオーバーアクションですけど。
月ファンには、見るのもたまらない場面だったでしょうが、私としては、少年漫画だからとか
そういう配慮関係なく、「こういうヤツなんだもん、妥当な結末だよなぁ」と納得。
それにしても、最後に死神リューク、いいとこ取りしすぎ。
結局、死神は死神でした、というか。

この終わり方なんですが、ごり押しという面でなく、月の最期、あの殺し方について、
「あれでいいのか」という疑問をもたれる向きもあるようですが、私はあれでいいと思います。
ニアのセリフがいちいちもっともです。
夜神月は、自分ひとりが善悪の判断をくだす神になろうと野心を燃やした「クレイジーな殺人犯」、
それでいいんじゃないでしょうか。作者は、おそらく、社会的影響を配慮して、あの結末を
用意したわけではないと思います。最初から、繰り返し、月の「壊れた人間性」を描写してるので
ラストはああして不様に殺すと決めていたんではないでしょうか。だからこそ、月をただ美形に
カッコよくは描いていません。不気味でキモイ表情満載です。
人間は死ねば無になる、というセリフからも、製作側の「落しどころ」が透けて見えます。
私が興味深いと思うのは、逆に、「なぜあのラストでは駄目だ」という読者が多いのか、
ということですね。それだけ月に心情的に肩入れする人が多いのは、なぜか、ということ。

女の好意を利用し(この作品でのミサと高田の扱われ方はヒドイ)、周りの人間を騙し、さらには、
自分の親まで欺いて、「正義の神になる」ですよ?明らかに月はクレイジーでしょう。
なのに、そんなダークヒーローを支持する読者・・・ましてそれが大人なら。
それほどまでに、現実の不公平、法律の不整備に、腹を立てている人が多いということでしょうか。
そんな人たちにとっては、自分の人生を自分の考えで生きる自由よりも、皆がある基準を信仰して
そこに判断をゆだねる社会のほうが良いように映るのでしょうか。
何か、「誰かがちゃんとやってくれたらいいのに」という他力本願と無力感が蔓延しているようで、
薄ら寂しくなってしまいます。そして、実はそこの部分を体現しているキャラが松田です。
深く考えることのない俗っぽさ、その場その時の気分に流され一貫性がなく、基本的には
善意の人であろう、世の中がよくなればいいと望みながら、それを徹底できる行動力はない・・・

松田は「大衆」の象徴として描かれています。そして、ラストでは「月君が好きだったろう」と
言われて認めています。つまり、月のようなカリスマが出てきたら、ある程度の大衆は、彼を
支持するだろう、ということですね。
ラストシーンで出てくるキラ信仰集団では、もっと極端な人々が描写されています。
キラ様、と呼びかける少女、恐らくはキラ復活を望む人々の集団・・・
しかし、最後の真っ黒ページで「死んだ者は、生き返らない」。この一行で、製作サイドは
月=キラを、もう一度丁寧に、だが容赦なく、バッサリと否定しているように読めます。
月も人間であり、死んだ以上、復活はありえない、キラ信仰もそのうち廃れ行く・・・と。
なぜ否定しなければいけないか?
それは、月=キラ信仰とは、私たちひとりひとりの思考放棄であり、責任放棄であり、
その結果、行き着く先は、大衆の望む理想社会などでなく、大衆が「愚民」として監視され、
独裁者の管理下におかれる恐怖社会であることが明白だからです。

月逮捕の瞬間、いち早く月の裏切りに対して反応し、発砲したのは松田です。
もともと松田は、無能なボンヤリ者であり、時にはキラを肯定するようなことも言い、
月と月の父親を盲目的に信じ、ただ容易に騙される者として描かれていたはずなのに、
悪あがきに必死な月の腕をためらうことなく撃ち、殺さなきゃ駄目だと叫ぶ、そして月が事実、
不様に死にかけるとまた心を乱して涙ぐむ・・・
これは物事に対する「大衆」のヒステリックな感情的反応そのものであり、その考えのなさが、
計算づくで動くキラの逃げ道を断つことになった、というのはなかなか面白い展開です。
大衆による革命、ですね。でも、革命のあとは、平凡な日常。
ルーティーンワーク、ゴシップと、ささやかな息抜き、そして忘却。
再び、羊の群れは大人しく草を食む日々に戻るわけです。
それが、現世の姿であり、その現世のなかで生きなければならないのが人間である、
そんなふうに物語が締めくくられたように思いました。

最期に、L人気に押されて、あまり評価されてないLの後継者ニアですが、私は、
繰り返し読むほどに、ニアが好きになりましたね。外見もインパクトないし、
行動も派手ではなく、作者も、メロとニアでLを超えるとはっきりさせてますが、
だから魅力が二分の一かというと、そうではないですね。
第一部は言ってみれば、名探偵L対キラ=月のスーパーヒーロー対決でしたが、
第二部に入って、偽Lとしても動かなければならない月が、それほど傑出した
スーパーヒーローではなくなり、日本捜査本部の面々に加えてSPKのメンバーやニアという
「群像の動きを見る」ストーリーが展開していき、「天才VS天才」の単純な対決物語よりも、
より複雑で感情的なシーンが増え(そのぶん話の破綻も増えましたが)、私は結構楽しめました。
だいたい私は、何でもできるスーパーヒーローってあまり好きじゃないんですよ。
Lは、キラに負けこそすれ、完璧すぎました。テニスもできるし、スリも、ヘリの操縦すら、
自由自在、外見も、まあ猫背ではあってもすらりとして、とくに指先がセクシーですね。
ニアはなんだかマトモに歩けもしないのかと思わせるようなぺたんこ座りシーンが多く、
おちびなネオテニーで、人間味というか感情に乏しいという設定になっているようですが、
冷淡だとか情がないわけでないのは、ちょっとした描写で明らかですよね。

例えば、メロの写真をさっと見せて消息を尋ねるシーン。いかにも心配そうです。
で、激してブチ切れると、たいていもっているオモチャを腹いせに壊します(笑)
「こいつ、白々と」の場面がいいサンプルです。片手で人形の頭をペキッと・・・
いよいよ月との決戦前日も、ジェバンニに「間に合いますか」と訊ね、そして、
何事かを思いつつ、Lの指人形をして「がんばりましょう」と一言。
すべてが終わって、最期にでてくるのは、今まで以上に沢山の人形にかこまれて、
死んでしまったメロの象徴「板チョコ」を齧っている姿です。
このコマを見てもなお「無感情」だと思えますか。
ニアを「冷静で無感情」だと言い放ったのは、子供時代のメロのセリフですが、
それがメロの僻み、思い違いからきたものであることは明らかではないでしょうか?

まあ、とにかくニアが冷血でないことは確かですよ。
第二部で、私がすきなのはニアとメロとの再会シーン。
メロはいつか会うための口実に、わざと写真を置いていったと私は思ってるんですが、
ニアは「なんでそんな挑発的なことを」と思いつつ、写真の裏にDear Melloと書いて、
肌身放さず大切に持っていた感じがします。
メロはニアの計算どおりに動かされてるとむかついてますが、なんか、ワイミーズを
メロが出て行ったときから、ずーっとニアのほうがメロを心配してるような気配なんですよね。
メロ、ニア、素直になれよ。ったくぅ〜。

えっ?私の妄想も突っ走りすぎ?

読者の皆さん。
Reviewというのは決めつけてかかり、間違っていたら「ごめんなさい」でいいんです。
(元ネタ:第九巻のニアのセリフ)




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