日曜お料理教室から

早いもので、ホームページを始めてから半年以上が過ぎました。初めは自分の書いた小説を発表する場に、などともくろんでいたけれど、実際には、この「聞いて!」コーナーのほうに最もウェイトがおかれている。
思ったことを書くのは文章修行にもってこいだし、定期的にチェックしてくださる人も(細々と)何人かいらっしゃるようで、励みになっています。
もとより暇人なので、つれづれなるままに書くネタはいくらでも思いつくんですが、でも最近になって、「何を書いたらより面白くなるか」というのは、もっと考えなくちゃと思うようになりました。「できた、やったぁ、嬉しいな」の自己満足から、「読む人を楽しませる」ということも眼中に入れなきゃいけないと。なんでも進歩がなきゃね(^^) ま、少しずつですが。
ひとりで書いていると、それを読んだ人がどう思ったか、というのはなかなかわからないもの。感想メール、どんなものでも気軽に送ってくださるとありがたいです。
宛先はこちらまで → marineko@private.email.ne.jp

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さて、ここからがタイトルの内容です。今回も、またまた家庭内ネタ(~_~;)

うちの同居人は、料理ができません。
一人暮らしをしているときは、食事は外食やコンビニ弁当ですませていたようです。まぁ、一人ぶんだけ自炊するなんて、面倒だし不経済でもあるから、それはそれで仕方なかったのですが、多くの男性たち同様に、彼も料理のイロハをまったく知らないんです。普段は私が買い物から食事の支度までしていますが、この先、一緒に暮らしていて、もしも私が病気で寝込んだりしたらいったいどうなるでしょう。べつに、一時的にならコンビニ弁当でも冷凍・レトルト食品でもかまわないのですが、買ってきたものに少し手を加えることができれば、味や栄養のバランスがずっとよくなりますよね。なにごとも、知は力です。食は生活の基本なので、よりよく食べることを知っているにこしたことはありません。知識があって、しようと思えばできるけれどしない、というのと、ぜんぜん知らないのでどうしていいかわからない、というのとでは違いますよね。
そこで、日曜など、暇のあるときはたまに二人でお料理教室ごっこをしています。もちろん先生は私。彼は生徒です。二人ともエプロンをつけて、NHK番組「きょうの料理」のテーマ曲を口ずさみながら、
「はい、それではこの洗ったじゃがいもをむいて、一口大に切りましょう」
「あの〜、先生、このじゃがいものの芽というのは、とらなければ駄目なんでしょうか」
などとやっているわけです(~_~;)

同居人の美点のひとつは、好奇心旺盛で、なんでも楽しんでやってみようとするところ。手先は器用だからまかせて、などと言いながら、嬉々としてじゃがいもの皮をむいている。
シチューやサラダなどの簡単なメニューは、つくってみると自分にも案外おいしくできるので、御満悦の様子。まぁ、それもそのはず、だいたい私自身があまり凝った料理をしない「先生」なので、どうにも難しいことを教えようがない。ときどき、普通の家庭の主婦って、いったいどんな料理をしてるんだろうなぁって思うことがあります。私より手をかけているのか、抜いているのか???

たとえば味噌汁。
家庭科の調理実習では、カツオ節や煮干しなどをお湯に直接入れてダシをとると習いましたが、私はカツオ節などの材料があらかじめティーバッグ状になっているものをつかっています。これだと簡単で、捨てやすい。顆粒状のダシの素もありすが、あれは化学調味料が入っていそうだし、味の面でもいまいち。さらに、このごろはダシ入り味噌というのがあって、味噌のなかにすでにダシが入っているので、それをお湯に溶くだけで味噌汁ができる。これもなんだかねー。美味しくなさそうで、使ってません。
最近のお料理って、手を抜こうと思ったら、とことん手抜きできるんですよ。でもって、手抜きしたほうが安上がりだったりする。カツオ節と味噌を分けて買うより、ダシ入り味噌を買うほうが安い。私はダシ入り味噌にはなんとなく抵抗感があるけれど、どんどん新製品が出ているのできっと平気な人も多いはずです。それに、かく言う私も、グラタンやドリアに使うホワイトソースは手作りしないで、ハインツなどからでている缶詰を使っています。めんどくささの度合いの問題ですが、カツオでダシをとるより、ホワイトソースを作るほうが面倒に思える。

手抜きをして市販のソースなどを使うことに罪悪感めいた気もちを感じるのは、たぶん化学調味料など安全性への不信感からきているんだと思います。化学調味料や香料は、それで味を誤魔化すために使われていますから、ほんとは美味しくない食材でも、美味しく見せかけることができる。ほんとうの旨み、美味しさは、ホンモノにかなわないけれど、コストを下げて、価格を安定させることができる。でも、毎日食べて身体に蓄積されていくと、アレルギーやガンなどの原因にならないんでしょうか。
市販のソース類や冷凍・レトルト食品には、価格が安くなるほどたいてい添加物が多くて、今やそういうものを買う主婦=家族の健康に無頓着な味オンチ主婦、ということになってしまう。スーパーのレジに並んで、前の女性のカゴを見て、安物の冷凍食品や缶詰ばかりだと、やっぱり私も、「この人の食生活、貧しいなぁ」と思うでしょう。でも、便利な市販品をみんな排除することなんて、とてもじゃないけど誰にもできないですね。パンも、マヨネーズも、チーズやケーキも、自分でつくりますか?たとえつくったとしても、そもそもそれらの原料として使う輸入小麦やタマゴなどが何の汚染もされていない健康食材だといいきれるでしょうか。結局、そのあたりはみなさん、諦めざるをえないでしょ。あとは料理の腕前や経済事情に合わせて、フレキシブルにやっているんじゃないでしょうか。

うちの母が子供のころは、畑で大豆を育てて、それで自家製味噌をつくっていたということです。お豆腐も醤油もそうやって家庭でつくる、それが当たり前だったそうです。そんな時代と比較すれば、どんな味噌を買おうと、もはや買うことそれ自体が手抜きのはじまりです。手抜きというとラクしてサボるようなイメージがありますが、手を抜けるところは抜いて、ほかのことに時間を費やせば、それだけ人生も面白くなると私は思います。母の子供時代は、味噌も醤油も手作りのホンモノだったけれど、そのかわり一日中、食べることのために何かしら仕事をしていなきゃならなかったそうですから。
要するに手を抜いてラクして、しかもそれが美味しくて安全なら、みんな一番ハッピーなんですよ。
思えば私が小学生のとき、夏休みに母の里に行ったら、真っ赤に熟れたトマトを畑からもいできて食べさせてくれたりしましたが、味が濃くてとても美味しかった! あれこそがホンモノ、究極のトマトです。ああいうものを食べることは、現代の都会暮らしではものすごい贅沢なんですよね。何が贅沢って、ブランド服を着るより、日々たべるものをホンモノにするほうが、ずっと難しいわけです。もし私が大金持ちなら、水や土壌のきれいなところに田畑をもって、人を使ってオーダーメイドの食材をつくってもらうんですが。きっとオカネのある人は、やっているんでしょうね。それでいて、味噌汁とメザシの朝食、などと清貧ぶっているのではないかしら?
う〜ん、それって究極のスノッブ。


まりねこ、入籍す。

ついに、というか、とうとう籍を入れてしまいました。まぁ、大安吉日ということで(^^)
ひゃ〜、これで私も正式に人妻なのねっ(~o~)
今朝、市役所に行くまえにした、もう今は夫となったヒトとの会話。
「なぁ・・・(しみじみ)いよいよ私ら夫婦になるんやねぇ。もう後戻りできへんねんよ」
「何ゆうてんねんな、もうとっくの昔に後戻りきかんようになってるやないか。これで『やぁめた』とか言うてみ、もらったお祝いは倍返しぐらいにせんとあかんし、ほうぼうにアタマ下げて回らんとあかんし、えらいこっちゃで」
「そやね。親だって、あんなに喜んでるんやし」
「親戚中にも、写真とかばらまかれてるし」
「私らが結婚することで、みぃんなまるくおさまるんやね♪」
「(きっぱり)そうや。だから、結婚せないかんねん。後戻りなんかでけへんねん」
などと言いつつ、いそいそ身支度を整える二人でした(~_~;)

どうしても、籍を入れると、名前や本籍が変わるなど面倒なことも出てきます。でも、それが覚悟を決める機会になるというか、観念するきっかけになるというか、そういう作用をすることも確か。結婚という制度にいろいろギモンはあると思いますが、なんにもないより、あったほうが気もちがシマってくるというのも一理。とくに、私たちの場合、結納や結婚式もしないですませたもので、これが公的なけじめみたいなモンでしょうか。
このごろ、全体的に結婚の時期が遅くなって、なかには「もう結婚には関心がない」という人もいるとか。それ、ホンネなのかな? でも、私はやってみればいいのにと思います。一個の他人と全面的に深く関わって生きる、ということのわずらわしさは、暮らすうちにいろんなかたちで浮かんできますが、それを乗り越えてお互いに何かを理解しあえる喜びは、どんなものにも代え難い幸福の実感を与えてくれます。
「一生、この人と」、そんなふうにきりきり思い込むと、なんだか重苦しい。もっといい人、もっと条件のいい結婚があるんじゃないか、なんて思いが頭をかすめるかもしれません。でも、二人で行けるところまで行こう、という感じだといいんじゃないか、みんながそんなふうに思えば、結婚へのためらいはずいぶん軽減するんじゃないかしら? 実際、誰かと結婚したことで、もう一生が決まってしまうほど、人生はカンタンではないですよね(~_~)

あ、そうそう、これを読んでいる女性のみなさん、理系の男はけっこうおすすめですよ(^^)
つきあっているときは、多少ムードが足りないところがあったり、現実的すぎるように思えたり、あまりおしゃれじゃないとか、まぁ、はっきりいって小汚いとか、高級レストランに行くと内心びびっているのがわかるとか、いろいろ思うかもしれません。が、実生活になると、がぜんその良さを発揮してくれるんです。わけのわからない機械類の修繕は嬉々としてやってくれるし、家事を手抜きしても「そのほうが合理的」という魔法の一語でナットクしているし、女性の扱いに長けていないので浮気はできそうにもないし、確率的に負けるようにできている賭け事はしないだろうし、パートナーとしてはイチオシですね(^^)
いかがなものでしょう?


純情の功罪

女性雑誌などでは、よく恋愛のハウツーに関した特集が組まれていて、なるほどとうなずいてしまうようなもっともらしいことも書かれています。そんなの見ていたら、もう誰だって恋愛の達人になって、ドラマの主人公みたいにわくわくうきうきしながら日々を暮らせそうなものですが、どうなんでしょう。 世の中そんなに上手くはいかないみたい??

私の乏しい経験と、周囲の事情を参考に考えてみると、どうも恋愛の内容というのは、そもそも相手選びの段階で八割ぐらいきまってしまうんじゃないでしょうか?
細部の記憶があやふやで申し訳ないのですが、たしか中国の昔話に、こういうのがあります。
『・・・ある寒い日、ひとりの男が畑のあぜ道で凍えている蛇をみつけました。可哀相に思い、彼はぐったりと動かない蛇を懐に入れて温めてやります。しばらくすると、蛇が元気を取り戻したのでしょう、男の懐のなかで、もぞもぞ動き始めました。男は、自分が蛇を助けてやったのだと気をよくしながら、もっと元気になれと、なおも蛇を懐に抱いていました。蛇の動きはだんだん活発になり、あっと思う間もなく男の脇腹に鋭い痛みが。蛇に噛まれたのです。男は苦しみにもがきながら自分のしたことを後悔しましたが、それも後の祭り、その場に倒れ伏して死んでしまいましたとさ』
・・・まぁ、なんと残酷なお話でしょう。私は、こんな昔話は読んだことがないと思いました。
普通、いいことをすると恩返しが待っているものではないですか。私も、初めはなかば「また恩返しのワンパターン」だと思いこんでいましたが、しかしこんな結末だったとは。これはでも、子供の教育上よろしくないのでは?意外に感じて中国の人にそう聞けば、中国人にとっては別に奇異には感じられないのだそうです。これは、たとえよい行いであっても、人を見て施さなければ無駄骨どころか危険である、という教訓だとか。ううむ。いかにも、パワフルな現世利益主義の中国人らしいではありませんか。

さて、男運が悪いという言い方があって、梅宮アンナの一件なんかそうなんだと思いますが、そもそもはじめっから、羽賀研二に借金があったり女性問題があったりするところから始まっているわけです。一般的には、手を出さないほうが無難だと思いますが、でも、男運の悪い女は、そこに走ってしまう。こういうタイプは、一途といえば一途、純情といえば純情なんですが、「自分がなんとかしてあげる」という自信もすごくあるんだと思いますね。でも、実力に裏打ちされた自信ではないし、恋愛感情にのぼせていることもあって、そのバイタリティと現実がやはりすれ違っていく。で、賢明な女であればいつしか、現実というものが、ちょっとやそっとの努力では動かないものである、ということを認識するに至る。
私も強情なほうですから、たとえば恋愛に何らかの障害があるとかえって、「なんとかできるんじゃないか」と闘志を燃やすタイプなんですよね(~_~;) それに、恋愛なんて順風満帆にいくより、紆余曲折あったほうがドラマになって盛り上がる。生活に刺激を与えるひとつのやり方として、ドラマ性の高い恋愛を求めるなら、自分との間に何らかの障害がある相手を探すのがいいかもしれません。借金がある、遠距離恋愛、不倫、思い切り年齢差がある、などなど。盛り上がること請け合い。第一、こういうのでないと、恋愛小説なんて売れないといってもいい(~_~)
でも、全力疾走は、長続きしないことも確か。あの手この手でドラマをつくって盛り上げても、最終的に「じゃあどうするの? どうなるの、私たち?」という気もちになってきたら、そこで終わりなんです。どんな大河ドラマにも、それがドラマである限り、終わりがある。もっと息の長い信頼関係に移行すれば、それは日常・現実であって、ドラマではありません。障害をクリアしてそこへ行こうとするか、それともやめてしまうか。
このヤマ場で、最初の相手選びの成功不成功が、結果にはっきり出ちゃうような気がしますね。

結論からいうと、蛇の昔話はなかなか的を突いた教訓だと思います。
全力でものごとの解決に当たらなければならないとき、個々の人間性がおのずとむき出しになりますよね。そこでの言動によって、相手への評価はますます高まったり、がくんと憑き物が落ちるように下がってしまったりする。でも、そこで失望しかかっても、やっぱり情が残って別れられないこともあるでしょう。が、自分がこの愛情で彼(女)をなんとかしてやろう、などと思うのは「純情ゆえの傲慢」なんですね。
『天は自ら助くる者を助く』
シビアにいえば、現実は、まさにこのとおりだと思います。
たとえば、はなっからやる気のない低学力生徒や無能社員に、何をどう教えても、叱咤激励しても、ほんとうに思うような効果は得られません。その生徒なり社員が、少しでも学ぶ気、覚える気になったときに、はじめて飛躍の可能性がありうるんだと思います。それ以外で「純情ゆえの傲慢」が通じるかもしれない相手は、まだ何も刷り込まれていない幼い子、またはそれに近い状態を保っている人間にだけではないでしょうか。それでも、やっぱり限界はあると思うんですよね。精神的、環境的な。
深い愛情があるとかないとかいう問題ではなくて、天ですら、自分から助かろうとしない者は助けられないんです。ましてやひとりの女や男が?
少なくとも私の周りで、私を含め、そんな神業に成功した人間は見たことがありません。
それに、相手にしたって、なんとかされたがってはいないかもしれないですよね。

二十年、三十年と生きていると、もう物理的にも精神的にも、その人なりに個人的な歴史があるわけです。もともと持って生まれた素質や、環境のなかで獲得した性質が、二十年ぶん、三十年ぶんと蓄積されているんです。それを、ちょっとやそっとの恋愛感情で、劇的にひっくり返そうとしても、それはどだい無理な高望みというものではないでしょうか。そんなことがカンタンにできれば、エセ精神分析家か新興宗教の教祖になれますよ(~_~)
それに、経験から獲得したものでなく、生来もっている資質などは、意識して変えよう変えようと思っても、そうそう変わるものではないと思います。口数の少ない物静かな人が、無理をしてオシャベリになっても不自然で疲れるだけです。むしろ、「聞き上手」というキャラクターにもっていくほうが得策ではないでしょうか。一方が要求していることが、もう片方のキャパシティになければ、要求するだけ無駄だし関係も悪化する。相手にお金をきちんと管理する能力が決定的に欠けていて、それでも一緒にいたいなら、自分ひとりがそれを引き受けるしかないんです。引き受けられないと思うなら、お金の絡んだこと、結婚なんかは無理なんです。

男運、女運が悪い、いつも何かしら障害が立ちはだかって、孤軍奮闘するはめになる。自分には最愛の相手なのに、周囲がこぞってお付き合いに反対する。そんな人って、いませんか。
純情なんです。一途なんです。それは悪いことじゃない。
でも、肝心の相手がその純情さ、一途な思いに見合う人間かどうか、じっくり点検してみてもいいんじゃないでしょうか。
それとも、ほんとに求めているのは相手でなくて、実はそのドラマ性なのかも?


大阪城公園梅林

前回の『純情の功罪』を読んだ夫が、なにやら考えていたかと思うと、いきなり
「あぁ、僕もこの男と同じかもしらんなぁ・・・」
「なにがよ」
「蛇に巻き付かれて死ぬねん(しみじみ)」
「・・・あのなぁ(-.-)、私には借金もないし、病気もないし、何の不利益もないでしょうが?」
わがままやんか
「いまさらなによ。そんなん初めからわかってたことやないの」
「うん、そうや。・・・ええねん、ええねん。もうはじめっから諦めてるから。これが運命やねん。あんたに生気吸い取られて一生おわるねん。僕って純情やから♪」
「・・・・・(-_-;)」
私はときどき、この人、科学者よりも演歌歌手か何かに向いてるんじゃないかと思うことがあります。

さて、ずいぶん暖かくなってきました。
我がベランダのミニバラたちも新芽を伸ばし始め、近所の沈丁花もいい香りを漂わせています。
昨日はふと思い立って、夫婦ふたり、大阪城公園の梅林を見に行きました。
赤、白、ピンクと、色とりどりの梅が咲きそろい、いまがちょうど見頃です。鼻を近づけるとほのかにすがすがしく甘い香り。
でも、近くには屋台なども並んでいて、回転焼きやトウモロコシなどを売っているんです。ま、「花よりダンゴ」の人にはいいかもしれませんが、せっかくの花の香りがイカを焼く煙の匂いにかき消されてしまっては、情緒もなくなってしまいますね。

大阪ビジネスパーク(OBP)まで歩き、IMPビルに入りましたが、日曜というのにずっと昔の華やかさはなく、ショップもところどころ閉店になっていたりで、なんだか閑散とした印象。不景気風が吹いていました。
でも、26階にあったアサヒビアレストランはよかったです。ツインタワーの展望台(38階)は入るだけでお金がかかるし(五百円)、同フロアの東天紅はおいしい中華をだすところですが、夜行くとちょっとお値段がはる。高さ的には低いけれど、アサヒビアレストランは、その点わりとリーズナブル。割り引き企画などもしていて、「中ジョッキの最初の一杯が百円」というサービスがありました。夜景もじゅうぶん見渡せ、料理も美味しく、満足できますよ。



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