アリゾナ・ダイアリー 2005

July
5 / 8 / 9 / 12 / 13 / 14 / 16 / 18 / 20 / 23 / 24 / 26 / 28 / 30


05/07/05

PCの日付は日本時間で五日になってますが、こちらではまだ四日です。なので、今日は独立記念日。アメリカの数少ない公休日のひとつ。

親たちは、昨日の朝はやいフライトで帰国しました。
弟からの携帯メールによると、予定通りに帰宅したものの時差ぼけで、ただいま爆睡中とのこと。無事に帰ることができて、こちらもホッとしています。
なにしろ、やっぱり遠いですから。直行便がないですもん。飛行機を乗り継いで帰るなんて、六十半ばの三人にとっては、けっこう精神的にも肉体的にも負担だったと思いますよ。もう二度と、来られるかどうかわかりませんね。
まずはサンフランシスコからヨセミテ一泊観光、それからまたサンフランシスコに戻ってフェニックスまで、私たちの住むテンピでは、ASU近くのホテルに宿泊。ホテルとこのアパートメントは車で十分かそこらです。携帯をひとつ渡して、連絡用に使ってました。

まー、暑いんですよ。連日40℃超えてますから・・・大学のキャンパスをちょっと歩くだけで、体が焦げそうになるんです。日傘してても、太陽光線の強烈さが違いますからねぇ。
覚悟してきた親たちも、さすがに外に出るのは辟易してました。
ショッピングモールに連れて行ったり、郊外の岩山とサボテンを見に行ったり、あれこれやって、私も疲れました。なにしろほら、車がないと何もできない町ですから、けっきょく夫は仕事があるわけだし、私が車であちこち駆けずり回るしかないんですよね。
日本からいろんなものをもってきてもらったし、久しぶりの再会はよかったんですが、お互い心身ともに、もー限界って感じでした。この暑さと、車がないと自由に動けない、ということで。ほっておいたら、彼らはホテルにカンヅメになるしかないですから。いちおう、近所にスーパーがあって部屋にも電子レンジのついたホテルを選びましたから、最低限、食べることの心配はないのですが、それ以外のことは、動けるこっちが動いてあげないとどうしようもない。はやめに免許とっておいて良かったです。

ほんとにこの数日間、いろいろありすぎて、細かく書くことはできませんが、いつになく忙しく気疲れして、精神的にもくたびれ果てました。満身創痍って感じですかね。
親たちが空港のゲートをくぐって帰国する後姿を見送ったあとは、もう抜け殻。
それでも、私にはひとつ今回のことで、わかったことがあります。
日本にいるときはどうだかわかりませんが、親というものがこの異国にあってはどうにも無力で、自分と同等かそれよりももっと無力であるということ。
きっと日本に帰っても、もう彼らはそんなに有力でも有能でもないかもしれない、老いというのは、なんと人間を無力にしていくものでしょうか。五年前にリバモアにいたころとは、明らかに違います。はっきりと老いている。
そして私は、自分の意志でここにいる限り、頼るべきものはなにもない、いざというときはこの身ひとつの判断でなんとか切り抜けていかなければならないということ。
もちろんそれが自然なのですが、私には、なんだか、心底からひとつ突き抜けた感じがします。
「親を頼れないということは、同時に、親の助言や意向を気にして生きていく必要もないということだ」
好きなように生きればいい。その結果は自分が全部受け取ればいい。
「良い子」の私は、実は依存心が強いからそう振る舞っているだけ。
誰の気持ちも斟酌しないわけではないけれど、私はまだ生きなきゃいけないし、私自身の幸福を追いつづけて行かなきゃいけない、でも周りの誰かの思い描く「良い子、良い娘、良い嫁」を演じながら、生きていかなくてもいい、というか、むしろそのように生きてはいけないのだと。
わかっていたことだけれど、いっそう腹が決まったというか、覚悟ができたというか。
孤独です。が、自由です。

きっと私はそのうちいつか、ほんとうに欲しいものに手をのばすんだろう、あの頃もっていた生へのまっすぐな信頼を取り戻して、裏切られることを怖がらず、不必要な計算に頭を悩ますこともなく、だって、そんなふうにできている、
愛すれば、愛される、
憎めば、憎まれる、
欲すれば、与えられる、
難解な式を立てれば、その解に縛られる、
だから簡単な世界をことさらに複雑にして、勝手に嘆いたり絶望しているのは、愚かしいこと。
林檎を食べるまえのイヴに戻ろう、神のまえに何も隠さなかった、何も画策しなかった、ゆえに苦しみに追われることもなかった、原初のイヴに。
ここから駆け出す勇気のボルテージ、徐々に上げていって。


05/07/08

このまえ、こっちの人がそばでベラベラ話しているのを何とはなしに聞いていたら、まあ、半分もわかんないんですけど、要は他人の悪口ですね、
「彼っていい人なんだけど、あんな彼女とつきあってるなんてガッカリ」
「そうそう、あんなホワイト・トラッシュを選ぶなんて、彼はどうかしてるのよ」
「確かに彼女はホワイト・トラッシュだわ」
「つまらんこと言ってるな」とぼんやり聞いていた私は、この「ホワイト・トラッシュ」で一気に覚醒、

キタ━━(━(━(-( ( (゚∀゚) ) )-)━)━) ━━ !!!!!

と思いましたね。
おお、リアルというか、初めて本音のアメリカが!
思わずこっちの人に確かめましたよ、「ホワイト・トラッシュって、なんのこと?」って。
「ホワイトは白人のことで、トラッシュは、ほら、ゴミとかクズとか・・・」
はいはい、知ってます、知ってます、その程度の個々の単語はわかります、実は知ってて訊いてるんですよね、「ホワイト・トラッシュ」の意味は、「下層白人」ということなんですよ。
平たく言えば、白人のクズ。いやぁ、こんなにも普通に口にされるんだなぁと思いました。
だって、考えたらすごい差別的な言葉じゃないですか。
「白人なのに、貧しい」
「白人のくせに、教養がない」
「白人だというのに、社会のお荷物」
裏返してみれば、黒人なら、ヒスパニックなら、貧しくても教養がなくても能無しでも、わざわざとりたてて「ブラック・トラッシュ」「ヒスパニック・トラッシュ」なんて言わないわけですよ。そこんとこに、すごい社会的断層・序列があるというか、うーん、「やっぱりな」って感じでした。

私、幸いなことに、リバモアでも、こっちでも、差別ってされたことないんですよ。気づいてないだけかもしれませんが、べつに何を言われるわけでなし、ささいなことでもとにかく不愉快な目にあったこともないから、「アメリカで人種差別がある」「実際に差別された」なんて話、聞いても読んでも、実感がなかったです、ほんとのとこ。
だけど、こんなにも普通に、しかも教養もありそうなちゃんとした大人が、何の問題意識もなくツルッと言っちゃうんだ、「ホワイト・トラッシュ」って。私ならいくら英語がペラペラになっても言えないなぁ、心情的に。だって私も日本人というだけで、この国ではマイノリティだもの、そんな言葉、たとえ知っていても、言うのも聞くのも躊躇しますよ。
「彼女って顔だけはきれいだけど、どう見てもホワイト・トラッシュよねー」なんて。
いや、そんなこと怖くて言えない。そんならあんたは何?イエローモンキーの日本人じゃない、とか思われそう。

まあ、自分のことじゃないし、興味深く聞いてたんですが、なんかゾッとしましたね。
日本でそういう表現あったかなぁ?
「性格ブス」とか・・・美人なのに性格が悪いってことだけど、リアルな会話でそんなの使わないしなぁ。
人種差別的な言葉って、やっぱりこっち独特のものがたくさんあるんだろうなと思います。日本でも人種差別用語はいろいろあるけど、まさかあんなにも普通に、あんなにもツルッと、その手の悪口を堂々とは言わないと思いますよ、少なくとも私自身は聞いたことがないし、教養のあるいい大人同士が声をひそめるでもなく口にするなんて・・・日本なら、2ちゃんねるみたいな場所でようやく飛び交うぐらいでしょ??

いやいや、生身のアメリカに近づいてきましたよ、みなさん。
もっとイヤなところ、バカなところ、醜いところを見せて欲しいですね。だって、テンピでもセドナでも、みんな親切だなぁ、大らかだなぁって印象しかないんだもの。
だけど、影をつくらない光ってないでしょ。世の中、そういうもの。


05/07/09

イギリスでテロがあったので、こちらでも公共の施設(大学を含む)などでは、テロに対して充分な警戒を呼びかけるメールが回されたとか。といっても、いま、アリゾナに政府要人などが来ているわけではなし、そんなに危機感はないですけどね。テンピは普通の学生の町だし、ASUも夏休みで、こんなとこがテロのターゲットになるとは思えないというか。でも、ホワイトハウス周辺とか、ニューヨークの金融街にいるとなると、ちょっと緊張感があるかもしれません。日本でも、東京では駅のゴミ箱などが撤去されたとか。ほんと、物騒なことです。

掲示板でも触れましたが、私自身は、テロ行為に走る狂気の心理を非常に哀しいとは思うけれども、声高に一方的な非難の言葉を投げつけることはできない心情です。テロで実際に身内や自分が被害を受ければ、それも変わるかもしれませんが、少なくとも今は、「誰がなんと言おうと、テロは卑劣な愚行である!!」と、言い切れないというか、「いや、それはその通りなんだけどね、でも・・・ムニャムニャ・・・」という感じ。
ブッシュは戦争を始めるにあたって、演説で、我々の側につくか、向こう側につくか、選択は二つにひとつ、みたいなことを言っていましたが、正直、どっちにもつきたくないよっていうのが私の気持ち。

この世の中はいつも完璧でなくて、必ず不平等や不均衡を抱えていて、人間はそれを己の野心のために利用したり、心ならずも利用されたりして、ごちゃごちゃと生きている。貧乏な国の貧乏な親のもとに生まれたら、それだけでもう、WHOの定める「人間らしい生活」を営む権利なんか、初めっから剥奪されているわけですよ。その子供が何をしたわけでもない、ただそこに生れ落ちたというだけで。その中で生きていくということは、もう本能、目の前の明日へ、あさってへ、一日一日と命をつないでいくという、動物的本能で生きていくしかないんじゃないかと思います。そういう環境にあって、理性的な判断力が育たなかったとしても、誰がそれを責められるでしょうか。捨て駒、鉄砲玉として愚かしくその命まで利用されたとしても、誰がそれを非難できるでしょうか。
娼婦であったマグダラのマリアに石を投げつけられる人が、果たしてこの世界にどれだけいるでしょうか。

話かわってセドナです。ここからフリーウェイをぶっ飛ばして二時間、わりと近い町です。
いや、昔はネイティブ・インディアン、ホピ族の聖地であったということですが、今はまあ、小奇麗な観光地になっています。でも、観光地といっても、京都や奈良のようではありません。そこに行けば、雄大で美しい景色のなか、大地の「気」とでもいうものが、人々を癒してくれるというのです。スピリチュアル・スポットとでも呼ぶべきところなんですね。実際に行くまでは、そんなことを聞かされても、「また、ニューエイジかぶれが何か言ってる」みたいな感じで、心中「フーン」でしかなかったのですが、行ってみると、なるほどすごくいいところなんです。
景色を見るだけ、ギャラリーやアクセサリーショップが軒を連ねている「芸術村」を訪ねてみるだけでも面白いし、美味しい日本料理の店はあるし、一泊でなく、もう少し長居したいところでした。

最初に行ったのが、チャペル・オブ・ホーリークロスというスポットでした。
行こうと思ってたわけでなく、この道、どこへ続いているんだろうな、とドライブしていったら、そこにあった、という感じです。岩山のなかほどに教会が建っていて、とても個性的な外観です。
初めは、クソ暑いなー、けど眺めは最高だなー、とか思っていただけですが、一歩、その質素なチャペルに足を踏み入れたとたん、突然、心の蓋がどこかへ飛んでいって、なんだか涙が止まらなくなりました。
観光客もいます、夫や両親もいます、だけど私にはもう眼中にないのです。その場の力に捉えられて、あとからあとから涙が出てくるんです。一ドル札を献金箱に入れて、ずらっとならんだ蝋燭の列に自分のぶんをひとつ加え、私は祭壇の前でひざまずいてしばらくの間、泣いていました。
周囲の目は関係なく、ただ、そうしたかったんです。私の心が「泣き場所・祈り場所」を求めていたんでしょう。何しろ、セドナ行きについては、いろいろモメて、キャンセルしそうになったところをまた思い直して行くことになる、という二転三転があったし、心身とも疲れ果てていたんです。
神が見えたとかじゃない、バチカンのとき同様、そこに神などいない。
だから、ほんとうはクリスチャンだとか仏教徒だとか、そんなの関係ないんですよ。そういうカテゴリめいた色分けは、人の祈りにエゴが干渉してつくりだした幻影にすぎないと思っています。
ただ、見えないけれど、そこに遺された、そこに積み重ねられた思い、人々のさまざまな祈りのかたちだけが、熟成して「場の力」となる、そんな感じでしょうか。それにひきこまれたわけです。

確かに美しい環境音楽が流れていたし、雰囲気に流されて感傷的になったんだろうと、夫なんかは嗤うのですが、自分の心の中に哀しみとか祈るべきことが何もなければ、ただ綺麗だなぁですんだだろうと思います。
心の中にそれらを持ち、なおかつそのことに過敏になっていると、あのなんともいえない「場の力」に捉えられてしまうんじゃないでしょうか。
確かに、あとから冷静に考えたら、観光客が歩き回っているなかで、ひとりひざまずいて泣いていた私は、ただの「ヘンな人」でしかありません。自分でもわかっているんですが、あふれ出てくる涙を、どうにもできなかったんです。そのときは、もうひざまずいて、何か大きな力に自分を預けて、泣けるだけ泣きたい、という一心でした。これが「癒し」なんでしょうか。
泣けば、涙と一緒に何かが出て行って、そのぶん少しだけ心が軽くなります。
「自然と泣ける場」そういう装置が用意された場、それがいわゆる「癒し」スポットということなんでしょう。
けれど、どんな場にあっても泣けない、感情を表出させることが自我の崩壊につながるのではないかと極端に恐れている人、心に蓋が固くくっついて取れないような人には、効果のないものですね。


05/07/12

また性懲りもなくセドナに行ってきました。
二週間で二回も泊まりがけで行くなんて、ハマりすぎ?
でも、前回は親たちがいて、買い物でもなんでも、気を使っちゃって自分のしたいことは出来なかったみたいなんですもん。また、ゆっくり行きたいなぁーって言ってたんですよ。
で、急に思い立って土曜日の昼前にホテルなど予約したりバタバタと荷物を用意して出発。
たかが二時間って思うんですが、フリーウェイでの二時間はけっこう疲れますね。
私、行きだけ途中で運転を代わって、一時間、フリーウェイを時速65〜75マイルで飛ばしたんですが、やっぱり怖い。気分的に、速度に慣れてないし、まっすぐの道はいいけど、カーブが怖い。遠心力で体が傾くって・・・そんなの、市内を走っていたらありえませんから。いつもは45マイルぐらいで走ってますからね。

セドナについたら、今回はしようと思ってたことが、ニューエイジ関連とシルバージュエリーショッピング。
で、いろいろ調べて占いをやってくれるところを探しました。
あるんですよ、怪しげなニューエイジ・ショップがけっこう。
店に入ると、ヒーリングストーンとか、ヨガの本、タロットカードやいろんな不思議グッズがわんさと売られていて、うさんくささ満点。で、申し込むと、店のお抱え占い師が、タロットや占星術で占いをしてくれるわけです。
私は今まで人から占ってもらったことないんですよね。占いなんか信じないっていうより、自分のことを一番知ってるのは自分だと思うから、誰かに占ってもらうぐらいなら、その占いを勉強して自分で自分を占ったほうがいいんじゃないの、という考え。占いとしての体系がまったくない霊感占いなんかは、そもそも問題外で、関わりあいたくないですし。

トンデモ好きの私でもわけわかんないモノがいっぱいあるんだから、一緒に店に入った夫は異次元世界にスリップしちゃった感じだったことでしょう。
タロット・リーディングを申し込んで、しばらくすると、いかにもニューエイジ全盛期からずーっとやってきました、みたいな格好の髭を伸ばしたヒッピー風オジサンが来て、別のドアから二階の小部屋に案内されました。もちろん私ひとり。
実は私自身もタロットカードを二組ほど持っていたりするのですが、オジサンは私の全く知らないカードを使っていたので、いざ展開されたカードを見て、私がそれを自分で解釈することはできませんでした。
これが過去、これが現在、これが未来・・・説明は丁寧ですが、なんせ英語だし、聞き取れない、単語がわからない。
主に、私が将来、何かの仕事で独立できる見込みがあるか、何の仕事に向いているか、などということを相談していたのですが、さあ、彼に言われたことで私がわかった範囲のことを思い返してみても、ピンと来るような来ないような。っていうより、「誰にでも言えることじゃないかな?」という感じ??
たとえば「ビジネス英語コースをとってみようと思うんですが、これはいい思いつきでしょうか」と訊けば、「それは大変素晴らしいことだ、もっとビジネスに対する感覚を養わなくてはいけない」。
こういうのってさ、たいてい誰でもそう言うんじゃない?
「いやー、結局ついていけなくなってやめることになるよ、お金の無駄だから申し込まないほうがいいね」なんて、言わないでしょ?

なんていうか、ミステリアスな雰囲気はなくて、まるで人生相談のノリでしたね。ただ、私が何も言わないのに彼が言い当てたことといえば、「いま、健康に問題があるね」ということ。これも、私が小柄でスリムで、日焼け止めを塗っているから、なまっちろい肌をしていて、なんとなく病弱そうに見えたのかもしれないし、人間、パーフェクトに健康な人なんかいなくて、ささいでもどこかしら問題があるもんだから、誰にでもあてはまったことなのかも。
もう訊くことがなくなった段階で、チップ込み55ドル払って出てきました。彼のリーディングは一分で二ドルという価格。そんなに長居してたのかなーと思いつつ外へ出て、待っていた夫に訊くと、「さあ、20分以上は話してたんちゃうか?おまえがあのオッサンに感化されてヘンなイニシエーションでもされてんのと違うかと思って心配したで」とのこと。
まさか。めちゃくちゃズバズバと自分のことを言い当てられたとしても、一通り、何かその理由を考えますよね。いきなり「おおっ、神秘現象!」って思い込むより、むしろ心理学的観点からあれこれ考察してみますよ。
もしも、その人が知っているはずのない事実を言い当てられたら、それは神秘だと思いますけど。
たとえば、私が何足の靴を持っていて、そのうちサンダルはいくつあるか、だとか。
私が任意のアルファベットのひとつをイニシャルと考えるとき、その文字で真っ先に思い出すのは誰か、とか。
普通はここまでは占えないですね。そんなことがわかるのは、もはや占いじゃない。神秘現象でしょ。

私がカードを自分でめくってみるのは、自分との対話に利用したいから。
現在の自分の気持ちや状況を考えるのには役立つけれど、将来それがどうなるかという詳細までは、その時点ではわからない。むしろ、なんとなくひらめいた直感のほうが近い将来起こりそうなことを暗示していたりして。
6月21日の文章で、夢のことを書いていますが、それから親たちが来て、彼らが帰るまでに起こった出来事とその結果、私に起こった心境の変化は、今振り返れば、見事に正夢といってもいいくらいです。
家族の絆、家族に対する思い、それが、ある思いもよらぬ衝撃的な出来事で大混乱し、そしてこれまでとは変質する。「皆と離れて私ひとりが孤立している」という気持ちになるけれども、それは最終的に、今後の自分を生きていくステップとして必要なことと受け入れている。
夢で、家族そろっての墓参り(家族の系譜・絆の確認作業)に行く途中、大雨と爆撃機に見舞われ(予期せぬ大きな問題が持ち上がる)、皆が事なかれでただやりすごすのを離れたところから見ながら、どこか醒めた自分を感じている(精神的な面で家族との絆が変質するのを受け入れる)・・・
すごく納得できる展開でした。先行の夢と後発の現実が象徴的にリンクしている。こういうハッキリした夢って、めったに見ないんですけどね。


05/07/13

暑い・・・。ここんとこ44℃とか45℃が続いてますよ、もうこんな土地、人間の住む場所じゃないって感じ。
湿度も9パーセントとか、そんなんですよ。外に出るときは水を持ってでないと冗談じゃなく危険。
たとえばフリーウェイで車が故障したとき、水もってなかったら助けが来るまでの間に死ぬかも。いや、マジで。サンフランシスコ郊外のフリーウェイには、何マイルかおきに非常用電話がとりつけてあったけど、こっちでそんなもの見たことないですから、不幸にして携帯も通じない地域でアクシデントに見舞われたら、どう対処するんでしょう。もう、路上で手を振って他の車に助けてもらうしかないですよ。でも、そんなとこでわざわざ停まってくれる車があるでしょうか。セドナに行くとき考えたんですけど、みんな80マイル(128.7 km/h)とか出してるんですよ、急に停まれないし、第一、停まってくれた人が、いい人だとは限らないじゃないですか。カードとお金盗られて殺されたりして。車で旅行もいいけれど、ちょっとアクシデントがあると、死と隣り合わせ。怖いですねー、まだ飛行機のほうがマシだと思いました。
大阪の夏も暑いけど、普通の生活で命にかかわるような「危険」を感じたことはありませんよ。
大阪の夏は、蒸し器のなかで蒸されてる感じ。暑いし不快だけど温度は低い。
ここときたら、それこそ鉄板焼き。水分は蒸発するは、温度は高いは、きっと日の当たる車のボンネットのうえでは目玉焼きができるはず。試してみたことはありませんが。
涼しいとこ行きたいよ〜。なんだってよりによってアリゾナなんかに・・・くすん。

暑さがひどいので、昼の日光の下を歩いていると、たかが五分でも焼け死ぬ思いですから、なんかクーラーの効いた部屋の中に閉じ込められてるみたいなんですね。
それにテンピってけっきょく大学以外、何にもないし。
巨大ショッピングモールも何度か行けば飽きるし、フィットネスやらスパなんか行く気はないし、図書館はあっても、みんな英語だからねー。たかだか百年そこらの歴史しかないんだから、博物館なんか行っても、いまいちつまんないだろうし。せめてヒルトンやらシェラトンなどの立派なホテルでもあれば、ロビーで涼んで、室内プール施設の会員になって(フィットネスはあっても、室内プールはないのが不思議)、夜はバーで飲んだり、いろいろ活用できるかもしれないのに、そういうのもなし。ほんと、田舎。
思えば、まだ北京大学のほうが海外就職のロケーションとしては、ずっと面白いわ。
涼しい(冬は寒いけど)し、外資系ホテルは建ち並んでるし、そのなかにエンターテイメント施設はあるし、(私は)ある程度、言葉も通じるし本も読めるし、いざとなったら筆談ででもっていうのが気休めになるし、現地の人たちはちょっと変わってるけど東洋人ということで通じるメンタリティもあるし、日本食にも困らないし、洋食やカフェだってあるし、一応、そこらここらに美術館やら見るものあるし、行ってみるべき名所旧跡(中国ご自慢の四千年の歴史!!)はあるし、経済的な面で格差がそんなにないのなら、文系人間にはあっちのほうが断然イイネ!
ただ、ときどき「反日病」の発作が起きるのは困ったものだけど、ひとりひとりの普通の人たちの本音は、もう言われているほど「日本憎し」でもないし。

そういえばドイツのユーリッヒもよかったなぁ。ほんとに小さな町だったけど、人は親切できっちりしてるし、平和で犯罪もなさそうだし、曲がりなりにも鉄道は通ってて、行こうと思えばケルンやボン、はたまたベルギーやらフランス方面にも小旅行に行けるし、きれいな花々が窓辺に飾ってあるし、ワインは安くて美味しいし、ドイツ料理はそんなに悪くないし、ただ冬は陰鬱な天気が続いて寒いということだけど、明瞭な四季があるっていうのは精神的にもいいんじゃないかなぁ。
テンピにいると、6月から11月まで夏!!一年の大半を半袖で過ごすわけだから、四季なんてないに等しい。
長袖のウールのジャケットなんかも持ってきたけど、そんなのほんと、いらないよなって感じ。毎日、日焼け止めを塗りたくるのも面倒だしお肌に悪そうだし、それでもこんなところに「日焼けサロン」なんかがあるってどういうこと?ちょっとクレイジーじゃない?何もしなくても、日常生活で勝手に焼けるってのに。どんなに焼きたくなくても、努力しなければ、こっちの紫外線はキョーレツですもん。
私なんか、外に出るときは顔だけでなく指のさきから首すじ、足元にいたるまで、日光の当たる部分には、いちいちサンスクリーン・ローション塗ってますから。そのうえから、まだ日傘さしてますし。おかげで、親が来たときも、「あれ、もうてっきり日焼けして真っ黒かと思ったら、全然焼けてないやん」と言われましたが、これは苦労のたまものなんですよ。日焼け防止効果の高いもの(お肌にも負担がかかる)、低いもの(お肌にはやさしいけど効果もそれなり)、身体用、顔用、いろいろとりそろえて、TPOにあわせて塗り分けてます。おかげで黒くなった感じはしませんが、それでも長いことこっちにいると、徐々にダメージは受けていくんだろうな、とは思いますね。やだやだ。

ハッΣ(゚Д゚)、今日はこんな話をダラダラ書いてしまう予定ではなかったのに・・・(´・ω・`)ショボーン 。
でも、ほんとうのことは、言葉に出来ないものなのね。
無理に明るくしているつもりでも、フラストレーションたまりまくりの日々。
このダイアリーだって、「中の人」がダメだしするもんだから、最初のようにマッドなドライヴ感がない。
セドナでヒッピーのおじさんに言われたことが心に突き刺さります。
「・・・が過去、現在は『Isolation』、未来は・・・」
未来は何だったんだろう。現在を聞いたとたん、それは聞き取れなくなってしまったけれど。
「強い人と一緒にいること。自分を強くしてくれる。おまえさんには強さが必要だね」
遠く海を隔てて、声に出さずに、おおーーーいと叫んでも、見えない腕を懸命に伸ばしてみても、届かない届かない離れすぎて。そもそも私は透明なゴーストにすぎない、はじめからわかっているけれど、だのにまた選んでしまう悪魔のカード、それはつらい執着?それとも『Isolation』のただなかで溺れないための浮き輪?


05/07/14

「嫌われてるんと違うか」
結婚して以来、しばしばそう言われるんですよ。私が、実際にリアルで会ったことのある、あの人からもこの人からも、嫌われてる・・・という言葉は強すぎるにしても、少なくともウザがられてるって。まあ何の根拠があるのかわかりませんが、そもそも誰かが誰かのことをどう思っているか、だなんて、よほど一緒にいる機会がなければ、見当つけようがないですし。
まあ「言いたい放題言ってると人からよく思われへんぞ」ぐらいのご忠告なんでしょうけど、いい機会だから、私はそんなに人から嫌われる要素をもった人間なのか、と今まであまり真剣に思ってみたこともないことを真面目に検討してみると、これがどうもわからない。自分のことだから、身びいきもあるし、そんなに嫌われるような女だっけな?何かマズイこと、言ったりしたりしたっけな?という感じ。ここでいろんなこと書いてますけどね、ほんとにうざくて嫌な女だと思っているなら、好奇心もわかないし、私だったら読まないな。読んで、「こいつ、アホ?」とゲンナリして、それでどうなるの?
渡辺センセイの日経連載「愛ルケ」、あれも多くの人たち(特に女性)を朝っぱらからゲンナリさせているらしいですが、テーマがテーマで(プ、一貫しているだけに、突っ込みどころ満載らしくて、そういうのなら、所詮はフィクションで無害だし、今日はどれだけ嗤えるか、という意地の悪い読みかたもできますけどね。

いざ自分が人の輪に入ったとき、「みんなから嫌われる傾向の強いタイプ」なのかどうか、これはぜひ試してみたいと思うんですが、なんせここでは友人知人のたぐいがなく、新しく人と知り合う機会もないので、悶々としています。だがしかし。この秋から、英語を習いにきちんと学校に通おうと思っているので、そこでわかるんじゃないですかね?
文学学校とか物理学会と違って、いろんな人種、いろんな年齢や立場の人が来そうなクラスをとる予定ですから、偏りがなくていいんじゃないでしょうか。ちなみに、私は文学学校でも、「嫌われてた」なんて自覚ないですけど。だったら同人誌にも誘われないだろうし、みんなで一緒にお茶を飲みにいっても気詰まりなだけだろうし。まあ、人によっては私独自の雰囲気に慣れるまで、いろいろ思ったかもしれませんが。最後は和気藹々とやってましたよ。学会は、わかんないです。あれはつまりあの人の仕事の場で、どうせ私は付属品っていうか、付属品にもならない存在なんだし。

楽しみですね。英語のクラスに行くのが。
どんな人が来てるか、どんなことをするのか、友達はできるか、考えたらワクワクしますね。
絶対に嫌われないと思うもの。だって、喋ればボロもでるだろうけど、英語だからそんな突っ込んだ話もできないじゃない?笑顔で人に接することは、とうの昔に練習ずみだし。んー、てことで安心してますが、何の理由もなく嫌われるなんてことある?
たしかに、なんとなく虫が好かない、という場合はあるけど、みんなオトナですよ、そんなことぐらいで勉強の場にネガティヴな個人的感情を持ち込んだりしないよね。(←希望的観測)

ここで無題な詩を一編。


手袋をしたままだね 握手するときにも
久しぶりと笑いながら開いた 心の穴に
青い小石が くるくる回って落ちてく
「わたしの爪は そんなに尖っているのだろうか?」

仮面をつければ 安心なんだね
遠くで見てれば 安心なんだね
一歩接近 二歩の後退
「わたしの姿は そんなに醜いのだろうか?」 

どんなふうに話しても 疑い深いきみには
棘のないサボテンなどないと
刺さない蜂や蠍などいないと
叫んでるのも同じ 馬鹿げた嘘に聞こえる
そう それも道理かもしれない
「わたしが わたしに 嘘をついているとしたら?」

ゲームじゃなくても ゲームオーバー
ほのめかしも 真実も みんな地上へ放り出し
きみは高い木の梢 ひらりと巣へ舞い戻る
それを見届けたら 立ち去ろう わたしも
長く伸びた影に 隠された断片を踏んで


05/07/16

最近の「ちいさな幸せ」特集。

1)チェリーが旬!黒っぽい赤のアメリカンチェリーもいいけど、ちょっと値段が高くても抜群に美味しいのは、佐藤錦の色でアメリカンチェリーの大きさのもの。ああ、名前はなんていうんだろう、とにかく美味しい。
昨日、夫を大学に送っていった帰りにスーパーに寄って一袋買ったんです。これが大当たり。みずみずしくプリプリしてて甘い!きっと新鮮だったんでしょうね。思わず(゚д゚)ウマー と、次から次へと食べてしまいました。チェリーって栄養価的にはさしたるものはないみたいなんですけど、ほんと、日本で買うことを思えば安い($3,99/lb)ので、ついつい手が伸びてしまいます。

2)セドナで買った香水が大当たり。もう「ほんとに心から好き」な香り。「Desert Queen」っていうんですが、実はスコッツデールの会社で製造されてるんですよね。フローラル系で甘さよりもさわやかさが感じられる、でも、ちょっとミステリアスな香り。日本には上陸してないと思います。
買ったときの説明では、「The Queen of the night」というサボテンの花で、その白い綺麗な花は、強い香りをふりまきながら夜に開花し、朝にはしぼむ短い命なんだそうです。それって、ひょっとして日本語で「月下美人」ってヤツじゃない?と思って調べたら、その通り。いやー、でも、知らなかった、月下美人がこんなにいい香りだなんて。名前も素敵よねぇ。シュッと一吹きすると、ああ幸せ・・・
む。だれですか、月下美人だなんて私には似合わねーよ、とコッソリ陰口を叩いたのは?
一歩前に出て歯をくいしばれ!! ■━⊂( ・∀・) 彡 ガッ☆`Д´)ノ

3)ハアハア・・・
つぎは、フェニックス郊外にあるアウトレットモールで買った指輪。これも「ほんとに心から好き」な一品。
シルバー台に四角い水色の石がついてるシンプルかつお洒落なリングなんですが、店のオジサンにその石の名前を聞いても、わかんなかったんですよね。で、紙に書いてもらったのを電子辞書でひいてもやはりわからない。いったい何なの?と思っていたら、グーグルで一発。さすがですね。
ラリマー(Larimar)っていう穏やかな水色の石、ヒーリングストーンとして人気上昇中なのだとか。

ラリマーが生み出すエネルギーは"調和と愛"。ラリマーに触れると、癒しのエネルギーが流れ込んでくるのが感じられるでしょう。 ラリマーは霊・肉体・精神のバランスを取り、心の傷を癒し、過去のトラウマを解放してくれます。 その青は緊張を解き放してしてくれるので、ネガティブなエネルギーも心も自然とクリアになり、穏やかになります。現状への執着や、変化への恐れを無くし、新しい変化をどんどん引き寄せていきます。

ふーん。なんかいいじゃない。これも運命の出会いだったのだわ。セール価格で安かったしね!

4)使用感のとてもいいサンスクリーンローションをみつけたこと。
こちらでは日焼け止め命!!なんたって、一年中、日本とは比べ物にならない紫外線が降り注いでいるんです。相性のいいサンスクリーンローションを探し当てることは大切なこと。
昔からコパトーンを使っていて日焼けしなかったので、信頼していたんですが、こっちでは日本で売っていないシリーズがあります。ていうか、日本のものとこちらのものは、けっこう違いますね。私が今回みつけたのは、こちらのウルトラシアー・シリーズ。べたべたしないし、かといって乾燥しないし、ちょうどボディローションのような感触で、日焼けを防いでくれます。これこそ、まさに私が求めていたもの。すべすべお肌でハッピー。

ま、こんなとこですかね。
相変わらずクソ暑いし、町は田舎で刺激はないけど、ちいさな幸せってのは。あとは可もなくって感じ。

さて、マンゴーもいよいよ旬になってきた感じだし、二個でたったの$1ですよ。
確かに日本とは段違いに安くて美味しいマンゴー、私はあんまり心から好きでもないけどね、ちょっと癖のある香りで。でも、夫が去年こちらにきたとき、マンゴーとトマトで思いつき手製サラダをつくっていた、ということなので、今日はそれを再現してもらいましょか。


05/07/18

昨日はテンピの北に位置するスコッツデールへ行きました。
町並みはずっとお洒落だし、たいていほんとに美味しいレストランってスコッツデールかフェニックスにあるんじゃないでしょうか。だだっ広いスーパーしかないテンピと違って、ちょっとヨーロピアンな市街地になっている地区もあり、ギャラリーなどが並んでいて、雰囲気はいいです。散策でもしてみようか、という感じ。

だがしかし。

天気予報で連日44度だの45度だの(今日なんか47度!!)言ってるのに、誰が外なんかフラフラ歩いてますか?
はっきり言って無謀です。普通に五分も歩けば頭クラクラしてきますよ。炎天下に停めた車の中に赤ちゃんなんか放置しようものなら、十分ぐらいで危篤です。大人だって絶対我慢できませんよ。なにしろ車にガソリン入れてる間だけでも、クーラーのきれた車内がじわじわ暑くなってきて、あー、コンビニでも入ってようか(こちらのガソリンスタンドにはコンビニが必ずあります)って思うのに。朝は七時ぐらいまでですかね、夜は日が沈みきった八時ぐらいから、「まあちょっとなら歩けるかな」というのは。
午後四時ぐらいが一番暑いんです。太陽はまだピカピカ、アスファルトやコンクリの照り返しで、息もつけない熱風です。こんな時間帯に歩いてる人を見つけたら、「おいおい、そんなに死にたいんか」って声かけたくなりますよ。
よって、スコッツデールにせっかくきれいな市街地をつくってみても、閑散としていて、人っ子ひとりいないのでした。ほんと、車降りられませんよ、何か用事がないと。

みんなこんなときどうしているかというと、家でクーラーつけて(昼夜問わずつけっ放し。出かけるときにもスイッチ切らないです)テレビでもみてるか、ショッピングモールへ行ってるか、ですね。モールには映画館や広いフードコートもあったりして、一応、ファミリーでいっても飽きないよう、それなりに工夫されてます。
そのほかにどこへ行く場所がある?
買い物をしても、車のトランクなんかに入れたら急速に熱されていくので、せめてアイスクリームとか肉類はクーラーの効いた車内で持つとかしないとダメ。で、もう速攻で帰って冷蔵庫へ。
ちょっと遠いところで買い物なんかしようと思ったら、クーラーボックスとかクーラーバッグが必要ですね。私は化粧品とか買っても、トランクになんか放り込まないで、それだけは車内に持ちこみます。だって、熱でドロドロになっちゃいますよ。んー、そう考えたら、ネットショッピングで買うものも限られてきますね、香水なんか買っても、クーラー車で運んでくれないですから・・・熱にあまり影響されないものしか買えません。

ここじゃ暑いのが難ですが、アメリカ北部では「凍死しないように気をつけなければいけない」州もあるし、はたまた中部では「竜巻の発生にそなえて各家庭に地下室がある」ような州もあり、なんか、過酷な土地ですよ、アメリカって。
気候がいいのは、広い国土のほんの一部なんですよね。
その他では、人間がそのまま住むにはとてもふさわしくないような土地に、無理やり水を運び、電気やガスを供給し、大量のエネルギーを消費することで、町の体裁を保っているわけなんですね。
真夏のさなかに、なんぼ暑い暑い言うても、大阪ではせいぜい上がって37度。まあ、湿度が高いのは嫌ですが、水もそのまま飲めるし、いやぁ、ほんと、恵まれてるなぁ。
四季おりおりの町の表情も楽しめますし、北は北海道から南は沖縄まで、死の危険と隣り合わせで暮らしてるってわけでもないし、日本って平和でいいなぁ。

この界隈は田舎町だから、のんびりしてて安全なように見えます。実際、身の危険を感じたことはまだありませんが、ローカルニュースなんかでは、たまに私の知っているような通りで強盗があって人が殺されたり、やっぱりあるんですよねー。こんなの全国ネットのCNNなんかじゃ絶対とりあげないけど、町中ではよくパトカーをみかけますし、おとといなんか、私の住んでるこのアパートのすぐ前で、市バスがずーっと停まってるんです。あれぇ、なんだろう?と思っていたら、パトカーは来る、消防車は来る、救急車は来る、もう何が起こったんだろうと見ていましたが、なんか担架を出していたから、病人か怪我人でもでたのかな。とにかく見ているうちに暑さでこっちまで倒れそうになったので、早々に部屋に戻りましたが。

いや、人間にとって過酷な自然条件の国ってのは、いろいろあると思いますが、なにしろ国土が広いものだから、バラエティがあります。とにかく、アリゾナに来るのだったら11月後半から4月まで。一番いいシーズンらしいです。たしかに春は独特の花が咲いていて、まだうるおいがあったような気がします。
いま、椰子の木は大丈夫だけど、夾竹桃がつらそうな感じです。日本でもよく道路際に植えられるくらい、大気汚染にも暑さや乾燥にも強い花で、成長しながら次々に花芽をつくり、夏じゅうずっと咲いてますが、さあ、いつまでもつんだろう、この環境のなかでは?まだなんとか咲いてますけどね、こんなに強い日照りと暑さがもう二ヶ月も続くとどうなることやら。夾竹桃の花言葉は、「用心」、「危険」。


05/07/20

こんなものなのかなぁ、人生って。
思えば25,6の頃が一番よかった。元気で、いろんな環境にも恵まれていて。
いろんな可能性があったのに、いくつもの分かれ道を選択してきた結果、いまここにいる。
この先、まだまだいろんな選択肢があるんだろうか。あると思う。でも、あの頃のように思い切ったことをするだけの勇気とかバイタリティが、まだ残っているのかな、私には。
これからの分かれ道で、一番広いものばかりを選んでいたら、行き着く先はもう見えてる。こうなってああなって、最後は死ぬんだろうな。そりゃそれでも紆余曲折あるだろうけど、受身でいて降りかかってくる困難は、わざわざ選び取った困難とはちがって、誰にも非難されないし、同情までしてもらえるから、たぶん、そのほうがラクなんだろう。
自分が選び取った困難は、ときには非難や蔑みの対象になるし、誰かから手をさしのべてもらうことを期待もできない。勝てば華、負ければ泥。すべての責任は自分ひとりにある。

さあ、どうする?

あと何十年か生きるとして(まだそんなにあるの?)、最後の息をひきとる前に、何を思うんだろう。
「自分の人生は、時間に流されて、他人が最も多く歩いている道を選んできただけだ」
そう後悔するのか、
「ひとりよがりな判断で、好きな道を来たけれど、人生そんなに甘くはなかったよ・・・」
みたいに敗北感を覚えるのか。
同じような歳で、それぞれのテリトリーの第一線で頑張っている人もいるのに、彼らから見ると、私はただの屑なんだろうな。
でも、そんな大それたものじゃない。
私が欲しかったもの、私が欲しいもの、たぶん簡単なものなのに、見つからない、手に入らない。

なんだか今日は、なんとなくネガティヴ。

大きな夢が、ありふれた日常へ。
ドキドキするような期待が、だるくなるような諦念へ。
なんだかんだ言いながら、変わりばえしない私自身に嫌気がさしつつも、生きていくってそういうことなのかも。
ここの生活だって、もうはや非日常じゃない。

もてたい人のもてないブログ、成功したい人の成功できないブログ、そういうのを読んでいると、その渇望感の確かさがときどき羨ましい。
「恋人さえできたら!」
「これさえ成功したら!」
なんにせよ、情熱を絞り込める目標がクリアにあるということが、生きていくうえでの原動力。
背後からしのびよる優しい顔した諦念に、気づかないうちはね。
その確かな渇望感を、飢餓感を、明日への燃料にして、哀しさも惨めさも、みんな味方につけて。そうやって走る人ほど、強い者はない。

私はダメ。まるで糸のついた人形みたいに、誰かが起こしてくれて、手足を動かしてくれるのを待ってる。
失敗するのが怖い、失敗したと言われるのが怖い、古い毛布を手放せない子供のように、駄々をこねているだけ。いっそ、誰かがこの毛布を無理やりにでも取り上げてくれたら・・・
もうわかってるのに、その毛布はカビくさく湿気ていて冷たいんだと。
わかっているのに、ほんとはあのガラスケースの中のふわふわしたのが欲しいんだと。
でも、それを買えるだけのお金もないから、お小遣いを貯めるのに新聞配達なんか続けられそうにもないから、聞き分けのない子供のように道端に座り込んで、グズグズと駄々をこねつづけている、ガラスケースごしにいつまでも指をくわえて、決して触れられないふわふわの幸せをただ眺めている。

いま、うちの甥っ子が難病にかかって移植手術しか助かりませんと言われて、私がそのドナーにマッチしたら、それで私が死ぬことになってもドナーになるかも。私が漫然とあと何十年も生きていくより、あの子たちの未来の日々のほうが、はるかに輝いているだろうから。なんてったって、まだ幼稚園児だもんね。それに、死ぬにしたって麻酔かかってるから痛くないし、親や親戚からは感謝されるし、ある意味、すごい理想的な死に方だわ。


05/07/23

おとといあたりから、新しいアパート探しで忙しくしています。
べつにこのアパートが嫌なわけじゃなくて、むしろ便利で綺麗でいいんですが、とりあえず2bedroomsは必要だと。今は1LDKって感じですよね、だけど、やっぱりあの人と私で、それぞれ別のプライベートルームがあるほうがいいなぁって。

どんなに親しい友人でも、たとえ肉親であっても、プライベートな空間がない中でずっと生活するのは、私には苦痛なんですよ。ほんと、こっちに引っ越すときはまだ不確定要素があったので、1LDKでもとりあえずいいか、ということになったんですが、しばらく腰を落ち着けるとなるとまた気分も違ってきて。それに、私とあの人では、趣味から何から違う部分が多いでしょう?だから、相手に干渉しすぎると、結局、双方が不愉快になるだけなんですよ。
たとえば、夜、あの人が寝室兼仕事場で何かやってる。私は仕事してるのかなーと思ってリビングの食卓で友達にメール書き始める。あの人の仕事が一段落したようで、リビングにきてテレビを見始める。私はテレビの音が嫌いなので、あーうるさいなと思いつつ、まー仕方ないか、あの人はこんなときしか見られないし、と我慢していると、
「おい、何やってんねん、こっちにきて一緒に見ようや」
「うん・・・今メール書いてる途中やから終わったら見る(別に見たくないけど)」
「そんなんいつでもできるやろ、なんで僕が大学に行ってるときにやっとけへんねん、何も今やらんでええやろ」
「なんであんたに私がいつ何をするか決めてもらわなあかんの、第一、私、別に今テレビ見たくないし」
「夫婦やのに、おまえは冷たいな、せっかく一緒に見ようって言ってるのに」
「今の今まで、あんただって向こうで仕事してたやないの、それが終わったからテレビ見てるだけやろ、何で私まで巻き込むの?」
と、こういう類のことが繰り返されます。

私はあまり、「一緒に〜〜しようよ」といつでも誰かとくっついていたいタイプじゃないんですよね。
だから、旅行とか遠くへ買い物とか、特別な状況でない限り、あの人に「〜〜しよう」ともちかけることは少ないです。もちかけたとしても、「仕事しないかん」「疲れてる」「気乗りせん」などと一言いわれたら仕方ないと引き下がりますよ。
だから、同じように私がメール書いてるとき、それを中断してほしくない。
何かグーグルで調べてるときに、声をかけられても迷惑。
「〜〜しよう」と誘うのはいいけど、私のしていることが終わるまで、なんで待てないの?と。
でも、あの人にしてみれば、私のやっていることは仕事でもなんでもないので、「後回しにしてもいい、いつやってもいい」ことに見えるようなんですよ。
こっちは「なんか振り回されてる感じ」でイライラ。
あっちはあっちで、「しょうもないことばっかやって。無視された」とイライラ。
お互いにプライベートルームがあって、いつもいつも姿が見えてるという状況でなければ、もう少し距離感がでてきて、ほどほどに譲歩できると思うんですよね。
部屋の中のインテリアも、自分の自由にできるしね。

2bedroomsだと、それだけ家賃が高くなるし、もっと安いアパートを探そうか、どうせならもっと大学に近いところ(といってもこのアパートだって大学まで車で十分ですが)に住もうか、というわけで、いろいろ物件を見て回ったりしてるわけです。なかなか難しいですよ、ロケーション、周りの環境や部屋の間取り、ペットOKかどうか、建物がきちんとメンテされているかどうか、など、総合的に見ていくと、今のアパートはほんとにいいんですけどね。もうこのアパート内で引っ越してもいいと思うくらい。あれこれ荷物を運ぶのも遠くだと大変だし。
はー、やれやれ。どうしたものか。

お金で買える快適さは買えばいいと思いますよ。そうしないと何のためのお金なんだか。
経済的に逼迫してるわけでもないのに、少しのお金をケチることで、もっと大きなものを失う結果につながることもあるんです。まだお金で買えるものが障害だなんて、人生の困難の中ではマシなんじゃないですか。健康とか愛情とか、そういうものはお金で買えませんから。
そういえば、デート代論争というのがありますね、一回目デートの食事代ぐらい男が出すべき、いやいや、割り勘にすべき・・・あほらしい。そんなもん、好きな女なんだったら一回目のデートの食事代ぐらい、年上年下かかわらず、男が出せばいいでしょう。それで、その後の彼女の言動を見ることで、自分の女選びが正しかったかどうか、判断するチャンスができるというものじゃないですか。もしその食事代すら惜しい、というのが本音なら、はっきりいって愛してなんかないんですよ。たかがこんな恋愛の初っ端で、男女平等、割り勘主義!を声高に叫びたくなるんなら、なんかお金にコンプレックスがあるか、そもそも性格的に恋愛には向いてないのかもしれませんね。この現世の人類に平等もないのに、恋愛という感情の支配する妄念世界に真の平等なんかありえませんよ。より愛しているか、いないか。それだけです。

ほどほどに賢明で、男を愛している女だったら、食事のあとの映画のチケット代は「自分が」と言うでしょうし、それでなければお茶代は「私が」と言うでしょう。何か理由をつけて小さなプレゼントをくれるかもしれません。もし女が、まるまる全部おごられっぱなしで当たり前だと思っている雰囲気、それでも不快でなければそれはそれで他人が口を挟むことではないし、不快であれば、男はその旨を言うなり、自分に見る目がなかったと思って女から去るなりすればいいわけです。一〜三回目のデート代の割り振りは、いわば双方にとっての「踏み絵」。これは男から仕掛けるべき。というか、初めに仕掛けた方が、その後の展開をよく読めるようになる、といっていいと思います。


05/07/24

関東で地震ですってね。
そんなに被害は深刻ではなかったみたいですが、エレベータに閉じ込められたり、交通機関がマヒしてしまったり、巻き込まれた人たちは大変だったろうと思います。
家の中にいて自分自身は大丈夫でも、お気に入りの絵皿一枚でも落ちて割れたなら、個人的にはショックでしょうし。
んー、「何を」ということもできないけれど、余震もあるということだし、気をつけてくださいな。

ロンドンのテロも怖かったですが、エジプトのテロはもう何と言ってよいやら・・・
いや、たんなる物見遊山ですが、一生に一度は、エジプトに行ってスフィンクスやピラミッドを見てみたい、イスラエルに行って嘆きの壁やら見てみたい、と、前々から思ってるんですけど、あのへんがほんとに安全になるってこと、これからあるんでしょうか。
ほんと、部分的な地域社会のためだけでなく、今に生きる人類全体のための世界的遺産というべきものの宝庫ですから、本来ならば、ものすごい価値のある観光地になれるんですよね。テロでバーミヤンの仏像遺跡が破壊されたときは、ほんとうに悲しかったですよ、もう取りかえしがつかないですから。やめて欲しいですね、無辜の命や貴重きわまりない文化遺産を、無益な戦いの犠牲にするのは・・・

ところで、スタイルシートというテクで、壁紙をこういうふうに固定することを覚えました♪
いやー、多くの素材屋さんでは、丁寧にタグを書いて説明して、「これをソースにコピー&ペーストしてください」とか、そこまでしてくれてるのに、そんなのあんましよくわかんないしぃ、第一めんどくさいもん、(でも、こういう動かない壁紙ってカッコイイ・・・)と思って指くわえてたんですよね。でも、よーく見たら、ホームページビルダーにスタイルシートマネジャーってのがあって、それを使えば簡単にこういう固定ができちゃう。もちろん、上に寄せたり、リピートさせたりもできちゃう。
あははは!なんだー、こういうことだったのね!
って、オマエは何年このサイトづくりやってるんや、と思われそうですが、ほんとに自分でやってみようと思うまで、「めんどくさいなー。なんとか簡単に済ませられないかなー」って腰が重いのが私なんですよ。ビルダーのマニュアルだってほとんど見ないしぃ。うん、自慢になりませんけどね。

さて。「今月の壁紙」を何にするかは、ささやかな楽しみのひとつですが、この淡いピンクの花、関西では今が開花まっ盛りのハスでございます。
残念ながら、アリゾナでは見られませんね。だからせめて写真だけでもと・・・


05/07/26

ある程度、予期していたことだけれど、長くそこにあって大切に思っていたものが、存外に早く失われてしまいました。記憶のなかでしか見られない、思い出としてしか語れないものが、またひとつ増えたということ。

さよならと言う間もない、事後報告。

寂しいし、胸が痛みます。けれども、それはそれとして、みんな歩いていかなきゃいけない。
戻れない日々、もう二度と、帰れない場所。

泣きたいような気がするけれど涙もでない。
ただ、喪失という現実を受け止めるだけ。わかっていたこと、いつかはさよならだと、わかっていたこと、だけど、ほんとうにそのときが来てしまった、こんなに早く。

きっと、それは失われるべくして失われたんで、誰のせいでもないんです。
だから、もう、何にも、「言葉にできない」。

これからもまだまだあるんだろうな、さよならは。
ひとつの根本が壊れたら、普通は連鎖的にガラガラと崩れてしまいますね、表層にのっかっているものはね。
上澄みだけを残して、そのしたの泥だけを捨てることなどできないように。

もう会えない。あの人、この人。顔が浮かぶたび、別れが惜しい。
きっと私が思っていることなどわからない。
私が考えていることなど、想像したこともない。

意外な誰かが、ぜんぜん知らないところで自分のことを懐かしんでいるとか、ひそかに愛しているとか、そんなことは幻想だ、とも言い切れないですよ。
現に、私は昔の友達をよく思い出したりするから。ごくたまに夢に出てきたりもするし。
でも、それは私がわりと「感情の尾をひく」タイプだからで、ドライな人はもっとアッサリ、会わなくなった人のことなど振り返らないものなのかもね。

やがて会えなくなるだろう、あの人、この人。
いつか来る別れが、この今からもうかなしい。
こうして、どうしてももどかしく、ままならず、不器用に、いつか忘れられていくことがかなしい。
夕暮れの窓のなか、せつなくもの寂しい気持ちで、思い出してしまうだろうことが、かなしい。


05/07/28

こちらではたまに夜、サンダーストームと呼ばれる雨が降ります。
雷と強い風をともなって、短時間、そうですねぇ、30分〜1時間ぐらい?日本でいう「夕立ち」みたいなもんですが、こっちではたいてい夜。昼に雨が降ってきたことはないです。
雨が降ると、一時的に気温が少し下がるので、酷暑に耐えるアリゾナの人々はサンダーストームが来ると喜ぶわけなんですが、ほとんど焼け石に水って感じで、毎日が暑いのには変わりありません。現に今も42℃ですから。まあ今週はまだマシです、45℃前後が続いたときはほんとに暑かった〜。でも、こうやって少しでも雨が降るから、乾燥に強い植物や動物なら生き残っていけるんですね。
知ってました?こちらではお馴染みのサボテン。あれ、条例か何かで保護しなきゃいけないって決まってるんですよ。あんなもの、この気候なんだから勝手に生えてきそうなもんだけど、サボテンは生長するのに時間がかかるので、乱獲するとあっという間になくなってしまうでしょう。だからわざわざ保護されているんですね。

九月にドイツへ行くのは諦めようかな・・・
いや、学会で二週間ほど行くらしいんですが、ここからだとえらい遠いんですよ。フェニックスからたぶんシカゴやニューヨークまで行って、乗り継いでドイツまでですから、けっこう時間がかかります。ここからニューヨークまで、フライト時間は約五時間ぐらいです。トランジットの時間とか入れると、目的地に着くまで大旅行って感じ。めちゃ疲れそう。それに、オコタンのこともあるし。
ほんと、ド田舎。ヨーロッパへの直行便もないなんて。これだったら関空からのほうがずっとラク。
やっぱりアメリカは西海岸か東海岸のどっちかに住むに限りますね。
西だったら日本に少しでも近いし気候がいいし、東だったらヨーロッパまですぐ。
こんな中途半端なアリゾナに住んでると、国内移動が関の山。
それなのに、ASUをもっと大きくして、全米でも有数の総合マンモス大学にしようという計画が進んでるんですよ。いま、あっちこっち工事してます。こんなとこに誰が住みたいのかって思うけれど、学生や先生が集まってくると、人口が増えるし、そうしたらもっといろんなものが整備されて多少住みやすくなるのかもしれない。んー、それまで私たちがここに住んでるかどうか、わかりませんが。

日本も暑いそうですが、うちの両親に言わせると、「アリゾナに住んでる人もいるんやから、これぐらい耐えられる」らしいです。実際に来てみて、相当こたえたみたいですね、この暑さ。
だって、日中は誰も歩いてないですもん。クーラーのついた車で移動しないと、へたすりゃ熱射病で病院行き。たまに元気な男子学生が上半身何も着ないで、リュック背負って歩いたり自転車乗ったりしてますけどね、こんな気温では、まだ何か羽織って身体を日光から遮るほうが涼しいのに、おまえはバカか、死にたいんかと。
ったく、誰がこんな土地を開発して住もうなんて考えたんだか。
警官だって膝丈ぐらいの半ズボン穿いてるんですよ。いくら制服フェチな私でも、あれはちょっと・・・しまらないなぁ、なんとなく。男が脚を見せるなったら、もう。ビシッとした感じがないじゃない。半ズボンが許されるのは、中学生まで?毛がはえてるとかはえてないとかに関わらず、なんか私の美意識では、男が脚みせて歩くってのは、セクシーじゃないんですよね。男の身体は隠せば隠すほど良し。布地に覆われていてもなんとなく想像できる男性特有の身体のライン、それがセクシーなんじゃないですか。女は多少露出してもいいけれど、自分の体型と相談すべし。ほんと、こっちの人はムチムチっていうより、ドドーンって感じで・・・それでも平気でキャミソールにホットパンツとか穿いてますから。もう見慣れましたけど。ドスドスって歩いてる脂肪の塊。

そういえば、この前スーパーで買い物してるとき、一番うえの棚にあったジュースのパックが取れなかったんですよ。奥のほうに行っちゃってて。一生懸命に背伸びしてもダメ。でも、それが欲しかったんで、周りを見渡して、ちょっと離れたところにいた店員のオバサンに、「すみません、あれ取ってもらえます?」って頼んだんですよ。そしたら、愛想良く取って渡してくれたのはいいんだけど、彼女、笑いながら、「you are so small !!」って。
私もあははって笑うしかなかったんですが、「あなたって、とってもちっちゃいのねぇ!」って、ここはちょっとムッとしなきゃいけない場面なのかしら?
だって女性に、「あなたって、とっても太ってるわねぇ!ははは!」なんて絶対に言わないじゃない?
背が低いことなら言ってもよくて、太ってることならダメなの?
まあ、私は確かにチビだけど、あんまり気にしたことないからいいとして、でも、気にしてる人もいるかもしれないじゃない?ねえ?


05/07/30

せっかくアメリカに来たからには、私も何かやって自立しなければと、いろいろとビザやら就労条件なんかを調べてみるんだけど、これがまた鬱・・・

よく考えたら私、何も手に職ないしなぁ。
今から英語やって大学院(もう大学卒業してるので「院」でなきゃ意味ない)で専門の勉強して・・・ってやってたら、おいおい、一人前に稼げるようになるのはいったい幾つの話よ?
まだ二十代や三十前後ならそれも考えたかもしれないけど、はっきりいって遅すぎ。
ちょっと英語喋れるようになったら、お水系しかダメだわね。それだってもう歳とりすぎ。
起業、というのも考えてみるけれど、そんなら日本のほうがまだこまごまとしたプロセスに関する法律とか読んで理解できるだけマシ。
何にしても、時間がかかる、ということだけはわかったわ。
そんな何年も何年もかけてられないの、こっちは。すぐに見通しをたてて、動き出せるようじゃないと。

それにしても、毎日、ジリツジリツ、カネカネカネカネ、と神経とがらせてたら、つくづく私には金儲けの才がないっていうか、やる気がないっていうか、嫌になってきました。
どこかに私のハマリ役があってもよさそうなものなのにね。この広い世の中。
ないんだな、それが。
これを恋愛に置き換えてみると、ほんとうに「恋愛最下層」のモテナイ人たちの気持ちがわかるよ。
求人広告(女性の望むこと一覧)を見ては、
「だみだ、オリにはこんな仕事(恋愛)、向いてねーし、できねー・・・」
とか思うんだろうな。運良く面接(デート)にこぎつけても、それから連絡もらえなかったりして。
いやまさに、それが私なんだな。

アメリカで何か、なんて大きなこと考えるより、日本に帰って狭くてボロいアパートを借りて、地道に仕事を探して、パートのレジでも、ビルの清掃でも、やってみるほかないのかもしれない。
そうやって、なんとか一人で生きていけたら、それを自立というのかも。
そんならやっぱり早く帰国しないと就職口だって歳とともになくなっちゃうし。

だけど、なんでこんなに、ジリツジリツ、カネカネカネ、なんだろ。
まるでとり憑かれたみたいに。
誰かが言ってた、人並みに恋人がいるってことで「承認」が欲しいんだと。誰から?世間から?
自分も一人前の男であると、承認してもらいたいんだと。
恋愛の動機としては、不純かもしれない、でも、気持ちはわかる。
私も「承認」が欲しいのだろう、きっと。
それで何かが手に入るかといえば、そうでもないだろうし、それで安心とか幸せとかいうものでもないだろうし。
「私も人間です!ちゃんとひとりで生きてます!自分の食い扶持稼いでます!」
って、大声で言ったら、スカッとするかも、しょせん、その程度。
世間様はといえば、「あっそう」で終わりでしょう。

けっきょくは見栄で、心からしたくもないことを無理無理やろうとしてるから、うまくいかない。
わかってるけど、やってみたらその向こうに空が見えるのかな。
見栄をはって、そのぼろっちい見栄を捨てたころ、ぽっかりと澄んだ青空が見えてくるのかな。
わからない。
何も考えたくない。どうしてこんなにダメなんだろう。
運転も泣きながら覚えたけど、今はけっこう乗り回してるみたいに、ジリツだって泣きながらトライしても、いつか笑えるときがくるのかな。怖がらずに、やるべきなのかな。



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