世代の差


これは最近になってちょこちょこ考えるようになったんですが、ネットってテキストだけじゃ、その人の年齢や社会的な立場とか、まれには男か女かすら、よくわからないでしょう。私はプロフィール欄があればそれを読みますが、すべて真実とは限らないということを前提にしているしね。なんか、だから逆に「わからないから、みんな平等」みたいな意識が少しばかり生まれたりもするんだろうけど(実際には違うんですが)。ほら、リアルで会っていたら、身につけているものや表情なんかで、いろいろ推し量れるものがあると思うんだけれど、ネット上のテキストだけじゃね。なんといっても情報不足。

こういう環境って、年が若いと気持ちいいと思うんですよ。面と向かってだと年齢の壁やステイタスの壁に気おされて言えないようなことも勢いで言えたり(というか、書くんですよね。リアルで話せばササッと頭が回らなくても、書くときにはあれこれ推敲できますからね)。だけど、もうそこそこの年齢になってくると、そのあたりちょっと複雑ですよ。明らかにずっと年下の人を相手にすると「若さから来る無理解とか傲慢」ってあるじゃないですか、必ず。年を重ねると誰もが賢くなるわけではないし、辛い試練をサバイヴすると誰もが思慮深くなるわけでもない、そんなことは自明ですが、それでも年齢差からくる最低限の共通認識ってあると思うんです。まー、くだらないことですが、初めてメールする人にはタメ口やらギャル文字使わない、とかね。そんなの私らにとっては常識だけど、小学生や中学生のお嬢さんにそれやられて「あなた、失礼ですよ」というのも「大人気ない」しなぁ〜、と。思うでしょ?私は思うんですよ。だから、精一杯、無難な返し方を考える。言外に「あのね、もう関わりたくないの、あなたとは。ごめんなさいね」という含みを滲ませながらも、相手を傷つけないような・・・

そんな幼いお嬢さんと関わりになることは、実際にはめったとありませんが、最近、二十代半ばぐらいでも、もうどうかな、これ違うんじゃない?って苛立つケースがありますね。それだけ年齢の差が開いてきたということですよ。さすがに二十代になってくると、人それぞれにコミュニケーションの仕方は深く違ってきますが、だからこそ目立つ人は目立つんですよ、「若さから来る無理解とか傲慢」が。まあ、私としてはまだ「無理解」は仕方ないと見逃せますが、「傲慢」でこられると辟易することもあります。彼(女)らからすると、私はれっきとした「おばさん」であって、「傲慢な若者」っていうのは「おばさん=世の中で一番馬鹿にしてもいい人種」と心のどこかで思ってるんですよね。いやもう、私にも覚えがあるのでわかりますよ。私がまだ大学の一年生だったころ、四年の先輩がスーツ着て就職活動してるの見て、「あー、あの人たち、もうおばさんだなー」って思ってましたから。たったの三つや四つ上なだけでもうおばさん呼ばわりですよ?十代か二十代かの違いで、おばさん呼ばわり。この場合の「おばさん」というのは、はっきり蔑称です。(このあたりはよくわかりませんが、たぶん、私がそこそこおしゃれに気を使っていて、そこそこ女子力のある女子だったせいもあると思います。そういう女子はとかく無自覚に傲慢です・笑)
「だってファッションとか違うし〜」
「聴いてる音楽とか違うし〜」
一言でいえば、「もう終わってるじゃない?あの人たち(プ」みたいな。
今の若者の間にだって充分、そういう感覚は連綿と生きてるでしょ。年上の人を敬う気風が廃れたぶんだけ、より強力になってるかもしれません。

多少のタメ口とかはそんなに気にならないです。むしろあまりへりくだられるほうが慇懃無礼な感じもしますが、このあたりは個性ですね。ただ、「もう今の若者文化についてこれないっしょ?w」みたいに人を小馬鹿にした雰囲気がチラ見え、モロ見えすると激しく引きますね。過去に自分が小馬鹿にしてきたことがフラッシュバックして、ああ、ああいう勝ち誇った気分なんだなーと想像するわけです。いやほんと、因果はめぐる、ですね。で、わかるだけに、このどアホが、なんやっちゅうねん、うっとおしい!!って。しかし私もいまや一応、大人ではあるから、適当なにこやかさでもって穏便にあしらうわけですが、心の中では「このクソバカガキ。ネット弁慶のヒキコモリが。ぎゃー、キモッ」とか思いっきり叫んでますよ。これからは、コイツの扱い要注意、できたら避けよう、と。これネタじゃなくてマジ話ですよ。そういうことがあったから、私も考えるようになったんですもん。

だいたい、ストリートファッションがどうとか、ベタベタと携帯メールのやりとりとか、もう私には必要ないんです。その年代の子供がいるわけでもないしね。教育者でもない。子供基準で生きる必要性ないんですよ。だから、リアルだったら二十代の人と腹を割って話したり、本音のおつきあいなんかしないですよ。通っていたESLのクラスに私と同世代ぐらいの女性がいたんです。彼女も子供いなくて暇なので、二十歳そこそこの女の子たちを家に呼んであげたり仲良くしてるみたいですが、「あの子達からみたら、私らってどう見えてるんだろうねー」って話になって、「さぁ?ちょっと暇なおばさん、なんじゃない?」「そうだろうねー」って言い合ってましたが、そんなもんですよ。まじめに友情、とかほとんど考えませんね。お互い、対等の立場だと思ってない、ってことです。それでも人としての礼儀は守りますよ、当然じゃないですか。あ、こんなこと言ってもまだこの子には実感ないかも、と思うことがあるので、そういう話題は控える、というだけで。

私も、自分よりずっと一回り以上も年上の人と話すほうが、それなりに気は使うけど、ある意味、楽です。やはり甘えでしょうか。こっちは人生の先輩から教わる立場、それをわきまえていたら、多少の失礼やミスも、同世代間ほど深刻な感情的行き違いにはならない気がします(相手にもよりますが)。たぶん、年上の向こうは、「んもー、これだから若い人はあつかましい。だけど、ここで怒るのも大人気ないし」とか思って、寛容に振る舞ってくれてるんですよね。もう今の私は、それがおぼろげにわかる年齢になりました。けれども、私だって二十代のころはやっぱり、そういう年上側の気づかいなんて、考えたこともなかったんじゃないかと。それよりも、年上の人との年齢差は、なんだか保守性を象徴する壁みたいに感じて、むしろ無意識的な反発の元になってたんじゃないかと。

話は戻りますが、ネットでは「年齢・立場かんけいない」という雰囲気あると思うんです。私もそう思ってましたが、ちょっと突っ込んだ話になると、かんけいないことはないです。ええ、もうはっきりと、個人差より年齢による考え方の違いってあります。いくら「若くてもしっかりした人」でも、年齢的に想定外のことというのはたくさんあるんです。「若くてもしっかりした」というのは、その年齢にしては、という意味であって、もちろん年上でいろんな経験を積んだ上で、なおかつしっかりしていることとは違います。今年、私も自分自身がいろいろと悩んだりすることが多かったので、そういうとき事実を具体的にきちんと話せるのが、同世代か少し年上なんですよね。当たり前と言えば当たり前ですよね、ずっと年下の人に言っても最終的には「そんな事態は自分には想定外だからわからないし、この人、自分より大人なんだから、自分でなんとかするだろうし」と思うみたいですね。ずっと年下の人というのは、その年にしてはしっかりしていたとしても、「まさかのときの真の友」にはなりえないかもしれません。

じゃあずっと年下の人とつきあうメリットって何だろう?と思います。
ちょっと面白かったり。なんか新鮮だったり。それ以上のことは求められないと、心のどこかで一線引いていたほうがいい。こういうのこそ「年上の無理解や傲慢」だと言えるかもしれませんが、まあ自分のためです。まだ若いし子供だからと見くびって甘い顔をしていたら、子供ならではの無邪気な毒と残酷さに驚かされることもありえますから、適度な距離とか警戒は必要なんですね、やはり。このまえ、何かの集まりで、私よりずっと若い人が私と同世代ぐらいのある男性を評して、「○○さん、僕らみたいな若者と全然違和感なくつきあえるのは、すごいですよ」なんて言っているのを見て、「あー、賢いと思ってたけど、やっぱコイツも・・・」と、お腹の中で苦笑いさせられました。それがお世辞や誉め言葉になってると思ってるところがもう・・・私なら、いま、ずっと年上の人にそんな失礼な言い方できないですね。「ほんとに若い自分から、若いって言われると嬉しいでしょ?」という傲慢さがにじみ出てるじゃないですか。とりあえず、にこやかに、「へぇ、それってつまり馬鹿なんじゃないの?」と茶化しておきました。もちろん、その心は「その人もあんたもな」という意味。

私は、もうそろそろ、ビジネス以外の関係においては、この手の傲慢な僕ちゃん嬢ちゃんから撤収したい気分になってます。ひとつには、めんどくさいわりに、実利はおろか、精神的にもメリットがあまりないです。私には純粋に年下可愛がる趣味ないし。ふたつには、ライフスタイルが変わり、リアルの比重がずっと大きくなってきそうなので、そういうメリットの薄いことで暇つぶししている余裕がなくなると思うからです。
子育て一段落したおばさんたちがネットで遊んでる割合と、社会でまさに働き盛りのおじさんたちがネットで息抜きしてる割合は、どっちが高いでしょうか。どっちでもいいですが、とりあえず私としては、自分のサイトやブログの読者の平均年齢が上がるのは大歓迎です。




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