ごみ問題

なまじスペースがあると、それを埋めるかのように、次から次へとモノが増えていきます。
古くなって、もういらないモノでも、まぁいいかと押し入れの空きスペースに突っ込んでおく。普段は意識しないそんな場所から、いざ引越しなんていう段になると、出てくるわ出てくるわ、ごみの山。
よくある話ですよね。
うちの場合も、私といい夫といい、ぐうたらな性格なので、今回の引越しに伴って出さねばならなかったごみの量は、けっこうたいしたものでした(~_~;) 彼は彼で、この際だからと不要品や古着などを処分し、私は私で、やっぱりそうしなければ、マンションに二人分の荷物が入りきらない。

ごみが増えたことの背景には、モノの性能や素材が良くなって、長持ちするようになってきたことがあるかもしれません。服なんか、何回洗ってもよほどのことがないと、擦り切れたりしないでしょ。安物ほど、そうなんじゃないかしら。高価なシルクのシャツやカシミアのセーターはデリケートで、その風合いが損なわれやすいけど、木綿のパジャマなんか、しょっちゅう着て洗濯しているのに、数年たってもまだちゃんと着られる。でも、その間、あれこれと可愛いパジャマが新たに欲しくなって買ってしまう、こういうのの積み重ねが結局、タンスを占領してしまうんですよね。
自分のずぼらさは棚に上げて言うんですが、今の時代って、モノがいっぱいありすぎませんか?
電化製品でも、洋服でも、こんなにいっぱいの種類があると、かえって混乱しませんか。そりゃ、いろいろ選べるにこしたことはないけれど、人間に比較できる限度を超えて、モノがありすぎるような気がします。なんていうか、実際の自然な物欲を、人為的に拡大されているような感じなんですね。

以前、ある男性が言っていたんですが、電車の吊り広告などで、女性の水着姿があったり、いかにも扇情的な文句が並んでいるものがあって、見ると不愉快になるのだそうです。彼はフェミニストでもなんでもなくて、「そんな公共の空間(電車内)で、そんなもの見せられて、どうか思ったとしても、どうしようもない。まるで、自分の自然な欲求ではなくて、なにか作為的に欲求を持たされているみたいで腹が立つし、そういうのを利用している広告に嫌気がさす」とのことでした。私は、はあはあなるほど、と面白く思いました。
確かに、男性にとって、そういう性的な感情で気を引く広告は多くて、おじさん雑誌やおじさんスポーツ新聞などでは、そんな記事もウリのひとつですよね。でも、それを喜んでいる男性ばかりではなくて、こういう繊細な感受性をもつ人もいるわけです。それを思えば、昨今の性的広告の氾濫は、女性の性をモノ視しているとかいう問題でなく、むしろ、男性の生理を搾取の対象としている、といえるのかもしれません。

さて、いま、NHKスペシャルでは、シリーズで「世紀を超えて」というのを放映しています。
もう数回目になりますから、見ている方もきっと多いでしょう。「豊かさの限界」とサブタイトルがつき、毎回のテーマとして、食料や化学物質、環境汚染など、さまざまな問題を扱っています。この間の日曜は、二酸化炭素排出規制や地球温暖化についてでした。
うちの配偶者は「お涙頂戴のやらせ」と鼻で笑うけれど、私、じつはこの番組のテーマ曲が好きなんですよね〜。画面に青い地球がぽっかり浮かんで、あのテーマ曲が流れるだけで、妙に感動できてしまうのは私だけ?
ほらほら、宇宙戦艦ヤマトで、確か、敵の惑星を破壊してしまったとき、廃虚と化した星を眺めながら、紅一点のヒロイン森 雪が、「私たち、なんということをしてしまったの?」と泣くシーンがあったでしょ? この番組の作りって、あれを思い出すんですよねぇ〜。世代の違う方は、知らないでしょうけれども(~_~;)
いつも、アメリカが批判の対象になっているのも興味深い。シロウトが見ると、アメリカって、なんちゅうひどい国やねん、と思う仕掛けになっています。まぁ、環境破壊者の筆頭にあげられている感じです。
今度の日曜(3/28)は「ごみ問題」がテーマとか。ごみに対する意識が変わるかしら?
なんだかんだともっともらしいことを言いつつも、「チッ、分別収集なんか面倒くさい」と密かに思っている私を、夫は「エセ社会派」などとののしるんですよ。そのたびに己の意識の低さを恥じて(?)はいたけれど、なぁに、私のワガママなんか、アメリカのワガママにくらべたら可愛いモンやないのと、この番組を見て胸をなでおろす今日このごろだったのですが・・・さて、次回の内容やいかに?ですね(^^)
分別収集に疲れたみなさんも、ご覧になってみては?


恐るべきマンガたち

本棚を整理していると、昔読んだマンガなどが出てきます。私は、文庫本はよほど気に入ったものしか手元におかないくせに、マンガの単行本は高校時代からのものがまだずっと置いてあります。まぁ、さほど冊数はないですが、なんか捨てられないんですね。図書館に行けば、名作小説や話題の新刊はあるけど、マンガは置いてない、ということもある。
で、整理しながら読み出すと、これがまたやめられないんです。べつに、とりたててマンガ好きではないのにやめられない、もうちょっと読んでから、などとページをめくっているといつのまにか日が暮れている。じつにマンガというのはあなどれないと思いますね。作品によっては、恐るべきパワーがあります。

ビジュアル面でもストーリー性でも気に入っているのが、「日出処の天子」の頃の山岸涼子。
コマ割りや人物の表情、衣服の質感、背景の処理など、すみずみにまで神経が行き届いていて、思わず「う〜ん、この人やるなぁ!」と机を叩いてしまう(~_~;) ストーリーの展開も、繊細な心理描写でつないであって、私好みなんです。
「エロイカより愛をこめて」の青池保子は、絵柄は好きではないけれど、不思議なリアリティがあって、作中世界がもう揺るぎなく自立している。舞台としてヨーロッパの都市が出てくることがほとんどですが、竹宮恵子や萩尾望都などが描く「夢のヨーロッパ」とはまた違うリアル感があります。女性作家が手を抜きがちなメカ類や建築物がよく描けているからかもしれません。恋あり笑いあり活劇ありで、ハリウッド映画的な飽きない筋立ても魅力。
あと、唯一もっている少年マンガといえば、江口寿史の「ストップ!ひばりくん」で、当時としてはなかなか絵柄がおしゃれ、女装した美少年のギャグマンガというのも面白い設定だったと思います。
そうそう、それより以前の、私が小・中学生の頃、まわりで流行っていた恐怖マンガはこわかったですねぇ。
買った覚えはないので、誰かに借りて読んだんだと思いますが、楳図かずおの「漂流教室」や「洗礼」、つのだじろうの「恐怖新聞」、「うしろの百太郎」などなど。何が怖いって、もうズバリ、絵がコワイ。ページをめくるといきなりショッキングなシーンが目に飛び込んで来たりする、さあ、それからは、そのページが怖くて本が開けられない(~_~;)

怖さにもいろいろあるけれど、何に一番恐怖を感じるかというのは、人によって違うように思います。私の場合、ビジュアルな怖さというのが脳髄に刷り込まれやすいんですね。だから、ビデオや映画でも、スプラッタ・ホラーなんか見ない。怖いシーンが網膜に焼き付いて、なかなか忘れられなくなるからです。恐竜やエイリアン系映画の真に迫ったポスターやコマーシャルも怖いので見たくない。その点、活字はあまり怖くないんですね。怪物ホラーでも、活字でいろいろと怪物の形態を読むのと、それを映画やマンガのシーンとして見るのでは、ショックを受ける度合いがまったく違う。
少年マンガには、よくケンカや戦闘などのシーンが出て来て、血みどろの残酷描写があったりしますよね。私が男の子の親になったとしたら、あんなの絶対に読ませたくないと思うんですが、当人はわりと平気なのでしょうか。電車の中で隣に座った中学生ぐらいの男の子が、そういうのを読んでいたことがあって、「なんとも思わないのかなぁ」などと眉をひそめたこともありますが。もう、とにかく血がだらだらで、見ているこっちが貧血起こしそうになる。
じつは、夫の持ち物のなかに、永井豪の「デビルマン」があって、読んだんですが、いやぁ、びっくりしました。私は子供の頃、テレビで見た「デビルマン」が好きだったんですが、原作は雰囲気ぜんぜん違うんです。まぁ、ストーリー的な面白味はともかく、絵的には、首はもげ腕はちぎれの世界ですからね。残酷なことこのうえない。日頃、自分で温厚な人間を自負しているくせに、よくこんなの買うなぁと思いますが、聞いてみると、マンガの絵はけっきょく虚構だから、怪物や乱闘の血しぶきシーンを見ても、まったくリアル感がないというんですね。それより、たとえば、小説など読む場合、状況設定自体に怖さを感じることがあるそうです。明かりもない洞窟に閉じ込められて迷うとか、人殺しをして焦るとか・・・これは、目で見た直接的恐怖でなく、想像する恐怖でしょうか。


花の季節に

ふと気づくと、いつのまにか桜が咲いています。
うちの近所には桜の木が多くて、ほんと、20メートルおきぐらいに桜並木がある感じ。青空をバックにうっすらと桃色に霞んで・・・いいですねぇ、春は(^^)

この花の季節に、立ち止まって物言わぬ植物たちをじっくり眺めてみたことがありますか?
白木蓮に黄色いレンギョウ、紫すみれもマーガレットも、毎年咲くのに見飽きることがありません。遠目に見れば、全体の調和がとれた美しさに、そばで見れば、その繊細で精巧な美に心うたれます。
花のほうは、なにか目的があって、その美を競っているのでしょうか。受粉を媒介する昆虫を引き寄せるために、植物の花びらが大きく色鮮やかになった、などというまことしやかな説があったように思いますが、どうも心情的に受け入れ難いですね。それにしては美しすぎる、不必要に美しすぎるんです。いや、そもそもなぜそれが私たちにとって、美しくあらねばならないのでしょう?
こういう美意識は、人間だけが持っているものなのでしょうか。
雄の孔雀の尾羽は、もっぱら雌の気を引くために使われるそうですが、人間もまた、その美しさに心を引かれるのはなぜでしょう。
澄みわたった海の青さに感動できるのは、人間だけ? かもめは何とも思わないのでしょうか?
またたく星をつないで神話をつくるのは人間だけ? ふくろうは夜空など見上げないのでしょうか?
なぜ?
どうして人間は、人間以外のものに美しさを感じとる心を持っているのでしょうか。
それが、必要だからでしょうか。

一部の科学者は、地球がこんなにも生命に都合よくできていることはなぜかという疑問に対し、「進化の頂点たる人間を生み、生かすため」であると考えているとか。
大気の成分や温度がわずかでも狂えば、もう少し太陽に近い、または遠ければ、地球とて生命のない星になっていたかもしれません。宇宙の果てしない大きさに比べ、地球と同様に生命あふれる星が存在することの可能性は、なんと小さいのでしょう。調べれば調べるほど、見えざる神の手が働いているように思えても、不思議ではありません。
キリスト教では、神があらゆる生き物を造り、それらをすべて治めていく存在として、神の似姿である人間を造ったとされています。こういう精神的バックボーンがあれば、「宇宙自身を理解する能力をもった人間を生み、生かすため」という人間至上主義の考えも、比較的納得しやすいのかもしれませんが、まぁ、それではまだ何もわかっていないというのに等しいことには違いありません。

桜の枝では、花の間を小さな蜂が羽音をたてながら飛びかっています。
見られていることを知ってか知らずか、けれども蜂は自分の仕事だけに専念している様子。やがて花を落とし、五月には緑の葉を広げて、涼しい木陰をつくる桜。夏が来て、秋が来て・・・
それは毎年繰り返されていること、桜自身は何を期待することもなく、誰の賞賛もありがたがらず、台風に枝を折られても、虫に葉を食われても、ただ、淡々とそこで生きているように見える。それなのに、私たちは一方的にその姿に何かを期待し、何かを求め、何かを重ねあわせてみるんですね。
雨上がりの虹にはしゃぐのは人間だけ。
花が散るのを見て惜しむのは人間だけ。
なぜ?
それが、必要だからでしょうか。


ノーケンカ月間

もう四月になりました。
環境が変わって入学・入社式などあった方は、これからゴールデンウィークまでの一ヶ月、なんとなく慌ただしいような、気疲れするような気持ちで過ごしてしまうのではないでしょうか。

私も結婚を機に生活が変わったとはいえ、子供もなくマイペースでやっていますので、まあまあ気楽なモンです。恋愛気分も抜け、お互いに慣れてきて、というより・・・う〜ん、私たちの場合、知り合ってから恋愛期間というのがなかったですからねぇ。なんか、一種のお見合い? はじめっから(年齢のせいもあるでしょうけど)結婚という言葉がちらついていたので、ものの見方が、「この人は私をどう思っているのかしら?」なんてウダウダしたものでなく、もう早い時点から「この人と結婚したらどうなるのだろう?」という観点になってしまっていたんです。
とうぜん、付き合いのなかでいろんなことについて話し合いもしました。お互いに意見を出して、すれ違いが問題になる部分は調整していくわけですが、私たち、二人ともけっこう口が達者、しかも「こリクツ言い」なもんで、もうくたくたになるまでメールやら電話で話しました。
私はわりと激しやすいうえに、ここぞと自分の意見を通すためには何でもやるタイプ。理詰めで駄目なら泣き落とし、それでも駄目なら脅迫と、手を替え品を替え絶対諦めない(~_~;)
ところが彼もなかなかどうして! たいていの男の人なら、ここまでやられると匙を投げるか、逆ギレして感情的に怒ってしまうだろうなと思う場面でも、まだしつこく食い下がって議論しつづけるんです。なんでやねんと呆れもしましたが、正直、「ふうん、この人、男にしては珍しく根性あるやないの」とも思いました(^^)

これ、私の偏見かもしれませんが、男の人って、口喧嘩は下手な人が多いですよね。個人性から離れた客観的あるいは抽象的な議論ならできても、自分自身の感情とか考えを言い表すのは、女性のほうがずっと長けているように思います。女性というのはもう小学生の頃から、友達相手にそんなオシャベリばっかりやっているので慣れているんですね。一方、その頃、男の子はというと、ウォーとか吠えながらお互いにつかみあったり、プロレスの技をかけあったりしているわけです(-_-;) だから、言い争う相手が女性となると、男性はそのままでは勝てっこないので、言い争っているそのこと自体が嫌になってしまい、むっつり黙り込むかキレてしまう。このあたりに、ドメスティック・バイオレンス(夫・恋人からの暴力)の原因があると見ている心理学者もいます。
ついでに言うと、私は「言わずとも察する」という日本人的な慣習を、あまり重要視していません。人間、わざわざ言葉で説明しても、なにかと誤解は生じるのに、それもしないとなると、いくらでも話はややこしくなってしまうからです。ヒロインと王子様がお互いにすれ違わないとお話にならないテレビドラマならそれでもいいけれど、日常生活を一緒にやっていくということを考えると、自分の考えや気もちをちゃんと言葉にしない(したがらない)人は、幼稚か横着な人に見えてしまいます。

さて、わが配偶者はその点、口の回ることとその強引さときたら、プロのセールスマン並みかも??
私の場合、激すると高飛車に言い切る形になりがちなのに対して、彼は、「奥さん、ちょっと、ちょっとでええから話だけ聞いてぇな」などといいながら、玄関のドアの隙間に靴の先をググッと突っ込んでくるやり方です。そうしておいて、まくしたてるやらなだめすかすやら、一歩後退、二歩前進、といった具合に、じわじわ粘り強く主張を通していく。私はときどき、この人なら、科学者やめても布団やなんかの訪問販売で食っていけるんじゃないか、と思うことがあります(~_~;)
じつに頼もしいというべきか、なんというべきか・・・

そんな私たちがいったんケンカを始めると、もう大変。よくよく考えれば、いつも原因になるのはべつに深刻な問題でもないのに、普通のカップルの倍くらい消耗するんです(~_~;)
このごろはお互いにそれを認めているので、もうしょうもないことでケンカするのは金輪際やめようと言い合っている。で、彼の提案で、今月は「ノーケンカ月間」と決めました。ノーマイカーデーとかあるでしょ?あのノリで。
じつはこの四日から旅行にいくんですよね〜♪
新婚旅行ってことで。行き先はベルリンとかウィーン、プラハなど、中欧のほうですが、せっかく海外へ出かけるのに、ケンカしていてはつまらない。彼もケチなので、払ったお金ぶんは楽しまなきゃソン、などと思うわけです(~_~;)
さてさて、決めたとおりにいくかどうか。
ま、もっぱら私が短気を起こさなければそれで済む話だという噂もありますが・・・(-_-;)
でも、結婚してしばらく間をおいてから、ゆっくり新婚旅行にでかける、というのは、欧米ではよくあることだそうですが、なかなかいいやり方ですね。結婚式や披露宴などで疲れたまま慣れない土地へ行けば、やっぱり緊張とか疲れがたまってお互いイライラもしますよ。成田離婚、なんて言葉もありますが、ちょっと間をおいてから旅行にでれば、随分そんなのも減るんじゃないでしょうか。


贅沢はいかが?

商品券をもらったので、久しぶりに本格的にデパートをうろうろしてみました。これと思う階は全部見て回ったので、疲れのあまりアタマがくらくらしてしまいました。

いつもならあんまり目的もなくぶらっと行って、もし気に入ったものがあれば買う、という感じですが、今回は商品券があるので、初めから「何か買うぞ!」という意気込みで行っている。
でも、正直、今のところ、あんまりこれといって欲しいものってないんですよね。売り場を回っていたら、瞬間的に「あっこれ欲しい」などと思うものもあるんですが、立ち止まって考えてみると、みんな、究極的にはいらないもの、不必要なものなんですよね。買ってもいいんだけど、すぐに飽きてしまって、あとは机のうえがごちゃごちゃするだけだったり、タンスの引き出しがぱんぱんになるだけみたいな気がするんです。

しかし、このごろ物価が安くなったような気がしていたけれど、デパートのなかはやっぱりまだ高いですね。まったく同じ商品でも、スーパーとデパートでは価格が数パーセント違っていたりする。この不景気にこんな強気はいったいどこから、と訝りながら寝具用品売り場を歩いていると、パジャマやハウスウェアなどが綺麗にディスプレイされているコーナーがありました。何気なくハンガーにかかっているネグリジェを見たら、なんと二万円!
べつに、世の中広いんだし、二万円のネグリジェがあったっていいんですが、それがそうは見えないしろものなので、びっくりしてしまったんです。なるほど生地はイタリア製だとか書いてあるんだけど、それにしたってただの綿素材だし、縫製がとくに丁寧だということもない。デザインにしてもどこといってしゃれたところも凝ったところもなく、たんにTシャツの裾を引き伸ばしたような、あんなぺらっとした既製品のネグリジェが二万円?
う〜ん、と首を振ってその場を立ち去ろうとしていたら、五十代前半ぐらいの派手めなマダム三人連れがこちらへやってきて、「あら。これ、いいわね」。みると、彼女らが手にしているのはさっきのネグリジェ。・・・こういう人たちが、この価格を支えているのかと思った次第です。

やっぱり、高級品には高級品らしくして欲しい。素材が良いとか手のかかったつくりだとか、それなりの高級感があって、それが価格と釣り合っていたらいいんですけど、あのネグリジェは明らかに人を馬鹿にしているとしか思えませんでした。でも、そういうものって、よくあるんですよね。
バブル全盛の頃、私も人並みに海外ブランドのバッグとか買ってみました。高いんだけど、モノがいいっていうし。でも、はっきりいって、それより安い国産のものと比べ、とりたてて長持ちするとかいうことはないんですね。いろんな効用がうたわれている高級化粧品なども、効果があるのかないのか、使ってもやっぱりはっきりわからない。襟元にブランドネームがついているだけで値段が高くなる、見たところは「普通の」セーター。素材がいいんだってことに一応なっているけど、ほんとに買って着てみたら、その三分の一ぐらいの値段のセーターと着心地の点ではまったくかわらない。こんなの、ほんとはみんな知ってるんじゃないかしら。ああいうのは、高級そうなイメージにお金を払うということなんでしょうね。
お金がたくさんあってほかに使い道がなければ、そうやって消費してもいいんだけど、たとえば40uそこそこのアパートに住んでるのに服や持ち物だけが高級品とか、そういうのって私は嫌ですね。ワンルームマンションで夜食にカップラーメン食べたりしてるのに、出かけるときだけ何十万もするスーツ、そんなの、なんかヘン。まぁ、人の価値観はそれぞれだけど、私は生活全体のレベルが釣り合っているほうがいいんじゃないかと思います。だって、一点豪華主義みたいなのは、嘘くさくて疲れませんか。

私はこのごろ、贅沢って、もっと気もちのいいことだと思うんですよね。
名より実をとって、五感で味わう贅沢です。
例をあげると、私はシルク製品が好きですが、デパートで買うとまだまだ高い。そこで、中国や香港へ行く機会があると必ず買ってきます。パジャマやインナーなど、じかに素肌に触れるものがいいですね。そういうもののほうが価格も安いし、手洗いもできるし、飾り物にせず普段着にしてしまうことで、コットンとは違うなめらかな肌ざわりが堪能できます。また、しっかりした厚手の生地を買ってきて、それをクッションカバーに仕立てたりすると、独特の光沢も楽しめる。見て、さわって、う〜ん、贅沢贅沢、と一人で悦に入っています(^^)
あと、最近の満足、なるほどこれは贅沢だと思ったのは、手作り石鹸。
近くに障害者施設があるんですが、このまえ、市の催しがあって、そこがバザーに参加していたんです。布製バッグや小物入れなど、いろいろ手作りの品を並べて売っていたんですが、香り製品好きの私は、ハーブ入り石鹸を買ってみました。四角い普通の石鹸が二個で六百円ほどしたんですが、これ、使ってみたら実にいいんですよねぇ。香料も防腐剤も無添加、かすかにほんもののハーブの香りがして、泡立ちがものすごくきめ細かいんです。もう、感触がズバリ「いいもの」だと、うなずけるレベルなんですよね。合成香料がいっぱい入って、バスルームじゅうがその香りに満たされるようなパフュームソープなどとは、まったく違う贅沢さなんです。そういうものに鈍感なうちの配偶者でも、一度使うなり「これいいやん」と言っていたぐらいなので、誰が使っても納得できるんじゃないでしょうか。
イメージ商品にお金をあまりかけないで、そのぶん日常的な暮らしのレベルを全体にちょっとだけ上げてみる。これって、正統的な贅沢だと思います。


帰国しました

13日間の旅行を終えて、無事に帰国しました♪
いや〜、やっぱりヨーロッパはまだ遠いですねぇ。飛行機の狭いエコノミー席に10時間以上も座っていると、さすがに疲れます。オランダ航空(KLM)利用のアムステルダム経由だったもので、そのぶんトランジットの時間もいれると、直行便に比べて数時間は違いますし。帰国の便はなぜか予定より二時間も遅れるというアクシデントもありました。そのうえ、関空に帰ってきた時点で、私たちのスーツケースが一個、待てども待てども出てこない。けっきょく、間違ってフランクフルトのほうに運ばれてしまったことがわかり、それを送ってもらう手続きやらなんやらで、またしても足止め。よく聞く話ですが、私にとってはこんなこと初めて。あるんですねぇ、ほんとに。今回の場合、旅行の終わりということで、まだましだったんですけど、行きの便で紛失されると、旅行中すごく不便な思いをしなきゃいけませんよね。これからは、最初の一日分の着替えやその他は、手荷物で用意していったほうがベターだと思いました。

まぁ、いろいろありましたが、全体にみるといい旅行でした。
個人旅行に比べて自由が少ないツアーですが、体調も崩さず、お天気にもまあまあ恵まれたほうだと思います。また、別コーナーを設けて(仮称:「東欧見聞録」)、あれこれ綴ってみたいと思いますので、読んでみてくださいね。
あ。そうそう。例の「ノーケンカ月間」の誓いですが、早くも旅行一日目にしてきれいさっぱり忘れ去られてしまい、結果として目標は達成されませんでした(~_~;)


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