帰国しました

11月3日の夕方、無事に関西国際空港に帰り着きました。
十二時間も閉じ込められていた機内は快適とは言い難かったんですが、なんとかそれでも堪え忍んで帰国しました。

いや〜、一年ぶりの日本!!
空港に降りたって、まず第一印象は、サンフランシスコ国際空港に比べ、広くてつるぴかしてるのはいいけれど、なんか全体的に蒸し暑い〜ってことでしたね〜(~_~;)
11月になったというのに、この暑さ! やっぱりカリフォルニアの気候に慣れてしまってますから、風のなかに混じってる湿気が気になります。なんていうか、そういうのはもう肌に直接感じますね、うわー、ウェットだなぁというのは。うん、でもこれが日本であったのか、という感慨もちょっぴり。
で、空港は広いけどカートとかがもう小さい〜、というかやけに小さく見える(~_~;)
えっ、こんなに小さかったの?ってびっくりしました。
うーん、一年もいると、もう身体とか感覚がかなりあっちに慣れていて、日本のものに逆に違和感を感じるようになってしまってますね。もうね、何もかもが小さい。自分のマンションにたどり着いてみたら、天井がやたら低くて、家具とかがやたら低く小さく見えました。あっちにいるときは、アメリカの家具とかが、そんなに大きいと思わなかったんですけど、やっぱり帰国してあらためて比べてみると、日本のものって、何もかもが少しずつ小さいです。ちょっと信じられないこの小ささ、って感じです。アメリカ人が初めて日本に来たら、やっぱりこんなふうにカルチャーショックうけるだろうなぁと思いました。うっわー、何もかも小さい!!って。
コップとかお皿にいたるまですべて、まるで、何かのミニチュアを見てるみたい。なんかそれが可笑しいんですよ(~_~;) こんなんで生活できるのーって感じですね。ほんと、この違和感、どうしようって自分でも思います。まぁ、そのうちすぐにまた慣れるんでしょうけど。

一年ぶりの我が家は、なんだかカビ臭い匂いがしました。
帰国した翌日からさっそく荷物を整理して、あれこれ掃除して、と忙しくしています。でもね、もー、部屋がごちゃごちゃして、うっとおしいことこのうえなし。夫とも言ってるんですけど、モノがごちゃごちゃ多すぎるって。少しずつ処分して、整理したいですね。ただでさえ狭いのに、そのうえモノで占領されてるって感じなんですよ。いや、私たちは夫婦二人だけでこんな3LDKのファミリータイプマンションに住んで、贅沢だと前は思ってましたが、もー、いったんアメリカで最低限のモノしかもたない暮らしを体験した今では、ほんと、その広々した空間と何も余分なモノがないシンプルなすがすがしさがいいなぁと思うようになりました。できるだけ贅肉のつかない暮らしをしたいですね。これからは、ひとつ買ったらひとつ捨てる、ほんとうに気に入ったものしか買わない、というのを徹底したいと思います。

ところで、きのうスーパーに行ったら、モノが何もかも小さいのと、高いのでびっくりしました。
ハーゲンダッツのアイスクリームが一個700円!! アメリカでは、いつも、セール期間を狙って買っていたので、その半額以下で買えてたと思います。うー、これからはもう気軽に食べられない気がする(T_T)
それから、お菓子でもジャムでも、味が薄いですね。アメリカで暮らし始めたころ、「アメリカのものはなんでこう味が濃いんだろう」って思ってたのに、慣れちゃって、いつのまにか反対に。これは元の感覚に戻さないといけませんね。
しかし、なんでもちょっとしかないくせに高い。やはり、食べ物なんかは、圧倒的にアメリカのほうが安いと思い知りました。美味しさっていう点では、人それぞれだと思いますけどね。

今は感覚がいささかアメリカンになってて、どこかしら「こことずれた感じ」がしますが、またこの暮らしにも慣れると思います。なんといってもホームグラウンドですから。これがリアリティなんですよね。
アメリカ生活はすべて借り物でした。家も、家具も、猫たちまで。ほんとに仮の暮らしでした。
家具を返し、家を引き払い、猫たちはそれぞれの飼い主のところに戻っていき、そして私たちは帰ってきた・・・仮の暮らしから己の現実に。せいぜい、いい夢見させてもらったなーって思うことにします。この思い出とか経験を、ずっと大事にしたいですね。
猫も新しく飼いたいと思ってます(^^)
捨てられていたり、誰かがいらなくなった仔猫をひきとって飼うんですよ。
借り物じゃない、「ウチの猫」が欲しくなったんです。
んー、どんな模様でもいいんだけど、短毛でシマシマがあるのがいいですねぇ。真っ黒とか真っ白はちょっと好みじゃないな。できればオスがいいかも。不妊手術より去勢のほうが、猫にとってのダメージが少なそうなので。仔猫のひきとり手を探してる方は、ご一報くださいね(^^)


まりねこ、伯母さんになる

帰国して一週間が過ぎました。片づけなどもほぼ終わって、だいぶこちらの生活のペースが戻ってきました。でも、スーパーの食品売り場へ行くたび、なんでこんなに何でもかんでも高いねん!とは思いますけど(~_~;)

ところで、つい先日、弟夫婦に子供ができました。無事、五体満足で産まれてきた男の子です。うわ〜、私もとうとう伯母さんになったんですよ!
ちょっとフクザツな心境です。
いや、おめでたいのはおめでたいんだけど、弟はいつまでも弟なんですよ。なんか、いつまでも、感覚が子供の頃のままっていうか、いくつになってもなんだかたよりなく見えてしまうんです。コイツが父親になるなんて、だいじょうぶかいな、という・・・・もう彼も三十とっくに越えてるっていうのにね。
肝心の赤ちゃんですが、感慨っていっても、私はまだ直接抱いてもなければ見てもないし、産まれた直後に写したポラロイド写真で見ただけなんです。うーん、新生児室でガラス越しに並んでる他のベビーとどう違うのかわかんなかった。ほんと、どの子もみんな似たような顔してますよ。人間って、あんなに似たり寄ったりの顔で生まれてくるのに、その後の人生は年をとるごとに大きく大きくちがっていくんですね。なんか、すごく不思議な感じがします。
いやぁ〜、甥っ子かぁ・・・まぁ、近くに住んでますし、そのうち可愛くなってくるんでしょうね。
私たちがアメリカに行ってるあいだにできて、帰国してみるといつのまにか弟のお嫁さんのお腹がせりだしてて、わーすごい、とか思ってたら産まれちゃって、いまいち伯母としての実感がありません(~_~;)

それよりまだやっぱり、心の中にはアメリカ生活のなごりがあって、むしょうに懐かしく思ったりします。
特に、最後まで友達でいてくれた、くろにオレ。今ごろどうしてるだろう?
なんか、猫がいないと寂しいです。
今、猫の里子を探してるんですけど、なかなかうまくいきませんね。動物愛護団体のページなんか見ると、いかにも捨て猫が余ってるみたいに書いてあるんだけど、実際はどこに捨て猫がいるのかもわかんないし、里親探しをしてる人に仔猫を欲しいっていっても、他の人に先を越されてしまったり、なかなか猫一匹もらうのも、競争率が高いのかなと思いますね。
あー、早くウチに猫が来ないかな。寂しくてしょうがないです。

夫は、私が猫の世話をして喜んでるのを見て、「猫=子供の代わり」みたいに感じるらしく、私たちにも子供が必要なのかなと思う、なんて言ってたんですけど、ちょっとそれは違うんですね。べつに、子供はどっちでもいいです。ほんとに。絶対欲しいってこともないし、絶対いらないってこともない。できたらできたでいいし、できなきゃできないでいいし。こだわってません。
猫と子供はぜんぜん違いますよ。子供は、やっぱりそれだけヘビーな存在でしょ。実際に子供のいる友達に言わすと、「子供を持つってことは、それで得られる喜びも大きいけど、また、失うものも確実にある」ということですからね。これを聞いて、「なんで? やっぱり子供を持つ喜びはなにものにも代え難いものよ!」とか憤慨するような人だと、ほんとに子供を持つことがその人のためになるんでしょうけれど、私はそうじゃないんですよね。なるほどそうかもしれないなぁと思ってしまう。だから、まあ、「どっちでもいいや、カミサマの言う通り」って気持ちで、とくに努力したいということはないんですね。それこそ、きょうびいろんな生き方があるんだし・・・
とにかく弟夫婦に子供ができて、私もほっとしました。うちの両親にとっては待望の初孫ですもの。これで、彼らも人並みに「おじいちゃん、おばあちゃん」になることができたわけで。もう他人が嬉しそうに孫の話をするからって、ひがむ必要もなくなるわけですからね(^^) こっちに「早く孫の顔が見たい」とかプレッシャーかけてくることもないでしょうし。私としても安心して自分の好きにできるってもんです。いや〜、よかったよかった。


変化

帰国してもうはや十日。
少しずつ、感覚がまた日本の暮らしに戻ってきたんですが、やっぱり向こうの暮らしのほうがよかったなと切実に思うこともあります。とりあえず、主婦としての視点からみれば、大きな食器洗い機と洗濯物乾燥機が家についてたこと。
食器洗い機のほうは、ここで使ってる日本のものは小さくて鍋も入らないし、洗うパワーが違う。まぁ、これ以上大きくても、今度はそれをどこに置くのかって問題がありますから、難しいんですけどね。乾燥機は、今のところウチにはないので、これは欲しいなぁ〜。やっぱり電気式はパワーが落ちると聞いたので、ガス式のものね。向こうへ行って、乾燥機を使う前は、こんなのでほんとに乾燥させられるの?とか、しわくちゃになるんじゃない?なんて思ってましたが、いざ使ってみるとタオルなどはふんわり仕上がり、シャツもしわにならないし、細かい糸くずなんかも吸い取ってくれて見た目もきれいになるし、よかったですねー、あれは。いつか買いたいと思ってます。
なんか、向こうの商品は、それ以外にも電子レンジだとか掃除機はパワーが強いんですよ。あれに慣れてると、もうこっちのがトロトロしてるみたいに思えてイライラしちゃいます。

しかし、たった一年の間に、街はあちこち変わってますねー。
この近所でも、すぐそばに広い花屋ができ、スーパーの食品売り場は全面改装してきれいになり、小さなマンションが建ち、道は工事中だし、ほんと、えっこんなとこにこんなお店ができたの? このお店、こんなになっちゃったの?って発見することも多いです。
うーん、季節も町並みも、めまぐるしく変わっていくんですねぇ。
そんななかで、私も夫も、これからどうなっていくんだろうって、しみじみ考えてしまいます。
何も変わってないようで、確実に周りは変わっている。今日も明日も、同じ風景が続いていくようで、じつはそうではない。自分のことに関して言えば、ふと気づけば、人生、もう折り返し地点がそこまで来てるんじゃないかって。来し方行く末を案じるこのごろです。

人生って、いったい何でしょう?
アメリカ暮らしをしていて、私も変わったのかも知れませんが、いろいろな人生があるなぁって。心底そう思うようになりましたね。いろんな国籍をもち、いろんな言葉を喋り、いろんな姿かたちをして、いろんな価値観をもって、何億という人がこの地上に生きている。それが肌身に染みました。
何が普通だとか、何が正しいとか、もう「絶対」という言葉は安易に使えないですね。
ただ、己自身の生の充実を求めて、思索し行動するのみ、です。
自分はどうしたいのか?
自分は何を求めているのか?
生きていく核というのは、実はただそれだけなんじゃないか。
それは孤独だと思うかもしれない、ただ周りの「みんな」のなかで、「みんな」の意向を気にしながら、仲良しの幸せに心を砕いているあいだは。でも、その「みんな」って、案外ぼんやりしたもので、いざってときには何の役にも立たなかったりするんですよね。
「もう○歳になったんだから、こうしなくちゃ」
「こんなときは、こうするのが普通でしょ」
そんな規範は、この日本の狭い島国のなかでのみ多少の効力を発揮することで、一歩外に出れば、またぜんぜんべつの「こうしなくちゃ」とか「これが普通」ってのがあるんです。
自分は日本を出て暮らしたりしないから、そんなのは関係ない、そう思うかもしれません。でも、関係ないよ、知らないよ、って、ほんとうに無視しちゃってるのと、もっといろんなヴァラエティがあるのを知っていて、とりあえず目の前の規範に目を向けているのとでは、見えてる世界がぜんぜん違うと思うんですね。

そういえば、このまえ、うちの実家の母と私たち夫婦の三人で買い物にいったとき、広い売り場でお互いに姿が見えなくなってしまい、私が夫のことを探して大声でファーストネームを呼んでいたら、母がそれを聞きつけて、「あんた、名前にはちゃんとさんづけして呼びなさいよ。○○(夫の名)〜、って呼んでたらまるで小さい子供を呼んでるみたい。で、実際にやって来たのがいい年した男の人だなんて、端からみててみっともないわ。ここはアメリカじゃないねんからね」といわれてしまって可笑しくなりました。
母の言うには、もっとずっと若いカップルならそれもいいけど、いい年をしてファーストネームで呼び合ってるなんてみっともないそうです。そうか。そういう感覚から、もう忘れてしまってる。向こうでは、とくに現地の人と交流するときなんか、いつも、ファーストネームの呼び捨てが普通だったから・・・
改めなきゃいけないのかもしれませんが、なかなかですね。だって、そのほうがラクなんだもん(^^)
あ〜、アメリカ生活のおかげで、なんかずれてしまったなぁと感じること、他にもいろいろありそうです。これから気をつけて、また「日本人」にならなきゃ(^^)


仔猫とのお見合い

この週末、私たちと「お見合い」するために、仔猫が家にやってきます(^^)
そう。ネットで探したんですよ。里親探しの掲示板で、ある方が、友人の家で何匹か産まれた仔猫の貰い手を探していると書き込みをなさっていて、私がその里親候補として名乗りをあげたってわけです。生後三ヶ月ぐらいのチャトラとサバトラのオスなんですけど、どっちになるか、まだわかりません。一匹しかもらわないので、オレの面影に似たチャトラがいいなと思ってますが、私のほかにも里親になりたがっている方がいて、その方がチャトラにすると言えば、私はサバトラになってしまう状況です。
あ〜、チャトラがうちに来ますように。
いいんだけどね、サバトラでも。可愛ければ(^^)
でも、これから長いつきあいになると思うと、なんだか「ちゃんと育てられるかしら」と不安になってしまいます。たかが猫の子一匹なんですけど、やっぱり責任が・・・・。まぁ、私にできる限り、大切にしようとは思っていますが、なにしろこういう体験は初めてなもので。ちょっと自信がないところもあります。
わざわざ神戸から車で連れてきていただくんですけど、はやくご対面したいですね。どきどき(^^)
やっぱり猫を飼うのもね、結婚と一緒で、オレやくろのように、なんとなく自然に知り合った猫とか、偶然どこかで拾ってしまった仔猫、などというなれそめのエピソードがあるほうが恋愛結婚ぽくていいんですが、このせせこましい都会のマンション生活では、そんな機会まずありませんから。人工的な「お見合い」というステップを踏んで里親になろうと。それしかないですもんね。

なんか、アメリカから帰って、掃除ばっかりしていて、それが一段落したいま、腑抜け状態です。
何もする気が起こらないっていうか・・・いや、猫のことは別ですが。
図書館で久しぶりに本を借りてきても、なぜか読み進められないし。テレビを見ても面白くないし、ニュースにも関心持てないし・・・なぜだろうって思うんですけど。
これって、逆ホームシックかな。
自分で思う以上にアメリカ生活に馴染んでしまっていて、帰国してからもう二週間がたとうとしてるのに、まだリバモア気分が抜けてないんですよ。心はまだ半分あっちにいる、という感じです。
何らかの事情があって、故郷を離れ、海外に暮らす人って、こうなるのかもしれませんね。そういえば、中国留学から帰って来たときも、しばらくは逆ホームシックになってました。
まぁ、夫が忙しくなったっていうのも大きいかも。向こうにいる間は、研究所が近いので、二人で一緒にいる時間が長かったんですけど、帰国してからは、大学まで一時間と二十分ぐらいかかるので、どうしても、一緒にいる時間が少なくなってしまいました。いまさら、べたべたと一緒にいても、やがてしょーもないことでケンカしたりするだけなんですけど、やっぱり一人で家にいると、寂しいですね。とくに、猫の存在を知った今では。向こうでは、猫がいつも身近にいてくれたので、知らない土地での孤独な環境でも、さして孤独だと思わなかったんです。その点、くろにもオレにも感謝してます。
いま、生活にものたりない感じを抱くのは、ひょっとして猫がいないからかもしれないなと思います。うー、私も「猫キチ」への道まっしぐら? 夫は、「おまえ、やがて猫と一緒に寝たり、猫とキスするようになるぞ」とか茶化すんですけど、まさかそこまでねー(~_~;) 猫は猫ですから。いくら可愛いといっても、猫依存症にならないように気をつけたいです。
う〜、それにしても待ち遠しい!


オコリーがやって来た

昨日のお昼前、我が家に仔猫がやってきました。
わざわざ神戸から連れて来てくださったのは、仲介役の女性と飼い主の男性。ウチが一番最初で、まだあと二軒回るとかおっしゃってましたね。まあ、忙しいことです。さっそく移動用のキャリーケースを開けると、うじゃ〜っと六匹もの仔猫が! ひ〜っ(~_~;) どれもこれも小さい〜〜!
まだ二ヶ月になるやならずなので、見かけはまるで猫のミニチュア。一キログラムにも満たないので、片手でひょいとつまみあげられる程度の大きさです。天真爛漫というか、何も考えてない本能そのままというか、人見知りもしないし、ふんふんとあらゆるものの匂いを嗅ぎながらケースから出て来て、ものの五分もしないうちにリビングで大運動会を始めてしまいました。いや〜、そのすさまじいこと! 兄弟でおっかけあい、じゃれつきあい、もつれあって走りまくってました。
私たちはその仔たちのうち、チャトラとキジトラのどちらかをもらうということになっていたんですよね。で、悩みに悩んだんですが、けっきょくキジトラにしました。
最初は、オレに似たチャトラがいいかなと思ってましたが、実際見てみると、キジトラのほうが縞模様がくっきりでていて可愛いかったんですよ。やっぱねー、猫はシマシマでなきゃ(^^)
チャトラはかぜをひいていて、まだ目薬を手放せない状態だったということもあり、ちょっと猫初心者の私には不安でしたし。ほんと、最後まで迷いましたがキジトラに決めました。

その方たちが帰ると、さっそくトイレをしつけねばとやきもきしたんですが、これは案外簡単でしたね。寝て起きたときや、食べたあとなどに何回か連れて行くうち、場所を覚えたのか、オシッコもウンチもちゃんとカバーつき猫トイレのなかに入ってしました。ちょっと感動。もういっちょまえにドライの普通食(仔猫用)も食べられるし、さっそく食べる場所も覚えたみたいです。
まだしっかり身体ができてないので、動作は少しよろよろして危なっかしいですが、やっとひとりでトイレができるようになった人間の幼児と同じですね。
元気で、エネルギー有り余ってて、食べるときと寝るとき以外は走りまくってます(~_~;) 鳴き声は、まだ猫独特の「にゃー」って声じゃなくて、聞いた感じは「きゃんきゃん」とか「みー」とか「あうーん」っていうか細い高い声ですが。
ゆうべは兄弟から離れて寂しいのか、夜中じゅう走り回って鳴いてましたよ。
なんか、もらってしまってから、こりゃえらいことになったぞーって感じです(~_~;)

名前は、今のところ「オコリー」っていうんです。うっ、へんな名前(~_~;) これ、夫の提案です。
なんで「オコリー」かっていうと、長いうえにハズカシい話になるんですが、夫婦ゲンカすると、夫はすぐ私のことを「おこり(んぼ)」って言うんです。この「おこり」のアクセントは「こ」にあります。んで、「おこり」がもらった仔だから「オコリー」。この場合のアクセントは「オ」にあります。
いや〜、私としては、こんな妙ちくりんな名前、人にちゃんと説明できないから嫌なんですが、ほかに強力な候補がないのでしょうがなく、「オコリー」と呼んでます。
なんだか、子供やペットに名前をつけるのって気恥ずかしいですね。私は小説書いてても、主人公や登場人物の名前って、あんまり考え込まずにテキトーに決めてるもんで。
オコリーって・・・ねぇ。呼ぶの恥ずかしいなぁ(~_~;) なんかいい名前ないですかね?

・・・オコリーを見ていると、自然とオレやくろを思い出して、せつない気持ちになってしまいます。
オレにもくろにもぜんぜん似てない猫を選んでよかったかもしれない。
こいつはこいつだもの。私が、いくらオレやくろに懐かしさや愛着を感じていても、オコリーはそんなこと何にもしらないでここにもらわれてきたんですもん。
なんにもわからないオコリー。
まだ、もらって一日だもの、正直、そんなに愛着感じません。
無邪気で可愛いぬいぐるみみたいではあるけれど、オレやくろのように「心の通った感じ」というのはまだないです。どうみても幼すぎて、コンパニオン・アニマルというより、やっぱり愛玩動物(ペット)。
ごめん、オコリー。比べてばかりで。おまえはこの世に生まれてからまだ二ヶ月とたたないんだものね。
なんにもわからないオコリー。
もうお外に出られない、かわいそうなオコリー。
爪の先を切られたかわいそうなオコリー。
まだ愛されていないかわいそうなオコリー。
ごめん、オコリー。これからだよね、私たちの関係は。


子育てはタイヘンそう

いま、オコリーは、椅子のクッションのうえで、すやすや寝ています。
はーっ。くつろぎの時間(-_-;)
罪のなさげな顔をして寝ていますが、しっかし、こいつはとんでもない暴走ネコだとわかりました。起きている間じゅう、これでもかこれでもかと暴れまくっています。そこらにあるありとあらゆるものをアスレチックがわりにし、あろうことか私たち人間の身体まで遊び道具にしてしまい、よじ登っちゃあ駆け下りて、私も夫も、手足にひっかき傷だらけ(~_~;)
もちろん、オコリーの爪の先は少し切ってあるんですが、それでも引っ掻かれると痛いです。もっと深く切ろうと思うんですが、椅子のクッションからクッションへダイビングしたり、動きが激しいので、あまり切ってしまうと足場がうまくつかめなくて転んでしまい、危ないんですよ。いや〜、仔猫がこんなにやんちゃなものだとは。やっぱ、大きくなって落ち着いた猫とは違いますねぇ。オレなんて、よほど気の向いたときでないと、こっちが遊びに誘っても、かえって迷惑そうな顔して寝てたのに。オコリーときたら、ちょっと猫じゃらしを揺らしてやるだけでもう大興奮。部屋の端から端までドドドって走ってきます。まるで人間の幼稚園児が、「きーっ」とか「きゃあああっ」という奇声を上げながら、意味もなくばたばたと息がきれるまで走り回っているのと同じです。あれ、私はキライなんですけどね(~_~;)
あと、こちらを見上げてやたら鳴いてうるさいときがあるんですが、オレやくろと違って、まだ何を言ってるのかわからないんですよ。たぶん、そのほとんどが「遊んで遊んで!!」ってことなんだと思いますけど。遊んでいるときと寝ているときだけ黙っていますから。そのほかは、餌を食べながらでも「うみゃうみゃ」言ってるし、トイレに入れば入ったで、その真っ最中にも「うるるる」「うみゃお」などと奇妙な遠吠えみたいな声を発しています。なんなんだ? りきむのに声をだすのか、おまえは。

仔猫に足元からよじ登られ、髪の毛を引っ張られ、肩から飛び降りられるにつけ、子育てってこういうことかぁ、と気が遠くなる私です(~_~;) ひとことでいって、「タイヘン」ですねぇ。猫の仔はもう一、二年もすれば落ち着くけれど、人間の子はちょうどそれからがやんちゃ盛り。どーするんだろ、うちの弟夫婦。
そう、このまえ生まれた甥っ子なんですが、こちらもマイペースですくすく育ってますよ。義妹は、夜泣きと授乳でぜんぜん寝られないと言っていたけれど、最近やっと少しは寝られるようになってきたみたい。でも、これからがタイヘンなんだなぁ、きっと。あー、オソロシイ。「きーっ」「きゃあああっ」の時期が終わるまでは、うちに遊びに来ないでね。私のほうがそっちへ行くからさ(~_~;)


コンパニオン・アニマルへの道

またしてもオコリーが寝たスキに・・・・

我が家のオコリー。
もらってまだ一週間もたたないのに、もう我が物顔でソファのど真ん中を悠々と占領しています。
親兄弟と別れて、たった一匹でやってきたというのに、はやこの傍若無人ぶり。たいした根性です。
小さいときからのしつけが肝心だと思うので、「寝室および夫の仕事部屋には入れない」、「ベランダには出さない」、「テーブルには登らせない」、などのことを徹底しています。オコリーのテリトリーは、リビングとキッチン、廊下、玄関、そしてトイレの置いてある洗面所です。
夜はリビングからも締め出しをくらって(寝室がリビングの隣なので、開けろ開けろとうるさくて人間が寝られない)、廊下と玄関と洗面所のみ。洗面所の床に、トイレと少し離して猫ベッドを置くことにしました。夜はそこで寝させてます。
初めて一人寝の夜は長いこと鳴いてましたが、三日もすると慣れたみたいですね。私たちが寝る時間になると「オコリー、おやすみ」と言って一人遊びできるおもちゃを与え、リビングから締め出すんですが、少しのあいだ鳴いていても、たいていすぐ諦めてベッドに入るなり一人で遊ぶなりするようになりました。
猫と一緒に寝る人もいるそうですから、こんな小さな仔猫を夜間ひとりぼっちで寝させるなんて、なんと薄情なことかと思われるかもしれませんが、大きかろうが小さかろうが、私は動物を寝室には入れたくないんです。自分が寝られなくなるから。昼間、膝のうえで寝かせてやったり、一緒にソファでうたた寝することはあっても、夜は自分がちゃんと手足を伸ばしてリラックスして寝たいんですよね。私、夫とだってダブルベッドで眠るのはヤなんですもん。相手の寝返りとかが気になるでしょ? 神経質すぎます?
ところで、トイレのしつけはばっちりです。もらう前は、何回か床を汚されるものと覚悟していましたが、嬉しいことに今のところ、いっぺんも粗相なしです。それどころか、ゆうべ、私が洗面所でドライヤーを使って髪を乾かしていたら、オコリーがこちらを見上げて一生懸命鳴くんです。何?何が言いたいの?って言ってたら、どうも、私が立っている位置が猫トイレの前だったんですよ。どいてあげると、さっと入って砂を掻き始めました。ちょっと感心しましたね。偉いぞ、オコリー。この調子で育っていって欲しいものです(^^)

今日は、買い物に行くとき、オコリーに感づかれてしまい、玄関でひともめありました。どうしても、外に出ようとするんですよ。それを無理矢理に押し留めてドアを閉めれば、「うみゃああん、うみゃあああん」という声が中からかすかに聞こえてきました・・・心を鬼にしてそのまま買い物に出かけましたが。
ひとりでお留守番。これも、慣れてもらわねば。ふぅ。まぁ、人間の子と違って、一人ぼっちの間じゅう泣いてるわけじゃないですから。変わり身の早い猫のこと、私が帰宅したときにはけろっと寝てましたよ。
しかし考えてみれば可哀相なオコリーです。もうお外に出られるのは、病院へ行くときだけとは。
完全室内飼いには賛否両論ありそうですが、私の住んでいる環境では、とても外に出すわけにはいきません。猫のテリトリーは、けっこう狭くても慣れればストレス感じないということですから、このマンションを私たちと共有することで、オコリーには我慢してもらいます(お金持ちの広いお屋敷にもらわれなかったと僻まないでね、オコリー。狭い日本に生まれたのが運の尽きだとあきらめなさい、人間だって我慢してるんだから^^;)。ちょっと不憫かもしれませんが、そのかわり、ソファや椅子、廊下などをめいいっぱい使って遊んであげてます。まだ身体も小さいので、遊び方次第では、息がきれるほど運動させてやれます。

オコリーと何日か過ごして、少しは家族らしくなってきました。元気にはしゃぎすぎるのが困った点ですが、まだ仔猫だから仕方ないですね。でも、なかなか鼻っ柱が強く、しかも賢い仔みたいで、将来が楽しみになってきました(早くも親ばか?)。
しかし仔猫をもらって思ったんですが、やっぱり私って、あんまり母性あふれるタイプじゃないなー、と(~_~;)
仔猫の仕草ってほんとに何をやっても面白いんですが、そういうのを見て、もう無条件に「あ〜ん、かわゆい〜〜♪」って、身をくねってメロメロになっちゃうタイプじゃないんですよねぇ。いや、仔猫も可愛いのは可愛いんだけど、それより、私が求めているのは、もっといろんな経験をして悲哀をも知った大人の猫だったんだなぁ〜。それがわかりました。私は、「猫だったら、どんな猫でも好き、なでたり抱いたりして可愛がっていたい」っていうより、「ただそこにいて通じあえる気がする、そんな関係になれる猫を求めている」んですよね。んー、それでこそ、ペットでなくて「コンパニオン・アニマル」だと思いませんか? 人と動物がそんな関係になれるのかなって眉に唾つけちゃうかもしれませんが、犬や猫ぐらいなら、可能だと思います。犬も猫も人の気分を察知するというじゃないですか。それ以上のことは(励ましたり、愚痴を聞いたり? ^^;)たぶんできないだろうけど、でも、それで充分でしょ。
どちらに媚びるわけでなく、どちらも自分なりのスタイルを持っている。でも、ただそこにいて見つめ合うだけで、わかっているよとお互いに言い合った気になれる、そんな関係になりたいですね、オコリーとは。さぁて、何年先のことになるでしょうか(^^)

オコリー、おまえにあえて悲哀を味わえとは言わないけれど、ただただ甘やかしたりもしないよ。
おまえの健康を心配するからこそ、来週には痛〜い注射(ワクチン)を打ってもらいに病院へ行く。
そして、将来的には、いずれ、取るものを取ってニューハーフになってもらうと決めている(-_-;)
おまえにはそんなの単なるいじめとしか受け取れないかもしれないが、それもこれも、私がおまえの生とそのクォリティに責任を持つという意志表示として、よくよく考えてすることなんだよ。
どうかその時が来ても、怨まないでおくれ。人間だってみんな、この世知辛い世の中でいろんな制限を受け、時には限りない悲哀や孤独を感じながら、それでも生きているんだからね。
それからオコリー、ウチに来たからには、おまえはただの愛玩動物ではいられないと心得なさい。芸をしろと言ってるんじゃあない。お手やらお座りは犬にまかせ、反省はサルにまかせればいい。
おまえにはね、コンパニオン・アニマルとしての猫になってもらいたいんだよ。
もちろん私も、おまえを理解するよう努めると約束する。 お互いに尊重できる間柄になろう。
といっても、まぁ、道はまだ長い。今はおまえの成長にあわせてゆっくり行くからね。

あ、オコリーが起きた。
また騒々しい一人運動会が始まる・・・(~_~;)


36を読むTOP