買ってはいけない?

夫が、週刊金曜日別冊の「買ってはいけない」を買ってきました。いま、話題になって平積みされてる本ですね。内容は、巷に溢れ返っているさまざまな商品のなかから、怪しげな化学物質が使われているとか、環境破壊の元凶となるなどの理由で「買ってはいけない」商品をリストアップしたもの。
読んでいると、なんとなく、買ってはいけないなあと思ってしまうのですが、実生活のなかで、ほんとにこれらの商品(および類似商品)をまったく買わずにいられるかというと、そこはまた別、というのがかつての「節約生活のススメ」などと似てるような。読んで納得したとしても、「そこまでできる?」というのが大多数の読者の実態ではないかと思うんですが・・・どうでしょうか。

私は以前からばくぜんと化学物質は怖いものだと思っていましたから、インスタントラーメンやハンバーガーなどジャンクフードは食べないとか、外食するなら和食を選ぶとか、化粧品は必要最小限度にとどめるとか、多少は抵抗してました。が、「買ってはいけない」を買ってきた当のご本人は、そんなこと何にも考えていなかった様子。読みながら、「えっ、これもあかんの? こんなん昔はよう食べとったけどなぁ」と、いちいち衝撃を受けている。無理もありませんね、ひとり暮らしをしているときは、朝からハンバーガーショップに出向き、昼はファミリーレストランでこってりした外食、夜はコンビニ弁当を買って食べ、コーヒーやコーラは飲みたいだけ飲むという、絵に描いたような「男の一人暮らし」をしてきたんですもの。
彼に、「あんた、科学者の端くれとしてこの本の内容についてどう思うのよ?」と聞いてみました。
「う〜ん、企業も厚生省も消費者なめとるからな。少なくとも、一般消費者に、こういう危険性があると認識させることは大事やと思う」
「じゃあ、もうこういうものは一切買ってはいけないって思う?」
「いやぁ、それはどうかなぁ。ここでいろいろいわれてるのは、ちょっとヒステリック過ぎるんちゃうかと思うところもあるから」
「どういうこと?」
「実験で腫瘍が発生したとか、どないのこないの書いてるけど、それがどこまで証明されてるか、信頼性の高いもんか、わからんやないか。だいたいただの塩でも醤油でも、普通の何倍か摂ったら身体に悪いものになるからなぁ。それに、こんなんぜんぶ買ってはいけない、となると、買うものがなくなるで。まぁ、僕としてはこういう意見に対する企業や厚生省の反論が聞きたいな」

確かに化粧品や雑貨などは、安全なものでないなら買わないですませてもいいと思うのですが、薬や食品となると、そうもいかない感じがしますね。
たとえば、この本でやり玉に上がっているもののひとつが「味の素」ですが、私は味の素の人工的な風味が嫌いで、台所には置いたことがありません。味噌汁のだしも「ほんだし」などでなく天然かつお節でとってます。でも、よくよく見れば知らないうちに、味の素に類する化学調味料は、多くの加工食品などで摂取しているんですよね。
思うに、味噌汁のだしは自分でとっても、そうめんの付けつゆまで自分で、という人は少ないんじゃないでしょうか? コンソメやケチャップ、ドレッシングの類はどうでしょう? カレーやシチューのルゥはどうします? マーボー豆腐の素や、焼き肉のたれは? 醤油味のおせんべいにも、味付け海苔にも、化学調味料は含まれているんですよ。
こういうのをぜんぶ排除するなら、ほんとに昔ながらの純和風食卓にならざるをえないですね。それでも、スーパーで魚のみりん干しなど買おうものなら、やっぱりそこには化学調味料が使われているわけです。これでは買い物に行くたび、う〜ん、と考え込まねばなりません。自分で食べ物を作れる農家の人や、いっそデパートの自然食品コーナーが充実している都会に住んでたらいいんですけど、中途半端に開けた市街地に住んでいる多くの忙しい勤め人たちは、これを読んで、はあ、怖いものだなと思っても、成すすべがないんじゃないかと思いますね。健康のことを考えると、びくびくしながら物を食べること自体が良くないでしょうから、あまり神経質な人は、「買ってはいけない」を買わないほうがいい?とも思えてきます。

さて、化学物質のことって、物理じゃなくて化学畑の人のほうが、よくわかるんじゃないかと思うんですが、どなたかにグルタミン酸(味の素成分)とアスパルテーム(ダイエット甘味料;アスパラギン酸とフェニルアラニンの化合物)について、ほんとうのところを教えてもらいたいものです。とりあえず、食品添加物のなかで一番多そうなのがグルタミン酸だし、アスパルテームはダイエットの味方だと思って、うちでもコーヒーや紅茶に入れてるんですよ(~_~;) やっぱりやめたほうがいいのかなぁ・・・


自律神経失調症

どうも、台湾旅行の前後から身体の調子がおかしく、先日、病院に行ったら自律神経失調症だろうといわれました。自律神経というのは、自分の意志とは無関係に働く神経で、広範囲に身体の恒常性を保つ役目をしています。たとえば、心臓はそれを持つ本人が何も考えなくても、勝手に動いています。これに関わっているのが自律神経。これは、中枢が視床下部という場所にあるので、ホルモンや感情の影響を非常に受けやすいらしい。わかりやすくいうと、大勢の人前で話すと心臓がどきどきする、こういうのは、緊張したせいで一時的に自律神経が影響を受けた、ということです。自分でどうすることもできないのがつらいところです。

自律神経が狂いやすい状態になると、ちょっとした肉体的精神的ストレス、たとえば冷房などが効き過ぎて身体が冷える、過度に神経を集中させたり緊張する、精神的に興奮する、夜更かしなどして生活のペースを崩す、といったことで過敏に反応し、自分の意志と関わりなく勝手に動悸がする、手足がしびれる、めまいや頭痛がする、吐き気がしたり下痢をする、などの症状がでてきます。症状は多彩でなんでもありですが、心臓や脳、胃腸そのものには何の器質的な疾患も見られないことが特徴です。一度派手な症状が起こると、それが恐怖感として残り、「いつまた」という心配や怯えそれ自体のせいで、また同じ症状が引き起こされる、という悪循環に陥る場合も。
私の場合、とつぜんなんともいえない不安感に襲われ、動悸がして手足が冷たくなり、しびれて感覚がなくなってくるという症状があって、病院で心電図とかとってもらいましたが、何の異常もなく、これは自律神経のせい、といわれてしまいました。あと、片頭痛とかめまいがしたり・・・。死ぬような病気ではないし、肉体的な異常はないんだ、と自分で思ってはいても、症状がでているときというのは、すごくつらいし怖いんです。それがいつ来るかと思うと憂うつにもなりますよ。なんといいますか、この気分をたとえて言えば、縁までいっぱいに水の入ったコップを持って、いつ中の水が溢れてしまうかと思いながらソロソロと歩いている、といったような感じです。で、いま、自律神経調整薬をもらっていますが、それをちゃんと飲んでいると嘘のようにおちついています。薬が効くということは、やはり、自律神経が狂っているのでしょうね。
しかし、曖昧ではありながらも一応、現代ではこういうのが医学的にも知られている病気で、しかも効く薬もあって幸いだと思ったことです。だってね、症状はあるけれど検査では何もでない、症状がおさまると、わりとけろっとしている・・・これって、ずっと昔なら、何かのタタリだとか、悪霊にとり憑かれている、なんてことにされてたんじゃないかと思うんですよね(-_-;) まぁ、それぐらい奇妙なんですもの。

自律神経失調症になりやすい性格というのがあるそうで、神経質とか几帳面、まじめ、凝り性、完全主義であるとか、感情的な振り幅が大きい、逆に感情を抑圧しがち、こういった人たちはストレスをためやすく、うまくそれを処理できない、要するに抗ストレス性が弱いということです。反対に、何事もいい加減で、言ったことや約束はすぐ忘れ、嘘をついても何ら良心の呵責というものを感じない、というような人だと、まあ、精神的な要因からみれば自律神経失調症になりようがありませんよね(~_~;)
遺伝や生活態度という要因もあるので、いちがいに性格的なものだけで判断できませんけど。
私なんか、う〜ん、部分的には神経質かもしれないし、確かに完全主義的なところもあるし、凝り性だし、感情の起伏が激しいし、第一わがままだから、自分のいうことが通らないと、それだけで人の倍くらいストレス感じるのかもしれません(~_~;) そういうところが神経にくるのかもしれませんけども。それに加えて体質もあると思うんですよね。立ちくらみとかもよくあるし、血管が細くて冷え性だし・・・
あと、結婚して生活が変わったのでそれがストレスになっているのでしょうか。きままな二人暮らしなんですけど、寝たり起きたりする時間がばらばらになってたし。夜更かししたり、調子に乗って食べ過ぎたりと、生活のリズムが乱れていたんだと思いますね。気もちとしては、これぐらいどうってことないと思っていても、身体のほうは「もうちょっと規則的に暮らしてよ!」という感じだったのかもしれません。薬を飲みつつ、生活のリズムを整えていこうと思っています。もちろん、しょうもないことで夫と朝まで議論を戦わすなんて、当面は厳禁ですね(^^)

よくいわれますが、健康って、損なわれて初めてそれがどんなに生きる基本になっているかわかりますね。まぁ、ノストラダムスの例の予言でいえば1999年の7の月でしょ、私にとっての「恐怖の大王」は自律神経失調症だったのかもしれない、と思っている今日このごろです。


嫌いなものが多ければ

私は公平に議論するとか、広く人の意見を聞くのが実は苦手です。
いや、自分ではある程度は聞いているつもりなんだけど、うちの夫に言わせると、私には「感情を交えずに議論する、という訓練ができていない」らしい。学者には不向きな性分だということかもしれません(-_-;)
胸に手を当てて考えてみると・・・そうですね〜、やっぱりついつい感情的になりますね。自分に余裕のあるときはまだましだけど、話の成り行きで形勢不利になると、ほとんどアクロバット的に飛躍する三段とび論法の決めつけがポンポン飛び出す。家族に対しては甘えがあるから、余計にそうなるのかもしれませんが。
他人に対してだと多少は気を使うので、そうそう高飛車に決めつけられません。相手が喋っている間に、なんとか自分に有利な方向になるように考えをめぐらします。もちろん、相手の話など聞いていない。まぁ、相手にも一理あると思えば聞きますけども、たいていは相手の顔を見てうなずいたり、聞いているふりをしながらも、次に口を開くときのために「それはわからなくもないけどね」とか「気もちはわかるけどさぁ」のあとに続けるもっともらしい理屈を探している。

たぶん、嫌なもの、(自分にとって)間違っていると思うもの、(見た目や行為が)汚いとかあまりにお下劣であるなど、自分に嫌悪感を催させるものに対する許容力がないんですよ。それに対する嫌悪感とその物事の是非というのも、わけて考えることができないですね。
たとえば、売春の是非というのを夫と議論したことがありますが、私にしてみれば、「そんなの是非を問う以前の問題」なんですよ。それが是である可能性など、もはや一筋たりとも考えられないことなんです。もしも自分がそれをするということを想像すると、気持ち悪くてたまらないからです。本能のようなものだから、この嫌悪感は、どんな理屈をもってきても変わるものではないですね。
どんなに筋の通った理屈を聞かされても、どんなに立派なお題目を唱えられても、それとは別に心の底から嫌悪を感じてしまうようなことなら、人間ってそれを覆せるものではないと思うんですが、どうでしょうか?

お金や理念のために感情を殺して生きる人もいますが、一銭の得にもならない感情のもつれから人殺しまでする人もいます。どちらがどうなんだか。
でも、幸せってやっぱりひとつの感情でしょう? 幸せって、「かくかくしかじかの状態」とか「考え」ではなくて、ある「感じ」なんですよね。
自分にとって、嫌いなものが多ければ、世界はきっと不幸な場所になってしまいます。こんな世の中は嫌だと心底思えば、それだけで生きることさえ容易ではなくなる。だから、嫌いなものはできるだけ少ないほうがいい。こう考えると、うちの夫の抗ストレス性というか、こだわりのなさ、嫌悪感を感じるものの少なさが羨ましいような気もしますね。何しろ、寝汗で湿った枕カバーを一ヶ月ほど取り替えなくても、何の嫌悪も感じないということですから。私だったら、その臭い枕カバーで毎日眠るだけで、人生が虚しいような気もちになってくると思うんですけど(-_-;) こういう人と結婚したのが運の尽きというか、でこぼこカップルというか、私には欠けていた部分を彼が持っているのかもしれないなあと思いますねぇ(ため息)。

嫌悪を感じるもののなかにも許容できる部分を、いかにして見出すか。どうやって、嫌いなものを取り込んでいくか。いかにして、それを自分のなかで許していくか。こういうことを考えていけば、自分の枠みたいなものが少し広がるんじゃないかと思っています。まぁ、バランスをとって、ということですけども。


七の月終わる

いや〜、終わりましたね。七の月。今まで、ことあるごとに大騒ぎしたわりには、あっけないもんです。五島勉さん、どうするのかしら。雲隠れ? まさかね。
私が小学生の頃だったか、ノストラダムスの予言を知ったときには、年月を勘定して、「そのときには、もう私、三十も過ぎたおばさんだから、そこまで生きたらあとはどうでもいい」なんて思ったことを覚えてます。恐るべし。小学生の子供にとって、おばさんというのは、もはや色恋沙汰もなく、人生の夢を描くなんてこともない、棺桶に片足突っ込んでるような人に見えたわけなんですねぇ(~_~;)
もちろん今はずいぶん様子が違いますけど。女優とかタレントも結婚年齢あがってるし、みんな子供産んでもきれいだし、社会と接点持つこともできるし、不倫はするし、独身よりもそういう意味ではなんでもアリですよね。家庭持ってるというのはいちおう、帰る場所があるということだから、かえって、安心してチャレンジというか冒険できる、ということもあるかも。まぁ、こういうのって、結婚の内容というか、結婚した相手にもよりけりだとは思いますが。

さて、占星術でいうと、この八月十一日にはグランドクロスがくるんですね。天の惑星の見かけ上の配置が珍しい十字型になる、というものなんですけど。占星術に詳しい人なら先刻ご承知でしょうが、なかなか運命的な、というか、暗示的な配置だといわれています。これが、例の予言とワンセットになってる向きもあって、まだまだ世紀末は気が抜けません(^^)
世紀末といえば、なんといっても今年のとどめには、コンピューターの2000年問題が。あれ、どうなるんでしょう。本当に、水とか食料とか、備蓄しといたほうがいいんでしょうか。うちの夫なんか、「あんた、なんか騒動が起これば面白いとおもてるやろ(-.-)」などと茶化すんですが、真剣に心配してるんですよ、私は。だって、巻き込まれるんなら、もう、みんなが巻き込まれるんですもん。旅行会社も来年の元旦にかかるツアーはやらないということだし、はてさて、みなさん、年末年始はどこでどう過ごすことになるんでしょうね?


アメリカ行き

前回は、世紀末のお正月をどこで過ごすかという話で終わってましたけど、私個人は夫と一緒にアメリカで過ごすことになりそうです。というのも、この九月後半から一年の予定で、夫がアメリカの研究所に行くことになったので、私もそれにくっついて行くわけです。もうビザも取りましたし、飛行機やもろもろの手配は今しているところです。

その国立研究所のある街は、地図で見る限り、サンフランシスコから車で一時間ぐらいで行けると思うのですが、けっこう治安もよく、静かなところみたいです。
アメリカで一年暮らすというと、私の友達や両親など、なぜか羨ましがっているのですが、今回のことは私自身の考えで決めたわけでもなくて、まぁ、夫のオマケでくっついて行くわけですから、あんまりリアリティがないですね。それに、私、正直いって、昔からアメリカという国に、あんまり憧れとかファンタジーもってないんですよ。しかも、西海岸でしょ。ニューヨークならまた別な面白さがあるかなと思うけど、でも、アメリカ人に言わすと、「NYはアメリカではない」ということだし。
う〜ん、私のアメリカに対する印象って・・・麻薬、銃、レイプなど犯罪が怖いということと、何もかもデカくて繊細さとか奥ゆかしさが感じられないなぁということ、中世からの教会とか、そういう古い建物とか歴史がないので、その点でも魅力減。あと、アメリカ人って、こちらが多少は英語が話せるなと思ったら、もう早口でグワーっとまくしたててくる、という印象。ちょっとは加減してくれよ、こっちはガイジンなんだから、という感じ。そのくせ、自分は英語以外、何も話せなくてもいいと思ってる(-_-;)
全体としては、押しが強く、唯我独尊、行き過ぎた合理主義と個人主義の弱肉強食国家、というところ。あんまり好意的なイメージでもないですね(~_~;) もちろん、そこに住んでみればきっと、いい人もいいところもいっぱいあるんでしょうけれど。だってそこにいるのは同じ人間だもの。前にも言ったとおり、いいところを見つけて、早くその土地に慣れたいと思います。

思えば中国で一年暮らしたときも、それはそれは大変でした。まぁ、向こうは凶悪な犯罪などの心配はほとんどなかったけれど、なんといっても、私たち日本人にとっては耐乏生活って感じですから。なにしろ生活のレベルやペースが違うし、娯楽なども少ないし。最初は早く帰りたいとばかり思っていたけれど、そのうち慣れて、今ではときどきすごく懐かしく思い出します。あの留学経験で最もよかったことは、言葉を学んだとかそんなことより、自分もアジア人だという仲間意識みたいなのができたことですね。
なんていうか、最近では状況も少し変わってきましたけど、一般的に私たちって、遠いアメリカやヨーロッパ文化のことは知っていても、近くの中国や台湾、韓国とかのことって、あまり知らないし、知ろうともしてないと思うんですよ。ハリウッド映画は年に何本も見るけど、中国映画なんか見ないし。でも、実際の生活様式とかメンタリティの面で、欧米人より中国人とかのほうが、やっぱり同じアジア人だなぁ、似てるなぁと感じることが多くありますね。言語的な面でも、中国語のほうがはるかに習得しやすいです。私など、何か外国語で言おうと思ったら、英語よりもまず中国語が先に出て来てしまう。そのほうが簡単だからだし、やっぱり、同じルーツがあるからだと思います。

まあ話を戻せば、それだけ親しんでしまった、好きになってしまった、これが一番いいことだったなぁと思うんですよ。親しんでしまったから、中国とか台湾とかいうと、抽象的な国名ではなくて、そこに生きている人たちがある程度リアルに想像できる。だから、たとえば、コソボで中国大使館が誤爆されましたが、中国人がどんなに腹を立てているか、やっぱりある程度は思いやることができる気がする。そんなふうに、自分の気もちが広がった、これがよその国に暮らしてその国の人たちと交わるなかで得られる一番いいことだと思うんですよ。草の根外交などと気取った言葉を持ち出さなくても、この気もちがあったら、どこででも生きていけると思えるから、自分が楽になれるんです。何かの事情ができて日本で生きていくのが難しくなったら、貯金ぜんぶもってって、中国で暮らしてもいいじゃないか、とかね(^^) そんなふうに思えたら、たとえば、子供が登校拒否になったからって、そんなに思いつめなくてもいいし、ダンナがリストラされたからって、悲観して死ななくてもいいと思うんですよ。ここでしか生きられない、そんな呪縛から解放される。どんなことがあっても世界は広い、自分が生きていけるところはまだまだどこにでもあるって。

アメリカで実際に暮らして、アメリカやアメリカ人にも親しんでしまったら、そういう気もちがまた大きく広がると思います。アメリカという無機的な国名にまつわるイメージでなく、なんというか、リアルな好感とか愛着がわいてくるんじゃないかと。まあ、不安はいろいろありますが、これも楽しい修行(?)といったつもりで行こうと思います。私とあの夫でしょ。きっと、珍道中というか、いろんなハプニングがあると思うので。
まっ、今はとりあえずもっと体力つけて、エーゴやらなくっちゃ(~_~;)


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