一番残酷なこと



浦沢直樹の「Monster」という漫画を知っている人は多いと思います。
深夜枠でアニメ化されましたから、それを見た人も少なくないと思います。
つい最近、私はふと出来心を起こし、ネットの動画共有サイトで
なんと、アニメの1〜74話まで、全部見てしまいました。
いや、疲れました。PCのモニタで30分×74ですからね。
アニメ自体はよく出来ていると思いますよ。絵の乱れもあまりないし、
丁寧につくってある感じがします。これだけ長い話ですから、最初から最後まで
作品のクォリティやテンションを保つのは大変なことだったでしょう。
とにかく長編なので、見所というのはたくさんあるんですが、
今回、私はあえて、49話「一番残酷なこと」について感想を書きたいと思います。

この話の中心人物であるヨハンという美青年、人の心のスキマに付け入るのが
天才的に上手い、という設定なんですが、ここでは幼い孤児の男の子を
言葉巧みに傷つけて、彼が自暴自棄になるよう仕向けます。
やり方は、脅すのでも何でもなく、その男の子と穏やかに会話するだけです。
男の子の名前はミローシュ。事情あって女装しているヨハンは、彼を敵視して
追ってくるミローシュを部屋に招き入れ、飲み物を与えて静かに問いかけます。

「あなた、よくこのへんをうろついてるわね」

実は、ミローシュは娼婦の捨て子で、母に会えないかと思い、
しょっちゅう一人で街なかをぶらぶらしています。けれども、捨て子の彼は、
母親の顔も知らなければ、写真の一枚も持っていない。
それじゃ、誰がお母さんだかわからないじゃない、と言うヨハンに、ミローシュは、
(お互いに)会えばわかるよ、と答えます。
親なんだから。子なんだから。無邪気に親子の情や絆の強さを信じている彼に、
ヨハンはさりげなく言います。

「会ってもわからないふりしたら?」

お母さんはあなたを捨てたんでしょ、あなた、誰に望まれて生まれたの、
あなたが生きる理由って、いったい何?
とヨハンは続け、生まれてきたことは普通のことじゃない、宇宙のなかでは
命なんて一瞬の存在、みんなやがて死ぬんだから、死が普通なのよ・・・
と、まあ、子供には難しいようなことを静かに語ります。というか、ここで、
「望まれた子でなければ生きていても意味はない」、「死=なんでもないこと」
という二つの概念をミローシュの心に刷り込みます。
そのうえで、彼を夜の盛り場へと送り出します。
あそこにお母さんがいるの?と顔を輝かせるミローシュに、

「あなたはお母さんが誰かわかる。お母さんも、あなたのことがわかる。
でも、誰も声かけてこなかったら?そのときあなたはどうするの?」

と、ネガティヴな暗示をかけて。
で、ミローシュは夜の盛り場で、母親を探して歩きながら、破廉恥な男と女の
生々しすぎる生態を見てしまうわけです。母親なんか見つからないし、それどころか
子供の目には汚らわしく、恐ろしい大人の世界・・・ここに母がいて、そして、
ここで自分が生まれたなら・・・

「そうか。そうだったんだ」

彼はヨハンにかけられた暗示の通り、自暴自棄になり、自殺しようとします。
雨で水かさが増した川にかかった橋の柵を乗り越えて立っている。
そこへ、助けがやってきます。やさしいグリマーさんと、ドクター・テンマ。
ミローシュを抱きしめて、

「お前が生まれてきたことには意味があるんだ。
お前は誰かに望まれて生まれてきたんだから。ぜったい、ぜったいに」

泣くグリマーさん。見つめるテンマ。放心状態から醒めていくミローシュ・・・

いや、普通ならここで「良かったねぇ」と安堵する場面なんですが、
私はなんだか複雑な気持ちになりました。
対応としてはこれでいいんですよ。子供に教えられることと教えられないことは
ありますからね。だから、これでいいんです。だけど。大人の私の目には、

「いつかは直視しなければならないことを、ヨハンはそのまま言っただけ」

なように思いました。それが一番残酷なこと・・・そうでしょうか。
私はグリマーさんのセリフ、
「生まれてきたことには意味があるんだ」
は、その通りだと頷けるけれど、つづく
「お前は誰かに望まれて生まれてきたんだから」
というセリフこそ、余計な一言、長く生きていくにつれて、大人になるにつれて、
余計な一言になっていく、「枷」のような言葉かもしれないと思うんです。

ヨハンは、
「望まれて生まれた子じゃなかったら、生きていく理由って何?」
と問い、
「命なんて一瞬の存在、みんなやがて死ぬんだから」
とは言いましたが、
「もし誰にも望まれてなかったのがわかったら死ねばいいのよ」
とは言ってないんですよね。
ただ、「どうするの?」と突きつけただけ。
死のうと思ったのはミローシュの弱さ。まあ、子供の幼い弱さにつけ込んで、
そんな暗示をかけるヨハンが邪まなのはわかっていますが、これが大人なら。
こんな暗示にひっかかって自殺しても、正直あまり同情できないし、
同情してもいけない、と思います。
みんなやがて死ぬ。これは自明のこと。
しかし、生まれてきたことの是非、生きていく理由、それを、
「誰かに自分が望まれているかどうか」
で、判断するのはいかがなものか?と私は言いたいんですよ。

うちには私が引き取って育てている猫がいます。名前はオコタンです。
オコタンはそもそも望まれて生まれた子じゃありません。
どこかの飼い猫が、野良猫と番って妊娠し、生まれてしまったあとで、
飼い主も処分に困り、ネットの掲示板で里親を探していたんです。
猫の母親が望んだ子かどうかは知りません。が、母猫が飼い主に
逆らえるわけもなく、自分の子供を取り上げられて腹を立てたかどうかも
私たち人間にはわからないこと。
とにかくオコタンはうちの猫になり、私は私なりに可愛がっていますし、
必要ともしています。病気になれば医者に連れて行くし、死んだら泣くでしょう。
私はオコタンを必要としているので、一緒に暮らしているんです。
飼い主とペットという歪なかたちではあっても、オコタンは私に必要とされている。
けれど、私にはわかっています。オコタンにとっては、私でなくてもいいんだと。
私が餌をやり、可愛がっているので、今現在は、私が必要なんだと思いますが、
私が死んで一人になっても、そのとき誰も自分を必要としてくれなくて、
寒空に放り出されたとしても、「自分には生きる理由がないから死のう」なんて
猫は考えない。食べものを探し、ねぐらを見つけて生きようとするでしょう。

たかが猫の話、人間とは違う、そう思いますか。
では、人間ならどうして「誰かに必要とされなければ生きていけない」んですか。
人間は社会を構築しているから?
でも、社会人としては自立していても、社会の歯車としては立派に機能していても、
それだけではいけない、もっと心ごと、魂ごと、存在ごと、他者から望まれなければ、
そうでないと、生きる理由や意味がないと思ってしまう人が大勢いるのはなぜですか。

「誰も声かけてこなかったら?そのときあなたはどうするの?」

絶対に誰かに望まれて生まれてきたんだから、意味がある。
これは、裏をかえすと、望まれていなければ、意味がない、生きる意味がない、
ということ。慰めているようで、力づけているようで、それは余計な一言。
そんなこと、言う必要ない。
だって、望むのは他者。他者から受動的に望まれてはじめて生きていける、
そんな他力本願な考えで、長い一生やっていけるでしょうか。
人間は、長く生きすぎる。いや、先進国なら、とくに金持ちでなくても、いまや
医療の恩恵にあずかり、六十年も七十年も生きられる、そんな世の中。
病気を患ってもベッドに寝たきりになっても、なかなか死ねない。
排泄すら自力ではままならなくなっても、
「生きていてくれるだけでいい」
そんなふうに周りの人間から本当に望まれつづける自信がありますか。

「誰にも望まれなくなったら?そのときどうするの?」

こんなこと、普段は考えたくない。
友達も親も同僚も、周りの人みんな、何らかのかたちで自分を必要としてくれてる、
たとえ気持ちの温度は違っても、何らかのかたちで。
誰だってそう思っていたい。
でも、時には考えてもいい、いや、考えなきゃいけないと思います。
「生まれてきたことには意味があるんだ」と言うなら。
猫は、生まれてきたことの意味、生きていく理由なんかいちいち考えない。
ただ、生き物だから、生き物としての生をまっとうしようとするだけです。
でも人間は違う。そう言うなら。

「そのときどうするの?」

どうするの?
人は完全に一人ぼっちじゃ生きられない、そんなのわかってる、でも。
誰かに望まれている間だけは、生きる意味があるの?
誰にも望まれなかったら、生きる意味はないの?
考えなきゃいけない、私たちは、目を背けてはいけない、そこから。
生きるって何?

一番残酷なことは、そんなの考えなくてもいいんだと優しく微笑むこと。
流されて、ただ漠然と今が続くと信じて生きていたら、そのときどうしたらいいか、
わからない。わからないまま、人はいつか老いていく。あるいは突然の死や別れと
対峙させられる。私たちを望んでくれていた誰かとの別れ。誰かの死。
あるいは、自分が望まれている理由となっている「価値」の暴落・・・

「そのときどうするの?」

私にもわかりません。
ただ、ひとつ思うのは、私が生きているのは、誰かに望まれているからじゃない、
いや、そうであってはいけない、そんな理由で生きているのであってはいけない
ということです。
だから考えなきゃいけないんです。もっと確かな、自分が生きていく意味を。
自分がこの現世に存在することの価値を。
私は、人間だから。




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