仕返し

♪心のもどかしさを 言葉にできないから
    9thのコードに たくすのさ
   まわれ 僕の12インチのグルーヴ
     二度と覚めない 夢を見させて  (ジャングル・スウィング 山下達郎)

今朝がた、すごくハッピーな夢を見て、しあわせ気分で目覚めました。
ボーッとした意識がはっきりするにつれ、いつものようにブルーな急降下。
そうか、夢だったのね・・・

何不自由なく暮らしています、そう、欲しいものは、もうそんなにないですね、みたいな顔をして、自分でもそんなふうに思い込んでいたとしても、ドアをノックする音が聞こえる、はじめはかすかに遠く、そして、いきなり耳元で。
「あ・た・し・を・わ・す・れ・な・い・で」
と、恨みがましく訴えるその子は、歳もとらないし、食べ物も着る物も必要なくて、だから、私は心の座敷牢へ閉じこめて鍵をかけておくのだけれど、思いがけないとき、ふいに聞こえるノックの音。
「ねえ、あたしをわすれてない?」

彼女は、おバカで、気まま勝手で、何が損か得かもわからず、ジッと先を見据えて忍耐するなんてこともしない、衝動的な本能だけで生きているくせに、私よりも偉そうな口をきくんです。私は彼女なんか言い負かしてもいいはずなのに、いつのまにか卑屈な態度をとっている。
「あたし、ここからでたいんだけど?」
「まだ出してあげられない。いつかそのうち、出してあげるから、ねっ、我慢して」
「あんたのいいわけは、もうききあきた。だいいち、あたしだって、すきなときにすきなようにしてもいいんじゃない?」
「やめてよ、お願いだから、もう少しそこで良い子にしてて。今あんたが出てきても、しょうがないんだから。滅茶苦茶になるだけなんだから」
「じゃあ、いつになったらでられるの。はやくしてほしいのよ。もうじかんがなくなってきてるんじゃない、あんたにもわかるでしょ?」
「うん、きっとそのうち出してあげる。頑張るから。そのために、精一杯、やってみるから」
「ふん。ほんとにせいいっぱいやってる?いいわけばっかり」
「もう少し時間をちょうだい、そうしたら、代わってあげられるときが来るから、約束するから」
「はやくしてよ、あんたがつかってるそのからだは、ひとつしかないんだからね。あたしにも、つかうけんりがあるのよ、わすれてない?」
「ううん、忘れてない。きっといつか、代わってあげる」
「そんなに、おんきせがましくしなくていいんじゃない。どうせ、あたしにもつかってもらわないと、そのぶん、ふかんぜんになるんじゃない」
「わかってる。このままじゃ不完全だってことは」
「わかってるなら、はやくなんとかすることね」

二度と覚めない夢を見させて。

彼女を殺して地中深く埋めてしまっても、きっとゾンビになってよみがえる。
夢なんかじゃすまない、もっとひどい仕返しをされるに決まっています。
私だって、あの子を解放してあげたい。現世に生きるこの身体を使わせてあげたい。
でも、あの子は現実を大事にすることを知らないから、私がお膳立てをちゃんとしておいてあげないと、むやみに任せられない。何せ、この身体はひとつっきりなんだから。無茶をされても困る。
いつも、あの子のしたことの後かたづけをしてきたのは私なんだから。
いや、そのぶん私も楽しませてもらったんだし、それはそれで納得しているんだけれどね。

わかってる、このままじゃ不完全だっていうことは。
何不自由なく暮らしています、そう、欲しいものは、もうそんなにないですね、みたいな顔をして、自分でもそんなふうに思い込んでいたとしても、しょせん蝋づけのイカロスの翼は、無意識からの逆襲に私を支えきれず、あえなく海へと墜落。
溺れながら思う、わかってる、このままじゃ不完全だっていうこと。
仕返しされても仕方ないっていうこと。
あの子の嘲笑と啜り泣きが同時に聞こえる、でも、まだ鍵を開けてはあげられない。まだ今は。
じゃあ、いつ?
私には答えられない、大道具小道具は、もっか鋭意制作中。
シナリオは、あんたと二人で書けばいいでしょう?
素敵なシナリオ、思いつく限りの宝石を散りばめた、実現可能な、素晴らしいシナリオ・・・

二度と覚めない夢を見させて。


アンチエイジング

バスルームの壁に、小さな丸い鏡を吸盤で取り付けてあるんです。
髪を洗ったりしながら、じーっとそれを見てたら、湯気でうまいぐあいにまんべんなく磨りガラスふうに曇ってきます。そのなかの顔をみていたら、毛穴や薄いシミなどの、お肌のトラブルはあっというまに消失、全体にソフトフォーカスをかけた感じでキレイなんですよ。で、下から上目遣いに見ているから、黒目がはっきりして、上気した頬が薔薇色で、自分でも「きゃー、かわゆいッ♪」とか悦に入ってしまうんです。「まだまだ捨てたもんじゃーないわねっ」とか。

それが。

いったん浴室からでて、脱衣所兼洗面所にも大きな鏡があるわけですが、そこでハッキリクッキリ見る自分。ありゃ、さっきの美少女はどこへ行ったん?という感じですよ。スタイルには、ちょっとは自信ある(同年齢比)んだけど、顔がなぁ・・・
それで、明るい蛍光灯のしたで見ると、手の甲とか、やっぱ違うんです。見るたびにゲンナリしますよ。ゲンナリついでに、夫に訊いてみました。
「なぁ。あんたな、私がまだ寝てるとき、先に起きたりするやん。そん時、私の寝顔とか見て、『うわ。コイツ、ババァになったなー』とか思うことない?」
「いや、べつに。あんた、まだ若いやん」
「そんなことないわ!!見てみぃな、この手を!!昔は、ほんとに白くて、きめ細かくて、白魚のような指って言われててんで」
「今だって、じゅうぶんやん」
「ちゃうがな!!よーく見て。ほら、きめが粗くなってる。昔はもっとなめらかでこんな細かいシワとかもなかったし、それに、こんな血管とか浮いてなかったし」
「・・・おまえ、昔は昔はって、いったいそれ、いつの話やねん?」
「いや、私がまだ20代半ばぐらいの話やけど・・・」
「おまえな。しゃーないやんか、そんな昔の自分と比べても!!(呆)」
「だって!!嫌なもんは嫌やねんもん!!」
「あきらめろ。みんな、ジーサンバーサンになっていくんや。汚くなってボケて、周りに迷惑かけまくって死ぬんやから。それが人間っちゅうもんや」
「いいや。私はまだあきらめへんな。これからはアンチエイジングに命かけるで!!」
ということで、今まで、自然派志向であまり何もしてこなかったのですが、これからはお肌のお手入れにもっと気を使うことにします。

私、子供のころから傲慢な性格でしたから、自分が「キモイ」とか言って笑われる立場になるなんて、これっぽっちも考えたことなかったんですよ。そんなに卑屈になったことがないっていうか。
そりゃ、美人じゃないなとは自覚してたけれど、「容姿だけで女を判断するようなアホ男は、こっちから願い下げ。ペッペッ」と思ってましたからね。まー、それでなんとかうまく回ってたんで、卑屈にならずにすんでたんです。
それが、ただ歳を取るだけで、「ババア」とか言われて蔑まれなきゃいけなくなるんですか?
ちょっとお洒落でもしたら、「ババアの若作り、ウゼ〜〜(プゲラ」とか、思われるかもしれないなんて気にして、卑屈に生きなきゃいけなくなるの?
いやだいやだ、そんなの。私の人生に似つかわしくないわ。
私は私のやりたいようにやるのよ。

・・・と、息巻いても、なんだかなぁ・・・自分でもわかるもん、あー20代の頃とは違うんだって。
そりゃ、あの頃の私と、今の私を比べたら、肌とか全体に漂うピチピチ感はまったく違うでしょうよ。それは認めるわ。でも、今より、ずっと扱いにくいバカだったことも認める。
こう言えば、「だからさ、やっぱり、ババアに用はないんだって。20代で賢い女ってのが一番いいわけよ」というジジイどもの嘲笑が聞こえてきそうですが、ハン、そんな一握りの出来た女が、あんたたちみたいな腹の出たジジイによろめくわけないのよ、どんなに金を積んだってね。
おたがいさまざんす。

ジジイの嘲笑はおたがいさまでかわせるけど、わけのわからんガキどもの優越感丸出しの嘲りは、どうかわす?これはもう、相手にしないか、とことんキレイになってみせるか、しかないでしょう。
あまり生産的なエネルギーの使い方じゃないですね。
だって、バカなガキどもに実年齢から−10歳ぐらい若く綺麗に見られても、実際に年齢を知ったとたんに、「うぎゃー、化けモンやで、こんなオバハンとは知らんかった。騙されてたぁ、キモ〜〜!!」とか思われるだけだもん。生物年齢が若いということが、勝ち組だと信じてるんだから。他愛もない。

でもね、事実は小説より奇なり。
私の従兄弟でも、十歳ぐらいうえの姉様女房を迎えた人います。もちろん、親や親戚からはメチャクチャ反対されたけれど。でも、「この人と結婚できないなら家を出る」と言って、押し切ってしまった。そのときまだ20代前半だった私は、正直、「なんでまた、わざわざそんなオバサンと?」と不思議でしたが、今思えば、あれこそ純愛だったのですね。まだ結婚生活、つづいてますよ。うん。
フェミニストやその周辺の人が書いた本とか読んでると、「男って、なんてバカ!ひどい、許せない!」っていう気になるし、匿名掲示板の書き込みの一部を見ても、そんな気分になるときはあるけど、それと自分の周りの現実とは違いますね。
まー、誰かの目を気にして、というより、自分の自己満足のために、頑張ります、アンチエイジング。


白木蓮

木蓮の白い花が、ぼつぼつ咲き始めました。
君はいま、どこにいるのだろうね。

あの日、暖かい春風に吹かれて、開け放った窓の外に見た木蓮は満開だった。
「あの花のひとつひとつが、まるで飛び立つ前の鳥たちのように見えない?」
そう言ったら、
「いつも面白い表現をするんだね」と君が笑った。
そう、あのときは必死だったから。
持てるものは何でも使った。才能でも策略でも嘘でも。目の前にあって、利用できるものは、何でも。
君との繋がりをキープするため、そして少しでも深めていくためなら。

行き止まりの崖に向かってアクセルをふかしていることは、わかっていた。
急なカーブを曲がりきれずに、ガードレールに突っ込んでしまうだろうと、予想はしていた。
死んでもよかったはずなのに、死にも出来ない自分のしたたかさと弱さを思い知らされたよ。
けっきょく、私は自由ではなかったんだと。
愛よりもほかに、私には大事なものがあったんだと。
行き交う船と高層ビルを、ひとりでいつまでも眺めながら、サングラスのなかで泣いていた。
まわりの誰もが私をほっておいてくれた。見知らぬ街の無関心が、私には優しかった。

あれから私のなかで何かが死んで、また何か別のものが生まれるまでに長いことかかったよ。
君が恐らくは笑っていたころ、もう私の顔など忘れていただろうころの話だけど。
私は長い物語を書いていた。
自分でも、そんな物語が書けるとは思っていなかった。
だけど、簡単だった。だって、筋書きはみんな、神様がくれたものだったから。
一字一句間違えずに、そのとおりに書けば、物語は出来上がった。
私は、何度もバリエーションを変えて、書き綴ってみた。
書いているあいだだけは、生きていてもいいと思えた。
だから、一作書き終わるごとに、急かされるように次の物語を書いた。
夜眠りにつく前に、このまま朝がこなければいいと思い続けなくてすむように。
道を歩いていて、前からトラックが走ってきたら、ちょっとそっちに行くだけで、自分は死ぬんだろうな、なんてぼんやり考えつづけなくてすむように。

毎年、今ごろになると花を咲かせてはすぐに散る白木蓮。
飛べなかった鳥たちの抜け殻が、ぱらぱらと歩道に落ちている。
雨に濡れ、茶色くなった花びらのうえを、私は踏んで歩く。
「このビールの代金、どっちが払う?」
覚えている最後の言葉は、あまりにも象徴的で、あまりにも哀しい。
カフェバーから、ひとりタクシーで帰りながら、声を押し殺して泣けるだけ泣いたよ。
あの夜の運転手も、幸いにして寡黙な人だった。

もう私は泣かない。思い出しても。
いつか私はこの物語をやっぱり書こうと思う。べつに何のためでもないけれど。
いま、ここでこうして書き綴っているこの駄文も、電子の世界にキャッシュされて残っていくのかもしれない。
それを君が読むこともないだろうけれど、勝手にまき散らせば、勝手に増殖していくかもしれない、勝手に残っていくかもしれない。
ふとそのことを考えると、なぜだか高笑いしたい気持ちになるよ。
面白くて笑うんじゃない。
楽しくて笑うんでもないけれど。

君はいまどこにいる。
あのときは死ねと思ったよ。いや、ただ死ぬよりも、もっと辛い目に会えばいいと、そう思った。
せめて私が流した涙の重さと同じぐらいの悲しみが、君の頭上に落ちてこいと。
感謝していると思ったこともあった。
ズルイと憤慨したこともあった。
私の未来は、もはや無意味に成り果てたと思ったこともあった。
ああ、時は流れたと感じる。ほんとうに。

君はいまどこにいる。
何をして、誰と暮らしている。
こうなるしかなかったとわかっている。
生涯、もう会うことはない。
飛び立てなかった白い鳥たちが、足元に落ちてくる。
君の言葉が、抜け殻から立ち上る。
「先のことはわからないよ。運命は、神様がつくりだしているんだからね」

ねえ、あの世でまた会おうか。
他にも紹介したい人が何人かいる。きっとみんなで仲良くやれるよ。
男だとか女だとか、そんな不便さを超えた彼岸でならば、きっとお互いの言い分も、笑って聞けるでしょう。

君はいまどこにいる。
何をして、誰と暮らしている。
幸せでも、不幸せでも、もう私には関係がない。
私たちのあいだには、どんな約束も、ただ一度の抱擁もなかった。
飛び立てなかった白い鳥たちが、春風のなか、はらりはらりと落ちてくる。
まるでわざとのように、あるいは何の気もないように、私はその抜け殻を踏んで歩くよ。


どこまで脱げますか?

夫と結婚して理系(物理)男たちの世界を興味深くのぞいていましたが、やっぱ、全般的に人間関係の間の取り方が違うと思わされることは、しばしばありますね。
うーん・・・必要以上に異性を意識しすぎっていうか。そのまえに人間じゃない?と私は思うんだけど。
そうそう、たとえば、私が結婚したばかりのとき。その前から、このサイトを見て時々メールくれていた年下の男の子がいたんだけれど、「今まで通り、メールのやりとりしててもいいんでしょうか?」って訊かれましたね。こっちは「なんで?いいんじゃない??」と。うちの夫も、その子の存在は知ってるし、面識もあったんだし、隠れてコソコソとやましいことしてるわけじゃないのに、何が問題になるのかよくわかんなかったですが、「人のものになった」という感じなんですかね。

あのさ。妻というのは、夫の付録でも従属物でもないのだよ。
私は私で、ちゃんと独立した個人なんです。個人的な交友関係があっても不思議じゃないと思うんだけど。夫は私の監督者ではありません。家族です。対等なライフパートナーですよ。
そりゃ、夫に隠れて会って、デートまがいのことをしていたりするなら非常識かもしれないけど、なんでもない日常のこととか趣味のこと、自分が考えたことなどをメールで話しているだけで、なんか問題あるの?もしも夫が、それすらも嫌だ、許せないと言うなら、私の方からそれとなくフェイドアウトしますよ。私自身がそういう判断をしているとは、考えないのかな?まあ、その子はそれなりに気を使ったつもりなのかもしれないけど、ちょっと???でした。

こういうことは、文系・芸術系軟派仲間とつきあっていたときは、なかったと思います。
彼氏彼女もちでも、フリーでも、休みの日には誰かの家に集まって、お茶飲みながらうだうだと芸術談義をしたりして、「気が合えば友達。仲良く面白くやろー」みたいな雰囲気があったような感じがしますね。
もちろん、カップルなら、つきあっている相手以外の異性とは一線を引くんだけど、その引き方が人間関係にこなれているかいないかで微妙に違うんです。あうんの呼吸で、何も言わなくても「お互いわかってるよね」という感じと、いちいち言葉にして許可を求めちゃうような生真面目な潔癖さ。
実は、女慣れしていない理系男ほど、いったんカップルになっちゃうと、「オレサマ男」になるのでは?だって、「この女は人のモノ」、「この女は自分のモノ」とかいうふうに意識して囲ってしまって、女性をひとりの個人としては見られないんだったら、そうなるでしょ。
「オマエはボクのモノなんだから、みんなと話しちゃダメェェェ!!その代わり、ボクもよその女とは気安く話したりはしない。えっへん。カップルになったら、今までとは違うんだから、キッチリしないとねッ」
なんか・・・幼稚じゃない?世間狭くなりそ。

あー、でも、わかりません。私のほうが、規格外なのかもしれない。
カップルになったり結婚したりしたとたん、その人以外の異性とは、個人的に話したりメールしたりしてつきあっちゃいけなくなるの?それはマズイの?みんな、どうしてる?って訊きたいです。
男の人と個人的な話をしちゃいけない、なんてことなら、それこそ習い事にも行けないじゃない?
てことで、夫に訊いてみました。
「べつに、ええんとちゃう、メールぐらい。そりゃ、あんまり浮かれてやってたら嫌やけど」
「あんたはそうかもしれんけど、普通はどうやと思う?」
「普通とか、そういう言葉には意味ないやろ。自分たちがどう考えるかやろ」
・・・そうよねぇ。やっぱ、そうなのよ。
夫はモテナイ理系男なのに、なんかこういうところはわりと寛大です。
それに、モテナイんだけど女性の知り合いはごく少数いて、たまーに近況報告のメールがきてるらしい。私はそれっていいことだと思ってますよ。限りある生をいきてるのに、女は私だけとしか話もしないなんてね。人間としても男としても、どうなの?って。むしろ、他の女性ともお話して、女ってこーゆー生き物なのかっていう知識を、もっと深めてもらいたいですよ。
確かに人間の指は十本しかないけど、女は十個以上の指輪をコレクションすることに情熱を注げる生き物なのだ、とかね。唇はひとつしかないけど、春の新色が出たら、ついつい口紅欲しくなっちゃうものなんだ、とか。そういうことを私だけが必死で説得しても、ダメなときありますからねぇ。そういえば、ホワイトデーのお返しももらってない。こういうとき、女性によっては、どんなに不機嫌になるか、とかね。

人間関係の間の取り方以外にも、女慣れしていない理系男に多く見られる特徴として、「自己表現の稚拙さ」がありますね。とにかく、自分の思っていることがキッチリ言えないみたい。
論文のような、公的な文書だとかけるみたいなのに、ごくプライベートな「自分がどう感じているか、思っているか」ということが素直に表現できない。
それでも、とりあえず高学歴なのがウリだったりすると、いろんな情報を駆使したり、一見高尚そうなお堅い言い回し「・・・そもそも○○という考え方は××を正常だと規定したときはじめて成立することになります。すなわちお訊ねの●●につきましては△△である可能性がきわめて高い、というのが私の理解するところであります。しかしながら現実には・・・であって、一般論としては〜〜・・・」みたいな手段で内容の希薄さを延々と膨らませようとするんですが、
「で、ごたいそうな講釈はもういいからさ。ア・ン・タはどう思ってんの?」
と言われると、亀のように首を引っ込めて手足を甲羅に隠してしまう。
私は気が短いので、そんなことをされると金槌で甲羅を叩き割りたくなるんですが、そうそう大人げなく手荒な真似もできない。だからといって、さあさあ、怖くないから、笑わないから、言ってみて?と優しく問いかけても、駄目なものは駄目。
うちの母が、むかーし言ってましたよ。
「何も言えない人は、言うべきことを何も持ってない人。この人、黙っているけど、なにか深遠な考えがあるのかな、とかいうのは、たいていこっちの幻想」
おかーさん、だてに歳とってない。鋭いわっ!

そういう、内容空疎っていうか、不必要に厚着をして絶対に自分がハダカにならない人って、文章でもわかりますよ。
心を打つものがない。「ほう!」とか、「へー」とか「なるほど〜」とか「うふふ♪」と思うことがない。
小難しい言葉を散りばめてあったとしても、それを全部とりのぞいたら、「なんや、けっきょくこれだけかいな、アンタの言いたいことは?はぁーーあ」みたいな。タチの悪い似非哲学者のようなもんです。
私はそんなんに騙されませんよぉ〜〜。
「脱がなきゃいけない場面で脱げない人」は、けっきょく自分が貧相だと知っているんだろうと思います。
自分に自信があれば、「ここは脱ぐ場面」と判断して、潔く脱ぐもんですよ。
どういうときが「脱ぐ場面」かというと、「自分の人間性や人格や能力を、問われたり測られている場面」です。ここで、爪を隠したまま、いやん恥ずかしい、などとゴネたりする「能ある鷹」などいません。そこで隠すんなら、何のための爪なんだか。

人間って、日々の生活の中で何かいろいろ考えていたら、それを表現してみたい、という欲求があるものです。
うちの夫も、今はやってませんけど、昔は自分のサイトで日記みたいな雑文みたいなのを書いてました。
実家の父がそれを読んで、いたく感心していましたね。私も、夫の雑文書きとしての能力は認めます。
整理されてないけれど、そこには誰のものでもない彼独自の個性があり、表現者として「着物を脱いでみせる」潔さがあります。服を着たまま自己表現などできないのです。真っ裸になる必要は、そのときそのときであったりなかったりしますが、とりあえず人に何かを伝えようと思うならば、コートやジャケットぐらいは自分から脱ぐのが常識ですよ。

うちの夫が珍しい人なのかなあと思っていたら、最近、興味深いサイトを知ることになりました。Kammy's Space。いや、ここの管理人さんが私にメールをくれたのが、きっかけなんですが、ちょっとウォッチしてみると、このKammy君の日記がすこぶる面白い。
もー、パンツ一枚と靴下ぐらい残して、ほとんど脱いでますよね。実に、潔いです。
彼は20代なかばの、まだ若い理系研究者ですよ。若いからか、書いていることはほとんどすべて、
「はやく彼女ほしい〜〜」「このままじゃ結婚できないかもしれない〜〜」「研究どうしよ〜〜」
という、正直な心の叫びです。
そう。彼もどうやらモテナイ君らしいのですが、そこまでモテナイ君ではないです。
一応、女の子と喋る機会があるようだし、女の子を紹介してもらったりしたことがあるようなのです。ま、ただたんに、たまたま彼女ができない、というだけだから、モテナイといっても、かなりレベル高いというか、贅沢な悩みのモテナイ君です。

あー、この人は真のモテナイ君じゃないな、というのが私の感想ですね。まず今は研究者として、ある程度の実績を残せば、あとは少し心に余裕ができて自然に恋愛のチャンスが降ってくるだろう、と思います。そして、それはたぶん上手くいくでしょう。なぜなら、この人は、相手に不安感とか不信感を与えない人なんですよ。それは、「ハダカになるべきときに、ちゃんと進んで服を脱げる人=自分のハダカに実は自信のある人」だからです。これが表層的な対人スキルよりも、ずっと大切なことなんですよね。25すぎて、このことの価値がわからない女は、もう、捨ててよし、です。
本人は、「人との距離感がわかってないんじゃないか、ひょっとして自分は人が書かないような心の奥のことまで書きすぎていて、それが人間として駄目なんじゃないか」などと、お門違いに悩んだりもしていたようですが、Kammy君、あなたの自己表現力が、その潔さをなくしてしまったら、文章の魅力は三分の一以下になってしまうよ、と言いたいです。
他に、もっと面白いサイトはないかと、チラチラっと他の大学の理系研究者のタマゴ君たちのサイトを探してみたりしましたが、私がちょっと見た限りでは、Kammy君を超える表現者魂の持ち主は、見つからなかったです。

ま、私にしては、ちょっと誉めすぎたかもしれませんが、とかく野暮ったい厚着をして自分を隠してしまうきらいのある理系男のみなさんに見ていただけたら、何らかの感想を持たれることと思い、ご紹介します。


都合のいい妻

男心はとかくわからない。
妻が専業主婦なら、
「ああ、嫁さん子供に稼ぎの大半を吸い取られて、気ままに遊ぶことも出来ず、そのくせ、家事の分担などは押しつけられる、今朝もゴミ捨てやってきたぜ、なんとまあ、この理不尽な現実よ!!」
と嘆くんだし、経済的に自立した稼ぎのいい妻だと、
「俺がいなくても自分に充分な稼ぎがあって、自力で生きていけると思っているから、うちの嫁は俺のことなど大事に思っちゃいないんだ。取り替えのきく便利なマシンであって、錆び付いたら粗大ゴミ置き場へ直行か?」
と卑屈になる。

要するに、男にとって一番理想なのは、自分よりも明らかに稼ぎの少ない女と結婚して、調子のいいときは「家のことも分担してやるよ♪」と度量の広いところを見せつけ、自分が仕事で手一杯なときは、「オマエも稼いでるったって、俺のほうが多いだろうが。何寝ぼけたこと言ってんだよ。俺が大変な思いしてるときは、オマエがちゃんと家のことやれよ!当たり前だろ!」と威張り散らせる組み合わせなんだろうな、と。
なんかこう、「あなたのおかげで私もこの子も生きていけるの。頑張ってね」みたいなのが基本的にはいいのかなぁと。でも、度が過ぎたら、それも手枷足枷のようにうっとうしくなってきて、「オマエも何かやって自立したらどうなんだ。俺ばかり頼るなよ。重いんだよ」。だけど、いよいよ女性側の自立計画が軌道に乗ってきたら、「いい気になってないで、家のことちゃんとしろよ。誰のおかげで食っていけると思ってんだよ」。
・・・まあ、勝手ですよね。
でも、女も勝手だから、これは組み合わせの問題としか言えません。

うちは、こういう典型的なパターンにはまらない感じ。
私は無職の専業主婦なんだから、普通は「あなたのおかげで」と言わなきゃならない立場(?)なのに、実家の経済状況がちょっとばかしいいのと、親の甘やかしもあって、その言葉がなかなか実感として口から出てこないのですね。だって、うちは両親共働きで、母が仕事をやめてしまってからも、「お父さんのおかげでウンヌン」などと言ってたためしがないんです。一方的に「お父さんお勤めご苦労様です」とか、そういう雰囲気は全くなかった。
そんな感覚なので、夫から「おまえ、お金なんか、どこからか湧いて出てくるもんやと勘違いしてるやろ」と怒られる始末。でも、そのたびに不思議に思うのは、「あんた、もしも一人だったら、仕事はしてないんですか?私を養うために、何か妥協して研究してるんですか?」ということ。私は一度だって、「もっとお金になることやったら?」みたいなこと言ってないんだし、そんな考えはさらさらないし。
「こいつを扶養してやらなきゃいけない!」とか肩に力入れず、自分のやりたいこと(研究)すれば?と思うんだけど、そう言うと「おまえは、いつでも親に面倒みてもらえると思ってるから、そんなことが言えるんや。二人だけでやっていこうっちゅう気持ちがないんや」と、また怒られる。
うーん。嫁さんを養わなきゃと思うから、ほんとはやりたいことがあっても、金銭面が気になってチャレンジできない、なんていう状況にくらべたら、まだ恵まれてると思うんだけど。

人生はたった一度きり、好きなように好きな夢を追って生きてもいいと思いますよ。私にそうする能力があれば、それを邪魔する要因は、やっぱり邪魔だと思ってしまうだろうし。だから、もしも夫が、心底やりたいことがあるとして、それがたとえお金にならなくても、「私たちの生活はどうなるのよ!」とか言って邪魔したくない。かといって、一蓮托生でリスクを背負うのは、これまた自分が行きたい道を行く妨げになると思うから、じゃあ離縁してあなたの好きな道を行ってよ、という話になる。
べつにいいじゃないですか、親の勝手で犠牲になる子供がいるわけじゃなし、離縁したからって話もできない、会うこともできない、というわけでもなし。でも、また、「おまえって冷たい」と怒られるんでしょうね。

どうも夫は、「あなたが稼いできてくれるから、私たち、やっていけてるのよ。いつもご苦労様。あなたのおかげだわぁ〜」と言われたいみたいですね。でも、そういう女は、事態が一変すると、「アナタったら、そんなお金にならないことばかり考えて!!自分の夢や野心に賭けるために、今の私たちの生活がどうなってもいいのね!」と泣きを入れる、うっとうしい女になる、ということなんです。
で、逆に、男と同様に自力で稼いでくる女というのは、休日になると「あー、疲れがたまってるぅ。今日はアンタが夕食の買い出しに行く番よね。私、ちょっと昼寝するわ」という女であり、夫婦喧嘩のたびに、「ああそう、わかった、じゃあ別れてあげてもいいわよ。私は私でやっていけますから」とタンカを切る女になりかねないだろう、ということ。
私のように普段は夫の稼ぎに無関心・無頓着、だけど、男の行く道を邪魔しない環境が用意されている女って、かなり都合がいい女だと思うんだけど。男の稼ぎをべったりとありがたがりもしないかわり、それに取りすがって泣きもしない、というのは。まあでも、「かわいげがない」という欠点はありますね。


闘う男

♪最終のゴングまで 諦めやしないのだ
   闘う男たちよ 虚勢は張るが 去勢はされない (闘う男/The Bluehearts)

何を今さら、ですが、青色LEDの中村修二氏。
漠然と、エライ人やなぁ〜と思ってましたが、このまえ何かテレビ番組でちらっとお顔を拝見しまして、いや、この人、やはりただ者ではない、と。
目の輝きが違う。死んだ魚みたいな腐った目玉とは対極、きらきらと底光りがして、闘うバイタリティに満ちている。おお、これぞ男ってもんよ、と思わず手を叩きたくなりました。
正直、裁判の判決の妥当性とかわかんないし、青色LEDのこともよく知らないし、専門的に彼の実績にどれだけの重要性があるのかとか、そういうことに疎い私には、そもそも何をどう言う資格もないけれど、

ええやん、華があって。

いかにも無欲っぽい癒し系のノーベル田中さんも、それはそれでチャーミングだけど、私が女としての感性で選ぶなら、中村氏かなぁ。男としての華がある。いや、ごく一部では大口叩いてるとかハッタリかましてるとか、そういう見方もあるのかもしれませんが、男ならそれぐらいしてもええやんか、っていうか、してみろよ、みたいな気持ちが私にはあるので。裁判の件に関しても、オッサン週刊誌では、ちょっと批判調の記事もあったように思いますが、「イイ男に対する妬みでしょ」って感じですよね。

喧嘩上等。男なら、闘え。リングにも一人でのぼれんと端でナナメに見てるだけの輩が、寄ってたかってなにをいくら遠吠えしてみても美しくないねん。少なくとも彼はいっしょうけんめい闘ってるぞ。
てことで、きゃー修タン萌え〜♪とかはしゃいでたら、夫に「ええ歳して、けったいな言葉遣いやめんかいッ」と言われてしまいました。クスン。

あー、でもいいですね、あの人の目は。
私も20代の前半ぐらいだったら、ああいう目つきは「強引そう」「暑苦しい」とかいう拒否反応が起きて、もっと穏やかな目、というか、いかにも優しげで、ものわかりのいい上品な男が好みだったような気もします。が、変わりましたね、いつのまにか。
「寒い?」とか言って上着をかけてくれるとか、さりげなく車道側を歩いてくれるとか、そういう紳士的なエスコートというのは、あればあったで有り難いし、気持ちがいいんだけど、それだけじゃーね。
タイタニック号が沈みかけて、「ねえ、どうするの!?私たち、死んじゃうの!?」と冬の海でパニクってるとき、ただ紳士的に、自分は助からないけど板きれのうえに女を乗せてくれる、というだけじゃーね。なんとかして自分も女も生きる道を最後まで探し続けられるような男でないと。
軟派なくせに善人気取りのディカプリオより、人の赤ん坊を横取りして、さも自分の子のようにみせかけて救命ボートに乗り込んだ、あの悪役の男のほうが、まだ評価できるとマジで思います。
だって、死んだら終わりじゃない?

ただ優しくて楽しいだけじゃなく、逃げずひるまず、時には虚勢をはってでも闘いに挑めるのが本物の男。
私の場合は、年齢があがるにつれ、そう思うようになりましたね。眠っていた本能が目覚めたのかな?
人生にはいろんな危機や落とし穴がある、そうわかってくると、共にそれらを切り抜けて生きていけるパートナーを求めるのは、自然なことかもしれません。若いうちは、お行儀よろしくチヤホヤしてくれるだけでもじゅうぶん満足なんだけど。社会人になったら、イザというときオロオロしてちっとも使えない男じゃ、ちょっとねー。だって、私自身が「使えない女」だってわかってるから、「使えないモン同士」がくっついたら、周りに迷惑ふりまいたあげく、共倒れになるだけじゃない?自分自身がもう少し「出来る女」なら、守ってあげたくなるようなヤサ男もいいと思うかもしれないけど。

あー、うちの夫はですね、一応、「もしもタイタニック状態になったときは、おまえだけでも板きれのうえに乗せて助けてやる!」と、ナル入った目で言ってましたよ。
が、私が想像するに・・・夫が他の人と板きれを奪い合って、力任せにそれをぶんどってきたとしても、時すでに遅し。「おおい!!おまえ、この上に乗れ!!」と声を張り上げても、もう海水の冷たさに耐えられず私は死んでしまってて、夫が、「うわあ、なんで死んでしもてん!!」とか板きれに乗っかって泣き叫んでるあいだに、自分だけはしっかり救助されましたとさ、みたいなことになりそうな予感・・・(~_~;) 
だって、私と夫だったら、だんぜん夫のほうが生命力ありそうなんだもん。しぶとそうっていうか。




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