オコタンの病気

またしても災難がキター!!
って、笑い事じゃないんですよ、ほんと。
今度はうちのオコタンが病気になっちゃって。FUSというやつですが、要は尿道結石です。
膀胱のなかで細かい砂のような結晶ができ、それが尿道につまってだんだんオシッコがでなくなるんですよ。
決して珍しいものではないですが、けっこう怖い病気で、まったくオシッコがでない尿閉塞を起こすと、二、三日のうちに死んでしまいます。若いオス猫がかかりやすい病気です。メス猫は尿道自体がオスよりも太いので、それほど深刻なパターンにならないことが多いそうですが、オス猫の尿道というのは、出口に向かうほど細くなっていて、そこに結晶がたまりやすいんですね。ひどくなると、手術で取り除かないといけません。

今までの経過なんですが、先日の夜のこと、実家から帰宅すると、オコタンの様子が変なんです。
なんか、トイレに出たり入ったりを繰り返してるんですけど、何も出ないみたい。あまり頻繁なので、これはおかしい、もしかしてFUS??と思ったんですが、もう夜の十時。夜間診療とかやっている病院があるのかなと電話帳を繰って調べてみました。この近くにはなかったんですが、車で十五分ほどのところに夜中の十二時まで開いている動物病院があって、さっそく電話をかけました。症状を説明すると、「すぐ来てもらったほうがいいですね」とのこと。実家に電話したら、父が車をまわしてくれるというので、オコタンをすぐさまバスケットに詰め込んで行きましたよ、病院へ。

病院では、やっぱりFUSだということでしたが、なんだかんだ検査されて、治療時間も1時間はかかりました。私もそばに付き添って、看護婦さんや先生と一緒になって足を押さえたりして手伝うんですよ。だから一部始終見てました。血液検査、レントゲン、尿道にカテーテルを入れてオシッコを排出させ、それを検査・・・
で、生理的食塩水を入れたり出したりして膀胱を洗うんです。これがけっこうたいへんで・・・
最後に抗生物質入りの注射で終わり。
病状についての説明を受けて、処方食とお薬を出してもらって、全部で五万円以上かかりました。そんなにかかると思ってなかったので、財布の中に持ち合わせがなく、カードで払いましたよ。
これで翌日、問題なくオシッコが出たらお薬が切れる頃(十日後)また来てください、と。
家に帰りついたらもう十二時半を回ってました。

翌朝なんですが、オシッコでたのはでましたけど、なんかまだやっぱり何回もトイレに出たり入ったりしてるし、量も少ないし。これでいいのか不安になり、近所の病院に電話で相談したところ、午後一番に連れて行く事になりました。
オコタンの感じはだんだんマシになってきてるみたいで、先生が膀胱を押すとぴゅーっとオシッコでました。
「この出方なら、そう悪くないですね」ってことで、また新たに処方食をもらって、帰ってきたんですが。
今現在は、ちょこちょことオシッコしてます。
普通、猫って一日に二回ぐらいなんですよね。健康なときはそうでした。でも、最近、やけに回数が多いような気がしていたんです。頻尿ってやつですかね。思えば、その頃、おかしいなと気づいて病院に行っておけば良かったんです。
でも、まさかうちのオコタンがそんな病気になるとは思わなかったんですよね、だって、いつも「この製品はFUSに配慮して作られています」というプレミアムフード食べさせてたんですよ。それに、猫って気まぐれで、食事だって決まった時間に決まっただけ食べるとかいうことはないし、オシッコの回数が多くなったのも、暑くて水をよく飲んでるからかな、みたいに考えてたんです。

結局、FUSの原因は、マグネシウム過剰とか運動不足、ストレス、いろいろ考えられるけれど、これだ!という決め手はないんだそうです。まだよく解明されてない病気なんです。同じ条件でも、なる猫はなるし、ならない猫はならない。
オコタンは「なる猫」だったんです。こいつ、健康なだけが取り柄だと思ってたのに・・・
これからもずっと処方食を与えなければいけないようです。おやつも駄目だと言われているので、マグロの刺身とかカツオのタタキなんて、もうあげられません。食欲のないときは、フードに鰹節ふりかけてやってたんですけど、それももう駄目。可哀想に。
もっと私が気をつけてあげれば良かったんでしょうけど・・・ごめんな、オコタン。

しかし、なんで夫のいないときにこんな次々と難題が・・・呪われてる・・・
うちの夫はアリゾナのインディアンの聖地かどこかで立小便でもしてきたのでしょうか。
猫に錠剤飲ませるのだって、ひとりだったら四苦八苦ですよ。抱っこして片手で口をこじあけて、片手で錠剤をできるだけ口の奥へ放り込む・・・舌の上にのせるぐらいなら、ぺっと吐き出してしまいます。いやがる猫を押さえつけ、五種類もの錠剤を飲ませるのは、いままでそんなことしたことがないだけに、こっちも必死です。手が三本あったら楽なんですけど。
とにかく早く治って欲しい。いま、頻尿の状態ですが、つらそうなんですもん。
膀胱炎になったことがある人は、その不快さがわかるでしょう?たぶん、あんな感じなんだと思います。


掲諦掲諦 波羅掲諦

朝夕はマシになりましたが、まだ暑いですねー。
夫いわく。「なんでこんなにムシムシすんねん。アリゾナのほうがマシかもしれんぞ」
いや、日差しの強さには、最初びっくりするということですが、なんていうか、肌に感じられる湿度が全然ちがうので、暑いといっても別種の暑さらしいです。
汗をかいても、さらさらしている。
ムシー、ジトーっとしたベッタリ感がない。
そりゃねー、向こうは湿度10〜30でしょ、60〜70%もある日本とは違って当たり前。
日本の夏なんか、クーラーの部屋から一歩でたら、まるで蒸気を吸い込んでいるようなもんですから・・・
私は乾燥肌なので、アリゾナに行ったら保湿ローションが手放せないかもしれませんが、自律神経にはいいかも。

オコタンはまあまあ元気になりつつあります。
病院でもらった処方食しか食べられないので、それが不満みたいですが。もらってきた薬も飲み終えたので、また病院に行ってきました。採尿して分析してもらったところ、PHが6.5と落ち着いてきたので、もう薬はやめて、結晶を溶かす処方食だけでいいようです。ほんと、このまま順調に治ってもらいたいもんですよ。
しかし、猫の子一匹飼うのにも、いざとなるとお金ってかかりますねぇ。保険がないからぜんぶ実費ですもん。
でも、「もういいです」なんて言えない。治療して良くなるんなら、ちょっとぐらい出費がかさんでも仕方ありません。まあ、私は人間でも動物でも、無駄な延命治療には反対ですけど、それまではねぇ。

このまえから、また、立花隆の「臨死体験 上・下」「証言・臨死体験」と、E・キューブラー・ロスの「死ぬ瞬間と臨死体験」を読んでました。
私は、臨死体験者の報告内容は、それぞれにユニークで、それでいて心の深いところで共鳴できる気がします。
「そうだよね、ほんとは世界って、そんなふうになってるんだよね?なんでそのことにみんな気づかないの?」って。
立花隆は、最後、ほとんど狡猾な「逃げ」みたいなかたちで、一般的な(薄っぺらい)「科学的態度」に配慮する自己像を汚さずに、あの分厚い本を締めくくってますけど、でも、テクニック的にかなりガチガチの科学教信者にも多少媚びた書きかたをしていて、本心というのはちょっと違うところにあるのかな、と思えます。
ほんとのとこどうなの?と、もう一歩詰め寄る気にはなれないけれど、知的な切り口は面白い。頭を楽しませてくれる。
だけど、ロス博士は・・・八割ぐらいは魂の内側から共感できるし、そのとおりだと拍手を送りたくなるし、ときには涙を流して自分を省みたりもできますけど、あとの二割の部分で彼女を全面的に肯定できない。一割は、あまりにも「あっちの世界」寄りすぎだと思うし、もう一割は「私にはできない」。
あんな生き方は、私にはできない。
あれが人間としての理想なのかもしれないけれど、私はもっと卑怯で小物なんですよ。
それに、私はもともと「誰も信じない」。何者をも信仰の対象にしない。
全肯定して信じるということは、とても個人的なことだから、会ったこともない人の本だけではね。たとえ会ったとしても、「人間は不完全ないきもの」だから信じる対象にすべきじゃない。
神と対話をしたかったら、自分と神の間に直通電話をひくべき。
誰かを通して声を聞くべきじゃない。

このところ、自分の生命力が落ちてきているような気がして、なんだか妙に影が薄いと感じてました。で、これは年齢のせいじゃなくて、生命の火を自分で燃え立たせていないからじゃないかと。なぜ命が燃えないのか?
どこかに間違いがあるせい。
自分で良かれと思ってやったこと、考えてきたこと、どこかに間違いがある。
認めたくなかったけれど、ごくごく最近やっとわかった気がします。
いままで私は私自身を裏切ったことなんかないと信じていたけれど、そうじゃなかった。
そんなことはありえないと思っていたけれど、自信もなかった。
ずっと曖昧な不信感を自分に対してもすべてのものに対しても抱いていたような気がするけれど、それはあたりまえ、私が私の間違いを認めていなかったから。
けれども、今はようやく認めます。
私が間違っていた、と。
自分の過ちに気づいたら、さぞや落ち込むと思うでしょう?
でも、真実を認めるということは清清しいんですよ。気持ちがいい。
逃亡犯が長い隠遁生活の末に捕まったとき、「なんだかほっとしました」というような、そんな感じです。

認めるのが怖かった。
何もかも崩れてしまうと思った。
もう生きていけないと思った。
いまでも、これからどうしようと、困ったなと思っている。
けれども、自分を騙しながら、過ちに目をつぶって、そんなものさと、うそぶいて生きていくのは許されない。
なぜって、人は幸福にならなければいけない。
幸福への道を歩いて行かなければいけない。
誤魔化しちゃいけない。
それにしても、なんという晴れ晴れとした気分でしょう。
自分の過ちに気づくことが、こんなに爽快なこととは。私のなかの私が笑っているのが見える。
あんた、やっと気づいたのね?

生きていくことの難しさは、依然として立ちふさがっているけれど、私は行かなければ。
ほら、背中を押して、背中を押して、涙も迷いもやがては彼岸にたどりつくための指標だったと。

掲諦掲諦 波羅掲諦 波羅僧掲諦 菩提薩婆訶

行かなければ。時に追いつかなければ。
なんとかなる。まだ、きっとなんとかなる。


腑抜け生活

一ヶ月のドイツ滞在から帰ってきて以来、もうはや二週間になろうとしてるのに、正常な睡眠リズムがまだ取り戻せません。仕事してなくて、いつでも昼寝できるから、よけいに崩れたままになってしまってるのかも。
なんかね、夜寝ても三時間半ぐらいで目覚めちゃうんですよ。それから眠れない。昼になって耐えられない眠気が襲ってきて、そのまま二時間半ぐらい寝てしまう・・・ブツ切れ睡眠です。
あー。早く普段の生活を取り戻さなくては。ほんと、身体にも脳にも良くないですよ、質の悪い睡眠は。
地に足がついてない感じ。ちっとも力が入らない。

一部の方はすでにご存知、夫の研究関係のアノ話。
私だったら、ちゃんとした事務手続きが済むまで誰にも話さないかもしれないんだけど、あの人はべらべら言っちゃうんだなぁ、もー。そりゃね、後のイロイロを考えたら今話しておいたほうがいい、という人にだったら当然話すべきですけどね。私は、こういう件に関しては不言実行タイプだけど、夫は違ったんだなぁ。
まあいいんですけどね。風向きとしては、本当なんだし。
ちなみに私は不安もあるけどやるべきだと思ってます。夫自身のためにもいいし、私自身のためにもいいだろうと。考え始めたらあれこれ面倒だと思うんですが、私たちはまだ周囲の環境に恵まれてる。周囲の環境が整っていて、自分が押せば物事があれよあれよとどんどん前に進んでいくのは、神様のゴーサインが出てるんですよ。それを「やれ」とね。

ところで、上の甥っ子が「そばアレルギー」だってことがわかったんです。
ある日、義妹が甥っ子たちにそばを食べさせたら上の子だけが、お腹が痛いと言い出し、身体を見たら蕁麻疹で真っ赤。あわてて病院に連れて行き、血液検査を受けたら「そばアレルギー」と。義妹が、もう一生、この子はそばを食べられないって言ってましたが、ほんとですか?大人になればマシになるとか、ないんですかねぇ。うーん・・・本人が喜んで食べるというだけに可哀想だなぁ。下の弟も検査させましたが、こちらは何のアレルギーもなし。上の甥っ子はもともと食も細いし風邪をひいても治りにくかったり、ひ弱なんですよ。やれやれって感じです。

幼稚園にも、いまだに慣れないみたいですしね。子供は子供同士、遊びや会話のなかでいろんな摩擦や葛藤を経験して、大人になっていくでしょ?でも、上の甥っ子はどうも人間関係をうまくやるのが苦手みたい。いつも年子の弟とばかり二人で遊んでいるから、よその子とのおつきあいを学ぶ機会を逸したんでしょうね。いまだに幼稚園に行くときは嫌がってますし。そのくせ、「幼稚園は嫌い?」と訊くと、「好き」って笑うんですよ。それが、なんというか、ごまかしの嘘笑い。驚きました、四歳児でも嘘笑いするんですねぇ。たぶん、「嫌い」って言えないんでしょう。ほんとに好きならもっと具体的に誰それと遊んだとか、先生とこんなことをしたとか、嬉しげに報告すると思うんですけど、友達の名前ひとつ言わない。「『幼稚園は嫌い』と言っちゃいけない」と思っているから、大人の問いかけを嘘笑いでかわして、その話題を避けるようにどこかへ行ってしまいます。こういう知恵はつくんですねー。
下の甥っ子は、近所の子にも自分から声をかけて遊んだり、お兄ちゃんがいなくても、外で人間関係をつくっていけそうなんですけどね。でも、お兄ちゃんは弟がよその子と遊びだすと置いてきぼり。ひとり、輪の中に入っていけません。今度、運動会があるので、できたら見に行ってやろうと思うんですが、どうもあの子だけは心配ですよ。いや、幼稚園の先生の言うことはよく聞いてるんです。彼は彼なりに集団行動から遅れないよう、はみださないよう、努力はしてます。なーんか、見てて痛々しいですけどね。

子供ってこんなもんなんでしょうか。
私があんな歳の頃なんか、ほんとになーんにも考えてなかったけどなぁ。うちの夫みたいに「人間関係で悩んだり」しなかったし。っていうか、人間関係ってナニ?みたいな野生状態で遊んでたと思います。けど、甥っ子を見てると、やっぱり、あんな子供の頃から人と上手くコミュニケートできなくて悩む、とかいうこともありえるんだな。うーん。今まで、夫の「幼稚園の頃から人間関係で悩んでた」の台詞、「そんな幼児が、自発的に悩むなんてことするか?」と、信じられなかったけど、ありえる話かも、と思えてきました。


ひとり

なんか、ほんとに昼夜逆転というか、変な時間に寝たり起きたりしてます。
今夜も、3時に起きてしまい、悶々と寝返りうってましたが、しかたがないのでもう起きました。っていうか、また朝になったら寝ると思いますが。うーん・・・夜の寝不足を補おうとして、昼寝をたっぷりしてるのがいけないのでしょうか?でも、ほとんど昼寝しなくても、結果的に同じだったし。それなら少しでも寝ておくほうがスッキリするし。

こんな時間にひとりだけ起きてると、孤独です。
いや、孤独っていう感じをしっかり味わう貴重な時と考えるべきか・・・
だって、忘れてるけど、人はもともと孤独です。
学生のころはそう思ってませんでしたけどね。
人生のすべてをわかちあえる誰かが、この世のどこかに存在すると、そういう幻想を抱いてました。
今はそう思わない。
わかちあえる部分が限りなく大きくても、わかちあえない部分は必ずある。
それは、この世に同じ人間などいないから。
だから、各々の隙間を誠実に埋めていく、それが大人のする作業。

私は子供のころから、あまり人に泣き言をいいません。
「ねえ、どうしたらいいと思う?」
とか、友達に相談事をもちかけることもしない。愚痴なら言いますけどね。
本当に本当に肝心なことは、自分の心のなかだけで熟成させておく。口外しない。
日記をつけていたというのもありますね、そこにはなんでもかんでもずらーーーっと書いてましたから。吐き出し口があったんですね。
昔、ほんとに落ち込んでつらかった二年間ぐらいは、友人に支えてもらいましたが、
「どうしたらいいの?」
とは言わなかった。どうしたらいいか、もうわからない、とは言うけれど。アドバイスなんか求めてない。誰かの助言で動くタイプじゃないんです。まぁ、自分の直感を信じたり、計画を練ったりしてから動くタイプだから。
それでもたまにありますけど、誰かの何気ない一言が行動の決め手になるとか、自然に起きた出来事から活路を見出すとか。

無駄にプライドが高いから、自分の弱みを見せたくないから、どうせ自分の好きなようにしか生きないから、人前で、
「どうしたらいいの?」
と、泣いたりしない。
たとえ親友のまえでも。
夫のまえでも。
どうしたらいいかは、自分で決めないと自分が納得しない、それがわかってるから。
人前でも、映画や小説などのフィクションで泣くことはたくさんあって、それはそれでいいんですよ、ちょっと恥ずかしいけれど。でも、現実のつらさを耐えるときは、よほどでない限り、人前では泣かない。
強がっているのかもしれないし、諦めているのかもしれないし。
みんなそうでしょう?
「どうしたらいいの?」と泣きつつ、自分のやりたいようにやってる。
夫の浮気に泣いている妻がいたとして、「別れたほうがいいよ」といくら言っても、本人にその気がなかったら絶対別れないでしょ。他人の助言なんて、本当に本当に肝心なときには、一応聞いてみるけどっていう程度のもの。他人というのはそういうもの。

だけど、私もときどきは乙女に戻りたいときがあります。
人はみんな孤独なんかじゃない。わかりあえる、わかちあえる存在だと・・・
でも、いままで出会ってきた人たちの気持ちがほんとうにはわからないことを、すぐに思い出してしまう。
あのときあの人が言ってくれたことに嘘はなかったの?
あの人の行動は、今思えば巧妙な策略だったんじゃないの?
あの人のあの表情は、私が信じていた方向と別のほうへ、向いていたんじゃないの?
もしかしたら。ねぇ、もしかしたら?心がつながっていると確信していたその一瞬も・・・
いろんな経験が、未来の邪魔をする。
賢くなることは、孤独の第一歩。
こんなこと、誰でも知ってますよね。
この歳になって、わざわざ書いてみせたりする私が馬鹿なんです。
わかってる人は、もっと若いときからわかってる。賢いから、傷つくことを上手く避けながら生きてる。
でも羨ましいと思わない。
人が本来的にもっている寂しさに、慣れてしまいたくない。
そうだよ、孤独だよ、と慣れきってしまいたくない。
ときにはもっと傷つきたい。そしてもっと高揚したい。
一人芝居を続けながら、誰もが生きているんだと、そうは思いたくない。
手のひらで水をすくって、指の間からそれをこぼして、それからその手が乾いてしまっても、そのとき濡れたその水の感触を、私は覚えていたい。
こんなふうに眠れない夜は、その濡れた指先で、そっと顔をおおっていたい。
たとえ触れ合う誰もが忘却の川を渡っていったとしても。
私はずっとそこにいる、私の一部は、そこにいる、私はいくつもに分裂して、そのときと同じように、まだその場にいる。みんなと同じように忘却の川を渡ってしまっていても、置き去りにしてきた何人もの私と、細い銀の糸でつながっていたい。いつまでも。


セルフイメージ

ひどい天災が続きますねー。水害や地震で家がメチャクチャになってしまった方たち、ほんとうに悲惨だと思います。あんな一瞬で何もかもが壊れてしまったら、もう当分、頑張って生きていこうという気力も出ないかも。いや、少なくとも、私なら放心状態になりそうです。
私個人的にも、今年はツキのない年。夏はいろいろあったし、昨日も信じられないようなちょっとしたことでコンタクトレンズなくしちゃったし(被害の程度が違いすぎますが)。夫と二人がかりで洗面所にはいつくばって小一時間、どんなに探しまくっても出てこない。不思議です。もう四次元の世界へスリップしちゃったとしか思えません。

ところでニューパソコン(ThinkPad T41)のセッティングは済んで、とても快適です。画面が断然きれい。今まで使っていたのと比べると、まるで真っさらの画用紙と黄ばんだ古新聞ぐらいの違いがありますね。気に入って集めたデスクトップ画像なんかも、いやぁ、ほんとはこんな色だったのねー、と惚れ直したり。
まあ、しばらくは使いつづけると思います。
これと同時にMuVoも買ったんですけど、なかなか使い方がややこしくて、慣れるまではめんどくさそうですが、なにしろMDやCDみたいにがちゃがちゃと音源を入れ替えしなくてもいいので気に入っています。これからはこういう類のものって、どんどんコンパクトになりますね。小ぶりのバッグしか持たない女性には有難いかぎり。

さて、夫の出身高校はそこそこ進学校だったようで、そういうわけでかどういうわけでか知りませんが、やたら同窓会が多いような気がします。
大規模なのからごく内輪のものまで、一年に何回もやってます。
高校の同窓会なんて、お誘いのはがきが回ってきても行かない私には、ちょっと理解不能ですが、けっこう楽しそうです。余裕があるからそんなことして遊べるんでしょうね。
高校のクラスや学年の同窓会じゃなくて、クラブの同窓会なら、私の所属していたところもこのところ毎年やっていて、参加しないかと電話がかかってきますが、今年もお断りしてしまいました。幹事さんから、みんなの消息、現状を聞いてるんですが、聞けば聞くほど話が合わなさそう。
結局、同じような生活環境のメンバーでないと気詰まりだし、今の自分について喋っても浮いちゃって、だから、参加するのはいつもだいたい同じ顔ぶれってことになるんじゃないかと。

まあ、夫のところもそうなんだと思います。気持ちにも時間にも財布にもゆとりがないと、参加できないでしょ。
いそいそと嬉しげに出かけていく夫を見て、羨ましいなぁと、
「ええなぁ、みんな仲がいいんやな」
「まあ、一部の人間やと思うで。今回のメンバーは女子が多いみたいや」
「へー、女の人が多いと楽しそうやん。男ばかりよりは」
「ハァ?女ったって、あんた、歳考えてみぃな。もうみんなオバハンやがな。関係ないわ(ゲラゲラ」
「あんたも失礼やねー、高校生のときはそんなオバハンだって高嶺の花やったくせに。やっぱり女の人が適当に来てくれたほうが、華があってええがな」
「ププッ!いったいいくつやと思ってんねん、もう子供も大きいし、みんな完璧なオバハン連中やで」
「オバハン、オバハンって、ほんと、たいがい失礼やね!あんたには関係ないやろけど、同窓会で『昔好きだった人』に再会してトキメクっていうのも、ありえる話やないの」
ぶはははは!ありえんわ。そんなんはせいぜい二十代までの話やろ。トキメク?この歳になってあんた、いつまで女やってますねんって感じやな(ププ」
「ふーん。あんたも普段はそんなこと言わへんけど、やっぱ女は若さやと思ってんねんな!でも、私だっていずれその人たちと同じ歳になるし、今だってもう立派なオバサンやねんで(ため息・・・」
「(あわてて)おまえは違うやんか!おまえは永遠の美少女やん!!
「・・・(虚しさの塊)」

同窓生に対してオバハンを連発したあとで、なんで自分の女房だけは別だと言い張れるのか、その精神構造がわかりません。たかが四つ下だというだけなのに・・・夫のホンネが垣間見られてちょっと嫌でした。なんだかんだいって、あんたもか・・・って感じ。
ほんと、こういうとき、「男って・・・」とため息をつきたくなります。
でも、酔っ払って帰ってきた夫が持っていたデジカメに写っている宴会の写真を見ると、やっぱり・・・夫の言うように、オバサンはオバサン。四十もすぎると、髪を茶色く染めていようと、若い子のファッションを取り入れていようと、そこはかとなく年齢というのはわかってしまうものですね。だけどさー、一緒に写ってる夫を始め、そこにいる男性陣も充分すぎるほどオジサンやん。人のこと言えた義理と違うよなぁ。
なんで男は自分の歳には無頓着でいられるくせに、女の歳には厳しいんでしょうかね。
まあ、確かに「若く見られるのぉ♪」が口癖みたいなオバサンは、他人事ながらイタイと思いますが。
突き出た腹と白髪の目立つ頭(またはハゲ)で、三十代以降の女性をオバハン呼ばわりする男もかなりイタイでしょ。
これから自分自身がどういうイメージを世間様にセルフプロデュースすべきか、悩んでしまいました。
無理して高尚なマダムぶりたくない。きっぷのいい姐さんの役も嫌。知的な職業婦人になるにはもう手遅れだし、子供がいないから癒し系ママキャラも駄目。
どーすりゃいいのよ、と半ば開き直りつつ、なんか年齢不詳のモノ知らず、常識わきまえぬ強引キャラで突き進んでしまいそうで怖い・・・


雑感

ちょっと更新しないあいだに、世間ではいろいろなことが。

なんといってもイラクでの日本人拉致殺害事件。
これまでの五人とは違って、ほんとうに一方的に殺されてしまい、その一部始終を撮った動画も流されました(私自身は見て確認してませんが・・・)。
これが五十年前なら、テレビさえまだ普及していなかったのですから、「テロリストによる首切り処刑」など一般人が簡単に見ることがあるはずもなく、活字で読むだけでした。もしも十年前だったとしても、まだインターネット人口は限られていましたから、リンクからリンクへと、ネットの中を動画が消えることなく残って垂れ流しになることなどなかったでしょう。まさに、今は「映像の世紀」なのですね。

私としてはこのまえの大統領選でケリーが勝つと思っていたのですが(おそらくアメリカ国民はブッシュの強引さに、いい加減うんざりしてるんじゃないかと想像していた)、意外にも(?)ブッシュ再選ということで、ますますイラクの状況は泥沼化しそう、日本も巻き込まれていきそう、という予感です。
日本人がテロリストに拉致されたからといって、二日以内に自衛隊を引き上げるなんてことは実現し得ないし、要求を呑むのは馬鹿げたことだとわかっていますが、それとは別に、これ以上の延長はしないでもう自衛隊には帰ってきてもらいたいのが本音。
今回の「自分探し青年」が惨たらしく殺されたことについて、マスメディアはわりと平然とスルーというか、掘り下げたツッコミなんてしていませんが、ロシアのように、テロの舞台が東京の中学校かどこかで、子供たちや教員が二百人ぐらい人質になっている、というような状況なら、あるいは、ハイジャックが起こってテロリストから要求をつきつけられたとしたら・・・
テロに屈しない、そのことは大事だし、お金でこっそり解決をはかって彼らの資金源となってもいけない、そんなことをすればそれこそ新たな脅威にさらされ易くなるだけ、それはわかっているのですが、言うほどに簡単ではない「テロ撲滅」。
今回の青年のケースでは、まだ「ひとごと」「特殊な事件」だと思える部分が大きくても、世界のどこかで、あるいは普通にこの日本で、9,11テロのような無差別殺人に巻き込まれないとも限らない、そんなことを警戒ばかりしていなきゃいけない世の中になっていくのではないかと思うと怖いですし、不愉快きわまりないです。

さて、吉本興業の看板タレント、島田紳助による女性社員への暴力事件は、いやぁ、芸能界ってほんまヤクザやなって感じで洒落になりませんね。
「行列のできる・・・」は、たまにちらっと見ることありましたけど、あの番組の司会はもうできないんじゃ?だってこうなったら嫌でも思い出しますもん。
私も島田紳助には、別に好感も嫌悪感ももってませんでしたが、相手がどこのマネジャーであろうと、どんな失礼な物言いをしたと(彼が主張)しても、個室に連れ込んで髪の毛引っ張って殴る、という行為をしたということが事実ならば、今後テレビに出てきても、もうお笑いタレントとは見られませんね。そのときの女性の恐怖と屈辱、どんなものだったでしょう。しかも、その場にいた誰も間に入ってくれないなんて・・・ほんと、寒気がします。自分の立場が強くても(いや、だからこそ)、やっていいことと悪いことがあるってわからなかったんでしょうか。っていうか、女性に「助けて」と懇願されてやっと「ハッと我にかえった」って・・・なんか別の意味でもヤバくないですか。
心療内科のドクターが以前、「お笑いのタレントとか落語家なんか、テレビではニコニコしてるけれど私生活ではムスッとして抑鬱傾向にある人が多いですよ、やっぱり人を笑わせる仕事っていうのはけっこうストレスがたまるから」と言ってましたが、それ思い出しました。

しかし、テレビでのこのネタの扱いは笑えますよ、いや、タレントや司会のみなさん苦慮なさってるというか、肩書きだけでも、

島田紳助所属タレント
島田紳助さん
島田紳助司会者
島田紳助容疑者

などなど。普通に「容疑者」だと思いますが・・・島田紳助「司会者」って、あんた、それなんですねんって。紳助容疑者に気を使い、ない知恵絞って急遽つくりあげた感がアリアリ。
本人が自分で百パーセント悪いって言ってるのに、そこまでしてかばってあげる優しさ(プ)がメディアにあれば、なんでもっと肝心のときに、たとえば地震の被災者にマイクをつきつけるときなんかに、それが発揮されないのでしょうね。判でついたように、「今のお気持ちは?」とか言う、その瞬間にね。


ロリコン天国

最近、「スーパー銭湯」にハマッてるんです。
ほら、ひろい駐車場つきの、銭湯とファミレスが合体したような施設です。
玄関を入ると靴をロッカーに入れてあがり、入浴チケットを買って脱衣所のロッカーの鍵とひきかえ、おもむろに男湯・女湯に分かれている湯船へGO。脱衣所にはドライヤーもあるし、もしタオルやなんかを忘れても、簡単に買えます。いたって便利。

いままで全く関心なかったんですけどね、ある退屈な雨の夕方、ふと思いついて行ってみたところ、「こりゃええやん」って。ノビノビと手足を伸ばせるひろーい湯船はやっぱり気持ちいいです。それに、薬湯とか、ジェットバスとか、サウナ、露天風呂、いろいろあって楽しめます。ただのお湯じゃなくて、天然温泉と銘打っているところもあります。私は肌が弱いのか、あまり塩分がきつかったり、あまり熱い湯だと、太ももあたりが点々と赤く内出血したようになってしまうのですが、銭湯の湯はだいたい41℃くらい、熱くなくぬるくもなくでちょうどいいんですよね。これまた有難い。
で、そんなスーパー銭湯が家の近所にもいくつかあるので、あれこれ試してるんですよ。
土日の夜など混んでいて、子供が走り回ったり、レストランで食べようとしても待たされたりして、ちょっと落ち着かないときは、「十二歳以下はお断りで、会員制でもいいから、もっとゆったりとリッチな銭湯をつくってくれないかなぁ」なんて思ったりしますが、このご時世ではね。うん、これが庶民の楽しみっていうものでしょ。
だいたいがこういうの、子連れのファミリー向けなんですよね。

女湯に入って、またいつものように湯船につかりながら、「この女の子いくつかなぁ、お腹出てるなぁ、まだ若いのに・・・あれ、あの人スタイルいいやん、子持ちやのに」とか観察しつつ、「まー、私も同い年のなかで比べたらまあまあいけてるかな♪(他人に厳しく自分に甘い)」とか思ってると、そのそばをドドドって五歳くらいの男の子が走り回って「おっと、あぶないなぁ」。
いや、けっこう男の子もいるんですよ、もちろんまだ小学生以下ぐらいの年齢ですけどね。そんな歳の男の子がいても、私はなんとも思わないし、たいていの女性だってなんとも思わないでしょうけど、お風呂からあがって、待ち合わせしていた夫に、子連れが多いねと話していたら、男湯にもたくさん女の子がいる、と言うではありませんか!

いや、もちろんまだ胸もふくらんでないような幼女なんですが、だけど、ロリコン変態の犯罪が何かと世間を騒がせている昨今、ええんかいなと心配に。思わず夫に、
「ちょっとそれって危険ちゃうの!変態くん大喜びの状況やがな!」
「だっておまえ。まだ子供やで」
「だから、そーゆーのが好きなロリコン君がいるんやってば!無神経やなぁ、男湯に入れるなんて。ったく、親は何考えてるんやろね。私やったら、娘がヘンな目で見られるかもしれんってだけで嫌やわ」
「んー、そりゃしゃーない事情があるかもしらんし。べつになんとも思わんけどなぁ・・・」
「なぁ・・・あんた・・・正直に言ってみ。怒らへんから。もしすっごい可愛い女の子やったら・・・ジッと見る?」
「ハァ?まだ胸もないし毛もはえてへんような存在やぞ。子供やんか。子供として可愛いとかは思うけど、それ以外の興味なんかないわ(呆)」
いちおう、夫にロリ趣味がないことを再確認して(前からわかってました)ホッとしましたが、やれやれ、土日のスーパー銭湯は犯罪者予備軍の変態にとっては天国ですな。




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