しっかりした人

どうせアメリカに行くからというので、夫がドル建てのMMFをするとかなんとかいって、はりきって買ったはいいけど、そうなると今度は為替相場に一喜一憂。こういうのって、ほんと、うちなんかまだまだ小額だけど、もしも大金賭けてやってるとなると、それが「生き甲斐」みたいになっても不思議ないところがありますね。なんか、やっぱりバクチ的。だいたい就職だって結婚だって、バクチといえばバクチですから、バクチが悪いわけではなくて、う〜ん、むしろ退職した老人のボケ防止とかにはうってつけかも??

経済観念とか、社会参加の意識がしっかりした人を見ると、私なんか無条件で「いいなぁ」と思います。そればっか強調されてるとちょっと嫌だけど。でも、私も夫も、資産運用なんか超苦手なタイプ。そういうセンスに欠けてるんですよ。あったらあったように使うし、なけりゃないなりに生活する、という「どんぶり勘定」もいいとこ。「あんた、貯金してるお金、どうすんのか考えたらどう?」「そんなんわからん。あんたが考えたら」とお互いにのらくら押し付け合う始末。これじゃあ駄目だとは思うんだけど、別にそれでもとりあえず何が困ってるわけじゃなし、「まぁ、いっかぁ」と・・・いい加減なモンです。このあたり、みなさんどうしているのか。だって、いま、どこにどう預けたって、利回りなんかないでしょ?

夫の知り合いにひとり、すごくしっかりした女性がいて、たまに会うたび「あー、しっかりしてるなぁ、いいなぁ」と思うんですが、彼女はまだ独身。結婚はしたいけど、「自分よりしっかりした人がいい」んだとか。私は、彼女よりしっかりした人ということになると、そのへんにいる並みの男ではつとまらないのではないかと心配してしまいますが(^^)
逆に、彼女が男だったらいいだろうなぁと思いますね。現実にしっかり対処して生きて、それでいて、妙に力んだところもなく、さらりとした優しさみたいなのが感じられるし。ウンウン、そういうのって、男として理想じゃないですか(^^) ま、そういう人は少ないから、みんなから頼られて大変だろうとは思いますけどね。

私なんかの場合、中途半端に現実的なことも言うんだけど、基本はやっぱりボンヤリ者ですから。何かの会計なんかしたこともないし。じつはそういう面において、いちばん無能ぶりを発揮するんですよねー。身近にいる者はもう知っているから期待もされない。「猫の手は借りない」ということです。自慢できたもんじゃありませんが(~_~;) でも、結婚したら、どうやら夫のほうは、経済的なことは私がすべて仕切ってくれるものと思い込んでいたらしい。んな、せっしょうな。私だって、そんなのダンナがやってくれると思ってたのにぃ(~o~)
クレジットカード、銀行の通帳、印鑑だのなんだの。利息がどうの、税金がどうの、名義がどうの。あー、めんどくさい(-.-) 私としては、このめんどくささを引き受けるのに比べたら、やっぱり夫を「しっかりした人」に育て上げるほうがまだましか?などとひそかに考えています。


幽霊物語

先週のこと、珍しく早い時刻に帰宅した夫と一緒に、たけしの「アンビリバボー」というテレビ番組を見てみたら、こんな幽霊話が再現ドラマになってました。とあるマンションの壁の中で決まった時刻に電話が鳴るので、おかしいと思った住人がちょうどその時刻に壁を壊してみたら、そこからは電話機と、べったり血のついたワンピースがでてきた。そこにいた友人たちもみんな仰天。それでも不気味に鳴り続けている受話器を取ってみたら、「絶対に許さない」という女の声が・・・
思わずゾっとする場面なんですが、うちの夫がそこで「わははは!」ととつぜん馬鹿笑いするので、あっけにとられてしまった私。
「・・・あんた、何笑ってんのよ」
「だって、おかしいやないか。なんで電線につながってもない電話が鳴るねん。その電話代、いったい誰が払うっちゅうねん(~o~)」
「あのなぁ・・・つながってないから、怖いんでしょーが。だからこそ、霊のしわざなんやないの(-_-;)」
「霊のしわざぁ?んなおもろいもん、この世の中にあるかいな。あんな番組、どーせみんなヤラセやの。ほんまにあんなことがあったんやったら、ちょっとあの電話機、分解させて欲しいわ。つながってない電話が鳴って、霊界から声が聞こえる、そんなおもろい謎解いたらノーベル賞もんやがな♪(^o^)」
「・・・(-_-;)。あんた、幽霊とかそういうの、ぜんぜん怖くないの?」
「いや、もし見たら一瞬ゾッとするとは思うで。でも、やっぱり何か物理的に説明できるような現象があるんと違うかと思うもんなぁ」
「ふーん」
「けど、世間にはこんな番組がまだあったとはなぁ。あー、嘆かわしいこっちゃ。もうこんなん見たらあかんで。アホになる」
・・・ったく。科学者の端くれと結婚すると、夏の納涼の定番、お化け話もおちおち楽しめませんよ(-.-) 今度から一人でこっそり見ようっと。でも、それもなんだか怖いしなぁ・・・

ところで、鈴木光司の「リング」でもそうですが、ああいう話では、決まって、それを発見した人、聞いたり見たりしてしまった人が呪われたり不幸な目にあうことになってますよね。それって、ちょっと合点がいかないと思いませんか。べつに、自分がその幽霊となった人を殺したりいじめたりしたわけではなくて、偶然見てしまったというだけの赤の他人でしょ? もし当事者になってしまったら、最初は怖いけれど、しまいに「なんで、あんたに呪われなきゃいけないのよ」と腹が立ちますね、私なら。化けて出るようなモノには、理屈も何もあったもんじゃない、ということでしょうか。それとも、幽霊なんか見てしまったら、そのショックで自律神経が狂い、体調を崩したりしやすいということでしょうか。私はその類のものは見たことがないのでなんともいえませんが・・・(~_~;)
でも、UFOとか宇宙人、ネッシーや雪男などというと、笑ってとりあわない人でも、幽霊とか霊界などにはなんとなく恐怖感とか現実感を持ってる場合ってあると思うんですよ。なぜでしょう? 死んだらどうなるか、はっきり教えてくれる人がいないし、誰でも一度は死ぬからなんでしょうか。そういうところから、あやしげな新興宗教などにハマる人もたくさんいますが。あと、自分がいつか死ぬことを知っているのは人間だけだということを聞いたことがありますが、ほんとうなのでしょうか。
不思議なことです。私たちは、いわばいつくるかわからない死を待っている状態で生きているわけです。誰もそこから逃れられないのに、誰もそのことについては、何もわからないんですからね。不老不死の薬でもできない限り、この手のお話というのが永遠に人の心を捉えてやまないのも道理だと思いますが。


ターニング・ポイント

アメリカ行きがリアリティを増していくにつれ、周囲のひたすら前向きなムードとは逆に、私自身の心情はどうも感傷的になっています。このことが私の人生にとって、確実にひとつのターニング・ポイントとなるだろうという予感があるからです。
「アメリカで、たった一年暮らすだけで、何かが変わるものだろうか」そんなふうに思う方もいるでしょう。が、人間は、毎日の生活がどんなに変わり映えのしないものであろうと、それでも何かを感じたり考えたりすることを止めることはできません。ましてや生きる環境が変われば、考えや気分はけっこう容易に変わりうるものではないですか。心が変わればそれが生き方に反映され、人生の舞台や配役など、人生の実体そのものも少しずつ変わってくる・・・少なくとも、私は今までを振り返ってみて、そう思います。

私は幸運だったのか馬鹿だったのか、二十代が終わるまでは、ほんとうの挫折経験がありませんでした。自分が真に望んでいるものは、たとえそこに大きな努力が必要であっても、最終的に必ず得られるものだと信じていました。それが、ようやく三十にして、あることをきっかけに、「そうではないのだ、どんな祈りにも努力にも、その限界があり、自分がどれほどそれを渇望しても、決してその通りにならないことがあるのだ」ということを遅まきながら思い知らされたわけです。うちの夫に言わすと「そんなん、幼稚園の頃からわかってた」ということらしいですが、私にはそれがわからなかった(~_~;) だから、望みがかなわなかったこと自体より、かなわないことがあるのだ、という「気づき」のほうが、私にはショックだったんです。それほど無邪気に信じきっていたんですよね、「求めよ、されば与えられん」ということを。その信念が崩れ去ってしまい、自分の生きざまが何か全否定されたような----人間の誰からでもなく、運命からといってもいいし、神からとでも、現実からとでも、どんな言い方をしてもいいわけだけど----気がしたんです。

その挫折体験から立ち直るのに、けっきょく二年という月日を費やしました。その間は、天を怨みもしたし、生きることが嫌にもなりました。ああいう心境のときに、人は自殺するんだろうな、と思います。具体的に何が嫌だとか、誰かを怨んでつらいというより、生きることそのものに、もう関心が持てなくなるんです。努力したってほんとうに欲しいものが手に入らないような人生なら、もういいや、という感じ。今から思えば非常に短絡的ですが、そのときは、なんかそんな気もちでいっぱいになってしまってましたね。幸い、私には周囲に家族もいて、信頼できる友人もいた。自分を受け止め、必要としてくれる人がいたから、積極的に死のうとまで思わなかった。でも、そういう人間関係がなかったら、もっとすごく厳しかったでしょうね。
いま、その挫折体験を経て、私のなかに残ったのはある種の諦念の感覚です。つらかったけれども、これは生きるに必要な感覚を得たのかもしれません。無邪気そのものの、手放しの希望や信念だけでは、ある日、容易にポッキリと折れてしまう時がくる。ある程度の妥協とか、やっぱり、諦念というものが、生き抜くにあたっては必要なんだと。

うちの父の座右の銘は、「万物は変化する」。
思えばこの世のものというのは、すべてが流転的です。高層マンションは建ち並ぶそばから老朽化し、一世を風靡した有名人は行くえ知れずになり、政治や法律はころころ変わり、株価は一日のうちにも上下を繰り返し、やがて一国が滅び、一国が興り、まるで手の中の砂が指からこぼれていくように、なにもかもがつかみどころもなく変化していきます。
目には見えない心だってそうなんです。あんなに愛していた、この人がいなければ自分の人生は虚しいとまで思ったその気持ち、それだって時間とともに、徐々に、あるいは劇的に変化していきます。どんな憎しみもいずれは風化するだろうし、神も天国も、人間に近づいてきたり遠ざかったり。正しさも過ちも、また同じ。さて、この一瞬の出来事は真実に違いないと思うけれど、いったんあの角を曲がったら、そのことを覚えていると言いきれるかどうかすら、とたんにあやしくなる。
私に言わせれば、これが、諦念です。
なにもかもすべて、永遠にそのかたちを留めておけるものなど存在しない、これが私にとっての諦念。
この諦念を抱えながら、それでもなぜ、或いはどんなふうに生きていくか。どう自己実現に向かうか。私の今現在の課題はここにある、そんな気がしています。結婚はしたけれど、それは人生の土台。私個人がこれからそこに何を積み上げていくのか、模索しなきゃならないんだと。

見回せば私ぐらいの歳なら、幼い子供を抱えて、その日その日を忙しく立ち働いている人もたくさんいますし、それが数のうえでは一般的なのかもしれません。または、ひとつの会社で働き続けていれば、もうけっこう重要なポジションについて、朝の満員電車など、度重なるストレスと戦いながらも、ひとりできちんと生活の基盤を支えている人もいます。
それに比べると、私は自由な時間もあり、何不自由なく幸福なように見えながら、でもそれはみんな誰かが支えてくれているからにすぎない。そう考えると、私自身はいったい何をしているんでしょうと情けなく思わないでもありません。いろいろと紆余曲折あったのは確かですが、もう少しきちんと自分を確立して、現実を力強く立ち回れるようになっていてもよかったんじゃないかと。私って、そういう意味ではなんてしっかりしてないんだろうとときどき思うんです。誰かに与えてもらう幸福は、脆いもの。幸福は、やっぱり自分の手で掴み取り、自分の手で支えていくべきものなんですよ。そうであればこそ、時の流れを経てなおも、持ちこたえられるものになるんじゃないですか。これも挫折して初めて気づいたことですが。
今回のアメリカ行きに対するフクザツな思いは、私にとってそれはきっと、ものを考える機会が多い体験にもなり、また、遅ればせながらも自分で何かがつかめるきっかけになるかもしれないと感じるがゆえです。なんといってもアメリカン・バリューというのは、個々の「自由」と「独立」ですから。

ものごとは、すべてが流転的です。構築しては崩れていく思想、悲劇も喜劇にすりかわり、親しさも次第に疎遠になっていく。人生にも大小のイベントやターニング・ポイントがあり、その未来は常に不透明であり続ける。それでも、私たちは生きている、或いは生かされているわけです。
変化するのが怖いわけではないし、そのことはおそらく自分自身が望んでいるにもかかわらず、ただ感傷的になってしまうのはなぜでしょう。たぶん、これまで持ち続けた大切な思い出や、忘れ難い面影、慣れ親しんだ価値観や関係、それらとはいったんお別れしなければならない、とりあえず今までのすべてをカラにして新たな環境にどっぷりと身体ごと漬かってしまわなければ、ほんとうに自分が変わっては行けないからです。気が進まなくても、そうするべきだと、私自身がはっきりと知っているからです。
過去はまたいつか、心に、身辺に、戻ってくるでしょう。でも、そのときにはもはや、私は今と同じ思いでそれらを眺めることはないんです。きっと、そうなるだろう、そうなっていなければならない、と思っています。そのときに感じるべき切なさを、私はいま、先取りしているのかもしれません。


インターネットの罠

このノートパソコン、97年の秋に買ったんで、もうかれこれ丸二年になるんですが、液晶が古いんですよね。今では、シャープなどからすごくきれいな液晶画面のパソコンが出ているので、いいなぁ、買い替えたいなぁと思うんですが、どうも、使い勝手というか、そういうのはこのパソコンで慣れちゃってるんで、キーボードの感触とか、入ってるソフトとかも、あんまり使用感がかけ離れたのは嫌なんですよ。ウィンドウズ98も、なんかやたらごちゃごちゃして重い感じで、いったい95に比べて何がどう良くなっているのか私にはわからないし。私としては、使えもしない中途半端なソフトとか必要のない複雑な「仕掛け」がいっぱいある、そういうのは大嫌いなんです。どんどん削除するんですけど、ときどき、どう削除したらいいかわからないようなのがあって、うっとおしい。ハードは充実させて欲しいけど、ソフトは親切かつシンプルにして欲しいですね。
というところで、買うなら何を買ったらいいか、または、もう少し我慢して様子を見るか、思案しているところです。ほんと、できたらこのパソコンで液晶だけ取り替えて欲しい気もち。

ところで、うちの父は去年だったか、NECのバリュースターを買って、今年の五月半ばに新しくソニーのバイオを買ったんですけど、このバイオのWIN98もうっとおしくて。スタートをクリックすると、いっぱいソフトのメニューが出て来て、だいたいそれだけでもうっとおしいのに、インターネット・エクスプローラに至っては、うちの父も大激怒した罠が仕掛けられてるんですよ。

私が勧めたので、父もプロバイダーはアサヒネットの会員になってるんですが、それで接続してインターネット・エクスプローラで株価などを見ていると、その最中に、いきなり、MSNの広告がたちあがるんです。「重要なコンテンツがあるから」とかどうのこうの、で、クリックするところは、「今すぐ見る」と「あとで」の二つしかなくて、それをキャンセルしようと思ったら、×ボタンをクリックするしかない。でも、そうやって消しても、それがもうしつこくしつこく出てくるわけです。そのたびに、×ボタンをクリックするんですが、そんなことやってると肝心の見たいページがゆっくり見られない。で、思わず「なんやねん、うっとおしい」と思って「見る」をクリックしてしまうと、画面がMSNのページになって、それでもうなんだかしらないけど、会員にさせられてしまうわけです。
このへんの経緯は本人じゃないので、詳細はわからないんですが、父に言わせると、MSNの会員になったつもりもないし、そんな意志表示をしたつもりもないのに、クレジットカードから会費が引かれ、MSNのパンフが送られてきたので、ようやく事の次第を知った。あわててそこに書いてあるとおりの手続きをして契約をキャンセルをしたということです。どうも、クレジットカードの番号などをMSNのページで打ち込まなくても、パソコンでアサヒネットの接続の設定やら登録をしたときのカード番号を勝手に流用(?)するようになってるみたいなんですよ。このあたりの仕組みというか仕掛けは、私にはさらさらよくわからないけれど、本人はカードの番号なんか、そのMSNの画面では打ち込んだ覚えがない、というのです。

その初会費ももったいなかったけど、まぁ、これもいい勉強かと、仕方無しに払ったわけです。しかし。ここからが大激怒なんですが、パンフにのっている通り、オンラインでキャンセルしたのに、それからまだ二ヶ月も契約していることになっていたんですよ。父はカードの明細を見てそれを知り、怒り心頭、クレジット会社に問い合わせの電話をすると、そこからマイクロソフト社に伝わり、しばらくしてマイクロソフトから電話がかかってきた。これは、はじめはその場にいた私が受けたんですが、まだ若い声の社員に父の言い分を伝えても、「契約上、そうなってますから」の一点張りでラチがあかない。キャンセルしたことを告げても、「キャンセルは一つだけで、あともう一つ、会員になっている」と仰天するようなことを言うんです。なんで、ひとつのパソコン、ひとりの一般ユーザーが、何口も同じプロバイダーに加入するんですか。どんな必要があって? しかも、その回線を使ったという日付は、うちの両親が南仏旅行にいって、日本にいなかった時期。いったい、どうなってんの? 私にはわけがわからない。
見かねて父が代わり、
「ワシはおたくと契約したつもりもなければ、する意志も一切ないねん。なるほど最初のはうっかりしてたと思ったから、そのぶんは払った。それから、おたくらのパンフレットにしたがってちゃんとキャンセルもしてるんやで。それでもまだ金取る根拠がどこにあるねん、根拠があるならそれを示せ、それを。あんたらのしてることは、詐欺か泥棒やないか。そういう態度にでるんやったら、ワシは告訴するぞ。これは、日本の商法上、立派に詐欺罪が成立するんやからな」
とまぁ、強い口調でまくしたてた。すると、「告訴」の二文字が効いたのか、とたんに低姿勢になり、今までの会費はお返しします、というのです。なんとまあ。

この客はうるさくてしつこいと思ったから、返すと言ったんでしょうけれど、もしこっちが食い下がらなかったら、それはそれで平気な顔で数千円を取っていたわけです。なんなんでしょうね、ったく。
あのインターネット・エクスプローラのせいで、そんなふうに知らないうちに会員にされて、カードから勝手にお金を引き落とされてしまった人って、いっぱいいると思うんですよ。うちの父は商取引のド素人でもなければ、私のようなボンヤリ者でもありません。父自らにして、「こんなもんにワシがひっかかるとは思ってなかった」とあきれています。やはり、ちゃんと契約もかわさないうちに、少なくとも、相手に契約の中身を確認させず、契約を了承したとすら思わせないようなやり口で、契約させているということなんですよ。お金を返します、ということは、告訴するとか、うるさく非難されても仕様がないようなやり口で、お金を取ってたということを認めた、ということでしょ。
みなさん、この類の理不尽な罠に陥らないよう気をつけましょう。もし、不運にしてそんなことになってしまったら、泣き寝入りせず、強気で自己主張してみるべきです。

それにしても、目に見えないものって、つくづく、怖いですねぇ。どんな欠陥ソフトでも、あるいは悪意で作られたソフトでも、私たちにはそれを見分けるすべがないじゃありませんか。最初は全然わからないけれど、ある日ある時、時限爆弾のように決定的に狂い出す会計ソフトなんかを、ライバル社の悪意で会社に売り込まれたりなんかしたらどうなります? だんだんある思想に洗脳されていくような子供用教材ソフトなんかがあったら、どうなります? そんなの、被害に遭うまで、誰にもわからないんじゃないでしょうか?


体調不良

先月からなんですが、どうも体調がすぐれず、この二週間ほどというもの、胃痛とひどい食欲不振で、いつもの半分以下しか食べられず、次第に痩せてくる始末。これは、単なる夏やせとも違うし、自律神経失調症なるわけのわからない病名にもいまいち納得できず、どこか悪いんじゃないかといろいろと検査などしてみたんですが、そのたびに、結果は「異常なし」。こうなると、症状はあるのに、対処する方法がないみたいで、その結果に喜ぶべきかどうかすらわからなくなります。

思い切って大きな大学病院に予約を入れて、見てもらったところ、そういう人がやはりいるそうなんですよ。
つまり、胃腸などには何ら潰瘍や炎症などの異常は見られないが、そのあたりの神経が過敏になりすぎ、食べると胃が痛くなったり、重苦しい感じがしたりするような人が。そういえば、私、何かを飲み込んだら、それが食道を通って胃のどのへんにある、ということがわかったりするんです。うちの母など、鈍感だから喉元過ぎればもうわからない、と言うんですけど。もとから私は、そういう過敏な(?)体質だったわけです。
何が原因で、というのはあまりよくわからないんですが、とにかく、現在そういう状態です。前に言ってた、いきなり手足がしびれたり、呼吸が乱れたりするパニック発作については、これも、自律神経がなせるわざ。私としては自律神経の働きが肉体的・精神的な原因で狂いやすいという体質なので、徐々に慣れていくしかないというわけです。実際、病院に駆け込んでも、精神安定剤を打たれるだけで、手の施しようがないし、その発作で死んだり、後遺症が残るとかいうこともなく、あくまで一過性の現象らしいので、過ぎ去るのを堪え忍んで待つしかない。発作の際に精神的に動揺してしまうと、よけいに症状がひどくなるので、それに慣れるしかない、慣れることで徐々に症状を軽くしていく、ということです。なんか、やっかいなんですが、しょうがないですね。わりと女性にはよくあることらしく、遺伝的、生活習慣的な要因もあるので、家族にもそういう人がいる、という場合が多いそうです。

こういうのって、何か脳内物質などの伝達が上手くいってないとか、そういうことがあるんでしょうかね。もともとそういう神経回路に不調をきたしやすい遺伝子を持っているとか。ともかく、安定剤だしてもらって飲んでますが、そうすると落ち着いていいんだけど、副作用で眠くなって困ります。頭がぼやーっとして、ちょっと長い文章とかは、書く気力がわきませんね。困ったことです。
こういうことは、いままでなかったので、けっこう滅入ってます。本来なら今ごろは、アメリカ行きの準備とかいろんな計画を立てたりして、楽しく過ごせる時期になったはずなのに。このままでは、自分自身がアメリカに行くのが不安になってきます。まあ、あと一ヶ月あるので、何とかメドをつけて、九月二十日の便に乗りたいんですけど。もし、似たような症状を克服したという方がいらっしゃれば、ぜひ、メールください。



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