首タオル

九月になったというのに暑苦しい話題で申し訳ないのですが、男の人で、首にタオルを巻きつけて汗を拭いている人っているでしょ? うちの父がそうで、昔からなんとなく抵抗感じてたんですが、何の因果かうちの夫も首タオル愛好家。しかも、たいていそのタオルは「・・・グランドホテル」だの、「・・・証券」だのといった、もらいものの安タオル。首にタオルを巻きつけて平然と人前にでる、というだけでもエレガンスとはほど遠い行為なのに、そこまでくると、「それはあんまりでしょう」と言いたくもなります。

そもそもあんな温泉タオルのような銘柄入りの安タオルをもらって、嬉しいと思う人がいるでしょうか。なんであんなものをサービスとして配る企業があるのか、理解に苦しみますよ。きっと、同じ思いをしている主婦ってたくさんいると思いますね。だって、洗面所のタオルハンガーにあれが下がっているだけで、どんなにそこを掃除しても、きれいに磨いても、もはや無意味だと思わされるほどの「負の」インパクトがあるんですもの。可愛くないし、美的でもないし、貧乏たらしいことこのうえない。いっそ、清貧、とかシンプルライフという感じにも程遠く、快適な暮らしには百害あって一利なしのシロモノだと思います。私は、たまにそういうものをもらってしまうと、はさみで切って靴磨きに使うとか、しつこい汚れを掃除するときの使い捨てぞうきんにするとかして消費していました。ところが、なんとうちの夫は、あれが首に巻くタオルとしては最適だ、と言い張るんですよ。

彼はひどい汗かきで、夏に外を歩くとすぐに、ぽたぽた汗が流れてきます。ハンカチで拭くとものの二分とたたないうちに、それが汗でべたべたになってしまう。小さなハンドタオルでもおいつかず、けっきょくは首にタオルを巻きつけるのが一番いいんだと。しかも、高級な厚手のタオルだと、かさばるし、汗を吸い取ったあと湿ったまま乾かないものだから、安物の薄っぺらなタオルがちょうどいいというんです。
・・・確かに、機能としてはちょうどいいのかもしれない、でもねぇ・・・(-_-;)
まぁ、幸か不幸か、夫の職場ではもはや首タオルが普遍化しているようですから、そのへんの特殊な事情を考慮して、朝から「・・・証券」などのタオルを首に巻いていく夫のうしろ姿を複雑な思いで見送っていました。だいたい、いつも首のよれたようなTシャツにチノパンで、使い古した3ウェイバッグをリュックにし、毎日不規則な時間に通勤しているんだから、ご近所ではきっと、「あの年になってもフリーターか、いずれにせよロクな仕事をしていないダンナ」と思われているに違いありません(~_~;) でも、本人はそれが一番ラクだと言い張って譲らないんだから、もう私もお手上げですよ。

さて、うちの実家のお隣に保険のセールスをしている方がいます。弟がその保険に入っている関係で、そこからときどきミッキーマウスの手帳だのカレンダーだの、ディズニーキャラクターものをいただくんですが、このまえいただいたのは、なんとハローキティのタオル。温泉や企業の名前のかわりに、能天気なあのキティちゃんの顔がぽんぽんとみっつほど印刷されているぺらぺらの安タオルなんです。一目みるなり私は、これこそ、夫の要求する「汗拭き機能」をキッチリ満足させるものだぞと思い、ひとりほくそ笑んだのでした。もちろん、洗面所にかける気はないけれど、夫にはさっそく持たせることにしましょう。
ハローキティに限らずキャラクターグッズも、美しいと言い難いことでは温泉タオルと同じですが、同じことなら男の太い首にこのカラフルなハローキティ・・・なんともミスマッチで笑えるではありませんか(^o^)

理系研究者のみなさま。よれたTシャツの首もとには白地の安タオル、これじゃ、あまりにもスタンダードな「理系的ファッション」でつまらない。せめて一味違ったタオル使いで、差をつけてみては?


漢方の不思議

自律神経失調症は、ずいぶん回復してきました。動悸や手足のしびれなどのパニック発作も起きてませんし、体重の減少も止まり、徐々に食欲もでて、普段の6〜7割ぐらいは食べられるように。どこが病人?という感じです。まぁ、結婚して多少太り気味だったので、不健康に痩せている感じはまったくなく、見た目は元に戻っただけですから。いま、パニック発作を抑える軽い抗不安薬と、胃腸症状に対する漢方薬を併用しているんですが、何がどう効いたのか正直なところわからないですねぇ。

抗不安薬は、マイナー・トランキライザーといって、中枢神経や自律神経に作用するお薬。種類もいろいろあるらしいのですが、これは飲むと確かに「効く」という実感がありますね。ぼーっとしてきて、心からも身体からも緊張を取り去ってくれる。神経性胃炎や、筋緊張性の頭痛、肩凝りにも効きます。
人によって強さや持続性の出方が違うらしいので、服用するときは自分の身体に聞いてみるしかありません。私は体質的によく効くタイプらしく、普通の強さのもの一錠を半分に割って一回分とするぐらいでじゅうぶんです。それ以上では眠けが強く出て、注意力散漫になり(忘れ物が多くなるとか、不測の事態に対処する俊敏さが鈍る)、日常生活にやや支障をきたします。風邪薬とかアレルギーの薬飲んだら、眠くてぼーっとすることあるでしょ? ちょうどあんな感じですか。
で、漢方薬のほうなんですが、今は保険で買えますし、病院で出してくれるのは、いちいち煎じたりしなくても手軽に飲めるエキス剤になってます。私がもらっているのは顆粒状のをお湯に溶かして飲む「インスタント・コーヒー」式ですが、錠剤などもあるそうです。味は、種類によってそれぞれ違いますが、私が処方された「半夏瀉心湯(ハンゲシャシントウ)」と「人参湯(ニンジントウ)」は薬っぽい苦さのなかにも甘草の甘みと、生姜のぴりっとした感じがきいてます。う〜ん、独特の味ですね。慣れれば案外おいしいですよ(^^)

私としては、抗不安薬は確かに効いているという感じがあるけれど、漢方はなんだかよくわからないので、関心をもって調べてみました。すると、これがけっこう複雑というか、西洋医学とはまったく考え方が違うんですよ。私たちが馴染んでいる西洋医学では、まず検査をしたのち、診断された病名に対して投薬や治療を施します。どんな人でも、病名と病勢が同じなら、受ける治療も同じです。が、漢方では、その人の症状と体質に合わせて薬を調合するわけです。たとえば、二人の人が似たような程度の急性胃炎と診断される場合、西洋式ではおそらく二人に同じ胃薬を出すと思いますが、漢方では、その人それぞれの体質をみますから、体つきや脈の強さ、舌の状態、皮膚の色つやを見て、あなたは冷え性か暑がりかとか、汗かきかとか、胃腸の症状とは一見関係ないようなことをいろいろと聞かれます。その結果、処方される薬も違ってくる可能性があるわけです。

漢方薬自体は、科学的にこの成分が有効である、という分析もされてはいるんだけれども、まだまだ完璧ではありませんし、そもそも薬を病人に出す根拠となる「診断」の部分に、訳のわからない東洋哲学が入ってたりして、おまけにいろいろな流派もあり、中医学、漢方医学というのは、厳密には科学的とはとてもいえない不思議な体系ですね。でも、そこには何千年という歴史の積み重ねがあって、いろんな人の身体で試され、改良されてきた古典的な処方がたくさんあるんですよ。
病人の立場からすれば、実際に病気が治ればいいんだし、苦しんでいる症状がとれればそれでいうことはないんだけど、調べれば調べるほど、不思議さがつのるばかりです。けれども、病名でなく症状に対して投薬するので、西洋医学からもれた、つまり自律神経失調症のように、「検査の結果、何が悪いかわからないが、症状はある」という場合には救いになりますね。まぁ、漢方にあんまりハマりすぎるのもどうかとは思いますが。


おぞましきものたち

理屈抜きで、いやなものってありますよね。蛇やゴキブリが嫌いだとか。暗闇が怖いとか。
蛇に噛まれたことのある人が、以来、それを怖がるようになる、というのは話として納得できますが、ゴキブリなんか、これまでさほど実害をもたらされたわけでもないのに、それが怖いとか、理不尽なまでの嫌悪感を感じる、ということになると、どういうことかなぁって思いますね。
ホラー映画なんか、人はみんなこういうものを怖がるものだ、というお約束のもとで成り立っているわけですから、やっぱり、民族とか文化を超えて、もう「ヒトの遺伝子に組み込まれた」怖さ・嫌悪感というのがあるんでしょうか。

怖さといっても、暗闇や心霊、怪奇現象などはどちらかというと、実体不明の心理的恐怖であり、昆虫や蛇、動物が怖いとなると、これは実体をもつ物理的恐怖ということになると思いますが、面白いのは、子供から大人になるにつれ、このふたつの恐怖の比重が反転していくこと。
私も子供の頃はカマキリやコオロギを素手で捕まえたりしてましたから、特に虫が嫌いというわけではなかったと思うのに、今じゃ昆虫類は見るのも嫌。セミやカナブンが飛んできても、ぎゃあと声をあげちゃうし、ゴキブリにいたっては、こうして「ゴキブリ」という文字を打って、それを見るだけでも嫌なんですよ(~_~;) 私に言わせれば、クワガタにわざわざオカネだすなんて、正気の沙汰じゃないですね。あんなの真っ黒で平たくて・・・なんかゴキブリに似てると思いません?
逆に、子供の頃、友達同士でささやきあってはゾッとしていた金縛りの恐怖譚だの、心霊写真だの、トイレに出てくる女の幽霊の噂だの、そういうのは、あまり怖くなくなりましたね。わりとホラー小説とか好きなんで、もうそういう話に免疫ができちゃったとか。実際、読み続けると、ああいうのはパターンが決まってて、あまり怖くなくなってくるんですよね。でも、恐怖感が薄れた一番の理由は、いままでの日常生活でそういう出来事に遭遇しなかった、というのが大きいのではないかと思います。いや、金縛りは何度もあって、それは毎度きまって明け方なんですが、何かに上からのしかかられているような、首を絞められているような、怖い感じがするんですよ。でも、それ以上に何かを見たとか聞いたとかいうことはないし、「なんだこれは」ともがいているうちに目が醒めると、別にいつもと変わりない自分の部屋なもので、何回かあると慣れちゃうんですよね。あれは、純粋に肉体的物理的な現象なんだと思います。

いま、夜ひとりで部屋にいるとき、誰もいないはずの廊下をミシリミシリ歩いてくる音がする・・・・ということがあったとして、「あれはなんだろう」と思うと同時に、ふと目の前の床にゴキブリを発見したとしましょう。それって私にとっては究極の恐怖体験(?)ですが、やっぱり、廊下はとりあえずほっといて、殺虫剤を取りに走るでしょうね(~_~;)


心療内科

まだまだ解明されていないことが多い人間の身体ですが、来世紀には、脳の構造や遺伝子について、もっといろんなことがわかっているかもしれません。
一昔前は精神医学というと、長椅子に寝そべって問答しながら過去のトラウマをほじくり返すというような精神分析的イメージがありましたが、今では普通の内科と変わらず投薬が主だとか。精神的な異常の原因が、必ずしも人間関係での歪みや成育史にあるのでなく、もっと物理的な脳の構造そのものだとか、脳内物質の働きにアンバランスがあるためだとわかってきたからですね。問題が物理的現象ならば、物理的な手段で解決できるということになる。向精神薬は、近年、飛躍的に進歩していると聞きます。完全な病態とまではいかない性格の偏りなども、脳内現象、果ては遺伝子レベルで説明できる部分がでてきましたし、ヒトの精神現象もゆくゆくはその神秘性をいくぶんか剥ぎ取られ、心もまた物理的なメカニズムに従っているのだということになるのでしょうか。

私も、自律神経がおかしくなってから、この原因は何なのかとずいぶん考えました。確かに気もちの動揺はパニック発作のきっかけになる、あるいはそれを増悪させうるものの、それにしてもそれ自体が病気の根本原因とまでは考えられないんですよ。だから、内科の医者から心療内科に行くことを勧められたときにはちょっと抵抗感ありました。心療内科って、心身症、つまり精神的な葛藤が原因で肉体的な病気を引き起こしている人たちが行くところじゃないですか。
私は傲慢な人間なので、「何かの悩みやトラウマがこうじてこんな状態になった、それなら自分でわかるし、こんな状態になるまでの間に対処の仕方だって自分で考えられたはずだ」と思ったんです。そこまで自分をコントロールできない人間だと他人から思われるのも(自分で思うのも)心外だし、痛くもない腹を探られるみたいで不愉快だと思ったんですよ。第一、今、悩んでることなんか本当にないんですから。でも、そんなこと誰にも証明できないでしょう? 「あなたが悩みなどないというのは、その悩みを心の奥底に押し込めてしまっているからで、それを意識しないからこそ、そんな病気になるんだ」、そんなふうに言われて(思われて)しまったら、どう反論できます? そういうのって怖いと思いませんか? 新興宗教の勧誘の手口と同じ不気味さがあると思いませんか?
加えて、私、アメリカ人の好きなカウンセリングとか信じてないんですよね。週に何回とかのカウンセリングでわけのわからないカウンセラーと慌ただしく向き合うより、社会をいったんリタイアしてでもゆっくり時間をかけて自分と向き合ったほうが、よほど有意義じゃないですか。ほんとに心の健康を取り戻そうと思うなら。私、自分が他人を分析するならいざ知らず、人からどうのこうの分析されるのなんか、真っ平だと思うタチなんですよね。

とまあ、心療内科に対してはそんなふうに思ってましたが、実際に行ってみたら、なるほどいろいろと個人的なことは聞かれるし、それが恐らく診断の根拠の一部になるんでしょうけれども、治療の基本は投薬なんです。カウンセリングめいたことは、ぜんぜんなかったですね、少なくとも私の場合。ウェブや図書館でも調べてみましたが、自律神経がおかしくなる原因というのはやっぱりあんまりわかってなくて、ストレス説やホルモン説などいろいろあります。けっきょく、医者も、根本的なメカニズムはよくわかっていないが、とりあえずこういう薬が効く、ということで抗不安薬などを使うんでしょうね。これは、うつ病とかでも同じ現状なんじゃないでしょうか。まぁ私としては、ようやく「無知の知」まではたどりついたらしい脳研究や精神医学の発展に感謝したい気もちですね。フロイト式に長椅子談義なんて時代に生まれてたら、いったいどうなっていたでしょう。やれやれ、ですね。
しかし、自分の神経やら心が変だということを吹聴したがる人は星の数ほどいて、ウェブでたまに個人サイト見ていてもそう思いますが、個性的とか退廃的という範囲を超えて、ほんとに病んでるということになったらやっぱりゾッとするんじゃないですかね。向精神薬なんかでトリップしたがる人って、よほど自虐的な性格なのか、逆に健康にはよほど自信があるのかなぁと思いますよ。最近の薬は少々多めに飲んでも死にはしないようにできてるらしいですが、肉体的にも、精神的にも、頑丈な人ほど無茶な冒険に走れるんでしょう。
ちょっと想像力を働かせれば、薬なしでも非現実を垣間見ることはできると思いますよ。薬に頼らなきゃいけないのは、やっぱり日常的な思考形態から離れられないのと、想像力が貧困だからではないでしょうか。


渡米延期のこと

もう九月も半ばだというのに、いつまでも暑いですねー(-_-;)
私は学生時代から日焼けが嫌いな「白肌派」なので、夏じゅう日傘をさしていましたが、この暑さと日差しの強さでは、まだまだ手放せそうにない。日傘って、使うと実際に涼しいんですよ。もう、さすとささないでは、体感温度がぜんぜん違いますから。それに気づいた我が夫も、今では普通の雨傘を日傘として愛用するように。
なんか、男の日傘っていうのも、おかしいんですけど。
二人揃って日傘をさして近所に買い物などいくと、やはり異様なのか、通りすがりの人からじろじろ見られたりしますね。でも、彼は駅から大学の研究室まで、炎天下をけっこう歩かなきゃならないので、商売道具であるアタマに与える影響を思えば、日傘でもさして守ってやるほうがいいのは間違いないんですよ。ということで、多少の恥ずかしさは容認しています(~_~;)

ところで、いま、家のなかの秩序が乱れに乱れています。アメリカ行きが迫ってきたので、いろいろと荷作りしている真っ最中、ダンボール箱とか、持っていく日用品や衣類などが片づけられないまま、そのへんにごろごろ置かれているんですよ。この二十日に出発の便ですから、はっと気づくともう一週間もないんです。
で、いろいろ考えたり迷ったりしましたが、とりあえず、この二十日には彼だけを送りだして、私自身はしばらく日本に残り、自分の体調と相談しつつ、後から行くことに決めました。せっかく飛行機のチケットもとって、準備も始めてたのに、いまさらもったいないんですが、キャンセルしなければならなくなりました。
まあ、いまのまま行くと、向こうでの生活がどんなふうになるか、まだなんにも決まってないので、まずホテル住まいをしながら、住む家を探すことから始めなきゃならないわけです。慣れないシステムのなかで、不安定な身分でもあるし、言葉もいまいち通じず、いろいろ大変だと思います。私が元気なら、それくらい二人で相談しながら決めていけばいいんですが、今現在の状態だと、そういう環境の変化に伴うストレスに自分が耐えられるかどうか、ちょっと自信がないんですよね。夫にしてみれば、自分自身はやっぱり仕事に専念したいので、そのあたりのことは私にある程度まかせられるかな、というつもりだったらしいですが、今の私では、彼を実際的にサポートできるかどうか怪しいだけでなく、かえって彼の負担になりかねないと思うんですよ。それなら、もう少し私自身の健康状態が安定してから行ったほうがいいということになったんです。
多少心細い思いをさせて気の毒ですが、夫には先に行ってもらって、その間に私は彼から現地の情報を聞いて、必要なものを送るなりなんなりしながら、現地での生活の下地がそこそこ整った頃には、自分自身も行けるようになっているだろうと期待しています。病気に負けるようで気分的にはくやしいんですが、変に根性を出して無理をした挙げ句、けっきょく周りのお荷物になる結果を招いても無責任だと思い直しました。

ほんと、人間、何があるかわからないとはこのことです。
今年の夏は、この体調のおかげで、惨澹たるものでした。私の人生の中でも、最悪の夏だったといえます。ものが美味しく食べられない、それほど味気ない人生ってありませんよ。久々に健康のありがたさというか、普通の暮らしの尊さが身に染みましたね。自分の体調が悪いと、道を歩いている人がみんな、幸せそうに見えてくるんです。あー、この人達は、トンカツでもスパゲッティでも、グラタンでも、チョコレートパフェでも、なんでも好きなもの食べられるんだろうなぁ、なんて羨ましくなるんですよ(~_~;)
食べたいという食欲はあるのに、病気で医者から止められているとか、そういうダイエットの我慢もけっこうつらいと思いますが、食べたいという気持ちにならない、食べるとすぐ胃にもたれてくる、それなのに三度三度、食事の時間はやってくる・・・こういうのも、つらいですよ。私、ほんとに、一日三粒ぐらい飲んだらそれで栄養が取れて生きていける、そんな錠剤があったらいいなぁと思いますもん。そしたら、食事を目の前にして、もっと食べなきゃいけないと思っても食べられない、そんな苦しみから解放されるでしょ? 太っていて、減量したい人には、食べたくなけりゃ食べなきゃいいだけじゃないかと思われそうですが、食べないとほんとに痩せるんですよ。当たり前だけど。もし痩せたければ、普段は腹十分目か十二分目まで食べているのを、腹六、七分目ぐらいにすればいいんです。しかも、和食メニューでね。私はそれで何の運動もせず、ごろごろと半病人みたいにエネルギーを使わず暮らしているのに、この二ヶ月でmax四キロ減ですから。
まぁ、ある程度は痩せてもいいんですが、今ぐらいが限度ですね。まだ全然がりがりではないし、見た目はそんなに華奢ではないかもしれませんが、その人の健康を維持するうえで適切な体重ってあると思うんですよ。私の場合、身長が153cmで、自分の実感としては、43〜45kgがベスト体重。42kg以下になるとだんだん体力が落ちてくるし、48kgを超えてくれば、身体が重く感じます。いま、だいたい43〜44kgあたりなので、これをキープしたいですね。



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