ヤフオクのカオス世界

うわぁ、この「聞いて!」も、もう60?
自分でもよく書いたなぁと思います。最初とはトーンも違ってきたし、より、なんというか、リアルに。しかし、こういう一文の得にもならないことだと継続するんだなぁ、私って。いや、私自身の精神衛生には役立っていると思いますが。また、整理して、もっとスッキリきれいなサイトにしたいんですが、いつになるやら。

さて、ヤフオクにハマってるといってましたが、一ヶ月ぐらいやってみたら止めることにします。
あれ、やってると馬鹿になるっていうか、中毒になるっていうか、他のことがおろそかになっちゃいますよ。いや、時間的なこともあるけど、心理的にもね。
ひとつのIDでコンスタントに何十点何百点と出品し続けている業者さんとの取引ならともかく、普通の主婦やOLって感じの人もたくさん出品してるじゃないですか。私は主にアクセサリーのカテゴリしか見てないんですが、手芸の上手な人が自分の作ったビーズ・ネックレスを出品していたり。もう使わないとか、いただき物だけど似合わないとかいう理由で、ブランド物の指輪やペンダントを出品していたり。
業者じゃないし、出品しているものがUSED品だったりするので、入札のお値段はわりと控えめというか可愛いもんなんですが、彼女らの「商品」をうっかり落札したりすると、あとの「お取り引き」がけっこう大変だとわかりました。

なんていうか、もっちゃりしていて、ビジネスライクじゃないんです。
私にしてみれば商品とお金のやりとりにすぎないのに、彼女らにはどこかしら別の思いがあるようで、メールで商談していても、文章の中に私事や私情が入っていたり、お互い知らない者同士だというのに表面上の社交を求められて、すごく疲れます。他では通用しないだろうマイ・ルールを、平気で押しつけてくる人もいるようだし。
要するに彼女らがしているのは「お買い物ごっこ」なんですよ。だから、そういう世界では、売れればいいとか買えればいいというだけのモンじゃないみたいです。
で、ヤフオクには評価の欄っていうのがあるんですが、あんなの見ていても、よく粘着にバトルやってますね。そりゃプラス評価が多いに越したことはないんでしょうけど、出品してる人の中には、とにかく評価の数字があがっていくことを、ものすごく重要視してる人もいるんですよね。もう本末転倒的に。

私は、女特有の白々しい誉め殺し合戦みたいな「良い評価」のコメントはたいがい見ません。本音なんか書かれていないし参考にならない。マイナス評価のコメントのやりとりを見ますね、どっちかっていうと。プラス評価が圧倒的に多くても、少ないマイナス評価の内容が、理性もへったくれもない醜い言い合いだったら、「ああ、この人とは取引やめよう」と思いますよ。だって、オークションなんて、通信販売と違って、いろんなリスクがつきものじゃないですか。万が一のトラブルが起こったときのその人の対応こそ、見ておくべきだと思うんですね。
ある程度の規模の業者だと、ぜったいに不毛な言い合いはしてないです。落札者が理不尽に言いがかりをつけていても、自分が引いてますよ。自分が一歩引いて、落札者(お金を出してくれる客)を立てる形にしてます。一人でネットだけでちんまりと商売してるような感じの人だと、男でも女でも感情的な応酬をしてたりしますが。私としては、そういうのは業者(=仕事であると認識して商売している人)じゃないと見なします。

とにかく、そういう世界であると、こっちもわかっていなかったので、落札してしまってからが疲れました。もー、たかが何百円の話なのに、なんでこんな時間的心理的負担を背負い込まなきゃならないの、と。
相手がビジネスライクに淡々と進めてくれないと、こっちもつられて感情的になってしまいますよ。それでも、できるだけ穏便にやってるつもりですが・・・
もう「お買い物ごっこ」の評価が、生き甲斐の一部みたいになっている女性出品者との取引はこりごりなので、そういう素人さんに対する入札は敬遠するつもりです。どんなにその商品が欲しくてもね。同じ物、あるいは似たような商品なら、必ずどこかに売っているんですから、潔くお金出してそれを買ったほうがマシ。ある程度のお金で安心や快適さが買えるのなら、そのほうがラクですよ。朝っぱらから、わけのわからないメールにウンザリして、さて、どう返信したらいいのかと考える時間やら心理的負担やらをお金に換算すると、もうやってること自体が釣り合わないと思います。だから、私みたいな人間には向いてないのですね。ヤフオクというのはモノの売り買いを通じての社交場、という側面があったのですよ。私はたんに、買いたい人と売りたい人が取引するだけの場と、もう少しドライに考えていましたが。

でも、女って、まあ、男でもそうかもしれませんが、実生活で「評価される」ということが少ないでしょう?
女に対する評価って、実に曖昧なものが多いんですよね。数字で客観的に測れない。美人とか、家庭的とか、愛想がいいとか。それがあまりにも頼りないので、結婚すれば夫の社会的評価を自分のもののように錯覚し、ママになれば子供の評価はそっくり自分のものだと錯覚する、そんなふうに生きているのが女なんですよ。
社会でビジネスの場で、自分が評価されるということが少ない。だから、モノの売り買いもビジネスライクになれず私情が入るし、それにくっついてくる評価の数字にも人一倍、感情が入る。・・・ということなのかなと思います。

話は急に変わりますが、またしてもティファニーのペンダントを落札したんですよね。ええ、性懲りもなく。
そしたら、IDも出品者の名前も住所も振り込み口座も違うのに、なぜか送られてきたメールの文面が、前のパチモン売りじゃなかった方の人の文面とソックリうり二つ。レイアウトまで同じ。
あれ?と思いました。
うーん・・・手分けして仕事やってるのかな?住所が違うといっても、ごく近所だし。
落札した商品が送られてくるまで、それが本物かどうかもわからないのですが、どうも、前の人とつながりがあって、彼らが仲間内で分散してティファニーの商品を組織的に売りさばいている、というように想像できちゃうんです。
そういえば、住所は書いてあるけれど電話番号は書いてないし、メールアドレスだってヤフーの捨てアド・・・なんか、すぐに逃げられる体勢みたいにも見えるんですよね。えっ、今気づいたんだけど、苗字は別でも名前は同じ・・・ただし、漢字は違っているけれど。いやぁ、ますます怪しい(~_~;) 
そんなところにお金振り込むのも賭けですけど、たぶん大丈夫でしょう。まあ、商品が来ない、ということはないと思います。まだまだ儲けるつもりでしょうし。
しかし、ヤフオク見ていたら、ほんとに多いんですよ、ティファニーのシルバーアクセ。税関を通った並行輸入品だとの謳い文句で。でも、陰では、そのほとんどがコピー商品だと言われていますけど。
さてさて。今回のは、どこまで「本物」かしら?

やっぱ、お店での対面販売や、大手の通信販売に比べて、ヤフオクは不愉快なことも多いし、リスクも大きいです。画面ばかり見ていると、だんだん欲しいものが増えてくるのも困ったこと。
どうしても手に入れたいレア・アイテム、コレクションやチケットなどがある人はヤフオクで探してもいいかもしれませんが、漫然とやるのは止めといたほうが無難ですね。


ベーカリーの美青年

前回のヤフオクでゲットしたNEWティファニーですが、やっぱり私にはどこが偽なのか、わからないほど精巧なつくりでした。値段からすると、かなり怪しい代物なんですが、いちおう普段身につけるぶんには本物認定しておきます。

今、ファッションはカジュアル傾向ですから、シルバーアクセ全盛で、安あがりでいいですね。かつてのバブル時代とは一桁違います。シルバーといっても、ヘンに気を利かせてロジウムコーティングしてあるものはちょっと勘弁ですね。シルバーの自然な酸化による黒ずみを防ぐためなんですが、メッキは所詮、使っているうちに剥げてきて汚くなりますし。安いシルバー製品だと、ロジウムコーティングをかけることで仕上げの雑さを誤魔化しているものもあって、そういうのってパッと見はプラチナライクですが、手に取ってよくみるとどうにもこうにも安っぽくて。やっぱりある程度の値段を出して、コーティングされていないシルバー925を買う方がいいと思います。確かに、普段使わないでしまっておくと、黒ずんで汚くなりますが、専用の磨き布や液体を使うと、また元の輝きを取り戻します。面白いですよ、変色していたシルバーもお手入れ用の液体に浸けてたったの十秒でビックリするほどピカピカ!なんか、理科の実験みたい。

さて、全然ちがう話なんですが、近所のスーパーのなかにあるベーカリーで、すごい美形の青年を発見!!いままでも度々そこで買っていたのに気づかなかったのは、レジじゃなくて奥で焼いたり並べたりするのを担当していたからかしら?
でも、先日はその美青年がたまたまレジにいたのね、それで「ええっ!!」と目が釘付け。
二つあるレジの一方はおばさん。一方は美青年。
食パン一斤持って、私は美青年のほうに並びましたよ、当たり前じゃないですか。こんなきれいな男の子(いくつだかわからないけれど、確実にずっと年下)、ちょっとそのへん歩いてないんですもん。もー、まじまじ見ちゃいましたね。キャー、お目目ぱっちり!睫毛が長い!お肌がきれい!鼻筋も通ってて、指先もまあまあすらり!
ああ、まともな格好していてよかった。暑いもんだから、もう、とんでもなくだらしない格好で出歩いてるときあるんですよね、最近。こんなことなら、ついでにお化粧もしてくるんだったわ。

前々から思ってたんですけど、スーパーのレジとか銀行の窓口とかって、圧倒的に主婦が利用する頻度が高いでしょ?そんなところにオバサンとか女の子とか置いても、こっちはちっとも面白くないんですよ。ほんと、マジで言いたい。
おたくら客商売なんやったら、容姿端麗な男の子を置かんかいな!
いや、置いてください、お願いします。そしたら、ずいぶん感じが変わると思うんだけど。
うーん、普段の生活のなかで、あんな美青年、お目にかかる機会がないので、思わず見とれてしまいました。
でも、帽子かぶってるから、髪型がわからない。あれで手入れの悪い茶髪とかだったらゲンナリだなぁ。なまじ女顔できれいなだけに、思いっきり馬鹿っぽいじゃない。やっぱり黒髪。男は黒髪ですよ。
思えば、男が女顔できれいっていうのも、なかなか中途半端で難しいですね。色白のきめ細かな肌に、髭剃り跡とかあったら、なんだかそぐわない感じだし。かといって、まったくのツルツルでもねぇ・・・
飾り物って感じで、いやー、キレイ!!とは思うけど、積極的にどうこうしたいとかいう対象にならないですね、私は。やっぱり、女装なんか、絶対に似合わないような男でないと。少し疲れた顔も、伸びかけた髭剃り跡も、年月にざらついた頬も、それがセクシーな男でないとね。


CDがいっぱい

あれからまた例のベーカリーへ行ったんですよね。そしたら、おっ、いるいる美青年♪
でも、後ろを向いた姿を見たら、帽子から茶色い髪が首のほうへはみ出してます。・・・やっぱ、茶パツなのねん。あーあ、ちょっと減点。案外、背も低いしー。まぁ、そこんとこはこだわらないにしても、うーん、少し顔がデカイような気がするのは、帽子のせいかしら、それとも背が低いせい??
などとチラチラ観察しながら買い物してると、なんと!向こうもチラチラこっちを見てきて、目が合うじゃーありませんか。えっ!イヤン、何よ、何なのよ〜!

帰宅して夫に言いましたよ、
「私、そんなにあからさまに見てたかなぁ、べつに普通の顔してさりげなくチラっと見ただけやと思うけどなぁ。あの子、ちょっと自意識過剰ちがう?」
おまえやろ、自意識過剰は!若い男にチラチラ見られて、そんなに嬉しいんかいッ!!」
「へっ!べっつにぃ〜。だって、向こうはきっと『なんやこのお客さん。もしかしてオレのこと意識してんのぉ?げーっ、こんなオバハンにチラチラ見られたくない〜!』とか思ってるに違いないねんから」
「いや、『オバハン』とは思ってないやろ、おまえのその格好やら見かけからして。『あのおねーさん、僕のこと見てる〜??』って感じちゃうか」
「いや、あんた、甘いで。いくら格好が若くても化粧もしてなかったし、年はばれるもんやって(ため息)」
ばれたらどうやっちゅうねん!パン買うのに関係ないやろ、そんなもん。どんな不純な動機で行ってるねん、いややわ、おまえって」
「そりゃ関係ないけどさ、不愉快やん。たかがちょろっと見ただけで、あれこれ思われてたら」
「やっぱりおまえのほうが自意識過剰」
「そうかな」
「うん、絶対」

今度、買いに行ったとき、目があったらそのまま逸らさずにジッと見つめてやるとするか。
いやー、しかし、ますますキモイお客さんやね。やっぱ、普通にしてよう。

買い物ついでに、ツタヤの割引券が余っていたので、ここぞとばかりCD借りてきました。最近、パソコンからコピーすると、CD一枚が二、三分で焼けるのでラクなんですよね。
借りたのはですね、

イルカ 「BEST17」
山下達郎 「トレジャーズ」
Deep Purple 「DEEPEST PURPLE」
Led Zeppelin 「Remasters」
(オムニバス)「Brand New '80s」
Gloria Estefan 「GREATEST HITSU」
宇多田ヒカル 「DEEP RIVER」

ぜんぜん脈絡のない借り方ですね(~_~;)
イルカは、何のつもりで借りたのかよくわかりませんが、なんとなく懐かしいというか、癒し系が聴きたいと。内容は、べつにコメントするようなものじゃないです。本人より、やっぱり伊勢正三が書いた曲がいいなぁと思ったくらい。あ、でも、「Follow Me」とか「夜明けのグッバイ」のアレンジ、あの小田さん(和正)がやってるって知ってました?そう思って聴いてみたら、なるほどいつものパターンだわ。才能ないのに・・・

タツローは今更だけどすごいですね。よくイメージされる「夏のタツロー」より、私はちょっと翳りのある曲のほうが好みです。だから、「高気圧ガール」より、だんぜん「スプリンクラー」。これ、ベースラインとか、曲の感じがアルバム「メロディーズ」の「メリーゴーラウンド」に似てますよね。こういうベース、単調なんだけど、力強く前面に出ててカッコイイというかセクシー。ライヴで聴くと最高って感じの曲ですね。
あと、タツローにしてはしっとりとした「エンドレス・ゲーム」。これは「あまく危険な香り」系?でも、もっと切ない雰囲気です。なんか、竹内まりやが歌ってもよさげな感じ。癖のあるファンキーな歌い方でなく、わりと普通の歌謡曲っぽく歌ってるのもいいですね。声がよく伸びて、ほんとに上手いなぁと思います。

一時、タツローがバカ売れしてるオフコースに対抗意識持ってたみたいな話もあるけれど、はじめっからライバルにもなってないんだって。オフコースが♪イエース、イエース、イエース、ウーウーウー、とか歌った直後(私的なオフコース二大嫌いな曲はI LOVE YOU とYES-YES-YES。これがかかるとステレオの電源切っちゃう)、タツローはもう不朽の名盤「メロディーズ」売ってるんだから。
今だって、こんなにも完璧なシングル集を聴いた後には、もう小田さんの「ラブ突」や「キラキラ」なんて聴けない・・・限りなく嘘っぽいじゃない?古くさいし。タツローの曲も所詮、虚構には違いないんだけど、音楽自体に対する誠実さが見えるっていうか、アレンジの才能とか歌唱力とか、自分の持てるだけのものを曲に注ぎ込んでるってわかるんですよね、その誠実、それが人を感動させる。でも小田さんの場合、オフコース全盛、解散を経たあたりから、売れるかどうか、みたいな計算だけが先にある気がしますね。まあ、もともと楽器とか上手くないし、アレンジもダサいし、歌詞も成長ないし、メロディラインのちょっとした美しさとあの独特の声だけでもってたところに、音楽に対する思い入れまでも違ってきたということですが。

タツローは一人のアーティストとしてすごくバランスのとれた成長をしていて、健全で輝かしいプロの才能の持ち主って感じが強くします。片やオフコース(小田さん)は素人っぽい手作り感っていうか、青臭いダサさが、持ち味として良かったわけだから、そういう「純真」を失ってしまったらもう終わりなんですよ。
まあ、こうやって私はタツローと小田さんを比較してるわけですが、どっちが好きかと言われれば、小田さんなのね(^^ゞ いや、それは顔とかルックスに関係なくて。
タツローには「好き」とかいうより「尊敬」「すごい」という気持ち、でも、小田さんには、ある種の屈折した「愛」みたいな気持ちね(^^)
いや、だって小田さんって、もう壊れてるじゃない。私は、たとえ音楽に対して誠実さを失ってしまっても、いろんな才能がなくても、ただ単にタイアップして売れてるだけでも、それ故に壊れていく小田さんが、なんかいいのね、せつなくて。タツローは強力な精神力・実力を持って自立した大人って感じだけど、小田さんはなんていうか、自分から内省的に壊れていく万年青年タイプだと思うんですよ。その壊れ方が好きかな。

うわ、もうこんなに長くなってしまったわ。
Deep PurpleとLed Zeppelinについても書きたかったのに。ではまた今度。


2大カリスマ・バンド ’70s

前回の話題をまだ引っ張ります。

Deep Purple 「DEEPEST PURPLE」はよくあるベスト盤。知名度の高い曲ばかり入ってるやつ。
Led Zeppelin 「Remasters」は、同じくベスト盤ですが、二枚組。
この頃の録音(というか音楽)は、今のように複雑加工されてなくて、まだ生々しいですね。打ち込みもなく、エフェクトも最低限、ミキシングもあれこれいじってないし。それが今聴くと新鮮。
私が子供の頃は、ディーパー(Deep Purple)とZEP(Led Zeppelin)が、ロックバンドの双璧だったわけですが、何しろ結成・活躍が60年代終わりから70年代半ばということで、私だってリアルタイムではよく知らないです。ただ、中学の時、気になっていた男の子がギター小僧で、友達とバンドやっていて、パープルだのツェッペリンだの言ってたから、ちょっと興味を持っただけ。って、こんなんばっかしかい(~_~;)
改めて聴いてみると、ディーパーがエンタメ、ZEPは純文学、みたいな感じですね。

ディーパーはもう、リッチー・ブラックモア・バンドでしょ。ヴォーカルとかドラムスは替えがきいても、カリスマ・リッチー大先生のギターがないと、ディーパーは存在しえない。で、なんか、ギターやり始めたばかりのロック少年が、いかにもコピーしたがりそうな曲ばかり(^^) 派手でメロディアスでノリがよくて。
私も高校になって初めて自分でギター買ったとき、あの「スモーク・オン・ザ・ウォーター」の出だしを弾いてみましたもん(そこだけしか弾けません)。
「ブラックナイト」も「バーン」も、シンプルで簡単なイントロだけど、どこかポップで印象に残る、つまりわかりやすくてノリがいい曲が多いんですよね。曲のタイトルだって全然凝ってないし。小難しいお芸術の香りなんかしない。大衆的なエンタメで、それだけ飽きがきやすいってこともあるんですけど、それでもリッチーのソロはギター少年にとって永遠の憧れ。私も好きですよ。ディーパーもいいけど、レインボーも良かったですね。「アイ・サレンダー」とか。すごくポップでしょ。そのくせ、ときどきクラシック趣味とか入ってるし、演歌っぽい「泣き」も。レインボーの「メイビー・ネクスト・タイム」なんか、ど演歌ですよ。もー、マジで「泣き」の世界。いや、私は好きなんですが(~_~;)
さすがにリッチー大先生って、いいセンス持ってると思います。曲聴いていると、イアン・ギランなんかの暑苦しいヴォーカルはどうでもいいから、早くリッチーのソロにいけって感じになりますね。私はたいていヴォーカル重視な人なので、こういうのは珍しいです。

片やZEPですが、中学で聴いたときは、あまり何とも思いませんでした。どっちかっていうと、ディーパーのほうがよかった。あの神がかった名曲「天国への階段」も、「イントロいいんだけど、もうわかったから早くサビにいってよ〜」って感じで。一曲一曲が長い感じがしたんですね。性急に、わかりやすいノリや面白みを求める中学生の私には、ちょっと凝りすぎていて理解できなかったです。歌詞も。
ロッキン・オンの渋谷陽一なんか、ことあるごとにZEP賛美していたので、大学生のときは、よく友達と笑ってたもんです。なにせ、その頃、私たちは「ロック魂のかけらもない軟弱なニューウェーヴ」にハマりこんでいましたから。で、「オジサンってさぁ、若い頃に聴いて感動した音楽に固執して、そこから先へ進めないんだろうね」って。こういう態度がライフスタイルにも及んでくると、もう「人生の渋谷陽一化」だな、と言い合っていたんですが。
いやぁ、でも、今思うと、渋谷陽一は正しかった(^^)
ZEPって、いろんなスタイルにチャレンジしてるんですよね。ただのシンプルなハードロックバンドじゃない。実験的なんですよ。それは、やっぱり音楽に対して、向上心とか好奇心、「ひとつところに留まれない探求心」がいつもあったからじゃないかと。もう、バンドがビッグになって、確率したスタイルでもってセールスを叩き出すという状態になると、自分で自分をコピーするような、ラクなほうに流れると思うんですけど、あえて変化を求めていく、そのチャレンジ精神はいいですね。

あと、ZEPはなんといってもメンバー交代がきかないバンドだっていうこと。
ロバート・プラント(vo)とジミー・ペイジ(g)ですね。この二人の個性は強烈すぎて。それを支えるボーナム(d)も凄い。もう一人、誰だっけ、影が薄い人もいますが。
とくに、ロバート・プラントのヴォーカルは、ちょっとコピーできる人いないんじゃないかな。そのへんのハードロック、ヘヴィメタルバンドの、やたら力で押してくるような歌い方と違って、すごいソウルフルですよね。そもそも声が高くて絶叫型なんだけど、ちゃんとコントロールできてて、情感的です。才能ですね。伸びのある地声と、ちゃんと鍛えられた裏声を自在に駆使して、何でもないベタな歌詞も、なんだか意味があるように聴かせてしまう。
「あなたを愛し続けて」なんて、ペイジのギターも思いっきり「泣き」だけど、プラントのヴォーカルのほうがすごい。ブルースですよ。好きですね、この曲。
「移民の歌」では最初の雄叫びが笑えるというか、あれ、他の人がやったら、めちゃくちゃ恥ずかしいと思うんだけど、それなりに聴かせてしまうところが偉い。
「ロックンロール」みたいなノリも軽々と歌い、「カシミール」の謎めいた異国情緒も表現し、「天国への階段」のようなプログレぽいものまでこなしてしまう。うーん、ロバート・プラント恐るべし。
ディーパーをコピーしてるバンドならいくつも見たけど、ZEPのコピーバンドは見かけなかった。これは、ジミー・ペイジを真似できないというより、プラントのヴォーカルを自分のものにできる人がなかなかいない、ということだったんだと思います。


想い出の時計

想い出を大事にするほうかと言われれば、私は想い出を大切にしています。
ところが、想い出の品物、となると、あまり大事にしない。写真とか、お土産品とか・・・
写真なんて整理するのも面倒だし、第一、旅行に出ても、ほとんど撮らないし。
写真は写真であって、ほんものの風景や人じゃないでしょう?一枚の紙、ただの物でしょ?
私は物に感情移入しないタチなんですよ。例えば、彼氏からもらった指輪や香水。その物自体が気に入っていたら、その彼氏とは別れてしまっても、たぶん使い続けるんじゃないかな。だって、物に罪はないから。よほどひどい別れ方をして、「もうこんな物、見るのもイヤ!」という感じなら、さすがに捨てると思いますが。

過去の出来事それ自体は大切に思っています。が、それも、私と他の人ではちょっと感覚が違うみたい。
よく、長く付き合えばそれだけ情が移る、みたいなことを言う人がいて、うちの夫とか友人もそうなんですが、私の場合、確かに情は移るけれど、そのことにはそれほど重きをおいてないですね。
いわゆる「二人の想い出」とか「二人の歴史」とか。
人が思うほど、私はその「時間の長さ」を重いものだと感じてない。そのことで夫には「おまえって、冷たい」とよく言われますけど。なんか、巷の恋愛相談でも、「いままで優しくしてくれたこととか、楽しかった日々、いろいろ思い出すと、こんな状態になっても、まだ別れを切り出せないんです」みたいなのがありますが、それって、あんまりわからないですね。「今、好きじゃないんだったら、さっさと別れちまえ」と思うだけ。
昨日までは確かに二人の間に優しさがあって幸せな日々だったかもしれないけれど、今日、それがなくなってしまったのなら、もう仕方ないでしょう?あとは、明日をどうするか、という話だけで。
過去の蜜月が、どれほど長かろうと短かろうと関係ない。むしろ私が引きずるとしたら、それは関係の密度ですね。何年つきあっても関係が希薄なことはあるし、たった一、二度しか会わなくても強烈な印象が深く残る出会いもあります。そのインパクトっていうか、密度の濃さが私には大事で、長くつきあったことの情、というのは・・・また別問題ですね。なんていうか、そういう情は生ぬるく、心に深々と突き刺さって抜けない、そんなものじゃないでしょ。いや、実は私って「情の薄い女」なのかもしれないと思います。
でも、「二人の想い出」ったって、厳密に言えば同じものじゃないでしょ。別々の人間が同じ夢を見ていることなんか、たぶんない。そんな気持ちになる一瞬はあるし、実際そうなのかもしれない、その時は。でも、その一瞬から遠ざかれば遠ざかるほど、振り返って見る想い出なんて、同じものじゃなくなる。月日を経たら、そこには「二人の想い出」じゃなくて、「私の想い出」と「あなたの想い出」があるだけです。そして私は、「私の想い出」を抱きしめて生きる。それが虚しいとか思わないですね。そういうものだと思っていますから。

さて、新婚旅行で東欧に行ったとき、夫とペアで腕時計を買ったんです。帰りにトランジットで寄ったオランダのスキポール空港の免税店で。
MONDAINEというスイス・ブランドで、知っている人は知っていると思います。赤い丸の秒針がなんとなく可愛いスイス国鉄オフィシャル鉄道ウォッチです。私は外に出かけるときしか使わないし、他の時計も使っているので、あれから四年たった今でも、その腕時計は全然傷んでません。
ところが。うちの夫が使うと、何でも腐るし壊れるんですよ。
枕カバーやシーツ、シャツなどの布製品は、ヌルヌルのヨレヨレになって、いつの間にか穴が開いたり、変色して腐った状態になるし、腕時計だって早々にベルトがちぎれ、ケチだから(夫が)安物の替えベルトを使って、それもまたちぎれ、今度はなんと文字盤のガラスが割れてしまいました。
「なんでそんなことになるのよ」と呆れつつ、よくよく時計を見たら、文字盤の枠なんか、もう腐食して錆びてるし、あまりにもあんまりな状態なんで、「もう買い換えたら?」って言ったんです。

「買い換える?イヤや!!まだ使えるやないか!修理する」
「こんなの修理に出したら買うより高くつくに決まってるやん。それに、もうこれ・・・裏だってサビサビやないの。なんであんたが使うと何でもかんでも腐るわけ?信じられへん。あんたの身体からは腐食性の粘液か何かが出てるとしか思えんわ」
「とにかくまだ使う。そうや!ガラスの代わりにプラスチックの板を丸く切って入れたらええねん」
プラスチックの板ぁ!?あんた、何考えてんのよ!お願いやから、そういうビンボーたらしいこと、やめてよ!!素直に新しいの買ったらいいやないの!」
「いいや、買わへんな。おまえ、僕の修理能力を信じてないな?」
「あのな。そういう問題じゃないでしょうが(イライラ)」
「見た目は同じに見えると思うで」
「・・・MONDAINEの人が聞いたら泣くやろな。なぁ、やっぱり新しいのを買ったらどうよ。ほら、せっかくペアで買ったものやないの。あんた、せっかく私とペアのものやのに、大切やと思ってないの?(泣き落とし)」
「だからこそ直して使うんやないか♪想い出の時計やから。買い換えたら、もう想い出の時計じゃなくなるやろ?」
「(募るイライラを辛抱強く押し殺して猫なで声)だからさぁ、想い出の時計やからこそ、大事にそのまましまっといたらいいやん?あんたのことやから、直してもどうせまた壊すやろ?今度はどこかに落としてなくすかもしれん。いや、きっとなくすわ。だからな、なくしてしまわんうちに引き出しにしまっとき?なっ?で、新しいのを買ったら?」
「・・・。イヤや!これまだ使うねん!おまえ、人をバカにしてる!」

自室にこもってしまった夫。
何かを直すとかいうことになると、なだめてもすかしてもダメ。修理すること自体が喜びなんですから。
で、しばらくして、誇らしげに出てきて、見せてくれた腕時計。その文字盤を丸く切られたプラスチック板が覆っているではありませんか。ちょっと見にはわかりませんが・・・でも、ビンボーくさいこと、このうえなし。なんか、露店のパチモン時計より惨めったらしい。
「なぁ、頼むから、それ使うのはやめて。修理して気がすんだやろ?」
「何言うてんねん。使うために直したんやないか」
「そんなん人に見られたら、私が恥ずかしいやないの。何か、まるで私が腕時計のひとつも買わせずに、あんたを虐待してるみたいやないの」
「おまえ、しょっちゅう僕をいじめてるやないか
「アハハ。それはさぁ、あんたがいじめて欲しそうにしてるから」
欲しくないなッ
「とにかく、その時計は外にしていったらあかんよ!」
「(喜々として)いいや、していく!そんで、みんなに見てもらうねん。おまえがどんなに酷い女か、これでわかってもらうんや♪うひうひ」

あのー。仕方がないので、ここで本当のことを公開しておきますけど、私は夫を虐待してませんよ。
夫がカカトの薄くなった靴下をはいていようと、裾のすりきれたチノパンをはいていようと、首がよれて黄ばんだTシャツを着ていようと、髪の毛をぼさぼさにしていようと、それはぜーーーんぶ、夫の趣味でそうしてると思ってくださいね。決して、私が夫の着るものをケチっているとか、散髪代を渡していないとかじゃないんです。
それどころか、そんなみっともないものは捨ててくれとどんなに言っても、捨てないんですから。あるときなんか、私が黙ってゴミ箱に捨てていた「腐ったTシャツ」を目ざとく見つけて拾い上げてくるんですから。「何するねん、これまだ着るのに!」って・・・
後生ですから、みなさん、誤解しないでくださいよね。
私は、決して、夫を虐待してません。ほんとですよ。


証明写真

この前、パスポートを更新するために、カメラ屋さんで写真を撮ってもらったんですね。最近では、デジカメで撮って、すぐにプリントしてもらえるので、機械のなかに座って自分で撮るコイン式よりも、早くて安くてキレイです。
で、出来上がった写真を見て、うーん・・・と唸ってしまいました。これが、私?
自分の写真なんか、あまり撮る習慣がないのに加えて、たとえば何かの機会に撮ったとしても、たいていニッコリ笑ってるでしょ?でも、一応、証明写真だからと思って、真面目な顔して撮ったんですよ、今回は。そしたら、なんだか違和感ありまくり。「えっ。私ってこんなん?」みたいな。
鏡の前で、化粧なんかしながら自分の顔を見るときも、たぶん無意識に明るい表情をつくってるんですよね。だから、証明写真用の「ひたすら真面目な顔をした自分」を見ることって、久しくなかったんでしょう。いやー、ちょっと驚きました。
何がって・・・中途半端にシビアな顔してんなぁ、と。

子供の頃から、「可愛いお嬢さんですね」って、言ってもらったことがないんですよ、私。
いつも言われるのは、「賢そうなお嬢さんですね」、「しっかりしたお嬢さんですね」・・・etc
子供の頃は、単純に誉め言葉だと受け取っていましたが、やっぱりホレ、私だって女の子だもん、少しは「可愛い」って言われたかった・・・ような気もするんですよね。はっきりと意識してはなかったですが。
これって、うちの母のせいもあると思いますよ。母はいつも、「あんたにはスポーティーな格好が似合う」とか言って、ほんとに小さな子供の頃から、髪はずっとショートにされてたし(伸ばしたいと言っても許してもらえませんでした)、買ってきてくれる服はフリルとかリボンとかついてないシンプルなチェックのシャツとかセーター。すごく中性的な感じ。これじゃ、お客さんや親戚の人だって、「可愛いわね」なんて、お世辞でも言ってくれないじゃない。
ほら、たとえ顔がそんなに可愛くなくても、女の子をフリフリのお洋服やピンクのリボンで一生懸命に愛らしく飾り立てているのを見たら、「あー、きっとみんなに可愛いと思って欲しいんだろうなぁ」っていう親の気持ちが伝わるものでしょ?そしたら、大人同士なんだから、お愛想で「あらー、可愛いわねー!」とか言うと思うんです。私がその立場でも、そうするだろうし。たとえ心の中で、「髪型と服がな」なんて付け加えていたとしても。

思うに、母は共働きだったので、毎朝、幼い私の髪の毛を編んでやったり、リボンをつけてやったりする暇なんてなかったんですよ。だから、手の掛からないショートカットにしていたような気がします。まあ、私自身、(外見的にも性格的にも)愛らしさあふれる女の子っぽい子供では決してなかったので、母の気持ちもわかるんですが。
でも、私が今、リボンとかフリルとか花柄とか、どこかしらロマンチックテイストに傾いた服ばかり好んで買うのは、きっと、幼少時のトラウマのせいですよ(~_~;)
いや、母の言葉のせいで、自分にはそういうものは似合わないと思い込んでいましたから、高校時代までは、けっこう少年ぽいシンプルな格好ばかりしてたんですよね。大学に入ってからです、自分でフリルやリボンのついた服を買うようになったのは。それも、友達の一言がきっかけで。「可愛い服、着ればいいのに。案外、似合うと思うけどなぁ」
半信半疑で着てみると、それまで自分がこういう「甘さ」に飢えていたんだって心に沁みてわかりました。「いやーんっ、可愛いじゃないのっ(服が・・)!!これこれ、私に足りなかったのはこれだったのよ!」
以来、やめられませんね、花柄、フリル、リボン・・・もー、いい加減、年考えてやめたらって、自分でも思うことあるんですけど、これがやめられない。だって好きなんだもん。いや、さすがに、全身フリフリで、暴力的なまでに乙女チックなピンクハウスぽいものなんかは、もとから手を出しませんけど。シンプルさと可愛さがほどよく混じり合ってるようなのが好きですね。

そうそう、顔の話です。
例の証明写真を見て、私って中途半端にシビアな顔してるなーと思ったんですよね。なんていうか、「とっくに『青春』を通り過ぎてしまった顔」ですよ。いや、それで年相応なんですが。
ふわふわした綿菓子のような夢とか、手の届く当てもない恋を待ちこがれている顔じゃない。
かぼちゃは、かぼちゃ。馬車は、馬車。十二時をすぎたらとけてしまう魔法なんか、もう信じていない・・・そんな顔ですね。なくしてしまったのは、ガラスの靴。
もっと、ぽわーんとした顔でもよかったと思いました。
目の印象がきついっていうか、何かを考えてるような目でありすぎる。もっと、どこを見ているかわかんないような、ふわーんとした眼差しでもいいのに。毒にも薬にもならない癒し系の顔に、密かな憧れを抱いてしまうのは、自分がそうじゃないことがわかってるからなんでしょうね。
もっともっと若い頃は、ストレートな強さが出過ぎていた。
今は、少し知恵をつけた感じ、でも、全体に、満足はしてない感じ。
個人の幸せに満足しきってしまって、それに酔っているとき、人は端から見ればきっと、トローンとバカな顔をしている。「何か考えていそうな顔つき」というのは、そうではないんだ、と思いました。
ある程度の知恵はついたが、どこにも突き抜けていない顔、まだ未熟なしたたかさがかいま見え、「なんだかなぁ」と。ひとことで言えば、「可愛げがない」。

ほんとうはパンダみたいな顔になりたい。ぜんぜん尖ったところがない顔に。
ことさらに笑顔の練習をしてみても、ふと気を抜いた瞬間には、他人にこんな顔を見られてるんだな、と思うと、うーん・・・
いや、それも確かに私だから、嘘ではないから、べつにいいんですけどね。
とにかく、年をとるごとに「自分の顔に責任をもて」という言葉がのしかかってきて、重いです。
ロマンチックアイテムで身を飾るのは、足りないものを補う発想。他人に対して自分の印象をやわらげるためか、自分自身がリラックスとか「甘さ」を求めているせいか。たぶん、その両方ですね。


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