もてないサイト

先週は、ずるずる夏風邪をひいていました。初め、喉が痛くてたまらず、あとから鼻にきて、頭が痛いやら食欲がなくなるやら。熱こそ出なかったものの、けっこうしんどかったです。夜もクーラーをつけて寝ているから悪いんでしょうけど、こんなに暑くては、クーラーなしで安眠できるわけもない。やっぱり昼夜問わず、性懲りもなくつけっぱなしにしてます(~_~;)

掲示板で、また小谷野敦氏(例の「もてない男」の著者ね)のことが話題に出ています。あー、早く読んでみたい。もう結婚されたそうですが、それでも彼の「もてない怨念」は収まっていないとか。でも、書評とかいろいろ読んでみると、あの方の場合、どうも、「ボク、『才色兼備』の女性じゃなきゃヤダ!!」って人みたいですから、本当に誰からも相手にしてもらえない、もてないっていうより、たんに高望みしてるだけじゃないの?って気もしますね(~_~;)

しかし、「もてない」で検索してみたら、まあ、個人サイトがたくさん出てくること。
「もてない」ってフレーズ、いま、流行りなんでしょうか? なんか、「もてない」なんて、今までは恥ずかしくて口に出しもできない言葉だったけど、小谷野氏のおかげで(?)けっこうオープンになったのかも。
でも、よく見たら「私はもてません」って言いきって、そういう自分をさらけ出したサイトまでつくってるのは必ず男ですね。女は、たとえ本当にもてなくても、絶対に自分からそんなことは言いたくないし、考えたくもないんじゃないかしら。だって、悲しすぎるじゃないですか。シャレにならないっていうのかな。やっぱり、小谷野氏は男だから、自分で自分のことを「もてない」って言っても、それはそれで受けたんだと思いますね。女だったら、著者の顔写真見たとたん、「なんだ、こんなブサイクなオバハンじゃ、もてねーのが当たり前だよ」とか思われて終わりじゃない? 女の自虐とか開き直りって、なんか痛々しいだけで、どうも笑えないんですよねぇ。
小谷野氏が「オレは東大まで出てるんだぞ、なのにもてないってのはどーゆーことだ!」とか吠えても、女の人の中には「まぁ、大の男があんなこと言っちゃうなんて、なんだか可愛いじゃない(クスッ)」って反応が少数とはいえあると思うんです。でも、同じことを同レベルの容姿・年齢の女性が叫んでみたら? 果たして男性がそれを「正直で可愛いじゃん」なんて余裕もって見てくれる人がいますかね? せいぜい、可哀相だけど、オレは関わり合いにはなりたくないな、と思われるのがオチじゃないですか? 男の人って、こと女性の容姿や年齢に関しては、シビアですからね。
もてないブスでも若けりゃ身体目的で寄ってくる男もいるでしょ、もてない男だったらそれさえもないよ・・・という考えもあるけど、男だったらお金で女を買うことができるって事実もありますね。もてない男が童貞を捨てにソープへ行くのと、もてない女が身体だけで情のない男をつなぎとめているのと、どっちが悲惨?


パラサイト主婦

ああー、大阪の夏は暑い。今日もお昼はそうめんでした。
そうめんはね、あの細い三輪そうめんより、半田そうめんのほうがだんぜん美味しいですよ。半田そうめんというのは、細切りうどんと三輪そうめんの間くらいの太さで、ゆで時間はそのぶん少しかかるけど、もうツルシコ感がぜんぜん違うんです。絶対お勧めなので、皆様もどうぞ。買ってみて損なし。つけつゆには、たっぷりの青ねぎと、おろしショウガを入れてね。うーん、美味! これぞ日本の夏。
なんかね、あまり暑いので、毎日の献立は、お造りとか豆腐とかサラダとか、そんなのばっかり。これじゃ痩せそう(今、39〜40kgあたり)。食欲がないときは、周りに勧められた養命酒をすこし飲んでみたりして(なんか年寄りじみてる^_^;)。うーん・・・養命酒、効いてるのかな。まぁ、薬くさいけど甘くてわりと飲みやすいので、気休めに飲んでます。でも、もっとカロリーとらなきゃ、ということで、おやつにはハーゲンダッツのアイスクリームとか食べてます。アイスのなかでもあれが一番カロリー高いんですよね。私はそもそも、あまりアイスクリームなんか食べるほうじゃなかったんですが、一年アメリカで暮らしていた間に、アイスクリームの美味しさに開眼してしまいました。向こうは、ほんとに種類が豊富で、それがまた、まったり濃くってなめらかで、美味しいんですよね。あー、なぜ日本はこんなにもアイスクリーム後進国なの? 不思議でなりません。
後進国と言えば、コーヒーもそうですね。アメリカではどんなスーパーの棚にでも、どんなカフェにでも、とにかくコーヒーのあるところには、デカフェがありました。デカフェというのは、「カフェイン抜きのコーヒー」です。向こうの人の発音では「ディーキャフ」(ディにアクセント)という感じになります。私と夫は、はじめ、キャにアクセントを置いていたので全然通じませんでした(~_~;) うん、まぁとにかく、あるんですよ、それが、どこにでも。缶に入った豆であろうと、粉であろうと、はたまた田舎のレストランのメニューの中であろうと。でも、日本に帰ってきたら、ない! これだけみんなが健康志向なのにね。
私は自律神経狂うまでは、コーヒーでも紅茶でも「飲んで眠れなくなった」なんてことなかったし、一日に何杯も飲むわけでもないので、特にカフェインのことなんか気にしてませんでした。でも、安定剤とか飲むようになったもので気になりますね。自律神経にはやっぱり悪いっていう話で。一時はコーヒー飲むの我慢してたんですが、アメリカ行ってデカフェ天国に救われた思いがしました。で、アメリカでこんなにあるんだから、きっと探せば日本にもあるに違いないと思ってたのが当てはずれ。百貨店に行って探してみても、ないんですよ。うーん、ちょっとびっくり。ただ、店員さんに訊くと、フランスのフォーションだけが出してましたね。それがもうすっごくお高い。いくらだったか、ちょっと忘れましたが、「え?」って目が点になったことだけは憶えてます。フォーションの紅茶は好きだけど、なんか、缶に入ったコーヒー粉にそれだけのお金出す気になれない、と思っていたら、スターバックスでデカフェを挽き売りしているということが判明、そっちで買うことに。やはりアメリカで買うよりずっと高いですよ、約二倍くらいですかね。もったいないのでスターバックスのデカフェは朝食時に二人で飲むときに使い、夫は一日に何杯も飲む人だし、カフェインで冴えるという人なので、彼ひとりが飲むときはスーパーで買ったコーヒー粉を使う、ということにしています。

はっ。今日はズラズラとこういうことを書く予定じゃなかったのよ。
ええと、とつぜんですが、ちょっとまえから専業主婦って叩かれてますよね。いろんな掲示板とか新聞の投稿欄なんかでまだ不毛な議論やってる。手のかかる小さい子がいるとか、親の介護をしているとかだとまた別だけど、私みたいに子なし介護なし専業っていうのが一番目ざわりみたいです。
ラクそうだからでしょうね、けっきょく。
いやー、ラクに見えるっていうより、事実、ラクだと思いますけど。まぁ、嫁いだ先の家風やら親との同居・別居、はたまた夫の性格・稼ぎ・その他によりけりとしてもね。
でも、身内でもないのに、他人がラクしてる・ラクそうだからって、なんで叩くのかなぁ?
税制がどうこう言うなら、それは行政サイドにもっていくべき話で、専業主婦を直接非難しても解消される問題じゃないでしょ。あと、専業主婦だと見識が狭くなるとか、ただのパラサイトだとか、いろいろ批判はありますけど、でも、そんなの会社でつまんないルーティーンワークやってる大多数の人でも同じでしょ。それこそ見識狭くなるし、見方によっては会社に寄生してるって言えなくもないし。それに、第一、そういう生き様は人それぞれの資質によるでしょう。
けっきょく、叩くのは、たんにねたましいからというか、「なんでアンタたちだけラクして生きてられるの」っていう感情問題だけだと思いますね。
しかし、またそんな叩きをいちいち真に受けて、反論したり謝ったりする専業主婦たちが出てくるのも、わかんない現象。べつに、ことさらにムキになって「主婦は家庭を守るという大切な仕事をしてるんです」とか「そんなに叩かれるなら、じゃあ税金払います」とか言わなくてもいいと思いますが。さっきも書きましたけど、税制の問題なら、それは行政の問題。そこに疑問があるなら、行政サイドの腰を上げさせる努力をすべき。専業主婦が家庭でどんな貢献をしてるか、そんなことは他人には推し量れないこと、数値化も証明もできないことなので、言ってもたいがい意味無し。
私の場合、結婚するとき夫に「あんた、働くか?」って訊かれました。そのときすでに無職のパラサイトシングルだったので、「いや、私にはお金稼ぐ才能は皆無だから」と答えました。そんなら、僕が稼いで来て、あんたが家事するってことでいいか、ということになりました。彼はわりと「世の中なんでもあり」の人なんで、私が稼いで来られるなら、自分が主夫してもいい、とか本気で考える人なんです。
今はまぁ、そういう取り決めでそれなりに上手く回っています。私は根本的に体力もないし、性格も思いこみ激しくキレやすいところがあるので、仕事と家事と両方引きうけるのは無理でしょう。自信のないことや、したくないことは、極力しないんです。どうしてもしなければいけない事情があるならともかくね、避けられるなら、それにこしたことはないと思ってます。それが「周りに迷惑をかけない」ことにもつながるし・・・
私は何をどう批判されても、「家庭を守るという大切な仕事をしてるんです!」なんて大口たたけないですね。自分のしてること振り返ったら。確かにパラサイトっちゃパラサイトだし、そのうえ完璧に家事こなして、ご近所つきあいとか、親戚まわりのおつきあいもソツなくこなしてるわけじゃないし。ちょっとしんどくなるとすぐ不機嫌になるんで、「家庭を安らげる場所にしてます!」って胸をはれるわけでもないし。食事だって、すごく面倒なときには「食べに行こ〜」って感じだし。んー、決して良妻ではないかも(~_~;)
端から見ると「あんたって、ほんとラクしてる。このパラサイトの非国民が」って思われるんでしょうね。
まあ、人間の感情を考えたら、叩かれてもしゃーないかな、とはある程度思います。
そんでもね、そんなの、夫が納得してたらいいことでしょ、基本的には。
「こんな女房に寄生されてんのは嫌だぁ!」と思ったら、一緒に生活するの、やめたらいいだけ。何が楽しいのか知らないけれど、彼が私と一緒に生活したいと思ってる限り、他人にとやかく言われる筋合いないんですよね。
パラサイト主婦叩きをしている皆さん、そんなことをしても無駄です。そういうパラサイト主婦の宿主になっている夫たちを叩きましょう。パラサイトシングルを叩いている人は、同じく矛先を変え、宿主になっている親たちを叩きましょう。寄生生物にとっては宿主が死んだりいなくなったり寄生させてもらえなくなったりするのが一番困るわけです。寄生現象を減らすなら、宿主を叩いて覚醒を促す、それが最も理にかなっているのではないかと思うんですが。


「もてない男」評

小谷野敦の「もてない男」読みました。
んー、感想は・・・なんでしょう、「あれ、こんなもん?」。
事前にいろいろと書評など読んで余計な知識をつけてしまったからかもしれませんが。
確かに「もてない男」というタイトルにはインパクトありますけど、内容そのものについては、さほどでもない。むしろ、「私怨で書いている」というわりにはそれだけの勢いとか迫力もなくて、随所に八方美人ぽい気配りが目につきますし、裏表紙にある「渾身の一冊」なんて言葉はそぐわないですね。ちょっとウケを狙って書いてみました、というのがホントじゃないかなぁって。この本が話題になって売れたというのは、恋愛に対して何らかのコンプレックスを持っている人が多かったからなんでしょう。それだけのことで、書物としては、そんなに真剣に受け取ってどうのこうの、というレベルにないものではないかという気がします。これが私の正直な感想です。

ごくマジメに読み始めた私が、「この本、もしかしてネタ?」と感じ始めたのは、「自慰論」のなかで、著者がカップラーメンでオナニーしてみるというくだり。私にはどうしてもこれが事実を語っているようには思えなくて。だって、カップラーメンのなかに自分のイチモツを突っ込んで・・・ですよ。どう考えたってあたりはラーメンの匂いが充満するでしょうし、汁がこぼれるから逆さに向けられないし、そんなの快感どころの騒ぎではないでしょう。やる前から想像がつく。なんか、読んでいて、無理に笑いをとりにいってるような不自然さが感じられるんですよね。

で、女性に対してもけっこう気配りしています。才色兼備の女が好きだと公言しながら、それはあくまで才のほうに重点があるので、美しいというのは、二番目に大事な要素なのだ、と。これが井上章一の「美人論」だったら、「美人は見てきれいなだけじゃなく、素直でひねくれてないから性格もいいんだよ、男はみんな美人好き、美人であればバカでもいい!」という手放しの美人礼賛で、美人ではない大多数の女性からみれば「このアホ男。いっぺん死ね」という感じしかしないわけだけれども、小谷野氏はそこんところを上手にフォローしてある。基本的に気が弱いんじゃないでしょうか。それとも小ズルイのか。
うーん、要するに、だらだらと書いてある散文だけれども、著者の訴えたいことというのは、「世の中には恋愛上手でない男もいっぱいいるんだから、コマーシャリズムにのっかった恋愛至上主義を押し付けられるのは、大変つらいしやめて欲しい。誰でもが激しい大恋愛を経て結婚できるわけじゃないんだから、もてない君については、恋愛もできないのは不健全だとか責めないで欲しい。それに、恋愛だけが人生の一大事、というわけでもないじゃないか」ということみたいです。

しかし、この本を買ってしまった「もてない君」たちが気の毒ですね。
本を買うことはその著者にお布施することだと考えたら、小谷野氏は(大学講師という本業もありながら)まんまと有名人の仲間入りしたばかりか、印税でがっぽり稼ぎ、こともあろうにさっさと結婚までしてしまったんですもん。知名度もアップ、現金も、女も、みんな手に入れてしまった。
なんか、もてない君たちは、取り残されたような、裏切られたような気になるんじゃないでしょうか。
本を買うときには「もてない男」同士という著者に寄せる共感が少なからずあったに違いないんでしょうに・・・なんだか、いかがわしい痩せ薬や、効きもしないハゲ薬を売りつけるコンプレックス産業の被害者とダブって見えるのが哀れです。本を買っても、もてるようにはならないし、あろうことか、書いてあることといえば、とどのつまりは「もてないヤツは恋愛なんか諦めろ」と言うに等しいことなんですから。
あまりといえばあんまりじゃないですか、小谷野さん!・・・と私なら叫びますよ。

ささいなきっかけで恋愛ができる人もいれば、もってうまれた容貌、性格のせいで、ちょっとやそっと努力してみても恋愛を成就させられない人もいる。
人間は皆平等なんて大嘘ですから、いくら望んでも恋愛を楽しむ機会に恵まれない人がいる、というのは事実。
小谷野氏の言う、「恋愛は誰にでもできる、できない者は不健全だ、というのはデマである」という主張は確かに正しいかもしれない。心身ともに健全であっても、どういうわけか恋愛に恵まれない人もいるんだから。社会が恋愛を煽り立てている部分が多い、恋愛教がはびこっているので、強迫観念にかられて皆が必要以上に恋愛に奔走する、そういう一面も確かにあるでしょう。けれど、そもそも恋愛は、「それができなければヤバイと思われるからしようかな」というものではないでしょ。他人にそんなことを思われる前に、自分が恋愛を欲しているでしょ? それは、恋愛が快楽だからですよ。で、大多数の人が、その快楽を求めている限り、恋愛をベースにしたドラマや小説はなくならないし、恋愛にのっかったバレンタイン商戦などもなくならないでしょう。

みんな、恋愛は楽しいだろうと思って、あるいは無自覚に、やむにやまれぬ情に突き動かされてするんです。生物として雌雄が分かれているから、それが自然な姿なんですよ。もし異性を欲する気持ちがなかったら、種として子孫を残せないでしょう? 恋愛欲求というのは、もう自然に組み込まれている本能のひとつなんじゃないかな? 雌雄が分かれているというのに、異性を欲することが苦痛なばかりで、ちっとも快楽をともなわないものだったら、それこそ種が滅びてしまうでしょう。
多くの動物で、繁殖の際にはじきだされてしまう弱いオスが出てくるように、ヒトの恋愛においても、はじきだされてしまう男がでてくるのは自然なことだと思います。興味深いのは、繁殖能力のあるメスでも、ヒトという種においては、はじきだされてしまう場合がある、ということ。他の動物ではちょっと考えられないんじゃないですか。人間の繁殖行動は、それだけ文化の影響、思考の影響を受けている複雑なものだとも言えますね。だから、年がら年中、発情していられるわけだし、繁殖適齢期をとうにすぎた老人になっても、プラトニックな恋愛はできるわけです。そして、プラトニックな関係であっても、恋愛はまぎれもなく快楽なんです。一生にわたり快楽を求め続けられるヒトという種って素晴らしいじゃないか、と私は思いますけど。

小谷野氏、あるいは多くの人々の盲点は、恋愛が「ある程度若いうちにしか経験できないもの」であると、暗黙のうちに了解してしまっていること。それは違うと思うんですよ。それこそコマーシャリズムに毒されてる。肉体は衰えても、恋愛は可能なんです。若くてピチピチした男女が手をつないでイチャイチャしているのを恋愛だと思いこんでしまうから、異様に焦って苛々するんです。「ああ、また相手がいないまま歳をとっていく〜。恋愛しなくっちゃ、早くしなくっちゃ」って。
私は、「手も握らない、抱擁もしない、ただ目を見つめて、お互いの心が通っていると確かめ合うだけで満ち足り、幸福感に包まれる」、そんな形而上的な恋愛こそ、ほんとはもっとも人間らしいのではないかと思うんですね。そして、それは、やっぱり快楽なんです。
若く美しい顔や肢体に惚れて、語り合うのもそこそこに抱き合う・・・そんな恋愛は「発情」しているのであって、半ば動物としての繁殖欲求に突き動かされたものなのではないですか。それはそれで生物としての「自然」だし、強烈な快楽なんですが、人間の場合、それだけが恋愛の姿ではないんですね。そこに、人間が人間たる奥行きがあると思うんです。このことが体得できないと、歳をとるとは、ただただ醜いだけのことになってしまう。めぐり来る一年ごとに希望をなくすのが人生なら、なぜいっそ今、死んでしまわないのか、ということにもなりますよね。

私は、何らかの理由、運命として与えられた個性が原因で、ほんとうに恋愛の快楽を享受できないでいる人々に、何を言うすべもありません。
それは、他人にはどうしようもないことです。誰がいいとか悪いとか、そんなレベルの問題じゃありません。そういう人たちがいる、という事実が、ただあるということです。
人間には、ひとりひとり、手に入れられるものと、手に入れられないものがある、ということです。
みんながみんな、社長にはなれないように、みんながみんな、売れっ子女優にはなれないように、努力しても、かなわない望みというものは、それぞれにあるんです。
それを言いたてても仕方ないし、自分がどう納得してこの生を生ききるか、ということに尽きます。

ただ、まぁ、できればいろんな人の立場でものごとを見られるようになりたいものです。
いまでは超有名掲示板になった「2ちゃんねる」の、独身男性板。
男心は不可思議だなぁと思って、私は時々ここをのぞくんですが、独身女性板より哀感を漂わせているスレッドが多いんですね。ネタ(作り話)もありますけど、本音もたくさんあって、ときにはこちらの涙をさそうようなものもあります。
以下は、「ゲームの女の子との恋愛」についてのスレッドで見つけたもの。(ギャルゲーとは恋愛シュミレーションゲームのことらしいです)
このスレッドでは、ゲームにハマッてアニメキャラと仮想恋愛している人に、バカじゃないの、と罵声が飛びます。

154 名前:Mr.名無しさん 投稿日:2001/07/24(火) 22:34
ゲームの女と、実際に街に買い物いけるか?  食事いけるか?
 お台場行けるか? ディズニーランドいけるか?  家に泊まれるか?
チョコもらえるか? プレゼントもらえるか? キスできるか? 手にぎれるか?
口を動かして会話できるか?(ゲームは手をうごかしてるんだぞ)
その詩織って子も、同じ服しか見たことないだろ? 髪をなでれるか? 
シャンプーのにおいをかげるか?
いっしょに映画みれるか? TVみれるか?

155 名前:Mr.名無しさん 投稿日:2001/07/24(火) 22:37
言葉(セリフ)も、同じ事しかいえないぞ。 その詩織って子の声の役をした声優さん も、
今ごろ好きな旦那と、いっしょに過ごしてるだろうに。
その詩織って子の顔を考え出したあのおっさんは今ごろ何してるかな〜?
その詩織ってこに動き、行動パターンをプログラミングしたあの人は今ごろ新しい
ゲームキャラ の動きでもプログラミングしてるだろうに


すると、非難された男性が言い返します。

160 名前:153 投稿日:2001/07/24(火) 22:48
>>154
>>155
だからぁ!当然現実の女と違うのは分かっているよ。
俺は現実の女が嫌で、ゲームの女だけ万歳っていうヲタじゃねえよ。
ただ、これだけは言える。
現実の女と付き合う機会もなく、これからもないであろう自分に、
はじめて、恋愛というものの片鱗を感じさせてくれたのがギャルゲーだとな。
もちろん、それはゲームというプログラムされた架空の世界の話だから、
実際とはだいぶ違うだろう、いや全く違うかもしれねえ。
でも、俺はゲームの恋愛ごっこを通して、
現実では絶対に味わえなかっただろう「夢」を見させてもらったよ。
こんな俺でも「夢」を見ることが出来たんだ・・・文句は言うまい。


なるほど、そういうこともあるのかと、読んでいた私は、なんとなく納得しました。
そして、極めつけは次の発言。

199 名前:177 投稿日:2001/07/28(土) 23:03
中学の時は女を避けてたし、高校は男子校、大学には女はあまりいなかったし、
社会人になった頃には、女とどう接したらいいか分からない人間になってた。
でも、それに対して危機感も持たなかったよ。
もともと、恋愛が何なのかも分からないし、何か俺とは縁のない遠い世界のことという
イメージしかなかった。
そんな俺が20代も後半になって出会ったのがギャルゲーだよ。
それ以前もそういうのは知ってたけど、こんなもんゲームでやっても楽しくないだろと
わらって眺めてたよ。
それが何かの弾みでプレイして・・・いや人生変わったよ。
ギャルゲーが凄く良く出来てるとか、そういうことじゃない。
今まで全く無視して生きてきた「恋愛」というものが、こんなに楽しく切なく
心に残るものと初めて知ったからだよ。
つまり俺はギャルゲーに、初めて「恋愛」というものを教わった訳だ。
まあ、あんたがた経験者から見れば、ギャルゲーは恋愛とは違うのかも知れない
が、現実の恋愛を全く知らない俺から見れば、これが真実の「恋愛」なんだよ。

ここまで言われれば、んー・・・と考え込まされるというか、正直、なんか胸をうたれました。
それは、小谷野氏による売れセン狙いの「もてない男」とは違って、飾らない「ほんとうらしさ」が、この文章からはせつせつとにじみでてるからなんですよ。
普通の女性だったら、たぶん、二十歳もとうに過ぎて、アニメの恋愛ゲームに夢中になってる男なんか、それこそキモーって感じですよね。でも、これ読んで、まだ「キモイ」って言えますか?
私には言えない。
この文章を書いた男性に、現実の世界で生身の女の子とのいい出会いがありますようにと、ただただ祈るだけです。


夏の学校

伊香保に行ってきました。
伊香保は群馬県の温泉地、今年はそこで「第46回物性若手夏の学校」が開かれていたのです。
「夏の学校」とは、主に二十代前半の院生さんたちが中心になって自主的に企画運営する勉強合宿なんですよ。全国の学生が費用を払って自由に参加できます。今年は二百人以上集まったのかな? 女の子も一割ぐらいいました。うちの夫が最終日のゼミの講師として招待されていたので、私もくっついて行ったわけです。夏休みということで、家族連れでいらっしゃる先生も多いらしく、私も、「どうしますか?」と言われていたんですよね。私は、伊香保温泉だなんて、あんまり興味ないし、私のぶんの旅費が出るわけでもないので、初めはあまり興味なかったんですが、まぁこの際、理系研究者のタマゴたちの様子を観察してみるのも面白いかもしれないと考え直して行くことにしたんです(^^)
いやぁ、感心しました。
講師の先生方の都合をつけて、テキストやパンフ、HPをつくって、日程やら場所を決めてホテルを借りて・・・と、いろいろ面倒なことだらけでしょうに、実行委員の皆さんは、実に整然と上手にやっていましたね。二百何十人という人間の集団を、きちんとまとめていくのは難しいと思いますよ。小さな問題はたぶんたくさんあったんでしょうけど、全体として見れば、とても統率のとれた合宿だったと思います。もうこれで46回目ということだから、それだけのノウハウの蓄積もあるんでしょう。
正直、もっとむさくるしい学生たちの様子を想像していたけれど、案外とこざっぱりしてました。女の子たちもごく普通。若いだけあって、元気いっぱいですね。毎晩のように夜遅くまでわあわあ騒いで飲んでたわりには。涼しかったせいか、首にタオル巻いてる人もいなかったし。でも、首まわりがよれてのびのびになったTシャツを着ている男の子を何人も見かけましたが、あれ、流行ってるのかしら?

夫のゼミも、前半だけ端っこで見学しました。
あー、なかなか「センセイ」しているじゃない、と思いました。けど・・・それ以上に準備不足が目立ちましたね。あれじゃ要領悪すぎ。まぁ、さすがに夫も、あとで「思うような授業ができんかった」と落ちこんでましたけど。
そりゃ私は物理の数式とか専門用語とかゼンゼンわかんないですけどね、でも、授業の流れっていうか、構成とか進め方みたいなのはわかるじゃないですか。私だって、過去には同じようなことやってたわけだから。教育学で習うんですよね、実際の授業のやり方みたいなのは。授業が一コマ五十分とすると、ここまでの説明で何分とる、ここで板書して何分、ここで質問を受け付けて何分、もし質問がなかった場合にはどうするか、最後のまとめで何分・・・
教壇に立つってことはね、全体の目的に沿って効果的な構成を考え、セリフを組み立て、ときにはアドリブで対応しながら、センセイという役者を演じきることなんですよ。最初はノートにぜんぶ書いてきっちり喋ろうとする、でも、慣れてくると、時計を見るだけで、「あとはこれとこれやって、ここまでで終わりだな」とかね、自分のペースがわかってくる。
大学の先生は教育学とか教職科目やらないで、研究者からいきなり教える立場になるでしょう?
いっぺん、やっぱり授業のノウハウみたいなのを身につける実践的な研修みたいのはやったほうがいいんじゃないかと思いますね。

ゼミの準備に追われている夫を部屋に残して、私は少しだけ伊香保観光しました。
といっても、保科美術館と竹久夢二記念館に行って来ただけなんですが。
夢二のファンなら記念館は必見でしょうが、てっとりばやく伊香保観光するなら、私は保科美術館のほうが良かった感じがします。そこには夢二の作品もあるし、ガレなどアールヌーボーのガラス展もあるし、近代の日本画もあって、私には面白かったですね。
水沢うどんのお店がたくさん集まった通りは少し離れたところにあって、車に乗らないと食べに行けなかったです。食事は三食ぜんぶ用意されてたので、タクシーに乗ってまでうどんを食べに行く気にはならなかったというか、時間もなかったというか。で、おみやげとして真空パックに入った半生うどんを買ってきました。またそのうちゆがいて食べてみたいと思います。


夏休みが終わってしまう・・・

もうお盆も過ぎてしまったのですね。時のたつのは早いもの。
いまは文学学校も夏休みなんですが、九月からまた再開。わー、休みの間、何もやってないよぅ(~_~;)
作品の小ネタをチラチラ思いつくことはあるんですが、なんかつまんない気がして書こうと思えない。何か書かなきゃとはわかってるんですけど、パッションに欠けてますね。今のところ。
読むだけでも読まなきゃと、うちの純文ティーチャーの本を図書館で借りてきたんですが、それもそのままになってる・・・いけませんね。これじゃ。
エネルギー枯渇状態で脳みそ上手く回らず。涼しくなれば少しは回復するかしら。

私は書くんならわりと大きな話が好きで、どんどん長くなる傾向にあるんですね。
もう何年も前から心の中であたためている構想があるんですけど、残念ながらそれが書けない。なんとそれ、近未来SFなんですよ。終末ものとでも言うのか、この地球環境がどんどんやばくなっていく、社会も変貌していく、そんな中で人類はどこへ向かうのか、みたいな大筋に、ちょっとした恋愛をからませたいんですが、そもそもSF的知識がないものでストーリー作りに難航してます。ナントカ装置とかの名前を考えられない〜(~_~;) そんなら苦手なSFにしなきゃいいと思うものの、ここまで大きなテーマだとSFにでもしないと、かえって難しい。アホなハリウッド映画みたいに、彗星が激突するとか派手でチープな展開は避け、科学的破綻が少なく、ある程度の現実味を感じさせつつ、エンターテイメント性があり、最終的にはヘヴィな社会問題を提起するものにしたい。
あー、これがちゃんと書けたらさぞかし壮大なドラマになるだろうな、とか思いつつ、何も細部をつめられないまま放置してあります。いまの私の力量では、荷が勝ちすぎるテーマなんですよ。

しかし、この怠惰な状態をなんとかしないと。
とりあえず、気合入れてセンセイの本でも読むとするか・・・ちょっと苦痛だけど(~_~;)


ソウルメイト?

机のうえには登っちゃいけないって言ってるのに、こうして私が机に向かってキー叩いてると、必ずオコたんが邪魔しにきます。新聞を広げれば、人が読んでるその記事のうえにドテンと寝転がるし。
もう、したい放題。
でも、猫だって退屈になるとかまって欲しいんですよね。
わかってるんだけど、ちょっと待ってよ〜〜

さて、私には親友(♂)がいます。
学生時代から、かれこれ十五、六年もの長いつきあい。かつてはいろいろとヘヴィなこともあった仲。それをなんとか乗り越えて、今は親友になったわけです。
このまえ電話で話したら、彼が久々に彼女をみつけたらしい。まだ付き合って日も浅いんだけど、すらりとした美人で(彼はけっこう面食い)私より三つ四つ若いとか。うわー、こいつ犯罪的。どうやって騙したん?とか思いつつも(~_~;)、まぁ、彼が幸せになるのはいいことだと話を聞いていたら、なんと、彼女が私に会いたがっているというんですね。私はやれやれと思いつつ訊きました。
「あんた、私のこと、彼女に話したん?」
「話したよ、ぜんぶ。あかんかった?」
「バカやね、なんでそんないらんことするの? 昔の女の話なんか、誰も聞きたくないって。それに、今もつきあいがある、なんて言ったら、それこそ『やっぱり彼女を忘れられないんじゃない?』とか誤解されるだけやないの」
「でもさ、そういうのも含めて今の僕があるってこと、わかって欲しかったから。僕にとって、あんたは自分の過去の歴史そのものって部分があるんやから、そのことを受け入れてくれないと困るな」
「で、彼女はどういう反応してた?」
「ん、ちょっと驚いてたかな。でも、わかってくれたみたいやで。『その人は、ソウルメイトなんやね』って」

まぁ、ソウルメイト、という言葉がつるりと出てくるあたり、彼女が不思議好き、オカルト好きってことがわかりますが、そういう神秘性みたいなものを信じていないと、私と彼との間柄は誤解されることが多いと思います。
べつに「別れても好きな人」じゃないんだけど、そんなふうに解釈されてしまう可能性大。
私たちとしては、自分たちの関係は過去である、と認識しています。決して未来につながっていかない過去なんだと。別れるとき、私がどう思っていたかというと、「この関係を続けても、もう自分たちが成長できる余地はない」という感じですね。煮詰まってしまった。この関係で、できることは、ぜんぶやってしまった。この関係のなかで得られたことを活かし、未来に向かって生きていくためには、関係のかたちを変える、つまり男女としては別れることが必要である、と。
この決断は確信に満ちていたし、今も間違っていたとは思わない。だからこそ親友でいられる。

ふだんポジティヴな私も、ときにウツになることがあります。
極端な話、自分のやってきたこと、自分の生きてきた航跡、自分がいままで大切だと思っていたことは、すべて意味のないものだったんじゃないかと思い、自分の生が、ものすごく無価値なものに見えてきたりもします。
リセット願望というのか、もういっぺん最初から人生やり直したい、こんな出来そこないの中途半端な人生は嫌だ、と思うこともあります。作りかけた粘土細工をつぶしてカタチのない塊にしてしまうように、書きかけた小説をぜんぶ破り捨ててしまうように、人生もぱちんとリセットして、まるでウィンドウズを最初からインストールするみたいに、まっさらな状態からやり直せたら、どんなにいいかと思うこともあります。
でも、それは出来ない。
人生はますます複雑になっていくばかりだし、そのなかにおける自分自身の責任はますます大きくなっていくばかり。ああ、なんて面倒なんだろう、とため息のひとつもでます。何もかもから逃げて、ここにあるお金をぜんぶもって、どこか物価の安い国に行って、のんびり朽ち果てて行きたい、とかね。
でも、それも出来ない。

現実問題として、そう簡単に自殺できないとか失踪できないというのもあるけれど、それよりなにより、やっぱりどこかで、まだ「頑張らなきゃ」と思ってるから。
でないと、今そんな馬鹿げたことをするんなら、「なんのために、あのときあんなに辛い思いをして〜〜したんだ」とか、「なんのために、あのとき〜〜するのを我慢したんだ」、とか思うからですね。その代償を支払っての今がある限り、それを無にしないためにも、死んだり逃げたりはできないんですよ。
生まれてきて、心底笑った事がないと言いきれるんなら、死んだっていい。
辛い経験を泣きながら乗り越えた事がひとつもないんなら、どこへ逃げたっていい。
でも、時の流れを振り返って、そこにきらきら光るものを見る限り、死ねないし、逃げられない。
そのきらきらがどんなに小さく淡いものでも。他人には、それがどんなに無価値であっても。
だから、ときどき落ちこみつつも、前を向いてなんとか歩いていくしかない。
ゆっくりとでも。

歳をとるごとに、運命の神様は狡猾だ、とますます思うようになりました。
幸せの陰に、どんなトラップ(罠)を用意しているか、わからない。逆に、もう真剣にこんな生活嫌だ!!、と思った直後に、タナボタの幸運をくれることもあるし。
常に、こちらの予測を裏切りつづけるんです。
まだしないこと、の結果は誰にもわからない。だから生きることに臆病にもなる。
でも、今までしたことの結果が何であったのか、それを肯定できれば、どんなことがあってもまだ「なんとかしよう」という力を持ちつづけられる。過酷な受験戦争を勝ちぬいてこの大学に入ったんだから、どんなに担当教官が気に入らなくても、ここは我慢して切りぬけよう、とかね。
ソウルメイトかなんだかしりませんが、自分が気弱になったときに、これまでの過去の生きざまを肯定してくれる人間がいるというのは幸運なことかもしれません。



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