「NHK若い広場〜オフコースの世界」

1982年1月3日、NHK教育TVで放映され、話題となったドキュメンタリー番組が
DVDになってレンタルショップにも置いてあります。
最初の放映当時、私がこの番組を見たかどうか、ちょっと記憶にありません。
もうそのころは「きゃー、小田さん(ハァト」とあまり騒いでなかったと思うし、
オフコースと平行して聴いていた、イーグルス、レインボー、TOTOや
ボストンなどの男くさいロック世界から、デュランデュラン、ABCなどの
ダンサブルで見栄えのするポップな方向に関心が向かいつつあって、
清志郎と龍一の「い・け・な・い ルージュマジック」のCMを見ては、
友達に「ちょっとちょっと、あれ、ほんとにキスしてたと思わん?(キャ♪」
なんて浮かれてた時ですから・・・

五人時代のオフコースの活動を大まかに追ってみると、まず、
79年秋、アルバム「Three & Two」でメンバー五人時代の到来を宣言。
同年の冬には、ニューシングル「さよなら」をリリース。
80年前半は「さよなら」が全国規模でブレイク、同年5月にはライヴアルバム、
同年11月にはニューアルバム「We are」をリリースします。
さてここで、ツアーに出るまえに、メンバーやマネジャーなどが集まって、
未来の夢実現に向け、話し合いをしている場で、思いもかけない事態が発生する。
そう、鈴木康博(ヤスさん)の爆弾発言。
「俺、(オフコースを)辞めようと思うんだけど」
このとき、周りも小田さんも、かなり説得したようですね、辞めるな、と。
まー何しろ、人気絶頂期でしたし、(私個人的にも、このころが一番熱心に
「ファンしてたとき」ですね・・・あはは)二人時代からのメンバーで、
アルバムでも小田さんと半々ぐらいの割合で曲をつくってきたヤスさんに
いきなり辞められると、当然、みんなが困る。
結局、ここで「辞める」と宣言しても、82年6月「伝説の武道館ライヴ」を最後に
脱退するまで、2年ぐらいの月日がかかってしまうことになるのです。
で、翌年、81年6月には(私の嫌いだった)ニューシングル「I LOVE YOU」を、
12月にはニューアルバム「over」をリリース。
実は、この「over」の製作過程をドキュメントしたのが、DVDにもなった、
NHKの「若い広場」という一時間番組なのですね。
そのころ、ニューミュージック系とカテゴライズされたミュージシャンは
「ただのアイドルとは違う」路線を誇示するためかどうかしりませんが、
チャラチャラした音楽番組には出なかったんです。
自分の曲がヒットチャートの上位にきても、ザ・ベストテンなんて出ない。
それがカッコいいとされた時代でした。まあ、露出しないことで希少性を高め、
相対的に価値をあげる、という戦略もあったんでしょうか。
オフコースもまた、そういうバンドのひとつだったので、たまたま出演した
「若い広場〜オフコースの世界」は、時が過ぎれば過ぎるほど、巷では
「伝説の番組」と化しているようです。
時期としては、81年の夏から冬にかけての撮影ですね、オフコースやスタッフ、
メンバーの服が半袖シャツからセーターとジャケットに変わるまで。

さて、その番組の内容なんですが、ツアーライヴの映像と、インタビュー、
そして、アルバム「over」製作のプロセス、という三つの要素を織り交ぜて、
進行していきます。
ライヴ映像は、まああんなもんでしょう、という感じです。
「小田さんが動いてるー(キャ♪」っていうような。
もともとレコードとライヴで演奏の質が変わらない、というのも、オフコースの
「ウリ」のひとつだったんですから。いまさらそんなことでは驚きません。
私にとって一番興味深かったのは、オフコースの曲作りのプロセスですね。
まさかタイトルも歌詞も決まってないところから始めるなんてね、しかもあんなふうに
みんなで話し合って・・・いや、もちろん小田さんの曲なら小田さんが、
「ここはこんな感じ、そこからこう展開してみたら」みたいな指示は出すんですよ、
でも、それが絶対というわけじゃない。他メンから駄目だしもされる。

いや、お恥ずかしいのですが、私も学生時代に趣味でバンドやってました。
コピーから始めて、そのうちオリジナルもやるようになっていくんですが、
私が曲をつくるとき、もう歌詞もメロディもリズムもハモリやアレンジも、大まかな
ところは全部ひとりで考えて、曲としてのかたちを、あらかた完成させてから、
シンセ一台とマイク、4トラックしかない録音機材でデモテープをつくる。
それをメンバーに聴かせて言葉で補足していくんですよ、
「ここはこうして欲しい」「もう少しテンポが速くてもいい」とかね。
だから、あんなふうに、曲の歌詞もタイトルもなくて、コード進行からリズムから
話し合いで決めていく、みたいなのは、まどろっこしいだろうなぁ、
こりゃエネルギー消耗するわ、と思いました。
ひとりで全部やるのもしんどいですが、まだ意見を調整するときの摩擦なんて
ないでしょ、自分のやりたいようにやれる。それが、オフコースというバンドは、
みんなであーだこーだ言いもって、駄目だししながらOKとっていく、みたいな・・・
メンバー間でモメやすいと思ったんですよね、感情的にもね。

もっとも、私、実は譜面も読めないんです(~_~;)
コードとかもわかんないし、まずベースラインを決めたら、適当に三、四本の指で
鍵盤押さえてみる、ジャーン、うん、ここはこの響きでいいんじゃない?
みたいなメチャクチャ原始的なやり方。
だって、小学生のとき、二年ほどエレクトーン習っただけで、ピアノに触ったことも
ないんですもんねぇ。ギターの類はFのコードが弾けなくてあえなく挫折したし。
それで作曲するんだから、もうそのころはなんとかテープに残して、耳でコピーして
もらうしか方法なかったんですよ。パソコンなんてないし・・・
いや、執念っていうか、情熱と根気があればこそできたんですねぇ。
いまでもテープ残ってて、先日、「青春の思い出」がもったいないからって、
これ以上劣化しないよう、mp3で落としましたけど。いやー、懐かしい。

はいはい、私の話はいいんです、とにかくオフコースですよね、オフコース。
「みんなで考えてやってこうぜ」という民主主義バンド、一見良さそうだけど、
「お仕事」だと割り切れなかったら、人間関係が悪くなりそうだなぁと思います。
そうすると、結局はいい曲がつくれなくなる。
メンバーひとりずつの個性やパワーが、いいかたちでバランスを保っていることが、
バンドとして仕事を続けていくうえでの絶対条件になってくる。
こういうの、なんかあやういですよね。
素人っぽいというか、商業主義に毒されてないというか。
まだ、誰かひとりがワンマンで、きちっと仕切ってるほうが、その他メンバーに
妙な自己顕示欲が出てくる余地がなくて、バンドとしてはまとまり易いかもしれない。
でも、オフコースって、こういう妙な理想主義というか、青くささというか、音楽は
ただの「お仕事」なんかじゃないんだという雰囲気が、一種の透明感やら、
すがすがしさを醸し出していて、それが魅力だったと思うんですよ。

オフコースのコアなファンのイメージというと、ココロは乙女チック、真面目で潔癖、
でもどっちかっていうと異性慣れしてなくて、みかけは洗練されてない・・・
いや、わかるなぁー、世間でそう噂されるのは。
初期の頃のアルバムジャケットなんて、小田ヤスふたりが、少女漫画な背景の中
ふわんと寄り添っていて、私にしてみれば「ハァ?」な非現実世界だったけど、
いやー、あれをみても引かない、それがコアなファンというものだという気がします。
だって、曲調もやっぱ、それに見合った感じだったしぃ。
あのー、私はそこまでコアなファンじゃなかったですから。
だってどう贔屓目にみても、
「さよなら」vs「ホテル・カリフォルニア(イーグルス)」、
「SAVE THE LOVE」vs「A Man I’ll never be(ボストン)」、
「オフコース・メンバーのルックス」vs「デュランデュランのルックス」・・・
もう「超えられない壁」が存在するじゃないですか。
そーゆー現実を無視できるほど、私はコアなファンじゃなかったですね。

しかし、ヤス脱退ドラマとなると、こんな私でも、心はやっぱり動きます。
だって、それまでずーっと、それこそ高校時代のアマチュアバンドの頃から
親友兼メンバーとして、つきあってきた仲じゃないですか、いったい、何が彼らの間に
ヒビを入れることになったのかなぁって。
それこそ人間模様のドロドロを予想するでしょ。好奇心むくむくじゃないですか。
一般に言われていることは、「音楽に対する考え方の違い」。
要するに、ヤスさんが、一躍ビッグになるにつれオダコースと化したオフコースに、
ついていけなくなった。だから脱退して、独立しようとした。
でもねー、そんなキレイゴトじゃないと思うんですよね。
だったら、オフコースではバンドのギタリスト兼バックボーカルに徹して、
自分の曲はソロアルバムで、という活動の仕方もあったわけだから。
実際、そのほうが、あの状況のなかでは、得だったと思います。
小田さんもそういうふうに説得したけれども、ヤスさんはそれでも「辞める」と言った。
ヤスさん、もとから損得勘定できない人っぽいんですが、小田さんだって、
長い付き合いなんだし、そういう性格は知ってるだろうから、噛んで含めるように
よく考えろよと説得したと思うんだけど、最後には小田さんも、
「けっきょく、ヤスは、もう俺とはやりたくないってことなんだ」
と、キレてしまう。このあたり、オフコース本とかインタビュー見れば載ってますね。

人間って感情の動物なんですよ、なんだかんだいってもね。
ヤス脱退の真実は、ずっと後になってからヤスさん自身が本を出したときに
言ってるようなことでしょ。
「オフコースを小田と自分がフィフティ・フィフティでつくりあげてきたつもりなのに、
『さよなら』ヒット以降、いつのまにかオフコースにひとつのカラーみたいなのが
できてて、それは小田カラーだった。自分にはそういうガイドラインみたいな
制約のなかで音楽をやっていこうという気になれなかった」
というようなことですね。
それまで、ずっと小田さんがシングルA面をとっていた、つまり、プロデュースする
会社側も、小田さん重視だったので、それがますます露骨になってきたのも、
息が詰まる原因だったと思います。
まあでも、こんなこと、ちょっとしたファンなら、みんな知ってますよね。
私が疑問に思ってるのは、「辞めたい」ということをみんなの前で言う以前に、
小田さんにだけは相談してたのか?ということ。
いちおう小田さんがバンドマスターになってるんだし、古くから親友でもあったわけで、
ヤスさんは、小田さんに、なんらかのSOSを送るなり、そのときの体制にNOを
つきつけてみるなり、内々に自分の気持ちを訴えてたのかなぁと。

で、まあ、ここからは私の妄想ですが、アルバム「We are」の曲を聴くと、
それはあったと思うんですよね。二人の間で、あるいはメンバー間で、なんとなく、
鈴木vs小田+その他という雰囲気はあったような気がするんです。
それぞれの曲をつくっているとき、もう明確になったというか。
曲目を見ると、

1,時に愛は
2,僕等の時代

この二つがシングルカットされた曲で、どちらも小田曲です。
それまでA面小田曲、B面鈴木曲だったのに、これだけがなぜ?
「時に愛は」がA面、ラブソングですが、B面の「僕等の時代」は、小田曲に
たまに見られる社会批判調。

3,おまえもひとり
鈴木曲。ふたりの女の間で態度を決めかねている友人に苦言という内容。
なんかこれが、ヤスさん自身のことみたいな感じがするんですよね、
「残るか、やめるか?ああ、どうしたら・・・?」と自問自答してるような・・・
♪いい加減にしろよ自惚れるのは もう答えを出すときだろう〜

4,あなたより大切なこと
小田曲。これもまた自問自答ソング。あくまでも現実的な小田さん、
「たとえば」「たとえば」を積み上げて、「えー、ヤスの気持ちもわかるけどさー、
今、この上昇気流に乗ってるときに、ヒットだすことよりも大切なことがあるの?」
♪誰か答えて〜

5,いくつもの星の下で
鈴木曲。ここで第三者が登場、という感じ。
ヤスさんの気持ちをウンウンと聞いてくれる、そういう相手です。
でもそれが小田さんかどうか・・・どうもそうじゃないみたい。
♪いつもひとり 悔し涙流してきた男のことを あなたに伝えたい〜

6,一億の夜を越えて
鈴木曲。誰かに相談して迷いが吹っ切れたんでしょうか。
辞める、という方向に・・・
♪誰かが言った 回り道してる いいさいいさ もう迷わない耳を貸さない〜(頑固)

7,せつなくて
松尾曲。やっぱり小田ヤスのコーラスはきれい。

8,Yes-No
小田曲。半年前にリリースされたシングルを入れました。

9,私の願い
小田曲。これは意図がちょっと不明。なんとなくリリカルな気持ちになっただけ、
ということかもしれないし、6で離れていくヤスを止めることはできないという諦念と
愛惜の情がこめられている?
♪君のためにいま 何ができるだろう 大切なあなたのために〜

10,きかせて
小田曲。5、6への返歌か?恨みがましさと寂しさがこもる切ない歌詞。
「俺にも相談しないで、辞めると決めたのか?そうだな、売れてるときは、みんな
持ち上げてくれるさ。そいつがいいならそっちに行けよ・・・なんでこうなるんだ・・・」
♪その人といれば 素直になれるの きっと優しい人なんだね〜(皮肉たっぷり)

こんなふうに、小田ヤスの亀裂というか、気持ちのすれ違いがぼんやり妄想できる
「We are」なのですが、ヤス脱退発言を受けて続く「over」は、
その傾向がもっとハッキリと見えてきます・・・っていうか、これだけあからさまなら
誰でもわかるよなーって具合に。
なぜ、そういうデリケートな「over」製作の内情を、部外者であるNHKなんかに
撮らせたのか、オファーを受けたのか、というのは謎ですが、恐らくは、
そうすることによって、結果的に「感情の平衡がとれた」んじゃないでしょうか。
他人がそこにいる、カメラが回っていることで、オフコースのメンバーとしての役割を
演じなきゃならない。ともすれば、ヤス脱退で感情的に流れそうなんですが、
それを抑制するには観客の目が必要であった、というかね。
脱退のことなど何も知らず見ているTVクルーにさらされていれば、各人が、
オフコースメンバーとしての役割を演じられる、できるだけ「さわやか」に。
そういう努力が垣間見えますね、この映像の根底には。

で、話はまた小田ヤスの感情的もつれに戻るんですが、
この番組出演まえに出したシングル「I LOVE YOU」について、後に小田さんは、
「あれを書いたころは、ヤスが抜けることが決まってたし、すごいつらかった」
「それまで自分たちがしてきたことに、『I LOVE YOU』と言いたかったんだ」
とインタビューやら本で語っていますし、(いやぁ、結婚デレデレソングでは
なかったのですね)また、「ヤスが抜けたのは悲しかったし、それを消化するのに
2年ぐらいかかった」とも言っていますから、脱退騒動の渦中にあったときは、
当然、二人の関係は相当にぎくしゃくしていたと思いますよ。
番組の中で、小田ヤスが親しげに話している場面なんかなくて、小田さんはもっぱら
清水に頼って、何かと言えば清水とばかりくっついているみたいに見えるし、
ヤスさんはいずれ「抜けていく身」だから、あまり露出しすぎないように、
振る舞っているように見えます。
ここでの小田さんの、清水への傾倒ぶりは、なんか見ていると不自然なんですが、
その頃、清水のキャラに入れ込んでいたのは事実で、それがヤスとの関係に何か
影響を及ぼしていたのかもしれません。
小田さんにとっては、音楽的にも清水から吸収できる未知のものがたくさんあった。
清水のような「下町の不良的」キャラが新鮮だったというのもあるでしょう。
で、「さよなら」ヒット以降、どんどん自分たちのキャパを超えて大きくなっていく
オフコースのあり方に戸惑いを覚え、「これが俺のめざしてきたことなのか?」と
内心考えていたに違いない旧友ヤスの微妙な気持ちの移り変わりなど、たぶん、
「We are」の前は、リアルタイムで気づかなかったんでしょうね。
小田さん自身だって、お祭り状態でハイな気分だったと思いますから。
「みんなですごいことやってこうぜ!」
・・・そこへ冷水をぶっかけたヤスさん。
・・・慰留に失敗した小田さん。
ぎくしゃくしてあたりまえ。

この頃には、もう二人の間は冷え冷えしていて、言葉をかわすことさえもなかった、
などと一部で噂されていますが、そりゃねぇ、今までのようにいかないでしょ?
何も話をしなかったから、お互い反目し合っていたというわけではないし、
むしろ、話ができないくらい、お互いに意識しあっていた、ということじゃ?
それこそ、面と向かって口をひらけば出てくるだろう言葉の数々を無理やりに
呑みこんでいる、そこに触れてしまえばどうなるかわからない、これ以上、互いの
傷口を広げたくない、恐らくは「別の道を行っても、お互い頑張ろうぜ」と、無理やり
キレイに締めくくったはずの話し合いを、また蒸し返して混乱したくない・・・
DVDのなかでも、小田ヤスの会話シーンは、オフコースの歴史や二人の位置付けを
考慮すると、極端に少ない印象を受けます。そのぶん小田・清水のツーショットの
多さが目立つわけですが、これはヤスさん脱退の悲しさを早く乗り切ろうとしている、
そのためにも、支えとなってくれる誰かが必要、ということじゃないでしょうかね。
決して、小田さんの心中は、「清水>ヤス」ではなかったと思います。
この妄想の根拠は、あの武道館ライヴでの涙と、「over」の内容ですね。
曲目を見ると、

1,心はなれて
小田曲。これはインストです。映画音楽ふう。

2,愛の中へ
小田曲。シングルカットされました。なんか、アップテンポの明るい曲をひとつぐらい
入れなきゃ、という努力でしょうか。B面はChristmas Day。これは知りません。

3,君におくる歌
鈴木曲。8の「言葉にできない」がシングルカットされたときのB面。
オフコースから、小田さんから、離れていく自分の気持ちを、とても素直に
歌っています。これ以上の説明は何もいらないし、この曲が「言葉にできない」と
カップリングされていること、もうそれがすべてを物語っていますね。
♪君を心から愛していたい 君に心から愛されていたかった〜

4,ひととして
小田曲。スタイリッシュ小田。心の中はまだグチャグチャで整理がつかなくても、
こういうふうに自分にもファンにも格好をつけることはできます。
リーダーとしては、そうしなければならないという責任感ですかね・・・
♪もう何も言わないで ためらう心きえた さあもう僕らはゆくよ〜

5,メインストリートをつっ走れ
鈴木曲。もうやるしかないじゃん?開き直り。
♪追いかけて手にしたものは 違うのだろう 悔しいんだろう〜

6,僕のいいたいこと
松尾曲。べつに言いたいことはありませんが・・・

7,哀しいくらい
小田曲。DVDの中で、この曲のボーカルどりの風景がありましたが、そのときは
歌詞が違いましたね。小田さんが、歌詞の内容について考えあぐねてるとき、
「でも、あんまり別れる歌ばっか書きたくねぇしな」とぽつりとつぶやきました。
♪哀しいくらい 君が好きだから 心ひらいて〜

8,言葉にできない
小田曲。CMにも使われて、知らない人はないような名曲扱いになってしまいました。
これはもう9と同じく、ヤスさんへの気持ちを正直にうたったものだと思います。
バンドマスターとしても友人としても自分が至らなかったのでは、という反省歌の
ようにも見えます。この反省路線は、ソロになってからもずっと続いていくんですね。
♪あなたに会えて ほんとうによかった 嬉しくて嬉しくて 言葉にできない〜

9,心はなれて
小田曲。8よりもっと叙情的に別れをうたっています。オフコースのリーダー小田和正
としてではなく、もっと個人的な思いで、つくられた曲のような気がします。
♪ふたりで追いかけた 青い日々がこぼれてゆく やがてひとり 窓の外は冬〜

もう、なんか小田ヤス別れの愁嘆場を、臆面もなくさらけだしたような曲ばかり。
この「over」が、五人のメンバーみんなでレコーディングをした最後だった、
のじゃないでしょうか。
次のアルバム「I LOVE YOU」では、鈴木曲も入っていますが、小田さんも
コーラスつけてないし、第一、ツアー最後の伝説の武道館ライヴが終わった直後に
リリースされているんですから、時間的にもみんなが集まって、あーだこーだと
曲作りなんかやってる暇はなかったんではないかと。レコーディングというのは、
それぞれ個人のパートごとにでもできますものね。
番組のなかでも、小田さんが、各自の「ソロ」を推奨するかのような発言を
していましたし。そのせいか、アルバム全体にバンドとしてのまとまりがなくて、
「I LOVE YOU」は小田、鈴木、松尾のソロ集のような感じです。
オフコースがオフコースらしくあった、最後の「over」レコーディング風景を
ドキュメントした「若い広場」は、オフコースを知るうえで、いっそう貴重なもので
あるのは間違いありません。

79年から82年までの日々が、その後の小田さん、ヤスさんの心境や生き方、
音楽活動に及ぼした影響は、はかりしれないものがあるのではないでしょうか。
それは、ふたりそれぞれに、ずーっと持ちつづけていくことになるテーマとなった、
そう言っても過言ではないと、私は思います。


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