哀愁のモスバーガー

ハンバーガーに対しては、あんまりいい感じをもってません。いわゆるジャンク・フードですね。カロリーばかり高くて、栄養価は低い。最近でこそ、マクドナルドやロッテリアなどで熾烈な値引き合戦が行われていますが、昔は「ジャンクなわりに、けっこう高い」イメージもありました。でも、外食産業だって同じように軒並み価格を下げていますから、今も私の感覚では、ハンバーガー・ショップで五百円玉を出して○△セットを食べるなら、定食屋でランチを食べるか、スーパーでお弁当を買うほうが内容的にはずっとマシだと思います。なんといっても、躾の悪い子供がウロチョロ走り回ったり、女子高生の集団が化粧直ししながらゲラゲラ高笑いしているような店内で、ものを食べるという気にはなれない。ましてや一人では。

夫はもう四十こえたというのに、一人でハンバーガー・ショップに入ってもゼンゼン平気なヒト。過去の私だったら、そういう男の人がいたら、ひたすら「哀れみの目」で見てたでしょうね。
(まあ・・・なあに、あの男の人。学生じゃあるまいし、いい歳をしてハンバーガーだなんてみすぼらしい。まだお一人かしら?あんな調子じゃ、きっと彼女もいないんでしょうねぇ〜。お気の毒に)
という感じでしょうか。
ほんと、自分の夫が、もしかしてそんなふうに見られているかと思うと、ちょっと情けないものがありますが、私と一緒に食べるときは、私の好みを絶対的に優先してくれるので、平日のお昼にときどき一人勝手にハンバーガーを食べるのぐらい、まあいいか(私自身はその姿を見ないわけだし)と思っていたんです。けっこう好きみたいだし。ハンバーガー。早いし、安いし、手軽でいいんだそうです。
夫のお気に入りは数あるハンバーガー・ショップのなかでも、モスバーガーらしくて、ちょっと値段は高いけど、そのぶん美味しいし、サービスもしっかりしてるとのこと。で、いつもなら休日のランチを絶対にハンバーガー・ショップなんかで食べたりしないんですが、このまえ夫に連れられて(?)、近所に新しくオープンしたモスバーガーに行ってみました。

まずガラスドア前に立てられている値段表にびっくり。
「ええっ!ちょっとこれ見てみ。きのことカボチャのハンバーガーが三百円以上するの!?」
「なんやねん、大きな声だすなや」
「だって。高いなぁ〜。こんなんやったら、スーパーでお寿司かお弁当買って帰ったほうがマシやわ」
「ええやないか、せこいこと言うなよ」
「でも〜・・・セットで頼んだら数百円やん・・・たかがハンバーガーごときで。もったいない」
「おまえな。嫌味いうてんのか、それ」
「なんで嫌味やの」
「僕の稼ぎではハンバーガーのひとつも食えんっちゅうのんか」
「誰もそんなこと言うてないやん。ただ、マクド(ナルド)とかと比べたら、えらい高いなあと思って」
「うん。でもな、それだけのことはあるで。まあ、せっかく来たんやから入ろうや」

入ってみると、案の定、休日だというのに、いい歳をした男性の姿などありません。いたのは、女学生の集団と、子連れのオバサンたち。私たちは、カウンターでそれぞれに注文してから、窓際の席に座りました。まもなく注文した飲み物とハンバーガーが運ばれてきました。値段はふたりで千円ぐらいだったかな。
二度目にびっくりしたのはハンバーガーが分厚く大きくて、美味しく食べようと思ったら、すごい大口を開けて食べないといけないということ。最初は頑張っていましたが、しまいにあごが疲れてきました。
「なんかさぁ、あごが疲れるねんけど」
「ははは。おまえが食べてるの、見てたらおもろいな。少しずつ食べたらいいのに」
「だって。これ、パンと具がずれてきて、ソースがはみ出て、収拾がつかへんやないの。いっぺんにパンと具を食べんと美味しくないし」
「まあ、好きなようにしなはれ」
「しかし、好きな人とのデートでは、絶対に入らん方がいいところやな、ここは。こんな大口開けてハンバーガーと格闘してるところなんか、誰にも見られたくないもんなぁ。・・・目の前にいるのがあんたやから、今更なんにも気にせんと食べれるけどさ」

もし目の前にいるのが、M君やU君だったら・・・と想像すると、顔から火がでそうです。この狭い席、こんな至近距離で、いい歳をした大人の女が思いっきり大口開けて・・・
何かの都合で一緒に食事をしなきゃいけない、というシチュエーションになったら(まあ、ありそうにもないことですが)、とにもかくにもハンバーガーだけはメニューからはずさねば、と思いました。ピザなんかもチーズが糸をひいて、きれいに食べるのは難しいのですが、このモスバーガーよりは、はるかにマシ。
そうです。私は意外とカッコつけ(ええかっこしい)なところがあるのでした。
だから、値段に関係なく、高級寿司店なども困るのです。にぎり鮨って、たいていネタが大きくて、一口で食べられないでしょう?イカなんか頼んだら、もう最悪。無理して頬張ると、口の中で噛み切れない〜〜!思わず、板前さんを睨み付けそうになります。あんたな、人の喉詰まらせて殺す気ィかッ!
まあ、無難なところで懐石か中華みたいなのがいいですね。ポチポチ食べられるやつね。

さて、夫は食べながら、「なっ、ここのハンバーガー、わりと美味しいやろ♪」を連発していましたが、私はもう二度とここには来ないだろうなぁとぼんやり思っていました。それから、ふと隣の席を占領している十代の女の子たちに目をやり、私たち夫婦ってどんなふうに見えるんだろうなぁと考えると・・・倦怠期にさしかかっても、いつまでも若者ぶってる、チープな勘違いカップル?
・・・やっぱ、ハンバーガーはティーンエイジャーと子連れママ軍団の食べ物だわ。
無邪気に大口で頬張る姿が似合うのは、オコチャマだけ。いいオトナがやると、背中に哀愁を漂わせてしまう。
夫よ、どうでもいいが、そろそろジャンク・フードは卒業してください。健康の問題もあるが、美意識の問題もあるのですよ。


きみを守るため♪

三寒四温の気候みたいに、体調が良くなったり悪くなったり。
もう少し身体が頑健で、体力があったらなぁ〜といつも思います。あれもこれも出来るだろうに。
でもね、何でもかんでも持ってる人というのは稀だし、何もかもが揃っている時期というのもないですよね。
お金があっても体力がなければ、それを活かして旅行や事業などできないし、体力があってもオツムがなければ、人に搾取されるだけで終わる。若くてまだ可能性に満ちていた時には、智慧が足りなかったし、臆病な気持ちをようやく乗り越えた時には、目標はまた遠くへ行ってしまっている。
あーあ・・・と、ぼやいてみても始まらない。今の自分、今の環境を、ただありのままに直視するのみ。

べつにお金に困ってるわけじゃなし、夫は配偶者としてそこそこだし、オコたんはイケメンで元気だし、お姑さんのくれた手作りの「いかなごのくぎ煮」は美味しいし、誰も私にああしろこうしろとうるさく命令しないし、環境は決して悪くないんですよね。ただ、自分自身がどうにも良くないだけです。
今どうなりたいかっていうと、もっと心身ともに丈夫で、もっと賢くなりたい。
ちょっとしたことで動揺したくないし、ちょっとしたことで食欲が落ちたり疲れたくないし、自分ってなんてバカなんだろうと思う瞬間をもっと減らしたいです。

ところで、リアルで私のことを知っている人は、私について二通りの違った印象を持つみたいですね。
第一印象しかない人、あまり突っ込んだ話をしていない人、集団の場でしか会ったことがなくて、サシでじっくり話したことがない大多数の人たちは、たいてい私のことを「明るすぎ。サバサバしてて悩みなんてなさそう。一人でもじゅうぶんやっていけそう。心身ともに頑丈。心臓に毛が生えてるんじゃない?」と思うみたいです。
それとは逆に、長いつきあいで、私のことをよーく知っているごく少数の人は、「やることなすこと危なっかしい。感情の起伏が激しくて、落ち込んだらとことん暗くなる。物言いや態度のせいで、人から誤解されやすい性格」と思うみたいです。
で、後者の人たちは、「こーゆーヤツをちゃんと理解して、付き合ってやれるのは自分だけなんだ」と妙な保護欲にかられるみたいです。
親も言ってたし、昔の彼氏にも友達にも言われたし、今の夫にもそんなふうなこと言われるし、私ってそんな人間なんだろうかと思いますね。
うーん、たぶん、そうなんでしょう。
思い立ったら何やり出すかわかんないし、感情の起伏が激しくて周囲の人間まで巻き込まずにはおれないし(親からは「台風の目」と言われてました)、目上とか目下とか社会的立場をあまり考慮しないで何か言ったりしたりするときも多いし、たしかに、端から見ていて、「自分がついていてやらないと、危なっかしくてしょうがない」と思われてしまうんでしょう。
なんか、有り難いんだけど、自分としては情けなくもあり、というところ。

また次元の違う話になりますが、そのへんに流れているJ-POPで、男のボーカルやグループの曲だと、なんか歌詞に「きみを守りたい」「幸せにしたい」みたいなニュアンスのが多いでしょ?私なんか、その甘ったるさに思わず「ケッ」て言っちゃいますね。この嘘つきめが、と。
あのなぁ、誰かが誰かを守るやなんて、おこがましいねん。守って守りきれるもんなら、やってみぃ!そんなもん、不可能やってことが、よーく身に沁みてわかるわ。命がけで生んだ我が子ですら、世の中の荒波からは守りきれんもんやで。ましてや、ただの彼氏彼女の関係で何をどーやって守るっちゅうねん・・・はぁ〜、虚しい。
「守ってあげる」だなんて、自分で自分の言葉に酔ってるか、「守る」という行為の難しさがわかってないか、どちらかに見えます。でも、男はそういう言葉を言いたがり、女はそういう言葉を言われたがる・・・これも、一種の遊戯でしょうか?
男って、本当は女よりも脆弱なところがあると睨んでいる私は、どうにも滑稽さを感じてしまいます。

自分のことは、自分で守るもの。自分の幸せは、自分でつかみとるもの。
宇宙戦艦ヤマトの中でも、コスモクリーナーをイスカンダルまではるばる取りにやってきた古代君たちに、スターシァが言うじゃありませんか。「幸せは自分の手でつかみとるものですからね」とかなんとか。
たいていの人間って、自分のことでいっぱいいっぱいなんです。だから、気持ちだけは有り難く頂いておくとして、私は他人に守ってもらうことを期待しながら生きたくない。どっちかっていうと、自分が、誰かのために何かしてあげられる存在になりたいですね。なかなか出来そうにないけれど・・・


これが戦争

本格的な春もすぐそこまで来ているというのに、心はウツウツ・・・
原因は、このところ毎日、テレビで流されている米英対イラク戦争。
それと、個人的には、小説の方向性やら己の資質についての悩み。

個人の悩みはさておいて、戦争は・・・私などが何を言えるもんじゃない。
だって、よくわからないし。
たぶん、本当によくわかっている人なんていないんじゃない?
世界の歴史をずーーっとおさらいしてみなければ。
ただ、思うことは、「なぜこんなふうになってしまったの?」
二本足で立って歩く人類の祖先が、その昔、アフリカで産声をあげたときは、こんなふうになるはずじゃなかったの?それとも、やっぱり、人類は必然的にこんなふうになってしまったの?
いろんな病気を克服して、いろんな過ちを克服して、決してもうお互いに傷つけ合わないと誓って。
でも、まだまだ残されている貧困と不公平。

貧乏が悪いんです。そして、機会不均等な社会が人間の妬みや恨みを増幅します。
みんなが、着るもの食べ物におおかた満足し、適当に娯楽があり、真の自己実現にチャレンジできるようなら、きっと誰もわざわざ殺し合いなんかしない。
一方ではたらふく食べ過ぎた人々が、でっぷりと肥満した身体を持て余しながら様々な娯楽に興じ、一方では痩せて骨も露わになった人々が、薄着のまま木の根までほじくり返して食べる・・・そんな現実があるから。
何億円もするハイテク武器を湯水のように消費できる人たちがいる一方で、刃先の欠けた剣と自分の筋肉にしか頼れない人々がいるから。
共産主義社会になればいいとは思わないけれど、これは酷すぎると誰でも思うような、そんな貧富の差と機会不均等を、人類はまだ克服していない。
たぶん、あと百年たっても、まだそれは残っているんじゃないかな。

バグダッドの夜空に閃光が走り、爆音が轟き、煙とともに建物の破片が高く舞い上がるのをテレビの映像で見て、ふいに感情的になり涙をこぼしてしまう私と違って、うちの夫は冷静です。
「・・・??おまえ・・何をいきなり泣き出すねん」
「だって!酷いと思わん?あんなに建物が壊れて粉々になって・・・あの街には住んでる人がいるのに!きっとみんな死んだり傷ついたりしてるわ。放送せえへんだけ、テレビで映さんだけやん。みんなでよってたかって、あそこまでせんとあかんの?可哀想やん」
「うん。気の毒や。そやけどな、これは戦争やねんで」
「これが戦争なん?これが戦争なんやね」
「そうや、これが戦争やねん。おまえなんか、そういう社会的なことにはほとんど興味ないから知らんやろうけどな、もっと酷いことはあちこちでいっぱい起こってるねん。この十年に起こったことだけでも、アフリカのルワンダ内戦、ロシアのチェチェン紛争、ほかにもまだまだ何十万、何百万単位の人間が戦争で死んだり負傷したり難民になったりしてるんや。こんなに大きく写真やら映像つきで報道もされんから、誰も大騒ぎせんだけで。今さら泣くぐらいやったら、そういうことにも想像力はたらかせてみ?」
「・・・私が目で見る刺激に弱いっていうだけやね。遠いアフリカのことやったら、何十万死んだって言われても、正直、ふうん、としか思わんもん」
「いや、僕もようわからんわ。目の前に死体が転がってたり、死体の写真を見たりしたら、やっぱりそれを見ん場合とは違うやろうな」

まあ、今回は、日本もアメリカの後ろにくっついて、国連裏切ってますからね(いや、国連がそんなに清廉な組織とはゼンゼン思ってませんでしたが)。ルワンダやチェチェンよりはずっとずっと身近っていうか、ほとんど当事者みたいなもんでしょ。
ふうん、じゃ済まされない。税金だってドドーンと出ていくんだし。
我が身に火の粉が降りかかってこないうちは、戦争だって何だって、他人事なんですよね・・・
あ、そうそう、話は変わりますが、やっぱり男って好戦的というか、アタマの構造が違うのかな。夫に、
「こういう戦闘機とか飛んでいく映像を見て、男の子だと、格好いいとか思ったりするのかなぁ?」
と訊いたら、
「うん。まあ、正直、メカ的なもののカッコ良さは感じるな。戦いって、なんとなく血が騒ぐっていうか、わくわくするようなところはあるんとちゃうか」
・・・見てるぶんにはね。

本当に、米英主催の戦争ショウみたいな感じもする、テレビ画面の向こうの戦争。だけど、
「・・・では、イラク側の激しい抵抗に会い・・・」
とか、ニュースで読み上げられてると、つい胸が痛みますよ。だって、「抵抗に会う」って、それは結局、そこで戦い、つまり殺し合いをしているってことだから。そして、次にニュースを見たときには、「米英軍により、制圧されました」・・・ということは、大勢のイラク兵たちが戦闘で死んだり捕虜になったりしたことを意味するんだから。
軍事評論家と称する人たちも、出ずっぱりですが、いくら軍オタでその方面の知識を思いっきりヒトサマに披露できる機会が来たとはいえ、せめてもう少し神妙な顔をつくってくれないかな。ほんとに人が死んでるんだもの。これからだって、もっと死ぬんだろうし。
しょせんは、つかのまとわかっている胸の痛みでも、どうせ偽善と切り捨てることなく、せめて今は大事にしようよ。


同人誌創刊

テレビニュースを見れば、ズガーン、ドシーン、ズキューンと、米英対イラク戦争報道は一段と過激さを増してきています。早期終結を誰しもが願っていると思いますが、どうなることやら、まだ予断を許さない状況。こんなときこんなことをお知らせするのもナンなんですが、私の参加している同人誌の創刊号が、やっとできました。

名前は「森時計」。同人は私を含めて九人。九作品(ひとつを除いて短編読み切り)が収められていて、全部で130ページぐらい。サイズはA5。高校の英語とか数学の教科書ぐらいのサイズ&厚みかな?定価千円。表紙写真はこちら。なかなかシックなデザインです。
中身は、そうですねぇ・・・いろいろバラエティに富んでます。ま、同人は女性が多いので、それは偏ってるかも。三十代以上、七十代まで、世代的にはゼンゼン若くないです。そのせいか、あまりふわふわした感じはなくて、地に足ついてる印象ですね。レベル的には、さほどバラツキはなくて、それなりにまあまあ揃っていると思います。うーん・・・この同人誌より、もっとつまんないプロの本もあるだろうし、同人向けといえばいえるかも知れませんが、一応、文章(特に純文学)を読むのが好きな人なら、「読める」範囲にあるでしょう。

今、私の手元に十数冊あります。一冊欲しいなぁ、ちょっと読んでみたいなぁ、という奇特な方は、ぜひぜひメールください。特に、今回は創刊号なので、この同人誌が今後、いい形で発展的に続いていくと仮定すれば、この業界(?)では、それなりに価値がでるかも、です。
遠方の方には郵送、大阪市内まで出られる方ならば手渡しも可。定価は千円ですが、私の手元にあるぶんは、もう気持ちの問題、これくらいなら・・・という金額を書いてきてくだされば、融通はきかせますので。
ということで、関心を持たれた方、よろしくお願いいたします。


完全な別れ

桜が咲き始めました。木蓮は満開です。
春の花たちは、あっという間に咲いて、あっという間に散っていく。実にもったいない。でも、惜しまれて散るからこそ、いいのでしょうね。いつまでも未練たらしく賞賛の言葉にしがみついていない、その様子が。

個人的に、二月末から三月半ばまでは、どんよりクラ〜イ気持ちでしたが、いま、ちょっと心が軽くなっています。つかの間の休息、という感じで。
自分の中で、あるひとつの「時期」が終わった、そんな気がするんですよね。
ようやく、山を乗り越えてきたばかり、というか。で、ちょっと一休み。
以前、「縁切り時」について書いたと思いますが、あれですね。二月半ばに「その時」が訪れ、最終的に行動したのが二月末から三月はじめ、心の整理がついたのが三月の後半。
それは、縁が切れたというか、ひとつの別れですが。

別れるときというのは、完全に別れないとダメですね。
どんなふうになったら「完全な別れ」かというと、そのことを考えないでいられる、考えたとしても、恨みがましい気持ちになったり、批判的になったり、心が疼いたりしない。要するに、気分は流れる水のようにサラサラ、吹く風のように透明。あー、そんなこともあったねと、もはや、どこかぼんやりした感じしかしない。すべてを受容して、そのなかに何かしらの意味を見いだし、そしてそれ以外はすべて捨て去る、というのはそんなふうなこと。
本当にそのことを乗り越えると、悔しさとか未練が残らない。正面から乗り越えずに迂回して避けると、精神的にどこか尾を引いてしまう。さっぱりしない。

乗り越えた山は小さく見える。
振り返るだけの価値もないように思える。まだ自分は生まれたばかりで、何もやってないような、そんな気にさせられる。だから、前方に見える山に向かって行こうと思う。
迂回した山は大きく見える。
何度も振り返って、その度、やり残したことを数え上げたくなる。それは、妙に価値のあることのように思える。なんとなく立ち去りがたく、いつまでもグズグズと足踏みしてしまう。

いつも成功するとは限らないけれど、今回は上手く乗り越えられたと思います。
そのぶん、消耗もしましたけどね。精神的にも身体にもきたし。けっこう、疲れました。
んー、でも、なんらかの代価を支払わないと、人間って成長(変化)しないんじゃないかな?
べつに成長するために生きているわけじゃないけれど、きのうも、きょうも、あしたも、ずっとずっと未来永劫、今のままの自分だなんて、想像するだに恐ろしいんです。
変わっていきたいと思うんですよ。私はね。
ときにはその変化が寂しいと思うこともあるけれど。
でも、それ以上に、ひとつのところにずっとずっと留まり続けるのは嫌なんです。
箱に閉じこめられた人形になりたくない。ピンで留められた蝶の標本になりたくない。自分の自由意志で留まっているのなら、何か意味があるんだろうけれど、意志に反して抑えつけられてはいたくない。
ある星の引力につかまって、その星の周りをグルグル回るだけの衛星にはなりたくない。
ひとつの引力につかまっても、またそこから出ていけるだけのエネルギーを備えていたい。
それができなくなったとき、正真正銘、「老いた」と思うんでしょうね。


人生をチェンジ!

うちの夫はマジで研究好きな人です。
好きなことが仕事になってるわけで、本人にしてみれば、「だからこそ大変」なことも多いのでしょうけど、きっとそれも「幸せ」のうちなんだと思います。
端から見ていると、実に羨ましい。
いや、私も専業主婦として家のなかでダラダラ過ごしたり趣味に熱中したりしているのも、自分じゃ悪くないと思ってますけど、なんと言っても、それって多くの人から賞賛されたり価値があると認めてもらえることじゃないですよね。

しんどさはあっても、最終的に好きな仕事なら、そう苦にならないだろうし、その結果、お給料という目に見えるカタチで公に認められている、報酬もらっているというのは羨ましいことです。私たちがつくる同人誌なんて、何人に読んでもらえるかもわからない代物だけど、夫の論文は、それがどこかで発表されたら一応目を通すという「固定読者」みたいな同業者がちゃんと一定数はいるわけです。それだけでも、いいなぁ〜、羨ましい。
ときどき、仕事でひどく疲れたり行き詰まると、さすがの夫も弱気になって、「おまえはええなぁ、気楽で。今度、生まれたらおまえみたいな人生やりたい」と言います。私も、「私があんたに生まれたら、もっとてきぱきと上手くやってみせるのに」とか言ってます。人生をチェンジしようぜ、と冗談で言い合ったりするんですが、私は半分以上、本気だけど、夫はたぶんその半分も本気じゃないでしょう。

なんか、最近思うんですけど、若いときって、実に些細な、つまらないことで悩んだりしてたよなって。
あんなにウダウダと「青春」するより、何かこれというものに心底打ち込んで、その道のプロになる努力をしておけばよかった。「少年老いやすく、学成り難し」です。
ワーカホリックとか研究バカとかオタクとか、なんでもいいんですけど、そういう「狭い分野をつきつめた人たち」って、案外と幸せなんじゃないかと。つきつめられるほど、熱中できる対象があるわけで。極端な話、熱中できることをして充実感があれば、恋愛とか結婚とかには興味なくなっても不思議じゃないんじゃないかなぁと。
で、もしそれでやってきた人が、ある時とつぜん虚しさを感じてしまったとしても、恋愛だの結婚だのは、する気があったらいつでもできるじゃない?それより、地道な努力や知識の積み重ねを継続していくほうが、はるかに難しいじゃない?ねえ?
だから、今、十代とか二十代前半を過ごしている人たちが、恋だの愛だのにつまづいて悩んでいるとか聞いても、そのたぐいの悩みはいつでもできるから、何かの能力をもって人より抜きんでる努力を今のうちにやっておけ、と言いたくなります。恐らく、親が子供に「勉強しろ、いい大学へ行って、ちゃんと就職しろ」と説教する中身って、そういうことなんですよね。ウン。

とくに男。女の人生は、「男に愛されるための努力」をしないと、結局すべてがパァ、というシビアな場面もまだまだあると思いますが(男社会ゆえ)、男が女からモテモテでちやほやされたとしても、芸能人になるのでなかったら、それだけじゃどうしようもないでしょう。研究者なら、いくらイケメンでプライベートではモテる男でも、学会発表がショボかったら、「けっ。あいつバカ」という烙印をみんなから押されて、業界では黙殺されるだけ。
こんな事言ってて、うちの夫がショボい研究者なのか、そこそこ認められてるのか、私はよくわからないのがお笑いなんですけど、まあそれはそれ、うちの事は棚に上げて置いて、うーん、やっぱり「きらきらしく青春」するより、「ジミに生き残る努力」を優先させたほうがベターだと思いますね。だって、本気で青春やってたら、その他のことはおろそかになってしまいますよね、普通はね。よほど要領よく生まれついた一部の人以外は。

夫よ、マジで人生チェンジしようや。
あんたのチマチマした執念深さや我慢強さに、私の小賢しさと何が何でもの目立ちたがり精神が加われば、鬼に金棒人生やで。歌って踊れて学会の研究発表もビシッとキマる研究者の出来上がりや。
って、これじゃチェンジじゃなくてミックスか。
人生まるまるチェンジしたら、あんたのモテナイぶりとかウジウジと湿っぽい青春の軌跡も引き継がんとあかんわけやな。・・・それは・・・イヤやなぁ、やっぱり。
人生、ある部分だけを書き換えるわけにはいかんもんなんやなぁ(しみじみ)。

ということで。
新入生、新入社員、その他、新しい門出に立つみなさん。
人生の何を優先するか、何を後回しにするかは、よーく考えて。ね。


逃げること

つくづく思うのですが、自分にふさわしいものを正しく早く見つけ出すのが、人生を真にエンジョイするための鍵かもなぁって。
ふさわしくない人とつきあっていたら、疲れるだけで楽しくない。
ふさわしくない職場にいても、いい仕事はできないし認められもしない。
ふさわしくない場にいると、どうも落ち着かないとか理不尽な目にあいやすい。

ふさわしいかどうかは、自分の心をまっすぐのぞき込んだらわかるでしょう?
その人、その場所、その仕事が自分にどれだけ満足を与えてくれるか?
快いエネルギーを引きだして、またチャージしてくれるか?
私の場合、「ふさわしくないこと」を無理にやっていると、身体が悪くなります。
たまたま病気になったからといって、そのときしていることがふさわしくないのだ、とは一概に決めつけられないけれど、少なくとも、「ふさわしくないことだとはわかっているが我慢して続けよう」と、自覚してやっていると、いつか身体のどこかが壊れますね。気合いとか根性で乗り切ろうとしている自分が、自分の身体に裏切られる感じ。きっと身体のほうが、私の深層心理というか、真に求めているものをよくわかっているんでしょう。だから、「こんなこと、もうやってられない!」とストップかけてくる。要するに、身体の耐ストレス性が低いのかもしれません。
でも、合わないことを我慢するのは、本当によくないですね。どんどんエネルギーだけを吸い取られて、チャージなしですから。いつかバッテリー切れるの当たり前です。何の我慢もしないで済む人生なんて、ありえませんから、我慢や忍耐は大事なことなんですけど、それが必要かつ正当に支払うべき代価かどうかは真面目に考えたほうがいい。

百円のものを、百円支払って得ようとしているのか。
百円のものに、千円支払わねばならない羽目に陥っているのか。
百円のものだけど、財布にはすごく余裕があるので、千円支払ってもかまわないのか。
百円のものが、そもそも百円なんだか八十円なんだか百二十円なんだか、わからないのか。
支払った代価にふさわしいだけのものが得られる見込みがあるなら、我慢も忍耐も美徳。
けれども、そうでないなら、それは美徳でもなんでもない。
ただの無知だったり、消極性だったり、自暴自棄だったり。
ひとことで言うと、人生の損失です。

自分が損してるとハッキリわかったら、どうするか?
私は逃げます。人だったら、もう会わない。場所だったら、もう行かない。仕事ならできるだけ早く辞める・・・
自分からエネルギーを奪っていくだけのものとの関りを断つことが、弱い者にできる精一杯の抵抗、賢明さだと思います。そもそも、常日頃から身を守るセンサーを敏感にしておいて、あれ、危ないぞ、と思ったら、はじめから警戒したり迂回したりするのがいいんでしょうけど。それでも失敗したら、まだ損失が小さいうちに逃げますね。損失は、授業料だと思って、無理に取り返しに行かない。たいてい、その結果、ますます損が膨らむだけみたいな気がしますから。

そんなこと言ったって、簡単に逃げられないよ、と思う人もいるでしょう。
ほんとうに逃げられないのなら仕方ないのですが、逃げられるのに逃げ方がわからない、逃げられないと思い込んでいる、逃げるだけの踏ん切りがつかない、という人のほうが多いかも。
「子供がいるから離婚できない」
「ローン組んでるから仕事辞められない」
「学校へ行かないと親に怒られる」
それ、わかるんだけど、ほんとのほんとに逃げられない?
あらゆる可能性がすべて閉ざされてしまった状況なんて、そうそうあるもんじゃないですよ。どこかに逃げる道があるんじゃないでしょうか?雪だるま式に膨らんでいくかもしれない人生の損失を、くいとめる手だて、必死で考えたら見つからないでしょうか?
完全に逃げられなくても、部分的に逃げ道がある、とかね?
「離婚できなくても別居ならできる」
「仕事辞められなくても、違う部署に変えてもらうことはできる」
「学校に行かなきゃならなくても、ときどき保健室で休ませてもらうことはできる」・・・
部分的に逃げてみたら、そこからまた別の局面が開けてくることもあると思います。

追いつめられて身体を壊して、ときどき死にたいくらい落ち込んで、それでもその現状に留まり続けなきゃいけないですか?それで、人生の収支決算は、帳尻あうんですか?
これは損してると思うなら、それ以上、頑張らないでもいいんじゃないですか?
逃げられるなら逃げる。すぐに逃げようがないなら、できるだけ自分の生への意欲やエネルギーを温存できる方法を(時には人に助けてもらって)とりつつ、逃げる時期、状況の変化する時期を待つのがいいんじゃないでしょうか。
ある人ある状況から、我慢できずに逃げたって、ちっとも格好悪くなんかない。
自分にふさわしい人や場所を探し求めるのを諦めないことのほうが、難しいでしょう?
いわば、「ほんとうの自分から逃げない」ことのほうが、ずっとね。




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