LIVERMORE LIFE (1)
みなさま、異国の空の下から、再びこんにちは。無事に着きました、リバモアに(^^)
関空からサンフランシスコまで、気流の関係でかなり揺れが激しかったところもありましたが、安定剤を少し多めに飲んでいたので、これという不快もなく、半分は眠りながら空港に降り立つことができました。予定時間より三十分ぐらい早かったので、わりとスムーズなフライトだったと思います。
はじめは手荷物でパソコンを運ぶつもりだったんですが、それ以外の荷物もあるし、あまりにも重くなるので、思い切ってスーツケースのなかに入れてしまいました。もちろん、ちょっと無謀でしたが、洋服などにくるんで中心のほうに入れておいたので、このとおりパソコンも無事です。

空港の出口では夫と、あとお二人の方が迎えに来てくれていました。
一人は、奇遇にも夫と同じ大学から同じような時期にローレンス研に来ているNさん。こちらで知り合って以来、夫が何かとお世話になっている方です。もうひとりは、その方の知り合いというか、同じ研究者の方。以前、やっぱりローレンス研にいらしたそうです。このお二人は、前にも話題になったレーザー研の方たちです。いやー、面白いですね。あの「レーザー研究と核兵器」の件では、NHKが取材に来たときその場にいて、後ろのほうで、「僕も映ってないかなぁ」などと思っていらしたそうですよ(~_~;)

いま、こちらでは11月15日の午後です。
サマータイムが終わって、日本とはええと・・・−17時間の時差があるのかな? これからは現地時間でアップすると思いますので、日本でご覧のみなさんとは、微妙に日付が違っていたりするかもしれません。

さて、まだ着いたばかりでよくわからないことが多いんですが、ここ二、三日、夫の案内で少し近所を歩いてみました。アメリカの田舎町って、ヨーロッパのひなびた小さな町なんかとは全然違います。古いお城や教会を中心にレンガ敷きの道があって、駅前には個人商店が軒を並べている・・・という雰囲気ではなくて、もう完全に人工的な車社会の町です。真っ直ぐ伸びた広い道路、ぽつぽつ建っている大きな平屋の家々・・・やはり、殺風景というか、あまり魅力的な景観ではありませんね(~_~;)
このマンション(といっても、日本の四角い箱みたいなマンションとはまったく趣が違うんですが)は、かなり便利なところにあって、だいたい歩いて行ける半径7〜800メートル以内に、いろいろと日用品や食品など買い物ができるお店が何軒かあるんです。で、その店ひとつひとつ自体が、なんていうか、やっぱり広い! 百貨店の地下ぐらいのスペースがあると思いますが、あんなに混雑することはありません。現地のアメリカ人はその日の食材をその日に買いに行くというより、週末に車で来て、大きなカートにどばっとまとめ買いしていくみたいです。だから、日本では考えられないほど大きな容器で売っているバターやミルク、大きなピザやシチューなどレンジでチンすればいいだけの冷凍食品の種類がたくさんあります。
ほんと、洋服とか靴など以外の生活用品はなんでも揃うんですが、なかでも、夫が気に入っているのは「DOLLAR TREE」という一ドルショップ。日本の「百円ショップ」と同じで、だだっ広いその店の中に置いてあるもの、全部が一ドルなんです。これが、もう日本の百円ショップとは比べ物にならないぐらいの品揃え。「えっ? これもこれも、みぃんな一ドル?」という感じで、お皿やカップなどの食器、花瓶やカゴ、洗剤やシャンプー、いろんな掃除用品、駄菓子からオモチャ、今のシーズンならではのクリスマス用品まで売ってるんです。それが、そんなにチャチなもんでもなかったりして、けっこう役に立つんですよね。

私自身の体調はまあまあいいです。時差ぼけの影響か、変な時間に寝たり起きたりしてますけど。
近所のスーパーには怪しげな「UDON」「YAKISOBA」「TOFU」なども売っているので、またトライしてみようと思いますが、とりあえず炊飯器で炊いてるカリフォルニア米の「秋田小町」はけっこうおいしいですよ。10キロが10ドルっていう信じられない安さですしね。なんか、ここにきても、主食にはお米を食べて、副食にはスーパーのデリで量り売りのサラダ(これが美味しい!)を買ったり、魚を買って来て焼いて食べたりしているので、あまり海外に来たという違和感がありません。
サンノゼまで行くとヤオハンがあって、そうめんとか鰹ダシ、醤油、味噌、なんでも売ってます。ケーブルテレビでは日本語放送もやってるし。日本人スタッフが発行している情報誌、電話帳なんかもあって、そういう情報を活用すれば、ほんと、こんな田舎でも日本人が日本の生活スタイルをあまり変えないで暮らしていくことは、じゅうぶん可能です。まぁ、そんなことに固執してもあまり意味がないとも思いますけど。でも、いざとなれば手に入るってのは、安心感ありますね。

そうそう、夫なんですけど、私はこういう生活の基礎をなんとかかんとか作っておいてくれたことには、彼に感謝しています。それこそが大変だったはずですから。でも、彼としては、私が日本からやって来て孤独な一人暮らしでなくなったのはもちろん喜んでいるんですが、いま、「それと引き換えになくなる自由もあるねんなぁ」としみじみ言ってますよ(~_~;)
私は無視してますけど。
だって、その自由って、相も変わらず「どこにでも服を脱ぎ散らかす自由」とか、「テーブルのうえにチラシや書類を積み上げておく自由」とか、「風呂にも入らず無精ひげを生やしておく自由」とか「夜中に駄菓子を食べて好きなだけ太る自由」とか、そういうモンですからねぇ。なくなってもしょーがないような自由だと思うんだけど。

さぁ、これから自分がどうなるかわからないけど、ここまで来たら、まずは体調に気をつけて、英語を勉強して、少しずつ行動半径を広げて行けたらいいなと思ってます(^^)
LIVERMORE LIFE (2)
日本人がきっちりし過ぎなのかもしれませんが、アメリカ人のアバウトさには、思わず「キレてしまう」日本人も多そうです。

うちの夫が、ケーブルでインターネットに常時接続を申し込んでいて、昨日はラボにも行かずにその工事をしてくれる人が来てくれるのを待っていたんですが、約束の時間を過ぎても一向に来る気配なし。会社に電話を入れてみたら、何度もかけ直したあげくようやく担当の部署とつながったのはいいけれど、「車が故障して行けないので、もう一時間半ほど待って欲しい」とのこと。しょうがないので、午後ずっと待っていたんだけれど、とうとう来ませんでした。けっきょく半日を無駄にしてしまったわけです。また電話してみたけれど、今度は担当とつながりもしない。「ちょっと待って」と言われて、そのままじーっと何分も待たされる、で、馬鹿らしくなって電話を切る、ということが何度も続き、夫はもう諦めてしまいました。

「僕の英語がつたないから馬鹿にされてるんや」とか、「雨も降ってるし、どうせ日本人やから後回しにしてもええと思てるんや」などと夫は拗ねて落ち込んでいますけど、どうなんでしょうねぇ? アメリカで初めて暮らす日本人は、いろんな場面でこのたぐいのトラブルが続くと、かなり神経にさわるようですが、たとえアメリカ人がこういうのに申し込んでも、けっこうトラブルは起きたりするらしいんで、特に「日本人だから」というような悪気はないんでしょう。ただたんに、仕事の仕方が「いい加減」だというだけなんでしょうね。でも、こっちはそんなことに慣れてないし、言葉の問題もあるんで上手に文句も言えないし、フラストレーションは倍増します。
夫は「なっ、わかるやろ? 僕がどんなに苦労してきたか。こんなことばっかりやと、日本に帰りたくもなるやろ?」と訴えるんですが・・・(~_~;)

同じ国の人といっても、神経の図太い人とか細かい人とか、人それぞれだろうと思いますが、マジョリティとして共通の国民性みたいなのは確かにありますよね。
私の知っている中国の人が日本に留学に来たばかりの頃、どういう点が一番違うと思ったかというと、「時間の感覚」だそうです。いわく、「日本人は、せっかちだ」ってことなんですよ。乗り物を待つ、人を待つ、そんなとき、私たち日本人なら「これ以上は待ってられない!」と思う限界の時間が、中国人の感覚とは違うというんです。これは、お国の事情もあると思うんですけどね。向こうは電車や地下鉄も発達してないし、バスなどの運行時間も不規則だし、タクシーに乗っても道が混んでいておっそろしく時間とられる時もあるし。日本人なら、そのへんを律義に「早目に出かけなければ」などと思うのですが、向こうの人は、そんな事情だから遅れたりするのはお互い様だと思っているのか、あまり焦って出かけたりしないですね。で、各家庭に電話、ましてやケイタイがあるとは限らないし、公衆電話の数も非常に少ないので連絡もできない。まぁ、待ってるしかない、ということになるんだと思います。のんびりしてますよ。
そういう気質は、大陸同士、米中で似ているんじゃないかと思います。なにしろ、広いんですから。それに、いろんな民族がいるんだし。ツーといえばカーというわけにはいかないんですよね。

流星みました

今年もまた、しし座流星群ですが、ご覧になりました?
今回、たくさん観測できるのはヨーロッパだということだったけれど、こちらでも少し見えましたよ。
12〜1時ぐらいまでのあいだ、ときどき東の窓からのぞいてただけなんですけど、それでも、一個や二個、大きな白い輝きが、さーっと黒い空を流れていくのが見えました。
ゆうべはインターネットで観測ライブとかいって、パソコンの画面上で流星群を見られるようにしていたサイトがかなりありましたが、なんか意味あるのかなぁ。あんなのチャチな画像でちょこっと見たって仕方ないと思うんですが。やっぱり、実際に見るという体験をしなくちゃ。バーチャルはバーチャルだけだもの。
出不精な人は旅行なんかしなくても「いまどき何だって部屋のテレビで見られるし」なんて思ってますけど、違うんですよね。ホンモノは、ぜんぜん。清水寺だって、ピサの斜塔だって、どんなものかぐらい誰でも知ってる。でも、知っていることと、その場所へ行って周りの空気や風景に入り込んでそれを観る、ということとはまったく質的に違いますからね。
私だって、夫からの電話で、ここは殺風景だと言うのを何度も聞いていて、ある程度は想像していたけれど、こういう殺風景さというのは、実体験がなかったのでわからなかったなと思いました。あのね、高い建物がなんにもなくて、山も見えないんですよ。ただあるのは、だだっ広い道路と、その両脇に申し訳程度に並んでいる商店、そして、ほんとうにほんとうに広い空だけなんです。この町に住んで、一番印象に残るのは、この空なのかもしれません。

ところで、うちの弟が先日、ハワイで結婚式をあげたんですが、私はまだ身体の調子も戻ってないので出席できませんでした。ここからハワイだと日本からより近いんですけどね。一応、たったひとりのきょうだいなんだし、こんな機会、めったにあるもんじゃなし、残念です。
うちの両親は喜んでましたね。青い空と青い海をながめながら、なんにもしないでゆっくりと過ごせたって・・・でも、あの人たち、もう社会からは引退してるんだから、いつだってゆっくりできるはずなんですけど(~_~;)
私はハワイに行ったことがないので、また帰国する際にでも立ち寄ることができたらいいですね。いつになるか、どうなるか、先のことはさっぱりわかりませんが。

まぁ、まだここに来てから一週間。今のところ、私自身の生活は静かなもんです。
体調が万全だと、ひとりででもサンフランシスコ見物に出かけるとか、英会話を習いに行くとか、いろいろ行動していると思いますが、なにしろここからサンフランシスコ市内まで、バスと電車を乗り継いで一時間半はかかるので、それがもうつらい。だって、この近所のスーパーなどをうろうろして一時間ほどぶらっと歩いて帰ってくるだけでもエネルギーなくなって、「あ〜、もう駄目、疲れた(ーー;)」という感じなんです。夫は、「ウルトラマンのカラータイマーみたい」だといってますが(~_~;)
日本でも、クリニックへ行くとき以外は、たいてい家のなかで本を読んだり静かにしていたんだから、ここでもやっぱりそれを続けるのがいいんだと思います。なんか、ピンで留められた蝶の標本になったような気分ですが、しょうがないですね。すべて、ぼちぼちやっていくことにします。

窓のすぐ外にはあまり見かけたことのない木が見えて、てっぺんのほうから紅葉しています。
寒くなったんですね。
こちらは、冬が雨のシーズンだとうことで、これからぼつぼつ雨の日が多くなってくるんだそうです。冬以外はカラッと晴れていて、傘なんかいらないところらしいですけど。でも、そんなめぐまれた気候なのに、洗濯物をベランダに干すのは禁止なんですよ。なんでも、美観を損なうから、という理由で。各家には洗濯機と乾燥機がセットで設置されてて、洗濯物はそれで乾燥させるんです。
まぁ、美観というのも大切ですが・・・う〜ん、これが当たり前と思っているアメリカ人は、日本や中国、イタリアなどに行ったら、万国旗のようにはためいている洗濯物に驚くんでしょうか。

私、日本では乾燥機って使ったことなくて、その有用性を信じてなかったんですよ。あんなの、「ほんとにムラなく乾くのかな」とか「仕上がりがしわくちゃになりそう」とか「電気代がものすごくかかりそう」という感じで。でも、使い始めるとなかなか便利です。干す手間がいらないし、しわくちゃにもならず、タオルなどは、わりとふんわり仕上がりますね。それに、こちらの電気製品って、なんだか強力なんです。電子レンジにしてもね、パワーが強い。キッチンでも、ガスレンジはなくて、電熱器なんですね。給湯機はガスですが、セントラルヒーティングはやっぱり電気の温風。こんなに電気ばかり使っていて、大丈夫なのかと思いますが、電気代は日本よりすごく安いそうです。とにかく、この国の人たちには、世界のどの国よりも「節約」とか「清貧」とかいうことを論じる資格はないような気がしますねぇ・・・
そうそう、コンセントはだいたい110〜115Vで、日本の電気製品は、ものにもよるでしょうけどトランスなしで使えるんじゃないでしょうか。CD、MDプレイヤー、そのまま使ってますが平気ですよ。
郷に入りては
今日は週末、夫はNさんに誘っていただいて、サンノゼの「ヤオハン」に行ってます。
私も元気なら一緒に行きたいんですが、なにしろ車で往復二時間近くかかるし、それでなくても買い物って疲れるでしょ? 家でおとなしくお留守番することにしました。

ヤオハンにはけっこう何でも売っていて、日本語のチラシをみると、日本のさつまいもやらカボチャ、鍋もの用の白菜や春菊、おでんのセット、それに、日本のスナック菓子やパン、缶コーヒーまで売っているようです。輸入物だから、値段はそのぶん割高になります。
まぁ、どうしても「うどん」や「おでん」が食べたいときがある、というのはわかるけど、日本製のシャンプーや缶コーヒーやスナック菓子なんて、わざわざ売る意味や買う意味があるのかなって思いますね。だって、そんなの、こっちのスーパーでいくらでも買えるんだし。もっと衛生状態の悪い国ならいざ知らず、アメリカで日本のパンを買うなんてね。でも、とにかくなんでも日本製じゃないと嫌だという人も中にはいるそうです。味が違うとかいって。う〜ん、それはそうかもしれないけど・・・一ヶ月やそこらならともかく、一年二年いると、高くつきますよね。それに、精神的にも、「郷に入りては郷に従え」で行くのがいいんじゃないでしょうか。そこにあるものすべてを拒絶することなく、試行錯誤しながらだんだん自分にとっていいものを見つけていく。そんなふうにして、異質な環境に馴染んでいく、それが自然じゃないかなと。
英語の壁
なんか、いまさらのようですが、英語の壁ってありますね〜(~_~;)
私、実は英語は嫌いなんですよ。日本人にとっては習得しにくい言葉だと思います。中国語のほうがよっぽど簡単だし、ルーツも似ていて興味深いですよ。私の頭のなかでは、中国留学以来、外国語というと、もう優先的に中国語が出て来て、たまには夢の中にも出てきたりします。英語はその次って感じになってしまいました。で、今、英語を話さなきゃならない環境に置かれて、ちょっとプレッシャーが。英語でテレビを見ていても、早口すぎてさっぱりわからないとなると、あ〜、サンフランシスコのチャイナタウンに行きたい、とか思いますね。中国語の、なんと簡潔で融通のきくこと! 英語じゃ難しい表現、こんなこともあんなことも、中国語で言えば簡単なのに、と思うことしばしば。
学ぶ側の気の持ちようとして、これじゃーいけないなと思うんですけど。

英会話スクールの先生や、日本に住んでいるアメリカ人だと、「日本人の話す英語」に慣れてますから、こちらのいうことも伝わりやすいし、また、わかるようにゆっくり丁寧に話してくれもする。でも、ここリバモアでは、そういう特典はいっさいなし。ここでは、ガイジンだからと思いやる気持ちもないようで、ほんとに情け容赦もない早口のアメリカンイングリッシュを浴びせかけてきます。たぶん、いろんな人種が多すぎて、いちいちわけのわからない言葉を喋る人たちにかまってられないんでしょう。ガイジンに対するやさしさはないですね。でも、だからこそ、かえって、べつにきちんと喋れなくても、とにかくその場その場で自分と相手の意志が通じればそれでいいや、と思えるところはあります。なんか、そういうのはすごく荒っぽい感覚ですが。

とにかくどんな言葉も単語量が勝負です。ボキャ貧ではいけないと思うんですが、どうやったら単語が「身によくつく」んでしょうねぇ? 恋人探しという奥の手は使えないし・・・でも、なにか強力なモチベーションがないと、特に面白くもない英語なんか、多少なりともマスターできませんよ。
要するに、言葉は道具。仕事やなんかで使う機会がなかったら、持っていても仕方ないので、趣味的に英語が好きとかいう場合以外は、絶対に身につかないでしょ。人間、役にも立たない不毛なことを一生懸命できるもんじゃないですからね。まぁ、確かに、インターネットだって、英語サイトがすらすら読めたら面白いし、世界が広がるだろうけど、それだけじゃー、モチベーションとしては弱いような気がする。どこかのスクールに通って交際を広げるのもひとつの手ですが、今の体調じゃ、続けられるかどうかが怪しい・・・
ということで、私が考えたのは、アメリカ国内でペンパルをつくる計画。ペンパルなんていうと懐かしいけど、要はメル友ですね。できれば日本にも関心をもっている人がいいな。で、何人かとメールを頻繁にやりとりする。これですよ。自分の言いたいことを文章にしようとしたら、辞書も引かなきゃいけないし、相手のメールを読むのも勉強になるでしょ。これなら楽しみながら自分のボキャブラリが豊富になりそうな気がする。それに、私、いまはローマ字入力してなくて、日本語のまま入力しているもんで、いざ英文となると、打つのにすっごく時間かかるんですが、メル友づくりで、そっちも上手くなれるかも。
とりあえず、もうじきネットにはケーブルで常時接続にしますから、新しいメールアドレスもらったら、かの有名な出会い系サイト「FRIEND FINDER」にでも登録することにします(^^)

メールアドレス

今日、ちょっとしたケーブルの工事をしてもらって、ようやく常時接続の体勢に入りました。
二本引いたので、夫と私と二人で同時にインターネットにつなぎっぱなしでも、月におよそ45ドル。これは安いと思いますねー。たまたま会社のサービス期間に申し込んだ私たちは、初期費用の150ドルと最初の一月の代金が免除されたので、よけいにラッキーでした(^^)

で、メールアドレスを設定したので、もしメールをくださる方は、
いままでのアドレス marineko@private.email.ne.jpよりも、
新しい maricat@home.com のほうが早いし超便利なので、こちらでお願いします。
アドレスの名前は、これといって洒落たものを思いつかなかったもので、まりねこの「ねこ」の部分を「cat」にしただけの安直さですが、まぁ、アメリカにいる間だけですから・・・(~_~;



リッチな食生活

こっちに来てからまだこの近所でしか買い物をしたことがないんですが、物価がとりたてて安いかというと、そうでもないですね。円高で、一ドル105円ぐらいでそう思うんですから、これが円安になって120円ぐらいになったら、けっこう高く感じると思います。

なんかそれにね、単純に、高いとか安いとか考えにくいところがあるんですよ。
たとえば、売っているものがほとんど全部大きすぎるというのがあります。サラダにかけるドレッシングの瓶でも、魚の切り身でも、ハムや肉の固まり、果てはじゃがいもやセロリなど野菜まで、日本の倍ぐらいあって、大家族なら、けっこう割安感があるかもしれませんが、私たち夫婦二人だけとなると、これが買いづらい。なんでもかんでも大きすぎ、多すぎて余るんですよ。

私はもとから量より数の人なんです。少しずつでいいから、いろんな種類が欲しいんです。ドレッシングでも、小瓶で何種かそろえて、その日の気分によって使いたい。香水や化粧品、着るものに至るまで、そういう趣味なんですよ。カレーライスの大盛りより、お子様ランチに惹かれるタチなんです。ほんと、たぶん、ひとつひとつの商品の内容を1グラムあたりいくらで計算したら、こっちのほうが安いんだと思いますが、どうしてもそれらをどばっと大量に買って来なきゃいけないとなると、割安感を感じるというより、なんか複雑な思いです。たまに安売りがあって、一個買うともう一個オマケしてくれるなんてのがありますが、ただでさえ大きすぎるドレッシング。そんなの冷蔵庫に二個もあったら「これ、ぜんぶ使い切らなきゃいけないの?」という恐怖感にも似た感慨が・・・(~_~;)
日持ちするものならまだいいけど、パンなんか固くなるでしょ。普通の二斤ぶんぐらいあるパンを買ったら、それだけで四、五日は食べ続けなきゃいけない量。でも、だんだんばさばさに、だんだん不味くなってきて・・・

こういうの、やっぱり今日では間違ってもリッチな食生活とは言わないんじゃないでしょうか?
たとえば、お客さんに食事を出すとき、絶対に食べきれない量をださなければホスト側の恥と思う国や人もいますが、私はちょうどみんなが食べきれるぐらいの量を上手くサーヴして、残飯があまりでないのが、ほんとに綺麗なもてなし方だと思うんですよね。「とにかく食べ物を多く出す」というもてなし方は、なんかそれこそ、「食べ物に困っていた」貧しい世代とか国の発想じゃないかなって。もうそろそろそこから抜けて、ほんとにいいものだけを適量にとか、食べ物よりその場の雰囲気に凝るとかいう発想に変わってもいいんじゃないかと思いますね。

女性もみんな働いているので、普段買い物に行く時間もなくて、まとめ買いに都合がいいように、なんでもパッケージが大きくなっているとしたら、それはそれで合理的ではありますが、少なくとも私にとってはそれが逆にリッチな食生活をする妨げになってます。
とにかく、個包装がやたら大きすぎるのよ。
日本では見かけないような、極端に太った人が多いのも、そのせいじゃないかと思うんですよね。スーパーではハムでもヨーグルトでも、何でも低脂肪や無脂肪のものが流行っていて、「fat free!」の文字ばかりが目を引きますが、いくらfat freeでも、あれだけの量を摂ったら、けっきょくカロリーオーバーは免れないと思うんだけど。
私はともかく、食欲を自分でセーブすることを知らない夫は、(密かに恐れていたんですが)アメリカ生活のこの面にだけは早くも馴染んで少しずつ太り始めました。これはマズイと思い、お風呂から上がってきた夫に「ちょっと、そのお腹の肉、どうするつもりよ」と嫌味を言ったら、「いいやん、アメリカに行って少なくともひとつは、自分の『身についた』ことがあったって、人に自慢できるやんか」と、すでに開き直りモード(ーー;)
ああ・・・恐れていたことが恐れていた通りに・・・



地球の一端で

今日はTHANKS GIVING DAYという公休日。神へ感謝を捧げる日、まぁ、たぶん大きなローストターキーを囲んで家族が集まる、といったふうな日なんだと思います。近所の商店も閉まっていたり、早じまいするところが多く、通りを走っている車も非常に少なく静かでした。

新しいアドレスをもらったのでメル友をつくってみようと思うのですが、どうも上手く行かないような。忘れていたけれど、ああいうのを利用する人って、たいてい「恋人探し」が圧倒的なんですよね(^^) たんに「日本から夫にくっついてきた主婦」の私なんて、サーチする側からすれば、その点ほとんど価値がない。
もちろん、世の中広いですから、私と同じような歳で、まだシングルとか、あるいは結婚していたり離婚していて、子供を抱えながら働いている女性などが「世界のいろんな国のペンパルを探している」というケースだって、たまにあるみたいなんですけど。そういう人に、こちらからメールを出せばいいのかな。う〜ん。なんか、ちょっと躊躇しています。
まだ結婚してなくて、そういう「出会い系サイト」にハマッていた頃は、自分がいったん会員として登録されれば、プロファイルを見た男性からどっさりとメールがきて、そのうちのマトモそうな十分の一ぐらいの人を選んで返信していたものです。その人たちとのやりとりが切れてしまったら、ハンドル名を変えてまた登録。そしたら、たった一日で、また降るように新たな相手たちからメールがきた。あーあ。あの頃は、簡単でよかったなぁ(~_~;)
今だって、べつに、登録する時点で自分が主婦だとわざわざ言わなくてもいいし、おつきあいする相手を探している独身の(魅力的な?)アジア女性を演じてもいいんですけど、あとが面倒でしょ。作り話とか嘘では、しょせん続かなくなるんじゃないですかね。いくらボキャ貧脱出の一方法とはいえ、できれば本音でつきあえるペンパルが欲しい。顔も見えない相手と言葉遊びをしていたって仕方ない。それこそすべてがフェイクになっちゃうじゃないですか。本音と本音のおつきあい。それでこそ辞書を引く意欲もわくってもんです。
バーチャル不倫じゃなくて、あくまでも「友達として」ということを考えると、どうしても同性になるのかしら。でも、ただ物見遊山に「日本から夫にくっついてきた主婦」という立場の私って、主体性がないと思われがちな日本女性の典型みたいな感じに受け取られて、アメリカの超ポジティヴ女性たちには魅力的でないのではないかと思ってしまうんですよね。まぁ、アメリカ女性の求めるのは超ポジティヴなワーキング・ウーマンだと思うのも、私のステレオタイプな偏見かもしれませんけど?
どうでもいいけど、自分から行動を起こすのはけっこう億劫なものだとわかりました(~_~;)
まぁ、ぼちぼちやることにします。

けど・・・今になって、夫がまだ日本にいる私に毎日かかさず電話かけてきた心境がわかりますね。
日本からかけるより電話代が安い(一分18セント)こともあるんだけど、やっぱり心細く、寂しかったんだと思います。私も海外を一人で旅したり、中国留学の経験もあるので、海外での寂しさ、よるべない侘しさ、というのはじゅうぶんわかっているつもりでしたが、ここにきて、この景色を見てはじめて、しみじみと、あ〜、そういうことか、と思えてきたものがありますね。

アメリカといってもいろんなところがあるんで、日本人がたくさんいるBIG TOWNなら、ロスでもサンフランシスコでも、ニューヨークでも、それなりに賑やかだろうと思います。でも、アメリカのこのSMALL TOWNの雰囲気というのは、どうも町全体が閑散としすぎていて・・・・私には初体験で、まだ馴染めません。確かに、ヨーロッパの片田舎とか、中国の奥地などとはぜんぜん違った感じがします。たんに日本人がいるいないという問題じゃなくて、なんといいますか・・・まだよくその実体がわからないんですけど。
なんか、やっぱり歴史的ルーツがないんですよ。
もともと人がぜんぜん住んでいなかった土地に、最近になって町をつくったという感じで、それを取り巻くのはまだやっぱり人の住んでいない土地。町を感じるというより、私はここにきて、むしろ自然を感じますね。自然といっても、美しいリゾートの珊瑚礁とか、保護された公園の緑みたいな「飼い慣らされた自然」じゃなくて、むきだしの地球の皮膚、みたいなもの。そのうえを人工的な広い道路が横切り、ドライブスルータイプの銀行や大きなスーパー、ドラッグストアなどが被ってはいるけれど、そこには人がいない。人がいないんです。
人がいない、という印象が強くて、あたかも、地球の一端にひとり放り出されたかのような、寄る辺なさを感じるんです。
いや、実際には人はいますよ。歩いてもいるし、車も走っている。でも、周囲の光景に比べて圧倒的に少ない。それは、たとえば日本の田舎で人が少ないというのとまた違うんです。そういう田舎には、ぴかぴかネオンの光るショッピングセンターなんかあまりないけれど、かわりに昔ながらの古い瓦屋根の家、郷愁を感じさせる田んぼや畑があり、幹線道路以外は農道だったり、ごく細い道だったりして、ひなびた古さや歴史の温もりを感じさせる。これはたぶんヨーロッパも同じです。でも、ここには、そういう、いい意味での古さはないんです。なんか、やっぱり荒野に無理やり建てた模型の町みたいな、そんな人工的な感じを受けるんです。

こんなとこに一年や二年いても、友達とか見つけるのはすごくしんどいと思います。
たとえばパリの街角のように、セーヌ川を写真を撮っていたら、きさくなパリジャンが通りかかって「どっからきたの?日本人?」と話しかけてきてくれるような場所も雰囲気もないですからね。
それに、こっちの英語がたどたどしいのはわかっているくせに、なんでもっと丁寧に喋ってくれようともしないのか、その思いやりのなさは、理解に苦しむところでもあります。やっぱり、下に見られてるのかしら?なんて、勘繰りたくもなりますよ。この謎はまたぼちぼち考えていこうと思いますが。
う〜ん・・・とにかく、今までのわずかな行動半径からいえることは、ここでの暮らしはそう素晴らしいものでもないですね。人と出会う機会が圧倒的にすくない。これが致命的なこと。ここに来ると、たいていの日本人は国粋主義者になりそうです(ローレンス研の知り合いもそうなりかけてるみたいですが)。やっぱ、日本がいい!ってね。
私はまだ二週間たらずしかいないので、まだ何ともいえないですが。まぁ、都会生活に慣れた私たちには刺激に欠けることは事実ですね。まがりなりにも無事に渡米でき、夫をここに一人でおいておかずにすんで、ほんとによかったと思ってます。いつかぶちキレて、「もー日本に帰る!」と言い出すんじゃないかと心配してましたからねぇ(~_~;)
私はともかく、彼には研究という目的がある。でも、人一倍寂しがりだから、こんなとこに一人きりでほっとくと、そのうちヘンになっちゃうんじゃないでしょうかね(^^)

さぁて、どうやって、このさえないリバモアライフを楽しむか?
まぁ・・・私自身の体調の問題もあるし、今のところは Take it easy ですねぇ(~_~;)
このままここで退屈に過ごすのも、それこそリアルで、必ずしも悪くはないかもしれないしね。実際、英語の字幕もでるテレビを毎日見ているだけでも英語力は確実にアップするでしょうし、大きなスーパーで売ってる珍しい食べ物を片っ端から試してみるだけでも一年が過ごせるでしょうからね(^^)



ミラーサイト?

こちらで加入したATTで新しくホームページのアドレスをもらったので、この「まりねこ文芸館」とまったく同じものをおくことにしました。
アサヒネットでホームページを更新するには、こちらから日本のアクセスポイントまで国際電話をかけなければいけないので、アメリカにいるあいだは、ATTのページのみ更新することにします。アサヒのほうは更新しませんが、トップページの更新情報の<Living in Livermore, CA>をクリックするとATTのトップページにとべるようにしておきます。

ATTのアドレスは http://members.home.net/maricat/index.htm です。



ゲストブック

ATTからゲストブック(掲示板)のフォームをもらい、ちょっと手直ししてアップしました。
日本語で書き込んでも、もちろんOK。CityとかState、Countryなどの欄は、書いてくださっても無視されても結構です。名前(実名でもハンドルでも)とコメントは必ず書いてください(^^)

まりねこ文芸館では、このような試みは初めてですが、コンスタントに見てくださる方からメールで「掲示板は置かないんですか」と提案されたことはあるんです。でも、もし何か問題がおこったら管理が面倒というか、何を書かれるかわからないというか(~_~;)、誰も書かないんじゃないか(;_;)とか、まぁいろいろ思ってそのままになってました。実のところ、よく調べてみたら、アサヒネットにはカウンターはあったけど掲示板はなかったんですよ。ATTではこういうサービスがあったので、こっちにいるあいだだけ、利用してみようと思いました。
このささやかなページをご覧になっているみなさん、どうぞ書き込んでいってくださいね(^^)
ゲストブック(掲示板)



e-pal計画

e-palとは、いわずと知れた「メル友」のことです。
英語の勉強のために、どこかそういう「出会い系」のサイトに登録しようっていう計画をたてていたんですが、二、三のサイトで実際に登録してみました。そしたら、ぽつぽつリアクションがあって、いま、ドイツ人とイギリス人と、ふたりの女性とメール交換が始まったばかりです。二人とも、私と同年代でステディな恋人または夫のある人です。
まぁ、これはこれでいいけれど、なんてったってアメリカにすんでるんだから、アメリカ人がベターなんだけどな。と、思ってたら、ロスに住んでる男性からゆうべメールがきました。この人はカレッジで日本語を習っていて、日本に関心があるみたい。本人は二十代後半ですが、teenagerでなくて、私ぐらいの年齢の人と話したい、というんです。
“ I'm really a nice American and I can teach you alot about American Society!!!”
ということですから、あとで返信してみようと思います。
でも、おかしな人。ほんとにいい人だったら、「僕はほんとにナイスなアメリカ人だよ」なんてこと自分から言うもんかしら? そんなこと言ってみても、こっちにしてみればどこにそんな根拠があるの、ということになるじゃない。わかんないですねぇ、こーゆー感覚(~_~;) でも、アメリカ人は言うんだな、これが。

英語版フレンドファインダーは駄目ですね。みんなのプロファイルを見ると、あれはなんていうか、やっぱり「お見合いサイト」みたいな感じが強く、やたら会員の人数が多いので見るのに時間もかかるし、みなさんわりと真剣なんですよ。もう自己アピールの文章がすごい! 量的にも、内容的にも。ここまで書くか?みたいな。こういうところは、日本人男性にはもう真似できないところですね。いっぺん、覗いて見てください。すごいですよ。“ ヘイ、俺は本気で付き合える相手を探してるんだ。メールだけでの言葉遊びはゴメンだぜ ”というようなのとかね(~_~;)
なんか、外国語はなんでもそうですが、相手がどういうニュアンスで言っているのか、微妙なところがわかりにくいです。顔を見て話してもそういう感じなのに、メールでとなると・・・この人はどういう人か、ということが、わかりにくい。まぁ、youをuと書いたりするような相手は避けてますが。そんなくだけた表現はいいから、こっちはもう少しちゃんとした英語が知りたいですもんね。それこそteenagerじゃないんだから。
女の人だといちおう無難だけど、男の人だと、何考えてるか余計にわかんない。日本人女性に対する偏見(主体性に欠けていて、YES-NOがはっきりせず、相手のいいなりになりやすい)もあるだろうし、それに、日本のマンガやアニメって流行ってるから、そんなのが好きで「日本人と付き合いたい」みたいな「おたく君」もいそうでしょ。べつにアニメが悪いとはいわないけれど、私はあまり関心ないんでねぇ・・・
とりあえず、まあまあマトモな人のようだと思えばメールだしてみて、何人かe-palをつくって、毎日、一通ずつでも英文メール書いていけば、学生時代やってた英語の勘みたいなのが、ある程度戻ってくると思います。ほんと、今は一通書くのに二時間ぐらいかかって書いてるんですから、マジに勉強ですよ、これは(~_~;)

みなさんも興味があったら、トライしてみてはいかがでしょうか。
案外、相手の英語も簡単ですよ。新聞や文学作品を読むわけじゃないんだから。
「penpal」というキーワードで検索したら、そういうサイトが山のようにでてきます。男女の出会いが主な目的のものが多いですが、無料のものから会員制のもの、ある特定の宗教信仰者専用からティーン専用のものまで、いろいろあります。私のオススメは、国内版では、わりと真面目に海外交流に取り組んでいる様子の、「海外メル友掲示板−インフォエクスチェンジ」。メールの書き方とか、マナーとかも親切に教えてくれます。あと、海外のサイトでは、「Penpals Now!」。ここはアットホームな感じがあって、あまりしゃかりきなムードではないけれど、それが気に入ってます。あと、「International Penpals」「Pals Online」も気楽に参加できますね。もちろん、すべて無料サイト。私もここに自分のプロファイルおいてます(^^)
哀しい国やねん (1)

なんか、ここに来てからのアメリカの印象ですけど、「先進国」らしさが見えてこないっていうか、「世界をリードする大国」らしさが見えてこないっていうか、なんやねんこれは、と思うことがしばしば。

私たちが住んでいるこのアパートメントですが、こんな田舎町だというのに、やっぱり家賃は日本と同じぐらい高いんですよ。だから、わざわざここに住んでいる人は、この国でも比較的余裕のある層に入るんじゃないかと思います。あの広告の写真はどうやって撮ったのか知りませんが、実際の建物は、あの写真から受けるイメージとは大違い。
部屋に入ると天井は高くて、それは気分がいいけれど、内装自体はけっこう安普請です。間取りはベッドルームがふたつにバスルームも二つあって、あと、リビングとキッチン。日本の一般的なファミリー向けマンションより、若干広いです。リビングに、ほんとに火が焚ける暖炉があるのを見ると、一瞬「ほう!」と思いますが、でも、バスルームなんか、ちゃちなポリ浴槽だしすごく狭い。とてもじゃないけど、お湯をはって、その中で優雅にくつろげる雰囲気じゃないですね。シャワーカーテンを引くと一層狭いので、マンション内で他の住人とすれ違うと「日本人のなかでも小柄でスリムな私ですら狭く感じるのに、この人たちは一体どうやって身体を洗っているのだろう?? 絶対に身体がはみださずにはいられないだろうに」と思いますね。謎です。

なんで狭いバスルームを二つもつくるのかはわかりません。ひとつにして、そのぶん広くしたほうが合理的というか、快適だと思いますが、たいていこのぐらいの広さがあれば、バスルームは二つあるものなんだそうです。これはアメリカ人に聞いても「おかしいと思うけど、そうなってる」という答えだと夫は言っていました。
まぁ、もう慣れてしまったので、住んでいて違和感というのはありませんが、違和感がないことが逆にちょっと哀しい。まるで、日本のマンションでの生活と変わらないんですもん。変わっていることといえば、冷暖房がセントラルなことと、洗濯機や乾燥機、食器洗い機がもとからビルトインされてることぐらいです。でも生活の便利さでいうと、それでもぜんぜん変わらないですね。電気・ガス代がすごく安いんで、冷暖房や電灯もお金を気にしないでドンドンつけっぱなしにできることはいいんですが、それで「わー、アメリカっていいな」っていうんでもないですよね。むしろ、こんな無駄なことしてていいの?って感じ。

で、アパートの管理棟というか、事務所があるんですが、そこはわりとこぎれいにしています。でも、きれいなのは見た目だけで、仕事のほうはというと・・・たとえば、今、改築工事をやっているのですが、これはもうほんとなら、私が来る前に済んでいてもよかったことなのに、いまだにダラダラ続いている。何月何日に窓のサイズを測りに行きますというお知らせがドアの間に挟んであっても、実際には来なかったりして。いつ終わるのかと聞いてみても、「さぁ、もうじきだと思いますよ。ここんとこお天気悪かったですからね」という感じ。
この前は、洗面所のストッパーが壊れたので修理を頼みに行ったんです。事務所には中年の女の人がいたんですが・・・
「あの、バスルームのストッパーが壊れたんで直して欲しいんですけど(オズオズ・・・)」
「(聞き取れない)え?なにが壊れたですって?」
「(ゆっくりと一語一語区切って)洗面所のボウルのなかのストッパーです」
「オーケイ、わかったわ。誰かに直しに行かせます。中央の? それとも端っこのバスルーム?」
「中央のですけど。あ・・・その人いつ来るんですか?」
「そんなのわからないわ、今から連絡しないと」
「ええと、来る前に電話してもらえます? 私が家にいないと・・・」
「ああ、鍵は持ってますから大丈夫、あなたは家にいる必要ないのよ」
「でも・・・(知らない間に家に入られたくないし)いつ来るか知っておきたいんですが」
「だから今はわからないわ、いつになるか。彼に言ってみないと」
「彼はケイタイもってないんですか?」
「もってません」
「はぁ、わかりました(すごすご引き下がる・・・)」
という調子。
で、待ってると数日後、出し抜けにやって来て直してくれるんですが。なんでケイタイぐらいもってないの? 普通、もってるでしょ、日本のそういう人たちだったら。で、今から何分ぐらいで行きますとか何とか、連絡してくれるでしょ。連絡もなかったら、来てくれたはいいけど、その時、私が寝ていたりお風呂にはいったりしてたら、一体どうなるのよ。ったく。事前に電話ぐらい入れて欲しいですよね。私は賃貸住宅に住んでなかったんで、借家に住んでる立場としては、これも当たり前なのか、よくわからないんですけど。

日常ささいな苛立ちはまだまだあって、たとえば、とある新聞が日曜日ごとに配達されるんですが、もちろん、契約した覚えはなし。以前に住んでた人が契約してたのかもしれないと思い、管理事務所に言ってみたら「じゃあ、そこに電話して配達をストップさせるようにします」といってくれたはいいけど、それからも配達され続ける日曜版。人に頼んでちゃ埒があかないと思い、自分でそこに電話して、もういりませんから配達しないで、となんとか伝えて安心していても、次の日曜版はやってくる・・・なんで? もうお手上げなので、ほってますけど。お金の請求が来ても、絶対に払う義務なんかないですしね。
また、そもそも電話が通じないことも多いんです。たとえばある会社に用事があって電話をかける。でも、営業時間だというのに、なかなか誰もでない。オフィスに人がいないなんて信じられないでしょ。留守録テープが虚しく回っているだけ。あるいは、ただいま別の電話にでております、しばらくお待ちください、というテープが流れる。それで切って、また何回かけなおしても同じなんですよ。夫いわく、そういう時は十分や二十分ぐらいはそのまま待ってないかんねん。切ったらあかん、ということですが・・・なんでやねん?
なんでこうも非効率的なのか、納得できかねますねぇ。

昨日はドアの鍵が壊れたんです。ほんと、見かけ倒しの安普請だから次々と具合が悪くなる。
買い物に行こうとしたら、どうしてもドアの鍵が内側から開けられない。なぜ???
あせった私はベランダにでました。すると、ちょうど改築工事をしている人が二人、すぐ下にいるではありませんか。三階なので、充分声は届くし、表情もわかります。私はその人たちに叫びました。
「ちょっとすみません!私、困ってるんです。ドアが開かないんですよ!手伝ってもらえます?」
彼らは首を振って肩をすくめるだけ。私は自分の発音が悪いのだと思い、もう一度繰り返して言うと、彼らはひどく訛りのある発音で、I can not speak English と言うんです。
仕方がないので事務所に電話をかけて、すぐに来てくださいというと、今度はすぐに修理人を寄越してくれました。その男性も妙に訛った発音なので、聞くと、フィリピンから来て二十年になる、ということでした。私のことを韓国人かと聞くので日本人だと言ったら、「日本はいいネ、給料高いだろ、たとえばレストランで働いたら、いくらぐらいもらえる?」とお金の話に。ネイティヴの発音でも早すぎてわからないのに、訛った英語のわかりにくさときたら! でも、なかなか親切な人で、なんとかドアの鍵は直してもらいました。彼に、ベランダの下で働いている工事の人たちは、英語がわからないようだったと話すと、「ああ、彼らはメキシコ人なんだ」と教えてくれました。

この国にはたくさんの「ネイティヴ」でない人たちがいます。そもそも、WASPだって彼ら自体、ネイティヴじゃない、もとはといえば、ここはインディアンが住んでた国なんです。
しかし、ああいう人たちは、英語も喋れないで、一体どんな家でどんな暮らしをしているんでしょうか。



哀しい国やねん (2)

まだここに来て一ヶ月もたたないし、行動範囲もごくごく限られたものなので、このアメリカ暮らしを今の時点でなんとも評することができませんが、私はよく、かつての中国留学と比較してしまうんです。

なにもかもが違ってます。なにもかも。
あのときは独身だったし、まだ五歳は若かった。体調はよくて好きなものは何でも食べられたし、行きたいところへはどこへでも行く体力があった。
語学留学なので、学校や寮には日本人の仲間がいた。物価は驚くほど安く、私たち日本人は連れ立ってわいわい騒ぎながら、きらびやかな外資系ホテルの高給レストランやカラオケバーにたびたび出入りすることもできた。むろんそこは普通の中国の人たちには縁のない場所だったんですが。
留学生担当の先生たちはみな親切で、私たちが口にする不満を受け止め、できうる範囲で改善しようとしてくれていました。日本から来た私たちが日常生活に不便を感じるのは当然だという認識があったんです。双方に。
洗濯機は一台しかなく、それを大勢で使うので、直しても直してもすぐに壊れてしまう。寮にはガスコンロがふたつあるきり、調理場もない。不便で不快なシャワー室とトイレ。不衛生きわまりない食堂。
外を歩けば道には砂ぼこりが舞い、道路の敷石はところどころはがれてでこぼこ、アパートの窓からはゴミが投げ捨てられてくる、買い物をすれば必ず平気で割り込んでくる人がいる・・・
不快で困ったことは多かったけれど、だからこそみんなで協力しあわなければ、どうにもならないといういう意識もありましたね。しぜんと、コミュニケーションも多くなる。
涙あり、笑いあり、馬鹿馬鹿しいほど根源的な人間らしさがありました。

今の生活は、現場のコミュニティーに入り込んでいないので、孤立したもんです。
夫にしても、ああいう研究所では、ごく限られた何人かの人と話すだけだといいますし、私にしても、体調のこともあって、なかなかここのコミュニティーに入っていくことができない。このリバモアで、夫とふたりぼっち、そんな感じがしますね。私はこういう性格だし、まぁパソコンなんかもフル活用(?)しているので、それをさして苦痛にまで感じてはいませんが、また違う性格の奥さんだと、こういう日常では「退屈死に」しそうになるかもしれません(~_~;)
それでも、ここにはなんでも揃っています。デッシュウォッシャーから衣類乾燥機まで。生活自体は快適だと言えます。スーパーには見たこともない食べ物がどどーんとあふれているし、人々はきちんと順番を守って並んでいるし、レジでは店員が“ Hi, How are you?”なんてにこやかに話しかけてくるし、テレビでは日本の番組まで見ることができます。それはそれですごくいいんだけど、快適さの実感というのは、日本にいるのと、さして変わらないような気がします。だから、外国に来ている、という感じがしない。中国のように、見ただけで「うわ!」というのはあまりないですからね。やっぱり、コミュニティーに入り込まなければ、非日常というか、何らかのカルチャーショックというのは見えてこないんじゃないかと思います。戦後、アメリカナイズされた現代日本に馴染んでいる私たちには。
でも、それがなかなか難しそうな気がしています。これ、勘だけで言ってますけど。

中国では、私たちはいわば特別なお客さんとして扱われてました。現地の人よりずっとリッチだから、付き合えば何かいいことあるんじゃないかと期待されるような存在でもあった。でも、ここでは違いますね。お客じゃなくて、なんていうんでしょう、英語もろくろく喋れない、たんなるよそ者なんです。そういうニュアンスで立場が違うんですよ。
それに、私には階級というのがまだわかりません。アメリカは自由の国だから、ヨーロッパのように階級なんかないと思っている人もいるかもしれませんが、すごく複雑に存在するような気がします。ここにはいろんな人種の人々が生きていて、単純にお金持ちだから上だとは言い切れないような感じがあるような・・・。
そういう階級の感覚は、私たち日本人にはわかりにくいものではないかと思うんです。だって、日本にいたら特に意識しないですもんね、「あのお方は華族の出よ」なんて。イギリスの現代小説なんか読むと、いまだにそういうのがしっかりと根づいているんだなーって思うんですけど、アメリカではそういう貴族とかじゃなくて、人種によって差別するとか、出身や宗教によって差別するとか、そういう意識がやっぱりありそうな気がします。あいつは「〜系アメリカン」という感じで。
こういうのは、なかったですね、中国では。もしかしたらあるのかもしれませんが、貧富の意識のほうがよほど大きいような。富める者が上、の世界なんです。こっちのほうが、わかりやすい。

私は、知り合いの中国人に留学中は大変お世話になって、なにかと気を使ってもらったものですが、その人はある時、私に言ったんです。もう留学も終わりかけた頃になって。
それは、「これまで私の家に遊びに来いと言わなくてすまないと思っています。中国人は、友達になると必ず家に招いて食事を共にするんですが。でも、私の住んでいる場所はまだましだけど、その周りにはすごく貧しい地域があるんです。すごく汚くて、環境の悪いところが。私はそういうものをあなたに見せたくはない。これは私の中国人としての面子なんです」というようなことでした。
私はその言葉が忘れられません。
その人には悪いけれど、私は留学中、あえてそういう「裏通り」を歩いてみたりもしました。表面的な友好でなく、そういう現実をも見ることが、私には必要なように思えたからです。べつに危険だとは思いませんでしたが、何らかのカルチャーショックは受けましたね。
正直にそう言ってくれたその人に、いや、親切にしてくれた中国の人たちに、私はできるだけ誠実でありたかった、でも、私はやっぱり考えが足りなさすぎ、今にして思えば、ああ言えばよかった、こうすればよかった、と思うこともあります。その時は、それがいいと思って言ったこと、したことでも。
言うべきだったのに、言わなかったこと、言うべきでなかったのに、言ってしまったこと・・・もうとり返しがつかない。本当に、懺悔したいようなこともありますが、私はそれでも、それら全部をひっくるめて、あの頃の日々がいとおしい、いまはそう思います。そして、私は中国の人々が好き、いや、好きという言葉では表わせない、複雑なシンパシーを抱いています。

国、なんて普段はあまり意識しないけれども、それは常に私たちの頭上にあるものなんですね。そして、どこの国も、お客さんに見せる表玄関のその奥には、いろんな問題や病巣を抱えているものだと思います。人間の集まりなんだから、当たり前です。それを見るか見ないかが、ツーリストとレジデントの違いなんだと思います。もともと私は絵葉書に描いたようなアメリカンライフには関心がないので、この扉の先には何があるのか、もっとずんずん入り込んでみたいと思うのですが。でも、それにはナビゲーターが必要ですね。相応の体力も。中国と違って、一歩間違うとここには深刻な危険が待ち構えていそうですから。あと九ヶ月の間に何が見られるか? ここから帰国するとき、私がこの国に対して何を思い、どんなふうに感じているか、私自身にはそれが興味深いことです。サンフランシスコのエアポートでそのとき私は、別れに伴うあのせつなさを、果たして感じられるのでしょうか?


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