薄氷

お正月も終わりましたね。
元旦は夫の実家で昼間からフグやらおせちを食べて、そのあと、みんなで昼寝してから近所の神社にぶらぶら初詣。
二日は、私の実家で昼からおせちをつつき、テレビドラマを見てから夕方ごろ、お雑煮を食べました。さすがに連日でごちそうだと、もともと食の細い私は、なんとなく食べ疲れします。もう明日は七草がゆで、少しほっとしたい気分。
でも、しみじみ思いましたが、おせちはやっぱり買うよりつくったほうが美味しいですね。当たり前かもしれませんけど。
うちの実家では、おせちを買っていたんですが、お姑さんはなんだかんだと手作りで用意してくれていて、里芋の煮っころがしとか、あっさり炒ったごまめ、ふっくらした高野豆腐なんかが最高に美味しかったです。
夫と私の実家同士って、味付けがすごく似てるんですよね。やっぱり関西ふうの薄味で。だから、私はお姑さんの料理が美味しいと感じるし、夫も私の母は料理上手だといつも言っています。決して私のことはそう言わないけれど。

・・・と、昨日、ここまで書いたあたりで、キッチンにコーヒーを入れにきた夫が、私の後ろからパソコンをのぞきこみ、「またそんなん書いてる。しょうもないことばかりせんと、自分のやるべきことをやったらどうや」と高飛車に説教くらわすので、私はもうふてくされてパソコンを閉じてしまいました。
夫いわく「やるべきこと」というのは、たとえば掃除とか、そういう家事なんかを指しているんじゃありません。「なにか書くのだったら、ちゃんとした作品を書け」ということなんです。どうも、こういう自分勝手にできるホームページでダラダラと駄文を書き散らしているだけというのは、作品を書く難しさから安易な方向に逃げて、なんとなく時間を浪費しているだけだと言いたいのですね。人生は短い、今、頑張らねばどうする、と。

まぁ、確かにそうかも知れません。
日記ともエッセイともつかぬ文章は、作品と呼べるものではないし、ここを読んでいる人などごく限られた人数だと思うので、これは私の暇つぶし、「本当に人生を充足させるためにしなければならない努力からの逃避行動」なのかもしれません。要は、ちゃんとしたものが書けないから、こうやってお茶を濁しているだけだろ、ということなのですね。
それはそうかもしれないんですが、人のささやかな楽しみにわざわざ水をさすことはないでしょう。
作品となれば、自分の言いたいことをそのままストレートに言うわけにはいかないので、それはそれ、これはこれ、なのです。べつに、そもそもが、何かからの逃避として始めたわけでもないのですし。

・・・とは思ってみるものの、かなり凹みましたね。
自分が、まるで何の意味もないつまらない人生をいきているつまらない人間に思えました。まぁ、それを自分自身で内省的に思うぶんにはいいのですが、人から指摘されるとやっぱりこたえます。
「おまえって、本当にちっぽけな、つまらない存在じゃないか」
誰でも、そう自問自答することはあると思いますが、たいていの人は、どん詰まりには逃げ道を用意しているものです。
「どんな人間も、いつかは死んで忘れられる。けっきょくのところ同じじゃないか」
「〜〜がなくても、〜〜になれなくても、自分には〜〜があるのだから、まだ幸せだ」などと・・・
おそらくうちの夫には、「自分はこれだけやってきた、そして、なんとかここまできた、なにも特別なことじゃない、頑張れば誰にでもできる、でも、自分に言い訳を許して頑張るのを怠ったら、何事も成し遂げられないのは当たり前だ」という気持ちがあるんでしょう。(その成果っちゅうのがナンボのもんやねん、というツッコミはおいといて)だから、頑張らない人、思うように成果を出せない人を見ていたら、歯がゆくて説教ぶちたくなるのでしょうね。ちょっと過剰なポジティヴ・シンキングだと思います。

さて、とある掲示板で、「結婚しないという生き方」について、白熱した議論が交わされていました。
結婚するメリット・デメリットについて、独身者・既婚者入り乱れて延々と続いています。私としては、なにも、そんなに難しく考えずとも、各人が、結婚したければしたらいいし、したくなければしないでもいいと思うのですが、人は他者が自分と違う考えを持ち、違う生き方をしていると、自然と気になってしまうもののようです。
興味深くなりゆきを見守っていたら、一人の結婚推奨派が、「そうまでして結婚したくないというのはなぜか、わからない。そこまで言うのは、あなた方が自分のことをふりかえってみて、不幸な結婚生活しか想定できないからではないか、子供の頃から不幸な結婚生活しか見たことがないからではないか」というようなことを言い始めました。
これは、たいそう無邪気で、危険な発言だと思いました。
よりによって、掲示板などでは、言ってはならない最たることだと思います。案の定、それからしばらくは、感情的なレスが続いて板が荒れました。

人は、自分の過去や現在に何らかの不満や不全感を抱えていたとしても、いよいよ耐えきれなくなるまではそれを心の奥に隠蔽し、真正面から向き合わずになんとかやりすごそうという態度に出がちです。無意識的に、面倒なことは避けたいし、たとえ無理矢理にその問題に対峙しても、自分の力ではどうにもならない、ということもままあるからですね。
この例の場合、「子供の頃から不幸な結婚生活しか見たことがない」人が、自分の結婚に対して否定的になりがちだということは想像できます。だからといって、そのことをわざわざ言葉にして突きつけて、いったいどうなるのでしょう。それが真実でなければ、人を侮辱していることになるし、もし真実であれば、責任のとれない傷つけ方をしていると思いませんか。

知らなければ幸せ、気づかなければ幸せ、そういうことはあるものです。
ちょっと顔の造形が乱れた若い女性がいたとしましょう、でも彼女はそんなことにまったく気がつかないで生きていたとしましょう、あるとき、親切心で誰かが、
「キミの鼻の穴って、ずいぶん上向いてるね。そこだけプチ整形してみたら?」
などと言ったとしましょう。
さぁ、こんなことを言われてしまったら、その後、鏡を見るたびに鼻の穴が気にならない女性がどれだけいますか?これまでは毎日がなんということもなく過ぎていたでしょうに、いったん鼻の穴が気になりだすと「このまえあの人にあいさつを返してもらえなかったのは、この鼻の穴のせいかしら?わたしがブサイクだからかしら?」などと、次から次へと勝手に悩みがわいてきます。昨日までは、たとえ面白いことばかりではないにしろ平凡であった日々が、だんだん暗く惨めなものに思えてきます。
もちろん、現実の何が変わったわけではなく、ぜんぶ心の中のこと、勝手に本人が気にしているだけなんです。それだけで人はじゅうぶん不幸になるんですね。

こういう指摘を、いらぬお節介というんですが、鼻の穴くらいならまだしも、それまでまあまあ幸せだと思っていた人の日常をぶち壊し、見たくもない真実を突きつけたあげく、フォローも入れないというのは、神をも恐れぬ大罪になりえます。
相手の傷や不全感を見透かすことができ、それ故にほんとうのことが言いたいのなら、最後の最後まで、自分がフォローする、ケアする、救いきる、という姿勢が求められてしかるべきです。それができない状況なら、黙っておくべきです。黙っていることが、相手に対する背信だとは思いません。むしろ、賢しげにほんとうのことを口にしてしまうことこそ、軽はずみな背信行為なのではないですか。
自分がいかに賢いかということを証明したいがために、他人がかろうじてまっすぐに立っている足元の薄氷を割ってみせるのは悪趣味だし、人間として度量が狭いんじゃないかとも思います。


緊張!!

うらうらと良く晴れた連休。
といってもどこへも出かけず、せいぜい、近所のスーパーに買い物に行くぐらい。
夫婦そろって、ずーっと家の中で顔をつきあわせていると、だんだんダラーっとだらけてきます。
なんですか、いま、専業主婦というのは、パラサイトを通り越して「不良債権」なのですってね。
お金さえあれば、なんでも便利になった時代、男は独身のほうが楽しく暮らせるということです。働いて稼いでこない妻を養うかたちの結婚など、不利な契約、経済的損失でしかないらしいのです。
まぁ、そうかも知れません。たとえ彼女がいなくても、人恋しさを風俗で満足させられるのなら、なんの不自由もないでしょう。それに、いくら惚れた女と一緒になっても、数年も暮らせば、気持ちにも生活パターンにも新鮮さがなくなるというものです。

要するに、専業妻を不良債権呼ばわりする人というのは、自分を支える以上の責任は負わされたくない、自分のやりたいようにしたい、ということでしょう。
「言われてみれば、そういうのも、わかる気がするなぁ。あんたは?」と夫に訊けば、
「わからんな。まぁ、にんげん何のために生きてるかとか、あまり考えんような奴がそう言うだけやろ」と。
養う、という発想がそもそも違和感があるのですね。結婚の真実は、経済理論だけでは割り切れないものだと。
私は、これを一生抱え込まなきゃいけない、と肩に力が入るから、余計に経済的な側面で損得を考えようとするんじゃないかと思います。一緒にいたくなくなったら、別れればいいんです。もともと他人なんだから。それぐらいの緊張感とか、ある種の柔軟さがないと、結婚生活なんて、若気の至りとか「できちゃった」でしか飛び込めなくなると思いますよ。
と、私がこんなことを言っていられるのも、まあ、別れることになっても当面は経済的に困ることはないだろう、という目算があるからこそ、かも知れませんが・・・

ペットを責任もって飼うというのも、結婚に似てるかもしれませんね。
それこそ、うちのオコたんは不良債権の最たるもの。
養ってやっても、恩を感じるどころか、なんにも役に立たない。出来ることと言えば、せいぜい、人が寝ているのを起こしに来ることぐらい。
でも、なんとなく準家族みたいに仲良く暮らしてます。
夫が出張に出たときなんか、オコたんがいないとちょっと寂しいかもしれません。甘えてこられると嬉しいし、反抗的だとつい腹が立ちます。でも、「養ってやってるのに!!」とはなぜか思わない。
夫が私に対する気持ちっていうのは、私がオコたんに対するのと似たような気持ちなのでしょうね。

さて、冬休みが終わって最初の文学学校。
こんどの題材は、なんと、あの純文ティーチャーの新作についてだったんです。
それも、半生記ものなので、なにか評せよと言われても、考え込んでしまいました。だって、まぁ、事実そのものを書き連ねた作品ではないにしろ、それに近いものなのですから、それを評するということは、作者である先生の思想とか生き様を評するということになるわけです。
適当におべんちゃらを言って通用するような人でもないので、何をどう評するべきか悩みに悩みました。
ほんと、自分が意見を言う番にはめちゃくちゃ緊張しましたよ。
どんなに緊張したかというと、手先がぶるぶる震えるくらい。(部屋が寒かったせいもありますが)
どうしよう、まともに声がでなかったら、ああ、どうしよう、と思うと、ますます緊張してきます。ぐっと奥歯を噛みしめて、「なんだ、これしきのことで情けない、しっかりしろ自分!!」とか叱咤するんですが、緊張は解けない。逆に、だんだん息苦しくなってくる始末。ああ、ついに自分の番が回ってきた・・・
あわや、しどろもどろになるかと思いきや、出てきた声はしっかりしてるんですよね。
けっこう長々と喋って、終わり頃には軽い冗談も出てくる。
誰も、私がそんなにも緊張していたなんて、思わなかったでしょう。それどころか、ずいぶん積極的に意見を言う人だなぁとか思われたかもしれません。本人は、そうやって喋ったあとも、実はまだ手が細かく震えてたりしたんですけどね。でも、すっごく緊張しているのに、それを人には感じさせない術、これを私なりに体得しているんです。
これまであまり実際に役に立つことは書いてこなかったのですが、これはけっこう役立つと思うので、今回は、私なりに編み出した、「緊張していても、それをうまく隠蔽するハウツー」というものを書くことにしましょう。

よく、「そのことに慣れれば緊張しなくなる」といいますが、普通は慣れないことをするからこそ緊張するわけで、こんな言葉にはあまり意味がありません。精神的な鍛錬を積めば、何事にも緊張せずにすむのかもしれませんが、それも時間の無駄みたいな気がします。私がここで言いたいのは、緊張するのを止めることは容易ではない、ということです。だから、それをうまく隠蔽して、相手に感じさせなければそれでいいわけです。で、わりと簡単なテクニックで、それはできるんです。
スピーチや発表会、お見合いの席など、人前で何か喋る場合を主に想定することにします。
緊張している人は、端から見て不自然です。見ているほうもなんだかハラハラして緊張してしまいます。だから、「あの人緊張してたなぁ」というのは印象に残っても、「あの人、何を言ってた?」というのは忘れられていたりします。これは損ですね。
そうならないために、私がお勧めする方法は、
1、話しはじめるとき、話の途中、いつでも意識して十分な間をとる
2、相手から視線をそらしながらも、効果的に相手を見る
3、いつでもどこでもさっと出せる笑顔を練習しておく
4、文の最後、〜ですね、〜と思います、などの部分を意識してはっきりと発音する
という感じです。

まず、1についてですが、あがってしまって声がうわずったり、震えたりするのは、みっともないし、自分でも情けなくなって、よけいに緊張感を加速させてしまいます。自分が話しはじめるとき、三秒くらい間をとるといいと思います。普段よりも、意識して控えめな低い声を心がけます。そうすれば、まさか、あがっているとは気づかれません。一言ずつをゆっくり話せば、声が裏返ったり震えることもありません。
あがり性の人は、とかく自分が丸暗記してきたことをペラペラよどみなく喋って、事をすまそうとしがちですが、そのやり方では、いったんど忘れすると悲惨ですし、人の反応もおかまいなしなので、あがっているのがモロバレです。喋る内容をいちいち丸暗記するくらいなら、内容についての考えをじゅうぶん深めておくほうがよいと思います。たとえ枝葉抹消の言葉を忘れても、伝えたいことがはっきり把握できていれば、即興ででもなんとか言葉が継げます。

2についてですが、とかく緊張していると、視線のやり場が不自然になりがちです。じっと相手から目をそらせなかったり、逆に、うつむいてばかりだったり。自分でも、ああ、挙動不審だと自覚するので、嫌でも緊張感を高めてしまいます。
話しはじめるときというのは、最も緊張しているものなので、そこだけ、うまく視線をそらしたらどうかと思います。机のうえの紙を見てもいいし、窓の外を見てもいいし、テーブルに置かれたコーヒーカップを見てもいいし、とにかく、うまく相手から視線をそらします。
たとえばお見合いの席。私なら、まずテーブルに置かれたお茶のカップをなにげなく見ながら、「○○さんは、〜がとても得意で」と切り出し、「いらっしゃるんですってね」と顔をあげます。お茶ばかり見ていたらバカみたいな照れ屋ですが、言うことを言い終える寸前に顔をあげてしっかり相手を見ることで、その印象を払拭します。最後に顔をあげるのだけは根性で頑張らないといけませんが。

3は、とても大切です。これは、筋トレと思ってください。よく、写真うつりの悪い人がいますが、たいていあがり性ではないでしょうか。どうしても緊張すると、頬が引きつったような不自然な笑顔になってしまうのです。
その昔、私はある男性に片思いをしました。顔を合わせる機会はあるのですが、なにしろ恥ずかしくて、話しかけるどころか、会釈をすることもできません。すれ違っても、よそを向いたり、はたまたとっさに視線をそらせず、じろっと見るだけになってしまいます。すごく好きなのに、これではまるで相手を嫌っているみたい。悩んだ私は笑う練習をしました。とにかく、鏡の前に立って、笑顔を作ってみるんです。これでいい、という笑顔がつくれるまで、顔の筋トレです。毎日やりました。買い物してるときも、道を歩いているときも、ガラスや鏡のようなものがあるたび、笑ってみるんです。端から見れば、ただのナルちゃんです。でも、好きな人のまえで自然に笑えるならと、その一心で頑張りました。その結果、今では、少々緊張していようと笑顔だけはつくれるようになりました。これが、けっこういろんな場面で役に立ちます。スピーチをするときも、まず、声を出すまえに聴衆に向かって笑ってみる。ほら、なんとなく場の緊張がやわらぎます。(当然のことですが、お葬式などではやめましょう)

4は、説明するまでもないでしょう。語尾がきちんと聞こえないと、せっかちで、不誠実、貧相な感じがします。語尾がゆったりと収まっていると、なんか、もの慣れた感じ、余裕のある喋り方に聞こえてきます。

いかがでしょうか?
参考になるところがあれば、試してみてください。


いやしい系

このまえ、とある女性(推定年齢50代、良妻賢母タイプに見えます)に、
「いや〜○○さんって、なんかほわっとした癒し系ですねぇ」と言ったところ、ご本人笑っていわく、
「ううん、私はね、どっちかっていうと『いやしい系』」。
はぁ?
「あのね、私はねぇ、何か珍しい食べ物とか、まだ食べた事のない料理とか見ると、もうそれを食べずにはいられるかーって気分になるの。何でも食べたいし食べられるし、結局、食い意地はってんのよ〜」
なるほど、それで、『いやしい系』というわけね。

ほんと、食べ物が好きっていうか、食べることが趣味みたいな人っていますよねぇ。
うちの夫もそう。食べるの大スキ人間。100パーセント天然の、いやしい系。
たまにテレビ見てるなーと思ったら、凝った料理の番組だったりするし。
で、「ああ〜、あんなん食べたいなぁ、一生に一回でもええから」と画面の前で身をよじってる。
あんたなぁ、さっき昼ご飯食べたばっかりやないの!
小食の私が残したぶんまで「もったいない」とお腹に詰め込み、満腹するまで食べたあとに、まだ、よくそんな番組見てられるわ、と、食べ物にたいするその執着ぶりに、感心するやら恐ろしくなるやら。私には理解できない神経してるなーと思います。
まぁ、テレビ見てるだけだとまだいいけど、実害もあるんですよ。

えとね、休日なんか、よく二人で買い物に行くんです。たんに、近くのスーパーにぶらぶら歩いて行くだけなんですけど。重いモノ、たとえばワインとか大きい牛乳パックとか、猫のトイレ砂なんか同時に買わないといけないってときは、それらを全部家まで持って帰ってくれるので、夫と一緒だと助けになります。けどね、たんにその日の晩ご飯の食材買うだけ、なんてときは、私ひとりで自転車こいで行ったほうが早いんです。なんでって、夫と行くと、結局その倍も時間がかかる。それがわかってるので、「いいよ、私ひとりで行くから」って言ってるのに、「いや、僕もついていったる」と、いそいそ支度をする夫。で、売場に着いたら、カートを転がしながら私が「さっさとすませて帰るからね」と念を押しているのに、うん、わかったと言いながら、何が嬉しいんだか知らないけれど、鎖から解かれた犬のように駆け回って、あっちでキムチを見たり、こっちで鰹のタタキを見たり、ウロチョロウロチョロ。

どこへ行ったのかと気にしていたら買い物もできないので、放置して食材選びに専念していると、どこからともなく、とととっと駆け寄ってきて、
「なあなあ、これ買っていい?」
手にしているものを見れば、さっき夫がじっと見ていた鰹のタタキ。
「あんたなぁ・・・冷蔵庫に昨日買った鶏肉あったでしょう、今日はあれでシチューするってことに決めたんちゃうの。鰹のタタキなんか、なんでそんなものがいるのよ」
「(口とがらせ)だって、今日はこれ安くなってるし、美味しそうやし。おかず、いっぱいあったら嬉しいし」
「(イライラ)シチューとサラダにするって言ってるでしょ、なんでそこに鰹のタタキが合うのよっ。そんなもの戻してきなさい!!」
しばしのにらみ合いに負け、しおしおと鰹のパックを戻しに行く夫。
「(聞こえよがしな小声で)ふん。どうせ僕は、自分の好きなもんも食べられへんねん。ふん・・・」

はぁ〜、一難去ったわ、と買い物を続けていると、また夫が背後霊のようにぬっと現れ、
「なあなあ、これやったら買ってもいい?」
見れば、お酒のコーナーに置いてあるイカ揚げ。
「こんなの油で揚げてあるからカロリー高いんよ、あんた、マジで痩せる気あんの?口先だけやないの」
「(ふくれて)こんなもんビールのつまみやん、つまみ。ちょっとしか食べへんやん」
「いいや(きっぱり)。あんた、あったらあっただけ食べるもん。残しとくってことできへんもん」
「な〜、頼むわ。全部食べへんから。半分残しとくから」
「あかんもんはあかんのっ!そんなもの、返してきなさい(怒)!!」
ぷーっとふくれつつも返しに行きかけた夫、何を思いついたか途中でくるっと振り向き、
「なぁ、はんぺんやったらいい?はんぺん、カロリー低いで。なぁ〜、はんぺん買ってぇな〜」
いい加減、この粘着ぶりにうんざりしてきて、
「そしたらはんぺん持っといで。ただし一個だけな」
「ほんま?やったー、はんぺん、はんぺん♪(駆けだしていく)」

と、まあ、こんな調子でレジに向かうと、お会計をしているときになって、カゴの中にピーナツの小さな袋を発見。もちろん、それまで私が気づかなかったこと。後ろに立つ夫に小声で、
「・・・これ、あんたが入れたん?(ジロリ)」
「(わざとらしく驚き)えっ、しらん、僕しらんで。勝手に飛び込んできたんちゃう?」
「・・・」
「あーあ、死ぬまでのあいだに、あと何回ぐらい食事することあるんやろなぁ。(売場全体を見回し)こんなにたくさんの食べ物が『食べて食べて』って僕を呼んでるのに、自由に食べさせてもらわれへん、僕って可哀想〜」
激しい脱力感に襲われている私にレジ係さんの明るい声。
「XXXX円でございます」

私もね、たまに美味しいもの食べたらすごく感動するときありますよ、でも、そこまでの執着ないなぁ。
正直、もしこれ一個だけ飲めば一食分の栄養とカロリーは全部まかなえますって錠剤ができたら、ぜひ買いたいと思うほう。
夫と二人で食べるからこそ、なんとかまともな食事も作ってるけど、自分一人の昼食なんて、ほんと最大限の手抜きしてますもんね。本読んでたり、何か熱中して書いていたりすると、ほんとに食べることってめんどくさいです。若い女の子とかが好きそうな、横文字のしゃれたお菓子の名前もほとんど知らないし、食べたことない怪しげな料理には、チャレンジしてみたいと思わないし。要するに、食べることに対する意気込みがいまいち弱いんですよ。私には、これは絶対食べられない!というものもある(肉の脂身や鶏の皮、脂ののった魚、トロやハマチなど)ので、食に関して保守的にならざるをえないのかもしれませんけど。
まあ、横目であきれつつも、なんでもぱくぱく食べられる食欲旺盛な人が実は少し羨ましかったりもします。なんていうか、根源的な生命力ありそうですもんね。でも、女の子が、どんな男と結婚したいかっていう質問に「出されたご飯を美味しそうに残さず食べる人」とか無邪気に答えてたら、まず、うちの夫の食べっぷりを見てから考えても遅くないよって言ってあげたい・・・


自慢できるもの

夫が関東方面に出張。アメリカからは、はるばるマークさんがおでましに。なんでも、研究を協力してやっているつくばのFさんや、都内の大学にいるM君やU君などと、ミーティングみたいなことをするんですって。それが終わるとマークさんと一緒に大阪に帰ってきますから、今週末にはマークさんを京都かどこかに観光に連れ出そうと言っています。そういえば、つくばのFさんは、インドネシアから来てもう数年になるのに、一度も京都や奈良などを訪れたことがないのだとか。なんとまあ。関心がないのなら、仕方がないけれど、そうでないならいっぺん来てみて欲しいですね。日本にいるのに、つくばと東京の往復だけなんて、もったいなさすぎます。
そうそう、うちの夫は何をとち狂ったか、M君やU君に私の悪口をちょこちょこと吹聴している様子。自分の妻を悪人に仕立て上げて何が嬉しいのやら。よくわかりません。このHPで己の真実の一端を暴かれてるからって、リベンジしようとでも?けどさ、どう考えても、一番、変態なのは自分でしょうが。どうも、この業界では、一部に、「我こそは変人なり」とか「私以上に変なヤツはいまい」とか、はたまた「私以外のヤツはみんな変」「変なヤツばかりの中にいると、普通の自分が変人扱いされる」などと、妙な優越感の入り交じった、常人にはとても理解できない妄想にとらわれている人がいて困りものです。あのねー、そんなこと思ってるあんたたち、まとめてみんなヘンなんだってば(~_~;)

さて、このまえ懐かしい友人(♀)とほんとに久々に長電話しました。
学生時代からの友人で、私と同い年、東京の某有名企業に勤めながら一人暮らししてるんですが、なんと、今度の春から数年、ヨーロッパのオフィスに転勤することになったというのです。前から海外暮らしを望んでいたので、へー、すごいねー、よかったねーと言いました。
なんか、私などから見れば、あーすごいなー、いっぱしのキャリアウーマンになったんだなぁって思います。でも、その友人の普段の雰囲気とかを思い出すと、「どんなふうに仕事してるんだろ?」と疑問が湧いちゃうんですが。ちょっとおっとりというか、ボーッとしたところがあるのを知っているので、そんなにしゃかりきにハードワークこなしてる姿が思い浮かんでこないわけです。なんか、見た目も言動も、いかにも上昇志向ってタイプじゃないんですよ。でも、着実に社会的なキャリアは積んでいってるわけで、すごいなぁと感心します。本人は、「実態は世間でいうキャリアウーマンって感じじゃないよ、でも、端から見ればそう見えるんだろうね」って言ってますが。それでも、「最近忙しくってー。夜中の十二時とかに家に帰ることもあるし。え、危なくないよ、駅からマンションまですぐだもん」なんてサラッと言われると、「あー、私にはとても出来ない」と脱帽します。

女同士の話って、けっこうねちこい自慢大会に発展しやすくて嫌なんですが、なんていうか、こういう自慢してもいいようなことを自分自身で持っている人ほど、それをひけらかしたりしないんですよね。「えー、たいしたことないよ」って。
まぁ、その人の性格にもよるのかなぁ?
でも、これ偏見かもしれないけれど、男の自慢は笑って聞き流せるのに、女の自慢はなんか疲れる。
男の人の自慢は、自分自身の能力でゲットしたものについてがほとんどなんですよね。高学歴、高収入、職場でのステイタス・・・。だから、精一杯いい格好をして、胸をそらせているボス猿みたいで、人によっては可愛いとすら思える。
男の人が、「うちの親父ってさぁ、ちょっと業界では有名な医者なんだ。小遣いたっぷりくれて、しかもものわかりいいし。まぁ、そこそこいい親かな」
なんて自慢してるの、少なくとも私は見たことない。でも、女にはそういうのがいますよね。おきかえたらわかるでしょ?
「うちのパパねぇ、医者やってんの。年収○千万ぐらいかなぁ、でもほら、患者さんとかからのお歳暮とかいっぱいきてさぁ、整理すんの大変なんだよね。高級ハムとかメロンとか、いっぱいもらっても食べきれないじゃん。え、そんなに甘やかされてないよぉ、んー、でも、まぁそこそこお小遣いくれるし、ものわかりいいほうかなぁ〜、うちの親」
ほら、こんな女子大生、どこにでもいそう。(私も大学時代、さして親しいとも思っていない友達とたまたま電車で一緒になったとき、「これさー、彼氏にもらったのー。彼、○大出ててね、今年から×社に入ったの」とかいって見せつけられたダイヤのプチペンダントについて、好意的なコメントを半強要されて疲れたことありました)
この「親」の部分が、「夫」にすり替わったり、「子供」にすり替わったり、はては、「孫」にすり替わったりするんですよ。「夫」は自分がゲットして結婚にもちこんだのかもしれないけど、それでも夫のステイタスは妻のそれじゃないでしょ。子供や孫も同じですね。
こういうことを言いそうな人は、なんとなくわかりますから、こちらもよけて通りますが、おつきあいでどうしても避けられないときなんか、もー疲れますよね。

あーあ。私も何か人に自慢できるものが欲しい。と、東京の友人と話していると思ったりします。
「ほら、これよ。すごいでしょー」って、目に見えるもの。履歴書に書けるようなもの。
「あー、私もちゃんと勉強して、何かの研究者になればよかったかなぁ。だって、あんた見てたら、私でもできそうな気がするもん、研究者。私だったら、もっと要領よく、バンバンカッコいい論文書けたかも」と、夫に言ってみたら、
「アホ。無理や無理。おまえみたいな根性無しの飽き性に研究者なんかつとまらんわ、この馬鹿たれ」
と言われてしまいました。
ちょっと、これってひど〜〜い!
この屈辱をバネに、いつか、打倒、夫!!


つれづれ

更新が滞っています。そのぶん、掲示板なんかで日記的な近況を綴ってはいますが・・・

プーケット・バンコク

三月の初めに行く予定してます。もうチケットなども手配済み。
夫の旧友が、タイ女性と結婚してプーケットに暮らしているため、まえから訪問したいと言っていたんですが、そのうちそのうち、と延ばしているあいだに遅くなってしまいました。
タイのプーケットは昔からあるリゾート地ですね。青い海、きらきら光る砂浜、冷えた飲み物、サングラス、マリンスポーツ・・・というイメージ。はっきりいって、私にはあまり関心のない世界。
前にも書きましたが、うちの夫は「風光明媚なリゾート地で、なぁんにもせずにボケーっとしていたい」という望みをもってますけど、私のほうは、もう日常がボケっとすごしてるもので、旅に出たときぐらいは、あれこれと見て回りたいタイプ。日焼けするのも嫌いだし、海の中に足を突っ込むのも嫌。泳ぐなら室内プールに限ります。なんか、海って得体が知れなくて。ほら、いろんな生き物がいるでしょ、海中には?それに、海水は乾くとべたつくし。独特の匂いもするし。あーあ、いまから、何して過ごそう?と思案中。
「なぁ、プーケットでなにするの?」と夫に訊けば、
「なんにもせえへんの!そのために行くんやから!」と。
ふん。自分だけ砂浜に出て、茹でアザラシか焼きトドになってればいいわ。私は街なかで何か面白いものを見つけてこよう。リゾートで過ごす人々の生態観察っていうのも、あとで何か書くときネタになるかもしれないし。
私としてはプーケットよりバンコクのほうに期待してます。ほんとはプーケットだけの予定でしたが、私の希望でバンコク二泊を付け加えました。バンコクの旅行ガイドを開けば、そこはムッと異臭が漂ってくるような雑多さが詰め込まれたアジアン・シティ。おお、いいではないですか。これこれ。私の趣味ね。金ぴかの王宮とそびえ立つ高層ビル。チープな屋台からあふれ出す人々の体臭と香辛料の匂い。
やっぱ、アジアはこうでなくちゃ。しかし、体力もつかしら。いまから心配。

読書三昧

近くの図書館が、本の整理をするために二週間ちかく休むというので、めいっぱい(八冊)借りてきました。最近、いろんなサイトとか掲示板みるのにも少し飽きてきたし、また読書に回帰。
なんか、面白い本が読みたいですね。今は。
大衆好みっていうか、エンターテイメントっていうか、とにかく上質な、面白いもの。
考えさせるとか、泣かせるとか、最終的にそういう目的をもつような本は、ちょっとパス。
大人になれば、生きていくうえで、やっぱりそういうことは、たくさんあるわけですよ。考えこんだりホロリときたりというのは。わざわざ本で体験するまでもなく。
読書というのは、あくまでバーチャルな快楽だから、リアルな快楽と重なるとどうしても、そっちには負ける。本当に好きな相手と恋愛に没頭しているときは、恋愛小説なんか読まないでしょ?そもそも相手がいないとか、失恋しちゃったとか、そこまでいかなくても上手くいってないとか、そういうときでしょ、読むとしたら。自分が悩みの真っただ中にいるときは、それに関連するストーリーに共感したり、そこからなにがしかの救いを感じたりはできるんですね。
ただねぇ、歳をとればとるほど、そういうことが出来にくくなる。
自分の悩みは自分にしか解決できないというか、それは自分で解決しようという姿勢になってくるからだと思います。他人にも、本にも、救いを求めないというかね。自分のことは自分で考えるという姿勢になってくる。そうすると、「私(主人公)はこんなに悩んでいます。ああ、どうしましょう」という本に共感したり、そこから解決に向けてのインスピレーションを得たりはしにくくなるんじゃないでしょうか。
もしかしたら、純文学が売れないというのは、そもそも純文学が提示しようとする、人間の「生きざま」とか「生の意義」とかが多様化して、「あなたはあなた、わたしはわたし、自分のことは自分で決めよう」という風潮が広がっていることと関連しているのかも。とりあえず、国がリッチになり、一般読者のレベルが成熟してくれば、よほど強力な何かを持っている書き手だと認知されていない限り、「書き手の内面を掘り下げた」ストーリーなんか、わざわざ読みたくないでしょう。そんなことより自分で自分の内面を掘り下げるのに忙しいんだから。見も知らない平凡な書き手の悩みやトラウマにおつきあいして、考え込んだり泣いたりしてる暇はないって。でも、自分で考えてると煮詰まったりすることもあるから、そんなとき息抜きになるのは上質のエンターテイメントなんですね。一時的に別世界へ逃避して、また戻ってくる。これこそある意味、「救い」を提供していると言えるのかも。



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