e-pal計画、その後
e-pal計画はわりとうまくいっています。
いまのところ、十数通きたメールのなかから六人セレクトし、そのうちの四人がアメリカ人。多い人でもまだ三往復ぐらいしかしてませんが、お互いの自己紹介などが済み、いちおう、「これからも続けましょうね」という感じになっている。
でも、ほんと、いろんな人がいますよ。
英語について言えば、アメリカやイギリスなど、イングリッシュ=ネイティヴの人だってわりと綴りミスとかしているのに、ネイティヴでないドイツやイタリアなどの人からメールがくると、もうメールのなかは誤字脱字文法ミスだらけ、という場合も。
まぁそれでも「意図するところはなんとなくわかる」んですけど(^^)
これだったら、こっちも多少のミスはもう気にしないでいこうと思っちゃいますね。もちろん、自分の勉強のためですから、時間がかかってもできるだけ正確に綴るようにはしてますけど(それでもミスはしますが)。

人の性格も、いろいろ。
わりと真面目な感じの人ばかりを選んでいるんですが、みんな、それぞれに個性があって面白い。「英文メールでコミュニケーション」なんて、細かいニュアンスがわからないから、その人の性格もはっきりわからないだろうと思っていましたが、でも、書いてくる内容が違うので、それはなんとなく想像できるということがわかりました。少なくとも、日本人同士で日本語使ってたって、わかりあえるとは限らない。そのことを考えると、同じだなと。すっごくもどかしいんですけどね。細かい感情について、もう少しこういうふうに伝えたい、という場合に、それに匹敵するような英語表現がわからない、とか、そもそも英語にはそういう発想の表現はない、ということになると。でも、相手からの文章を読むのは、おぼろげにその人がどんな人か、想像できて楽しいですね。
たとえば、あるイタリア男なんか、もう最初から慣れ慣れしく「チャオ〜!!」って投げKISS飛ばしてる感じ、実際、シメのセリフにはKISSと書いてある。あのな〜、まだ何も始まってないし、私は人妻なんやで(~_~;)
私のADには、はっきりと、“I'm a Japanese housewife”と書いてあるのに。
そんなのがあるかと思えば、あるアメリカ人の五十代の男性は、ちょっとひかえめ。二度目のメールでも、
“Your friend(if you don't mind)”
こういうのはなんか親近感もてますよね。日本人としては(^^)

こんなことだったら日本にいてもできるのに、しなかったのは、面倒だから。でも、いま、アメリカに来てみたら、この前の「ドアの鍵事件」みたいに、どうしても英語で何か伝えなきゃいけないことがある。で、必要に迫られて勉強してます。まぁ、ヒマだということもありますしね。
でも、うちの夫はちょっとムスっとしてるんですよ(~_~;)
私があんまり一生懸命に英文メールに取り組んでいるので、自分のことをかまってもらえないって。
だって、私はこの機会にアメリカの現実を少しでも見たいと思っていたのに、この体調でしょ。まだ積極的に行動するのは早すぎるし、かといって、家にだらだらいるだけでも退屈。このままじゃ、残りの期間が終わって帰国するときになっても、私には何も残らないじゃないですか。せめて、常時接続できることを利用して、せいぜいアメリカ人とメール交換ぐらいしたっていいと思うんですよね。

偏見について (1)

私的公的な事情で夫が一時帰国したので、今日から数日の間、私ひとりここでお留守番することになりました。まあ、のどかそうな田舎町だし、一軒家でもなくアパートメントなので、防犯という意味で不安感はあまりありません。何かあったときにはこの町に住んでいる日本人家族の方に相談することもできますしね。

さて、夫はここに来てからいろいろと苦労の連続だったようです。実際、こちらに知り合いがいて、その人に助けてもらわなかったら、引越しや家具のレンタル、電気・ガス会社との契約など、どうなっていたでしょう、という感じです。これまで彼がかなり頭に来ているのは、アメリカ人の仕事がルーズで誠意のないこと。いついつまでに来るといった大事な書類が届かないとか、どこか会社へ電話をかけても話の途中で一方的に切られるとか、そういうたぐいのことです。それだけでも苛立つのに、そのルーズさ、誠意のなさに拍車をかけているのが人種的偏見なんじゃないか、という疑念があれば、「もー、帰る!!」とぶちキレたくもなるというものです。
私なら、「日本人だから、英語が上手くないから、こんな扱いを受けなきゃならないのか?」と思うと、そのいわれなき差別に思わず身体中の血が煮えたぎって、たとえブロークン・イングリッシュであろうと相手にわからない日本語であろうと、その場で怒り爆発ですが、根が温厚な彼は可哀相にもじっと我慢をかさねていたわけですね(~_~;)

まぁ、あの「インディペンデンス・ディ」を恥ずかし気もなく作ってしまう国ですから、何があってもおかしくないんですが、どうなんでしょうね? このあたりの「偏見」というのは?
スーパーのレジでわざと後回しにされるとか、何か文句を言っても英語がわからないふりをされるとか、人種的なあるいは国際的な偏見によってそういう不快な目に会うことがある、とは聞くことのある話です。
幸いにも私はここに来てから近くのスーパーなどでそんな偏見の目で見られたことはありませんが、こっちの子供なんかはときどき私のことをじっと見てたりしますね。たぶん、東洋人が珍しいのか、そのとき私がかぶっていた帽子かなにかが珍しかったのか、そんなことだろうと思いますが。で、お母さんに引っ張られてやめるか、私が振り向いて目が合うとサッとそらすなどします。
でも、こんなのはよくあるでしょ?
たとえば大阪の私が住んでる町のダイエーでだって、明らかに外国人だとわかる人が歩いていると、珍しいので子供なら(もしかしたらオトナも)そりゃじっと見たくもなりますよ(^^)

海外へよく出かけているわりに、シビアな差別に会ったことのない私はたぶんラッキーなのかもしれません。
少なくとも、旅行者として行った国では、差別されるより親切にしてもらったことのほうが多いです。
でも、一度だけ、そういう感じの摩擦を経験したことがあります。もうずいぶん昔の話ですが。
私がまだ21歳、大学生のとき、ロンドンへ一ヶ月ほどホームステイで行ったときのことです。最初のホストは一人暮らしのおばあさんでした。いかにもイギリスの中流家庭の上品なおばあさんらしく、家の中や庭などこぎれいにして、「この窓枠の白いペンキは私が塗り替えたのよ」とかなんとか言ってました。食事も手作りで、美味しかったように思います。
でも、私はたったの一週間もしないうちに、そこを出ることにしたのでした。

話は長くなりますが、そこには、もうひとりスイスから来た女の子がステイしていました。カトリーヌという名前で、まだ19でした。ネイティヴランゲージはたぶんフランス語だと思います。私はたったの一ヶ月のステイだし、まぁ、英語を真剣にやるというより、物見遊山な気分のほうが大きかったんですね。ほんとに何も考えないで、まあなんとかなるだろうという感じでした。その子に紹介されたときも、最初は「スイスの女の子? へえ、いいじゃない。お友達になれるかも」ぐらいに期待していたんです。最初の一日目は、旅疲れもあったけれど、わりとリラックスして眠りにつくことができたんです。
ところが。
まず、ぶちあたった問題はホストのおばあさんの発音が上手く聞き取れないこと。ほら、日本人だって、お年寄りの言ってることって、聞き取りにくいことあるでしょ? そういう感じです。で、“pardon?”を繰り返していたら、おばあさんいわく、「あなたの英語はまだまだ駄目ねぇ。もっと勉強しなきゃ。カトリーヌはここに来てからずいぶん上手になったわよ」と。つづけて、「前にも日本人の女の子を二人ステイさせたことがあったけど、彼女たちときたら、まったく勉強なんかしないで、遊びほうけていたわ。ミッキーマウスの大きなぬいぐるみなんか買って来て部屋で騒いでるの。わかる?ぬいぐるみよ、あなた。もう二十歳ぐらいだったっていうのにねぇ」と呆れた様子で私を見るんです。私は何とも返事のしようがなかったですね。
この時点で、このおばあさんのなかに、新たに来た私とは無関係なんだけど、日本人の女の子に対する悪印象があったんです。
二日目の朝は、カトリーヌと一緒に語学スクールに行ったんですが、けっこう遠くて、雪の中をずいぶん歩かされました。
歩きながら、彼女いきなり、「あたし、日本人ってあんまり好きじゃないのよね」。
こっちは、「??」ですよ。こいつ、なんか失礼だなーと思いつつ、「どうして?」と聞くと、
「だってスイスにも日本人がいっぱい観光に来るのよ。でも、あたしが彼らに“ハーイ”ってにっこり手を振ってあげても、彼らときたらさ、何にも言わないで、なんだかこんなことするだけなんだもの(お辞儀の真似をする)。それって失礼だと思うわよ」
私は、それが日本式の挨拶の仕方であって、決して悪気があって何にも言わないわけじゃないんだ、たぶん英語が喋れないので何も言えないんだろう、というような説明をしたかったんですが、なにぶんにも突然そんなこといわれて動揺していたうえ、なぜか彼女には私の発音がよく通じないみたいなんですよ。で、それはそれで終わってしまいました。

英語学校では、最初の日にクラスを振り分けるテストがありました。外大に行ってたこともあって、ペーパーテストの成績は良かったのか、私はけっこう上のクラスに行くことになってしまいました。カトリーヌは私よりまだ下のクラスだったと思います。
もっとミドルクラス以下なら、日本人がクラスに半分ぐらいいて賑やかなんですけど、私のクラスでは、たった三人ほどしかいなかった。その三人も、「なんでこんなとこにあんたが入ってくるの」みたいな目で私を見ていたような気がします。
もう一年ぐらいロンドンに住んでる年上のお姉さんがいたりしましたが、日本語で話しかけるとちょっと嫌な顔されて悲しかったです。そもそも、そんなしゃかりきに勉強する気もない私は、そこでは異質だったのかもしれません。下のクラスではゲームなんかも交えて楽しくやってるみたいなのに、もっとマジに勉強しなくちゃいけなくなった私はとしては、あまり楽しくなかったですね。クラス替えしてほしかったぐらいです。

その家で三日目か四日目ぐらいの夜は、悲惨でした。食事の後、みんなでお茶を飲んでいたんですが、話をしても、なぜか私の言うことだけが上手く伝わらないんですよ。カトリーヌの発音だって、私から見ればフランス語訛りで聞きづらいのに、おばあさんは、彼女の言うことならわかる。私って、そんなに発音悪いのかしらと思いました。文法的には、明らかに間違ってないと思える簡単なセンテンスでも伝わらないので、これは発音の問題でしかありえないと思いました。
そのうえ、ホストのおばあさんもカトリーヌも、私の発音を直してくれるとか、何か教えてくれるでもなく、なんだか人を小馬鹿にしているような感じで「わからない」という態度をとるんです。それを感じた私は、もうそこでぶちキレて泣き出してしまったんですよ。なんでこんなとこまで来て、こんな惨めな思いをしなきゃいけないのって。ほんと、心細さと悔しさで、あとからあとから涙が出ました。
おばあさんもカトリーヌも、いきなりわあわあ泣き出した私を見てびっくりした様子で、「どうしたの?」と聞くんですが、キレてしまった私はうまく言葉が出てきません。この人たちに何いったって通じないという思いでいっぱいでした。
彼女たちは、いろんなことを言ってました。
「どうしたのよ」「何かつらいことでも?」「こんな時間にわあわあ泣いてたら、近所まで聞こえるわ」「子供みたいに泣くのはおやめなさいよ」・・・・etc
私には彼女らのいっている英語がわかります。でも、もう私には何の言葉も出てきませんでした。ただそこで強情に気のすむまで泣いて、それから自分の部屋に戻っていったんです。

私は学校で知り合った友達にも相談して、次の日には事務所でホストファミリーの変更を申し出ました。理由は、学校から遠いので、ということにしておきました。すると、その翌日には新しい受入先が決まり、私は友達にも手伝ってもらって、さっそく引越しをすることにしました。
引越しの前夜、少ない荷物をまとめていると、カトリーヌが部屋にやってきました。
「あなた、ここから出て行くんですって? 何が不満なのよ? 学校から連絡がきて、おばあさんはショックを受けてたみたいよ。ほんとにひどい人ね」
私はもう何を言う気も失せていたので、「あんたが嫌だから出て行くんでしょ」と日本語で言ってやりました。
すると彼女は「英語で言いなさいよ。私にはあんたの国の言葉なんかわかんないんだから。もっとちゃんと英語を話せるように勉強すべきよ。あんたがいいクラスに入れたのは、たんにペーパー試験の点数がよかっただけだわ」
もう何を言っても無駄だと思ったので、私はゆっくりハッキリと、“I don't like you” とだけ言ってやりました。

結局、ホストファミリーの変更は、いい決断でした。
こんどのホストは書類上は夫婦ということになっていたけれど、じつはもう離婚していて、そこにはオジサンだけが住んでいたんです。このオジサンと二人? そう思うと初めはなんか嫌な気もしましたが、彼にはガールフレンドがいて、週末には彼女が子連れで遊びに来たりするんです。
家の中はいかにもやもめ暮らしらしく殺風景だし、食事もたいてい手抜きでしたが、この人たちはほんとにフレンドリーな気のいい人たちで、すぐに打ち解けた気もちになれました。私たちはいろんな話をしましたが、彼らは私の話す英語をたいていは難なくわかってくれました。英語が上手だね、とお褒めの言葉すら頂いたものです。
考えてみると、英語学校でも駅の切符売り場でも、どこでも私の英語(文法・発音が完璧でなくても、自分の伝えたいことぐらい)は通じていたわけだし、それを頭ごなしに「ぜんぜんわからない」という態度をされたのは、あとにも先にもあのおばあさんとカトリーヌだけでした。あの態度が、日本人に対する偏見ゆえだったのか何なのか、私にはよくわかりませんが、ほんとうに惨めな気もちにさせられたことだけは確かです。

ステイ先で小間使いのような扱いをされたという話も聞きますし、また、お上品な家庭すぎて、食事のとき「音を立てないでくださいね。子供たちの教育上よくないですから」など、生活上の注意をやたら受ける、という話もあります。
私の経験は、まだマシなほうだったと思うし、私にもっと根性があれば、時間とともに彼女らと上手くやっていくこともできたかもしれません。でも、そのときは、そんな気もちになれませんでした。私自身もわりといいかげんな気持ちで留学していたんだし。
でもね、相手に聞く耳がなかったら、どんな英語だって聞き取れやしませんよ。聞く耳があれば、なんとか聞き取ってあげようと、いろいろ工夫してくれます。日本人だって、そうするじゃないですか。そもそも「英語は世界の共通語」という認識が、たんに政治・経済的な都合上そうなっているだけで、それでもって人間のなんたるかがうんぬんできるわけではないのはわかりきったことです。アメリカに来て、まだそういう目に会ったことはないですが、もし、たんに英語が上手く伝わらないだけで差別的な態度を取られるとしたら、その相手の教養や人間性の程度こそが低いのだと見て差し支えない、と私は思っています。恥ずべきは相手であって、英語のノン・ネイティヴ・スピーカーではありません。

・・・というようなことをアメリカンのe-palに言ったらどうなるでしょうね? まぁ、いずれそんな話ができるように頑張りたいです(~_~;)



偏見について (2)

偏見と差別について書くなら、私自身がそれをする側にまわったことも書かねばアンフェアですね。
中国留学のときですが、ほんとうに奇妙で哀しい体験をたくさんしました。

私たち日本人は、常に「アメリカやヨーロッパにはかなわない」とか「白人は綺麗だ」と潜在的に思ってますよね。私は女性雑誌の表紙やその中のモデルに、なんで白人ばかり使うのか、それが昔から不思議でした。お化粧の仕方についての記事だって、彫りの深い白人モデルを使って、こうすれば彫りが深く見えますよったってねぇ・・・もとからそのモデル自体がそうなので、化粧の効果なのか何なのか、ぜんぜんはっきりしない。実用的な記事にしたければ、私のような平面顔のモデルを使うべきでしょ(^^)
私自身は東洋人に特有の美、というのが好みなもので、自分では絶対に茶髪にしたりしないし、ガングロにしたりはしません。小さくて華奢な手足、切れ長の黒い目に赤くぽってりした唇、陶器のようなアイボリー肌に真っ直ぐな黒髪というのは、私自身が理想とする美人像です。で、こういう、典型的な東洋美って、かえってヨーロッパなどではウケるんですよね(^^) いわゆる、ヨーロッパ人の東洋趣味ですが。
あるフランス人の女の子が私に、「あなた、彼氏いないの? もしフランスにいたら、あなたなんかすぐに彼氏のひとりやふたりできちゃうわよ」と言ったことがあります。実際、その通り。前のロンドン・ホームステイのときは、フランスも少し旅しましたが、声をかけてくる男は何人もいました。そんなこと、日本ではまず考えられないことなんですけど(~_~;) 私は前髪をぱつんと切り揃えた「おかっぱ頭」にしていて、バタ臭いところのない、純東洋人に見えたんでしょう(まぁ、いまでもそうですが・・・)。ちなみに、フランスではインテリ階層などがよく東洋趣味に凝ったりするようです。私の目には趣味が悪いとしか見えないんだけど、大きな仏像を居間に飾ってみたりしてね。
そうそう、黒人にとっても、真っ直ぐな黒髪というのは魅力的なようです。あの人たち、黒髪は黒髪でも、縮れてますからね。誰でも自分にはないものを求めるんでしょうか。

話がそれましたが、とにかく、マスコミなどの表現から推し量られることから言って、私たちは西洋人には弱いということです。それと引き換え、近隣のアジア諸国については、どこか見下している感がありますね。経済レベルが違うこと以上に、文化や国そのもののアイデンティティーまで、どこかしら近親憎悪的に見ている感じがあります。
私が中国にいたときですが、私自身そんなつもりはなかった場合でも、相手にとってはたぶん「カチン」と来るだろう言動をいっぱいしてきました。
たとえば、親しくなった中国人が日本に行ったことがあると聞けば、当然「日本の印象はどうだった?」と訊ねます。そこには「中国よりもずっと良かったでしょ?」という気もちがやっぱり無意識に含まれているんです。「日本って、やっぱり素晴らしい国だった」というセリフを期待してるんです。で、相手が「だいたいここ(中国)と同じだった」などと答えると、「あっそう」と心中しらけたりします。「同じなはずないじゃない。中国には爪切りひとつ売ってないんだから」などと思ってしまう(ほんとにどこにも爪切りが売ってないかどうか、私は確たることは言えませんが、私が探してみた限りでは見当たらなかったので)。
そりゃ、中国の町や人は一見貧しく見え、また、本当に貧しい人々が多いのは確かですが、彼らにはなんていうか民族的歴史的な誇りがあって、「中国数千年の歴史」をすぐに持ち出してきます。彼らの気もちのなかには、「今は確かに日本のほうが経済的には成功しているように見える。けれども、やがて我々のほうが追いつき、追い越すだろう。なんといっても、日本の歴史に影響を及ぼし続けてきたのは、この中国なのだ。我々が兄弟だとしたら、中国が兄で、日本はやはり弟なのだ」という感じがある。ところが戦後教育を受けてきた私たちには、「中国の影響? そんなの歴史の教科書の中のことでしょ」というイメージしかない。
なにげなく、「こういうもの、中国にもある?」と日本のハイテク製品とかオシャレな服などを指して訊ねると、彼らは「ない」とは言いません。確かに同じ物はなくても、それに似たずっと粗悪な商品はあるんです。それで「もちろん、あるよ」というわけですが、日本人の求めるレベルのものとは違うんです。なんだ、やっぱりないじゃない、と思うんですが、誇り高い相手は絶対それを「ない」とは言わないですね。だいたい、そういう物がないからといって、それがどうだというんだという感じもしますから、私の質問自体がおそらく失礼に聞こえたことでしょう。
こういう認識のズレを考えてみないと、向こうの、とくに富裕階級、インテリ層とは親しくなれないと思います。

こういう誇り高い人々とは別に、「すり寄ってくる」タイプの人々も大勢います。私にはこちらのほうが、よほど「扱いかねる人々」のように思えたんですが。彼らのターゲットはまずやっぱりアメリカ人。その次が日本人らしい。ある種の女の子にとっては、国際結婚は「国外脱出のための金づるゲット作戦」なんですよ。年寄りでもなんでもいいからアメリカ人と結婚して、自分もアメリカ国籍をとり、とにかく国外へ出る。それから頃合いを見計らって離婚する。これが、彼女らの「成功物語」なんです。
こういう風潮を嘆いている人もたくさんいます。でも、日本人留学生や、駐在員に、そういう誘惑が多いことも確かです。
私は、この手の話を聞くたび、日本社会だって同じじゃないかと思いました。白人&黒人系ガイジンに限りタダで入れるディスコがある、英会話スクールのガイジン講師にアプローチする女の子がいる、グラビアで笑っている(本国では別にどうという美人でもない)白人モデル、英語圏の音楽ばかりが流れているFM、ハリウッド映画ばかりが上映される大きな映画館・・・
日本に来た白人系ガイジンは、母国でどんな暮らしをしていたのかわかりませんが、とにかく自分たちが崇拝されモテるので、さぞや気分のいいことでしょうと思いますね。私には、その気分の良さがある程度想像できます。

中国の留学先のレストランでアメリカ人と偶然話をする機会があったときには、私はほんとうに複雑な立場でした。彼は、私がよく利用しているレストラン(食堂という雰囲気に近い)で、ひとりで食事をしようとしていたところでした。私は、いつもガランと空いているこんなレストランに白人がいるので珍しく思い、新たな留学生かと思って声をかけたんです。
私は彼と同じテーブルに座り、彼がごくわずかな中国語しか知らなかったので英語で話しました。私は日本人で、ここに留学しているんだと言いました。あなたも留学しにきたのかと訊ねると、彼はアメリカ人で、何かの研究のためにこちらに一時滞在しているだけだ、ということでした。中国語のメニューを睨みながら、彼が何にしようか迷っているので、私がいつも注文しているスープを勧めると、
「それ食べて、お腹こわしたりしない? いや、実は昨日、食あたりしちゃってさ。ひどいもんだよ」
「だいじょうぶ、これは私がいつも頼んでいるものだし、お腹にもやさしいから」
「ほんと? 君の言葉を疑うんじゃないけど、まったくここってひどいところだからね」
私たちはとりあえず、頼んだものを食べながら話したんですが、例によって例のごとく話好きなアメリカ人は、私たちだけしか客のない、しんと静まり返ったレストランで、
「ねぇ、よく君、ここで一年も留学する気になれるねぇ。あのさ、僕の部屋すごいんだよ。もう汚くって。カーペットの隅にはさ、誰かが唾を吐いたあとがあるんだ。まったく、なんで掃除しないんだろうね。頼んでみたってきちんとやっちゃくれないんだよ。ひどいもんさ」
「仕方ないわね。そういうところだもの。ところで、あなた、おいくつ?」
「僕は32だけど。君は?」
「私? 当ててみて(^^)」
「ああ、そんなの当てられないよ(^^) 僕たち西洋人から見れば、君たち東洋人の歳ってわかんないからね。そうだな、22,3ってとこ?」
「そんなに若くないわ。それより数歳はうえ」
「へぇ、見えないね。まだティーンエイジャーでも通るよ(^^)」
「東洋って、あなたたちアメリカ人にとっちゃ、日本も中国も区別つかないんでしょ。いつだったか『日本って中国のどこかの島じゃなかったかい?』って言ってるアメリカ人がいたわ」
「(笑)馬鹿だね、そいつ。もちろん日本は中国とぜんぜん違うよ。僕は日本にも行ったことあるからね」
「あら、そうだったの? で、どうだった、印象は?」
「日本はいい国だよ。人は親切だし、なんでも便利だし。中国とはまったく違うさ」
・・・というような話をしていたんですが、フロアにいた中国人のウェイトレスに丸聞こえみたいなので、私は非常に複雑な思いでした。彼女にこの英語の会話の内容がわかっていたら、まずいなと思ったんですよ。もちろん、彼が日本の印象を良く言ってくれるのは嬉しいんですが、なんというか、仲間うちで人の悪口言ってるみたいで、私としては落ち着かなかったんです。そこは私の行き付けのレストランで、そこの人たちもひっくるめて、悪く言ってるわけだから・・・それに私は、「ひどくない」中国の側面だとか、「素敵な」中国の人も知っているわけだし、悪口にただただ荷担するわけにはいかないんですよね。
あっけらかんとしたアメリカ人と話しながら、彼がこう言うのももっともだと認めつつ、中国人ウェイトレスにも気を使って、でも、中国のいい側面を上手にほめて彼に納得させるだけの会話力もなし・・・ただもどかしく、複雑な感じがしたことです。

中国には、アメリカ軍関係の人たちも滞在していました。すごくいい高層マンションに住んでいて、その一室では、定期的に映画の上映会が行われているようでした。チケット制で、私と何人かは、そこにコネがある日本人留学生の紹介でチケットを買ったんですが、部屋へ入るとそこはもう西洋です。英語やフランス語が飛び交っていました。部屋の片側のミニバーにはビールやカクテル、コーラなどの飲み物と、ちょっとしたスナック、ポップコーンなどが置いてあり、椅子をずらりとならべて、みんなで映画を見るんです。もちろん、それはハリウッド映画。
私たちは、西洋人に混じってそこで映画をみたんですが、私たち以外に東洋人の顔はなかったように思います。あんなに日本人留学生がたくさんいるのに、コネがないとチケットが手に入らない、または、そもそもこの上映会のことなど知らないんだと思います。
そして、そこは中国人立ち入り禁止でした。
日本人にはチケットを売ってもいいけれど、中国人には駄目だといわれました。また、普通の中国人が、気軽に払える額のお金でもなかったですしね。でも、たとえお金を払えても駄目だったと思います。入室するのに、パスポートのチェックがあったんですから。
私は二回ほど行ったあと、もう誘われても行かなくなりました。スクリーンの英語が聞き取れないのでストーリーの細かいところがわからないし、ハリウッド作品はもともと好きではないし、なによりも、私たちだけが東洋人なので、「浮いている」感じがして嫌だったのでした。

私は、ひとりの日本人として、どういうアイデンティティーをもてばいいのか、いまだよくわかりません。が、私個人のとまどいや思いとは無関係に、有無をいわせぬところで国境というものはあるし、言葉の壁、人種の壁、そういうものはあるんです。それに巻き込まれることもね・・・



する後悔、しない後悔

こちらでは今、十一日の昼過ぎですが、日本ではもう十二日の早朝なのですね。いやはや、時差というものは不思議ですね!

時間についての科学エッセイを以前読みましたが、そのなかではおもにアインシュタインの相対性理論がテーマになっていて、よくわからなかった私は夫に説明してもらったんだけど、ますますわからなくなるので、また夫婦ゲンカしそうになりました。自分でよくよく考えてみるとハッと気づくことがあり、そっか、と思ったんですが、シロートに説明するのはなかなか骨が折れるようです(~_~;)
で、思ったのは、結局、時間って何かで測るものなんですよ。
砂時計でも原子時計でもいいけど、何かで測らない限り、時間というものは科学に取り込めないんです。だから、相対性理論で、光速に近い速度で走る列車に乗ると時間が遅くなる、というのは何かで測るとそうなるんだけど、たとえば神の目から見た時間、というものを仮定して、それはこの宇宙にあまねく均等に流れていって、けっして逆流しないということになると、その光速で走っている列車内で起こっていることも、その均しい時の流れのなかにある、と考えられると思うんですけど?

とにかく、時間というものは、情け容赦なく、かつ優しく流れていきます。誰にも、どんな人にも、とり戻せないもの、好きにコントロールできないもの、それが時間。
人間には寿命があるので、過去はどんどん積み重なっていき、未来は常に現在とすりかわって消費されていきます。普段はあまり意識することはないけれど、年末年始にはこのことを強く意識させられますね。今年したこと、起こったこと、来年はどうするのか、どうなるのか・・・
ずいぶん前ですが、うちの弟に「今までで一番後悔してることって何?」と聞いてみたら、「したことについての後悔はあまりないけど、しなかったことでは後悔してることがある」と。これって、私はその質問をした時点では考えてなかったんです。後悔、というと、「〜したことの結果」だとばかり思っていたんですよ。でも、「〜しなかった」ということも、やっばり後悔の種になるんですね。ううむ・・・

実は私、たびたび自分の人生を振り返る癖はありますけど、あまり後悔ってしないタチなんです(^^)
まぁ、そのへんは超ポジティヴ人間っていうか。その時、一生懸命考えてしたことなら、その結果についてはあとになっても悔やまないんです。しょうがないじゃないですか。その時はそれが正しいとか良かれとか思ってしたことなんですもん。もちろん、無意識にしたこととか、あまり深く考えずにしたことで悔やむことはありますけど、まぁ、そんなの、人生ではささいなことの範疇に入りますよ。
「考えたうえで行為したこと」や「そのあと出した結論」については、あまり後悔したり考えを変えたりしないけど、弟の言うように、「しなかったこと」について考えると、後悔することはありますね。
なんで、大学のときもっと真面目に勉強しとかなかったんだろう、とか(~_~;)
なんであのとき、はっきり好きと言わなかったんだろう、とか(~_~;)
もちろん、それだって、その時には、他にしたいことがあったり、そう言えない気分があったりしたわけですが、たいてい自分が何かに流されるように生きていたり、受け身で保身的になっていると、あとになってそういう後悔をしますね。たんにアクティヴなだけでも考えなしの馬鹿みたいですが、やはり、日々、意識的に、こうしようとかこうなりたいと思って生きないと、また、実際にそれを実行しないと、「しなかったこと」についての後悔ばかりが積み重なるんじゃないでしょうか。もう私も三十代も半ばだから、これからはそんなことのないようにしたいです。



メール交際術

e−palで面白い人がいます。
この人はペンシルバニアに住んでいるたぶん五十代なかばぐらいの男性で、もちろん、結婚していて奥さんがいます。二十代前半の娘さんと息子さんがいる、四人家族です。
ハイスクールを出てから専門学校のようなところへ行き、その後、二年ぐらいベトナム戦争に参加し、また故郷に帰って現在の奥さんとなる人と出会い、祖父から譲り受けた土地に自分たちで家を建て、今は働きにでるかたわら、自分の果樹園などの手入れをしているという、なんか私などから見ると彼の人生は、絵に描いたようなアメリカン・ヒストリーです。
書いている英語もわかりやすいし、人柄は誠実そうです。この人のいい点は、たんに東洋趣味などに陥っているのでなく、いろいろな世界の文化を知りたいという好奇心や探求心を持っていること。それにはインターネットやメールは素晴らしいツールだ、というわけです。でも、たんにそこまでにとどまらず、この人の言葉をかりると、
“People who never leave their own country never realize the many different cultures and customs that exist in this world. Reading about them in books is fine, but to experience them is something that can't be described, don't you agree?”
(自国から出たことのない人々は、この世界に存在する多くの違った文化や習慣を理解しない。それらについて本で読むのはいいことだが、でも、異文化体験というものは、言葉では書き表わせないものだ。そう思わないか?)
ということですが、まったくその通りだと思いますね。
彼は、ベトナムで自分たちとは全く異なる文化に触れ、それでそんなふうに思うようになったらしいのですが。変に東洋かぶれな人でなく、世界のリアリティについて、こういう素直な好奇心をもっている人と文通するのは、とても有意義でかつ楽しいんじゃないかと思います。
以前のような「恋人探し」目的のメール交際もいいけれど、こういう「人間同士としての交流」が目的の文通も悪くないですね。

メール交際というのは、顔が見えないし、表情とか筆跡もわからない、その人が何をしていてどこに住んでいるのかも自己申告なので確かめようがない、という点で、ともすればすごく曖昧な、疑わしいイメージがありますが、何人もの人とメールをやりとりしていれば、自然とそこには個性が見分けられるようになるもんだと思います。内容についてもね。相手が嘘をついていれば、なんか嘘っぽいなと思うし、人間って、そううまくは自分というものを隠したり偽ったりはできないものなんですよ。いつかはボロがでますから。
以前、「出会い系サイト」にハマッてたことがあるといいましたが、あれって誰でも一度はハマるんじゃないでしょうか(~_~;) 普段、新たに人と知り合う機会ってなかなかないでしょう? 学生さんならいざ知らず、社会にでるとそのなかでの利害関係にどうしても引きずられますから、純粋に人と知り合えるチャンスって限られてくると思うんですよ。だから、ネット初心者ほど、「こんな世界があったのか!」って、感動できちゃうと思います。

まぁ、その頃は独身だったので、ほんとにいろんな男の人からメールがきました。
私は、この世界では女性側に選択権があるという法則を聞いていたんで、あまりたくさんの、たんにH目的とか、ふざけた内容のメールがくるのもわずらわしいと思い、プロファイルの欄には、けっこう精神的なハードルを設けていました。「私はこれこれこういう人間で、こういう人とこういうお付き合いがしたいんです。これでよければメールください」というハッキリした雰囲気を、はじめからぴしゃりと作っておくということです。「メール友達からはじめませんか? 返事確実(^^)」なんて、媚びた曖昧文句は絶対に書きませんでした。そのかわり必ず書いておいたのは、「誠実で、軽い話題だけでなく、知的な話もできる人を希望」というセリフ。
この「誠実」というのは私が最も重視していることなんだけど、むしろ、メールをだす側の男性にしてみれば、「知的」という言葉にひっかかっていたみたいです。ふと、「自分は知的な男だろうか?」と立ち止まってしまう、ということですね。真面目な人ほど、そうです。ちょっととまどったあげく、「知的な人がお好みだといわれると、僕がどの程度、あなたの期待にそえるかわかりませんが、・・・・の本などはよく読んでいます」とかなんとか書いてくる。こういう人は、まずは誠実な人柄だと判断して返信しました。
実際、そう言ってくる人は、そんなことをいいながらもたいていは頭脳労働者なんです。医者とか大学の先生、建築家とかエンジニア、何かのエキスパートが多かったですね。はたまた非常に文才がある人だったり、偏差値の高い国立大学の院生だったり。内心、自分の知性には自信があるんだけど、わざわざこんなことを書くこの女は、どの程度の知性のことを指しているんだろう、と関心を持つんだろうと思いますが(^^)
まぁ私としては、「元気してる? 最近何か面白いことない? じゃーね、また連絡して」式の「うじゃうじゃした」人付き合いは面倒なタチで、何か自分たちの持っている観点なり美点をエクスチェンジしあえるような付き合いでないと面白くないと思っていますから、こんなふうにしたんですよ。

いろんな人と文通した結果わかったんですが、その人の本質は、最初のメールの雰囲気から大きくはずれない、ということです。第一印象で「こんな人かな?」と思えば、次のメールもその次も、まず大きくその印象が覆ることはないんです。たとえ、一年間メールでつきあったとしても、それはたぶん同じだと思います。そこが、実際の生身の出会いと違う点ですね。生身の出会いでは、相手の第一印象が、そのあとコロっと変わる、ということがあり得ます。それは、やっぱり着ているものや容姿、その場の雰囲気など、様々な外的要素にとらわれてしまうからでしょうね。
でも、メール交際では、第一印象で決めてもOKだと思います。
最初の一、二回でのメールで、「なんか面白味がないなー」とか「誠実さがない」と思えば、それから何回メールをもらっても、やりとりすればするほど、その印象が強まるだけだ、というのが私の結論。それほど、人間の書く文章の内容というのは、その人柄を表わしているんですね。
その証拠といってはナンですが、それから実際に会っても印象は同じなんですから。

セレクトした人とある程度(10往復ぐらい?)面白くやりとりが続けば、実際に会ってみましょうということにもなります。初めから、それが目的でしょ(^^) 私は、バーチャル世界でのメール交際は、バーチャルで完結すべきだ、なんて意見には賛成できかねますね。海外の人とか、会うのが地理的に容易でないという場合ならそれも仕方ないでしょうけど。でも、だいたいバーチャルってなんでしょう? そんなもの、実際はないんですよ。コンピューターソフトと文通しているならいざ知らず、相手は生身の人間ですからね。バーチャルめいた付き合いを現実の光のもとに引きずり出してこそ、なにがしかの真実がわかるというものです。
で、私も実際に何人かの人とお会いしました。会う前に電話の期間というのもあったりするんですが、とにかく会ってみる。何をするわけでもない、ただたんに一緒にお食事するだけです(^^) そして私の知る限り、たいていこの一回で交際が終わる、ということが多いんです(~_~;)

面食いの人で、相手の容姿がどうしても気に入らないというケースはおいておくとして、ここで終わってしまう場合、たいていは、なんというか、相手の「欠点」や「問題点」が急速に目の前でクローズアップされてくるからなんです。それは、いままでも、メールの行間に透けて見えていたことなんだけど、文通している間は、自分でそれを見ないようにしちゃうんですね。「?」と思っても、いいように解釈してしまう。相手がまだ目に見えないので、そういう勝手な理想化が起こりやすいんですよ。
たとえば、私の友人で実際にあったケースでは、会ってみると相手が実は結婚していることがわかった。メールでは独身だと偽っていたわけです。いや、正確には偽っていたわけではなくて、「あえて、そのことを書かなかった」んです。結婚してるのかと聞かれて、いいえと答えたわけではないので、嘘はついていない。もちろん友人はショックをうけていました。私が友人に、「そういうの、ルール違反やないの。ひどいね」というと、友人いわく、「でも、なんとなくわかってた」というのです。なんとなく、行間にそういう感じがあった、でも、話題が楽しくてそれで浮かれていたから、その予感はどこか隅のほうに追いやってしまっていた、というんです。だから、ショックだけれど、それは「まさか」というものでなくて、「やっぱり!!」だったと・・・
まぁ、そういうことです。
何人かの人とお会いして、そこから現実の交際に発展しなかった経験をもつのは、私も同様。
「この人、なんか面白味に欠けるなー」と心のどこかで思っていたとしても、真面目そうだし、こういうメールを書くのに慣れてないのかもしれない、実際に会えば、もっといろいろと話ができるかも、とか自分のいいように考えていると、やっぱり会っても面白くないんです。すると、「やっぱり!!」という気分だけがクローズアップされてくる。その場はとりあえず丁重にお付き合いしますけど、もうメールださない。相手もそういうムードを察知してますから、こっちが出さない限り、たいていもうメール来ないです。
やっぱりメール交際は、最初の二、三往復が勝負ですよ(^^)
自分の直観というか、人を見る目を磨いて、相手をいたずらに理想化しないことが大切だと思います。

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