サイン★コサイン★タンジェント

私は昔から数字とか計算が苦手でした。そういうセンスが欠けてるんです。
幼少のみぎり、父から時計の読み方を教わるのも苦労したし、母と買い物に行けば行ったで、帰りに暗算の練習が待っていて、それが子供心に恐怖でした(-_-;)
「今日買ったこの五十円のチョコレートと七十円のパンとでいくらになる?」・・・という感じですが。
苦手克服のためでしょうけれど、結局そんなことぐらいでは追いつかず、いまでも暗算は苦手、お客相手のアルバイトでレジなんかさわると、その恐怖がよみがえってきます。トラウマってやつかしら(~_~;)?

それでも小学校の「算数」はなんとかできました。が、中学にあがって「数学」になってからは、どんどん嫌いに、どんどんわからなくなるばかり。
国語の教科書なんか、新学期にもらったらすぐに読んでしまうくらい親しみを感じていたのに、数学の教科書ときたら、まるでカワイゲがないものに見えました。無駄を省いたそっけない記述と、わけのわからない数式の羅列が人をビビらせます(-_-;)
加えて、数学の先生たち。なんか、ヘンなのよね〜。中学の先生はまだましだったけれど、高校の数学の先生は、かなりヘンな人たちが多かったような。私はたいてい国語の先生とは相性ぴったり、作文書けばほめてもらえるし、話をしても面白いんですが、数学の先生たちときたら。まるで宇宙人みたい。
いつも、細身の身体にぴったりフィットしたとっくりセーター着て、ちっちゃな字で黒板に数式ずらずら書いて、私語がうるさいと「しずかにしてくださぁいっっ」と声を裏返して叫んでた色白の男の先生。後ろから見ると内股で歩いてたりして。思わずサド心を刺激されます。もちろん、授業は「学級崩壊」状態。お気の毒(~_~;)
はたまた、お化粧と洋服がいつもチグハグで、ある日なんか、青いアイシャドウを右まぶただけに塗って、左は忘れてきた女の先生。私がため息まじりに、「先生、何が面白くて数学やってるんですか」と聞くと、彼女いわく「だってさぁ、数学って美しいもん☆」と・・・美しい、ねぇ?ナ・ニ・ガ?
こんな調子だけど、どういう因果かクラス担任は、数学の先生が多かったんです。体育の若い男の先生とか、みやびな古典の先生なんて、ぜんぜん縁がなかった。なんという不運。苦手科目なので、自分が馬鹿に思われているみたいで、なんとなくヤでしたね。

さて、どういう風の吹き回しか、このまえ、K氏にちょっぴり数学を教えてもらうはめに。
もとはというと、「数学の時間、なにをやってたか、ぜんぜん覚えてない」といったことから。
内容はさっぱり覚えてないんだけど、言葉は覚えてるんですよね。ほら、微分・積分とか。ベクトルとか。アレ、なに?なんのこと?って、図を書いて説明してもらったら、アラ不思議。わかっちゃったのです!
だいたい、公式ばっかり暗記して、それが表わす概念みたいなものは、とんと置き去りでしたからね。いったい、それはなんのことか?という疑問が、頭ん中、ぐるぐる回ってたんです。
微分・積分って、なんかデジタル的な感覚だと思いました。どんどん小さく分けてって、でも、分けていったら、もうそれはひとつの曲線じゃあない。表の上では、曲線として存在してなくて、それは小さな角度の集まりになっちゃうのです。
ふうん。そういうことだったのか。でも、私は曲線には曲線として存在して欲しいですけどね。
サイン。コサイン。タンジェント。断片的に覚えてたこの呪文みたいな言葉は、三角関数。よーするに、角度によって定まる関数の表があるのです。なんてことはない。ははは。
あっそうそう。ベクトルってのはネ、長さプラス方向なんですよぉ〜(^o^)
「・・・ほんとにわかってんのかなぁ(-_-;)?こうなったら泣くまで教えたる〜」というK氏の言葉を固く辞退し、長年の疑問が氷解した私は少し晴れやかな気分です♪
文系の皆様、センセイを選びましょう。さすれば、数学、恐るるに足らず!です(^-^)/


コトブキ・パーティ

突然ですが、私このたび結婚することになりました。
相手は何度かこのコーナーで登場しているK氏。とある大学で助手をつとめる、物理の理論系研究者です。
結婚式らしい式もせず、超地味婚、というより、むしろ「なりゆきまかせ婚」?
まだ籍も入れていませんが、一緒に暮らしています。まあ、そのうち書類上の手続きもするつもりです。
先日、彼の勤める大学にてちょっとした会費制パーティをひらき、それで事実上、はじめて世間様に公認されたということになりました。お集まりいただきましたみなさま、もし拙文をお読みになっていらっしゃいましたら、この場を借りて、感謝の意を表したく存じます。小雪もちらつき、冷え込みの厳しいなか、ご参加いただきまして、どうもありがとうございましたm(__)m

さて、これでとうとう恒常的に「理系の男たち的研究者世界」に接することになったわけですが、いやぁ〜、ひとことでいって、ひとりだけでも ---(自主規制)なのに、大勢集まると一層 ---(自主規制)なものが(~_~;)
摩訶不思議な集団です。
けれども、そのなかでも、ひときわ ---(自主規制)なのが、こんど私の結婚しようという人だと、皆さん口を揃えておっしゃるので仰天です。家ではどうしているのかと、興味しんしんでお聞きになるのでいいますが、家ではもちろん彼もかわいくしています(^^)
根本的に人がいいし、やさしいです。それも、相手のために何かしてあげることが嬉しい、といった感じなので、押し付けがましさがないのです。
喜怒哀楽がはっきりしていて、子供のように素直、どこかしらほのぼのと憎めません。
それだけだとたんに「いい人」とか「カワイイ人」ですが、私が結婚に至ったキメのポイントは、やはり寛大なところ。ものごとを型にはめず、多様なあり方を尊重できるタイプなので、けっこう自己主張が激しい私とも、決定的な衝突は起こりにくいでしょうし、これからどんどん多様性を増していく現代を生きるにあたっても、有利なタイプではないかと思います。
あと、ものの価値観に、共通している点が多くあるということでしょうか。基本的な考え方はしっかりしているので、研究者なんていうと不安定な仕事だけど、「この人だったら、もし何かあっても、それなりに考えてやっていくだろう」と思える、そういう信頼感みたいなのもあります。

まぁ、何がどうなるかわからないのが人生ですよね。
去年、彼にはじめて会ったその時点では、まさか結婚するなんて想像できませんでした。違う個性がぶつかり合う中で、紆余曲折ありましたが、最終的にこうなってよかったと思っています。
物理の研究などというと、縁のなかった世界なので、私にはいい意味でちょっとカルチャーショックもあります。ある程度は慣れようと思いますが、ある程度はフレッシュな観察眼を保っていたいと思っています。
そうそう、うちの「理系の父」は、この結婚に大喜び。「仲間」が増えたといって、私以上に(?)喜んでいます。まぁ、無理もありません。今までは、ハンダごて片手に何か動く機械をつくって「見てみろ、この精巧な動き。この○○をつくるのに、どれだけの時間を費やしたか」などといっても、私や母にはなんのことかわからず、「へんなの」と黙殺されていたんですから(~_~;) 自分の作品を理解してくれる人間ができて、これほど嬉しいことはない様子。会うと、二人してなんやかやと話し込んでいます。そして、私にしても、父の存在が彼を理解する一助になるときが、ままあるんです。

たとえば、道を歩いていても、ちょっと動きの変わったものや、光るもの、不思議な物体を見つけると、彼は突然「ちょっと待って。この構造は一体どうなってるんやろ?」といって立ち止まります。急いでいるときなんか、「んもう、なにやってんのよっ」といいたくなりますし、デート中であれ、ムードよろしいレストランであれ、どこでもおかまいなしにそのセリフはでてくる。
一緒に行った香港のホテルでも、私が部屋を見て「わぁ、きれいな内装やね」と感激しているのに、ふと振り向くと、彼は窓の外を見ていたのでした。しきりに首を傾げて、「これなんやろなぁ」といっている。クリスマスなのでホテルの外壁に細いネオン管みたいなのがつけてあって、それが巨大な絵になっていました。その一部が窓から見えていたんですね。
「なにって。さっき見たやん、壁に描いてあった絵の一部でしょ」というと、
「うん。でも、これ、何で光ってんのかなぁ」
「何でって(うっそぉ、あきれた。こんなこともわからんの、この人?)、電気でにきまってるやないの
「ちがうやん。どうやってこんな細い管を光らせてんのかなぁ」
「それはさ、ちっちゃい豆球かなんかが中にあるのと違う?」
「そうかなぁ、それでこんなふうに光るかなぁ」
「そうと違うの?」
「いや、わからん。う〜ん、どうなってんのかなぁ」
「どうなってるっていっても(どっちみち、電気で光ってるにきまってるやん)。ほんまにわからんの?アンタ、いちおう物理のセンセーやないの」
「そんなん関係ない。研究者なんてモンはな、専門外のことは案外わからんもんやねん。」
「ふ〜ん(こんなこと、そんなに専門的なことにも見えへんけど・・・)」
「なか開けて見てみたいなぁ。」
「無理でしょ、そんなん」
「どうなってんねやろなぁ、なぁ、どうなってると思う?」
「(はぁあ。いつまでつづくの、これ?)・・・もういいやん、そんなんどうでも」
「(妙にきっぱり)いいや。なんでやねん、不思議やと思わんか?この構造はどうなってんのか(すでに目が据わっている・・・)」
こんなとき私は、まぁた「構造くん」が始まった、と肩をすくめてしまいます。が、母に聞いてみると、父もやはりそうだとか。日本橋あたりの電化街を歩きながら、「これどうなってんねやろ?」とつぶやいては、立ち止まることもしばしばとか。とすると、これは、彼特有の奇癖なのでなく、どうやら物理人間の癖かもしれないと思います。
母に再び、「そんなとき、どうしてた?」と聞くと、「だって、こっちは何がなんだかわからんもん。あー、この人、何か考えてはるんやなぁと思って、そのままほっとくことにしてる」といいます。なるほど。これからは、私も、気長にほっとくことにしたいです(^^)


平常点

もう一週間ほどすると、私がパートタイムで教えに行っている高校でも、学年末試験があります。
受け持っているクラスでは、試験範囲も順調に完了しつつありますから、べつに私がどうといって焦る必要はないのですが、とりあえず生徒たちのほうには、もう少し「やる気」みたいなのがあってしかるべきだと思うんですよねぇ(-_-;) まー、勉強キライな生徒がほとんどですから、仕方ないんですが。

普段はちゃらんぽらんなくせに、試験前になるとやたら真面目にレポートを出したりして、擦り寄ってくる生徒がいます。また、授業中にマンガの本を読んでいる生徒など、ときどきいますが、私に見つかるとなんとなくばつの悪そうな顔をしている生徒もいます。どんなに態度の悪い生徒でも、いちおう、センセイのいうことはきかなきゃいけないものだ、ということが頭に染み付いている。それで、こっちも、いちおう注意しなきゃ、という気もちになるんですが、そんなことが重なると、いちいち注意することに疑問を感じてしまいます。あんたたち、なんのために勉強してんの?って思う。私のためじゃないでしょ。高校生にもなれば、自分が勉強しないと点数が悪くなる、というくらいの相関関係はわかっているはずですよね。
英語の授業中に堂々と他の教科のレポートを書いている生徒もいて、見るからにふてぶてしいですが、それくらいのほうが要領はいいといえます。とりあえず、自分のスケジュールは自分で立てられるということです。そもそも私の高校時代は、先生はもっと放任主義でした。宿題を出したり、ノートを集めてチェックしたり、そんなことは一切しなかったように思います。
でも、私の受け持っている生徒のなかには、そういう細かいことにも、いちいちチェックを入れてもらいたい生徒もいますね。私が、ノートなんか自分で好きなように書けばいいし、そんなのいちいち集めたりしない、というと、かえって戸惑ったりします。課題を出してもらって、それをクリアしていかないと、不安になったり、まったく投げちゃって勉強しなかったりします。やっぱりそれは、平常点というのに慣らされているためなんでしょうか。
センセイによく思われるとか思われないとか、そういうのも成績とは何の関係もないんだけど、なんか、目の前のセンセイをいかに出し抜いてうまくやるか、ということも彼らの重大関心事のよう。私としては、他人に迷惑かけなければ、つまり、他のクラスメイトの勉強の邪魔にならなければ、それで、あとは各人の責任において、いい点とるなり欠点とるなりしてもらいたいんですけど。どういうわけか、なかには授業中に、「センセー、○○君、マンガ読んでます」とかわざわざ叫ぶ生徒がいたりして、面白いけれど疲れます(-_-;)
これもやっぱり、生徒のほうが勝手に、内申とか平常点は、センセイの主観が入っていると思いこんでいるから。実際にはそんなことはほとんどありえません。出欠とか小テストとか、提出物など、客観的になんらかの根拠が示せるものが材料になって、点数化されます。

日々、細かい課題を出して、それを日頃の努力点として成績に組み入れるのも、それはそれなりに生徒にはメリットあるんですが、高校生にもなって、そんなのほんとに必要なのかな、と私自身は疑問に思います。
努力とか真面目さなんていう、見えないものを点数化しようとすると、そこに本来の学問以外の要素が入り込むんですよね。温情とか、政治的な駆け引きみたいなもの。私は、勉強なんて、わかってるかわかってないか、大事なのはその実力だけだと思うんですけど。テストで決めたらそれが一番すっきりする。いったい、高校は何をするところなんでしょう?勉強の仕方を教えるところ?
そんなの義務教育で終わってるはずなんです。

もしかしたら、平常点なんて、留年生や退学者を出さないための方便かもしれません。大学での追試とかレポート提出なんてのも、そうですね。
まあそれはそれでいいかもしれないけれど、どうなのかなぁ、みんなして、学ぶことの価値を引き下げているようでもある。日本人はみんな一緒が好きだから、高校ぐらい、大学ぐらい出なくっちゃ、ということにも国内ではなるほど意味があるけど、それでいいのかな、と思いますね。学校を出る、ということより、学んだものを身につけた、ということのほうが大事でしょ。でも、どうも、学校を出る、卒業証書をもらう、ということのほうにウェイトがあるみたい。

実際、私自身も学生時代はそんなふうに思ってました。卒業証書もらったらそれでいいやって。モラトリアムで、ぼーっとしてました。バンドやったり、自分の好き勝手にしていたようで、でも、大学生という枠のなかには、きっちりはまっていた。時間の無駄だったかもしれないと反省してます。やっぱり、何かやりたいことやらなきゃいけないって思いますね。それも、本気でやらなきゃ。片足でなく、両足突っ込まなきゃ。それが一番パワーが出るんだから。それでこそ、燃焼感があるってもんです。
大学出ることは、やりたいこと、にはなれないでしょ。ぜんぜん具体性がない事柄ですからね。やる気もない学生を温情で引き止めて卒業証書だす、自分を振り返れば、これって、ひょっとしたら本人の人生にとってもよくないかもしれないと思います。


パートナーとしての科学者、その一端

コトブキ・パーティを読んで、私がのろけているかのような印象を持たれた方もいらっしゃいますが、なんというか、そういうラブラブ状態というより、なんかもう「生活」というものが始まってしまっているわけです。
前は、いいことばかりしか書きませんでしたが、生活のなかではとうぜん、思わず吹き出すことやら、呆れてしまうようなことも多いんですよ。今日は、その一端を。

うちの同居人(まだ籍を入れてないのでこう呼ぶのが正確)は、いちおう科学者ということになるらしいです。
科学者というと、白衣やフラスコや顕微鏡は欠かせないアイテムだと思っていた私には、だらしない普段着でパソコンに向かっている彼を「科学者だ」などと言うのは、ちょっと抵抗があります。が、論文なども書いているし、どうやら本当にそうらしい。もちろん科学教の信者なので、それを私にも布教しようとします。たとえば電車に乗ると、
「なぁ、わかってる?こんな乗り物にのって楽できるのも、みんな科学のおかげやねんで。あんたみたいなワガママでズボラな人間は、科学のおかげで生きてるようなモンやね。感謝しぃや。そんで、僕も科学者のはしくれやねんから、僕にも感謝するねんで♪」・・・という具合。
・・・・・(-.-)。前半はまだいいとしても、後半はちょっとねぇ。あまりにも破綻しすぎの論理。そのうえ、自分の行動ときたら、洗濯して畳んだ服を考えなしに引き出しに突っ込むので、朝着替えるとき、いちいち全部ひっくり返してみないと目的の服がみつけられない。こっちは言いたくもなります。
「アンタ、ほんまに科学者やのん?ものの整理とか分類って、科学の基本とちゃうの」

うちの同居人と違い、NHKの科学番組などで、どこそこ大学の某教授とか、ナニナニ研究所の某所長とかいって出てくる人たちは、みんな、スーツとか白衣を着て、穏やかな笑みなど浮かべながら、インタビュアーに対して物腰ていねいに話しています。そのうしろでは、助手や院生などの人々が、黙々とパソコンのモニターに向かったり、顕微鏡をのぞき込んだりして、それらしく「背景」をつくっている。実にサイエンスな光景です。が、あれも、彼に言わせると「やらせ」の一種、ということに。その手の番組を見ていると、うちのリビングでは、
「ほら。やっぱりこういうのを研究室っていうねんわ♪」
「ふん。こんなん『やらせ』やで。普段はこんなんとちゃうにきまってる。ほんまはな----(以後省略)」
という会話が繰り返され、知的ムードが著しく減退します。
まー、よれよれのスポーツシャツ姿の人物がバケツをもってうろうろしていたり、ひげだらけの男がひびの入ったカップでインスタントコーヒーをすすりながら歩いたりしていては、それらしさが出ないですよね。そういうのは、「一般視聴者の期待している絵」ではないので、NHK側がそれ相応の絵をつくるわけです。やらせといえばやらせでしょうけど、その気もちはわからないでもありません。

微妙な感情問題では、なまじ科学的素養が身についていると、とんでもない結果をまねくことにもなりかねない。
たとえば何気なくこう聞いたとき。
「なぁ、アンタって、浮気はしないと思う?」
「うん。たぶんな」
ほとんどの女性なら、ここで、たぶんって何よ、と声を荒げたくなるんじゃないでしょうか。で、私も実際にそう言いました。すると、彼はまたクソ真面目に、
「だって、先のことはわからんやん、しないとは思うけど、そんなん、百パーセントしないって、言いきれるもんと違うやん」
彼にしてみれば、未来のことなど百パーセント証明できないということを言っているわけですが、もちろんそういうことが問題なのではなく、ここではむしろ、「しない」という意志を明確にすることに重点があるわけです。そうすれば「うん、絶対にしない」というのが感情的に正しい答えなわけです。それがまったくわかっていない。
まあ、こういう場合、身をもって理解してもらうのが一番いいですね。しゃあしゃあとした調子で、
「じゃあ、あんたはどうなん?浮気なんかせんやろ?」というので、すかさず私も、
「たぶんな」
(突然狼狽して)『たぶんな』って、それどういう意味?するかもしれんってことかっ」
「(彼の豹変ぶりに呆れ果てて)・・・・なぁ、わかったやろ?どういう気もちになるか(-_-;)」
「・・・・なるほど〜。自分が言われたらいややな」
やれやれ。教育的指導成功。


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