もの悲しい気分

同人誌の件、ぼちぼちですが進んでいます。今年じゅうに最終稿を出して、来年の早春には創刊号ができるかな、ぐらいのペースで。
私の出したのは、この間ここにも載せたほんとに短い話ですが、一応、同人仲間六人に読んでいただいて、それなりに個性ある作品と評価してもらえました。先生にもわりと気に入ってもらえたようで、「これはこれで、もうあまりいじらないほうがいい。こういう作品がひとつあってもいい」と。
まあ、これからまだ〆切まで一ヶ月はあるんで、最後までいじる人はいじるんですけど、私はもうあれ以上どこを直すつもりもなかったし、そう言われて安堵しています。
なんか、ちょっと突き抜けたような気分。
決して「いい気分」ではないんですよ。むしろ、もの悲しい気分かな。
なんでしょう?表面上はすべて順調にいっているように見えるのに?

「別れ」という言葉が心をよぎります。
文学学校で一年と半年、通ったことはすごくよかったし、無駄じゃなかった。でも、もうそろそろ潮時かなぁと。見聞きしたところ、すごく長いこと(それこそ十年、二十年と)あそこに関わっている人もいるということですが、なんていうかなぁ、よほど群れるのが好きとか、そういう組織としての活動が芯から好きでなかったら、あまり長居しない方がいいと思うんですよね。
精神的にも物理的にも、ほどほどに距離をおきながら、自分の勉強になるところだけはしっかり頭突っ込んでくると。私個人はそういうスタンスでやってきたし、組織にはまりこむつもりはないし、それならばもう限界が見えてきたかな、と・・・

なんだか、冬空の月みたいに孤独です。
最初は夫や友人にも助言を求めていたけれど、その時期も過ぎた。
誰かがしてくれること、導いてくれること、それには限界がありますね。
「もうこれ以上、言えることはない。ここからは自分で考えて行きなよ」という瞬間がくる。
「うん、わかった」と、こちらも答える。
そうなれば、また一人ぼっちで歩いていくしかないんです。
本来、生きることも孤独だし、書くこともまた孤独。
このまえの同人の集まりで、何かそんなふうに感じてしまいました。

いつかさよならと言うつもりで飛び込んだ場所でも、いざその時が近づくと、やはり思うことがありますね。なぜ、私はそこに居られないのかと。そこから出て、いったいどうなるのかと。
どこかに所属していると、なんだかそれだけで少し安らぎがあります。それは煩わしさと背中合わせなんだけど。でも、その場所を飛び出してしまったら、いや、実際に行動に移さなくても、はっきりと意識のうえでその場所とは切れてしまったら、安らぎも煩わしさも同時に消えていく。そのことが、もの悲しい。
これからどうぞよろしく、と笑いながら、同時に背中ではさよならの言葉を繰り返していた、おまえは初めからそうだったじゃないか、と今更に思ってみても。

出会いは風のようで 別れは雨のようで
  すべてのこと あるままに 流れてゆくもの
 昨日は愛をうたい あした涙をうたう
  誰もおなじところへ 留まることはない
                 (ひととして / オフコース)
       


知らなくていい本音

私は定期的にファッション雑誌を買ったりトレンドを追いかけたテレビ番組を見たりしないので、世間の些事にうといところがあります。
いま何が流行っているかとか、美味しいお店はどこにあるかとか。
そんなことには、あんまり関心ないというか、どうでもいいと思ってるんですけど。っていうか、そういう表層的な情報だけで、あとは広告ばかりの雑誌に、たとえ何百円かでも払うのがもったいないという気分がある。
ああいう情報って作られていて一方的でしょ?リアルじゃないし。だいたい大手出版社のは東京中心のつくりだから、「この店のこれが」とか言われても、見にもいけないし。

意図してデザイン・発信された情報には興味がわかないけれど、「いま、現実に世間の人が何を考えているか?」ということには多大な関心があります。
新聞の人生相談とか読者の投稿は昔から好きでした。でも、ネットが発達した今では、みんな文体が同じで、文章もあちこち刈り取られてしまう紙媒体の投稿欄は、もう見る気がしませんね。
編集委員が都合良くピックアップして型に押し込めてしまう投稿なんて、本音じゃないもの。
その点、編集もタイムラグもなくて、みんなが好きに書き込める大きなBBSは面白いです。一方ではすごく高度な議論が交わされているかと思えば、他方では幼稚な落書きみたいな書き込みもある。人間の本音みたいなものが飛び交っている。そのあり様がたいへんに興味深いです。

オトナになってしまうと、他人がほんとうは心の中で何を考えているか、わからないもの。
たとえば私にしても、リアルで知っている人の中には、たぶん私のことを「すごくストレートで饒舌な人」だと思っている人がいるかもしれない。でも、沈黙がイヤだからべらべらとあまり意味のないことを喋って間をもたせているだけで、本当に思っていること、考えていることなんか、ほんのわずかたりとも話していない、その片鱗も見せていない、という場合もあるんですよ。そんなの、何も喋ってないのと同じでしょ。
「あ、この人(たち)には本音で話しても仕方がない」という直感的判断のもとに、ことさらに冗談を言い、ことさらに明るく振る舞い、ことさらに自分を軽く見せて騒いでしまう。結果、家に帰るころにはグッタリ疲れている。誰にでもあるでしょう?そういうこと。

たぶん、ネットでだって、本音を言う人もあれば言わない人もいるでしょう。でも、リアルでみんなに面と向かって言えないことをBBSなどに書き込む人の率はすごく高いと思うんです。
で、そういう顔も見えない人々の本音に励まされたり、生きるヒントを得たりすることもありえますよね。
「ああ、みんな寂しい思いをしてるんだなぁ、落ち込んでるのは自分だけじゃないんだ」とか、
「ふうん、こんなふうに考える人もいるんだ、もう少し自分も柔軟に対処しなきゃな」とか。
こういうのがネットの良い面だと思います。
でも、知りたくなかった本音、というのもやっぱりありますね。
私に直接関係していることで言えば、
「三十過ぎた女は終わり」「専業主婦は不良債権」「子供生まない女なんて価値ない」・・・etc
こんな書き込みのたぐいは、結婚する前に見なくてよかったと思いますね。
とくに、三十過ぎの未婚女性に対する厳しい見方は衝撃的でした。

実際、私自身は三十過ぎても「女として終わり」とはさらさら思ってなかったし(今でも思ってないよん♪)、また、少なくない人々が「終わり」と見ているなんてことも全く知らなかった。だから、こういう意見が存在すること自体がビックリというか、「へええ、そうなの」って感じですね。ただ、もし、本音の部分でこんなふうに思っている男性がけっこういる、ということを知っていたら、昔、出会い系でメールやりとりしてたときでも、もっと弱気というか謙虚になってたかもしれない(~_~;)
メールがどさっと来ても、
「この人たちはただ後腐れなく遊びたいだけで、真面目なお付き合いなんて望んでないんだろうな、だって私、もう若くないし・・・」とか思っていたかも。
うーん。知らなくてよかった。知っていたら、もっとハードルを下げて自分を安売りしていたかもしれない。私は私、そう信じていても、周囲の意見に引きずられていく傾向があるじゃないですか、人間って。

まあ、マトモな環境にいたら、
「あんた三十過ぎてんだろ?終わってるじゃん、女として。男は誰でも若い女のほうがいいに決まってるじゃねぇか。女はせいぜい二十五、六まで。誰が三十過ぎたババアとマジで付き合うかっての。結婚焦ってるに決まってるしさ。シワシワの顔で迫られたら怖いじゃん。まーカネでもくれるんなら遊んでやってもいいけどさぁ、マジになられたらひくよね」
なんて、面と向かって言われることなんかありえないでしょう?
でも、いるんだってことですね、こういうふうに考えてる男や女が。それは、案外、学歴とか職業とか関係なくて、もう「そう思う人は思う」ということだろうと。
ま、いくらネットでこういう「本音」が流れていても、そうでない意見を持つ人もたくさんいるんだし、そういう人たちの「本音」もちゃんとわかることがネットの面白み、なんだけど、どうしても普段聞くことのないセキララでネガティブな本音は、目立つというかショッキングなことは確か。だから、心により強くインプットされてしまう。

このほかにも、こんなのもっと昔に知らなくてよかった、と思うことはたくさんありますね。
嘘を嘘と見分けられる人でないと、なんて某BBSでは言ってますが、この情報洪水に流されずに自分を保つには、リアルな体験の積み重ねがやはり必要だと思います。だから、体験の少ない十代の子供たちにとっては、ネットの「なんでもありな世界」はいささか危険かもしれないですね。
いろんな本音が交錯するのを楽しむには、心にある程度の余裕がないと無理。最終的にリアル世界における自分を自分で肯定しきれないヤワな神経の人は、ネットの本音など知らないほうがいいかもしれないと、このごろ思います。


友情(1)

昨今、友だちが多いことが一つの自慢みたいになっている風潮がありますが、みんな「友情」なんてものをどれだけ大事にしてるのかな?

私は女の友情なんてもろいもんだと思ってます。いくら友だちだといっても、いったん男ができれば、あっさり置き去りにしちゃうでしょ。っていうか、友情って何? どんなもの?
一緒に買い物に行ったり、ご飯を食べたり、家に招き合ったり、悩みを相談し合ったり、そういうこと?
冷たいようですが、私はそもそもあまり女同士でぺたーっと依存した関係は好きじゃないんですよ。高校生でもないのに、毎日のように他愛のないメールや電話ばかりしたり。ご近所の主婦同士でスポーツクラブだのランチだの。誘われたとしても、ちょっと勘弁してって思います。
買い物もひとりでするのが好きだし(でないと気が散る)、辛いことがあれば愚痴はこぼすけれど、基本的に自分の悩みを友だちに相談して解決しようとは思わない性格なんです(相談されるのは全くノープロブレム)。
異性も混ざってなら別ですが、いい歳をして同性同士で群れてるのって、端で見ていてもスマートじゃないと感じますね。なんだか幼稚っぽい。
それに、これまでの経験から言って、女同士って必要以上に細かいところで気を使わなきゃいないから面倒なんですよ。一対一で二人きりならいいんだけど、三人以上になるとそれぞれの感情のバランスをとるのが変に難しくなってしまうのが、女というものなんです。
そんなだから、女同士で旅行なんて、考えただけでもうっとうしい。それぞれ結婚していて家族ぐるみの付き合いならいいんだけれど、独身の女同士で旅行? 私にとってはそれってまるで月へ行くみたいに奇異な感じ。
男と女の関係なら、いくら依存的でもベタベタしていてもOKなんです。ジェンダーが違えば考えることとか感じることも違うし、話すたびに新たな発見があって面白い。一緒に旅行したって、男なら荷物のひとつも持ってくれるし、現実的に有り難いというのもある。いったい、なにが悲しくて女同士で温泉なんか行かなきゃならんの?と思いますよ。

こんな「友だち甲斐のない」私ですが、大学のとき出会って以来、ずっと続いている友人がいて、彼女だけは別。彼女は私と違って、「男より友情をとる」と公言している人なんです。
最初それ聞いたときはびっくりしましたよ。へええ、こんな子もいるのかって。でも、彼女の話を聞けば聞くほど、面白い友だちに恵まれてきたんだなぁと思いましたね。女子校出身というのも関係あるかもしれない。
それにひきかえ、私の友人運というのはショボかったなぁと。いや、そのときそのときで仲のいい友だちはいたけれど、続かないというか、結局、そこまでのめり込めない関係だったんでしょうね。自分の親が友だちがわりになってたということもあるし。いろんな相談ごととかね、わりとフランクな親子関係だったと思います。
まあ、「彼氏より友情をとる」と言うので、びっくりしつつも「嘘でしょ」と半ば疑ってかかっていた私ですが、出会って少したったころ、ちょっとした事件があり、そのいきさつの中で私は完全に彼女には信頼感をもつようになったのですが、その事件というのがなかなか面白いので、ここに書いておこうと思います。

彼女とは隣のクラスだったんですが、そのころ入っていた音楽系サークルの友人を通して知り合ったんですね。で、授業で一緒になることは稀だけど、喫茶室などで会えば話をしたりしてたんです。
さて、彼女のクラスに一風変わった男の子がいて、見た目すごいお洒落で顔も悪くないんですけど、クラスのみんなからすっごく嫌われてる、という噂がありました。仮に彼を「宗男君」とでもしておきましょう。
ある日のこと、私は友人から、宗男君がクラスの男の子たちの怒りをかって、ついに校門の前で土下座させられたらしい、という話を聞いて、どうしてそこまで嫌われるのか、すごく不思議に思いました。宗男君は着ている服とか髪型で結構目立つので、私も顔ぐらい知っていました。確かに、ちょっとツンと澄ました感じはするし、目上の人に対する言葉遣いも悪いようだし(第三者の証言)、なんか男同士では仲間はずれにされてしまう雰囲気があるのはわからないでもないんだけど、土下座までさせるとなると尋常じゃないですよね。女の子の間でも評判悪くて、誰も庇ってあげなかったみたいだし。ここまで極端な嫌われ者の宗男君、私は果たして本当にそんなに嫌なヤツなのかと、かえって彼に興味がわいちゃったんです。

私は好奇心まんまんで、「宗男君のどこがそんなに嫌われるのか知りたいから、いっぺん話させてよ」と友人に頼みました。友人も私のことを物好きだなぁと笑いつつ、橋渡しをしてくれることになったんです。
かくして、私と宗男君はなぜか一緒に映画を観に行くことになりました。そのへんの詳しいやりとりは忘れましたが、その夜、とにかく映画館で並んで映画を観て、そのあとお腹が空いたので食事をしました。なんか、安いイタリア料理のチェーン店に行ったと思います。映画のことや音楽のことなど、まあまあ普通に喋って、普通に食事して、割りカンでお勘定して、私はそのまま特に送ってもらうこともなく、電車で帰りました。その夜の印象では、私としては「宗男君、多少なまいきで口は悪いかもしれないけど、なんでそんなに嫌われるのかなぁ、そこまで極端な子じゃないと思うけどなー」という感じでした。

翌日、喫茶室かどこかで待ちかまえていた友人たちに、「どうだった?どうだった?」と訊かれて、私は自分の思ったとおりのことを言いました。別にそう悪い子じゃなかった、普通だと思う、なんで彼が嫌われるのかよくわからない、と。
みんな、私の言うことを「ふーん」と聞いていましたが、話がややこしくなってくるのはこのあとなんです。
次の日か二日後の昼休みだったか、校内で宗男君にばったり会ったんですが、彼、私を「おまえ」呼ばわりにして、やけに馴れ馴れしいんですよ。なんだろうと思いながら話していると、なんか彼、「オレのことが好きなんだろ?付き合ってやるよ」的なムードなんですよね。こういうの、何て言うの? 女だったら「女房気取り」ってやつ?
あのさー、ただ一緒に映画観て、食事しただけじゃない。別に、好きとか言ってないし。そんな素振りも見せた覚えないし。橋渡し役してくれた友人も、「あなたと話がしたいらしいよ」としか言ってないはず。
とりあえず喋りながら、誤解をとこうと「私たちは、ただの友だちよね」路線をアピールしたんですけど、勘違いしてしまっている宗男君はちっとも気づかず。なんかね、もうすごくエラソーなんです、私に対する態度が。完全に、「亭主関白気取り」。心で「どうしよう」と思いつつ、だんだんこっちも不愉快になってきます。そして、なんとかその場から穏便に逃げ出すタイミングをはかっている私に、宗男君が笑って投げかけたのは「とてもじゃないけど許し難い一言」でした。私はその一言でぶち切れてしまったのです。

・・・つづく(長くなるので、いったんここで切ります)


友情(2)

前回からのつづきです。

宗男君は私をからかうように笑いながら、こう言ったんです。
「おまえなんて、まだバージンだろ」

前後にどんな話をしていたのか、もう忘れましたが、彼のこのセリフで、一瞬、頭が真っ白になったことだけは強烈に覚えています。
私って、いや、誰でもそうだと思うんですが、想像もしてない不意打ちをくらうと、しばらく呆然としてしまってどう対処していいか、わからないんですよね。そのときも、「えー、なんでそんなこと言うのー」とか曖昧に笑っただけでした。ほんとに怒りがこみ上げてきたのは、立ち話が終わって彼と別れてから。
(・・・今の、何だったんだろう?)
さっきの会話を思い出せば思い出すほど、腹が立ってきます。
なんてバカで下品で非礼なヤツなんだ!と。
そのとき私は19かハタチ、ほんとうに処女だったかどうかは、この際、みなさんには関係ないこととして、そういうセリフを言われたこと自体が、ものすごい侮辱に感じられました。だって、普通は女の子に、そんなあけすけなこと言ったりしないでしょう? なんか、「ああ、私、すっごく安い女にみられてるんだ」っていうのが滅茶苦茶に悔しかったんです。それに、「おまえなんて」という言い草は、いったい何? マジでカチンと来ましたよ。

私は友人たちにこの話をして、「これでよくわかったわ、なんであいつが嫌われてるのか!」と言いました。それから、校内で会っても宗男君をあからさまに避けるようになりました。てっきり私から好意を持たれているといい気になっていた彼は、私の豹変ぶりに、何がどうなっているのか全然わからない様子でしたが、でも、「自分がまたマズイことを言ってしまったのかも?」、ぐらいは思ったようで、短い手紙に、あやふやな謝罪の言葉を書いてきました。
私が初めからほんとうに好意をもっていたんなら、それで許せたのかもしれない、でも、たんなる好奇心で近づいただけの相手だから、もう金輪際、彼と関わりたくありませんでした。だもんで、その手紙も一度読んで捨てました。返事を書く気もありませんでした。私はただ自分の浅はかな好奇心を後悔していただけなんです。まあ宗男君にとっても降って湧いたような災難だったかもしれないなと、今では思います。

それからしばらくして、宗男君とのことなどすっかり忘れた頃、私にも彼氏ができました。お互いが好きでくっついた仲だし、学生なので暇はあるし、若くて元気だし、もう毎日のように会って電話して、それは楽しくて楽しくてたまりませんでした。
ところがそんなある日。友人から電話がかかってきて、私にこう訊くんです。
「ねえ、古館君(仮名)って知ってる?」
知ってるも何も、古館君といえば、彼氏の高校時代の友だちで、私も会って話したことのある人じゃないですか。でも、彼氏も古館君も私たちも、それぞれ大学はバラバラ、なぜ彼女が古館君を知っているのかと訝りました。よくよく聞けば、そこにはなんとあの宗男君がからんでいたんです。

どういう偶然でそうなったのかはよく知らないんですが、たぶんその頃は音楽に傾倒していたから、その関係で知り合ったんでしょうね、古館君と宗男君が。で、何のつもりか宗男君、私の悪口を私の彼氏の同窓生である古館君に吹き込んでいたらしいんです。それで古館君が私の友人に、「あの子(私のこと)ってさぁ、そんなにヘンな子なの?」と電話をかけてきた・・・
つまりはそういうことみたいなんです。うろ覚えですが。
宗男君がなぜ私の友人の電話番号を古館君に教えたのかは意味不明ですが、彼女と私がそんなに親しいとは思わなくて、橋渡し役として事情を知っている彼女が、自分の意見を補強してくれると勘違いしたのかもしれません。
とにかく宗男君にとって不運だったのは、私の友人が私よりずっと正義感の強い、そのへんの男よりよっぽど漢気(おとこぎ)のある子だったということ。彼女は電話で古館君に私のことを弁護してくれ、そのあと、人に私の悪口を言いふらしている宗男君をさっそく呼びだし、叱りとばしてやったと言うのです。
「宗男君、あんた、陰であの子の悪口言ってるんだって? そんな卑怯な真似、やめなよ。今度、あたしの耳にそんなことが聞こえてきたら、あんた、もういっぺん校門の前で土下座するはめになるからね!」と・・・

何も知らなかった私は友人からこの一連の顛末を聞かされて、宗男君に今更どうこう思うよりも、むしろ彼女のとった行動に驚嘆してしまいました。これが逆の立場だったら、私は果たしてどうしていたでしょう?
宗男君はみんなの嫌われ者だし、こういう事情があって私怨でモノを言ってるだけだから、彼の言うことなんか真に受けるなと古館君には説明すると思います。ですが、宗男君のことは「あんなのに何言っても始まらないし」と放置していたんじゃないかな。でも私の友人には、「元を断たなきゃ駄目」、直接、彼に対して「こんなことは卑怯だ」と言ってやらなきゃ、という気持ちがあったんでしょうね。
彼女にしてみれば他人事なのに、私を弁護してくれただけでなく、宗男君まで呼びつけて、ぐうの音も出ないほど見事なタンカをきってくれた、つまり、「その時点で私のためにできることを的確に判断し、素早くキッチリやってのけてくれ、そのあと報告の電話をくれた」ことで、私は「この子、並みの女の子とは違う!」とはっきり思いました。
なかなかそこまでできる女の子なんていないですよ。普通の子だったら、とりあえず私に、「ねー、宗男君、陰でこんなこと言ってるらしいよー。腹立つよねー」とか知らせてくれるだけでしょう。私は女の子の正義感・連帯意識なんて、その程度だし、それ以上つっこんだ行動力なんて、しょせん求められないものだと思っているので、彼女が別格に見えるんです。

その後もずっと付き合いがつづいているわけですが、私が知っているだけでも彼女の武勇伝(?)はいろいろあって、いつもその正義感の強さと機転の利かせ方、大胆な行動力には驚かされます。見た目や普段の喋り方は、私より女っぽいんですけどね、いざというときの中身はもう「女にしておくには惜しい」というと語弊がありますが、そんな感じなんです。まー、口先ばっかり威勢が良くて、実はすぐにヘナーっとなっちゃう私なんかとは肝の据わり方が違うなぁーと思わされることしばしば。
彼女は彼女で、私のモノの見方や考え、行動などを面白く思っているらしく、お互いに、
「いやー、あんたがもし男だったら惚れてたかもねー」
なんて笑って言い合ったりしたことも。
彼女も今や主婦で一児の母でもありますが、互いの立場を尊重しつつ、いい信頼関係を保ち続けていきたいと思っています。

ここからはつけたしになりますが、男と女の友情は、やっぱり難しいですね。
宗男君にしても、彼が性急に「告白されたぜ!」と勘違いしないで、「いい友だちになることから始めて」いたら、ひょっとしてその後、どんな意外な展開があったやもしれません。でも、とんでもなく勘違いしちゃったんだなぁ、彼・・・というか、私がとった行動が、「勘違いされても仕方ない」行動だったの?
よく知らない人と「お友達になりましょう」って、ほんと、男と女の間では、どう意思表示すればいいんでしょうね? なんか絶対に勘違いの元になりそう。いったん恋人関係になってから、いい形で別れたとか、お互いに彼氏彼女がいるとか、そういうのでないかぎり、男女がいい友だちになるなんて、すごく難しい気がします。まあ、もっともっと歳を取って、ある程度、枯れた感じになれば、うまくいくのかも知れませんが。
あ、そうそう、愛情と友情の違いですが、私の認識では、ズバリ「触りたくなるかどうか」ね。お話してるだけじゃ物足りない、手を伸ばして相手に触れたい、と思うのなら、その感情は友情を超えてる、と。

でも、あんなにあっけらかんと勘違いできるって、ある意味しあわせなのかな。私なら、「この誘いは私が好きだってこと? ・・・いやいや、あの人は誰とでも気軽に付き合える人なのかも。んー、どういうつもりなのかなぁ??」と、一応は悩みますけどね。それまで一度も口きいたことないんなら。
これは、男と女の違いなのかな? 「据え膳食わぬは・・・」なんてことも言うし。男って、よほど相手が嫌いなタイプでないかぎり、ちょっと近づいて来られたら、すぐその気になっちゃうものなのかも。好きな女とつきあいたい、というより、「とにかく女とつきあいたい」のかもね。とくに若いうちは。
女がしつこいぐらいラブサイン出してるのに、なかなか踏み込んで来てくれないような男のほうがまだマシですよね。すごくじれったいんだけど、それだけその戸惑いが、「誠実」って感じするじゃない? ま、鈍すぎるのは論外だけど。って、話がそれちゃった。
うーん。私には、男と女がどうしたらスムースに友だちになれるのかは、よくわかんないです。はい。


百枚

いま、新しい作品にとりかかっていて、あまり余裕がない状況です。
だいたい百枚までの予定で、もう半分は書きました。今月末までと時間を区切って書いてます。

構想というかテーマは前から考えていたもので、ちょっと(いや、ずいぶん?)問題作かなぁ。いろんな意味で、つっこまれるコトが多そうな感じ。でも、とにかく、多少の反感などは覚悟のうえで「目立つ」ことをしないと、いけないんじゃないかっていうのがあって。
「なにこれ?こんなのってアリ?」みたいな感想も持たせられない「毒にもクスリにもならない」作品って、私自身がもう飽きちゃったから。なんかちょっと雰囲気があって、大人っぽく抑えが効いた渋い作品というのもね。そんなの書く人たくさんいるんです。

いろんな人の作品を好き嫌いなしに読まされていると、もう痛切に思いますよ。なんか、ちょっとぐらい光るところがあっても、たくさんの作品の中では埋もれちゃうんだなぁって。例えば、同人誌の件でも、七つの作品群を立て続けに読んで、それなりに作品のレベルはまあまあ似たようなところで揃っているんですが(そういう意味で先生の選択眼は的確)、私個人にとっては、それじゃいけないんじゃないかと。
もしも、あの作品群のなかに残雪の短編が混ざっていたら、きっと彼女の作品だけパーッと後光がさして見えて、他のは全部、地下にもぐってしまうでしょう。それだけ他と「かけ離れたインパクト」がある。あらためて、凄いことだなぁと。それが、世界で認められているプロと、名もないアマの違いなのかな、と思いました。
ま、そんなに燦然と他を圧倒する、まではいかないんですけど、やはり他の人の作品とは「ちょっと違う」ぐらいの感じは目指さないと、自分でもつまらないんですよね。ただ奇をてらえばいいというものではないけれど、なんというか、その作品、あるいは作者に特有の「押し」は必要だろうと。せめて、マイナー・マニアックな同人世界のなかでぐらいは、そういうのを目指してもいいかなと思うんです。

20日までに、もう45枚ぐらい書いて、それからまた推敲・手直しにかかるつもりです。
私は、作品の感じとか部分にもよるんですけど、一日に原稿用紙で十枚くらい書きます。4〜5枚ごとに紙に印刷します。エディターでは横書きだから、縦書きにしたときの感じを確認したいのと、誤字脱字をチェックするため。パソコンの画面上では、なかなか難しいんですね、チェックしたと思っても、いざ印刷してみたら、あれっと思うことがある。
とにかく早く最後まで書き終えたいです。たいてい、書いているその瞬間よりも、ぜんぶ話が終わって、あらためて、それを初めから通しで推敲・手直ししているときが、いちばん面白いというか、楽しいときなので。無から有は、かなり労力いるけど、すでにあるものを土台に、それをもっと良くしていく作業は、「迷い」さえなければパズルのようで面白いんです。


やりくり下手?

寒いですねー。
大阪は、空っ風が吹いています。よく晴れているから、雪の降る地方よりマシかな?
将来、夫がどこかに転勤することがあっても、雪国だけはパスしたいですねぇ。寒いの苦手だから。まぁ、蒸し熱いのも嫌ですが、それは大阪でも同じなので。ほら、冷え性なんですよ。真夏でも、スーパーの食品売場とか、よく冷房を効かせたところでは、カーディガンがないと、長いこといられないですもん。夫は平気みたいですが。やっぱ脂肪の厚さが違うからかしら?身体の芯まで冷えきってしまうんですね。だいたい普段から人と握手して、冷たい手だと思ったことがない。いつも、「この人の手はあったかいなぁ」と思います。ということは、向こうにしてみれば、冷たい手だと思ってるはずで、実際、「あんた、ほんとに生きてんの?」っていわれたことも(~_~;) 血圧も低いし(92−67ぐらい)、血の巡りが悪いんでしょうね。

ボーナスのシーズンですが、やっぱり不景気だから、いかがなものなんでしょう、みなさんのところは?
実家は自営なので、ボーナスなんてなかったです。むしろ、社員さんに渡す立場ですから、ボーナスシーズンは賞与計算の仕事が増えるだけって感じ。当然、うちの母が「ボーナス出たら、〜〜買おうね」なんて言ってるのは聞いたことがない。だから、私にも「ボーナス出たら」っていう感覚がないです。
夫はいちおう公務員なので、つましいながらも給与とボーナスがでるんですが、さぁ、特別に使う予定もないし、そのまま貯めとくんじゃないでしょうか。そういえば私、彼の給料日も知らないし、毎月いくらもらってるかもよく知らなかったんですよね。夫に訊いても、「ええと、いくらやったかなぁ」なんて。うわー、すごいルーズな家計。これじゃいけないと思って、夫がもらってくる給与明細書を保管することにしました。今更こんなことじゃ、お姑さんに呆れられそう。これは秘密にしておかねば。なにせ、お姑さんはずっとサラリーマンの専業主婦だったので、つねづね夫に、「あんた、お給料はちゃんと○○ちゃん(私)にぜんぶ渡して、やりくりしてもらいなさいよ」って言ってたので。
まあ、それでようやく夫が実際にはいくらもらってるか子細にわかった次第。いや、結婚するときには、いくらなんでもおよその年収ぐらいは知ってましたけどね。多いとか少ないとかあまり思わなかった。ざっと、「あっそう。それだけあれば、私が働かなくてもやっていけるな」と考えただけで、あんまり細かいこと気にしてなかったというか。あはは。

お金お金って目の色変える女も嫌なんだろうけど、あまりに関心がなさすぎる女も男の人は嫌なようで。
夫に、「あんた、自分の知らんうちにどこかからお金が湧いて出てくると思ってるんと違うか。親はどういう育て方してたんやろなぁ」と言われることも。
すいません、ウチの母も私と同じ「どんぶり勘定女」でございます。父によると、普通、自営だったら奥さんが経理を手伝うとかするもんだっていうのね、でも母は「私、数字を見ると頭が痛くなるから!」の一点張りで拒否し通したそうな。私の目から見ても、母は私に輪を掛けてお金にルーズでした。いや、浪費家っていうんじゃなく、運用ができないっていうか。かくして実家の全財産は、父ひとりの管理するものとなり、母は毎月、家計費をもらってそれを使いきるだけ、というスタイル。母にウチのお金ってどうなってんの?と訊いてみても、「さぁ?お父さんが弁護士さんやら税理士さんと相談しながらちゃんとしてくれてるよ。お父さんにまかせといたら間違いない」と言うだけ。あんまり把握してなさげなんですよ。私はそんな母の背中を見て育ったもので、いきなり家のお金ぜんぶ渡されて、これ管理して、と言われてもね。家計を一手に預かり、お給料やらボーナスをやりくりして子供たちを育て上げた、ベテラン主婦のお姑さんのようには、なかなか上手くできないかも。まっ、とりあえず給与明細書チェックから始めて、そういうことに実感を持ちまーす(今更だけど)。

しかし、妻を専業主婦でいさせてる男の人は、やっぱり「自分が働いて稼いできてる!」っていうのが根底にはあるんだなぁ。夫も「お金の使い方に文句はないけど、もう少し感謝の気持ちを持ってほしい」と言いますもん。えーと、一応、感謝はしてるんだけどなー。でも、振り込みっていうのが実感を薄れさせる原因なのかも。
まあ振り返れば私も、掃除したらしたで、「見て!ここ綺麗になったでしょ、一生懸命やって疲れたわ、感謝してよ」と思うし言うし、夕ご飯を食べてるとき夫が「これ美味しいなぁ」と言ったら、「え、ほんと?それ誰がつくってくれたん?」と言いますもん。しっかり感謝を要求してる(^^ゞ
やっぱり、給料日ぐらいには、お勤めご苦労様、感謝してますって言っておいたほうがいいのかな。さぁて、給料日っていつだったっけ?

しっかし、この不況で世の中、厳しいっていうのに、こんなノーテンキそうなこと言ってたら、どこかからお叱りを受けそう・・・
あの、ほんとに教職って(ウチって?)給料はつましいですから。たまたま子供もないので気楽なだけです。
それに、夫もすっごく長時間労働ですよ。要領が悪いのもあると思いますが、いっつも帰ってくるのは十時十一時すぎで、ご飯食べてからもパソコンの前にへばりついて授業の準備とかしてます。それが終わったら、寝る時間も惜しんで研究にいそしんでます。お風呂入る暇もないです。ひぃぃ〜、キタナイ〜(夫の受け持ちの学生の皆さん、むさ苦しくてゴメンね)。
ゆうべなんか三、四時間くらいしか寝てないらしいし、しかも、そういう日がたびたびあるので、過労死されたらどうしようと思ってます。ゆったりとした夫婦の語らいの時間なんて、んなものナシナシ!だから税金泥棒なんかじゃないんですよぉ〜〜!
はぁはぁ。ぜいぜい。・・・なんで私、こんな言い訳してるんだろう・・・



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