アリゾナ・ダイアリー
 Dec.
1 / 7 / 23 / 29 / 31


05/12/01 ちょっと寒いです

なんだか突然さむくなってきたアリゾナです。
昼間、晴れていたら長袖カットソーのうえにフリースはおるぐらいでちょうどいい感じ。曇りの日や夜は、それにプラス一枚って感じかな。基本的に、移動は車なので、あまり気を使ってないですが。
十二月が一番寒いそうで、年が明けると、すぐにまた暖かくなってくるということです。日本だと、二月が一番冷え込むじゃないですか。もうそのころは、こちらでは春ですよ。

あー、赤ペン先生の授業でやるTalkの草稿を書かなきゃいけない。
題材は、京都の龍安寺。あの禅寺ですよ。ええ、枯山水で有名な。なんかね、先生が自分の国にある「国宝」をトピックにしろというもんだから。ほら、ZENって、ちょっとポピュラーじゃない。Sushiほどではないけどね。
いっちょまえにパワーポイントでちょっとした資料(写真を数枚ダウンロードして貼り付けただけ)つくっちゃったもんねー。でも、発表する内容が・・・まだ書けてない。もうあと数日だというのに。今からやります。
それが終わったら、ちょっと早めにFinalExamを受けて、いざフランスへ。
クリスマスムードのヨーロッパって、いっぺん見てみたかったし、楽しみです。

一ヶ月やってみて、ブログのほうも慣れてきた感じ?
トラックバックはKammy+くんとこしかトライしてないけど、ごめんよ、他に打っても怖くなさそうなブログ知らないの。
やっぱり私はサイト形式が好きみたい。マイホームって感じでさ。くつろいでできますから。
わざわざ「ブロガー」とかいうのもヘンな言葉。って思っちゃう。でも、メモ的に書散らすのにはいいね。


05/12/07 プライスレスなもの

なんだかんだいって、忙しかったです。
まず、コミカレの授業で短いトークをしなきゃいけなくて、その準備(パワーポイント使ったよ〜)で悪戦苦闘、それが昨日、やっと終わりました。もー、あまり上手くできなかったけど、仕方ないや。だって、もうすぐフランス行くからその用意もあるし、気ぜわしいうえに、私、原稿も読まないでそんなことするの、初めてで。先生がね、要点っていうか、キーワードをカードに書いて、それをチラっと見ながら喋れというんだけど、それ、できないって。ほんと、慣れないマシンで慣れないソフト使いながら、ちゃんと暗記できてない原稿をキーワードで思い出すなんて、無理。実際問題として、頭まっしろけ。えっ、次なにを言うんだっけ、みたいな。うちの夫なんか、パワーポイントで作ったファイルにギッシリと文章とか図を書き込んでるけど、今回はほんとうに喋る練習だから、写真しか見せちゃいけないの。ほんとはね。私は不安だったから、文字も少し書き込んだけれど。それ反則。
まー、とにかく終わった終わった。私が「えーん、私の話してること、ちゃんとわかってくれた?」とクラスメイトに聞いていたら、みんな優しいから、「うんうん、よくわかったよ、すごく良かったよ、面白かった」とか言ってくれたんだけど、自分でわかるじゃない、「ダメ」ってのは。まあいい、またこんどチャンスがあれば、きっとそのときは上手くやろう。
そういえば、ブログのほうも珍しくコメントついたりしてお返事書くのが忙しく。
いや、全然たいしたことないんですけど。でも、これも慣れてないから。ブログもだんだんに上手く使えるようになろう。

で、一日目のトークなんですが、私とイタリアンおばさんと、ロシアの女の人と、三人が喋ったのね。まー、イタリアンおばさんはバチカンについてだったから、「おお、見た見た、懐かしいー」って感じでしたが、ロシア女性のテーマは「エルミタージュ美術館」だったのね。私はロシアなんて行ったことないんですが、このトークの内容のどこが一番、興味深かったかというと、
「今、ロシアでは、『エルミタージュにある絵を売って、ホームレスとか貧困層の問題にそのお金を回すべき』という人がいます」
へえええーーーっ。そんなこと言う人がいるのね。隣に座っていたもう一人のロシア女性にこっそり、「これ、ほんとの話?」と訊いてみたら、肩をすくめて「ええ、ほんとうよ」と。
びっくりしてしまいましたよ。そんな発想あるんだなぁって。
エルミタージュ美術館といえば、まさにルーブルと並んで美の宝庫。偉大なマエストロの名作がずらり。そりゃ、ほんの少しでも売りに出せば何億、何百億というお金が転がり込んでくるでしょう。でも、なんかイヤだなぁ、そういう発想。トークで彼女が言ってたように、ロシアには豊富な天然資源があるのだから、政府がそれをちゃんと管理して、経済が潤うようにすればいいんじゃない?

ほんとうに多くの人に認められ、愛されてきた美術品の価値というのは、もうプライスレスなんですよ。
そんなのが、一部の金持ち好事家の手に渡って、誰も見られない倉庫に押し込められたりするべきではないと思います。人類規模の損失。他の美術館で保管されるのならまだしもね。
だって、そういう美術品などは、人類がつくる社会の一番きれいな上澄みのなかで燦然と光り輝いてきた、いわば「歴史の道しるべ」。たとえばキトラ古墳の絵画をなぜあんな手間暇かけて保存するのか。それは、失われてしまったら、もう絶対に絶対に取り戻すことが出来ない人類の宝であるからです。昔、タリバンがバーミヤンの仏像を破壊しましたが、あのときも、おお、なんてことを、と心底嘆きましたよ。もう絶対に絶対に復元できない。科学技術で復元できたとしても、それはレプリカであって、ほんものとは違う。
美術品だけじゃない、アポロやソユーズという宇宙船だって、そう。その動機はどうであれ、人類の知の粋を結集して宇宙というフロンティアに飛び出した、まさに『人類にとっては大きな一歩』、それを証明するものなのよ。
人類何万年の歴史のなかで、少しずつ私たちが歩んできた過程、進化してきた社会、その時々でつくられた偉大な作品たちは、人類の精神活動の大脳皮質の部分で最も美しく結晶したものであって、人類全体が共有し、守っていくべき「美や知の遺産」なんですよ、少なくとも私はそう考えます。

というようなことを力説していたら、夫が一言。
「それはオマエが『芸術のことを考えられるだけ余裕のある暮らしをしている』というだけの話や。そんなもん関係ない貧困層の人らにとっては、説得力を持たんな」
ムキッ!
そうかもしれない。だけど!それでも私は言いたいの、人類が綿々とつないできた歴史の最もうつくしい精神世界を物理的に結晶させたものというのは、プライスレスである、と。


05/12/23 天国と地獄

ええわ〜、やっぱりええわぁ。
何がって、アリゾナですがな、アリゾナ。
重いコートなんかいらんがな。タイツもいらん、マフラーも手袋もいらん。
車に乗ってたら、冬なのに強い日差しが入って、思わずクーラーつけたくなるがな。
ああ、天国のような、この暖かさよ!!太陽の恵み、太陽の州よ!!今はただ、アリゾナ万歳!!

ほんと、こんなぽかぽか陽気にスポイルされた身体には、今回の旅行はキツすぎました。ったく。
9日の朝、パリへと旅立って、昨日の夜、ミラノから戻ってきたんですけどね。極寒のヨーロッパなんて行くもんじゃない。
「冬のパリってなんだか素敵そう。クリスマスの飾りつけが綺麗かしらね〜♪」なんて、考え甘いもいいとこ。いや、実際、どこもかしこもミニ・ルミナリエ状態でしたけど、そんなのここでも見られますし。それよりなにより、寒い!!凍え死にしそう!!っていうか、確実に死ぬわ、あれは。
マジ、こうやって無事に帰宅して、このパソコンで自分のウェブサイトの更新ができるなんて、もはや思えない精神状態に陥ったときもありましたからね、今回の旅行では。それほど「洒落にならない」旅でした。
また落ち着いたら、その地獄行きの顛末は書くかもしれませんが、今は疲れたの一言です。

オコタンは、近所の女性(アメリカ人)と、日本人会の奥さんなどに面倒みてもらっていましたが、こいつ、なかなか非社交的なようで、「世話してあげたけど、姿を見たことない。でも、餌が減ってるし、トイレ使ってるから生きてるんだなーと思っていた」らしいです・・・ダメじゃない、オコタン。ちゃんと愛想しなきゃ。でも、私がよその猫のシッターをやったときも、そんなふうでしたけどね、その猫もベッドの下にもぐりこんだきり、全然でてこないの。そのときは、うちのオコタンとちがって愛想のない猫やなー、と思ってましたが、やっぱどこの猫もそんなふうなのかな。
私たちが帰宅したら、さっそくニャーニャー鳴いて、ちょこちょこ後追いをして、甘えに甘えて、やっぱり様子が変。捨てられたと思ってたのかしらね?このちいさな脳みそで、嗅覚だって犬ほどではないし、視覚だってそんなに良くないのに、猫ってやつは、どうやって飼い主を覚えていられるのでしょう?不思議。だって、髪を切ろうと服を変えようと、香水をつけようと、化粧をしようと、眼鏡をかけようとコンタクトをしようと、黙っていても話しかけても、やっぱり私のことは私だと認識してるみたいだから。


05/12/29 激動の一年も終わりに・・・

今年を振り返って、「激動の一年」でした。
いろんなことが変わって・・・そう、住む場所すらもね。
なんたってアリゾナですから。国も言葉も違えば、気候から食べ物、何から何まで違う。
まあ、今ではなんとか普段の生活は成り立ってますけど、やっぱりそれには車に乗れるようになったというのが大きかったですね。ほんとに車がないと何もできませんもん。いやー、これだけは自分でもよくやったと思いますよ。なにせ、ずーーーーっとペーパードライバーで、「一生、自分でハンドルもつなんて嫌」と運転拒否してたんですから。ところが、いったん慣れてみると、ここの道は走りやすいというのもあるし、自信がつきましたね。自分でどこへでも行けるって、いいことですよ。少なくとも、誰かに乗せてもらっている間はわからなかった爽快感があります。これが「自立」ってやつでしょうか。ささやかだけれど。

自立といえば、もうずーっと前から言っていて、自「立」神経失調症と自嘲してもみたけれど、とどのつまりは経済的自立。とりあえずこれさえ達成できれば、もうあとは多くを望みません。
ネットでブログとか見て回っていると、同じくらいの年代の女性でも、結婚して夫に頼ることなく自活している人を多くみかけますが、いったいどうしたらそうなれるの?
私が身近で見る女性は、結婚を機に専業主婦になったパターン、あと、結婚せずに大学卒業後、大手企業に勤めてそのままずーっと、というパターン。
専業から、また社会復帰というパターンを見てないので、どうやったらできるのか知りたい。

うん、うちの母なんかは中途半端なパートから、父とともに起業、というパターンだけど、これはやりたくないしなぁ。起業なら一人でやるか、信頼できる仲間とやりたい。家族ではやりたくない。っていうか、実際、無理だし。
自分が何をしたらお金になるのかわからないんですよね。ほんと、お金にならない人間。
っていうか、ほんとはやりたくないのよ。心の底からやりたいというより、義務感みたいなもので。やらなきゃいけないような気がするじゃない。運転と同じで。
それに、自分でできるという爽快感を、一度は味わってみたい。
でも、もう年齢的に無理かなと思ったり、そんな体力ないしと思ったり、端から見てると、あーーーっ、うっとおしい、結局、やる気ないんでしょ、アンタは!と言われても仕方ないんだけれど、本人はけっこう真面目に悩んでいるわけ。だって、これからの人生、それがないと、何もないような気がするんだもの・・・

とくに贅沢できなくてもいいんです。
ちょっと貯金ができるくらいの儲けでいいんです。それで、子供がいないから老後は施設に入って、あんまりごちゃごちゃと迷惑かけることなく、無事に死ねたらそれでいいんです。
でも、見通しは暗いような気がするの。いや、悲観的になっちゃいけないんだろうけど、わかっているんだけどね。
客観的に見ると、私自身の「市場価値」ってまるでないんだもの。
とくに何ができるわけでもないし(換金できるような能力の欠如)、超強力な後ろ盾があるわけでもないし(あっても頼るのは嫌だ)、若さや美貌という女の武器があるわけでもない(これは以後ますますなくなっていくだけ)。話にならない。
ちっちゃくてもちょっとおしゃれな喫茶店でも開いて、バタバタあくせくせずにリラックスした快い時間を提供するとか、そういうの、理想かもしれない。たぶん儲からないけど。でも、あちこち飛び回って緊張した交渉事をこなして、というのは私には向いてない。
これでも二十代前半までは、人生は刺激的なほうがいいと思っていたものですが。いや、いまでも刺激はあるにこしたことはない、でも、お金儲けのために神経を磨り減らす、というのは、もう私には続かないとわかってるから。

いや、湿っぽくてすみません。
なんか全部に疲れてるんですよねー。旅行の疲れとか風邪の疲れとかが、抜けきってないのかも。
残りの人生、何かやってやろう!みたいな気力がわかないんですよ。軽い鬱状態かも。


05/12/31 ハグ

こっちはまだ時差があるので30日なんですが、PCは日本時間のままにしてあるので、もう今年最後の日なんだってわかります。今ごろ日本ではみんな、年賀状も投函し、大掃除も終わって、さぁ、今夜はどの番組を見ようかって感じかしら?
じつは、こっちでも紅白歌合戦、見られます。いや、そういうケーブルひいてたらね。うちはそんなのひいてませんけど、日本人家庭では日本の番組を見ている人もちらほらいるようで、明日(こっちでは大晦日)は、とあるご家庭にみんなで集まって、紅白見ながらワイワイやろうかって言ってますけど、私は行けるかどうかわからない・・・っていうのも、また風邪がぶり返したみたいで、喉が痛くって。どうも体調がスッキリしないんです。

自分の身にしみついた日本人的感覚から、何にもしなくても年の瀬っていうだけで気分が急かされている感じですが、アリゾナで過ごす限り、お正月といっても、どこでもスーパーやらレストランは開いてるみたいだから、とくに何か買い置きしておく必要なんかないし、おせちなんて作りようがない(材料ないし)から気にしなくていいし、実家に挨拶とか初詣とか、そういうのも気にしなくていいし、要するに普通の休日。まあ、大晦日のカウントダウンくらいですかね、アメリカのニューイヤーズディってのは。
こっちではお正月よりもクリスマスがメインで、その日ばかりはスーパーもお休み、レストランも閉めてるとこが多かったです。みんな、休みをとって家族で集まって、クリスマスディナーを囲んでプレゼント交換ですよ。トラディショナルなスタッフドターキーって、いっぺん味見してみたいんですが、どんなもんでしょうね?好き嫌いの多い私にも食べられるかしら?
ターキーはアメリカの国鳥らしいんですが、ちょっと癖があって、正直、そんなに美味しいと思わないです。チキンのほうがずっと美味しい。慣れかもしれませんけど。クリスマスにターキーは、アメリカならではみたいで、イタリアンおばさんは、ミラノ出身ですが、クリスマスにはガチョウ(グース)を食べるとか言ってましたよ。いや、ところ変われば習慣も違うんですねぇ。

ああ、来年こそ、もっと英語ちゃんと喋れるようになりたい。
こんなふうに全身がだるーんと疲れているときは、そもそも頭の中に入ってこないですよ、英語が。もうちょっと脳が英語に慣れてくればいいのになぁと思うんですが。うーん、時間がかかります。
来年の一月半ばから、また新しくとった授業が始まりますので、忙しくなるかもしれませんが、そのほうがいいですね。新たな授業のスタイルを呑みこんでいく過程、知らないクラスメイトたちと、だんだんに打ち解けていく過程での、ほどよい緊張感が、自分の生活をピリッと引き締めてくれます。前向きな気持ちにもなれるし。

そうそう、こっちの習慣で、素敵だと思うのは、ハグ。軽く抱き合うことですけど、これはいいなぁと。
恋人とか家族じゃなければ普段から会うたびにハグしたりしないけれど、久しぶりに会ったときとか、何かプレゼントをもらったり、もうこれでお別れね、というシチュエーションで、ごく自然にハグします。私はそういうの慣れてないから、心理的に一瞬戸惑うんだけど、何を考える間もなく身体が勝手に動いてますよ。
運転を習ったインストラクターのオジサンとか、ライティングクラスの赤ペン先生とか、このまえキャットシッターをしてもらった御礼にプロバンスみやげをあげたオフィスの女性だとか・・・なんか、雰囲気的にここぞという場面に、ごく自然にハグしてきますね。まだ慣れない私は、自分からハグしたりはとてもできないけれど、握手の手を差し出すぐらいならできるかな?

とにかく、儀礼でもなんでも、そうやってお互いの好意や感謝を表現するために、他人と身体を触れ合わせることって、なんとなく気持ちいいです。きっと、それが習慣になってる人たちにはなんでもないことなんだろうけど、異国の異文化のなかで、向き合う相手の気持ちがいまいちつかめないし、自分の気持ちも上手く伝えられない、私自身そんな状況だからこそ、ハグひとつがとても暖かいものに感じるのかもしれません。
誰かを慰めたいとき、ほんとうに(色恋抜きでも)好きだと伝えたいとき、応援してるから頑張れと言いたいとき、すごく感謝してる、ありがとうと言いたいとき、どうにもこうにも言葉だけじゃもの足りない、そんな感じしたことありませんか?
批判がましいことなど言わずに、泣き虫のダメ娘をいつも励ましてくれる母、その後ろでやっぱり見守ってくれてる父、困ったときには心配してくれる友人、ほんとうにありがとう、私がんばるから、できるだけがんばるから、どこまでいっても私は私でしかないけれど、少なくともあなたたちがいるかぎり、とぼとぼと覚束ない足取りでも歩きつづけるから。そう言葉にしたくてもなぜかできない。だからハグひとつでぜんぶ伝わればいい。腕を伸ばして、胸を合わせるだけで、テレパシーみたいにぜんぶ伝わればいいのに。
涙の熱さや体温のぬくもりは、言葉を超えて、そのときほんとうに大事なもののコアだけを届けてくれる超強力な瞬間コミュニケーション。信じられるとか信じられないとかじゃない。ピピッと感じられるか感じられないか。
私はそれを感じとっていたい、だってやっぱり哺乳類だもの。だって、暖かい血が流れているもの。
魚やカエルや蛇じゃないもの。

来年、どんなことがあるんだろう。
どんな出会いがあるんだろう。どんなふうに変われるんだろう。そして、どんな別れがあるんだろう。
微熱のなかで鮮やかな幻覚をみるように、まだ生きていけるのかしら。
さあ、大好きな人にハグを。惜しみなく腕を回そう。キリストが、数少ないパンを、魚を、次々にちぎっては、けっきょく群集を満たしたように、それを惜しむ必要なんかまったくないのだから。

アリゾナはいつものように晴れ、倦怠のなかでくるくると揺れる私は今、ちょっとばかりポジティヴ。



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