アリゾナ・ダイアリー 2006

Mar. 5 / 8 / 12 / 20 / 24 / 29


06/03/05 

130日以上、雨の降らない日が続いているアリゾナです。
これは新記録だそうで、いったいいつ雨が降るのかと思いますね。天気予報では記録何日とでていますが、なんだかもうこの地には雨が降らないような、そんな錯覚に陥ってしまいそうな感じです。

なんだかんだとコミカレでは宿題や小テストやショートトークに追われています。
べつに良い点とろうがとるまいが、それから本格的に進学とかするわけじゃないので、関係ないっちゃないんですが、まあ、気分の問題ですかね。あと、お金払っただけのモトは取らなきゃ、みたいな。
学生時代にもっとこういう考え方ができてたら、それなりに私も今ごろは独立した職につけていたかもしれないのに、残念なことです。あー、時間は帰ってきませんよ、若くて元気なうちは、何足ものワラジをはいて、マルチに生きればいいんではないかと思いますね。歳をとったら、その中からひとつふたつを選んで、じっくり極める、という生き方。まー、あまりにも若き日の私がいい加減すぎました。反省してますが、もうどうにもならない。

日本ではもうウメや桃が咲き始めましたか?
春の景色は絶対的に日本のほうが綺麗だと思います。
ぱぱっと五、六時間で帰れるなら帰りたい。
だけど、フェニックスからサンフランシスコ、それから関空、という長旅を考えると、おいそれとは帰れません。
いったん帰ったら、最低一ヶ月はいないと損みたいな気がします。
今は学校もあるので時間がとれませんが、今学期が五月半ばに終了したら、一度、日本に里帰りしたいと思っています。まあいろいろ事情もあり、あと、異国での生活っていうのは、目新しい楽しみも見つけられる反面、それなりにストレスフルでもあるわけで・・・
日本人会でも、この六月ごろにお別れという方々がチラホラいます。帰国する人、他の州へ引っ越す人・・・いろいろです。またお別れパーティをするんでしょうね。

引越しと言えば、このアパートに来てまだ半年なのに、ずいぶんまえ、隣の人が引越し、また今日、上の階の人が引越して行きました。アメリカ人ってけっこうコロコロと住居を変える人も多いみたいですね。珍しいことではないとか。その人は女性ですが、動物好きで犬や猫を飼っていて、うちのオコタンの面倒をみてもらったりしたこともあるので、彼女がいなくなるのはちょっと寂しい気持ちです。

♪出会いの数だけ 別れは増える
  それでも希望に 胸は震える
 十字路に出くわすたび 迷いもするだろうけど
                (「くるみ」Mr.Children)


06/03/08 ないものねだり 

今日の授業、先生がキャンセルして、代わりの人が来る予定だったけれど、もう行くのがめんどくさくてパスしてしまいました。することもないので、オコタンを新しく買ったキャリーケースに入れて、ドライヴ。
郊外の赤茶けた山並みが見える付近まで。行き帰りで一時間ってとこ?
オコタンは車に乗せるとひっきりなしにニャーニャー鳴いてましたね。もっと慣れなきゃ。犬と一緒にドライヴしてる人とか羨ましい。人も犬も楽しそうで。

早いもので、去年の三月にここへ来て、ちょうど一年が経ちました。
いろんなことがあったなぁ。IKEAで家具を買ったり、五月初めには懐かしいリバモア時代の知人とカリフォルニアで再会、前に住んでたアパートも見に行ったし。それから運転免許をとるために涙の特訓、六月の末には親たちが来て、私はサンフランシスコまで飛んで合流、ヨセミテ公園までツアコン嬢よろしく引率。こちらの夏はカラっとしてるけど、殺人的なまでの暑さ、そんななか、コミカレに行って授業をとる手続き、それから始まるプチ学生生活。初めてトークとかやらされたし、何もかも新鮮でした。秋にはアパートを引越し。それまでにアパートガイドでめぼしい物件を探しまくって、何件も足を運んで間取りや付属施設を確かめたりしましたね。日用品の買い物やカードの使い方にも慣れたし、自分でガソリン入れたり、小切手きったりもできるようになったし。医者にも何度か行きましたね。洗車やヘアカット体験もしたし。

まあ、なんだかんだやってますよ。車に乗れるようになったこと、コミカレで授業をとったことが私のなかでは大きいですけど。でも、乗り越えた山はいつも小さく見える。
いざ、始めるまでは、「私にはできない、こんなこと無理〜」と思うのに、しばらく悪戦苦闘して、それがわりとスムースにできるようになると、なんだ、こんなこと誰でもできるんだな、と思う。で、なんだか何もしてないような気になる。ゼロから積み上げて、プラスになったというより、もともとマイナスだったのが、ようやくゼロになったみたいな感じ。だって、私ができることなんか、みんなもできる。車の運転とか、コミカレのESLでいい成績をとるとか、そんなこと誰でもできる。ちょっとの努力で。
だからいつも思ってる、人にできない何かが欲しいって。
もちろん、それは誰にもできないことなんかじゃなくてもいい、例えば、千人いたら、一人しかできないようなこと。いや、五百人のなかの一人でもいい、そういう特技が欲しいと思います。強欲なのかな。でも、誰でもそう思いますよね?

そうでないと、闘えない。
社会の構造、その隙間に自分を埋め込めない。居場所がつくれない。
みんなそれなりに確かに自分をこの社会の構造の一部として、機能させているように見えるのに、私はなんだかいつも宙ぶらりんな気分で、それが心もとなくて。
お金さえあれば?
子供さえいれば?
仕事のスキルさえあれば?
確かに自分を社会の一部分として生かすことができる?
そうしたらそれで安心できる?
スーパーで見かける子連れの中年夫婦は、とても見た目に安定していて、それが幸せなように映る。
毎日クタクタだよーと言いながら、仕事の要領もつかんで会社ではそれなりのお給料をもらい、趣味のお稽古事も貯金もしている独身女性だって、安定してはいないかもしれないけれど、前途にまだ見ぬ華が待っているような気がする。
どうしてそうなれない?
どうして、ないものばかりがいつも大切そうに、意味ありげに、きらきらと光ってみえる?
フェイクかもしれないのに。
でも、手を伸ばしてもつかめないものは、フェイクも本物も見分けられなくて。
どうしていつまでも、まだないものばかりを数えてしまうの?
誰に責められたわけでもないのに・・・


06/03/12  窓の外は雨、雨が降ってる

It had to happen eventually. Today, after 143 days of record-setting dryness, rain will come to the Valley of the Sun.

これが今日のトップニュースですよ。the Valley of the Sunというのは、アリゾナのこの界隈のこと。
いつかいつかと思ってましたが、とうとう雨が降りました。143日の雨なし記録を残して。
「降れば土砂降り」とはよく言ったもので、昨夜の三時頃からかなぁ、ずーっと降り続いてます、まるで何か空のうえでせき止められてたものが、ダダーッと、まとまって降ってきてるみたいな感じですね。もう半年分ぐらいは降ったんじゃないでしょうか。通年降雨量からみて。
おまけに寒くって、ここから北のほう、スコッツデールでは雪が降ってますし、ほんとヘンな天気です。
つい一昨日までは、半袖で歩いてる人が半分ほどいたのに。

♪窓の外は雨、雨が降ってる
  三月のアリゾナに こんな雨の日 おかしすぎるよ
                  (「雨の物語」イルカ) 


06/03/20 タンドゥル・プワゾン

今朝も雨が降りました。珍しい。

ここに何を書こうかと思って、でも、何も書けない。
いろいろああだこうだとありすぎて、しかも、おめでたい話でも心温まる話でもない、かなりシビアな状況なので、一人で悶々とするしかないわけです。

自分は暗い性格じゃないし、毎日のなかで小さな幸せをみつけて生きていけるとも思っているけれど、先のこと先のことばかり考えると、どうしようもない。人のことなら励ますのも厭わないけれど、自分で自分を励ますのは難しい。わかっているだけにね。自分のことがね。

この前、少しでも気晴らしになるならと一人でショッピングモールへ行ってきたけれど、買い物する気にもなれず、ふらふらしてました。パフューマニアというフレグランス専門店に入って、タンドゥル・プワゾンが値引きされていたから買いました。ディオールのプワゾン・シリーズで、緑のボトルのやつね。そう、けっこう昔に発売されたもの。初めはグリーン系、だんだんと甘くなっていく感じ。一時はやったけれど、すごく好きかと言われたら、そうでもない。だけど、前から買ってもいいなと思ってました。

あの化粧品売り場に、ずらりとこれが並んでいた頃、きれいにディスプレイされていた頃、あれは夏で、焼けるように暑くて。クラランスの日焼け止めクリームを買ったっけ。
黒地に白の水玉模様のテロンとしたワンピースを着ていた。あれをいまだに持っているというのは驚きね。タンドゥル・プワゾンのテスターをひと嗅ぎして、「私の香り」じゃないと思ったから、買わなかった。
毎日が暑くて、白いコンクリの道路から、熱が足に伝わってくるようで。
でも、雨が降ったら蒸すけど涼しかった。あのときの赤い木綿のカーディガンはどこへやったのか、もう憶えてない。人にあげたのか、捨てたのか・・・
そして雨の降りつづく日に、シャネルのクリスタルを買ったのだっけ。
甘ったるくなくて、凛とした感じの香り。クリスタルという響きもいい。シンプルなデザインのボトルもいい。まるで何か覚悟を決めるみたいに、それを手にとったのね、あのとき。
何がどうなろうと、私は私のすることを後悔なんかしない、そう信じてた。

♪Bad dreams in the night
   They told me I was going to lose the fight

でも負けたのかもしれない。
いや、負けたんだろうと思います。今では、はっきりと。
大人になったつもり、賢くふるまったつもり、分別をわきまえたつもり、そんなの、今にしてみれば、みんなどうでもいいことだったのに。
大人にならなくてもよかった、賢くふるまわなくてもよかった、分別なんかいらなかった、もっと不様に、もっと堂々と、わからないものはわからないと、飛び込むべきだったのかもしれない。
大人になったつもり、賢くふるまったつもり、分別をわきまえたつもり、そんな小賢しさと臆病さがすべての元凶だったのだろうと、今にしてわかる。

夕日に透かしてみるグリーンのボトル、スプレィをプッシュすると身体にからみつく「優しい毒」。
心が痛い、でも涙は出ない、もう泣くには遅すぎる、もう泣くほど若くない、もう泣くほど鮮明ではなくなっている、あれこれの光景。
大人にならなくてもよかった、賢くふるまわなくてもよかった、分別なんかいらなかった、どうせ運命に負けるのなら、精一杯、抗えばよかった。
後悔だけがあふれる夜、誰に電話しても留守で。
惨めさだけがつのる夜、誰からも必要とはされなくて。
私はいったい何なのかと、自問自答を繰り返していたら、オコタンがしきりにうるさくせっついてきて。

いつも思うけれど、猫は不思議。
言葉も喋れないのに、人の気分を読む。
私がいないと困る?
おまえだけはね。
人間は、それぞれになんとかやっていくもの。
どんなに悲しいと叫んでも、毎日のなかで小さな幸せをみつけて生きていけるもの。他人事ならね。
優しい毒に蝕まれて、私も強くなりたい、
「生きていこうと思えば、なんだってできるでしょう」
そう諭す側に立ちたい。


06/03/24 サンダル

今日はListeningのテストがあって、昨日から「やだなー」と思っていたんだけれど、ちょっと前もって勉強しておいたので、予想外にいい点を取れそうなのが嬉しい。

その他に、本当にささいなことなんだけど、まるで「砂漠でコップ一杯の水を飲んだ」ような気持ちになることがあって、ああ、まだ私もこんなことでこんなふうに感じたりできるんだなぁ、まるでhappyにつながるすべてのインプット回路が閉じたような気分でいたけれど、そうでもないんじゃない?って気になったりして。
誰かに何かをしてもらったとか、そういう受身なことじゃなくて、自発的に幸福を感じる能力、まだ自分のなかにあったんだって気づいたということ。

それはほんとうにちっぽけな、とるにたりないこと、乾燥してひび割れた地面に降る、年に3回ほどの雨、そんな感じだけれど、それでも砂漠の植物は花を咲かせるし種を飛ばす、綺麗にお手入れされて窓辺に飾られているわけじゃなくても、それはそれで美しい、春といえば山盛りのスィートピーやチューリップに心奪われがちだけれど、サボテンにも花は咲くのね、たとえそれが誰の目も楽しませずひっそりと、ただ一日だけの開花で終わるとしても。

こんな小さなビーズ玉をひとつひとつつなげて、飛び去る日々を雲間に見やる、それはそれで悪くない。
まだすりきれてない、怪我をしたあとに新しい皮膚ができるみたいに、まだ新陳代謝はつづいてる、ぼろぼろになった毛布を捨てたらそれで終わるわけじゃない、まだ人生の消費活動はつづいてる。それはマッチ売りの少女が見たような幻じゃない。もっと確かな手触り、羽毛のようにたよりないけれど、それは実体をもつもの。
深呼吸して。深呼吸して。盲人の指先が鋭敏な触覚を持ってそっと板に触れるように、わずかな凹凸でできた点字を慎重に読み取って。そこからさびついていた回路がクリーンになる、まだ新陳代謝はつづいてる、誰のためでもなく、私の、私自身のために。

私ってば、すっかりうつむいて歩いていたの、荒地を踏みながら。
足の裏に刺さる枯草の棘を一生懸命に抜いてたの。
すぐ目の前に軽いサンダルがあったのに、バカね。それを履こうともしなかったの。
ずいぶん薄っぺらいけれど、ゴムと思えばゴムだし、皮と思えば皮だし、そんなことはかまっちゃいられない、それは誰のものでもなくて、私のものなんだから。


06/03/29 バカになれ

今日も朝、雨がちらちらっと。すぐにやみましたが。
オコタンはまるで人間のように私のベッドにもぐりこんで昼寝するのをやめてほしいなぁ。
シーツが毛だらけになる。

授業は相変わらずですが、自分よりずっと若い子が、大人のまねをして精一杯に背伸びしているのを見るのは、微笑ましいこと。なんかババくさいセリフだけど、本当にそう思うようになりました。
あーあ、格好つけちゃって、ウフフ、みたいな。馬鹿にしてるわけじゃなくて、愛ですよ愛。羨ましいのもあるし。あれくらいの歳なら、ちょっとしたことで先生に突っかかっても、世の中が不満だらけってポーズとってても、まーいいんじゃない?みんなに許してもらえるから、って感じ。こちとら、そうはいかないものねー。

でも、その時を生きてる瞬間は、わからないもの。
だから、私もまだまだ「ウフフ」なんて余裕のポーズをつくってる場合じゃないのかもね。もっと年上の人から見れば、私だって「ウププ」てなもんよ。
わかったつもりになるのが一番こわいこと。
先が見えたつもりになるのが、一番つらいこと。
照明を落としたバーには気だるいジャズが似合い、ドレスアップした男も女もセクシーに見える、だけど真っ昼間、白い光にさらされた店内は、惨めなほどにみすぼらしい。見たことあります?それはもう月とスッポン。
暗闇で見るからこそ、ちいさな明かりも星の輝き。
シチュエーションを変えれば、ロマンは消え、リアルだけが希望を蝕む。
だから、仏陀は言ったのね、「面白いことなんか、ホンマはなんもあらへんねん。執着すんなや。あほらしい。仏性の、圧倒的な光のもとでは、なにもかもがしらけてみえるんや」と。

ご忠告はありがたいけれど、その言葉は死ぬ間際までとっておこうと思うの。
私はまだまだ血迷って、彷徨って、薄闇のなかを手探りに生きたい。暗さに慣れた目には、どんなわずかな明かりも、まぶしく映る。つましい線香花火でさえ、華やかな打ち上げ花火。
勘違い上等。
バカになれ。もっともっと。
大人にならなくてもいい、賢くふるまわなくてもいい、分別なんかいらない、もっと不様に、もっと堂々と、わからないものはわからないと。
スポットライトのあたるステージからは、客席はただ暗いだけ。そこに誰かがいると信じていなければ、踊りもできないし、歌いもできない。だから、つまらないこと気にしていないで、ステップを踏んだが勝ち。
生きているから、生きている限り、人はステージに立つ役者。




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