アリゾナ・ダイアリー 2005

Oct.
4 / 7 / 8 / 10 / 12 / 14 / 15 / 16 / 18 / 21 / 22 / 25 / 29


05/10/04

前のアパートの契約が切れたので、新しいところを探して引越しました。
ちょっと旧式のアパートメントで(カーペットや壁などはきれいにリフォームされてますが)、そのぶん家賃が安い。まあまあ便利なロケーション、なおかつ閑静な雰囲気が気に入ってここに決めました。

引越しは業者に頼んだんですが、もっと日にちの余裕をとっておけばよかったのに、ほとんど直前になって、いきなりドタバタ探してしまったものですから、初めに頼んだ業者にはドタキャンされるは、次の業者はその日に来ると言ったのになかなか来ないで次の日にずれ込むは、しかも、次の日だって約束の時間より二時間も遅れて来るは、最低でした。もう、ほんっとに最低。誠意ってものが感じられない。いや、こっちには引っ越し業者、たくさんあるんですが、やっぱりちょっと高くても大手がいいんですかねぇ。個人営業みたいなところは、どうも信用できない感じ。積み込みにもけっこう時間がかかりましたし、いざ運ぶ段になって、ランチブレイクはいいんだけど、これまた時間が大幅に遅れて、こっちは荷物を持ち逃げされたんじゃないかとヒヤヒヤ。やっと新居に来て、積荷を下ろしてもらったら、IKEAで買ったランプ(安いものだけど)は割れてるし。ハラワタ煮えくり返りまくり。チップなんか最低限にしてやりましたよ、ええ。もう精神的にも肉体的にも疲労の極みです。
それでも、なんとか引越しできたのは、困り果てた私たちが、こっちで知り合った日本人会の人に電話をして、その人が向こうと交渉してくれたおかげなんですよ。私らの英語力では、とてもネゴシエイトできなかったかもしれません。彼が電話で業者との間に入ってくれたおかげで、ずいぶん助かりました。
ほんと、こっちで生き抜いていくには何をさておいても、英語力。そしてお金です。

いま、部屋のなかはダンボール箱やらいろんなものでメチャクチャですが、時間をかけて整えていくつもりです。
今度は2ベッドルーム2バスなので、二人に一部屋ずつ当たる予定。私もちょっと本腰いれて英語の勉強したいので、自分用のデスクとか本棚を買おうかな、と思っています。マイルームを好きなようにデコレイトして楽しみたい。リビングにはもう固執しませんよ。もう、共有スペースを自分の思いどおりにデコレイトしたいとか、そういう野心は放棄しました。私は、それとひきかえに得た私の部屋を死守する所存です。

ところで話はかわりますが、今じゃ誰でもやってるブログ。
私はブログの融通のきかないところ(デザインとか構成を思い通りにできない)が嫌で、検討はしたけれど結局、使わないことにしたんですが、「はてな」では、ブログを書いたらそれを一冊からでも製本できるというサービスがあるんだそうな。これって、いいんじゃない?面白そう。やっぱり活字になることの意味ってあるものね。
それに、今使っている「まりねこ」はHNであっても、一部の人たちには実名晒してるみたいなもんだから、そんなに匿名性がないんですよね。だから、あまりセキララな実態を書けないこともあります。いや、私はいいんだけどさ、周りに迷惑がかかるじゃない?別アカウントで、匿名性を強化したら、もっと書けることもあるのになぁって思ったんですよ。まあ、なんでそこまでして書くのか、という意見もありますが、もって生まれた病気ですよ、病気。「とりあえず、なにか書きたい病」。「あわよくば、読んでほしい病」。
いったい誰がこんなの見てくれてるの、とか一日に何人がアクセスしてるの、とかいちいち考えてたら、やってられないですよ。
アクセスアップだけしたいんなら、もっと年齢設定を若くして、独身になりすまして、キャミソール姿の写真でもアップすればいいんじゃない?いや、写真はもちろんちょっと加工しますけどね。で、年齢イコール彼氏いない歴、可愛いって言われることもあるんだけど、なぜかモテナイ、ああ〜ん、彼氏募集中〜、みたいな感じで書けばいいんじゃない?いま、モテナイって旬(をちょい過ぎた感じ)でしょ。モテナイ、モテナイって言えば言うほど、ネットのなかではアクセスアップになるもんね?つまり、ネットモテする。実生活ではどうなんだか知りませんよ、そんなの。
私は実生活でモテたいですけどね。顔もわからないネットの人間関係なんて、ほんとに希薄だもの。ある日とつぜん、メールが来なくなったとしても、なぜかわからない。いろいろ気を回しても、ジ、エンド。どうしようもない。そんなもの。

こんな時代にネットなんかしてる若者って、幸せなんだか不幸なんだか。
騙されたくないから、先回りして、騙されないように身構えてる。リアルじゃモテナイんだけど、ネットモテできちゃって、時には心理的に依存していく。何がほんとうのことか、結局はわからないから、リアルでも「ほんとうのことを見抜くちから」を軽視したり、逆に難しくとらえすぎたり。
人間のココロのダークサイドなんか、知り過ぎないほうがいいのかも。だいたいが些細な、つまらないことなのに、なんとなく天真爛漫に笑えなくなる。ストレートに行動できなくなる。斜に構えて、(たいていは自分の感情に基づく)理論武装をして、誰かの揚げ足をとることがスマートで一歩抜きん出ることだと勘違い。でも、その瞳は、きらめいている?いらない荷物を背負いすぎて、曇った顔ばかりしていたら、恩寵も何もない。涙がでるほど幸福な瞬間、比較級でない絶対評価の幸福が、この世にあることを信じていなければ。


05/10/07

家の中は、だんだんに片付きつつありますが、それに比例して引越しの疲れがたまってます。
そのうえ、毎日の宿題がプレッシャーに。日によってまちまちですが、けっこう多いんですよ。アメリカの学生は、高校まではあまり勉強しないもんで、大学に入ってから猛烈に課題をこなさねばならなくなります。私なんかESLの二科目だからたいしたことないけれど、何科目もとっている普通の大学生で、それぞれの科目ごとにあれだけの課題を出されたら、フラフラになりますよ。

Writing with Oral Practice のクラスは、イタリアンおばさんとメキシカンおばさんに挟まれて、仲よくしてもらってます。ふたりとも、陽気で単純で面白い。授業そのものも、スキルフルな赤ペン先生のおかげで活発です。先生が何か質問すると、当てられなくても、みんな口々に自分の考えてることを言うんですよ(西洋式の授業風景)。私なんかやっぱり日本人だから、そういう雰囲気についていけないと思ってましたが、けっきょく馴染まないといけないんですよね。郷に入りては、郷にしたがえってやつで。でないと、名前も覚えてもらえないもの。
一度、あの先生、前の列から順番に質問していったことがあるんですが、「エリーナ、あなたは?」「ダニエル、どう思う?」とか、みんな名前で呼んでるのに、私の名前はど忘れしたのか、「(にっこりして)・・・あなたは?」。あー、この先生、私の名前、覚えてないんだわ、とガッカリしましたよ。本人も「マズイ・・・えっと、彼女の名前、何だったかしら・・・」って感じでしたね。

日本人とか中国人の名前って、確かにアメリカ人にとっては覚えにくいんですよ、ほんとにありふれた簡単な名前でも、なかなか覚えてもらえなかったりします。まあでも、名前も覚えてもらってないのは悲しいので、その授業が終わった瞬間、先生に接続詞に関するちょっとした質問をしにいって、自分をアピールしておきましたけどね。そうしたら、次の授業から、ちゃんと名前で当ててくれるようになりましたよ。今では私も「ちょっと細かいことかなぁ」とか「もしかして、今やってることとあまり関係ないかも」と思っても、授業中に疑問に感じたことは遠慮なくどんどん発言するようにしてます。私なりに努力して、控えめだけど、「積極的に授業に参加していますよ」という意思表示をしてるつもり。ただ、真面目に出席して、与えられた課題をこなしているだけじゃダメだってところがありますね。
肝心の成績のほうは、絶対B(80点以上)とりたいって、一月まえから言ってきましたが、これも奮闘の結果、小テストではA-、作文や課題ではBとかB-というふうに、少しずつですが上がってきました。この調子で頑張って、最終的にはBをゲットしたいと思います。

さ、今から気合いれて、宿題の作文書かなきゃ。
提出するものは、点数化されるので、おろそかにできません。


05/10/08

できたぁ〜〜!やっと書き終わりました、またもや渾身の(?)パラグラフ。
今から、これ持っていって提出しなきゃ。

My Best Friend

   (1) When I was a student of the University, I met a wonderful person who was very smart and unique. (2) How was she smart? (3) For example, when we had a chance to talk about reading books in a classroom, I was so surprised that her reviews were full of shrewd observations. (4) She was not only smart but also very unique. (5) Her jokes and opinions usually contained delicate wits, so I was completely attracted by her. (6) With age, we became grown-ups and already found each of spouses, but we still have kept our great friendship fresh as if we were young girls. (7) Sometimes we talk on the phone about a lot of memories that we shared in the past. (8) How sweet they are! (9) I hope that this precious relationship will last forever.

大学生だったとき、私は、とても頭が良くてユニークな、素晴らしい人物に出会った。彼女がどんなふうに賢かったか?例えば、私たちが教室で、読書について話す機会があったとき、彼女の批評が鋭い観察に満ちているのに、私はたいそう驚いた。彼女は頭がいいだけでなく、非常にユニークでもあった。ジョークや意見には繊細なウィットが含まれていて、私はすっかり彼女に魅了されてしまった。歳をとるにつれ、私たちは大人になり、すでにお互いに配偶者も得たが、いまだに私たちはまるで少女のように、素敵な友情を新鮮なまま保ちつづけている。ときどき、私たちは電話で、私たちが過去にわかちあったたくさんの思い出を語り合う。なんて懐かしいんだろう!私は、この貴重な関係が永遠に続いて欲しいと願っている。

題材はあらかじめ決まっていますから、あとは内容だけなんですけど、あんまり自信ないなぁ。とくに、(6)の長ったらしくてわかりにくいセンテンス(各センテンスに番号をつけてあるのは、そういう指示があったからです)。
内容もさぁ、なんだか小学生の作文みたいじゃない?いや、なんか抽象的な言葉をちりばめてるだけで、ディテールが描けてなくて、印象がボンヤリしてるというのかな。
友人がsmart and uniqueだと書くのなら、どういうふうにsmart and uniqueなのか、具体的な描写で表現しなきゃいけないと思うんですね。
「月明かりのしたで見ると、彼女はすごくきれいな人でした」だけじゃ、抽象的すぎて、何も言ってないのと同じでしょ。どこがどう「きれい」だったのか、読者に納得させる、はっきりと想像させるように書かなきゃ。
「月明かりのしたで見ると、彼女の白い頬には長い睫の影が落ち、ふくよかな唇の輪郭はわずかに引き締まって見えた」・・・みたいな。
上記の英文では、(3)と(5)で、なんとなく説明したつもりになってはいるんだけど、それでもボケた印象なのは、ディテールが描き込まれてなくて、smart、unique、という言葉が浮いた感じになってるからなんですよね。そこをなんとかしたい、だけど、悲しいかな、ピシッと気の利いたことを書けるだけの英語力がない。だから、小学生の書くような幼稚さが漂ってるのを、ああ、恥ずかしい、嫌だなぁと、もどかしい思いで放置してしまってます。
んもぅ、たったこれだけのことを書くのに何時間かかってるねん、って情けなくなりますが、根本的に文をつくるときに必要とされる語彙力とか文法に対する理解が足りないんですよ。だから時間もかかるし、そのわりには、こんな幼稚な文章しか書けない。あー、もう、しょうがないですねぇ、一朝一夕には身につかないですよ、そういうのは。


05/10/10

だんだん引越しのダンボール箱やその中身も、それなりに片付いてきました。ちょっと家具も買い足し、マイルームは着々と私好みのファンシー×アンティークテイストに染まりつつあります。壁が広いので、もっと絵を掛けたいですね。
アリゾナの生活はやっぱりいろいろと不便だし、美味しくてそこそこリーズナブルな日本食の店もないし、車の運転が荒くて事故は多いし、他にもまだまだ不満なところはありますが、この部屋にいると落ち着きますね。なんだか、自分の匂いをつけて安心する動物みたい。アパート自体も、わりと静かな場所にあって、椰子の木じゃなくて普通の木がたくさん植えられているところがいいです。あの椰子を見ると、あー、いかにもアリゾナ、暑苦しいって感じがしちゃうので私は好きじゃないんですよ。
まあ、アリゾナも最近ではさすがに涼しくなりましたけど。朝晩はクーラーつけてないですよ。昼間はちょっと暑いんで、半袖とかノースリーブ着てますが。そういえば日本では運動会のシーズンですね。うちの甥っ子たちは、ずいぶんしっかりしてきたということですが、私がこっちに来て七ヶ月と少しなのに、そんなに変わるもんでしょうか。子供の成長は早いんですね。あー、顔を見てみたい。

気分は浮き沈みしますが、今はあれこれ考えるより、とにかく学校へ行って勉強するという行動、それがメインになってます。学生をやるのは、楽しいですね。教えてもらうのは、独学よりも面白いし、与えられた課題をひとつひとつこなしていくのも、「なにかやっているという実感」があっていいですよ。編物を一目ずつ編んでいるような感覚ですかね。
それが何になるの?これからいったいどうなるの?と思ってしまったら、どーんとシビアになりますが、とにかくできることをこなしていく、目の前のことに集中する、そうやって毎日を過ごしていたら、いつのまにか、自分が変わっていると気づくときが来るんじゃないか、そんな気がします。

自分がもっと子供のころ、中学ぐらいのときに流行っていた曲とか聴いてると、なんだか不思議な感じがしますね。あの頃、自分が、結局のところ、ああなってこうなって、それでもって、こんな生活をするようになるなんて、ほんの少しでも想像できたでしょうか?
テニスボールを追いかけて、コートを走り回って、玉拾いをしながら見上げた夏の空は雲ひとつない青で。
恥ずかしいような思い出も、くるくる変わる感情の激しさも、今となっては全部が懐かしい。
そして、それからの自分が歩いてきた道をここまでおさらいすると、時には「ああ、もうまったく!」と否定したくなったりもするけれど、でも、「それが自分だったんだもんなぁ」と言うしかない。そのときは、あのときは、ない知恵絞って悩んで考えて泣いて笑って、それが自分だったんだもんなぁって。
いま、自分が過去の何を後悔しているにしても、そのときは「それがベストだ」と思って生きてたんだもんね。私なりに。
肯定したいし、肯定しようと思う。
たとえ愚かな過ちに思えても、そのときはそういう選択をするのが、「私が私であること」だったんだから。
問題は、むしろこれから。「私が私であるように」生きていけるか?

♪もう一度 生きてゆくとしても また同じ 人生をたどるだろう
  僕がこうして僕であるかぎり 僕はきっと 自分を生きるだろう
                         (そして今も/小田和正)


05/10/12

I made it! やりましたよ、8日に出した英作文、90点のA-!
ちょこちょこっと直しは入りましたけどね、最初からくらべると大幅に進歩したと言えるでしょう。
だって、こんな文章の書き方なんて、知らなかったもんなぁ〜。
最初のトピックセンテンスで読者に内容を予測させ、それに続くサポーティングセンテンスで内容に詳細さと奥行きをもたせ、最後はコンクルージョンセンテンスできちっと〆る。それぞれのセンテンスの役割を解説して、それらを意識しながら書くことを反復練習させる授業。日本の、いわゆる「国語」とは大違い。メンタルでファジーな要素は最小限に切って捨て、いかにロジカルで曖昧さのない文章を書くか、ということが目的なんですよ。こういう教育は、日本できちんとやってないですよね。大学に入ってから、学生にレポートや論文を書かせても、英語力うんぬんの前に文章の構成が理解できてないといいますが、これは問題です。高校ぐらいで、ぜひ、こういう文章の作り方を学ぶ科目を必修にすべきじゃないでしょうか。

話は変わって、つい先日、こっちの日本人会のポットラックパーティ(各自が食べ物や飲み物を持って集まる)があったんですが、その折に、ASUの院生さん二人と話す機会がありました。彼らはもう大学からこっちで勉強してきてるんで、もう私なんかよりずっとアメリカンなはずなんですが、見た感じ、普通に日本人ですよ。
ひとりは天文をやっていて、もうひとりは生物系です。
なんで天文の道に進もうと思うのか、動機とか今後の抱負とか訊いていると、なかなか面白いです。大きな会社に入って組織の一員としてのビジネスマンになりたい、とか、自分で起業してお金儲けしたい、とか、そういうのも悪くないんですが、やっぱり学者の道っていうか、オタクな道っていうのは、あまりそういう人がいないだけに、好奇心をかきたてられますね。

生物系、脳の研究をやっているのは女の子なんですが、化粧っ気もなくて、ぱっと見には控えめで大人しそうな彼女が、「カエルの脳を使って実験してます」とか言うんです。やっぱりカエルには悪いなぁと思いながら、これも研究のため、科学の発展のため、ごめんね、という気持ちで、まぁそのー、切り刻むっていうか、実験しちゃうわけですよ。わー、すごっ。っていうか、異世界。んー、素顔でもそこそこかわいらしい子なんですが、私が男だったら彼女にしたいと思えるかなぁ??あくまでも私の趣味から言えば、「えっ、カエルの脳みそ?いやーん!怖くて触れないっ」みたいな女の子がやっぱり異性として可愛く感じるだろうと想像するんですが、人間的には理系の女の子も面白いですね。なんて言うか、その子は私の対極に位置するような感じでしたから、余計に「へええ、そうなの」って。

いや、中学の理科の授業で、数人の班になって解剖とか実験やらされるじゃない?そんなとき私なんか、班の男の子とか真面目な女の子とかに作業をまかせっきりで、自分はきゃあきゃあ言いながら遊んでいて、すると、知らない間に実験が終わってる。で、提出するレポートは、同じ班の真面目な子に写させてもらう。
掃除の時間とかも同じ。一応、雑巾とか持ってるんだけど、机ひとつ拭くでなく、きゃあきゃあ言いながら他のクラスの子とかと遊んでいる間に、いつのまにか教室はきれいになってる。
誰が率先して実験をし、誰が率先して教室を掃除していたかっていうと、その「脳研究」やってる女の子みたいな、目立たない真面目タイプなんですね(彼女は実際に風紀委員かなにかやっていたらしいです)。
過去を振り返って、なんだかんだと言動が派手で目立っていた同級生はクリアに思い出せるけど、彼女のような大人しい真面目タイプは何を考えてたんだろうなぁと思ったことがありますが、成長して「カエルを使って脳の実験」なんてこと、もしかしてやってるかもしれないんですねぇ〜。
私は自分のルーズな行動に何の疑問も反省もなかったんですが、彼女たちからしてみれば、きっとウザかったでしょう。きゃあきゃあ遊んでるだけで、責任感のカケラもなく、実験結果を写させてもらっても、知らない間に掃除が終わっていても、誰に感謝するでなく、アタリマエって顔をしていて。
いや、まあ、いいんじゃない?働き蜂の世界だって、二割は怠け者なんですよ。私はその二割のなかに入ってたってことなのね。っていうか、今も?・・・あははは。


05/10/14

昨日の夕食時でしょうか、パトカーや消防車のサイレンがわりと近くで聞こえるなぁ、いやにやかましいなぁと思ってたら、アパートの中の人たちまでが騒がしく歩いていく足音がするんですね、なんだろう、と思ってたら、近くのハイウェイで事故が。いやぁ、さっそく見に行きましたよ、私も。うちのアパートのすぐ近くなんです。交差する道が、大きな歩道橋みたいになっていて、そこから事故現場が見えるんですよ。ハイウェイでパトカーや消防車やらが何台も止まっていて、道を封鎖しているものだから、ハイウェイから降りられない車が数珠繋ぎでずらーっと並んでました。
すでに数人の住民が来ていて、「何があったんですか?」と訊ねると、みんな、「さぁ、よく知らないんだけど」と言いながら現場を見てます。クラッシュの音なんかは聞こえてきませんでしたし、夜のローカルニュースでも小さくしか扱わなかったし、これぐらいの事、ここアリゾナではたいしたことじゃないのかもしれません。ほんと、事故が多いですもん。たとえ自分が気をつけて走っていても、クレイジーな車っていますからね。どうしようもない。そういえばずいぶん前に、クラスメイトの女の子が、買い物に行くときに事故にあって、大変だったと言ってましたよ。自分の乗っている座席横のドアにぶつけられて、2日ぐらい入院していたらしいですが、一時的に記憶が飛んで、自分の名前も言えなかったとか。で、そのぶつけた車に乗っていたのは不法滞在者で、当然、保険なんか入ってなくて。
こっちでは、「もしも相手が保険に入っていなかったときの保険」というのがあるんですよ、ヘンだと思うんだけど、それだけ保険にも無加入のまま走っている車が多いってことでしょうかね。
ほんと、事故だけは嫌だなー。見るだけでもゾッとするのに、自分が起こしちゃったら、もうパニックですね。

さて、話は変わりますが、女の年齢について。
人間ってルックス的に一番きれいに見えるのは、せいぜい三十代前半まで、それを過ぎると人によって早い遅いはありますが、並みの努力ではどうしようもない「加齢による肉体的劣化」が少しずつ表にでてきますよね、男も女も。女の場合、それに加えて、「産む性」ゆえの「出産リミット」なるものも生物的に厳然とあって、そこを意識しだすと、男よりも年齢的な若さに縛られざるをえないのも、仕方ないかと思います。
人間もなんだかんだいって動物だから、直接的な繁殖行動に年齢的制限がかかるのは当然としても、大脳皮質の部分では、「社会的な存在としては、どうにかならないものか」と考えてしまう。「若さ」=「価値」(若いほうが肉体的にも強靭で、子孫を多く残せる)という生物学的事実をつきつける本能の部分を、動物とは一線を画した人間ならば、「思考する」という行為をもって乗り越えたい。歳をとるとね。

いやぁ、自分が二十歳ぐらいのときは、思いもしなかったことですよ、「おばさん(だいたい三十過ぎ)になったら、もう男からどう思われるとか、関係ないじゃない。そんなこと考えてるとしたら逆に気持ち悪い」とか漠然と感じてましたから。なんたる傲慢。モノ知らず。
ええもう、その気持ち悪い人になってますよ、今。可笑しいですよね、同じ自分なのに。
だって、やっぱり異性の気を引けることって、実際上、トクだし、気分いいんだもの。この「特権」(?)を、できるだけ維持したいなぁと思うわよ、そりゃ。たぶん、私が中途半端に「モテ体験」がある女だからでしょうね。ぜんぜん「モテ体験」がないと、また考えが違ってくるかもしれない。
私が知っていたある女性は、三十超えて「年齢=彼氏いない歴」だったけれど、彼女はよく言ってましたね、「早くもっとおばさんになって、もう男とか女とか関係ない、それが当たり前って雰囲気になりたい」って。女として値踏みされたくないってことだと思いますけど。彼女の場合、幸福な恋愛体験はないけれど、痴漢やセクハラなんかには遭っていて、それゆえ男性に対する感情がよけいにややこしくなってた気がします。

「もうええやないか。ええ加減、じたばたせずに観念しろや」って?
いいや、よくないな。
いかにして他人に気持ち悪さを感じさせず、人間の女として、質の高いモテ体験を積み重ねていくか?多くの女性が突きつけられる難問。まぁ、人生、修行ですよ。これもまた、楽しみの域になるまで追求ね。
でも、男はどうなんだろうなぁ。肉体的な劣化は同じようにあると思うんだけど、ハゲるとかお腹が出てくるとか筋肉がたるんでくるとか毛穴が目立ってくるとかね、女ほどの切実感はないのかしら。知りたい!
結婚しても子供もたない夫婦だっているし、生物的な制限が厳然とかかってくる「子供」というもの、「自分の遺伝子を残す」ということにこだわらなかったら、同じじゃないかと思うんだけど。世の中の男性は、そんなに子供にこだわっているのかな?幸か不幸か、私はそういう人、あまり見たことないんだけど。
「子供はできたら可愛いと思うけど、結婚したいと思う相手が不妊体質だったり、子供を産みたくなかったりするなら、その彼女と別れてまで子供をもとうとは思わない」みたいな人が平均的な印象。
「絶対、子供欲しい!」って人は、女の人なら見たことあるけど、男の人ではねぇ?
私のまわりが偏ってるのでしょうか。少ないサンプルで決めつけすぎ?


05/10/15

引越ししたばかりのときは戸惑ってしばらくニャーニャー鳴いてましたが、うちのオコタンも新しい部屋の間取りに慣れたようで、普段は私の部屋で寝てます。どっちに行くのかなぁと思ってましたけどね、やっぱり私のほうが、オコタンと過ごしている時間が長いし。
知人の猫みたいに、分をわきまえてベッドの下でおとなしく寝てくれればいいんですが、オコタンときたら、ベッドのうえ、私のコンフォーター(薄い掛け布団)の足元のほうで寝るんですよね。おかげでコンフォーターカバーが毛だらけ。こっちには日本の百円ショップで売ってる手ごろなコロコロローラーがないんですよ、スーパーにはあるけど高いし、使い勝手もイマイチよくないし。だけど、仕方が無いのでそれを買ってきて、毎日コロコロして毛を取ってます。

私の部屋にはひとつ小さな窓があり、一階なので、開けるとおもてから丸見え状態なんですよ。こっちの家には、床下ってものがなくて、地面から同じ高さで玄関、絨毯と続いてます。で、よけいに窓から地面が近いんですが、オコタンはそれが気に入ったようで、よく窓から外を見てます。
昨夜寝る前も、そうやって窓辺に座ってたわけですが、なんかヘンな鳴き方をし始めたんですよ。
「あぉ〜〜ぅ、あぉぉ〜〜〜!」って。
まあ、ときどき遠吠えみたいなのやるんですが、どうもいつもと様子が違う。見てみると、必死で窓の外に向かって鳴き続けてる。なんだろうと、オコタンの後ろから覗くと、真っ黒い猫がそこにいるじゃありませんか。夜なので、どんな猫だか詳しくはわからないですが、とにかく真っ黒な猫。子猫じゃなくて、大人です。急いで玄関を出てみると、逃げないし、寄って来るじゃありませんか。首輪をつけてましたから、きっとこのアパートの誰かの飼い猫なんだと思います。ほんとは敷地内に放しちゃいけないんですけど、マナーの悪い人はどこにでもいますよ。

オコタンを連れて出ると、両者にらみ合い。オコタンは相変わらず吼えてるし、向こうは「シャーシャー、フーフー」って威嚇してるし、ろくなことにならないうちに、またオコタンを抱いて家に入れました。ところが、その黒猫がしつこく巡回してくるんですよ。
窓辺にはオコタンが座ってるのに、その近くまで来るんです。
なんか、二匹で網戸ごしに鼻をくっつけて匂い合ったりしてるので、「おっ、これは早くも、『ロミオとジュリエット』化か?だけど、うちのオコタンはタマタマを取ってるからオキャマなんだけどなー。向こうはメスかしら、オスかしら?」なんて観察してると、突然オコタンが「ウギャアアア!!!」ってすごい声。夜の夜中に、近所迷惑。
シッポはブラシみたいに毛が逆立ってるし、オコタンにしてみれば、きっと、ヘンなヤツの出現にビビッてたんでしょうね。人間の言葉に訳したら、

「おいおい、来るニャよ、それ以上寄って来るなニャったら。こっちの縄張りニャんだから。来るニャって言ってるじゃニャいかよ・・・うわっ、あっち行けーーーっ!!

こんな感じだったでしょうか。
向こうの猫は、そんなに怖がってもなく、余裕ぶちかまして、この「ニューフェース」に興味しんしんって様子でしたけど。近くでよく見たら、けっこうきれいな猫でしたよ。
オコタンってば、幼少のみぎりから親兄弟と離されて、家の中で私たちと暮らしてきたので、自分が猫だってことわかってないんじゃない?何かヘンな生き物が、自分の近くをウロウロしてるって感覚だったのかも。

それからは何か物音がするたびに、ささっと窓に駆け寄って、外を見てました。
いつものように、だらーっと寝なくて、常時、首をもたげて窓のほうを気にして、臨戦体制に入ってましたね。一晩中、見張りやってたのかしら?なんだかしらないけど、今日は眠たそうです。


05/10/16

こっちではまだ日曜の朝です。五時。とんでもなく早い時間に起きてしまった。もう一眠りしたいんだけれど、お腹がすいて寝つけそうにないので、朝食をとったところです。

大手小町のこのトピ「彼女が六歳もごまかしていました」は、興味深かったですね。
いや、そこらの小説よりもすごい。と思うんだけど、「歳をごまかす」っていうのは、わりとよくあることなんでしょうか。そういうニュアンスでレスしている方もいるので。私も、美容院のアンケートとかには本当の生年月日かきませんけどね。それはそんなところで個人情報を集められるのが嫌だから。あと、あまり深くつきあうことのない関係の人、たとえば今行ってるコミカレの(明らかに私よりも若い)クラスメイトとかには、訊かれても(まあ、訊いてこないですけどね、そんなこと)「アナタよりずっと年上よん♪」みたいに言います。
しかし、マジで誰かを好きになったら、歳なんてごまかさないなぁ。
倫理観の問題っていうのもあるし、けっきょくは戦略負けになると思います。だって、そんなのいつかわかることだし、あまりにも底が浅い嘘なんですよ。学歴とか年収とか、勤め先とか、みんな、「すぐばれるような底の浅い嘘」。そんなしょーもないことをごまかせば、いずれ決定的に信用をなくしてしまう。嘘の事実より、そういう行動の愚かしさゆえに、呆れられてしまう。はじめから結末が見えてますよね、もう。

そんなくだらないことでも、嘘をつきつづけているあいだは、自分もたぶんしんどいと思うんですよ。気にしているからこそ嘘をつくんだもの。「振られたくないから」「嫌われたくないから」「恋愛or結婚対象外と思われたくないから」の一心で、本当のことが言えない。なんとかごまかして、相手が深入りするのを待つ。それって厭らしく小ズルイとも思うけれど、やっぱりどこか間の抜けた貧相な賭けだなぁ。
それだったら、自分だけが悩まなくちゃいけないじゃない?
ごまかしつづけるなかで、いつ本当のことがばれるかと、ひやひやしなくちゃいけないじゃない?
なんか、割に合わない感じがしますね、もう自分から自分を相手の下においてるから。そこまでしてつなぎとめたい相手に対しては、そこまでしなくても、つなぎとめておけるようにならないと。自分が惨めになるだけでしょ。
私だったら、相手に対して、自分が一般的に不利だと思えること(できれば知られたくないこと)は、思い切って言っちゃいますね。かなり最初から。
この場合だったら、「私、もうXX才で、アナタよりずっと年上だし、離婚経験者ですよ」って、はっきりと。

人間って、自分が悩んで悩みぬいた末に出した結論には、固執するもんなんですよ。
自分だけが悩まないで、相手にもしっかり悩んでもらうことが大事なんじゃないかな。
平均的な男性だったら、たしかに「ひいてしまうようなこと」なんでしょうが、七歳差とかバツイチなんて、人を殺したことがあるとか不治の病に罹ってあと何年も生きられないとか、もっとヘヴィでどうしようもないことにくらべたら、気持ちの持ちようひとつだと思うんですよね。だけど、嘘をついたおかげで相手がその事実に悩まずにすんだなら、気持ちを固めようがないし、とどのつまりは逆効果。
「七歳もうえで、おまけにバツイチ。そんな女、冗談じゃないよ。つきあって結婚なんて考えられないし、親だって反対するに決まってる」
漠然と、そう思っている男性だって、女性の人間性とかもっと深いところで惚れてしまったら、
「いやー、昔はあんなふうに思ってたけど、そんなこと気にならないぐらい好きになっちゃったからなぁ〜」
っていう展開もアリなんですよ。簡単ではないにしろ。
そこにいたるまでには、男性にも、さまざまな葛藤があるはずで、
「好きなんだけど、ああ、なんで彼女は七歳も年上?しかもバツイチ?友達にも親にも紹介できやしない、結婚したって、あんな歳じゃ子供も生まれないかもしれない、ああ、やっぱりやめよう、諦めよう、でもなぁ・・・好きだし」
こういう苦悩のループを一回りするごとに、「好き」という気持ちのほうが上回れば、腹をくくれるんじゃないですか。それを甘い嘘でスポイルしてしまってはねぇ。

はじめっから歳やらバツイチやら、いまさら変えようのない条件で引かれてしまったらつらい、だからそこには触れられたくない・・・と考えるのもわかるけど、結局は破綻するでしょ。そんな(一般的には喜ばしくない)条件をもっていても相手を悩ませられるぐらい、自分が魅力的になるしかないと思いますよ。やっぱり、つらいでしょうけどね。相手の気持ちがループして、最後にはその揺れが、どっち側へ収束していくのか、わからないわけだから。だけども、嘘をつきつづける愚かしいつらさよりは、ずっとずっと「耐えるに値するつらさ」ではないですか。まー、自信がないと耐えられないでしょうけど。
ふたつの自信。
ひとつは、自分の人間性、女性としての(美人だとか「皮一枚の問題ではない」)魅力についての自信。
もうひとつは、相手選びを間違っていない、という自信。
どんなにチャーミングな女性であっても、年齢とか子供生めるかとか親がどうとか、そういう部分でどうしても譲れないものがある男性を選んでいたら、これは時間の無駄。そういうのはなんとなくわかりますよね、「あ、この人は絶対に無理だな」というのは。わかったらもう固執しない。お互いの不幸ですから。

大手小町のトピの場合、三年もつきあって結婚まで意識した男性から、「彼女とは、知り合いからスタートして気が付いたら交際していた感じなのですが、もし彼女が35歳と知っていたら知り合い止まりで交際には至らなかったと思います」と、きっぱり言い切られてしまうところに、お気の毒ですが、彼女側の選択間違い、戦略負けが表れてしまってますね。


05/10/18

朝から曇っているなーと思ったら、午後から雷が鳴っています。雨になるのかしら。とにかく、アリゾナにあるまじき天気。ぎぇぇ、雷が近い!いや、怖くはないんだけど、音が・・・音が・・・
起き抜けから頭がぼうっとして食欲ないし、コミカレの帰りにはまた事故見ちゃったし。不穏な感じの今日。
・・・いやーん、風が強くなって雨も降ってきて、本格的な嵐が来たみたい。

今日見た事故は、道路の真ん中で、車が正面衝突。ボンネットがグシャグシャになってましたよ。
アメリカの道って、中央に黄色いラインがレーンの幅と同じに二本引いてあるところが多いんですよ。で、その黄色いラインの内側も道、というより「止まり木」みたいなもんで、ある程度以上長く走ってはいけない(せいぜい三十メートルぐらい?)んだけど、いったんそこに入ってから、左折するとか、Uターンするとかできるんです。この黄色い「止まり木」ゾーン、便利なんだけど、それが右からも左からも入れるもんだから、右レーンの車と左レーンの車が同じところで不注意にそこへ入っていくと、当たり前ですが、正面衝突します。
ショッピングセンターとかアパートの入り口とかで、事故が起きやすいですね。
こっちの車、ウィンカー出さなかったり、そもそもウィンカーが壊れてたりしても、平気で走ってますから。
けど、ああいう事故現場みちゃうと嫌だなぁ。ヘンにナーバスになってしまう。

とか書いてるうちに、嵐は過ぎ去り、また日差しが復活。よくわからないお天気です。
こんどの水曜日には赤ペン先生のクラスでテストがあるんですよ。学期の中間テストってとこかな。もちろん、今まで習ったことから出題されるんですが、なんだか難しそう。最後には短いパラグラフも書かなくちゃいけなくて、いつもあれだけ時間かけて書いてるのに、五十分の授業中にテストの問題解いて、最後に5-8センテンスで作文書くなんて無理だわよ、時間的に。イタリアンおばさんとも言ってたんですけどね。時間が足りなくなりそうだって。
作文のタイトルはもう決まっていて、
「私の人生で最高(最悪)の日」「理想的な親の定義」「(何かの)機械の使い方について」
このうちのどれかから選ぶんですけどね、どれをとってもあまりパッとしたことは書けそうにない・・・
あらかじめ考えを練っておくのはいいけれど、パラグラフを書いて、それを写すのはいけないんですって。って言われても、私はパラグラフを書いておきますよ。で、それをできるだけ覚えておく。細部は忘れても、文章が決まっていたらなんとか書けるでしょう。
今週は、木曜の会話サークルでも、ひとりずつスピーチやらされる羽目になってるし、準備に追われそう。


05/10/21

終わった・・・今週の苦行が終わった・・・
いや、水曜日は赤ペン先生の中間試験だったし、木曜日は会話サークルで5-7分のスピーチ。
もう、宿題プラスその準備に追われてましたよ。
テストはできたかどうか自信ないし、スピーチはビデオなんかとられて恥ずかしいし、ストレスフルな日々でした。んー、テストなぁ・・・返してもらうのが怖い。だって、わかんない問題があって、先生に質問したんだけど、やっぱりわかんなくて。たぶん見当ハズレなことを書いちゃったと思う。なにしろ時間がなくて焦ってて、見直しもしないでどんどんやらなきゃいけなくて。これだったらBとれないな。もちろん、最終的な成績には、普段の小テストとか提出物もずいぶん考慮されるんだけど、さぁ、どうかなぁ。何点とれるか予想もつかないなんて、いままであまりなかったこと。凹みます。

ところで、ここに引っ越してきてから左隣の一家が何かと気になるんです。
黒人で、ひとりは車椅子生活をしている身体の不自由な男性。もうひとりは小学生くらいの男の子。あと、男の子の母親がいるはずなんだけど、まだ実際に見てません。男性と男の子の母親はきょうだいですから、男性にとって男の子は甥ってことになりますね。私はてっきり子供かと思ってましたけど。
車椅子の男性は、あたりかまわずタバコの吸殻を投げ捨ててるし、男の子は昼さがりになると玄関先で石どうしをぶつけて遊んでうるさい音をたててるし・・・
いや、まずは挨拶しなきゃと思って、その男性を見かけたときに、こっちから話し掛けましたよ、「こんにちは、あなたはお隣に住んでる方ですか?はじめまして」って。男性の言葉は聞き取りにくいうえに、なんか無愛想でしたけどね。でも、会うたびに「Hi」と挨拶していると、なんとなくそっちは打ち解けた感じになってきましたよ。

子供のほうはね、今日も石で遊びはじめたので、「うるさいなー」と思い、ドアを開けて、「こんにちは。何してるの?」と話し掛けました。これも言葉がよくわからないので相手のことを推測しながらの会話ですが。でも、察しのよさそうな子で、「これで遊んでるとうるさい?」と訊いてくるので「うん、ちょっとね」と言うと、「じゃあやめる」と言ってくれました。そもそもこんな年代の子供が、ひとりで玄関先にしゃがみこんで、ただひたすら石と石をぶつけて遊んでるなんて、寂しすぎる光景ですよ。なんで同年代の子と遊ばないんだろう。なんかフラストレーションがたまってるみたい。
「学校に行ってるの?」
「あの車椅子に座ってるおじさんと一緒に住んでるのね?」
「学校は好き?このアパートのなかに友達はいる?」
「うちの猫はオコリーっていうんだけど、動物は好き?」
いろいろ話し掛けたんだけど、普通に返事はするものの、どこか悲しそうっていうか、寂しそうっていうか。
きっとお母さんが忙しくて、あまりかまってあげられないんじゃないかなぁ?あの車椅子の男性は一日じゅう家にいるみたいだけど、あの身体じゃ自分のことで精一杯で、とても子供の相手なんか無理だろうし。なんとなく、可哀想になってしまいました。たぶん働いてるお母さんも、身体の不自由な兄(弟)と、まだ独り立ちできない子供の面倒見るのは大変だと思うし、仕方ないんでしょうが。子供の表情がね、どことなく暗くて。
でも、うるさくて迷惑な遊びについては、やんわり言ったほうがよかったと思うけど・・・

こういうとき、私は子供を育ててないから、あしらい方がわからない。
子育て中のママさんだったら、きっと適切な行動がとれるんでしょうね。


05/10/22

やった!赤ペン先生のテスト、90点!めちゃ嬉しい!
いやー、なんでかわかりません。でも、作文の点数が高かったからかもしれない。
それにしても、こんなにいい点が返ってくるとは予想外。ギリギリAだもんね。よし、これからも頑張って、最終的にはBゲットを果たすぞ。

しかしねぇ、私って、つくづく「自分の想定外のことに出くわすと、とっさに気転がきかない」性質だなぁと思いましたよ。今週、つづけてテストとスピーチをやってみて。
思えば運転だってそうだしね。どこか行ったことのない場所に運転して行くとき、私は必ず地図を書いて、ある程度頭に入れて出かけるんですよ。でも、その地図や住所が実は間違っていたり、工事中で肝心の道路が封鎖されていたり、いろいろ思いがけないアクシデントがあると、その先どうしよう、というとっさの判断が下せないんです。ひどくまごついてしまう。
そうそう、日本にいるときも、いろんなところで失礼な振る舞いをする人っていうのはいるもんですが、自転車ですれ違ったジイサンに、「危ないやないか、気ぃつけんかい、女のくせに!」とか罵られても、とっさに言い返したりできないんですよ。頭真っ白状態で。そんな失礼な人の存在、想定して生きてないですもん。あとから、こう言い返したらよかった、とかすごく悔しい気持ちになるんですけどね。

すべてにおいて瞬発力がないんですよ。
学生時代、短距離走は超苦手でしたが、長距離なら人並みに走れる。恋愛だって、第一印象で、「おおっ、可愛い」「きれいだなぁ」なんて相手から思ってもらえはしないけれど、話をする機会を重ねて、人となりをわかってもらう努力をすれば、「あばたもえくぼ」式に、好きになってもらえる。
ある程度の時間をかけて計画を練り、それなりの準備をしてはじめて、努力が報われるというパターンが多いと思います。とっさに何か気転をきかせて上手く立ち回る、というのは、実は苦手なんですね。あらかじめ起こりそうなこと、必要なことを予想して備えておく。テストだって、一夜漬けでもなんでも、やっぱり準備する。

今回のテスト、点数はとれたけど、それは「こんな問題がでるだろうな」と想定される範囲のことを準備していったおかげで、案の定、「ええっ、こんな問題がでると思わなかった!」と焦ってやったところは間違いだらけ。ただ、全体からみると、その穴埋め問題の点数比率が低かったので助かったというだけ。ほんとうは、そういう問題で点をとれる人っていうのが、実力の高い人なんじゃないですか。そう考えると、手放しで喜べないんですよね。
あと、スピーチでもね、原稿とかOHPを準備して、それに沿ってやっているぶんにはいいんだけど、なんかちょっとど忘れしちゃうと、一瞬パニックに陥って、とっさにその場をとりつくろう言葉が出てこない。これじゃー、ほんとうの意味で、ダメなんじゃないかなと思いましたよ。
要するに、私の今の英語力というのは、一定の範囲内の努力をしたなら、それなりの成果がでるというものであって、総合的な実力というものはまだまだ。瞬発力(というより応用力か?)がないので、トロトロと時間をかけてやっていくしかないですね。


05/10/25

なんか、こういう日記をダラダラ書いていたら、どうにもこうにも文章が散漫になっていくんじゃないかと思えてきました。まず、タイトルがないので、トピックというものもないし、どんな話がどこから始まってどこへつながっていくのか、まったく見えない。書いている私ですら、わからない。ダイアリーだから、無理に話を作ったりせずに、身辺で起こった出来事や日々の気持ちの浮き沈みをそのまま書けばいいんだと思ってきましたが、やっぱり公開している以上、いろんな意味で読みやすくする工夫はしたほうがいいだろうし、来月から「聞いて!」みたいにタイトルを入れて、あのスタイルに戻そうかな。

まずタイトルをつけるだけで、そこにトピックが生まれ、そのトピックをどうやって伝えるかという発想が生まれますからね。ほんと、やっぱり努力しないと、ズルズルと何もまとまったことを考えないようになっていきます。いや、べつに誰のための日記でもないんだけど、強いて言えば未来の自分のため(読み返していろいろ思い出したり考えたりできる)のもの、なんだけど、ほら、今、コミカレで文章を書く練習をしてるじゃないですか、で、英作文の宿題をひとつやるたび、「あー、まとまってないなー。要求されていることが、ちゃんとできてないなー」と痛感するんですよ。このまえ、テストやったでしょ、点数はまあ思っていたより良かったけど、その内容から考えて、瑣末な文法問題で点数を稼いでいて、文章を書くという行為において本質的なことが、あまりきちんとできてない感じがするんですよね、自分で。
最後の問題で、パラグラフを書かされたんですが、あらかじめ考えていったんで、あんな時間のない中でもなんとかカタチとしては、まあまあなものが書けたけれど、それに対する赤ペン先生の指摘が鋭い。これがキャリアですかねぇ。あらためて感心するとともに、こんなことも気づかなかったのか、自分は?と、情けなくなったりして。

書いたのは、次の文章。先生の指導に従って、文法的なミスは手直し済み。

A Perfect Parent

(1) However great our efforts are, we can never be perfect parents. (2) Human beings are creatures that can make mistakes. (3) We can't raise our children without making mistakes. (4) This fact is not so bad, because we can learn a lot of important things from mistakes. (5) There are many manuals of child care, but we don't have to follow their advice in such manuals. (6) After all, flexible parents who can grow with their children are the best for children, even if they are not perfect.

どんなに努力しても、我々は決して完璧な親にはなれない。人間は、間違いをおかす生き物なのだ。我々は過ちを冒すことなく子供を育てることはできない。この事実は、そう悪くない、なぜならば、我々は、過ちから多くの大切なことを学ぶことができるからである。多くの子育てマニュアルが存在するが、我々はそれらのアドバイスに従う必要はない。けっきょくは、子供とともに成長できる柔軟な親が、子供にとってはベストなのである、たとえ彼らが完璧ではなくとも。

先生は、「(1)の文が(2)と(3)をカバーしていて、何も新しいことが追加されていない」と一行、指摘したんですけど、いやぁ、痛いところ突かれちゃったなーって感じ。減点法で評価されるので、気持ちが守りに入っているせいか、文章がトピックセンテンス+サポーティングセンテンス+コンクルージョンセンテンスの「サンドイッチ構造」になっていること、文法的ミスがないこと、ばかりを気にかけて、肝心の内容を厳しく吟味していないから、こういうピリッとしない文章になるのね。
そもそも昔から、同じような意味のことを繰り返して書く癖はあったかもしれない。文章が冗長なのはそのせいかもしれないんですが、「別にいいんじゃない?」って感じで、あまり反省もなかったんですね。でも、「意味のないセンテンスは、一行たりともあってはいけない」「すべてのセンテンスが、必要不可欠なものであることが望ましい」という文章作法の基本がやっぱり大事かもしれないと思いました。
確かに、上の(2)と(3)は、(1)の焼き直しに過ぎないからなぁ。つまり、新しい情報が、(2)と(3)には含まれてないってこと。だって、これらをすっ飛ばして(1)から(4)に行ったとしても、あまり違和感ないもんね。

ああ、この文章をもう一度、もっと良い文章になるよう、リライトして来いと言われているんだけど、どうしたものか。手堅く、(4)以降に「たとえば」を入れて、(4)を補強するようなディテールを挟むか?そのうえで、(2)と(3)はデリートしてしまうか。しかし、どんな例をあげればいいやら。っていうか、例だけで二文は手抜きな印象。ああ、どうしたら。うーん、悩みます。


05/10/29

あー、やっと週末がきた。やれやれ。
コミカレに行き始めてから、だいたい毎日のタイムスケジュールが決まってきた感じです。
朝起きて、朝食をとったあとはメールなどチェック、昼前に学校へ行き、授業が終わったら帰宅途中に食品や日用品の買い物、帰ってから遅めの昼食、それからおもむろに洗濯やら掃除やら宿題やらを済ませ、夕方になったら食事の支度・・・という。土日はゴロゴロしてるか、買い物に出かけるか、遊びに行くか、そのときによって違いますけどね。
まあ、学校を中心に、わりと規則正しく生活できてるのはいいことだと思います。なんにもすることが決まってないと、日本語の本が読める環境にもないし、退屈で。今じゃ、時には退屈する暇なんかないぐらい、宿題に追われてますが。

この月末はハロウィンです。うちも、食用にはならないオモチャかぼちゃを少し飾ったりしてますが、子供のいる家庭では、それなりの扮装をさせて、ご近所まわりするんでしょうね。でも最近、特にアパートなんかでは、トリック・オア・トリート(お菓子くれなきゃイタズラするぞ)ってもうやらないんじゃないかっていう情報が。知ってる人の家に行くだけなんですって。やっぱり近所とはいえ、付き合いのないお宅にはねぇ、行きづらいでしょ、こんなご時世だし。牧歌的な時代は過ぎたってことですか。

日本はずいぶん涼しくなって来たということですが、こっちでは朝晩すこし冷えるものの、日中の日差しはまだ暖かくて、ちょうどいい季節ですよ。サワヤカっていう言葉がぴったり。これから冬を越して春にかけてがベストシーズンなんですね。ほんと、6月後半から7月、8月は厳しかったぁ〜。外にでられないっていう暑さでしたもんね。でも、まだ今年の3月に来たばかり?いやぁ、もう二年ぐらいこっちにいるような気がしています。慣れるの早かったですよ、やっぱり。昔、カリフォルニアのリバモアに住んでたことがあるし。町自体の雰囲気や気候は全然ちがうけれど、スーパーとか行けば、あの頃と同じモノ売ってるじゃないですか。いろんなシステムとかね、変わってるところもあるけど、変わってない部分も大きいし。一度経験したことは、また思い出すじゃないですか。ああそうそう、こんなんだったなぁって。

いろんなものに慣れちゃうと、自分たちがアメリカン感覚になってきたなぁって実感しますよ。ふと気づくと、今ではもうパイント売りのアイスクリームなんてあまり買ってませんもん。1.6リットル入りとかが普通。最近のお気に入りはBreyersのピーチやチェリーバニラですね。こっちの商品にしては、あまり甘ったるくなくて、舌触りの軽さがいいんですよ。ねっとり濃ゆいハーゲンダッツやゴディバは、一口目は美味しいけど、さくさく食べるってわけにはいきませんから。ああ、初めて見たときは、「こんなモノを自分が買うことは、まずないだろうなー」って思ってたのに。
それ以外でも、とにかくデカイ。ということが当たり前になってしまいました。

日本に帰ったら、また感覚が狂うだろうなぁ。
いろんな魚が美味しくたべられるのは嬉しいけど、空気が湿気てるとか、なんでもミニサイズ(に見える)とか。
でも、こんなに涼しくなってきたら、温泉に行きたい。湯船にゆったりつかって、手足を伸ばして、はーってのんびりしたい。こっちにもスーパー銭湯があればいいのに。たちまちお湯が汚くなるでしょうけど。こっちの人たち、きっとお風呂の入り方なんて知らないでしょうからね。



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