神の国ぃ?

お天気のいい日が続いていたので、丘の緑の牧草も黄色くなりかかってましたが、最近またちょくちょく雨が降ったりして、多少持ち直すかもしれません。でも、真夏になれば、スプリンクラーの回っていない自然の丘は一面に黄色くなってしまうのは間違いなさそうです。

ヨーロッパではあまり見かけなかったと思うのですが、こっちの人って意外にも造花好きですね。造花やアートクラフトを売っている大きなお店があって、デパートにもコーナーつくってます。ヨーロッパの人は、「造花なんて」と眉をひそめそうな感じですが、アメリカ人の合理的な性格には合ってるのかも?
あと、ろうそくも好きみたいですよ。いろんなサイズ、色かたちで、凝ったつくりの香りつきキャンドルが、スーパーにでも、どこにでも、これでもかとばかりに売られています。ほんとにろうそくばかり使っていたら、窓や壁が煤で汚れると思うんだけど。昔、私もお香に凝っていたことがありましたが、すぐ部屋全体がすすけてくるんです。窓ガラスとか目立ちますね。で、けっきょくやめたんですが。ふだんからその日の気分でフレグランスをつけているので、部屋にほかの香りがあるというのも邪魔だし。で、こちらでも香りつきキャンドルは買ってません。でも、造花は買いました。なぜって、ホンモノの花は日本のスーパーなんかより若干高いんです、切り花にしろ、鉢花にしろ。そのうえ、水質が違うからか、せっかく切り花飾っても長持ちしません。仕方がないので、よくできた造花を飾ってますが、やっぱり味気ないですね。
生きた花だと、「昨日はつぼみだったものが、今日は咲いてる」とか、時間と共にそういう新鮮な感動があるんですよ。でも、造花はといえば、そりゃきれいだし、遠目から見るとホンモノと変わらないくらい精巧にできてもいるんだけど、いつ見ても同じ。なんか、面白くないですね。いくらきれいでも、愛着もてない。

生きたものって、たとえば植物でも、水や肥料をやったり植え替えをしてやったり、そういう世話をするなかで、それに対する愛着が養われていくものだと思います。
いろんな猫が遊びに来て、見てるとすごく可愛い。これはまだ愛着じゃない。餌をやったり遊んであげたりして、だんだん愛着がわいてくるんですよね。そういう意味でいえば、私はタレに一番愛着感じてます。今も、タレの写真をパソコンの壁紙にしてるくらい。オレやくろは、まだお客さんっていうか、まぁ、オレはべったりうちに入り浸って第二のタレになりつつあるけれど(~_~;)、フンとか始末してないですもんね。餌やるだけよりも、フンの始末まで面倒みて、はじめて愛着わいてくるってとこがあるんじゃないかなぁ。
レイチェルさんからメールがあって、タレはここから少し離れたウォルナッツクリークに住んでる女の人にもらわれていったとわかりました。メールによると、すごくいい人で、すでに猫を一匹飼っているけれど、その猫の友達としてタレを里子にもらっていった、ということらしいです。
ウォルナッツクリークはきれいな街だし、その方もすでに猫を飼っていらっしゃる方なら、きっと猫好きで、飼い方などもよくご存知でしょう。タレはいいところにもらわれたと思います。ほんと、運のいいやつです。先住猫が受け入れてくれるか心配だけど、タレは他の猫に悪さをしかけるようなタイプじゃないし、餌の順番も黙って待ってるようなおっとりしたやつなので、たぶん仲良くやっていけるんじゃないかと思います(^^)

ところで、最近あまりニュースみてないから詳しいことは知らないんですが、日本じゃなんかまた少年の凶悪犯罪が立て続けに起こってるみたいですね。主婦殺人とか、バスジャックなど。一方では、森首相があきれた「神の国」発言。どーなっちゃってるの、という感じです。
アメリカだって、少年に限らず凶悪犯罪が多いし、それこそ、心ある大人はみんなこぞって「近頃の若者のマナーは最低」などと言っています。一国の大統領はなんとホワイトハウスで不倫してたわけだしね。どっちがどうってこともない、イカレてるのはみな同じ。

しっかし、少年犯罪にはそこにまだやりきれない哀切さや心の痛みを感じますが、「神の国」発言には、もう「なにこの人」っていうか、開いた口がふさがらない、「はぁ?」って感じだけですよ。
こんなの、アジアの近隣諸国の人が聞いたら「何を時代錯誤なこと言ってるの」じゃ済まされないだろうし、ヨーロッパやアメリカのいわゆる西洋人が聞けば、日本人とは摩訶不思議な精神構造で、とてもワールドワイドなお付き合いはできかねる民族だと受け取られるかもしれません。なんか、海外に暮らす日本人としてひじょーに恥ずかしいです。
ったく、そのうち、私は日本人ですと言ったら、「ああ、神の国の人ね」とか茶化されるんじゃないかしら?
セックス・スキャンダルのほうがマシだとは言わないけれど、まだなんというか周囲にばらまく危険は少ないんじゃないですか。それにひきかえ、なんですか、神の国ぃ? いや〜、やっぱちょっとヘンなんじゃないこの人? まだ十代の少年が人を刺し殺したような事件が起こったあとで、よくそんなノーテンキかつ過激なことが言えますね。「人を殺してみたい」と思う十代の少年がいる、こんな時代だからこそ若者たちの現状を憂い、一国の行く末を案じるのがトップとして普通の感覚だと思うけれど?
なんていうか、愛がないなぁ。
自分にも子供や孫たちがいるだろうに、心が痛まないのかな?
自分たちがこれまでつくってきた社会の、どこがいけなくてこんな事件が起こるのか、とか、考えないのかしらね。

国をつくってるのは人間ひとりひとり。日本に住むひとりでも多くの人が人間として幸福を感じられる、生きていることに喜びを感じられるように願い、かつ行動する、それが国のトップたる者が本来すべきことだと思いますよ。
愛が欠けてる以上に、思慮にも欠けてるんじゃない?
若者たちが決定的に大人に求めているのは、教育勅語なんかじゃなくて、まさにその二つだと思うんだけど。
いや〜、久々にぶったまげたニュースでした。

アメリカの神社

これまでは比較的涼しい日が続いていたのに、おとといの夜から暑くなり始め、昨日も今日もまさに真夏日。暑い〜〜っ! 車に乗っても、シートは焼けてるし、窓からは容赦なく日が照りつけてくるし。家の中のほうがまだ涼しい、といってもクーラーなしでは過ごせませんでしたが。

そんな暑さのなか、昨日はジムさん(例の合気道の人ね)に誘われて、リバモアから車で小一時間ぐらい東にあるストックトンの神社へ行き、創立十三年記念祭を見てきました。アメリカには神社というのはすごく少なくて、ここを入れて、全国でみっつぐらいしかないそうです。ちょっと意外でしたね。
記念祭といっても、まぁ、こぢんまりしたもので、参加者といっても、五十人もいたかしらって感じです。でも、日系人だけじゃなくて、いろんな人種の人が来てました。なんだろう? ジムさんといい、たんなる東洋趣味を越えて、もっとディープな文化や哲学の分野まで、日本に傾倒している人がいるのは驚きです。
神主さんが祝詞をあげるのを見て、玉串を捧げたりしたんですが、ああいう神道の儀式って日本でも見たことがなかったので興味深かったですね。セレモニーが終わるとバイキング形式の昼食がでて、それ食べてから帰ってきました。

これ言っちゃ悪いかもしれないんだけど、その行事の間じゅう、そこに何らかの神聖さ、神の気配みたいなものを感じることはできませんでしたね、私には。御神体の鏡も出して、おそなえもしてたんですが、なんか、そこに特別なものを感じることはできませんでした。私はまぎれもなく「神の国」から来た人なんだけどね(^^)
でも、「場の持つ力」というのは確かにあります。以前、イタリア旅行をしたとき、バチカンにも行ったんですが、ここには、なんていうべきか、ものすごい引力がありましたね。観光客で込み合っていたにもかかわらず、そこには綿々と中世から受け継がれてきた場の力というようなものがヘヴィに感じられます。それを、「歴史の重み」と言いかえてもいい。
とにかく、ドームに入った瞬間、その重みに圧倒されて、思わずひざまずかねばならなくなるような、そんな気配がそこには満ちていたんですよ。カメラのシャッターを押している観光客の群れをそのなかに抱えてなお、そこには多くの人々の血と魂を吸いとった建造物に特有の、「場がつくりだす力」というものが働いていたわけです。
その怨念じみた力にくらべて、カリフォルニア晴れの陽気に照らされた御神体の鏡の、なんとまぁ、モダンで明るいことよ(^^)

さて、猫たちですが、くろとオレは相変わらず毎日やってきます。が、ブチは失踪したまんまだし、みけも最近みかけなくなりました。どうしちゃったんでしょうね。
そういえば、先日のことですが、諸行無常の光景を見てしまいました。
アパートのオフィスに用があって歩いていると、駐車場前の道にしゃがんで、くろが何かくんくんしていたのが目に入ったんです。「くろ!」と声をかけて近づいていったら、くろは、いつものように「にゃ〜」と言って足元にすりすりするんですが、こいつがさっきまで前足でつついていたものをよく見てみると、それは小鳥のヒナの死骸。もうひからびかけていて、そのあたりにはアリが。きゃ〜(~_~;)
ぎょっとして、くろを見ると、くろはまた「にゃ〜ん」と鳴いて、私を見て、それからそばの木の梢を見上げています。どうも、そこに鳥の巣があって、この哀れなヒナは巣から落ちて死んでしまったものと見えます。しかし、こういうときのこいつの表現力には感心させられますね。
私が「くろ、こんなの食べたらダメっ」と、死骸を取り上げようとすると、くろは何するのよと言わんばかりに、えらい勢いでささっと取り戻してしまいました。こんな腐りかけの死骸、食べても大丈夫なのかと思いましたが、まぁ、これもこいつの生きざまだからと無理に取り上げるのをやめ、どうするのかと見ることにしました。そうしたら、アリのいないところに前足でころころ転がしていったかと思うと、しばらくふんふん匂いを嗅いで、なんと、頭からがつがつ食べてしまいましたよ。ひぇ〜、くろ、あんたって野生。
いつも餌をねだりに来るのはいいけけど、人が見ていないところで何を食べてるか、知れたもんじゃないと思ったことです。見ていて気持ち悪かったのは事実ですが、う〜ん、「自然だなぁ」というか、なんともいえない無常を垣間見てしまったような気になりました。

CDから流れてくる雅楽に合わせて行うセレモニーよりは、こういうふとした出来事のほうに、よほど「神」を感じさせられますね。私にとって、くろは、なんとはなしに因縁めいた猫です。

研究所

研究所というと、なんか知的な感じだけれど、うさんくさいイメージもありますよね、実は宇宙人の死体が隠されてるんだとか(~_~;)←(こればっか)。私がリバモアで実際に見た研究所の様子を今回はリポートします。といっても、中は入れないんですけど。

ローレンス研究所と夫の所属するサンディア研究所は、道を挟んで隣り合わせにあります。国立研究所なので、看板にはアメリカを象徴する鷲のマークがついている。敷地は1マイル四方以上あって非常に広く、各分野ごとに別れた平屋の建物(高いビルは少ない)などがいくつか建っているのです。そーですねぇ、ちょっと見には何かの工場みたい。広いので、建物から建物へ敷地を移動する時のために、すごく旧式の自転車が用意されていて、みんなそれを使うんだそうです。きれいに手入れされた芝生のなかに超モダンな白亜のビルが立っていると思っていた私は、ちょっと拍子抜け。リバモア市の東はずれにあって、周りはほとんどブドウ畑ですね。牧草地には牛が放されていたりして。まぁ、のんびりしたところです。とてもじゃないけど、最先端の核研究が行われている場所とは思えない。かーっとパソコンのモニターを睨んでカタカタカタとキーボードを打っている人々の隣に、牛がいるなんて(~_~;)
やっぱ、研究所なんて、もっとネバダ砂漠の奥とか、それこそ人里離れた辺境に建てなきゃ、それっぽくないんじゃないかなぁ。もっと、こう、秘密を抱えてますって感じじゃなきゃ(~_~;)
なんか、科学関係のイメージって裏切られることが多いんですよね。我々が馴染んでいるSF映画やそのイメージが、いかに嘘っぽいかってことがわかります。誰も白衣着てないしぃ(~_~;) 歩いてる人たちを見てたら、この人もあの人も、きっと科学者って言われる部類の人なんだろうと思うんだけど、フツーですよ。服装とかは全体にリラックスした感じです。なんか、異常によれよれの格好してる人も中にはいるらしいしね。でも、これは科学者っぽいか(~_~;)

建物を区切っている柵があって、ゲートから入るには身分を証明するカードが必要です。研究所で働く人々はみんなこのカードを首からぶら下げています。その人間のポジションによって、入れるエリアが決まっている。もちろん重要エリアには、銃をもった警備兵がついているわけです。夫の身分は「ゲスト」なんで、そんな恐ろしいエリアには入れません。たぶん一番警備の緩いところじゃないかしら? 外からちらっと建物だけ見ましたが、平屋で、工場の事務所みたいな感じでしたね(だいたい、アメリカ郊外の建物はたいてい平屋なんです。スーパーでも、ハイスクールでも)。建物の近くには入れないのでわかりませんが、やっぱ殺風景なところですね。夫が嫌がるのもわかるような気がします(~_~;)

変わっていく周囲、変わらない私

海の向こうでは家族がらみでおめでたいことが続いています。
いま弟のお嫁さんが妊娠中で、この11月には生まれる予定だし、長いこと結婚が決まらなかったイトコのお兄さんも、お見合いで意気投合する方が見つかり、この夏には結婚式。いや〜、もういい年だったから、年貢の納め時ってやつね(^^)
弟のお嫁さんはもう五ヶ月なんだけど、まだつわりが残っていてけっこうつらそう。つわりって言えば、うちの母なんか、「ちょっと食べ物の匂いにむかつくぐらいで、ほんとに吐いたりせえへんよ。テレビでウッとかやってるのは、大袈裟」などと言っていたので、そんなもんかと思っていたら、やっぱりそうでない人もたくさんいるみたいで、ほんとにひどくなると、何も食べられないとか、入院しなきゃいけないとか、そんなことになってくるみたいですね。本人の体質によるようです。病院の先生に、外出を控えるようにも指導されていて、ずーっと家でごろごろしているので退屈してるとかメールで言ってました。私はまだ産んだこともなければ、そんな兆候もないので何ともアドバイスできないですけどね(~_~;) まー、端から見てるとけっこう大変そう。でも、一応おめでたいことだから。
うちの親にとっては初孫ってことで、可愛さひとしおって感じになるんじゃないかと思います。私にしても、ほっとした部分ありますね。もし私に子供ができなくても、親には孫ができたってことで。だって、孫欲しがってたから。うちの親くらいの歳になると、よるとさわると孫の話、嫁の話、婿の話になるらしく、私も弟もまだ結婚してなかった頃は、親にしてみれば、なんというか老人社会からつまはじきになってるみたいな被害妄想あったと思うんです(~_~;) これで念願の「孫自慢」ができるんだから、そりゃ嬉しいでしょうよ(^^) でも、私たちの結婚が遅れたり、孫を持つのが遅れたせいで、「子供や孫のない人の気持ちがわかったから、もうむやみに孫自慢とかはしたくない」とも言ってましたけど。

しかし、自分のことを振り返ると、変わっていく周囲に比べて、私は何も変わってないなぁと思うんですよねぇ。う〜ん、この一年半の間に、結婚はしたし、旅行には行ったし、病気にはなったし、アメリカくんだりまで来て生活してるし、客観的に見れば、いろんなことあったじゃないのってことになるかもしれないんだけど、私自身のなかでは、何も変わってないかなぁと。
わからないのかもしれない。自分では。少しずつ変わっていってるんだけど、変化に気づかないっていうか。こんなふうに思うのは体調のせいが大きいかもしれないですね。アメリカで暮らしたら、あれもしようこれも、とか思ってたから。せっかくだからメキシコとか南米とかまで旅行してみよう、とかね。でも、いまんとこ、そういうアクティヴなことができるか、いまいち自信ない状態。この生活もあと四ヶ月を切ったと言うのに、このままではもったいないなぁと思う気持ちがあるからかしら?
なんだかんだ言いつつ、カリフォルニア生活にはずいぶん慣れましたし。たぶんみんなすぐ慣れるんだと思います。そんなにカルチャーショック受けないですよ、私たちにとっては。子供の頃からアメリカ文化ってじわじわ浸透してるじゃないですか。中国へ行ったときは、生活のスタイルそのものに驚きがあったけど、ここではあまりないですね。まぁ、見てるぶんには。
この前、キッチンのディスポーザーが壊れたときも、また二度三度言わないと何もしてくれないようなことがあって、そういうのにはやっぱりうんざりするんだけど、ジムさんたちと神社に行ったとき、お昼をいただきながら、ジムさんのお友達とか、たまたま知り合った人たちと話していたら、それは私たちの英語力の問題とかじゃなくて、この国ではそういうサービスは悪いんだ、ということを言われて、妙に納得しました。サービスの悪さについては、人種差別とかじゃなくて、誰が何を言っても同じで、とくに、電話会社の対応は最悪だと言ってましたね。だから、みなさん口を揃えて言うには、「とにかく何度でもしつこく言わなきゃ駄目。で、もっと強い態度で怒らなきゃ」と。そういうのはフラストレーションたまりませんか?って聞くと、「そりゃー誰でもたまるよ。でも仕方ないからさ」ということでした(~_~;)
ああいう、修理屋とかサービス業の賃金というのは安いんだそうで、それがサービス精神がないことの原因だろうと言ってましたね。あと、これは別の人が言ってたんですが、こちらの公務員は日本よりずっとサービス悪いって。だから免許証を発行するだけのことに何ヶ月もかかったりするんですかね。
サービス精神と通じると思うんですが、車の運転マナーも悪いですもんね。日本一マナーの悪いと言われている大阪人の私が言うんだから、その程度がどんなものか想像してくださいよ。ちょっとしたことでクラクション鳴らすし、ウィンカーもださずに強引な車線変更する車が多いので、フリーウェイを時速130キロでとばしているときなんか、ほんとにヒヤヒヤします。アメリカ人に聞くと、「アメリカ人は運転するとき後ろは見ないんだ」そうで・・・(~_~;)
まーともかく、そういう部分に慣れると、ここは暮らすのに困難なところではないと思いますね。このままもう一年暮らせ、と言われても、夫はともかく、私はぜんぜん平気です。

何か新鮮なことがないと、どこかへ向かって走っていないと、自分だけが周りの変化から取り残されてるみたいな気持ちになります。
でも、何を求めたら?
いったいどこへ向かったら?
焦燥というのじゃないけれど、そんなふうに日々思う今日このごろ。
言いたいことはあるような、ないような。
山のような議論を、したいような、しても仕方ないような。
心は飄々として寝ている猫みたいに怠惰、いつ目覚めるのかなぁと思いますが・・・でも、これはこれでシアワセってことなのかにゃあ? ねぇ、くろ、どう思う?
いつも人間はないものねだり。


モントレー

この月曜がメモリアルディでお休みだったので、こちらでは三連休となりました。こちらでは連休というのは少ないので、ちょっと日本のゴールデンウィークみたいなもんですか。
で、先週の土曜、朝九時ごろのこと。この連休をみなさんどうしていらっしゃるのかと、御無沙汰している日本人家庭二軒ほどに電話をかけてみたら、どちらもお留守。受話器を置きながら、
「ちょっとぉ、誰もおらんやないの。いったいみんな、どこ行ってんのかなぁ」と私。
「そら連休やし、どこか遊びに行ってんねやろ」と夫。
「なぁ、あたしらもどこか行かなあかんのとちゃうのん?」
「よっしゃぁ、ほんならモントレーでも行こか!」
ということで、急きょ一泊の予定で荷造りをしてモントレーに行ってきました。
その日の朝までなぁんにも計画立ててなかったくせに、エエカゲンなもんです(~_~;)
いつも私たちってこんなんですよ。アバウトというか、計画性がないというか。旅行だからってカメラ持って出ても、ろくすっぽ撮らないし、また、写真を整理してアルバム作ったりもしないし・・・そういうことをするのが楽しいっていう人がいたら、代わりにやってもらいたいくらいです(~_~;) デジカメになってから、余計に写真の整理なんか面倒ですね。だって、いちおうパソコンに落としておいたらどうせいつでも見られるし、ってな感じで。

さて、モントレーは少し南に下った海岸沿いの街ですが、e-palに送った文章をここに貼りつけておきます。
Monterey is a small port town, which are famous for a huge aquarium and Steinbeck.
It takes about 2-3 hours by car from here to Monterey via Santa Cruz.
We stayed at an inn which was standing between the shore and "Cannery Row".
"Cannery Row" is name of the main street, and it is also the title of a book which was written by Steinbeck.
We could enjoy walking along the shore and breathing sea breeze enough.
Because wind was still cold, we didn't swim in the sea. But we found that many people were in the sea! Oh dear, unbelievable, they didn't feel cold?
In aquarium, we saw lovely sea otters, mysterious sea jellies, and many other interesting creatures which live in the sea.
I think our short trip was almost fine, except everywhere was so crowded.

要するにモントレーって小さな港街なんですね。
"Cannery Row"は、「缶詰工場街」とでもいうのでしょうか、海に面したモントレーの目抜き通りです。昔は大きな缶詰工場であった建物がありますが、今では改築されて、カフェやおみやげ屋さんなどが入っています。スタインベックは、"Cannery Row"という作品のなかで、かつてのその缶詰工場で働く人々を描いたんですね。それで有名になったところです。通りにはスタインベック像などもあります、小さいものですが。
端から端までゆっくり歩いても、三十分とかからないようなところです。私たちが泊まったホテルは通りの東端にあって、反対側の端には大きな水族館があるんですが、これも有名らしい。大阪でいえば、海遊館みたいなもんです。大きな水槽があって。ジンベイザメは泳いでなかったですが、丸々としたでっかいマグロがいかにもおいしそうだったなぁ〜(^^)

私、騒々しい遊園地は嫌いだけど、プラネタリウムとかサファリパークとか動物園、水族館などは好きなんですよ。面白いじゃないですか。特に、夏は水族館。ひんやりしていいなぁ。込み合った都会の水族館より、ちょっとひなびたところにある水族館がいいですね。今回のモントレーではけっこう込んでいて、チケット買うだけでも行列ができてましたが、私たちはホテルで買ってきたので幸いすぐに入れました。あまり何もないところなので、水族館が観光の目玉なんですよ。

海岸沿いの有料道路を車で走ると、海の見える高台には立派なお屋敷がたくさん建ち並んでいて、それがみんなお金持ちの別荘。もう日本で想像するような、ちゃっちい別荘じゃない。ほんと、メイドさんが何人も必要なような立派なお屋敷です。
いや〜、あるところにはあるんですね、お金。
誰かが言ってましたが、アメリカって貧富の差がものすごく激しいよって。まだ対極に位置する貧民街みたいなのは見てませんが、ああいう別荘を見ると、もうそれだけで、きっとそうなんだろうなーと納得してしまいますね。

ハーバービューの部屋に泊まったので、それだけが思いのほか高くつきました(約$300)が、どうせ一泊だし、それなりに満足できました。「海の見える部屋に泊まりたいの〜♪」なんていう人、今までどことなく幼稚というかノータリンと思ってましたけど、案外いいもんですね(^^ゞ
なんていうか、波の音ってやっぱり癒し効果ありますよ。おかげで(?)今回の旅は夫婦喧嘩しなかっですもん(^^) お屋敷でなくていいから、明るい海の見える高台に家が持てたらいいなぁと思いました。
ついでに言えば、お昼ご飯を食べに寄ったサンタクルーズという街も、すごくきれいなところでしたね。海は青くて一軒一軒のお家はすごくおしゃれだし。こんなところに研究所が建ってたらなぁと、夫はぼやいておりましたが(~_~;) ほんと、こーゆーとこに住めると期待してたのよねー、このカリフォルニア暮らしでは。

サマー・スタイル

一昨日は、めちゃくちゃ暑かったんですけど、プレザントンでクラシック・カーのショウがあるというので行ってきました。けっこう大きな催しで、広い公園が車で埋め尽くされてましたね。
クラシック・カーは、ほんとに変なカタチのぼろい車から、ぴかぴかに磨きたててる値打ちものまで、いろいろ。私は車にあまり関心がないので、ふーん、という感じでしたが、好きな人が行けば、すごく楽しめるんだろうと思いましたね。
野外コンサートもやっていて、たぶんセミプロってとこなんでしょう、もう4〜50歳ぐらいのおじさん主体のバンドがオールド・ロックンロールを演奏してました。夫と一緒にそれ見てて、そっかぁ、ロックってのは、まさに、おじさん、おばさんのものになったんだなぁと思ったことです。

しかし、ちょっと暑くなると、こっちの人は惜しげもなく肌をさらしてますね。
男の人はランニングシャツとか、もしくは上半身ハダカの人もいるし、女の人も限りなくハダカに近い格好してます。身体にぴったりしたキャミソール、お尻が見えそうなショートパンツにサンダル履き、という感じ。そんな格好、日本なら十代、せいぜい二十代まででしょ? でも、こっちでは、おばさんでもそんな格好でうろうろしてる。それがオシャレとかそんなんじゃないんだなぁ、きっと。太ってるとかも、関係なし。たんに、「暑いから」という理由だけみたいに見えます(~_~;) 「こんな贅肉のついた二の腕や太ももなんか、かっこわるくて見せられない」、みたいな感覚はないのかしらね??? 太っていることについての感覚が、ちょっと違うのかも。なにしろ太っている人が圧倒的に多いので。

私は大学生の頃から日焼けは嫌いで、夏になると神経質に日焼け止めローションを塗ってたヒトですから、あんな紫外線に対して無防備な格好で赤ムケになってるのが信じられない。白人は日焼けすると、小麦色にはならずに赤っぽくなるんですよ。痛そうだと思うんだけど、平気なのかしら? それから、あれだけ、みんなが思いきり開放的な格好していたら、かえってセクシーだとも何とも感じないですね。やっぱり、色気っていうのは、適度に隠すからこそ発生するんだなぁと思いました。胸の谷間とかも、日本で年増おばさんがそんなの見せてたら、限りなくいやらしい感じもするけれど、こっちでは胸はデカイのが普通だし、そのかわりお腹も出てるもんだから、身体にピタピタの服を着ていても、それがまるでボンレスハム状態、美しくないのでいやらしくないというか、たんにそういうのを見慣れてしまうというか、なかなかセンシュアルにはならないですね。このあたり、また夫の意見も聞いてみたいところですが。

まぁ、こっちの人の格好って、普通はかなりカジュアルで、チープに見えます。
でも、聞いた話、そういうアメリカ人も、パーティなどではビシッと決めるものなんですって。
たとえば高校を卒業するときに、こちらでは学校単位でプロムという卒業パーティをするんですが、年々派手になって、高級ホテルのロビーを借りてダンスをしたり、何校かでディズニーランドを一晩貸し切ってもらったりと、けっこう大掛かりな催しなんです。そんなとき、卒業生たちは、ここぞとばかりタキシードやイヴニングドレスをレンタルしたり、または親に買ってもらったりしてドレスアップするんだそうです。日本の成人式みたい。大人の仲間入りってことかしら。法律的にはこちらでは21歳からが成人なんだけど。

私たちは、残念ながら、そういうパーティに出席する機会がなかったので「ドレスアップしたアメリカ人」を見る機会がありませんでしたが、いっぺん見てみたいです。

リバモア猫通信

このところ、オレにゃんが家に入り浸っています。私たちが外へ買い物に出かけたりするときも、自分から出ていこうという気がなく、しかも、無理に抱いて家から出そうとすると、怒って引っ掻く蹴るの騒動になるので、二、三時間ぐらいならもうそのまま留守番させてます。とくに悪さしないですね。ただ、ごろ〜んと寝てるだけです。そうそう、最近になってこいつも、首輪なくなってしまいました。どこかでなくしてきたのか、それとも、もとの飼い主が何らかの理由で外してしまったのか・・・くろの首輪といい、なんだかよくわからないです。猫が自分で外すことができるとは、ちょっと思えないんですが。

掲示板にも書きましたが、みけはちょっと可哀相な感じになってますね。がりがりに痩せて、顔なんか目ばかり大きくて、座ると肩甲骨とかも浮き出てます。ほんと、産後の肥立ちが悪いというのでしょうか。ときどきベランダに来るようになったので餌あげてますけど、前なら警戒してあまり口をつけなかったのに、今では家の中まで自分で入って来て食べるように。やっぱりそれだけお腹が空いてるからかなぁと思うと、いっそう哀れです。
あるお宅の窓辺の内側に座っているのを何度か見かけたんだから、そこで飼われているのかもしれないと思ったんですけれど、私たちのように、たんに「猫が来るから餌やってるだけ」で、飼っているという意識ではないのかもしれませんね。だから、不妊手術なんてしない。
思えば、この猫たちの所有権っていうのも、はなはだ曖昧ですね。もともと野良だったら、お金を出して買った所有物でもないし、首輪もさせずに外へ出していると、どこからどこまで飼い主としての責任とか所有権が発生するのか、わからないところですね。しかしそういうのが猫らしさっていうのか・・・

ところで、やっぱり、オレに「ガーフィールド」のネームタグと首輪をつけたのは、ここの住人でした。それがわかったのは、ひょんないきさつから。
いつも、この敷地内でひとりで遊んでいる五歳ぐらいの男の子がいるんですが、すごく人懐こくて、誰にでも喋りかけてくるんです。きのう、ゴミを捨てに行った帰り、その子と会ったんですが、なんだかんだ子供らしい妄想と現実の入り交じったわけのわからないことを喋りながら、どこまでもついてくる。「私はお家に帰らなきゃいけないから、またね」と言っても、どんどんついてきて、この部屋のドアの前までくるんですよ。ほんと、不用心というか、のどかというか、「知らない人にはついていっちゃいけません」って親から教わらないのかしら? ったく、ここでは猫だけじゃなく、人の子までくっついてくるんですかねぇ(~_~;)
とにかく、その子が家までくっついてきて、うちのベランダで座ってるオレを見つけて「あれはガーフィールド」って言うんですよ。なんでこの猫の名前を知ってるの、て聞くと、だって隣の人が飼ってるから、だって。なんだ、やっぱりね。隣の人はどんな人?って聞いても、「ええと、ええと」って言って埒があきませんでしたが(~_~;)
ま、そういうことなら、私たちが帰国しても、そっちへ帰るようになるだけでしょうから、こいつのことは心配しなくてもすみます。実は、私のせいで、首輪をはずされちゃったのかな、と少々気になってたもので。でも、近所の人なら、オレだって、そこへ帰っていくようになるでしょうし、大丈夫かなって。


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