アリゾナ・ダイアリー 2005

Nov.
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05/11/01 ブログはじめました

早いもので、もう十月も終わり、こちらではクリスマス用品がスーパーの店頭に並んでいます。いくらなんでも先走りすぎだろうと思うんですが、赤・緑・金銀というクリスマスカラーのキャンドルやら食器類やらリースやら、いろんなものが用意されてますね。
そういうものを揃えて、家の中をクリスマスっぽくしてみるのも一興かもしれませんが、なんとなく面倒。っていうか、うちらキリスト教とか関係ないしー、みたいな。イベント好きな人と結婚してたら、一緒に盛り上がろうぜってことになるのかもしれませんが、そうじゃないしぃー。

ところで、ブログはじめました。
Fragments (かけら、断章の意)というタイトルのとおり、まとまったことは書かない、本当に私的な心のメモみたいなもんです。トラックバックの作法とかよくわからないし、やりません(やる意味ないし)。このサイトのコンテンツのひとつとして扱います。
まとまった文章を書くのはしんどいけど、こういうメモみたいなものを書きたいなぁと思うときがしばしばあって、でも、掲示板に書くような内容でもないし、と放置してたら、結局そのまま忘れちゃうんですよ。忘れたからってどうということもないようなモンですが、せっかくだから、思いついたときにパッと書いておこうかと。それには、ブログというツールが便利かなぁと。ひとりよがりなチラシの裏のそのまた裏みたいな感じですが。

ロリポップでサーバー借りてるので、同じロリポップのブログ。安直ですが、手軽ですよ。そこそこ使い勝手いいし。っていうか、メモなので、さくさく書けさえしたらそれでいいんです、私の場合。気が向いたら、そのときパパッと書いて、パパッと更新。テキスト形式でダウンロードもできるようだし、なかなかいいですね。
チラ裏サイト(?)の、さらにチラ裏!それでも見たいという奇特な方はどうぞご遠慮なく。


05/11/03 英会話

もっとちゃんと英語が話せるようになりたいなぁ。
言ってることの意味はなんとか伝わるけど、後から思えば文法ぐちゃぐちゃ、みたいなブロークン・イングリッシュから抜け出せない。ほんと、まず文法をやらなきゃね。あと、語彙。なんでこんなに忘れてしまったの?って感じで、学生時代に覚えてた単語がほとんど頭から抜け落ちてます。また覚え直そうとしても、今度はなかなか覚えられないんです、これが。何回も同じ単語を辞書でひくハメに。
日本文のなかに出てくるカタカナ語だって、よくわかんないことあるのにね。たとえばパースペクティヴとかメタとかオルタナティヴとか、しょっちゅう目にするのに、正確な意味がわかってない。辞書ひくんだけど、それでも、その文中でその単語が何を意味したいのか、よくわからなかったりして。けっきょく、自分が使わないし、忘れちゃうのよ。メタ言語とか、いったいそれ何ですねん?って感じ。

とりあえず、語彙以外で、文法に関する致命的な難しさといったら、私にとっては時制。
過去の話なのに思わず現在形で話してたり。「もし、〜〜なら」という、ifクローズも上手く使えない。でも、普通に会話してたら、それって頻繁に言うでしょ。
「もし私が授業休むことになったら、メール出すから宿題教えてね」とか。
あと、前置詞とかもよくわかんない。えっ、この場合はinだっけ、それともat?うーん、この意味で使うならwith?それともto?みたいなことがしょっちゅう。書くときなら、辞書で確かめられるけど、会話してるとき、そんな時間ないし。まー、それでもなんとか必要な会話の目的は達せられてるから、大きな危機感とかもなくて、いつも「ちゃんと勉強しなきゃ」と思いつつ、できてないのが現状。でも、もっと気の利いた大人の会話もしたいので、やっぱ文法書でもぼちぼち読むとするか・・・面倒だけど。

関係ありませんが、よく「最近の日本の若者、特に女の子は語彙が貧相で、何かといえば『カワイー(可愛い)』の連発でバカっぽい」というような意見を見かけたりします。それって、こっちでも同じみたい。服とか買いに行くでしょ、そしたら若い女の子たちが連れ立って来ていて、なんとなく彼女らの会話を聞いていると、
「これ見てよ、めちゃカワイー!(Look at this, so cute!)」
「ほんと、カワイー!(Yeah, it's really cute!)」
の連発なんです。若者だけじゃなく、大人の女性もよく言いますけどね、cuteって。

コミカレはもう来月の半ばまでには終わりです。やっと慣れたとこなのに、あと一ヶ月ちょいしかない。また、来学期からは別のクラスをとりますけど、先生の当たり外れがあるから、今回の赤ペン先生みたいに、ベテランのいい先生であることを願ってます。


05/11/05  雄っぽさ、雌っぽさ

円安で一ドル118円ですか。
このレートで夫の年収を日本円に換算すると、3月当初よりグッとアップということに。あの頃はまだ104円とかでしたから。ほほう!って感じで、なんとなく気分が違う。だけど、ドルでもらって、ドルで生活してるんだから、現実には何も変わらないんですよね。日本からの輸入品が安くなるとかいうんなら、嬉しいですけど。

話変わって、今日のテーマは「雄っぽさ、雌っぽさ」。
いや、はてな系ブログのひとつで「オレ様男は割とモテると思うのだが」という記事を読んだんですよね、maroyakasaさんは前にも「自分には『雄度』が足りないのじゃないか」というようなことを書いてまして、雄度って何よ?そんなの気にしてるの?と思ってたんですが、なんか面白いですね。私自身のことに置き換えて、「雌としての自分」というものを考えてみたりして。ああ、ちなみにコメントつけている♀ってのは、実は私。あははは。いや、「まりねこ」ってちゃんと書いても良かったんだけど、なんとなく躊躇しちゃってー。なんでだろう?一種の照れかしら?こういう話題に対する。そうねぇ、私も自分が雌であるというナマな事実に違和感があるというか、それをあからさまにするのに抵抗感があるほうかもしれないです。だから他人がこんなこと語ってるのを見ても、モゾモゾ恥ずかしくって。キャッ(/ω\)って感じで。

思えば、私はわりと奥手だったんですよ。高校生になっても、自分が異性から性的な対象になりうるとは全然考えたことなくて、そういうのは、自分のイメージじゃないと信じてましたね。だけど、内面とは関係なく、身体は勝手に女になっていくんです。あの頃はまだもう少しぽっちゃりしていて、今よりも体型的なエロ度は高かったかもしれない。で、その身体に気持ちがついていってないから、たとえば体育の着替えのとき、クラスの女の子に「背は低いのに、脱いだらけっこう胸あるねー」とか言われたら嫌なだけでした。
またあるとき、体育祭で半袖にブルマーという格好のまま、たまたまクラブの先輩(♂)に会ったんで話していたら、あとで一緒にいた女友達から、「あの先輩、話してるあいだ、あんたの脚ばかり見てたよ」って言われてギョッとしたり。べつに先輩のことをどうこう思ってないんだけど、そんなことを言われるのが純粋に嫌だった。あと、腿が出るくらいの短パンを穿いていたら、後輩の女の子に「なんかその脚、エロいですよー」って言われて、「えーっ、どこが」と返したら、「顔や言動の印象と、脚の感じがアンバランスで、かえってエロい」んだとか。要するに、顔の表情とか物言いとかは、女々しくなくてハッキリさっぱり、なんだけど、脚は筋肉が発達してなくて柔らかそうで、どう見ても女のコだから、そのギャップがエロいって言うことだったのかな。
家ではどうかというと、自分の部屋で服を着替えてるとき、母が何かの用事で入ってきたりしたら、「あんたは、なんでカーテン開けっ放しで着替えなんかやってんの。警戒心がなさすぎる」と何度か注意されたり。でも、意味わかんなかったんですよ、ほんとに。私が着替えてるのを、誰かが見たからって、何がどうなるっていうわけ?警戒とかなんとか、自意識過剰じゃない?と思ってました。うーん、そのとき高校生ですよ。ほんと遅れてますよね、私。

誰かが自分のことを雌として(つまり性的な存在として)関心をもつなんて、まったく想像しなかった。人間として、自分の内面に関心を持つ人はいるかもしれない、それは大歓迎だけど、ひとりの女として性的なことをあれこれ妄想・要求されるなんてまっぴらごめんだし、第一、私はそういうタイプじゃないから男女の性的なアレコレとは関係ない、と思ってました。
自分でも混乱状態にありましたね、私自身はそういう雰囲気だしてるつもりないのに、他人から見るとどうも女に見えることもあるらしい、なんで?って、混乱してました。
真剣につきあう彼氏ができたときも、初めは、まだ女としてのアイデンティティーが宙に浮いたままだったので、彼に言いましたよ、「ねぇ、私って男の子みたいじゃない?あまり女の子って感じしないでしょ?」って。そしたら彼は怪訝な顔で「いいや、全然。僕にとっては女の子でしかないけど」と。
ますます混乱しましたね。私の気の強さとか、やたらプライドの高いところ、ヘリクツ言いの男勝りで、女の子としては可愛げのない面を、彼はよくよく知っているはずなのに、「女の子としてしか見られない」って。
まー、付き合いが長くなるにつれ、だんだん納得してきましたけどね、自分がナマな女として意識されることがあるんだ、それは当たり前のことなんだ、って。

でもやっぱり、そういうふうに見られるのは今も苦手です(全くそう見られないのもそれはそれで悲しいけど)。それを売り物にして生きている女の人もいるし、表面的に彼女らのように振る舞うこともできなくはないだろうけど、最後の一線で「ちょっと待って、私、そういうんじゃないから」って引いてしまうと思う。
で、自分がこうなので、男の人が「雄として生きねばならない自分」に戸惑うこともあるんだろうと、想像ならできる気がするんですよね。女性は「見られ、求められる雌」としての自分に戸惑うし、たぶん男性は「行動し、求めなければならない雄」としての自分に戸惑うんじゃないかと。
ここまで生きてきて、べつに清純ぶるわけじゃないですが、私には男の人の生理というのがいまだによくわからない。なんで性行為にそんなにもこだわるのか?わざわざお金を払ってまで、どこの誰ともわからない女を抱くことができるのはなんでか?それは性衝動が強いから、という説明があって、ふーん、そんなものかと思うんだけど、自分自身がそういうナマで切実な生理的衝動に突き動かされたことがないので、いくら説明されても、ほんとにはわからない。逆に、そういうことはできない男性もいるということを知ると、ほらね、やっぱりね、と妙に安心したりして。そのほうが私としては「男も女もけっきょく同じ人間じゃない、ねー」というオチに持っていきやすくて、安心するんですよ。
だからといって、まったく同じでもつまらない、もう本能的につまらない。じゃあ、雄度が高い俺様男がいいかというと、「私には」よくない。まあ、私自身が俺様女だからバッティングするという説もあるけれど、それよりなにより「萌え」ない(ときめかない、と言い換えても可)。

制服・スーツフェチな私というのは、ギャップ萌えなんですよ。
普段はナマな衝動を理性でかっちりと包み込んでいる、けれども、ふとした瞬間、本人は意識せずとも雄の部分が垣間見える、このギャップがもう最大級の萌え。バカな男は嫌、知的で紳士的な男でないと嫌、と思うのも、バカだとナマな衝動を押え込めないから萎えるんだし、知性と紳士的態度がないと、それをかなぐり捨てた瞬間のギャップ萌えができないのでつまらない。
ということで、私のような女もいますから、雄としての強さをことさらひけらかす俺様男にならなくてもいいんじゃないでしょうか。萌えって、タブーとワンセットになってることも多いでしょ。いつもクールで紳士的で「下半身なんかございません」って澄ました顔をしているあの人、あるいはいつも控えめで温厚、激しい自己主張なんかしないあの人に、荒々しい雄としての顔をチラリ見ちゃった!ええっ、あの人にそんなところが!・・・そのギャップに驚き、それを見てしまったことで、なんかしらタブーを破ったような気がする、そのドキドキ感が萌え。
なんかさ、初めからナマな部分が想像ついちゃったら、面白くもなんともないと思いません?私が男なら、娼婦まがいの露出度の高い服を着ている女の子にも萎えだな。
隠されれば隠されるほど、それを剥ぎ取ってみたくなる、という衝動は、萌えの基本形じゃないの?


05/11/09  日常

今日はコミカレさぼってしまった。
会話サークルの日なんですが、朝早く起きたので、また寝なおそうとベッドに入り、つぎに起きたらもう授業に間に合わない時間だったんですよ。なんか、身体もだるいし、どうせ会話サークルだし、今からバタバタ用意して遅刻してまで行くのもなんだかなぁと思ってズル休み。これが赤ペン先生の授業なら、休まないんだけどね。あの会話サークルの先生、自分がもう四回も休んでて、真面目にやる気ないんじゃないの?前もって用事があるとかいうんじゃなく、メールで知らせてくれるでもなく、教室に行ったらキャンセルの紙が貼ってあるだけって、仕事する姿勢としてどうよ?赤ペン先生の用意周到さに比べると、授業の内容自体も、どうしてもいい加減に見える。同じだけ授業料払ってるのにね。

なんだか生活がパターン化されてきて、非日常がだんだんに日常になってきてしまい、「そうそう、そういや、ここってアリゾナだったんだ。外国だったんだなー」と思い出す始末。
でも、たまに実家の両親なんかと電話で話すと、生粋の日本人感覚がよみがえります。
前に電話で、母が「今から鱒鮨を食べようと思ってるねん」とか言うので、鱒鮨!!食べたい!!とキョーレツに思いました。私、鯖鮨は嫌いだけど、鱒鮨は好きなんで。だけど、こんなテンピ界隈では絶対にそんなもの食べられないよ〜〜たとえアジア人向けマーケットでも、いろいろある和食の店でも、鱒鮨はないだろうな。
そのほかにも、広い湯船や温泉が恋しいとか、いろいろありますね。
でも、日本にはないちょっと素敵なものっていうのも、同じようにあるから、きっと帰国したら「あー、アメリカのアレが恋しい!」ってことになるんだろうなぁ。

今週の金曜はVeterans Day(退役軍人の日)でお休み。三連休です。
一泊二日ぐらいで、どこかに行こうかな。またセドナでもいいけど、ツーソンでもいいな。ツーソンに何があるかっていうと、もうひとつの大きな大学、UA(アリゾナ大学 University of Arizona)や、戦闘機などを展示してあるピマ航空博物館など。ほんとに田舎って感じのとこらしいです。テンピから二時間ほどで行けるみたい。


05/11/11 理解不能な嫌悪感

この前、ウェブサイトだかブログだか忘れましたけど、なんかとっても後味の悪いものを見てしまいました。
管理人のプロフィールは書いてなくて、でも、綴っている内容からわかるのは、だいたい三十前後くらいの独身男性。もてるとかイケメンでもなさそうで、恋愛に否定的な話は出てくるけれど、彼女の話は出てこない一人暮らしの理系職。将来、子供をもちたい願望はなく、結婚したいかどうかについての答えは、いまのところ保留。学歴はそこそこありそうで、僕って知的でしょ?という自負が行間からにじみ出ています。

自分のサイトだかブログだかで、彼はいろいろな社会事象やら自分の思ったことなどを、客観的データらしきものも引用して、分析的に書き綴っているわけですが、なかでもけっこう専業主婦叩きが多い。税金や年金問題がらみで悪者にしたり、専業主婦はとにかく男に寄生して生きる「セックスつき家政婦」なので、世の中からなくなればいい、と言わんばかりの勢い。いや、そんな記事を書いている人はたくさんいるので、私も「専業主婦叩き」や「あからさまな女性蔑視」ぐらいでは驚かないし、べつに私自身と関係ないもんねー、と引いた目で見てますが、どうしてだか、この管理人の文章の数々には並みではない嫌悪感をおぼえてしまったんですよ。
いやー、あの2ちゃんねるでも、他のサイトやブログでも、今までここまで不気味というか、嫌な気持ちになったことがなかったので、「うわっ、なんだろう、この後味の悪さ、ゾワゾワと迫ってくる嫌悪の情は?」と自分自身が奇妙に思ったことです。

で、自分の心の中をじっと覗き込んで見ました。
なぜ、この人の書くものに、こんな嫌な感じがするのか?
私のウィークポイントを突いてるから?それはNOですね。人ってふいに弱みを突付かれたら嫌悪するというより、怒りますよ。自己防衛のために、自己正当化のために、怒るわけですね。少なくとも私自身はそういう傾向にある。だから、このいやーな感じは「弱みを指摘されたから」とかではない。
なんでなの?ってよくよく考えてみたら、この人、専業主婦をさんざん叩いておきながら、専業主婦だけを集めてオフ会なんかやってるんです。えー、何が目的で他人の奥さんを集めてオフ会なんかやるわけ?んで、集まってくる主婦は、どういう気持ちで参加するわけ?
この行動がなかったら、ここまでいやーな感じはなかったかもしれません。だってー、私には理解不能だもん。まだ若い(自称)独身男のとる普通の行動とは思えないんですよねぇ。

私の飛躍した妄想力でもってこの理解不能なオフ会を理解しようとすると、なんか、この人、真性サド男じゃないかと。んで、つられてオフ会なんかに参加する主婦は、きっとダンナとうまくいってない真性マゾ女じゃないかと。
「おまえは何の役にも立たない穀潰しの豚だ!(ニヤニヤ」
とか言われて、
「そんな、いえ、その通りかもしれません、うう・・・」
と跪いてしまうマゾっているんでしょうねぇ。
あー、そういう光景を想像してしまって気持ち悪くなったのかも。
なんかねぇ、普通の非モテ男なんかとは比べ物にならないぐらい、女性(とくに母親でしょうね、この場合)に対する愛憎の屈折っていうか、ねじれが見えちゃう気がするんだもの。もー、これは卓越した私の妄想力で、ですが。
お母さんが専業主婦だったんじゃないか?母子間のねじれた愛憎を、この人は世の中の女性、とりわけ母親と同じ立場である専業主婦に投影してるんじゃないか?そうとでも妄想しなければ、まだ若い独身男性として、あまりにも説明のつかない病的な行動に思えるんですよ。

いやー、何を経由してたどり着いたか忘れましたが、もう二度と読みに行くことはないでしょうね。
だって、物事にアプローチするのに、そんな斬新な切り口はなくて、どこかで誰かが言ってるようなことをデータつきで要領よくまとめてる印象だし。その他の、ギョッと目を引くところは、なんとなく歪んでるし。っていうか、ドロリとした感触なんです。つめたくて粘っこいゼリー状のものが絡み付いてくるような。
いやいや、これ、サイコパスな犯人のでてくるミステリに仕立てられそうじゃない?
犯人は、自分のサイトあるいはブログをもってるネット有名人。主婦叩きをしながら、オフ会と称して暇と不満をもてあましている主婦たちを物色し、狙った獲物を次々と殺害していく、その動機は犯人の幼少時代のトラウマと関係している・・・
あー、どこかで見たようなストーリーだなぁ。斬新さはないけれど、フィリップ・マーゴリンあたりがすごく上手く書けば面白いかも。


05/11/13 独身男性とご近所

男の気持ちは、ほんとうによくわからない。
前回の、「専業主婦を罵倒しながらもオフ会には専業主婦だけを誘うという理解しがたい行動をとる独身男」の話を夫にしたら、いとも簡単に、
「べつに理解不能ではないぞ」
と言われてしまったわ。
要するに主婦好きだからかまって欲しいだけ、オフ会で人が来るほど注目されるには生ぬるい記事を書いていてもダメなので、わざと攻撃的・刺激的な文章で煽ってる、それだけのこと、と。まあ、真相はわからないですが、そういう見方もできるのね。で、世の中には「人妻(主婦)好き」な独身男がごまんといて、そんなのを気持ち悪いとか思ってたら、男の約半数が変態ということになる、らしいです。
へー、知らなかった、っていうか、そういう分野があるとは思ってたけど、まだ若い独身男性が好むのは、やっぱりまだ若いOLとか女子高生とかロリ美少女で、年上でもっさりした印象のある「専業主婦」なんかには関心をもたないもの、もつとしたら相当マニアックな人、と決めつけてましたよ。

昔はいざ知らず、今の一部の男性のなかでは、専業主婦イコール社会的役立たずの寄生虫、という考えがありますからね。損か得かパチパチと計算してみた結果、女ひとりを養うような面倒さとリスク、経済的負担をしょい込むのが結婚なら、自分で好きに家事やって性的な満足は風俗で、と考える人がいても不思議はないし、そういう人は結婚しなければいいだけの話なんですが、いったい「ウチ」の真実はどうなっているのか?と。
だって、ウチの結婚生活を振り返ってみたら、私の家事能力が優れているわけでなし、子供がいるわけでなし(つくる気もなし)、損得勘定だけすれば、夫にはあまりメリットなさそう?
家事だけなら誰かに頼めばいいし、外食好きだし、そもそも汚部屋でも気にならない、洗濯や入浴などもあまりしなくても気にならない人。っていうか、入浴などは積極的に「したくない」人。
なんか目に見えるメリットと同等の満足があるから結婚生活を続けているんだろうと思うんですが、まー、惰性で、っていうのもアリかもね。

でも、私も考えてみたんだけど、男が結婚してるメリットって確かにあると思うんですよ。
1)社会的に、安定した存在とみなされて、雇用されやすい。
嫁さん子供までいたら、ちょっと嫌になったから、ぐらいじゃ仕事やめられない。実際、私の実家(自営)で人を雇うとき、「年齢と配偶者の有無の釣り合い」は考慮してましたよ。いい歳をして「身を固めていない」のは、不安定な印象がつきまといます。
2)主に女がよく出入りしていて、男一人だと入りにくいところにも女性同伴だと入って行ける。
たとえば極端な例だと、ランジェリーショップや水着売り場でも、男ひとりでうろうろしてたら、「この人ナニ?」みたいな視線が集中的に突き刺さってくるでしょうが、カップルで一緒に選んでいたりすると、「んもぅ・・・ちょっと遠慮したら」とは思われても、そこまで変態扱いされることはない。女の園、タカラヅカであろうと、大手を振って見にいけます。
3)痴漢や変質者や犯罪者と思われにくい。
独身男性がひとりで幼い女の子に話し掛けたりしたら、女の子もビビるし、親からも有難くは思われません。
たとえ近所の顔見知りの女の子や女性でも、夜道やエレベータ内で独身男性に遭遇したら、本能的に警戒します。さらには、近所で痴漢や下着泥棒が出没していたり、もっと悪質な性犯罪が起こっていたりすると、ちょっとした行動が思わぬ不信感を呼んで、犯人だと推測されたり噂されるなんてことも。既婚者で子供もいたりしたら、ご近所の印象はずいぶん違うと思います。

・・・まあ、主に社会に与える印象の問題ですかね。2)ではべつに結婚してなくてもいいんですが、1),3)は、結婚しているという事実があってこそ有効です。
とくに3)だけはどうしようもないですね。偏見であろうと、一般大衆がそういう目で見ることは事実ですから。一人暮らしの独身男性イコール危険な存在、みたいな。彼女がいようと、これは軽減されませんね。頻繁に女が出入りしているからといって、だから性犯罪をおかさないとは全然思いませんから。ご近所という名の共同体がまだ現役で頑張ってるところだと、ホント、会社の帰りにコンビニでエロ本立ち読みしてる姿なんか見られようもんなら、もうえらいことに。
「ちょっと奥さん!○×コーポの二階に住んでる独身の男の人知ってはる?」
「えーと、ああ、小柄で細くて眼鏡かけてる人?」
「あの人、ゆうべコンビニで見かけたんやけど、何してはったと思う!?」
「えっ、なになに?」
「エロ本みたいなの、立ち読みしてはったんよ!」
「えーーーーーっっっ!!あの人が!!」
「そう、あの人が。いやぁ、見てはいけないものを見てしまったわぁ」
「キモーッ!!人は見かけによらんねぇ、真面目そうな人やのに!」
「そう?ちょっと暗い人やと思ってたわ、挨拶も小さい声で」
「まー、彼女おるようには見えん人やねー」
「こないだ、すれ違ったとき、うちとこの娘、ジーっと見てたんやけど、いややわぁ」
「プッ、あんたとこまだ三才やないの、考えすぎやわ」
「何言うてんの!この前の連れ去り事件で被害におうた子は二歳やったよ!」
「そやそや。あの犯人、近所では真面目な青年で通ってたなぁ。うわ、どうする?」
「どうするもこうするも・・・あんた・・・」
(顔を見合わせて)
「ぎゃははははは!!」

結論として、男性、とりわけ独身男性は、自分の住まい周辺でエロ本の立ち読みやエロビデオの借り出しなどは避けたほうが良い。
って、そういう問題じゃないか。


05/11/15  ええじゃないか

連休中、結局どこにも行かなかったので、ゴロゴロしながら、夫に、
「なぁ、私と結婚してるメリットって何?あんたにとって私ってどういう存在?」
と、問い詰めていたら、
「えー、そんなん言われても、どう答えたらいいんや〜」
と警戒しつつヘラヘラしている夫、なおもしつこく問い詰めると、
「うーん、どういう存在って、それは・・・『人生のパートナー』であるべきところが」
「ところが?」
「・・・オコタン」
「ハァ?」
どうも、私はオコタンらしいです。
「オコタンは洗濯も掃除もせんし、ご飯もつくらんで」と言うと、
「うん、でも、そんなことやったら、それこそ、誰か雇ってもやってくれるし。そのほうが面倒でなくていいし」
「なにが(イライラ)」
「おまえって、かまったらなあかんやん。すぐ怒るし」
「面倒なんやったら、かまってくれんで結構!!(キレ気味)だから、あんたにとって、私の価値は?」
「んー、やっぱオコタンかなぁ。おまえにとってのオコタン」

まったく要領を得ず。
要するに猫を一匹とひとり、飼っていると。
私だって、オコタンに何かしてもらおうとか思って、いろいろ世話してるわけじゃない。
純粋に、世話したいからしてる、可愛いと思うからしてる、一緒にいたいと思うから、一緒にいる。
もしオコタンに人間の言葉が喋れて、
「ボクに何の価値があるの?ボクにかけるお金で、自分の指輪を買おうと思わないの?」
とか言ったら、
「何を言うてんのや、このクソ猫が!そんなたわけたことを考えるような子に育てた覚えはない!!あんたはな、生きてここにおるだけで価値があるんや!」
と叱りとばすよ、私は。

「なぁ、結婚て、損と思わんの?私がおらんかったら、あんたの給料、みんなあんたのものやし、好きに生きられるやん?」
「そういう損得は、人生どう楽しく生きるかとか、何が幸せかとか、そういうことと、関係ないやろ」

♪ええじゃないか、ええじゃないか、ええじゃないか〜

この人の思考回路は、これはこれでええじゃないか。
損と思う人も、それはそれでええじゃないか。

必ずしも、みんなが等しく理解しあってハッピーになれはしない、それはこの世の不平等さ、神はユートピアなんか望んでいないということ。
与えられた環境の中で、どう生きれば自分にとって最大限の幸福を感じられるか?
もがきながら、夢を見ながら、ぼんやりしながら、うっかりと生れ落ちたこの地上のうえを休み休み、歩く。
私も歩く。
オコタンも歩く。
みんなも歩く。
そして出会ったり、別れたり、好きになったり、嫌いになったり、そうしてまた歩く。
網の目が見える?かたつむりが這った跡が銀色に光るように、私たちの歩いてきた跡が、交差しながら網の目のように光っている。
握手するならこの手は二つしかないけれど、思いを飛ばすなら電光石火でアクセス可能、どこにいても、なにをしていても。脈打つように光る、この網の目をたどって。

♪きみのこと ぼくは すきだよ
  まちの灯は だれかを しあわせにしている(小田和正/正義は勝つ)


05/11/17 どこかにいるそのひと

12月にまた夫の学会出張について、フランスに行くことに。
あー、寒いだろうなぁ。いや、アリゾナではまだ半袖着てますよ、普通に。人それぞれですね、私は半袖のうえに、コットンのカーディガンとか、そういう格好。でも、いまだにキャミソールで歩いてる若い女の子もいるし。かと思えば、長袖のトレーナーや薄手のフリースひっかけてる人もいるし。日が照ると暑いけれど、翳ると急に涼しくなります。まあ、基本的には快適な季節ですが。

フランスといえば、暴動はもうおさまったようで、そっちの心配はしてませんが、やっぱりここからだとヨーロッパは遠い!!直行便がないので、フェニックスからだと一回乗り換えしなきゃいけないんですよ。もー、関空より不便。
他の何よりも自分の体力的なことが心配です。2003年の夏のローマみたいなしんどい思いだけはもう嫌ですから。自分の身体が弱いのがつらい。いまだに、薬が手放せないのがね。昔だと、海外旅行っていうと、ひたすらワーイワーイ♪って感じだったのに、今ではまず、「体力的にきつくないかな、日程無事にこなせるかな・・・」って考えなきゃいけない。旅行会社の格安パッケージツアーなんか、ちょっと怖くて参加できないです。あー、身体的に頑健な人が羨ましい。

私、いまさら気づいてしまいましたけどね、やっぱ「守られ願望」がそこそこ強い女なんだわ。
ポップな歌の♪きみを守りたい、とかいう詞のフレーズに、「けっ、おまえに何が守りきれるねん」と思っちゃうのは、どこか「ほんとうに守ってもらえること」を期待してるからなんじゃないかと。安易な歌詞にイライラするのは、「守ってもらえるものなら守って欲しい、でも、あんたの意気込みは中途半端すぎて、とてもじゃないけどマトモに受け取れないの、考えなしの口約束はかえってウザイのよ」、という感覚なんだと思います。
守るっていうのも抽象的なんだけど、自分が世間の荒波にさらされないよう、その防波堤になって欲しいって感じ。
たとえば社会で働くっていうことは、その入り口からしてもう競争でしょ。競争となると、道徳的には勧められたものではないような手を、なりふりかまわず使う人や場合も多々あるわけじゃない。勝とうと思ったら、常に周囲の動向を気にしつつ臨戦体制を崩してはいけない。緊張やプレッシャーに押しつぶされそうになったり、ストレスで精神や身体の状態が悪くなったりすることもあるでしょう。そういうの、嫌だなぁ、できたら関わりたくないなぁ、と思うわけ。もちろん、そんなこと言ってられない環境に生きている人はたくさんいて、みんな大変なのよー、ということでは連帯感もってたりする。そういう面で、「そんなこと言ってられる環境に生きている私」としては、疎外感はありますよ。なんとなくの引け目とか。

こういうのって肉体・精神的な頑健さとも関係あると思いますね。もし私が少しぐらい睡眠時間が短くても平気で、精神的な苦痛が身体にあまり現れないようなタフネスの持ち主なら、とっくに仕事を見つけてお金もちゃんと稼いでいて、誰かに守って欲しいなんて思わないかもしれないもの。
「そういう願望って、端的に言うと甘え以外のなにものでもないじゃない?人はみんなその能力を社会に還元すべきで、できない人はハッキリこの世の中ではお荷物な存在だわね」って、平然と言い放ってますよ、たぶん。
まあ、しかし、自分がそうできないとなると、考えもそれなりに変わってきます。誰かに(男に)守ってもらえたらいいのになぁって。で、まあ、実際、行動にも移してるわけですが。

思えば私の年代の女は、けっこう「美味しいとこ取り」してきたのかもね。
学生時代は女もキャリアをもつことがもてはやされ、就職のときは機会均等法ができて、世間的な風潮としては、女も自立した存在と認められつつも、バブル時代は男に貢がせてナンボという感覚が流行、タフで無口な男より、優しい癒し系男がクローズアップされ、同時に男も容姿が問われるようになり、男性用メイク用品なんかが出てきた。一連の流れにとまどった男たちは、
「男らしくリードしようとすれば『時代錯誤』と嫌われ、こうして欲しいという通りにすれば『軟弱』と言われたあげくに利用され、いったい男ってどうすればいいわけ?」
と嘆いてましたよ。今思えば、面白い時代でした。
でも、人間って、常に試行錯誤してるんですよね、今だってそう。
過去からの流れがちょっと極端になりすぎてる感じがします。昔はまだ、無口であっても誠実な男、容姿がイマイチでも優しい男がいい、という価値観があったんですけどね、いや、今もあると思いますけど、なんか騒がれてるのは、とにかくイケメンかどうか、金持ちかどうかっていう、すごく表層的というか、原始的な部分ですよね。もしも、女がそういう価値観しかもっていないとしたら、三次元には幻滅したっていう言い方もできると思いますけど、たぶん違うでしょ。メディアがそういう部分だけをとりあげるので、そんな価値観しか存在しないように見えるけれど、実際には個々の価値観の多様性というのは昔よりも広がっていると感じるんです。

働きながらも、こういうの、自分には向いてない、古風かもしれないけど、寿退社して家庭に収まりたい、と思ってる女性は多いと思う。身体的にどうしてもハンデありますから。すべての女が男並みには働けません。
ここで不運なのは、日本経済がずーっと低迷して、みんなが危機感をもっていること。
家族を「養っていく」だけの余力が事実上ない、あるいは、そんなことしていたら今の生活レベルが下がるので嫌だ、という男が増えた。これまでなにかと社会的に優遇されてきた男ですらそうなのに、女がちょっと働きに出ているからって、いままでの男並みに「家族を養っていく」ことができるのは、ほんとうにわずかな女だけ。お互いに、確約もできないことを引き受けるのが嫌で、そんなにメリットないならやめとこか、という感じ?

自立して、というか、ひとりで生きていける人、ずーっと年老いてもね、そういうことができる人なら、それはそれでいい。けど、明日なにがあるかわからないのがこの生身のからだ。
それでなくても「守られ願望」のある女はどうしたらいい?
そして、「守りたい願望」、言い換えれば、「ずーっと俺ひとり生きていくのはヤダよ、誰かそばにいてよ、ひとりじゃ子供ももてないよ、寂しいよ、ひょっとして病気とか怪我するかもしんないし、親だっていずれ死ぬだろうし、やっぱひとりはヤダよ、俺できるだけ仕事がんばるからさ、いろんなこと頑張るからさ、誰かここにいてよー」という願望をもつ男はどうしたらいい?
たとえば結婚という制度に縛られなくてもいい、相手が必ずしも異性でなくてもいいかもしれない、誰かと共に生きていく方法は、いろいろあるだろうから。
でもまずその誰かを探さなきゃいけない。
頭だけでカシャカシャ計算して、メディアの描くしあわせに踊らされて、ますます生身のそのひとが遠ざかっていく、どこかにいるはずのそのひと。
新聞読むのやめて、テレビ見るのやめて、雑誌買うのやめて、ネットの回線切って、自分を誤魔化すのやめて。
そうしたら何が見えてくる?
ほんとうに触れる自分の手足、自分の身体。いきている細胞、生まれては死んでいく細胞、流れていく時間のなかで、変化してやまない肉体。ほんとうに息をしている他人、触れるほど近くにいるのに、なぜか触れない他人、満員電車で胸の鼓動まで聞こえるほどくっついているのに、はるか彼方にいる他人。
自分、他人、自分、そして、他人。その隙間に落ちてくるネオン、その隙間を埋めていく雑音。みんな死と隣り合わせ。どこかにいるはずの、そのひともまた。


05/11/19 スローサイト

私のサイトを定期的に見てくれている人は、とっても忍耐強いのだということがわかりました。
というのはね、私のサイトコンテンツのテキストは、文字の大きさに配慮だとか、わかりやすい言葉を選ぶとかいうことはしているけど、たいがい長文だし、何かタメになる裏情報が書かれているわけでなし、写真などが貼られていて視覚的に面白いわけでなし、それなりの忍耐力がないと読めないんですね。

どこかで見かけましたが、アクセスが増えるテキストサイトをつくるには、まず一般的に関心の高そうな時事問題、流行の話題などをトピックに選び、枝葉を端折って短くまとめた文章の中に、どれだけ普遍的価値のある情報を盛り込めるか、ということらしいです。視覚的にもこれくらいの分量ならサッと読めると思わせること、小見出しなどをつけて話の流れを追いやすくし、異なる視点からの分析などはあえて軽く流して結論を際立たせるのがアクセスアップのコツだそうです。
なるほどねー。と思うと同時に、私って、まったく正反対のことしてない?と。
いま自分に関心のあることをトピックにしてるし、文章を短く刈り込むどころか毎度の長文、べつにとりたてて万人に有益な情報が含まれているわけではないし、視覚的にもサッと読めそうにないなって感じだし。小見出しなんかつけてないし。あれこれ欲張ってダラダラ説明しすぎだし。
まー、これじゃあ、このサイトの管理人はアクセス欲しくないんだな、みんなに見て欲しいと思ってないんだなって、受け取られてもしゃーない感じ。
いや、本人は「読者?アクセス数?そんなのどうでもいいわよ、私は私の思ったことを書くのよ」と開き直ってるわけじゃなくて、見てくれる人がいないよりはいるにこしたことないし、コンスタントに見てくれる人が増えたら嬉しい気持ちはあるわけですが。

でもねー。できないもん、しょーがないじゃない。
面白くないしね、自分でそういう「アクセスアップのコツ」に沿った文章を書いていても。楽しめないなら、本末転倒じゃない?結果的に、右肩上がりにアクセスがどんどん増えていますってことはないけれど、逆にどんどん減ってほとんど誰も見てくれてない、みたいな状況でもないから、どうなんでしょうね、なんかこうマイナーなんだけど、珍しくツボにはまった人だけがコンスタントに見てくれているということなのかな。メジャーレーベルに対するインディーズみたいな。
それはそれで、悪くないと思ってますよ。いろんな人がせわしなく情報交換したり立ち話をしながら通り過ぎていく大きなパーティっていうイメージより、気心知れた人とカフェのテーブルで道行く人を眺めながらゆっくり話をしているイメージのほうが心地いい。もちろん、そこに新しく入ってくる人は誰でもウェルカム。
スローライフならぬ、スローサイト。読みに来てくださるみなさん、ありがとう。


05/11/22 想像力の限界

最近つくづく思うこと。「想像力には限界がある」。
あたりまえなんだけども。
たとえば、マリー・アントワネットが「パンがないならお菓子を食べればいいじゃない」と言ったというエピソード。この話自体は史実ではないのかもしれませんが、以前にウィーン旅行をしたとき、あーこんな環境で育っていたら、ひとカケラの悪気もなく、そういうこと言っちゃっても不思議ないよなあって思いました。彼女に「民衆の飢えを思いやれ、想像してみろ」だなんて、そのほうが酷なんだわ。知らないんだもの。知る機会もないし。

私が大学を卒業して随分たったころ友人に、思い出話のついで、みたいな感じで言われたこと。
「あんたって、いつも会うたびに違う服着てたよね、で、『○○のバーゲンで買ったから安かったよ、このブラウスが七千円。お買い得!』とか笑ってて。あたしとか他の下宿組なんて、ぜいぜいスーパーで三千円ぐらいのブラウス買う程度だったから、金銭感覚が違うんだーと思った」
いやぁ、ちっとも知らなかった。その友達は誰かを妬んだりする人じゃないので、ほんとうに笑い話として言ったんだと思うけど。でも、そんなこと聞かされるまで、こっちはまったくそういうことは想像したことなかったです。他に大学時代につきあっていた子のなかには、ブランドものの二万も三万もする服をプロパーで買っていた子もいたから、私なんか本当に庶民のなかの庶民、みたいな気分でいました。
いや、たぶん中流っていうのが現実なんだと思うけれど、たまーに「世間知らずね」みたいなこと言われると、なんかよくわかんなくなりますよ、自分の立ってる場所というのが。お風呂がない家あるなんて、洗濯機もってない人いるなんて、とイチイチ驚いていたら馬鹿にされてしまったり。

私、そもそもあまり興味ないもんね、よその誰かがどんな暮らしをしてるか、なんて。そんなことじゃいけないのだろうか、知らずに人を傷つけたり不愉快にさせたりするのかな、と思いますが、どうも想像力が貧困で。自分と接する相手がどんな暮らしぶりをしているか、ある程度の見当をつけられればいいんでしょうけど、そんなの本当にはわからないもんなぁ。あんまり詮索したり想像しすぎたりするのも失礼なような気がしますし。
そう考えたら、身なりっていうのは、すごく重要なメッセージなのかもね。
余裕のある人は、それなりの格好をしている人が多いし、ない人はやっぱりそれなりの格好をしていることが多い。お金あるのに服や持ち物に無頓着、とか、お金ないのに見栄はり、という場合もあるけれど。

経済的な裕福さにまつわる格差は、相手の社会的な肩書きとか身なりを知ればある程度想像できるとして、外からじゃわからないことは、どうか?
私は身体の状態がひどかったとき、電車で一駅の場所へ行くのも不安でした。電車のなかでパニック発作が起きたらどうしよう、と思うとね、ほんとに乗れない。外食も出来なかった。そのレストランまでたどりつけないし、落ち着いて食べられない。今でも、知らない人との外食は苦手ですよ、だって相手は私の身体的事情なんかわからないもの、外見からでは。
「自分が注文したくせに半分も残して、マナー悪いヤツ」
「美味しいと思って勧めたんだけど、口に合わなかったかな?」
いろいろ思われそうだけど、かくかくしかじかの事情で、あまり食べられませんからって、プライベートなことを他人にベラベラ話すのもためらわれるし。私の場合、もうしょうがないと思ってますよ。
杖をついていたり、どこかに包帯を巻いていたりすると、どうやってその人に気遣いを示せばいいか、本人が何にも言わずともわかるんでしょうけどね。。

最近、闘病サイトの日記でもないのに、自分は精神科に通ってます、一日に、××を何錠、△△を何錠、飲んでます、それでもまだ不安感がおさまらず、手が震えてきます、みたいなことをペラッと書いている人たちは、何がしたいのかしらと思います。
だから気遣ってくれ、ということ?
でもそれ、健康な人にはわからないから。想像できないと思うの。××を何錠ったってね、その薬がどんなもので、その分量から健康状態を推し量るなんて、同じ病人か、医者にしかできない。ただの通りすがりの読者は、なんとなく大変そうだと思うだけ。
あと、これも大流行だけど、他愛もない恋話で盛り上がられると恋愛体験のない自分には苦痛ですみたいな主張、そんなのずっと付き合いのある人でないとわからない話じゃない。
ネットに書いても、ほんとかどうかわかんない話なんて、リアルでもきっと他人にとっては想像の範疇外で、だからせめて気遣ってもらえるように書いていますったって、普通の人間には外見からわからないことを想像力でおぎなって、誰にも失礼のないように、誰をも傷つけたり不愉快にさせたり、悲しませないようにしよう、なんて、絶対にできない。
ハゲの人に、面と向かって「いやー、ますますハゲたね」とか言わない、お腹の大きな妊婦さんが乗ってきたら電車の席をゆずる、そんなことは期待できますけどね、人がもっているすべての痛みや弱さを想像して、誰をも傷つけたり不愉快にさせたり、悲しませないようにしよう、なんて、絶対にできない。そんなことを他人にも提唱してるのって、なんだか嘘くさい。そんなの、本人にだって、誰にだってできないんだから。優しい私、リベラルで思慮深い私、そういうのを演じるには使えるかもしれませんけど。


05/11/25 So, I pray

今日はサンクスギビングデイ(こっちはまだ24日の昼)。
学校やスーパーなどもお休みです。

ゆうべ、とあるアパートメントに私たちを含む日本人ばかりが数名集まり、飲み会と称してダラダラしておりました。七時から行って、結局、帰ってきたの、翌日(つまり今日)の三時半ぐらい・・・さすがに疲れたわ。
で、その席で面白い話と思ったのは、
「男はどうして出会った女のディテールを思い出して言語化できないの?」
ということなんだけど。
いや、私、つねづね疑問だったのね、私を含む周りの女(といってもサンプル少なし)は、彼氏と初めて会ったときのことを話して、とか、この前会った男の人のことを話して、と言われたら、何を着ていて、どんな顔をしていて、どんなことを話して、細かく言葉で表現できるわけ。具体的に、「眉毛は太くて、でも途中からまばらになってて、鼻筋は通ってるけど鼻の穴がわりと大きくて、唇は○○(タレントなどの名前)をもっと薄くした感じ」、みたいにね。でも、どうも男にはそういう能力ないみたいなの。ある人もいるのかもしれないけど、私の知る限り(サンプル少なし)、「んも〜、それじゃイメージできないじゃない、どういう格好でどんな顔してたのか、もっと具体的に思い出してよ!」とイライラすることがしばしばあったので。
チラっとそういう話をすると、その場にいた数名みんなが、

「そりゃー、男は見るところが違うからさ〜!」


ええっ。ど、どこを見てるわけ?
女と会って、男はいったい、どこを見ているわけ?普通、顔から始めて、胸とか足とか?
で、ある男性が、

「男はずばり、『やれるか、やれないか?』という観点で見てるんスよ〜」


と言うと、みんなウンウンと首がちぎれるほどうなずいている。
ハァ?!なにそれ!
よーく聞くと、「性的な対象として見ることが可能か、そうでないか」という意味らしいです。そして、それは総合的な雰囲気で決まるもので、顔なんかは好みはあれど、「目鼻がちゃんとついてて、ある程度の好感がもてればそれでいい」し、服とか髪型はもっとどうでもいい、ということらしいです。中身のボディが肝心と。
はー、そういうもん??
そうか、中身を想像するのに忙しいもんだから、それを包んでる洋服のディテールなんかは覚えてないっちゅうわけだ。

謎が解けたわ。
っていうか、なんかすごく・・・即物的。じゃない?

話は少し飛躍しますが、男とは、いったいどんな呪いをかけられて、己の性欲と格闘するはめに陥ったのでありましょうか。つらつらネットを見ていたら、めちゃタイムリー(?)な記事が。

風俗は短期的な解決にはなりうる

↑ここから引用しますが、

街を行く美しい女性たちを羨望のまなざしで見つめ、幸せを振りまいて歩くカップルを恨み呪いの言葉を投げつけ、寂しさと恐怖と「ぬくもりが欲しい」という感情で気も狂わんばかりに精神的に追い詰められて、このままでは自分はいつか恐ろしい犯罪を犯してしまうのではなかろうかとさえ考え始めたときに、いくばくかの金を払って数十分間ひとりの女の子と二人きりで過ごす権利を買う。その数十分間は、どうやっても埋めることができなかった自分の中のある部分を、確実に、しかし不完全に、埋めてくれる。

もちろん、そうではない男性もいるのだろうから、みんながみんな、己が満たされぬ欲求(異性に対する性的・精神的)を抱えていると、こんなふうに考えるものなのだな、とは思いませんが、正直、うーん・・・って感じです。
ほんと、私の想像力の限界。
いや、書いてあることを読めば、あーそうなのかと思ったりもするんだけど、ほんとうにここまでの切実感というのはわからないんですよ、性欲と承認欲求とが、ごっちゃになって、「あああ〜〜〜っっっ!苦しい、つらい!」というのはね。
こういう男がいて、そんなのわからない女がいて、世の中の事象は複雑に回転していく、傷つけたり、傷つけられたり、くっついたり、離れたりを繰り返しながら。

・・・書く言葉がみつからない。
So, I pray;

God bless you, God bless me,
God bless men, God bless women,
God bless all of us !!


(クリスチャンじゃないから、このGodは、広義の「神」ね)


05/11/26 値札

あー、暇なんだけど暇じゃない。
あと10日ほどしたら、授業で5-7分のtalkをしなきゃなんない。まだ準備できてないの。
やらなきゃいけないと思いつつ・・・

♪そして季節は追われるように 足早にすぎてく
   悩みは尽きなくて 迷いは果てなくて
              (小田和正/正義は勝つ)

なにもかもカオスになっていく、ぜんぜん整理できないまま。
こんなときもあるんだろうと思うけれど、こんなふうに終わるのかな、けっきょくは。
私が日本に残してきた「思い出箱」には、過去の日記とか写真とか、恥ずかしくて見られたくないけど、捨てたくもないものがつまっていて、それは親に預けてあるんだけど、何か不慮の事故で死んだりしたら、それを私と一緒に焼いてくれと遺言しておくべきなんだわ。
いや、一応、言ったことはあると思うんだけれども、あと、お葬式には菊の花なんかやめて、ユリとか蘭の花を使ってほしいとか。だけど、本人が死んじゃったら、残された家族は絶対に知りたがると思うのね、日記なんてもう、生の一部を切り取ったものなんだから、本人がいなくなれば貴重。
やっぱり、ひょっとしたらの場合にそなえて、念押ししておくべきなんでしょうね。見るな、と。
このサイトだって、残ってしまうわけだけど、こっちはある程度、見られるカタチにしてあるからね、素材そのものじゃなくて、必要なだけの加工はしてあるから、べつにかまわないんだけれども。

とつぜん、人に優しくしたい気持ちになったりもするんだけど、だから心に余裕があるかというと、そうでもない。その瞬間には、自分だって余裕がないんだとか、そもそも醒めてしまったら意味ないよとか、そういうことを忘れているだけ。「現実」はというと、相変わらず、目の上のタンコブでしかない。
だけど小さな幸せにすがって生きることを、恥ずかしいと思わなくなったのは、いいことかもしれない。
たとえば、カーテンをつけてみたら部屋の雰囲気が一層、ファンシーになったとか。今行っているクラスで、とりあえずメールを気楽に出せる友達が二人ほど見つかったとか。コリアン・マーケットで買った梨が美味しかったとか。だけど、夢見るころを過ぎても、夢見るように生きて、それがいつまで許されるのかと思うと、ちょっと悲観的にもなって。

誰かのブログを見たら、「若い女性というものは、大金を持って歩いている小学生のようなものだ」つまり、若い女性の精神と肉体について、そういうふうに例えられているんだけれど、そうしたら、この私はいま、いくらぐらい持って歩いている何なのか?と想像せざるをえなくなって、しばし考え込んでしまいました。
いや、その例えはきっと、大方の総意なんだろうと思うけれど、そうであればこそ、自分にはいくらの値札がついているのか?と思わせられて、けっきょくのところ、それは自分でつけちゃってもいいんでしょ、と。だけど、白紙の値札に自分の納得できる数字を書こうとしていると、どうにもこうにもやりきれなくなって、ビリビリと破き捨ててしまいましたよ、風に飛ばして。

夢見るころを過ぎても、夢見るように生きて、それがいつまで許されるのかと思って目覚めると、他者の視線が怖くなって。だからガラス戸を閉めて、冷たい風が吹き込まないように、この温室は、一定の範囲内の温度に保たなければいけません。ぴしゃりと閉めて、ぜんぶ点検して、温度計を見て、安心して。入り口には、「売り物ではありません」という札をさげておく。それでも人は思うの、ガラスの外から指をさして、「あれはいくらだろうな?」って。
NO!あなたの数字を押し付けないで。あなたの値札なんかいらない。
手渡された値札を、ちぎっては捨て、ちぎっては捨て、人生はなんて忙しいの?
どうせ避けられないのならば、誰の数字にも怯えないで生きたい。
ほら、新しい値札に自分で好きな数字を書くのよ、黒いマジックペンで大きくね、目立つようにね、誰にも有無を言わせないほどハッキリとね!
だけど、頭の中で逃げ回る数字、それを追いかけてつかまえることができない。どうしても。


05/11/29 誉められたい

お世辞にも、私は美人じゃないし、しかも、もう若くもありません。
だけど、女としての強欲さはまだあります。
それを捨てたら、きっとラクになれるんだろうけど、一気にオバサン化しそうで嫌。
もー、最近ちょっと鬱になるようなことがあって、「今まで好かれてると思ってたんだけど、そうでもなかったんだわ」的なことなんですが、そのポイントというのが、自分でも密かにコンプレックス感じてたところなので、余計にダメージでした。

「えっ、ほんとは私、こんなふうに見られてたのね」

「好かれてなかったのね、私が知らなかっただけで」

「じゃー、今まで誉めてくれてたのは、いったい何だったの!」

「あー、周りの誰も彼もがきっとそうなんだ、実はそういうふうに思ってるんだ」

「みんな嫌い!あっち行け!嘘つき!」

という思考回路で、怒りのやり場がない感じ。
こんなこと今までなかったのに。
ほーんと、自己評価ってのは、いったん下がり始めると、ズルズル下がっていきますね。自己評価の低い「非モテ」の人が、卑屈になって異性も社会もいっしょくたにして憎しみだけをつのらせていくプロセス、わかるわ〜。それは辛い。何もかも破壊してやるッ!!というテロな気分にもなるわなって。
まー、私は実行はしませんが。瞬間的に、身体の血が沸騰することはありますよ。

その歳でアナタ、いったい何を騒いでるの?もう少し、物事に動じないようになりなさいよ、というだけの話なんですが、そう簡単にコントロールできませんよ、特に私は我侭な性格に生まれついているものですから。
白雪姫の継母がもっていた鏡が欲しい。
「この世で一番うつくしいのは誰?」
「それはあなたです、女王様」
果てしなくエンドレスで、この答えだけを繰り返してくれる鏡。
決して、
「それは白雪姫です、女王様」
なんて言わない。たとえそれが本当のことでも。あんな鏡、割られても当然。
聞きたい答えは、まず自分の中にあって、それをわざわざ他の誰かに確認とりたいだけなんだから。真実なんかどうでもいい。むしろ、真実なんか、答えてくれないほうがいい。そんなことは、薄々知っているものなんだから。誰かの口を通してまで、聞きたくはない。

どうしてそれだけの優しささえもないの?
私が、優しくするに値しない存在だとでも?
そうね、私だって決して優しくはないからね、お互い様だよね。
生きていくモチベーション下げまくり。
「みんな嫌い!あっち行け!嘘つき!」
そうよ、私なんか、みんなからブスだと後ろ指さされて、嫌われてるのよ、ええ、そうよ、おまけにババアの勘違いとか、陰では嘲笑されてんのよ、もうしにたい。

だけど、わかってる、一歩この輪の外に出れば、私を必要としてくれる誰かが、必ずどこかにいること。
それこそ執念で探し出してみせる、でないと生きてる意味ないじゃない。
そのときは忘れるわ、幸せは、忘却促進剤。
誉めてもらう、うんと誉めてもらう、生きていくモチベーションを上げてもらう、こんな不平等で、出来そこないの世界にも、生れ落ちた価値があると、信じさせてもらう、でないと生きられない、夢をみていないと、生きられない、だから、誉めてもらう、繰り返し繰り返し、おまえは可愛いよ、やろうと思えば何だってできるよ、みんなおまえを愛しているんだよ、と。
本当のことって何?
そんなの、生きていくには邪魔なのよ。



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