名誉な任務

イラク復興支援に派遣される陸上自衛隊本隊への隊旗授与式をテレビで見ました。
小泉首相が、軍服を着て集まった自衛隊員たちの隊列に向けて、演説をしていました。
本当に、こんな光景を見ることになるなんて、前の第一次湾岸戦争のとき、誰が想像したでしょう。
アメリカはしょっちゅう戦争をしているので、大統領が軍の士気を高めるために、台にのぼって演説したりしている映像は、毎度おなじみって感じです。だけど、この日本で、自衛隊員に・・・??
ほんとうに、なんだか異様な光景でしたね。不思議なモノ見たなぁって。

イラクへは戦争に行くのではない、復興のお手伝いに行くのだ、と小泉は言っていたけれど、それはそうなんだろうけど、ひとりひとりの隊員にとっては、やっぱり戦いだと思いますよ。
だって、戦争終結宣言後も、イラクの米兵が、テロでもう何十人死んでるんですか。知らないわけではないでしょ。
そして、約400人のイラク駐留米兵がストレス関連の精神障害を引き起こし、本国に帰還しているという状態であり、約20人もの自殺者まで出ているというんです。
なぜなの?
それはまだ、実質、戦争が終わってないから、「やるか、やられるか」の恐怖が常にあるからでしょう。
そんな国へ派遣されていく。米兵じゃないからテロの標的にならない、なんてことはないでしょうし、たとえ機関銃を使用することがなくても、日々、自分との戦いじゃないんでしょうか。

イラクへ派遣される自衛隊の危機管理マニュアルみたいなのが、ちらっとニュース特集で流れてましたが、そのなかで私の耳に「!!!」と、飛び込んできたのは、
「たとえば幼い子供の死体に爆弾が仕掛けてあるかも知れないので(云々)」
というセリフでした。
「そんな・・・そんなことが・・・」
私は絶句してしまいました。
でも、考えてみればそうなのです。テロとは、そういうものなのです。
怪我をした老人が道端に倒れていて、哀れげにせがむので水を飲ませてやろうとしたら自爆された、なんてことも起こりかねないのです。
人間として生きていく上で、このような危機を想定しなければならないという現実に直面することが、戦いでなくて、いったい何なのでしょうか。
自己の人間性との戦い、そうでなくて、いったい何なのでしょうか。

人は、生まれたときは快不快しかわからない。
だんだん知性が発達し、最後に身につけるものが、他者への思いやりや、恥を知るというべき自尊心です。赤ん坊の発育過程と、ボケ老人の痴呆の進行過程を見れば、このことがわかります。
生まれたときから何十年もかかって身につけた思いやりや自尊心も、ボケが進行すればまっさきに失われます。それらは、人間性の一番きれいな上澄みの部分だからです。ちょっとした衝撃で、濁ってしまう。

以前、文学学校の生徒さんで、もう八十をこえた方がいらして、太平洋戦争でのご自分の経験から、軍隊の内情を、短編に綴ってこられた方がいました。
主人公の男性は礼状で召集されたばかり。入る前は、軍人や軍隊というと、憧れと崇拝の対象でしたが、いざ入隊してみると、毎日のように繰り返される過酷な訓練に加えて、上官の理不尽ないじめやシゴキ。彼は早くも幻滅しかけています。軍隊では班をつくって行動するのですが、誰もが飢えや不快な現実に直面し、新入り同士でかばいあって耐えています。
そんなある日、上官の理不尽な懲罰をやんわりと止めてくれたのが、ひとりの古参兵でした。以来、みんなはこの古参兵に親しみを感じ、心の頼りにするようになります。ところが、たまたま嫌な上官が用事で出かけることになった日、この古参兵が上官から教練の権限をまかされます。それまで心を許していた皆に対する彼の態度は、日頃とはうってかわって、ひどく残酷なものでした。
主人公は、ささいなことから古参兵に打擲されます。思わず憎しみが湧いて、主人公は彼をにらみ返してしまう(そんなことは軍隊では御法度です)。すると、この古参兵は言うのです。
「おう、そうだ、その目だ、戦場で生き抜いていけるのはな、その目なんだ。よく覚えておけ」
・・・けっきょく、人間というものが、異常な環境のなかで、いかに人間性を蝕まれ、身につけた薄皮のような思いやりや自尊心をかなぐり捨て、もともと生き物として持っている獣性を呼び覚まされるか、という話なのですが、実体験に基づいているだけに、インパクトのある短編でした。

この古参兵の態度の変化は、すごく老獪で意地の悪いような感じで描かれていますが、実は、彼流の思いやりなのかもしれません。
「やるか、やられるか」の戦場で、人間の思いやりや同情心など、何の役にも立たない。どころか、生還するには邪魔なしろものなのですね。平気で相手を殺せなければ、自分が殺されてしまう。非情な一個の戦う獣になりきってこそ、勝って帰れるというわけなんでしょう。
昔、そのころ七十になる人から、大陸での戦闘体験を聞いたことがあります。
「怖かったでしょう?」と訊くと、「怖くなかった」と言うんです。
銃撃戦になって、耳の横を敵の弾がびゅんびゅん飛んでいく、それでも「怖い」という感覚はないのだそうです。ただ、無我夢中で、走ったり伏せたり撃ったりしているだけ、なんだそうです。
私は意外な感じがして、そんなものなのかなぁと不思議に思いました。

自衛隊の人たちは、「名誉な任務をまかせていただいた」という表現をしているけれど、内心はどうなのか?私などには推し量るすべもありません。
だいたい、今まで戦闘したこともない自衛隊。
訓練はしているし、武器も持ってはいるけれど、ひとりひとりの顔をみれば、私と同世代かもっと若い人も。
明らかに、戦後民主主義のなかで、反戦平和教育にどっぷり浸かってきた世代。
この人達も、こんな時代が来るなんて、入隊するときは思っていなかったのだろうし、必要とあらば銃を向けて人を殺す、なんてことが本当にできるのかと思います。
入隊したときから、寮で寝食を共にし、上下関係の厳しい環境で訓練を受け、自衛官として必要な思想教育も受けてきているだろうと思うのですが、なにしろ、昔のように何の情報も入らなくて、お上の言うことが絶対、という時代に育ってませんから。貧乏で食えない、という時代でもないし。入隊以前は、個の自主性が尊重される、それが当たり前という空気のなかで生きていたはず。
それが、自衛官になる過程で、「国民のため、国家のために、ときには命がけでも任務を遂行いたします」という精神構造になるのでしょうか。
私など、そんな環境に放り込まれたら、きっとすぐに逃げ出すので、わからないですが、そのままそこで順応する人もいるのでしょうね。

子供の死体に爆弾が仕掛けてあるかもしれないなどと、おぞましい用心を自衛隊員に押しつけるのが、この国のためなのですか?
イラクの人は喜んでいると。そりゃあ、こっちは大金も出してるしね。
これでブッシュに恩を売ったというか、貸しをつくったつもり?
わからない。
でも、多くの人の命が、人の人間性の、一番きれいな上澄みの部分が、脅かされている。
命は無事で、ちゃんと任務とやらを果たして帰ってこられても、魂は途方もなく傷ついてしまうかもしれない。
そもそもはアメリカ人も、日本人もない。イラク人も、何人も関係ない。
兵士も民間人もない。
子供の、幼い子供の死体に爆弾を仕掛けられているのではないかなどと警戒しなければいけないのは、いったいどうして。
駆け寄ってくる女性が爆弾を持っているのではないかと危惧しなければならないのは、なぜ。
あっていいはずない。そんなことが。そんな現実が、この世にあっていいはずなんか、ない。
でも、誰にも止められない。どうして。


メールの距離感

私はものを書くのが好きだし得意です。
だから、こんなテキストサイトやってます。あは♪
この能力は生まれつきだと思いますね。子供の頃から国語の成績は良くて、作文はいつも先生に誉められていたし、みんなの前で朗読させられたことも多々ありました。国語の時間は、たいていバカらしく思えたものです。「なんでこんなこと習わなきゃいけないの?普通に考えたら、すぐ理解できるじゃない」って。まー、誰にでもちょっとばかり得意なことというのはあるものだ、という話です。

このサイトではこんな文章のスタイルで通してますが、プロの物書きではなくても、私だってその気になれば、けっこういろいろな文体が書けます。
きちんとした敬語で手紙の型をふまえた恩師へのお礼状から、独特の口調を駆使した2ちゃんねるへの書き込みまで、ピアニストが譜面を見ればとりあえず88鍵を駆使してモーツァルトからジャズまで弾けるように、言葉というパレットを比較的、自由自在に扱う能力には長けている、と思います。
絵描きが有名絵画を模写するように、文体に特徴のある人の真似をして、そっくりの文体で書くこともできますよ。
なくて七癖。みんな、なにかしら癖をもってますからね。文のあとに「。。。」「・・・」を多用したり、「、」を「,」で打ったり、漢字とひらがなのバランスが独特だったり、何かよく出てくる口癖みたいなフレーズがあったり。

私にもなにかしら癖はあると思います。2ちゃんねるに書いたり、ほんとに匿名の名無しさんになりたいときなんかは、意図して自分の癖を消すようにしてますけど、どんなに文体を変えても、長文になると「思考の癖」がでますね。それはほんと厄介です。

つか、なんでそーゆー結論になっちゃうワケ?
ちっとばかし短絡的すぎんじゃねーの?w


なぁんて口調で書いてたとしても、ある程度、内容のある文章を書くと、話の切り出し方、展開の仕方、落ちの付け方で、「あっ、自分が書いた文章だ・・・」ってわかりますもの。自分にはね(~_~;)

現代人の活字離れというのは昔から言われていましたが、このごろになって、また活字復活ですよね、ネットやメールのおかげで。昔はどちらかというと、優れた文章を「読む」ことに主眼がおかれていたきらいがありましたが、今や、誰もが書く側、発信サイドです。
文章作成能力なんて、電話の普及であまり披露する機会がなかったのが、ここに来て、ケイタイでも、今や話すよりメールだし、私のような者にとっては、いい時代です。

さて、そのメールですが。
手軽ですよね。ケイタイで話すより、お金かからないし。
今では恋愛にも欠かせないツールですよね。昔なら、合コンしたとき電話番号を交換しあったりしたものですが、今ではメルアド(メアド)らしいです。
で、「メールしたけど、返信がまだ来ない。ウザがられてる?」「一日、二日なら待つけど、一週間放置なら脈なし」とか、あれこれ考えたり。コミュニケーションの道具が増えることで、それに付随するマナーや常識みたいなものが出来てきて、そのなかでやっぱり人間関係の悩みが発生する。面白いっちゃ面白いですね。
メールでおつき合いするとき、そのレスの速さ、頻度、内容などは、人それぞれ。私はPCでしかメールしないので、ケイタイのほうはよくわかりませんが、私なりにメール・コミュニケーションに対するスタンスを考えてみました。

なんといっても、親兄弟みたいにすごく親しくもなく、かといって疎遠なわけでもない人からレスが来ないときが、一番、相手との距離感が測れず判断に苦しみます。相手に好意をもっていれば、なおさら。
今、この瞬間にも、好きな誰かにメールを送ってしまった後、「なんでレス来ないんだろ。う゛〜〜」と悶々としている人は星の数ほどいると思います。
まあ、私もそんなふうに、思うことだってありました。
で、つらつら考えたんですが、メールの返事がこないとき、その理由は大きく分けて次の三つしかない。

1、自分の出したメールが悪い
2、相手にとって、自分という存在の優先順位が低い
3、相手がバカである

これ以外にないと思うんですよね。以下、解説してみます。

1は、自分の書いて送ったメールの内容が、誤解を招くようなものであったり、必ずしも次のレスにつなげなくてもいいものだと、レスが来なくても仕方がないんですね。
「寒いですね、わたしは風邪をひいてしまいました。あなたも身体に気をつけて。では」
みたいなメールなら、何をどう書いて返せというのでしょう。返信が欲しければ、上手に疑問形を利用すべし、です。
「寒いですね、わたしは風邪をひいてしまいました。喉が痛くて困ってます。良く効く『のど飴』みたいなの、知りませんか?マジで痛いですぅ(涙)。あなたも身体には気をつけてね」
これぐらいなら、さほど押しつけがましさもなく、相手にいくばくかの好意とか優しさ、人間関係に関する大人の常識があれば、「大変ですね、のど飴より、お茶でうがいするのが効きますよ。熱を出さないように早めに治しましょう」ぐらいの返信が見込めます。
ところが、これに返信がない場合、2と3のどちらかが考えられます。

2は、すばり、相手にとって、あなたは「どうでもいい人」。だから、風邪をひこうが、何をしようが、さして関心がない。わざわざ返信するなんてめんどくさい、このクソ忙しいときに、やってられないぜ、という意思表示です。
まあ、返信がない場合、たいていは、この2じゃないだろうかと思って、人は心を痛めるのですが、案外、そこまで割り切って無視しているわけでもないときが多いと思います。次の3の事情が、バラエティに富んでいるからです。

私は自分の出したメールをチェックして、よほどひどくない限り、2の心配をすっ飛ばして、3のうちどれだろうな、と疑います。明らかに自分に対する優先順位がめちゃくちゃ低そうな人には、そもそもメールなんて書きませんし。
3の人たちというのは、相手の優先順位がすごく低くて、返信なんかめんどくさー、ほっとこう、という気分でもない。書こうかな、書かなくちゃ、と一応は思うんだけど、実際は書けていない。結果として、相手からのメールを放置している。これが、メール・コミュニケーションにおけるバカの特徴です。一口にバカである、といっても、そこにはいろんなバカさがあります。

a,「忙しい」が言い訳になると思うタイプ
b,「何を書いたらいいかと考えすぎて書けない」タイプ
c,何事にもルーズな「甘え」タイプ
d,ツールを使いこなせないタイプ

aですが、「仕事が忙しいから書けなくて〜」。
これは、多いですが、言い訳になりません。書く気がなかった、面倒だったと言われるほうがマシです。それが事実ですから。
忙しいといっても、トイレには行くし、食事はするし、風呂には入るし、テレビは見るし、新聞は読むわけでしょう。たった1行、「メール見た。風邪、たいへんだね。いま忙しくて長文を書いていられない、ごめん、落ち着いたらまた書くよ」と、一回送信すればすむこと。たった三分で出来ることをしないなんて、待っている側の気持ちに鈍感である、としか言いようがないです。ほんとうに仕事のできる人は、「忙しい」を言い訳にしませんし、時間の使い方も上手です。

bですが、慎重に構え過ぎちゃって、自意識過剰のカタマリになり、結局は何も書けないまま、タイムリミット。「いまさら、出せないよ〜」という状態に陥る。シャイで視野が狭い人です。これもまた、待っている側の気持ちに鈍感である、としか言いようがないです。自分がどう見られるか、ということしか考えてない。
これから徐々に慣れていけば、改善する余地はありますが、それだけ気長につきあう価値があるかどうか、改めて確かめる必要あり、です。

cは、「そのうちに」と思って、書くのを後回しにしているうち、「あっ、忘れてたぁ」になるタイプ。後回しにする人は、後回しにされる人。ということで、こういうタイプと判明した時点で、私なら、この人に関するすべてのことは後回しにします。

dは、気の毒ですね。キーボードを打つのが遅かったり、文章を考えるのが遅かったり、そもそもツールの使い方がよくわかってなかったり・・・一言でいえば、メールという文字を使ったコミュニケーションに向いていないタイプ。しょうがないです、悪気はないのだから。でも、そのことをわかってもらおうと努力しないかぎり、相手にイライラ感を募らせるので、淘汰される可能性も・・・

さあ、あなたが返信を待ちこがれている人は、どのタイプ?
いずれにせよ、ちょっと機転をきかせられる人なら、相手を放置して悶々とさせることはないはず。
メールの内容・量・レスポンスの速度・引き際、すべてにおいてそつなくこなせる人とのメールのやりとりは、すごく楽しいものです。そういうセンスとか頭の良さは、年齢とか性別、関係ないですね。
このサイトも、もう五年(?)になりますが、ときたま、見知らぬ方からメールいただくことがあります。
ほんとに数は少ないんですけど、そのかわり、変などうしようもないメール、からかいのメールなどは、来たことがないです。それぞれに、きちんとしたメールなのが嬉しいですね。
もちろん、私はたいてい即レスです。体調とか、そのときの事情(旅行に出ていたり)が悪くなければ、一日、二日で返信です。キー打つのも文章を考えるのもはやいので、苦にならない、というのもあるでしょうね。
でも、やっぱり放置できない性格、というのが大きいと思います。


相性

明日はバレンタインデーか。
うーん、巷では義理と本命、二股、真剣、いろいろな思惑が飛び交っているのでしょうね。
この前、義妹に会ったとき、「おねえさんは、バレンタインに手作りチョコとかあげるんですか?」
あのさー、私がそんなのつくると思う?あげることすら考えてなかったわ。と言えば、
「えーっ、でもまだ子供もいてはらへんし、新婚気分が続いてるんと違います?」
わかってないなぁ、ウチらは新婚のときから、あまーい新婚らしいホンワカ気分なんて、なかったの。(と思う)
チョー現実的・実利的でしたね。

やっぱりね、相性ってあるよなーっていうのはほんと、つくづく考えます。
いや、義妹とその話をする前に、うちの夫とスーパーに行ったときのことなんです。
ええ、よく一緒に買い物行くんですよ、そのほうが自分の好きなもの買えるからって、夫が勝手についてくるんです。
で、バレンタインが近いからか、お菓子のコーナーに「手作りチョコキット」みたいなのが売ってて。
板チョコとホワイトチョコ、それに、ハートのカタチをした型と飾り付けのトッピング材料が入ってました。要するに、板チョコを湯煎にかけて溶かし、型に入れて冷やすだけのことなんです。
それを夫が見て、「なぁんや、手作りってこれだけのことか」と、さも呆れたように言うんですよ。どうせ、今までの人生で、もらったこともないくせにね。
「ほんなら、何か?あんたの手作りチョコっちゅうのは、カカオの豆を植えるところから始めんとあかんねんな?それにはまず畑の土を耕さんとあかんから、その道具も作らんとな」と言えば、
「そうやな、そのまえに溶鉱炉をつくって・・・」とか、悪のりしてくる。
こんなヤツに手作りのもんなんか、あげようかって気になりますか?
ただでさえ、めんどくさがりな私なのに。

ま、一事が万事、こんな調子です。なんか、殺伐としてますよね。
夫が家でゴロゴロしてるとするでしょ、その後ろ姿みてたら、すごく自然に、
なぁ。お尻、蹴っていい?
とか訊きたくなっちゃうんです。
なんか、でかくて頑丈そうで、蹴りがいがありそうで、いかにも「蹴ってください」って感じなんですよ。
それで、夫もまた、「嫌」とひとこと言えば済むことなのに、
「え〜、なんで蹴るねん」とか言うんです。
「ん?蹴りたいから。なぁ〜、ぜったい痛くせぇへんから蹴っていい?」
「ほんまに痛くせぇへん?ほんなら一回だけな」
そんで、軽く一回蹴るんですよ。で、安心させといてもう一回だけってまた言って、今度はちょっと痛く蹴る。
「痛いなぁ、もう!何するねん、ほんまに痛いやないか!」
「うわははは!痛かった?キャハハハ!!」
夫のお尻を蹴って笑い転げてる私もかなりイッてますけど、夫も夫だと思いません?
普通、嫌って言うでしょう?いじめられるタイプって、やっぱ、いじめられることを望んでるのかなぁ?

もともと私、こんな下品なことするような女じゃなかったですよ。
つらつら思えば、なんか、夫と暮らすうちに私が感化されて変になっていってる、みたいな感じがするんですよねえ。
私、こう見えても、わりと相手に合わせるところあるんですよ、無意識的に。
相手が望んでる女性像に合わせちゃうっていうか。それは、誰でもあると思うんですけどね。
たとえば、夫と同じような歳の研究者でも、Fタンと結婚してると想像したら、「蹴る」なんて発想は絶対にできないような気がするんですよね。
痩せてるし、ひょろっとしてるし、何よりも優しそうで紳士的だから、たぶん、Fタンと一緒にいると、私は限りなく女の子っぽく甘ったるくなるんじゃないかな?
食卓には花を飾って、彼が帰ってきたら、フリルのついたエプロン姿のまま出迎えて、「おかえり、おかえり、おかえり〜ン♪寂しかったぁぁ〜ン」って抱きついてるんじゃない?うん。甘甘ラヴリーな生活。
で、夫にそう言ってみたんですよ、そしたら、
「いや、もしかしたら向こうから、『蹴って・・・(ハァト』って言ってくるかもしらんぞ」と。
あのさー、Fタンは、あんたみたいなド変態じゃないんだから。
彼はあくまで紳士なの。お下品な妄想に巻き込まないで。失礼じゃないですか。
・・・いや、まぁ、でも、それもあの寒いダジャレを連発されないうちだけかも。あれが出たら、やっぱ私も一瞬で凍るかもしれない。
なぁ。蹴ってもいい?」って・・・

いやぁ〜、相性ってありますよねぇ〜、あははは♪
じゃ、今から、夫にあげる安いチョコ買ってきます、近所のコンビニで


花の咲かない種

♪ナーンバァワーンにならなくてもいいー
   もーともーととーくべつなオーンリィワァーン

マッキーのこの曲(世界にひとつだけの花)聴いてると、あー、この人は植物を種から育てたことがないんだなぁって、ハッキリわかりますね。
あのさ。花屋の店先に並んだ花は、どれもきれいであたりまえ。
それらは、もう、商品として価値を認められて、ちゃんと値札がついているのよ。
だから、どれを選ぼうかなって、人は目移りしてしまうんじゃない。
「どーれーもみんなきーれいだねー」って。

種から花を咲かせた経験のある人ならわかると思いますが、ひまわりとか朝顔のような大粒の種はともかく、ポピーとかストックなんかの種は苗床に種をバラバラって蒔いて、芽が出てきたら、伸びていくその芽のなかで、勢いのいいものを残して、他は「間引く」んですよ。
種の入っている袋の説明書きには、普通にそう書いてあります。
私が一時、ベランダ・ガーデニングに凝っていたとき、この「間引く」という育て方に、とても抵抗感がありました。弱々しい苗にだって、命があるんです。それなりに精一杯、生きてるんです。発育がちょっと遅いだけで、これからグングン伸びていくかもしれないじゃないですか。それを間引くなんて可哀想・・・
私は、ひ弱くひょろりとした苗も、それはそれで別の鉢に植え替えて、日の当たる場所に置いて、差別しないで水をやり、肥料をあげていました。すると、まあ、確かに花はなんとか咲きます。ですが、「満足に鑑賞できるような代物」じゃありません。虫もつきやすく、病気にもかかりやすく、それに対するケアだけは強い苗よりもっと必要なのに、咲いた花を見ても、かけた手間に見合うだけの美しさはないのです。
球根だって同じです。特価の球根三十個買ったら、ひとつぐらいは芽がでないで腐ってしまうものもあります。毎日水をやり続けても、他の球根の芽が出揃って、もうずいぶん伸びてきても、腐ってしまった球根から芽が出るはずはないのです。
わかります?この現実。

花卉栽培農家は、商売でやっています。私のように酔狂に、間引いた苗をとっておいて育てたりしません。
花屋で売られているきれいな花の陰で、花を咲かせるずっとまえ、もう芽の段階で「これは駄目」と捨てられていく芽や苗が、どれだけあると思います?
いわば、店先の花々は、そこにいるだけでもう「勝ち組」なんですよ。
それを見て、

♪ナーンバァワーンにならなくてもいいー
   もーともーととーくべつなオーンリィワァーン

とか思われてもね。
まー、悪気ないし、癒し系なんだろうけど、浅いんですよね。
みんなそれぞれ、世界にひとつだけの種。オンリーワンには違いない。だけど、ナンバーワンになろうと意気込まなければ、意味のない世界だってあるんですよ。

人は百点満点とろうと無茶苦茶に頑張っても、98点しかとれなかったりします。
最初のデートで、「完璧な自分を演出できた!」と悦に入っていても、帰りしなにふと自分のズボンのチャックが開いているのを発見して、激しく鬱状態になることだってあるんです。それが人間。
最初から、
「みんな違って、みんな特別だから、それでみんな、価値あるんだよね(ハァト」
とか思ってて、どうします?
「平均点の60点ぐらいでいいや」と思ってたら、30点しか取れないのが、現実なんですよ。
あの歌は、ナンバーワンを目指してもの凄く頑張って、それでもなれないから傷ついて意気消沈しながら戻ってきた男(女)を、両手を広げて微笑みながら出迎える人間が歌ってこそ、優れた歌になりうるんですよ。
人と比べなくてもいい、ナンバーワンでなくてもいい、あなたにはあなたの生き方や個性があって、それだけで素敵なんだ、というのはね。
もともとナンバーワン目指してない人間が、カラオケなんかで自分で歌って自分を慰めてどうするねん、という話です。この場合の「ナンバーワン目指す」というのは、文字通りの意味じゃなくて、自分の理想像を精一杯高く掲げて、この世界で生き残るために、ちゃんと努力してるかどうかって意味ね。
私としては、オンリーワンで自己満足してるような男はちょっと勘弁、って感じです。
うちの夫が、もしもそんな覇気のないヤツだったら、マジで「いつコイツを捨てようか」と思いますよ。
女だってそうです。男に次々と浮気されて、問いつめると「どれもみんなきれいだから比べられないや。誰がナンバーワンかなんて決めなくていいんじゃない?もともとみんなオンリーワンだよぉ♪」なんて言われて納得できますか?思わず横っ面はりたおすでしょ。
芽のでない球根。
花の咲かない苗。
結果的に自分がそうなんだとわかったとしても、それ自体に罪はない。だけど、水もやらない最初から、逃げ場をつくって、言い訳を考えてたら、芽が出るものもでないし、花が咲くものも咲かない。
ということで、夫よ。
書類かくのがめんどくさいとか、どうせ当たらんしとか言わんと、科研費の申請ぐらいしろ!!

いやね、夫のノートパソコンが壊れたんですよ。それで、新しいの買う買わないって話をしてたんです。商売人の娘である私の考えでは、それは研究に使うものなんだから、そんなん当然、「必要経費」ですよ。こういうのって、研究上の必要経費として、どこかからお金もらえないのかなぁと思ってたら、ふとしたところで「科研費」という言葉を目にしたわけです。申請すると、研究に使うお金がもらえるのだとか。
やっぱりそういうお金があるねんやん、じゃー、それでパソコン買ったらいいやん、という私に、書類がめんどくさい、パソコンぐらい自費で買ってもええやないか、ずっと前に一回、一生懸命に書いて出してみたけど当たらんかったから、それ以来、あほらしくて申請してない、とのたまう夫。

ええっ、あんた、申請もしてないの?


もー、呆れましたよ。
で、今度、出張行くんですけどね、ほんと、ぼろぼろで満身創痍のノートパソコン持っていきます。「こんなもん、もう捨てろや」って感じの。
恥ずかしいから、出張のときだけ、私のと取り替えてあげようかって言ってるのに。
あれで、みんなの前で講演するつもりなんですから、もう根っからのマゾとしか思えません。
いやもう、私が何を言いたいか、わかる人にはわかるでしょ?
私のせいじゃないですよ、どんなに夫が哀れっぽく、あることないこと喋っても、私が意地悪して夫を虐待してるわけじゃないですから。ほんと、誤解しないでくださいね。
それから、日本学術振興会とやら。何が問題なんか知りませんけど、ゴチャゴチャもったいつけんと、うちの夫のパソコン買うお金ぐらい、くれたってええんやないですか?たかだか20万円そこそこ。
そりゃ、べつにそれぐらい自費でだしてもええんです、ええんですけど、プライドの問題ですやん。
そんなにうちの夫の研究内容が気に入らんのんかっちゅう話ですよ。
そんで、ボロボロのパソコンのおかげで、私が周りの人から、ありもせん疑惑をもたれて誤解されてもええんかっちゅう話なんですよ。
ほんまに。来年度から、ちゃんと申請させますから、そのへんよく考えてパソコン代ぐらい出してください。


セクハラのいいわけ

私は、こんなところで書きたい放題に書いていますから、実際の生活でも「言いたい放題に言う人」なんだろうなと思われてしまいます。
まあ、それはあながち間違いではなく、自分が親しさを感じる度合いが増すにつれ、「言いたい放題」の人になります。
以前、大阪でU君と会ったときなんか、のっけから矢継ぎ早に、
「いやー、久しぶりぃ。最近どお?人生楽しんでるぅ?彼女できたぁ?まだなん?」なんて。

「おまえ、それセクハラやで」


と、夫に言われています。セクハラなのかなぁ?
文部科学省のセクハラの定義は、こうです。

職員が、他の職員、学生及び関係者を不快にさせる性的な言動並びに学生等及び関係者が職員を不快にさせる性的な言動。性的な言動とは、性的な関心や欲求に基づく言動をいい、性別により役割を分担すべきとする意識に基づく言動も含み、職場の内外を問わない。

また、もっと広義のセクハラとは、

「女性(または男性)であるために受ける不愉快な言動」 。ジェンダーと呼ばれる「女性(男性)はこうでないといけない」という考え方を、相手に押しつけることもセクハラです。

と、いうことらしいです。
うーん。「彼女できたぁ?」という部分がセクハラっちゃセクハラなんでしょうか。
私にしてみれば挨拶みたいなもんなんですけど。でも、相手が不快だと思えば、それはセクハラらしいですから、U君に訊いてみないと、ほんとのとこはわかんないですよ。もしも私がU君に「あんたさぁ、こーゆーの、セクハラに感じる?」と訊くと、「い、いや、そんなことないですよぉ、あは、あはは」とか笑いそうですね。

私は、職場とか公に立場の上下関係があるところにかぎり、セクハラという概念が存在するのだと思ってましたが、なんだか、恋人や夫婦のあいだでも、セクハラは存在するらしいです。
もー、はっきり言って、わけわかりません。線引きが明確にできないじゃない?
親が子供を叱るとき、「女の子なんだから、脚を広げて座るのやめなさいよ、みっともない」とか言うのも、セクハラ?
職場以外のフツーのシーンでも、セクハラ、セクハラと言ってたら、男は女も口説けないし、女はバレンタインにチョコも渡せないことになっちゃいませんか?だって、基準は相手にあって、相手が不快だと思えばアウトなんでしょ?だけど、そんなの、口説く前からわかんないじゃない。わかってたら、わざわざ口説く手間なんかいらないんだし。
・・・私、そんな無味乾燥な世界、ヤダなぁ。
超能力者じゃないんだから、相手との距離感とか雰囲気を察するとかいっても、限界あるでしょ。セクハラになりたくなかったら、念には念を入れて、
「あの、チョコもらっていただきたいのですが、ご不快ではございませんか?」
なんて、いちいち訊かなきゃなんないの?
「すいませんが、ちょっとお食事に誘っても、ご不快ではございませんか?」
とか訊かれたら、女としては萎え〜〜。念願かなって好きな相手とデートしてても、
「あのさー、手、つなぎたいんだけど、不快じゃない?」

さっさとつなげっちゅうねん、こっちもそれを待ってるんやから!!

・・・しらけますよね?

まー、あれですよ、私がセクハラ発言をするとしたら、その人に好意とか親近感とかを抱いている証ですよ。ぜんぜん興味もないし、好意ももってない人には、私だって、ツラーッとした赤の他人の顔ですもん。
夫に言わせれば、

「上品ぶるな!ほんまは腹黒いくせに!!」

ということになるんですが、私は自分にとって距離感のある相手であればあるほど、上品な振る舞い方になります。言葉遣いも丁寧、敬語も完璧(?)、無駄口たたかないで、仕草も笑顔も、できるだけ柔和な、癖のない印象にまとめる努力をします。ま、誰でもそうするでしょう?相手が信用できなかったり、嫌なヤツだと思えばそれだけ、自分の隙や落ち度を見せまいとして自己防衛するでしょう?
んー、だからね、「彼女いるの?」とか、それぐらいのセクハラ発言は許してもらえないの?って話なんですよね、けっきょく(~_~;) 
第一、身長153pですよ?で、体重40sにも満たない私に、「ハラスメント(おびやかし)」なんて感じますか?いや、精神的なダメージというのもあるかもしれませんが・・・

うう・・なんかこんなこと言ってると、私も、
「セクハラぁ?がははは!そら、あんたが若くて可愛いから、ちょっとからかってるだけやがな。まー、セクハラされてるうちが花やで、あんた。年取って、オバハンになってみ、自然となくなるわ。がははは!」
と、ツバ飛ばしながら笑ってる、まるでわかってない無神経オヤジと同じな感じがしてきました。
はぁ〜。世の中、難しいもんだなぁ〜。



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