同窓会とゴッホ展

これまで行ったこともない高校時代のクラブの同窓会に、今回は参加するつもりだったのですが、迷いに迷ったすえ、やめてしまいました。なんだかんだと理由をでっちあげて。一ヶ月も前から連絡してくれていたのにね。初めはほんとに行くつもりだったんですけど、直前になってすごくわずらわしく思えてきたので。
特に仲良くしていた人が来るわけでもないし、何を懐かしがって誰に会いたいわけでもないし、お義理で返事をしてしまっただけなら、もうやめようと。ほんと、失礼ですよね。
でも私はいつもこうなんですよ、面倒なんです、不必要な人間関係が。
久しぶりに会う人には、いままでの空白の年月をどこでどうしていたか、まず近況報告から始めなきゃいけないわけじゃないですか、それがもうわずらわしくて。好きでも嫌いでもない、何とも思っていない、ただ高校の同窓生っていうだけで、普段つき合いのあるわけでもない人に、自分のプライベートな生活史を今更べらべらと喋りたくないんです。

無駄な人間関係というのがとにかく面倒で、「この人とはもう腹を割った本音なんか、一生話さないだろうな」と思ったら、年賀状などが来ても、義理でお返ししたりしない。それやってると、相手も義理で出し続けなきゃならないし、こっちも返事し続けなきゃいけなくなる。不毛だ、と思うんですよね。だから、引っ越ししても、結婚しても、挨拶状なんかもださない。それで連絡が途絶えるなら、やれやれって感じです。
そんなふうだから、友だちって極端に少ないです。ホントに。でも、当たり障りのないお天気の話しかできないんだったら、友だちって言葉を使いたくないんですよね。手帳や携帯に「友だち」のメールアドレスや電話番号をびっしり書き込んだりメモリーに入れたりしている人がいるけれど、そのマメさが信じられない。
たとえ、その時その環境のなかで「友だち」だったとしても、時間とともに「卒業」「就職」「結婚」「引っ越し」など、環境が変わるにつれ生活のレベルやものの考え方が違ってきて、次第に疎遠になってしまうのが普通の友だち。そうなったら、もう繋がっていたいと思わないし、「あの頃の友だち」、過去の想い出として心の隅にしまいこんでしまう。ときどき、どうしてるかなぁ、とは思っても、会いたいとか連絡を取りたいとは思わない。そんなことをしても、きっとチグハグにかけ離れてしまった現実を思い知らされるだけなんじゃないかと思うから。過去は過去のものとして、これから今の環境のなかで、自分に見合った友だちを探していくほうが有益というか、楽しいんじゃないかな、と。

私はわかりやすい人間なんだと思いますよ、そういう意味では。
何か仕事がらみ、利害関係がある場合を除いては、本当に会いたいと思う人にしか会わない。付き合いたいと思う人としか付き合わない。それで、そういう人には自分から話しかけるし会いに行くし、何らかの努力はしますね。この人と付き合っても私には面白くないや、と思えば、誘われたってパスするし、あまり相手に義理立てしたりしない。いい大人がそんな態度じゃ本当はいけないのかも知れませんが、今のところ生活に支障はないし、「まっ、いっかぁ」という感じです。
うーん・・・ワガママでしょうか?

同窓会に出席するかわりに、うちの母からゴッホ展(@兵庫県立美術館)のチケットをもらったので、わざわざ灘まで行ってきました。夫が珍しく「久々にちょっとこじゃれた格好で行こう」と言うので、それなりのジャケット着用で。けど、電車で一時間、歩いて十分、やっと美術館に着いた私たちが目にしたのは、すごい長蛇の列。
もうね、展覧会場の入り口まで、ずらっと人が並んでいるんです。拡声器をもって誘導している警備の人に聞いてみたら、会場に入るまでに30分はかかる、というんです。美術館の廊下の一部がガラス越しに見えたんですけど、やっぱり中でも行列。しかも、全然、前に進んでいない。流れがなくて、みんな、ジッと立ってる。土曜日だから混んでるだろうとは覚悟してたんですが、まさかここまでとは・・・
この時点で、はっきり言って、あの建物が美術館っていうより、何かの収容所に見えました。
いくら名画であろうと、いや、名画であるからこそ、こんな調子で観たくない。
というより、中に入ったらもう出られないし、あんなふうにずっと立っていたら、私なんか途中で気分が悪くなって倒れてしまうかも、と怖くなりました。
観たい絵もあったけれど、もう潔く断念して、せめてチケットを払い戻しできないかと売場に行ってみました。そこで売場のお姉さんと、どうのこうの押し問答していたら、後ろからオジサンの二人連れが来て、「そのチケット、俺たちが買えばいいんじゃないの?」と。これ幸い、前売りで1100円のを千円ポッキリで売ってあげました。当日券は1400円だから、あの人たちも得したはず。

嫌ですね。ほんとに日本の美術館は。
ぎゅうぎゅう人を押し込めたらいいってもんじゃないでしょう?
あんな列に並ばせるんだったら、何時から何時まで何人と決めて、それ以上は入れないで欲しい。映画館みたいに。あのようなすし詰めの酸欠状態で絵を観て、何の感動があるでしょう。欧米では、もっと安く、もっとゆったりと、ルーベンスやボッチチェリなどの本物が観られます。ルーブルだって、スミソニアンだって、大英博物館だって、あんなに非人道的なまでに混んでいるのを見たことがない。
駅へと引き返す私たちの前から、人がどんどん歩いて来ましたし、美術館の駐車場に入る車も同じように行列が出来ていました。車をパークさせるのに半時間、展示会場に入るのにまた半時間、そこから最後まで絵を観て歩くのに、二、三時間?・・・人混み嫌いな私には耐えられない。イライラしてきて、ぎゃーっと叫んで逃げだしたくなります。
たぶん、諦めて正解だったと思います。
また、いつかフランスを旅行して、ゴッホの故郷を訪ねてみることもできるでしょう。いつか、ね。

帰りに寄った梅田の百貨店もすごく混んでいたし、家に帰り着いたときには、これといって何もしてないのにもうヘトヘト。
嘘をついて同窓会をキャンセルしたので罰が当たったのか、さんざんな日でした。


容姿について

Yahooパーソナルズってご存じですか?
ま、言ってみれば出会い系なんですけど、ちょっと見てびっくり。なんと、自分の顔(OR全身)写真を載せている人がすごく多いんです。最近の出会い系は、みんなこんなんですか?いやぁ、あれがほんとに当人の写真だとしたら、みなさん思い切りがいいというか、無謀というか・・・

私はこの自分のホームページでも、基本的に自分の写真は載せない方針です。まぁ、気が向いたらほんのちょこっと載せてますけど、必ずアドビのフォトデラックスで加工してます。撮ったままじゃないです。微妙にぼかしたり明るさやコントラストを調整して、その写真は自分に近いものだけど生々しい自分じゃない、という感じに仕上げています。それでも、あまり載せたくないし、ためらいますね、なんとなく。ましてや出会い系ページなんかに・・・うーん、時代は変わってる?
確かに、容姿というのは人間関係にはけっこう大きなウェイトを占めてますから、ネットで出会いを求めるとき、お互いに初めから写真だけでも見ておきたいって気持ちはわからなくもないんですけど。

私は昔からずっと「人間は見た目じゃない」と言ってきました。恋愛・結婚の対象を容姿なんかで判断すべきじゃないって。そう公言してる人って、私だけではなく、どこにでもよくいると思います。でも、なんていうか、よくよく考えるとそれはちょっと自己欺瞞入ってると思うんですよ。
世の中のすべてとは言いませんが、大多数の人はなんだかんだ言っても相手の容姿に左右されてます。私もその例外にあらず、ということです。
私の場合、面食いじゃないのは確かですが、無意識のうちに「足切り」はしてるんですよね。相手の容姿を自分の好みにしたがって百点満点に換算したとき、「80点以上でなきゃ駄目〜」とか言うのはバカみたいだと軽蔑しているくせに、30点以下については、もうほとんど自動的に「男として意識する」対象から外してるんですよ。これが「足切り」。こんなの誰でもやってますよね、きっと。
まあ、人それぞれ容姿に対する好みがありますから、私が20点つけた人でも別の誰かが見れば「えっ、余裕で40点つけるよ」ということにもなるでしょう。そこんとこが面白くもあり、救われる点でもあると思うんですが。

残念ながら、私には容姿で得をしたとハッキリわかる体験がありません。で、損をしてるなぁ、と思うことはたまーにありましたけど、そう深刻に考えるほどじゃないです。
学生の頃からつきあっている親友(♂)は、けっこう自分の美意識にこだわるタイプで、よく女性を十段階評価してました。彼の基準では、

10 スーパーモデル
 9 美人女優
 8 アイドル
 7 目立って可愛い(OR綺麗な)女性
 6 まあまあ可愛い(OR綺麗な)女性
 5 並みの女性
 4 ブサイクがかった女性
 3 友人にはなれるが異性として意識できない女性
 2〜1は、関わりを持ちたくない女性

ということでした。
「私は?」と訊くと、6くらいかな、ということ。まあ、私自身は5かなと思ってますけど、そこは彼の思いやり(恐怖心?)なんでしょうね。冷静に見ると私なんて4と5の間くらいかも。でも、女というものは自分の容姿を、他人が客観的に下す判断より、少し上に見ているものなのです。だから、私もメルトモに自分の容姿を語るときは、「ごく普通です」と申告するでしょうね。
昨今は男性も容姿を気にせざるをえない時代になったとはいえ、まだまだ女性のほうが容姿をうんぬんされる機会が多いのは事実。現に男性が結婚相手に求めるのは一に気立ての良さ、二に容姿、だとか。女性は容姿なんかさほど気にしないようですね、一に性格が来るのは男性と同じだけど、二には経済力ということです。

どんなに綺麗な女性でも完璧に自分の容姿に満足はしていないものです。反対に、どんなにブサイクな女性でも鏡の前で、「わたしだって〜〜だけはちょっといけてるかも」なんて心密かにいじらしく思っているものなんです。この不安定な揺れる女心を、男性はうまく利用させてもらったらどうでしょうね。
職場でもプライベートでも、女性をスマートにあしらいたい男性は、とにかく相手の容姿を上手にほめましょう。うわ、ブサイクだなぁと思っても、探せばどこかしら美点はあるもの。肌だけは白くて綺麗だとか。耳のかたちだけはいいとか。髪の毛だけはさらさらツヤツヤだとか。目の下のほくろが意外にセクシーだとか。なんとかひとつでも探しましょう。洋服の着こなしがお洒落だとかいうより、ダイレクトに顔や身体そのものを誉めた方が効きます。(胸やヒップなどについてはノーコメントでいきましょう。セクハラと思われる危険性大!)
上記十段階の10〜7の範疇に入るような女性、綺麗で普段から男性に誉められ慣れている女性を誉めるのは、店員が上客に対して「いらっしゃいませ」と言うのと同じ。当たり前のことなので、それをすっ飛ばすのは厳禁です。まあわざとそのあたりを無視して気を持たせるという高等テクもありますが、自分に相当の自信がなければやめておいたほうがいいでしょう。
6〜4に入る女性は、容姿を誉めることが最も功を奏します。私が男なら、5,6あたりを狙って、確実に落とすでしょうね(女には、他の女の「誉めてもらいたいツボ」がだいたいわかるんですよ)。たいていの日本人男性は女性を誉めるのが下手なので、的確なタイミングと言葉さえ選べば、たとえライバルがいてもラクラクの一人勝ちです。
た・だ・し。
容姿を誉められてクルクル舞い上がるのは、女も若いうちだけ。物事のわかってきた大人の女にとっては、そんなのはあまり効きません。容姿を誉められれば、「ふうん。なかなかよく気のきくまっとうな社会人ね」と好印象は持ちますが、「それで?」という感じでしょう。
そこから以降に見せるべき中身がない男性は、だいたい20代前半くらいまでの女の子を相手にしていれば無難だと思いますね。ま、頑張ってくださいな(^^)

***** 追記 *****

上記の容姿十段階リストに、私の思いつく男性をあてはめてみました。
あくまで「容姿」十段階なので、以下の人々の能力・言動などは全く考慮してません。

10 (「ピースメイカー」の)ジョージ・クルーニー、(「スピード」の)キアヌ・リーブス
     ※スーパーモデルって知らないから、ハリウッド俳優で代用しました

 9 (ヒゲをはやしていない)竹野内豊、(5pほど身長を低くした)阿部寛

 8  Gackt、(十年前くらいの)稲垣吾郎

 7 (二十年前くらいの)坂本龍一、(数年前の)小室哲也

 6 小野伸二、イチロー

 5 竹中直人、(二十年前くらいの)小田和正

 4 中田英寿、夫(10s減量して格好をきちんとすれば5,6に昇格するも可)

 3 明石家さんま、小泉純一郎、(ノーベル賞の)田中さん

 2〜1については、書いても不毛なので略。


「普通〜ちょいブサ系」のススメ

上で、私的「容姿」十段階リストを作ってみましたが、どうも私は「濃い」系の顔が好きなのかもしれないと思いました。
眉毛は黒くてある程度の太さがあって、自然に眉山が上がっているのがいい。わざわざ眉を細く剃ってるなんて、もってのほか。うっとうしいヒゲ面は嫌いだけど、ヒゲが生えない体質でお肌つるつるっぽいのも嫌。のっぺりしたお公家顔よりは、彫りが深い顔立ちのほうがいい・・・ま、あまり固執してませんけど。

容姿が美しいと思うことと、おつきあいしたいと思うこととは、これまた別。そこには性格的なものが入ってきますからね。
この十段階リストの中で、つきあってみたいとすれば、5の小田さんと4の中田ヒデですか。顔だけでいえば「普通〜ちょいブサ系」ですね。
そもそも私は容姿の抜群にいい男は昔から敬遠ぎみです。表でいう10〜7の男たちって、フェロモン出すぎっていうか、「オレっていけてるでしょ」オーラがうわっと押し寄せてくる感じなんですよね。それで、性格がどうこう思うまえに引いちゃう(~_~;)

小田さんと中田ヒデに共通してるのは、まず知的ということ。で、どっかガードが固い感じ、ある種、ストイックな感じがするということ。「オレってばモテモテ男。寄ってくる綺麗な女をとっかえひっかえ、ウハウハ♪」じゃなくて、(真の実態はわかりませんけど、あくまでも私のイメージでは)筋の通った女性観がちゃんとあって、その気持ちに忠実な感じがすること。それから、なんか意外性がありそうな感じがすること。表に見せている姿からは、ちょっと想像できない一面がありそうなところ。それがミステリアスでいい。
うん、とうぜん、10〜7のフェロモン男たちにも知られざる一面はあるでしょう。でもね、はじめっから、彼らはじゅうぶんセクシーで魅力的じゃないですか。そのうえに、まだこんな素敵な面もありますって言われてもね、驚きが足りないっていうか、正直、もうわかったよっていうか、お腹一杯な感じ。

そうなんですよ、私は「意外性」に男のセクシーさを感じるんですね。いままで男だと思っていなかった、あんまりなんにも意識していなかった人に突然「異性」を感じるとき。それはいつも軽い驚き・発見とともにやってくるんです。
「えっ、この人、案外ステキかも」
その瞬間、本能的な意識がクルリと寝返っていく甘い感覚がとてもいい。だから、誰もがぱっと見てすぐに認める絵に描いたお人形さんみたいな「いい男」より、見る人によっては「いい男」になる生身っぽい男のほうが断然セクシーに思える。私が「普通〜ちょいブサ系」好きな理由はそこにあります。
中田ヒデだって、顔だけは知ってるという段階では、「なんや、このヤンキーまがいの兄ちゃんは?なんでこんなに人気あるの?」と思ってました(ファンの皆様、ごめんなさい)。が、彼の記者会見の様子とか、インタビュー記事とか、そういうものをちらっとのぞいてみて、「え。こいつ、年のわりには、しっかりしてそう。ふうん、なかなか知性もありそう。ただの筋肉バカじゃないみたい・・・イヤン、いいじゃないの(はぁと」と意識が寝返り、そうするとなんだか顔つきまでが「いやぁ、精悍というかワイルドな感じよね♪」と思えてきて・・・ははは、ゲンキンなもんですね。

もっと身近な例で、「なんとも思っていなかった人に異性を感じるとき」というのは、そうですねぇ、案外と他愛もないことだったりしますよ。
見るからにヒョロヒョロと痩せた男性が、職場の大掃除で、自分のかわりに重い机をヒョイと動かしてくれたときとか。
「あれ。この人もやっぱり男だったのね」
日頃は大人しく見えるずっと年下の男の子が、静かな声、でも確固とした表情で、将来への社会的野心を語る姿とか。
「あれ。この子もやっぱり男だったのね」
性格はいいけどブサイクだから対象外、と思っていた人にパソコンを教えてもらい、彼がキーボードをなめらかに叩く指先を見ていたら、すらりときれいで、とてもノーブルだと思ってしまったときとか。
「あれ。ちょっとドキドキ。この人ってそんなにブサイクじゃないかも」
・・・・まぁ、いろいろ考えられます。「この人、(男として)案外ステキかも」の瞬間は。
私はこのような「私だけが発見しちゃった、この人ってステキじゃないの!」というシチュエーションにエロスを感じてしまうタイプですから、同じ趣味嗜好をもった女性には身の回りの「普通〜ちょいブサ系」男をよーく観察してみることをおススメします、はい。ちいさな発見とともに、自分の心の中に、ある日突然ふんわりと広がってくる甘さとトキメキを、こっそり味わうことができますよ。幸せの青い鳥はすぐそばにいたなんて。まあ、よくある話です。

たとえば彼のこと、誰かに自慢しても、「ふうん。変わった趣味してるね」って言われるだけかもしれない。
でも、いいの。私だけが知ってるんだから、彼の良さは。そういうのが秘めたるエロス。男と女の間は、多少の屈折があったほうがいい。王子と姫の、誰から見てもきらきらしい恋なんて、なんだかつまらない。
考えてみれば、道行く男ってそんなにイケメンばかりじゃなくて、圧倒的に「普通〜ちょいブサ系」が多いでしょ。「普通〜ちょいブサ系」好きの未来は、面食いより遙かに明るいんじゃない?


言ってはいけない

私はけっこうグズグズと悩んだりするほうですけど、いよいよ煮詰まってくるとガラッと発想の転換をして、泥沼の膠着状態から抜け出します。ひとつのことをずーっと思い詰めることも必要ですが、現実の環境が、もうにっちもさっちもいかなくなったら、あとは、自分の考え方を変えなければ不幸になる、という場合ですね。
変えられる可能性があるならば、現実との戦いに食い下がってもいい、でも、どうしても変えられない現実を前にしたら、自分の考え方を変えてみるほうが、人生のロスにならないと思うんです。
上の「容姿」がらみで書きますが、生まれつきの顔も、「変えられない現実」のひとつです。いや、ぜんぜん変えられないというのではなくて、手術でもすれば変えることはできる、のです。だから、それで自分の人生に納得できるんなら、そうすればいいんです。でも、気持ち的にも環境的にも、そこまで腹をくくれないというんなら、もうグズグズと悩んだり神様に文句を言っても仕方がありません。いまの自分のまま幸せになれるよう、発想を転換することです。そのひとつの方法として、自尊心の復建があります。

だいたいブサ系の人間は、遅くとも思春期にさしかかって恋愛の真似ごとを意識しだすようになると、己の置かれた不利な立場に気づきます。男も女も、自分に自信がもてなくなり、自信をもてるように頑張ろうとすることさえ、「なに勘違いしてるの。どうあがいてもブサイクはブサイクなのに」と後ろ指さされそうで、なんだか怖い。結果、ひがみやすくなって、もとからブサイクなうえに、ドヨ〜ンと暗い影まで背負ってしまうことに。これではマズイ。なんてったってマズイでしょ。
あ、容姿に恵まれた人にもそれなりに悩みはありますね。でも、ここではとりあえず無視させていただきましょう。なんといっても美しいが故の悩みなんて、速攻で解決しそうに思えるので(~_~;)
「誰も本当の自分を見てくれない。同性には嫉妬され、異性が見てくれるのは自分の顔だけ・・・」
こんな悩み、もう吹き出したくなります。あのねー、みんな「本当の自分」なんて見てもらってないんだって。アンタだけじゃないの。誤解し、誤解されながら、人は生きているものなの。
寂しいんだったら、その美しさに恵まれた顔を心持ち傾げて、「ときどき、孤独だなぁって思うんだ」とか、ボソッとつぶやいてごらんなさい。普段、「美人なんて澄ましててイヤ」だの、「あまりハンサムだと人間味がないみたい」だの言ってる人もたいていコロリと落ちて、勝手に「この女(男)だけは違う」と、いいように解釈してくれるでしょう。すっぱい葡萄だと遠ざけていたものが、手が届くかも?と思わされた瞬間、どうしても手を伸ばさずにいられない甘い甘い葡萄になるわけです。
こんなん悩みって言えますか?アホらしい。

そうそう、話は「自尊心の復建」でした。
往々にして、自己評価の低い人は、自分からわざわざ自分の評価をさげてしまうようなことを口走ってしまいます。それを言っちゃあおしまいだ、というようなことを、なぜか言ってしまうんです。これをやめるだけで、たぶん徐々にですが自尊心の復建につながると思うんですよね。
私が考えてみた「ブサ系だからこそ、言ってはいけない」セリフの二大系統をあげてみることにしましょう。

「どうせブサイクだから」「しょせん、男も女も顔でしょ、やっぱり」
「(他の誰かを指して)あんなふうに生まれてきてたらなぁ・・・」

これ、周りの人が一瞬、引いてしまいますよね。いったい何て答えればいいんでしょう。絶句してしまうか、心にもない慰めを言わされるハメに。ブサイクなのは仕方ないけど、他人に対して無神経すぎる、と思われてしまう。つきあっている恋人がいても、こんなことばかり言ってると「そうか、自分ってそんなにブサイクなヤツとつきあってんのか」とウンザリされてしまう。いままで、ラッキーにもアナタのことをそんなにブサイクだと思っていなかった人にまで、「そっか、こいつってブサイクだったんだ」と認識を新たにされてしまう・・・ひとつもいいことなしの卑屈なセリフ。
これだけは何があっても「言ってはいけない」。できれば心の中で思うのもやめましょう。思ったことは顔に出て、人を遠ざけるネガティヴ・オーラを発散させてしまいます。
自分の顔を人がどう思うかは、人に判断させておけばいいんです。

「もうおばさん(おっさん)だから」

30すぎたらよく見聞きするこのセリフ。
女性はまだ二十歳ぐらいでも「もう、おばさんだもん」って平気で言いますよね。たかだか二十年しか生きてないアンタがどうしておばさんなの、とツッコミ入れたくなりますが、もう輝ける十代じゃない、ということで、本人の感覚ではおばさんなんですよ。
まあ、こういうのも自分に自信のない人が言いますね。他人を試すような嫌らしいセリフ。いったいどういうリアクションすればいいの。
「そんなことないですよ、まだ若いじゃないですか」
30すぎて、こんな答を人に期待してるように見える時点で、卑屈で頭悪そう。
私も、若さを失いつつある女が世間からどう思われるのか、ということには関心がないわけではないですが、基本的に、自分の年齢を人がどう思うかなんて、人にまかせておけばいいんです。

最終的には、人の心や言葉は自分でどうこうできません。人は人の物差しで自分を測るからです。
自尊心を持つには、それとは別に、自分自身の物差しを持つことに限ります。
人がどう思おうと、自分のスタンスは自分で確保する、そういう矜持みたいなものを持たないと、八割方の人が信奉する「世間のスタンダード(最大公約数的物差しですね)」で生まれながらにランク下に入ってしまう人は、永久に幸せになんかなれません。
自分を不幸にするスタンダードに、惨めったらしくしがみつくのをやめてみませんか。それには、いろんな価値観があるんだ、と身体で感じることが一番。
はい、パスポートを持って、ちょっと狭い日本から飛び出してみましょう。あるいは、何かグローバルな感覚を身につけられるボランティア活動でもやってみましょう。コンプレックスだった一重瞼がエキゾチックで綺麗だと言われてビックリすることもあるでしょう、太っていることが美しいことだという民族の存在にビックリすることもあるでしょう、まあ世の中、さまざまです。
海外にも行けないし、仕事や勉強に忙しくてボランティアなんか無理だよ、という方は、せっかくネット環境があるんだから、せめてサイバー空間の中ででも、「いろんな世界」を体験してみましょう。やりようによっては、なんとでもなります。

人間はみんな弱い。
人から認められないと、不安です。
人から幸せそうに見てもらえないと、不満です。
だけど、あえて言いましょう。自分スタンダードで生きてみたら、と。
勘違いブサイクで結構。傲慢ブサイクも上等。ネガティヴに背を丸めているより、よっぽどすがすがしいです。
自分の価値ぐらい、自分で決めましょう。自分が幸せかどうかぐらい、自分で判断しましょう。そして、自分スタンダードが誰かの迷惑になっていないか、常に振り返る余裕ももちましょう。
それが、大人になる、ということではないのですか?


女(男)捨ててません?

一般に広く浸透しているらしいグータラ主婦の姿。
ダンナと子供をそれぞれ送り出したあとは、洗濯や掃除を午前中にチョチョッとすませ、昼ご飯のあとはコタツでお菓子をぼりぼりかじりながらワイドショーか昼ドラ。見てるうちにウトウト寝ちゃったりして。夕方になると洗濯物を取り込んで、あわてて夕食材料の買い出しに走る・・・
こんな感じかな?
歳を取るにつれて体型が崩れて太っていき、ジャージ姿でお茶の間(死語?)にゴロンと横になってると、まるでトド。ダンナが帰ってきても、「おかえりー」と義務的に言うだけ、目はテレビ画面に向いたまま、バラエティ番組見ながらゲラゲラ笑ってる。
・・・こんな前時代的な主婦ってほんとにいるのかしら?
私の知る限り、みなさんもっとお忙しそうで、ワイドショー見てごろごろしてる暇なんかなさそう。
でも、もし私が男で、結婚した女がこんなふうになったら、イヤになりますねー。(はじめからこんな女は選ばないと思うけれど・・・)
食事の前なのに気にせず安菓子食べてる、スーパーで買ってきたお刺身をパックのまま食卓に出す、栄養のバランスが取れた献立を考えられない、下品なお笑い番組に大口あけて笑ってる、タオルもジーンズもいっしょくたにして洗濯機に放り込んで洗う・・・
毎日、そういうの見てると、もう妻に女を感じることなんかなくなりそう。

私ですか?
うーん。私もたいていグータラ主婦かもしれないけど、少なくとも上に書いたようなことはしません。
ワイドショーは大きな事件があったときだけ。そもそもテレビだらだら見るの嫌いだし。私から電源入れることはめったにないですね。あ、ウチではご飯たべるときはテレビは消すのが規則です。食事しながらテレビ見るなんて・・・ご飯が不味くなりません?
昼寝はするときもありますが、たいていネットウォッチか本読むか小説書くかメール書くか、そんなことやってますね。
味噌汁のおダシは削りたての鰹と昆布でとります、なんてことは絶対ないけど、質の悪い油で揚げたスーパーのコロッケや唐揚げをお皿に並べて、「はい、ごはんよ」はないです。
これは家で作ると面倒+不経済だと思えば、量り売りのお総菜も買いますけどね。「五目豆腐の湯葉巻き」とか「かぼちゃとサツマイモのサラダ」とか。でも揚げ物は買わないなぁ。
そのへんは、みんな、それぞれの感覚っていうものがあると思います。
洗濯ですが、私はおおざっぱに身体の腰からうえに着けるものと腰から下に着けるものは、必ずべつに洗います。靴下とハンカチは一緒に洗わない、ということなんですが、これ、うちの夫に「神経質すぎる」と言われて驚いて、他の女の人にも数人に訊いたんですが、意外にも、「うっそー、神経質だねー。どうせ洗剤で洗うんだから一緒に洗ってもきれいになるじゃない」と言う人多し。こっちからしたら、「うっそー、靴下と一緒に洗ったタオルで顔を拭くのなんかヤダー」って感じなんですが。これも感覚の違いですかね。
物入れとか引き出しの中が整理できてないと夫に嫌味を言われるけど、とりあえず目に付くところは私なりに片づけてます。窓拭きは体力使うし、雨が降ったら虚しくなるのでほとんどやりませんが、掃除機は毎日のようにかけます。
家の中とご近所では肌のためにスッピンで過ごしますけど、電車に乗るときはちゃんとお化粧して、それなりの格好を心がけてます。体型がトド化しないようにも気をつけてます。(っていうか、本当はもう少し太ったほうがいいのだけれど・・・)
まあ、自分で満点とは言いませんが、少なくとも「女捨ててない」つもりなんですけど。

「いつまでもハツラツと若いまま」なんて生理的に無理だけど、女か男かも気にされないような存在にはなりたくないですね。できるなら、ずーっと女としてのチャームを追求して生きたい。だから、自分より一歩も二歩も先を生きてる素敵な女性がいると、ついつい感心してしまいます。
このまえ、ゴッホ展に行くとき電車に乗っていたら、芦屋付近で一人の女性が乗ってきました。たぶん五十代から六十すぎだと思うんですけど、その女性には、とても「おばさん」「おばあさん」なんて気安く言えない感じでした。真ん前に座ったので、しっかり観察してしまいましたよ。
黒く染めた髪をストレートのショートにして、きちんと化粧した顔には赤い口紅。黒地に花柄が刺繍してあるシルクサテンのチャイナ風ジャケットと黒いロングスカートを合わせて、膝のうえに置いているのは大振りのシャネルのバッグ。イヤリングも金のシャネル。
正直、「ひゃ〜、このヒト、凄いど迫力」と思ってましたが、見てるとだんだん「この人ってなかなか、ううん、相当素敵かも」と。なんたって、時代に流されない芯のしっかりした美意識と自我の存在、「私は私なのよ」という主張をひしひしと感じるんです。ただそこに座っているだけなのに、不思議な存在感がある。つい、喋ったらどんなふうかしら、なんて想像してしまいました。きっと、「若々しいだけで内容はパー」みたいな感じじゃないんだろうな、と。
うーん、私も五十代になったら、あんなふうになろうかしら、と思いました。無理かもしれませんが。
そういえば文学学校にも七十代の方ですが、いらっしゃいましたね、素敵な女性。笑顔がとってもチャーミング。ど迫力はないけれど、飄々となにものにもとらわれない軽やかさ、それでいてきちんと気配りの行き届いた上品さが素敵でした。見習いたいと常々思わされましたね。

なんかね、年齢が上がってくると、もう一朝一夕に身につけることのできない何かがありますよ、素敵な人には。ババアとかオバハンなんて言葉を、まかり間違っても言えない、言うことが許されないような人間の厚み、みたいなもの。
そういうのが見えてこない人って、不幸だなぁと思います。
そりゃあ上のおふたりも、シャネルのイヤリングを外して、翡翠のネックレスを外して、高価な洋服を脱いで、ぜんぶ裸になったら、ただのオバアサンに見えるかもしれない。身につけているモノが、人間を良くみせているのかもしれない。化粧を落としてお風呂に入ったら、身体じゅうしわくちゃで、おっぱいも萎びてて、手や顔にもいっぱいシミが浮いてるのかもしれない。
それ見て、何と思うかはわかりませんが、そのギャップがまたいいのかもしれないな、なんて。んー、なんていうのかなぁ、夕暮れの落日のような、切なく胸をしめつけられる美・・・

まっ、とにかく私は頑張ります。ぜったい「女捨てない」ようにね!
それより・・・ウチで同居してる「男を捨てた」夫、誰かなんとかしてくれませんか?
絶対、私の足引っ張ってる。私が女を捨てたほうが気楽だと思ってるみたいなんです。自分がもうオッサンになりきってしまって、「ほれほれ、おまえもオバハンになれや〜、ラクやぞ〜」と・・・
「イヤや!私はあんたと一緒にオジ・オバ街道まっしぐらなんて、真っ平ゴメンやわ!」と言えば、
「おまえ、いつまでそんなん言うてんねん、結婚したんやから、もう『いけてる』とか『いけてない』とか関係ないやないか。それとも他の男と浮気でもしようとおもてんのか?」と半泣き。
あー、するかもな!(怒)
テレビのチャンネルぐるぐる回しながらドテッとソファに寝転がり、お腹をたらんとたるませて、お尻ぼりぼり掻きながら下品なバラエティ番組に笑ってるその姿見てたら。
まあ、忙しいから休みの日に少しぐらい気晴らしさせてあげようと思ってはいるけど、もう少し夫婦の間にも遠慮ってもんがあるでしょうが。男としてちょっとは格好つけてみようって気ぃないんかいな。親しき仲にも礼儀ありって言うでしょうに。
ほんま、世の中のオトーサンが仕事帰りに飲み屋のオネーチャンといちゃつきたくなる気持ちわかるわ。家に帰っても、あのトドがおるだけや、と思ったら私だってそうなるかも。
だけど・・・自分の妻をそんなふうにしたのは、他ならぬオトーサン自身かもしれないですよね。
ということは。
あ〜〜〜〜、どうやったら夫がトド男状態から立ち直ってくれるの!?(って、もとからこんなヤツだったかも・・・)
誰か、いい秘訣があったら教えてください、お願いします(至急・涙)。



52を読む / TOP