もてない男

新聞の書評欄で見かけたんですが、どうも、小谷野敦という学者による『もてない男』という本が売れているらしいですね。本自体を読んでもいない私は、この著者が何の学者なのかも知らず、何かの紙上で小さな白黒の顔写真を見たことがある程度です。まぁ、どちらかというと、丸くて暑苦しいお顔だったように思いますが、べつにどうというインパクトもない普通の顔でした。
けれども、この書評を読む限り、どうも著者自身、「もてない男」を自認しているらしい。で、その主張とは要するに、「恋愛至上主義は近代の迷妄である。恋愛は人生最大の重要事ではない。ゆえに、恋愛ができないからといって、悩まなくてもよい。世の中には生来人付き合いの苦手な人間がいるものだ、そういう人間を、恋愛ができないというだけで、さも人間として不完全であるようなデマを言いたてて苦しめるな」ということのようです。これだけでも笑えるのに、そのうえ書評では、「学者にありがちな公平と客観を装う議論ではなく、著者の熱さに読むほうも力が入る」本だとも書かれていて、それが一層面白く思いました。学者ってたまに変わった人もいるものですが、こんなテーマを熱心に書いてしまうこの小谷野氏、なかなかカワイイ人なんだろうなぁと思います(^^)
夫に、見て見て、こんな本出してる人がいる、と言ったら、彼いわく「自分がもてへんことの恨みつらみを晴らしたかったんやろな。それに、世間には同類も多いから、売れるとも思ったんやろ」ということですが、まったくその通りかも知れません。まあ、夫自身もかつて「もてない男」のひとりだったので、その心境がよくわかるんでしょうね(^o^)

もうこんな書評を読んでしまったら、このうえ著者の怨念こもる実物までもは読みたいと思いませんが、いいたいことはなんとなく想像できないでもない。だいたい、もてない男がナットクするような内容になっているんだと思います。でもね。でも、ですよ。女の私に言わせれば、ほんとにもてない男を自認している方は、やっぱりこの本を読まないほうがいいんじゃないかと思いますね。
まぁこの著者はそれで儲けたわけだし、こういう本を出すことで注目され、これまで彼女いない歴何十年だとしても、今後、新たな出会いがあるかも知れません。でも、もてない地道な一般読者が、この本によって何か「救われたような感覚」をもってしまったら?
確かに、もてないことをくよくよ気に病んでいる男よりも、もてなくても飄々と動じない男のほうが見ていて気持ちがいい。もしかしたら、それでかえってもてるようになる人もいるかもしれません。でも、自己点検の努力を放棄して、ただたんに開き直るだけになってしまうと、そこでもうこれからも「もてない人生」が確定してしまうんじゃないですか? それで、いいんですか?
思うに、暇つぶしとしての恋愛ゲームはまた別として、ほんとうに愛し愛される喜びは、一番基本的な生命力の源なんじゃないでしょうか。そんなことは、本能的に誰でも知っているので、誰でも自然に誰か特別な人を探し求め、好きになったり愛着をもつわけです。動物でも人間でも、雌雄が分れていることの意味って、個ではとうていつくりだせないようなテンションの高いエネルギーを、カップルになる過程で自然に生み出すことができる、そういうメリットがあるからだと思うんですよ。

ちょっとした努力で恋愛を自ら成就させられる人は、たぶんいっぱいいると思うんです。少しの研究不足なんだけど、それが原因でうまくいかず、また、事後反省も足りず、それが何度か重なったあげく、自分はもてないんだ、と思い込んでいる人たち。いつか書こうと思っていたんですが、いい機会ですから、ここでそういう不器用な男性向けに、一女性としてアドバイスできることを考えてみました。それはもう次の一語につきますね。

『己を知り、敵を知れば、百戦も危うからず』

もてない男って、自分というもの、自分自身の欲求というものをよく吟味していないし、相手のことも研究せず、自分の想像でしか見ていない、あるいは、自分の持っている都合のいい女性イメージを現実の相手に重ね過ぎているんじゃないかと思うんですよ。これでは百戦も危うからず、どころか、百戦百敗は間違いなし。この流れを改善するには、まず自分を知ることから始めてはどうかと。
自分は、どんな人生を生き、どんな幸福を求めようと思うのか。そういう自分の隣にいて欲しいのは、どんな女性で、その彼女に何を望み、何をしてあげようと思うのか。このへんをつきつめて考えてみる。主体性がないと、女性にいいように引きずられた挙げ句、最後には捨てられるか浮気されてしまう。
で、意中の女性が実際にいるなら、彼女の言動をよくよく観察します。
難しいことだけど、できるだけ客観的な、ニュートラルな気もちで。自分は自分の願望にあわせて、彼女の実体を無意識的に変形させてしまっているんではないかと、常に反省しながらですね。アニメやアダルトビデオのなかの女性イメージは、捨てるのが正解。そういうのはファンタジーであって、現実ではないからです。オタク的な妄想から現実の女性を切り離して見る視点がなければ、まともな恋愛は不可能です。女性は女性である以上に、生身の人間なんですよ。そんなに摩訶不思議な存在ではありません。
さて、自分を知り、相手を知れば、このふたりがフィットするかどうかぐらい、常識的な判断はくだせます。人の意見を参考にしてもいいし、自分の直感を信じてもいい。で、これはフィットすると思えば、あとは自信をもってそのことを相手に知らせていく、それだけです。このあたりで、恋愛作法やら技術的なことが重要になってくるんですけど、それはいろいろ本などでているので研究すればいいわけです。上記の事柄がしっかり行われていれば、それは枝葉末梢のことだともいえるので、どんな手でアタック開始するかは、もう楽しんでやればいいんです。

いろいろ言いましたが、そんなに難しく考えなくても、会社の面接と同じですよ。自分のことがきちんとわかっていて、相手の性格や行動パターンをちゃんと飲み込んでいれば、自分の何をどう売り込むかということも考えられますよね。やっぱり、自分のウリ(長所)は何か、それが相手にとっても魅力になるか、というのは「己を知り相手を知る」ことから始めないと駄目だし、ほんとにそのポイントさえ押さえておけば、あとは多少のミスがあっても何とかなると思います。
生まれ持った顔がどうの、手足の長さがどうの、これはほんとに関係ないですね。もてないことの言い訳にすぎません。真実もてないとしたら、原因はむしろ、自分に対する自信の欠如にあると思います。
女性は、男性が考えるほど馬鹿ではありませんし、画一的でもありません。私はテレビで「さんま」とか「そのまんま東」など見ると、馬鹿っぽい不細工な男だなぁといつも思いますが、親しみ感じられるとかなんとか言って好ましく思う女性もいるんです。ひょろひょろした男が好みだという人もいれば、ちょっとぐらい太っていたほうがいいという人も。お金持ちに惹かれる女性もいれば、自分が養ってあげてもいいと言う人もいる。精神的に大人で知的な人がいいという人もいるし、ワイルドというか少年っぽい無邪気さに惹かれてしまう人もいます。いろいろですね。それに、内面的に惹かれてしまうと、外見的なものはほとんどどうでもよくなってしまうものなんです。美しさっていうのは、新たに発見する場合もありますしね。もちろん、清潔感とかしかるべき服装を整えるということは大事で、面接に行くときぐらいの気配りは必要でしょう。が、面食いというか、顔が良くなければ好きになれないし、好きになってもらえない、そんなこと本気で考えていたら、大切なものを取り逃がして不幸になるだけです。
うちの夫は、自分の顔が不細工だと思いこんでいるようですが、私から見ると、確かに皆が認めるハンサムではないかもしれませんが、不細工ではありません。で、結婚してわかったことですが、彼、眠っているときが一番いい顔してると思うんですよね。普段はどこか「お笑い系」みたいな感じで、まぁ、愛敬はあっても、あんまり賢そうにはみえません(ゴメン(~_~;))。 ところが、なんにもわからず眠っている顔は、すごくしっかりした賢そうな顔に見えるんです。不思議ですねぇ。何はともあれ、それを発見したときには、ちょっと得したなぁと思ったことです(^^)

さて。世のもてない男性のみなさま、大勢の女性にもてないからといって嘆くには値しませんよ。ひとりの女性に心底もてれば、それでじゅうぶんではないですか。それがなければ人間として不完全とは言いませんが、人が食べて美味しいと言っているものを、自分も食べたいと思うのは自然の情です。
そして、いくつになっても、それなりにチャンスというものはある。
それでも、早々と諦めてしまうんですか?


First Love

私の初恋の話じゃありません。
何をいまさらって感じですが、宇多田ヒカルのCDの話。

レンタルで借りて聴いたんですが、売れるのわかりますね。
メロディが馴染みやすくて、適度にひねってもあり、しかも日本語がちゃんとそこにのって違和感がありません。私は雨後のタケノコみたいに出てきたJ-POPで何が嫌いだったかっていうと、小室などが好んでプロデュースする高音強調型のカワイコちゃんアイドルと、彼女らが歌う、やたら連符を多用した楽曲。日本語がちゃんとメロディにのっていなくて、まるで、お皿にのせられたご飯粒がそのままモチモチべちゃっと皿表面にこびりついているような不快感を覚えたんですよね。これをナイフとフォークで無理矢理に食べるわけですから、はた目には下品です。なんでこのコたちは、こんな粗雑な曲を楽しそうに歌えるのか、とても不思議でした。聴いていても、ぜんぜんのらないし。歌が上手いとか下手以前の問題なんです。歌っている曲自体に魅力がないというか。
でも、この宇多田ヒカルの場合、言葉がちゃんと生きたまま音符にのっている。彼女には、メロディに豊かなストーリー性を与えられる才能がある。これだったら、歌っていても楽しいだろうな、という感じがします。じつは、私もカラオケ用に覚えようと思って借りたんですよね。でも、ちゃんと聴いてみたら、今の私がこの年齢でこの歌詞を歌うのは、犯罪的なまでに恥ずかしい気もするんですけど。いかにも十六歳あたり、というリアル感があってね。残念なんですけど、そういうリアルさも好感がもてたところです。たとえば、似たような年齢の「スピード」が歌う曲の、もう絶望的なまでに空疎な歌詞とは比べものにもなりません。
流行モノには距離をおきたい私ですが、宇多田ヒカルが売れたというのは、健全な評価だと思いますね。

あと、私が強く感じたのは、音楽でも文学でもなんでもそうですが、やっぱり適度な暗さというか、「泣き」の要素は多くの人をひきつけるものなんだろうと。宇多田ヒカルの曲は、明るいのもありますけど、全体的にいえば「お日様のもとでみんなで」、という感じではないんですよ。都会的な孤独感のようなものが漂っている。歌詞もメロディラインにも、乾いた「泣き」の要素が醸し出す「ツヤ」がありますね。それをブルースというのかもしれませんけど。「Automatic」なんか、ポップスの姿を借りた演歌ですよ、もう。それを最後のボーナストラックではヘンテコなリミックスでだいなしにしてましたが。
私が個人的にこのアルバムのなかで一番気になった曲は「In My Room」ですね。う〜ん、暗いっ(~_~;)
たかだか、といっては失礼だけれど、十六歳の女の子がどうやったらこんなにクールな曲をかくことができるんでしょう。精神的に大人になる人は、子供の頃からすでに大人びているということでしょうか。それとも、十六歳だからこそ、ある種の思い込みで世界を見つめられるのか・・・
ともあれ、振り返って我が身・・・う〜む・・・「いいオンナ演じるのはまだ早すぎるかな」???


もてない男・補足編

まずは、お知らせから。
みなさん、ご存知でしたか? 日本で最初にホームページが発信されたのは1992年9月30日のことだったそうです。このたび、茨城県のサイトでそのページが永久保存される(いわば、博物館入り)ことになりました。そのWWW黎明期からそこに関わっていたのが、うちの対談にも出演していただいた筑波の針谷(はりがや)さん。「科学者とインターネット」と題して、ネットワークとの出会いなど語っていらっしゃいます(顔写真つき)ので、関心のある方は、ぜひご覧になってくださいね→http://www.ibarakiken.gr.jp/www/harigaya/

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さて、先日の「もてない男」(↑)を読んだ夫ですが、う〜んと唸りつつ、「要するにもっと、クールに、ちゅうか、戦略を持って、ってことやろ? でもなぁ、それができへんから、もてない男なんやって」というお言葉。
そうですねぇ。でも、闇雲に突進しても駄目だと思うんですよ、やっぱり。

もてないクンって、純情さと自信のなさとで、好きな女の子のまえで話すだけでも上がってしまい、それがまた自己嫌悪のもとになって、ますます自信喪失、という悪循環に陥っている人も多いと思うんです。
自分では、「今度こそ、さりげなく笑顔で話しかけよう」なんて心に誓うんだけど、いざ肝心な場面になると、わざと知らん顔してしまったり、笑顔がひきつってしまったり・・・彼女のほうは、わけがわからず、「なんなの、あの人?」と怪訝な顔。あとから自分で思い出しても不自然でカッコ悪く、穴があったら入りたい心境。で、嫌われたと思い込み(実際には、この時点では何とも思われていない、という確率のほうが高いにもかかわらず)、「あ〜、俺ってもう駄目だぁ」なんて落ち込む。こういうの、一人相撲というか、自滅パターンですよね。恥ずかしいとか自信がないって気もちも、よーくわかるんだけど、ここは悲観ばかりしてないで、もう少し勉強しなきゃ。

勉強といっても、一般的に、くだらない雑誌やなんかに面白おかしく書いてる恋愛ハウツーは、もてないクンには百害あって一利なしだと思います。まずは、真面目な人間心理から始めなくちゃ。それが基本です。
ということで、オススメの一冊は、三笠書房の知的生きかた文庫からでている「女性の心理」(國分康孝・國分久子 共著)。この著者は、姓を見てわかるとおり、ご夫婦です。男女の心理の違いなどを腹蔵なく話し合える絶好の関係。そういう強みもあってか、この本は、すごくバランスのいいつくりになっています。私個人も何年か前に、この方々による「男性の心理」というのを読みました。で、目からウロコがだいぶ落ちましたね。読めば、そうだったのか、とうなずけること請け合い。
そのうえ、論理的で実践的なつくりにもなってます。そうだったのか、と頭で理解するだけで終わらず、そこから実践してみなければ、何も始まりませんから。べつに一から十まで手取り足取りのハウツー本ではありません。人間、十人十色ですから、そんなの具体的すぎてもあまり意味がない。でも、この本の良さというのは、読んでみて納得すれば、もう自然と「じゃあこうしよう」というのを、現実の状況に即して、自分なりに考えられることなんですよ。創造力を刺激するヒントが散りばめられているわけです。今現在、好きな相手のいない人でも、この本を読めば、きっとターゲットが欲しくてウズウズしてくると思いますね(^^)


難しい? 理系研究者の結婚

先日、とある大学で数学の研究をしている男性から、いろいろ質問など綴られたメールをいただきました。久しぶりに「メールの広場」に掲載してもいいのですが、上で恋愛について書いているものの続きにもなると思うので、ご本人の了解を得て、ここで紹介させていただきます。

まず、状況を補足しておきますと、ご本人いわく、三十代半ばまでには助教授のポストと結婚相手の両方をゲットしたいという希望を持っておいでです。それまで、まだ何年かはあるわけですが、今現在、この方としてはどちらも非常に難しいのではないかと焦っておられるようです。で、理系研究者の結婚難について考えているとき、たまたま私の「聞いて」をご覧になった、とこういうわけなんですね。以下、太字の部分がメールの引用です。

〜*〜*〜*〜*〜*〜

まりねこさんは理系研究職の男性に対して、
1) 女性に対して不器用な反面、誠実で浮気をする可能性が低い
2) 研究や仕事が大好きで、少年のような発見を喜ぶ心を持ちつづけている
というイメージを持っておられるようですね。
確かに理系研究者は内部から見ても同じ様なイメージがあります。しかし、当然のことながら個人差があります。また、理系研究職の男性の中には寛大な人もそうでない人もいます。

そうですね。どこの、どんな集団でも、そのなかでは十人十色あると思います。よくよく見てみればわかるんだけど、外からちらっと見ただけではわからないんですね。しょせん、つくられていくイメージっていうのは、そういうものですから。

まりねこさんは「聞いて(6)」に「だいたい、女性というのは、気分屋で、その場のムードに流されやすいし、生理的な不快感を我慢できないところもあります。」と書いておられますが、それは困った傾向だと私は考えています。結婚は情熱と勢いだけでしていいものではなくて、お互いの人生観、結婚観などについて十分理解し合うことが大事だと思います。ですから、結婚を安易に考えてその時の気持ちだけで結婚するかどうか決めるような女性が多くなるのは決して好ましくないと思います。結婚自体を目的にしてしまって結婚に対する責任とか覚悟とかがあまり無い人が多いように思います。

これはね、たとえば偶然知り合った人とたんに付き合うかどうか、なんて場合には、ムードが大きく作用しますが、女性というのは一般的に、結婚するとなると、あれこれと計算高くなるものなんですよ。
だから、真面目に結婚相手を選ぶ場面(お見合いなど)では、一時のムードに流されたりはしません。そのあたりは、きっと男性以上にシビアな選択眼をもっていると思います。それはたぶん、結婚すると、子供を生むかとか、籍や姓をどうするとか、相手の実家との関係はどうか、などと、いろいろなプレッシャーが、女性のほうに多くのしかかってくるからだと思います。男性は仕事でいいポジションについていれば、それ以上のことはあまりうるさくいわれないけれど、女性にはやはり、いまもそういう有形無形のプレッシャーがかかる傾向があるからですね。
あまり計算づくで結婚するのはどんなものかと思うけれど、女の人生のほうが、結婚する相手に振り回されやすい以上、ある程度は、相手の性格や収入、家庭の事情もろもろについて、みきわめておきたいというのは、自然だと思います。とくに、こんな不景気で就職難の時代でしょ、ひとりでも生きにくいのに、結婚を安易に考えている女性はあまりいないと思います。もちろん、どんなことも真剣に考えないような性格の人は、論外ですが。

「聞いて!(18)」の「ノーケンカ月間」で「私たちの場合、知り合ってから恋愛期間というのがなかったですからねぇ。なんか、一種のお見合い?」とありますが、それは「お見合いの場合は恋愛感情のないなんでも話せるような良い友達になってしまっても結婚することが出来るが、自分で相手を見つける場合は恋愛関係にならなければ結婚はできない」という常識に当てはまらないということでしょうか。しかし、実際には恋愛感情なしに直接知っている人と結婚する例はそれほど珍しいことではないと思います。大学のサークルの同窓会などで、今まで結婚対象として見ていなかったかつての学生時代の友人と再会し、友情結婚に踏み切るなどということは良くあることだと思います。

う〜ん・・何が問題になってるのか、よくわかりませんが、結婚と恋愛感情についてですね、きっと。
そーですねぇ・・・夫と私はもう年齢的にも、知り合った時点から、結婚の相手としてどうか、という意識でしたから、そういう意味でいうと、純粋に、恋に落ちただの、惚れたのどうの、とは言えなかったなと。
もちろん、好ましく思うからこそつきあうんだけど、正直、この人と結婚したらどうなるか、という現実的な見通しみたいなのが先にきてましたから。「なんだかわからないけど、とにかく好き!」みたいな恋愛感情はなかったかもしれないですね。
それで、私も一時は考え込みましたよ、
「たんに結婚したら上手くいきそうだと思うから結婚するのか?」
「この人が好きだからではないのだろうか?」って・・・
でも、自分の気もちを確かめようとつきあっているうちに、情もわいてきたので、やっぱり結婚しよう、と(^^)
友情でも愛情でもいいんですが、結婚ということになると、それプラス、「この人と結婚したら上手くいきそうだ」という実際的な予感というか判断が、いちばんの決め手ではないでしょうか。

「聞いて!(13)」の「コトブキ・パーティ」のところで一つだけ分からないのは「研究者なんていうと不安定な仕事」と書いてあることです。30歳を過ぎていつまでも助手のままでいると不安定だと言うのならまだ分かりますが。大学教官任期制などということが世間で言われたために、大学教官は不安定な職だと一般女性に思われて男性研究者がますます結婚に不利な状況になっているとしたら非常に残念なことです。
バブル崩壊以後、日本の経済成長は止まって、それまで主に大企業の男性正社員が享受してきた終身雇用制や年功序列制と言った制度はだんだん崩壊しつつあり、その流れの中で一般企業の社員だけでなく大学教官も雇用の流動性が言われるようになっただけだと思います。また、これからも日本の出生率が下がり続ければ将来18歳人口がどんどん減って大学が縮小し、遠い将来に大学官が大規模なリストラにあう危険性があると言うのであれば、小中高の教師の場合でも状況は同じす。研究者の場合は一度助手のポストに就けば、コンスタントに業績をあげていれば、少なくとも研究者として何とか一生食いつないでいくことは可能だと思います。研究者が特に不安定な職業と言うことは無いと思います。まりねこさんはなぜ研究者を不安定な仕事と思ったのか、一般女性は男性大学教官を不安定な職にしか就いていないと見ているのか、まりねこさんのご意見をうかがいたいと思います。(何かまりねこさんを非難しているような文章になってしまいました。すみません)

いやいや、たぶん一般女性は、大学の先生なんていうと、すごくカタイ仕事だと思っているはずですよ。
ただ、「助手」というと、うちの夫もそうですが、私には何をしている人か、初めはわかんなかったですね。研究者とは思わなかったし、研究のお手伝い、つまり、実験装置などを用意したり、そういう雑用をする人かと勝手に想像したりしてました(~_~;)
で、研究者だと言われると、私にはどうも、作家などと同じ印象がある。つまり、自分のアタマの内容ひとつで食っていくわけでしょ。人から能がないと思われたら終わりです。競争も当然あるでしょう。でも、才能っていうのは個人に依存するもので、コンスタントに発揮できるとは限らないし、認められるにあたっては、運・不運もある。そのあたりで、たんに会社や役所でルーティーンワーク、チームワークの一端を担っているのとは少し違うわけです。同業者なら見当もつくでしょうけど、私には、自分の夫となる人が、はたしてどんな研究をやっていて、そこでコンスタントに業績をあげられる人なのかは、わからないわけで、そのことは不安でした。でも、夫にも説明されたんですが、研究といっても、いろんなやり方があるし、たとえ華々しい活躍ができなかったとしても、地道に続けていくことは可能だと。だったらまあいいや、と思ったんですけど(^^)

「聞いて(23)」の「もてない男・補足編」で「女性の心理」(國分康孝・國分久子 共著)がおすすめだと書いてありました。私の場合、別にもてる必要はなくて、自分のことを本当に気に入ってくれる人が人生でたった一人でも現れればいいし、また、私の場合は結婚生活で相手に期待するものが一般の日本人からはかなりずれていると思うのですが、それでも「女性の心理」を読めば参考になる部分もあるのでしょうか。


役に立つと思いますよ。
実はもてるもてないということが大事なのではなくて、要は、異性と、どういうふうに上手くつきあっていくか、というのが肝心な要素ですから。
私も、男の人が、宇宙人のようにわからない存在だと思っていたときがありましたが、いろいろと実際に周りの男性(父や弟などをふくめて)に、話を聞いてみたり、こんなときにはどう思うのかなどと、質問してみたりして、だんだんにわかってきたような気がします。もちろん、全部はわからないのが当然だけど、わかろうとする努力がまず、異性といい関係をつくっていく基礎になるんじゃないかと。で、それは、相手がひとりであっても複数であっても、どんな関係であっても同じなんだと思います。
また、結婚生活で相手に何を求めるかは、人それぞれ微妙に違います。かなりずれているって、どんなふうにずれているのかはわかりませんが、女性でも、かなりずれている人はいるものだし、それは組み合わせの問題じゃないでしょうか。でも、まずは一般的なこととして、女性は何を考えているのだろう、と思うところから始めてもいいと思います。

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理系の父を持ち、「理系の男たち」を書き、そのうえ何の因果か理系の夫と結婚してしまった純粋文系人間の私。なんか、ここまでくると理系の男たち的な悩みも、ひとごととは思えない心境になってきます(~_~;)
理系の人には、たとえどんなに優秀な大学を卒業していても、どんなに優秀なポストについていても、それを鼻にかけることを知らない人も多いんです。よくいえば純情なリベラリスト、悪く言えば、自分の社会的な値打ちを把握していないボンヤリさん。ほんとに真面目で、口ではなんと言おうと実際の行動は、女性に対して軽い気持ちで遊んだりできない人も多そうなので、逆に狡猾な女の子にかかるとコロリと騙されるんじゃないかと心配です。
これは私の友達(♀)が話していたんですが、とある有名国立大学の助手だったか助教授だったかが、彼女の知り合いの顔だけはカワイイ女の子にコロリとひっかかってしまった。短い付き合いののち、婚約したはいいけど、遊び好きで派手好みの彼女にさんざん振り回されるはめに。周囲もあきれて忠告する有り様でしたが、それでも考え直さずに結婚してしまいました。もちろん、結婚したって、妻の浪費癖と遊び好きがおさまるわけはありません。妻のほうが、もう夫をナメきっているからですね。

まぁ、どんな結婚でも、本人が納得していればそれでいいともいえるし、本人に人間を見る目がないなら、泣きを見たって自業自得だともいえます。 が、だいたいにして、自己評価が高すぎる、または低すぎる人は、異性選びに失敗する率が高いようです。プライドが高すぎれば誰も寄りつかないし、低すぎれば他人の食い物にされる。
メールをくださった数学研究者の方が最後に、

日本で男性の自然科学者がたくさん結婚できなくて困っていると言う事実は、ある程度いろんなところで知られているようです。それで<http://www.os.xaxon.ne.jp/~scienprt/">Scientists Promotion Times>のようないかがわしいページが登場するのだと思います。

と書いていらっしゃいましたので見てみましたが、このホームページは、いわゆる理系研究者専門にお見合い情報誌を売りつけることを目的としたページです。私は非常にいかがわしいと思いましたし、うちの夫も、「まさか、こんなのには誰もひっかからんやろ」と言うのですが・・・

若き理系研究者のみなさん、たとえこれまで女性と交際した経験が豊富でなくとも、たとえ結婚が少々遅くなっても、そのことであまり自己評価を下げてしまっては、自分で墓穴を掘ることになりかねません。今はどんな業界でも、結婚が遅くなる傾向にあるんだし、あまり心配しすぎることなく、でもアンテナは常に張り巡らせておく、そうしておけば、いずれ縁があるさ、ぐらいに構えているほうが精神衛生上もよろしいのではないでしょうか?


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