縁切り時

夫が関東方面へ出張。
前々日くらいから、すっごい焦って支度していきました。ギリギリにならないと何事も準備できないクセ、いい加減に改まらないものでしょうか?見ているこちらがイライラします。
・・・とは言うものの、私も同じく、普段はのんびり構えているほう。
もう来週から文学学校も始まるのに、この夏休み中にやろうと思ってたこと、ぜんぜん出来てない。アハハッ♪
って、笑ってる場合じゃないのよ。短編、書かないと。

ところで、突然ですが、縁切り時の見極め方ってあると思いませんか。
恋人との別れ、夫婦の離婚、グループなりサークルからの脱退、会社を辞めるなど、いろいろ「関係を切らねばならない時」っていうのはあると思うんですよ。でも、このタイミングを上手に測るのが、なかなか難しい。最悪なタイミングで縁を切ると、怨まれたり、バカにされたり、果ては嫌がらせを受けたりと、何もいいことないですからね。
私が考えるに、まず、感情的になって縁を切るのは良くない。
DVやイジメなど、そうも言っていられない深刻な場合を除いて、「売り言葉に買い言葉」的な感じで袂を分かつのは、最も後味が悪いです。現実的に不利益を被ることもあるだろうし。
だから、できれば、サラリと納得ずくで別れたい。互いを傷つける言葉の応酬などなしに、エレガントに関係を消滅させたい。それには多少の根回し・忍耐が必要。腹が立っても、とりあえず我慢して、「そのとき」を正確に測るわけです。

「相手にとって自分が必要でなくなった」か、「自分にとって相手が必要ではないのだ」と、心から納得してもらえれば、円満に関係の解消ができます。これが「縁切り時」。目の前にいなくなっても、仕方がないと、納得しあえるとき。
で、いなくなる、というのは、大まかに三通りあるでしょう。
1,自分がその場を離れる
2,相手がその場を去る
3,その場自体が消滅する
辞職に例えれば、
1,自分が会社に辞表を出す
2,会社から解雇される
3,会社が倒産してなくなる
という感じですか。恋愛なら、
1,相手をふる
2,相手にふられる
3,どちらかが死ぬ、失踪する、あるいは、お互い同時に恋愛感情がなくなる
みたいな感じかなぁ。
まあ、3のケースは問題外として、1と2は、双方納得ずくで、というのがなかなか難しいですね。キーは、「ふさわしさ」だと思います。お互いに進む道、居る位置、考え方が違ってきて、もうどうしてもお互いがお互いに「ふさわしくない」。双方がそう思えたら、コトはスムーズでしょう。

私にも今、とりあえず、そろそろ縁の切り時かなぁと思う現実があります。
たいそうなことじゃないです。個人的な人間関係じゃなくて、私個人とその集団との関係。
詳しくは書きませんが、小さな違和感がだんだん募ってきて、それらが積み重なって、だんだん発酵してきて、関係そのものに腐臭が漂い始めたら、もうそれは終わりだな、と。
でも、まだ「縁切り時」じゃない。
近い将来、そのときが来ることはもう決まっている、そんな感じが濃厚にするんだけれど、今じゃない。
だから、もう少しこのまま。上記の例でいくと、2と3はまず考えられないので、自分から離れる選択があるのみなんですが、今はまだ。なぜかというと、私自身の気持ちの問題で、ひとつの山を乗り越えて去りたいから。自分が成長した結果、いままでいいと思っていたことが、そう思えなくなったのだと、確認して去りたいからです。
ただ嫌になって逃げるんじゃない。器が窮屈になったので、そこから飛び出すのだと。
ホップ、ステップ、ジャンプ。
思い切って飛び出したら、奈落や砂漠でなく、つぎの一回り大きな器に、もっと開けた場所に、しっかり着地したい。その器その場所に、ふさわしい自分になれたとき、知らず知らず「縁切り時」も通り過ぎているでしょう。目を開けたら、べつの世界が広がっているでしょう。そこにふさわしい私になれたら、ね。
それまではここを動けない。どんなに退屈でつまらなくても。


「2ちゃんねる」の遊び方

今ではメジャー誌でもその動向がとりあげられるようになった匿名巨大掲示板群「2ちゃんねる」。
初めは、なんじゃこりゃ、と思っていた私も、おそるおそる書き込んでみると、これがまた面白いということに気づきました。いろんな板があって、そのなかにいろんなスレがあって、ずらずらウォッチしていると、ヴァラエティに富んだ「大衆の意見」(イコール「リアル大衆の意見」ではないけれど。まだネットやっていない人の割合が多いし)みたいのが見えてきます。

匿名掲示板ではみんなが名無しさんなので、ID表示のあるところ以外は、誰がいつどれを書いたかわからないのが、いろいろ遊べるポイント。自分の意見が否定されたり難癖つけられても、匿名だと、自分のアイデンティティまで非難されたわけじゃないような気軽さがある。だから、あれだけ大勢の人間の本音が集まる巨大サイトになったんだと思います。
考えてみると、名前って重いんですよ。たとえネット上だけのハンドル名でも、それひとつを長く使っていると、そのハンドル名自体が自分のアイデンティティみたいになってきますよね。実社会と同じように。それがないから、あそこでは、言葉ひとつ、文章ひとつが自分。だけど、みんなが名無しの匿名だから、それが自分だとわかるのは自分だけ、他人からは特定できない。けっこう面白いシステムです。

私がよく見ている板は、ニュース速報+、既婚女性、独身男性、少女漫画、一般書籍などですが、ネットやパソコン関係で困ったこと、知りたいことがあれば、そういう板で質問するし、生活の知恵みたいなのは、また別の板で質問してみたりします。もちろん、答えてくれるのはどこの誰ともわからない名無しさんですから、その答えが妥当なものかどうか、調べてみたり確認はしますけどね。
いろいろ言われることが多いサイトですが、もはや特定の人種が集まる特殊なサイトでもなくなった今、気軽な情報収集源、老若男女の雑談スペースとしては、人がたくさんアクセスしていてレスが早い2ちゃんねるってスグレモノだと思います。読んでいて不快になるスレやレスもたくさんありますが、そういうのには関わらなければいいし、真偽も定かでない情報が飛び交っていても、初めから鵜呑みにしなければいい。それは、たとえばテレビ番組でも同じ事だし、本屋で雑誌などを選ぶときも同じじゃないでしょうか。

私にとって、2ちゃんねるでの一番面白い遊び方は、キャラの使い分けと自作自演。
かりにも小説を書いてみようなどという人間が、複数のキャラをその場その場で創作して、それらを演じきれなくてどうしましょう。これは、やってみるとけっこう会話体の練習になったりしますね。
たとえば、

「それは良くないと思いますよ。私なら嫌ですね」→基本。まりねこ文芸館での文体。♀
「それって良くないじゃん?あたしならヤだなー」→くだけた東京弁。♀
「それって良くないんとちがう?私やったら嫌やわぁ」→大阪弁。♀
「それって良くないよね。僕なら嫌だな」→ネナベ=男のふり。♂
「そりゃ良くないんじゃねーの?俺なら嫌だね」→同上
「それって良くないわよねぇ。あたしなら嫌よ」→ネカマのふり♂

などなど。
いろんなニュアンスを駆使して年齢、性別など分けてキャラをつくってみます。
普通の雑談なら、まずバレませんが、ちょっと長文で自分の意見を言うようなレスをつけて見抜かれちゃったことはありますね。そう、あれは独身男性板で中年男の悲哀について語ってたとき。他の人から速攻で「ほんとに四十超えてるのか?まだ学生かなんかじゃないのか?」と看破されました(~_~;) まあ、こちらが女とはさすがにわからなかったようですが・・・

いろいろやってると、自分のなかで弱いキャラ、苦手なキャラがあるのがわかります。
中高年男性サラリーマンは、一番苦手ですね。これは、うちの親も自営業だし、夫も研究者なので、そういうサラリーマンのモデルが身近にいないせいかも。
いかにも頭の悪そうな女子高生キャラとかも駄目。☆とか複雑な顔文字を多用して打つのが面倒(~_~;)
あー、そう言えば、小説書くときも、この手の人物像がうまく書けなくて苦労するよな、とか、こういう人物のリアルなイメージって私の頭からすっぽり抜け落ちてるよなぁと思います。それがあらためて確認できたりして。で、ちょっとした会話体文章作成の修行の場として利用させてもらってます。

自作自演は、ちょっとスリリングです。複数人物の使い分けを一歩すすめ、それらを実際に動かしてスレの流れを意図的に操作し、自分の予定したストーリーを実現させる、ということですから。これは、書き込みの文章力だけじゃなく、スレの内容にある程度詳しいとか、確固たる意見を持っていないと駄目ですね。うまくいくとすごく面白いんですけど、人あしらいの巧みさとか、会話の流れを読んだうえで次の手を打つ、などというディベート(?)技術が必要です。
いろんなレベルの人がいますから、もう正論かませばいいっていうわけにはいかなくて、ああ言えばこう言う式ですね。ときには他の人を焚き付け、ときには水をさし、ときには茶々を入れ、ときには真面目に自説をぶち、ときには反対派を恫喝したり言いくるめ、なかなか大変な作業です。
そんな低レベルの言い合いをやって何の役に立つねん、と言う向きもあるでしょうが、レベルが低いからこそ「実践的」なんですよ。そもそも大衆というのは常に流動的で、定見を持たず、ちょっとした情報操作、そのときその場の感情で、どっちにでも揺れるものではないでしょうか。普通の人々が普通に求めているのは、必ずしも清い正論でもなく高い見識でもないのですね。
モヤモヤとした無名の集合体、それをどう扱うと、どう反応するか?は、ちょっと文章でも書いてみようかという人間にとってはとても興味深いことです。とくにマスコミ・ジャーナリズム関係の人には、名無しで参加すると、いい修行の場になるんじゃないでしょうか?


時は流れた

このまえ夫と協力して研究しているU君が大阪に来たので、一緒にご飯を食べて、それからジャズハウスというのか何というのか、生演奏のジャズを聴きながらゆっくり飲めるところへ行きました。
素人に毛の生えたような演奏自体はどうということもないし、ほとんど無視状態。それより、U君との間で音楽についての話が盛り上がって(?)しまいました。
学生のときはバンドでベースやってたとかいうので、その話も面白かったんですが、いちばん意外でウケたのは、彼、二十代後半なんですが、どうも70年代ブリティッシュ・プログレがすごく好きみたいなんです。ジェネシスとか。「へーっ、なんでアンタがプログレ?」ってカンジですよ。なんていうか、本人が、いかにもそんなふうに見えなかったので。うーん、ああいう自意識過剰なほど耽美な大仰さを押し出した粘着質サウンドは、彼の普段のイメージに合わないと。もっとサラッとしたのが好みかと。70年代でも、アメリカンロックだったら、まだうなずけたけど、それは美しくないんですって。で、へええ、と感心していたら、「僕、人間の情がどろどろした音楽とか嫌なんですよ」と。
はあ、そっかぁ、と理解しました。
要するに、彼にとってはプログレというのはあくまでも「様式美」なのだね。ゴシックロリータと呼ばれるコスプレをやっている女の子みたいなものなんだな。精巧に組み立てられたガラス細工みたいなもの?
なるほどー、そういう解釈もアリか、などと、またまた感心してしまいました。
うちの夫はロックなんか聴かない人なので、ほとんどそっち系の音楽の話なんかしたことないんですけど、久々に昔を思い出したというか、楽しかったです。

私はプログレというジャンルに思い入れがあるわけではないんだけど、ジェネシスから脱退したピーター・ガブリエル(正しい発音はゲイブリエル)は、私が聴いた音楽の中では二番目に好きなアーティストですね。
彼のアルバムでは、4thが飛び抜けて好きです。一曲目のリズム・オブ・ザ・ヒートでノックアウトされて理性が吹っ飛び、アイ・ハヴ・ザ・タッチでは泣きそうになる。
アイ・ハヴ・ザ・タッチは、あまりあれこれ言われることのない曲だけど、私はこの歌詞に彼の「内向(自閉)性に対する苛立ち=他者との融合欲求」を見るんです。哀しいまでの繊細さゆえに自己が内部崩壊していく寸前で誰かを求めている姿、というかね。特に、二番の後からラストにかけて、たたみかけるように盛り上がっていく歌詞とメロディラインにグッときます。何度も聴きましたけど、飽きませんね。
他のアルバムでは、「US」のラヴ・トゥ・ビー・ラヴド、ブラッド・オブ・エデンなんかも好きです。

彼が二番目なら、一番好きなのは誰かということになりますが、それはケイト・ブッシュ。
私が中学生くらいのときかなぁ、あの名曲「嵐が丘」で一世を風靡し、その後、たぐいまれな才能を4thアルバム「ザ・ドリーミング」で爆発させた女性アーティスト。その頃のプロモ用ビデオクリップも見ましたが、彼女が歌いながら踊っている(最近の安っぽい「振り付け」じゃなくて、まさに芸術的「舞踏」)だけの、予算的に言えば超安上がりなものなのに、それが一番、彼女の世界を表現するのにふさわしいんです。この人の美貌と才能があれば、他には何の小道具もいらないのです。才色兼備とは、まさに彼女のためにある言葉だなぁと思いました。どうでもいい音楽とかどうでもいいアーティストは量産されては忘れられていきますが、彼女の美意識や音楽世界は真にオリジナリティがあるので不滅です。
この人の場合、駄作というものがあまりにも少ないので好きな曲は、と訊かれても答えに窮しますが、大傑作アルバム「ザ・ドリーミング」から好きな曲はナイト・オブ・ザ・スワロウ。「センシュアル・ワールド」のロケッツ・テイルも切なくていいですね。

93年に、アルバム「レッド・シューズ」を出したきりなので、もう音楽活動からは身を引いたのかしらと思っていました。が。試しに思い立ってグーグルで検索してみると、なんと、あれから子供を産んだそうで、籍は入れているのかいないのか知りませんが、子供の父はギタリストらしいです。それはいいんですが、今年、イギリスで何かの賞に呼ばれて人前に出てきた彼女のお姿を写真で見たところ・・・
いやーん、二重あごになってるぅ!!
ううむ・・・前から、油断すると太る体質だなぁと思っていましたが、すっかり「可愛いオバサン」と化してました。いくらもう44才とはいえ、昔の抜群のスタイルと、エキゾチックで妖艶な美貌は一体どこへいってしまったの???
黒木瞳なんか、確か41で子供もいるけど、まだ「可憐な」という形容詞がハマるというのに。
なんか、凄くガックリきてしまいました。ファンとして、彼女のいわゆる「幸せ太り」は喜んでもいいはずかもしれませんけど、彼女の場合、その容姿と、スレンダーな手足で舞踏する姿も、アーティストとしての重要なファクターだったから・・・
最後のアルバム「レッド・シューズ」は、プリンスやジェフ・ベックなど、大物アーティストにゲスト出演してもらった豪華メンバーでしたが、サウンド自体はそれまでのアルバムとくらべて明らかに凡庸。
こんな曲ばかりなら、ケイト・ブッシュがつくらなくてもいいじゃない、と思ってしまうような。
やっぱりもてる才能のすべてを注ぎ込んだような鬼気迫る「ザ・ドリーミング」を知っている者としては物足りなさがありましたね。
まだ新しいアルバムをつくる気はあるみたいだけど、あれで終わった方がいいんじゃないかと。
時は残酷だなぁ・・・


あの日 あの時 あの場所で

うちでは本やマンガなら、お互いに持ってたものを交換して読んだりします。夫の「李欧(高村薫)」や「デビルマン」を私が読んだり、私の山岸凉子コレクションを夫が読んだり。
でも、昔好きだった音楽とか絵、映画などについては、夫との間では話しません。
ぜんぜんかみ合わないからです。

アメリカに住んでるとき、カーラジオをつけると、しばしば懐かしい曲がかかっていました。
レッド・ツェッペリンの「天国への階段」とかイーグルスの「ホテル・カリフォルニア」とか。そのたびに、私は、ぎゃー、懐かしぃ〜!!と手を叩くわけですが、夫はどこ吹く風。ピンクレディやキャンディーズは知っていても、クィーンやディープ・パープルは知らない夫。ジャパンって言っても、X−JAPANしか知らない。私が言ってるのは天才ベーシスト、ミック・カーンと、金髪の美形デヴィッド・シルヴィアンが中心になってやってたお化粧バンド(ヴィジュアル系というのかしら、今では?)のことなんだけど。
四つしか違わないので、同世代っちゃ同世代なのにねぇ。「ホテル・カリフォルニア」知らんとは・・・
もー、あの時代に生きてたら当たり前に耳に残ってるハズだと思ってたことも「知らない」と言われるので、中学・高校・大学と、とりあえずヒットチャートをチェックしていた私とは、ずいぶん違う青春をやってきたんだなぁと思わざるをえません。まあ、夫もマイケルジャクソンくらいは知ってるようですけど。

学生の頃は、「趣味を共有できること=気の合うこと」だと思っていたので、たとえば二十歳のとき何かの縁があって今の夫と知り合ったとしても、私の中では友だちとも異性とも見られない存在だったと思いますよ。まぁ、彼の出身大学のネームバリューで少し興味を持って近づいたとしても・・・

私「えっとぉ、音楽とか聴きます?」
夫「え、この前、松田聖子のCD買ったけど」
私「(ひきつり笑いつつ)聖子ですかぁ・・・(うわ、なにこの男、キモッ。アイドルオタクかぁ?)」
しばしの沈黙のあと、
私「(気をとりなおして)で、車は、何乗ってるのん?」
夫「車はないねん。ミニバイク乗ってる」
私「・・・ふうん(うわ、男のくせに車も持ってないの?やってられんわぁ、歩きでデートなんて。いくら大学良くてもこれじゃあなぁ・・・)・・・あっ、私ちょっと用事あるんで。また暇なとき電話してもいいですかぁ?(いちおうキープしとこ。友だちにええ男おるかもしれんし。まぁ類友やから期待できへんけどさ)んじゃ、今日はこれで。さよなら〜!(駆けだしていく)」

・・・という結果になっただろうな、と。

♪あの日 あの時 あの場所で 君に会えなかったら
           僕らは いつまでも 見知らぬ二人のまま (ラブストーリーは突然に/小田和正)

ほんと、会わなくてよかったと思いますね。見知らぬ二人のままで(ププッ
いやぁ、縁切り時について、前に書きましたけど、出会いにふさわしい時っていうのもありますよねぇ。
夫はたまに、「学生の頃あんたに出会いたかったなぁ。楽しい青春の想い出が出来たやろうなぁ」などと言うのですが、プッ、そんなこたぁない、ない!
たぶん私は夫の青春のひとこまをちょっぴり傷つけただけで終わっただろうな、と。
まぁ、私がなんだかんだあって三十も超えて出会ったからこそ結婚するという結果もありえたわけです。
二十歳の頃の私は、今に比べたら、そりゃお肌にはハリがあってツルツルしてたかもしれないし、疲れ知らずで元気いっぱいだったかもしれないけど、私は今の私のほうが好きですよ。中身も外見もね。
写真で見ると学生時代の私は、どこか緊張したようにピリピリして、それが顔に出ていて嫌です。生の自分が出過ぎている、というか。若さが持つ苛立ちが、もろに出過ぎているというか。
嫌な相手にでもとりあえず笑う術をマスターした今のほうが、いい写真が撮れると思います。それはそれでテクニックだけなのかもしれないけれど。でも、諸々の「よりよく生きる術」みたいなのを少しずつ修得して歳をとった自分というのは、ただむきだしの自分よりずっとマシですね。それを余裕と呼ぶんだろうと思います。あるいは、包容力?

♪He thought he was gonna die, but he didn't
  She thought she could never cope, but she did
   We thought it was all over, but it wasn't ........... it hadn't started yet

彼は死んでしまうと思ったけれど死ななかったわ
  彼女は切り抜けられないと思ったけどそうじゃなかった
    私たちはもう終わりだと思ったけれど違ったわ・・・まだ始まってすらなかったのよ
                                 (Walk Straight Down The Middle / Kate Bush)

長い道を歩いてきたように思っても、まだ始まってない、まだ経験したことのない出来事が、これからも起こるんだろうな、と思えるようになった、これも余裕?
あるいは、諦念というもの?


第一印象

私は、はじめて出会う人の第一印象を重く見るほうかもしれません。
会ってとりあえず二、三十分程度も話してしまうと、もうそれで直感的に「もっと知りたい(または知る価値のある)人」か「とりあえずどうでもいい人」かぐらいは、心の中でおおざっぱに分けていますね。
うちの夫は「一回会ったぐらいで、その人がどんな人間か、わかるわけがない」と言って、私のこういう態度を考えなしだと諫めます。まあ確かに、二度三度と会って話すうち、初めの印象が変わってくる人も多いです。だから、一度ちょっと喋っただけでは人間はわからない、とも言えるのですが、どうでしょうねぇ、「処女作には作家の本質が最も色濃く現れている」というように、最初に受ける印象をあながち軽視できない気もしますよ。
私は人が好きだし、人間に興味があります。とてもね。
誰がどんな人でどんな生き様をしているのか?そういうことにあまり好奇心が動かないと、そもそも文学なんかにも関心もったりできないでしょうし。
もうそういう好奇心の方向性はずっと昔から身に備わったものなので、あまりそんな下世話なことには熱心になれないらしいうちの夫などとは、こう言ってはナンですが、人間観察にかける意気込みやスキルの蓄積、キャリアが違うのですよ。ははは。
それに、「私自身が関心を抱ける(抱くに値する)人かどうか?」という点が、第一印象を評価する際の最大のポイントであって、客観的・具体的にその人がどういう人物であるかということまでは、当然わからないと思っています。これはやはり、何度も会ってみなければね。
まあ要するに、その人に関心を持てるか持てないか、そこのところだけは第一印象であらかた決めちゃうかも、という話なんです。

第一印象では、話す内容よりも、表情とか目の輝きとか、身体のちょっとした動き、そういうもののほうがはるかに雄弁にその人を語りますよね。だいたい、初対面でそんな込み入った話、突っ込んだ話はしないだろうし。私はそれでもう「もっと知りたい」か「どうでもいい」か分けてしまいますけど、性急すぎるでしょうか?
いや、これまでの経験から言って、その時点で「なんとなく輝きがないなぁ」とか「薄っぺらそう」と思えば、その後、もう一回二回と会っても、たいていその印象が強まるだけみたいな気がするんですよね。人間として興味深い人というのは、もうその時点でなんかセンサーにピピッとひっかかるものがありますよ。ちょうど、小説の最初のパラグラフを読んで、「おおっ、これは?!」という感じですか。もちろん、出だしだけがよくて内容が尻すぼみになる小説もあるので、それは二回、三回と会ううちに確かめていくということですね。でも、初めっからつまんない小説は、たいていラストまで読んでもつまんないことが多いです。「この小説は出だしはつまらんけど、これから面白くなるのか?」ということを確かめるために、一応さいごまで読んでみてもいいんですけど、それは限られた人生の時間を無駄にする覚悟がいりますね。そんなわけのわからない覚悟を強いられるなら、初めから面白く引き込まれる小説を探したほうがベターじゃないか、というのが私の考えです。そのほうが第一、楽しいですよ。

思い出せば、うちの母も人を見る目はそういうタイプですね。
「パッと見て好きか嫌いか決めてしまう。嫌いだと思ったらそれ以上は近寄らない」って。
父はといえば、やっぱり、
「そんなにすぐ人間なんかわからんぞ。じっくりつきあわんと」
そう言ってました。
今ではこの会話のかみ合ってないところがわかりますね。第一印象で人間がわかるわからないというより、そこからその人に踏み込む気になるかならないか、ということでしょう、母にしてみれば。母は、たぶん私と同じで、直感的に、自分のつきあいたい人がすぐわかるタイプなんですよ。好みがはっきりしているというか、うーん・・・やっぱり動物的に勘がいいというのかなぁ?
うちの母はなんでもない普通の人なんですが、たまーにドキっとするほど簡潔に、物事の本質を言い当てることがあって、あなどれません。
そうですねぇ、あれはまだ私が十五、六のとき。今でこそ、ちょっとは狡猾に回りくどくなりましたが、私はもともとしごく率直な人間で、わりとストレートに自分の考えや感じ方を言いたいほう。なので、友人の中の一人に、なにかちょっと突っ込んだ意見を求めるにつけ、彼女が「そうねぇ、その問題は難しいなぁ」などとやんわり笑うだけなのをもどかしく感じていました。が、そのうち、自分のほうがバカなのかと思えてきたんです。うーん、ああいうふうに、自分の内面をストレートに出さずに、込み入った質問はそれとなくはぐらかしてしまうのが思慮深い大人というものなのか?と。
悩んだ私は家に帰って、母に訊きました。
「お母さん、自分の意見をハッキリいわない人ってどう思う?それだけ思慮深いってこと?」
すると母は、こう答えたんです。
「いや、そういう人は、たんに話す中身がないから黙ってるだけ」
「ほんと?でも、心の中では何かすごく考えてるかもしれんよ?」
「ううん、お母さんもそう思ってた時期があったよ。ある人が、いつもニコニコして『そうですねぇ、それは難しい問題やなぁ』とか言ってるから、この人、胸のうちではどんな深遠なこと考えてるのかと思ったら、実はなんも考えてなかってんなぁ。結局、なんも考えてない人は、なんも言われへんの。それがわかったわ。人間ってそんなもんと違う?」
とまあ、母はこんなふうに言ってのけたわけです。
そのときは、「ふうん・・・」だったけど、今では八割方その通りだなあと思います。母は、教育的配慮とかそういうの関係なしに、自分が思ったことを言ったまでで、きっとこんな会話はもう忘れていると思いますが。

さて、先日、東京から大阪の実家に帰省してきた夫の研究仲間(?)M君と、三人でご飯を食べにいきました。
夫はたまに東京方面に出張してM君にも会っているけれど、私は去年の「湘南ワークショップ」からほぼ一年ぶりです。もう顔もどんなだったか髪型とか細かい部分は忘れたなーって具合だけど、やたら目が大きかったことと、口調が無機的で不愛想だったこと、彼がまとっている妙にクールで頭の良さげな雰囲気はハッキリ覚えてました。人当たりのいい笑顔とソフトな声が親しみやすくて、癒し系、なごみ系に分類されるU君とは対照的、とあのときも書いてますよね。
いやぁ、あれから夫や、同じく東京の同業者のHさんから、彼の(いささか常軌を逸したような?)ハードワーカーぶりを聞かされていたので、湘南での第一印象と人づての印象がごちゃまぜになって、私のなかでは、M君=貴乃花というイメージになっちゃってたんですよ。
まあ聞いてください。ほら、貴乃花って、そこそこイケメンじゃないですか。そのくせ浮いた話もなくて、ヘンにストイックで愛想がなく、周囲もつきあいづらい。だけど、相撲の素質はすごくあって、それはみんなが認めてる。そんなこんなで角界では「相撲マシーン」と呼ばれているとか。
私は文春でそんな記事を読んだのが、M君に会う前々日ということもあって、パッとひらめいたんです。
「これって誰かに似てる・・・貴乃花が『相撲マシーン』なら、M君は『研究マシーン』じゃない?!」
もー、笑いに笑いましたねぇ。お腹が痛くなるほど笑いました。その「マシーン」という響きに。ひとりでウケてました。うん、当日、もう顔見た瞬間に、ぶははははって吹き出してしまうんじゃないかと心配になっちゃうくらい。いや、さすがにそれは失礼すぎるので、いくら私でもちょっと出来ないし、なによりあのひややか〜な目つきがコワイ・・・

実際に三人で会って話してみると、M君は相変わらずどこかクールでそっけない口調なんですが、話す内容には実際的なタフさがあって、近頃の男にしては気骨のある感じだと思いました。たんに毛並みがよくて仕事の要領がいいだけのおぼっちゃまクンかと想像していた部分もあるんですが、あれ、そうでもなかったんだなぁと。
ただ、自分なりの考えや意見というものをもっている人なら、ある程度の歳になればそこそこ普通にいます。喋らせると一見、説得力があるように見える人もたくさんいます。そこからは実現力が勝負というか、自分自身の飾らない意志を「手強い現実と対峙させていく気概」が持続するのか?ということですね。いろんな人生の局面において。私自身が、ともすればそこのところで折れてしまいそうな脆弱さを自覚しているから、それがきちんとできそうだと思う相手には尊敬の念を抱くんですよ。結果的に成功しても、しなくてもね。
まあとにかく「研究マシーン」というか「研究バカ」ではあるようだけれど、M君の第二印象は、なかなかに面白い人です。
不愛想な第一印象にもかかわらず、「どうでもいい」側にポイしなかった私の判断は正しかったというわけ。
私としては、自分の直感力にますます自信をもってしまいました。
やっぱ、人間は第一印象で決めちゃっていいのよ(^^)




50を読む / TOP